【木村 隆志】ドラマでパパ活女子高生、出張ホスト、妻の風俗利用…「NHKなのに攻めてる」の大間違い

春ドラマのスタートから約1ヵ月が過ぎた今、ある2つの作品がネット上で話題を集めている。その2作とは、『きれいのくに』と『半径5メートル』。ともにNHKの制作であり、視聴者数こそ民放各局の人気作ほど多くない反面、熱狂度は高く、称賛の声が目立つ。
『きれいのくに』は、「ほとんどの大人が整形手術や遺伝子操作で同じ顔をしている」という世界で生きる高校生たちが容姿のコンプレックスに翻弄される物語。
一方、『半径5メートル』は、女性週刊誌の若手編集者とベテラン記者が、読者の身近な話題に体当たりで向き合っていく姿を描いている。
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両作への称賛のなかで際だっているのは、「NHKなのに攻めてる」という声。実際ここまでの放送で、『きれいのくに』は、整形と遺伝子操作、女子高生のパパ活、パパ活相手からの暴力、高校生の万引きと飲酒購入(未遂)、友人関係の高校生男女が初体験。
『半径5メートル』は、「出張ホスト百人斬り」の体験取材、夫婦のセックスレス、中年女性の性感マッサージ利用などが描かれている。これら過激なシーンの連続に「NHKなのに攻めてる」とネット上が盛り上がっているのだ。民放各局の深夜番組ですらめったに見られないようなシーンであり、しかも放送時間は『きれいのくに』が月曜22時45分~、『半径5メートル』が金曜22時~のプライムタイム。確かに民放各局と比べれば「攻めている」ように見えるが、「NHKなのに」というフレーズは完全なるミスリードであり、決して称賛ばかりされるものではない。視聴率は民放ドラマの半分以下photo by iStock日本中の人々が知っている通りNHKは視聴者の受信料で番組を制作していて、基本的に民放各局のような企業スポンサーはいない。そのため視聴率を気にせず、自由な作品を手がけることが可能だ。だから『きれいのくに』は、第3話の途中まで中年夫婦の物語が描かれ、「なぜか妻がどんどん若返っていく」という謎の展開が続き、もともと予告されていたあらすじと違うだけでなく、何の説明もなかったため、視聴者は何が起きているのか理解できず困惑していた。第3話の途中で突然、高校生たちの物語に切り替わったのだが、そこで明らかになったのは、「中年夫婦の物語は、高校生たちが見ていた啓発映画だった」というぶっ飛んだ展開。民放各局がここまでわかりにくい物語を連ドラの序盤に放送するのは不可能であり、スポンサーも内容を理解できず、了承してもらえないだろう。『半径5メートル』も、女性週刊誌の生活情報チームという地味な舞台設定を民放各局が採用するのは難しい。やはり両作は、視聴率度外視で制作でき、スポンサーへの配慮が不要なNHKならではの作風なのだ。 ちなみに視聴率は、『きれいのくに』が個人1.7%、2.0%、1.3%、1.3%、1.6%で、世帯3.8%、4.1%、2.8%、2.9%、3.5%。『半径5メートル』が個人1.8%、2.1%で、世帯4.0%、4.4%に留まっている。「民放ドラマの半分以下」とも言えるこの数字を見れば、視聴率度外視の制作姿勢が理解できるのではないか。しかし、民放各局のドラマは世帯視聴率が1桁台後半でも「低視聴率」という批判が飛び交うのに、視聴者が事実上のスポンサーであるNHKのドラマが1桁前半でもほとんど批判されないのは、なぜなのか。その理由は、「朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマはメディアが視聴率を報じないから」「NHKと民放各局の違いを視聴者が知らないから」だろう。もし世間の人々がNHKドラマの視聴率を知ったら、詳細が明かされていない制作費の額が気になりはじめ、「民放より攻めていて面白い」などと言っていられなくなるのではないか。 「有料コンテンツ」だから攻めて当然NHKのドラマは「視聴率度外視でスポンサーへの配慮が不要」という点で、WOWOWやスカパーなどのBS・CS、あるいは、動画配信サービスなどの有料コンテンツと似ている。つまり、『きれいのくに』も『半径5メートル』も、「ある視聴者層に刺さる」という嗜好性の高い有料コンテンツに近い立ち位置なのだ。そもそも「受信料を払って見ている」という形は有料コンテンツの図式とほぼ同じであり、だから「攻めている」と思われるくらいエッジの効いた作風であって当然だろう。自由なのは作風だけでなく、人、モノ、時間に対しても同様。NHKドラマは巨額の受信料をベースに「民放各局の倍以上、人、モノ、時間をかけられる」とも言われるほど、極めて恵まれた制作環境にある。民放各局のドラマプロデューサーやディレクターたちは、「NHKと比べられても困る」「NHKのやり方は民放にはできない」。もっと言えば、「恵まれすぎ」「ずるい」などと思っているのだ。「NHKなのに」ではなく「NHKだから」近年、「視聴者に『NHKを見るか見ないか』という選択の余地はなく、受信料を払わなければいけない」というシステムが批判を浴びている。さらに、朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマは、「民放ドラマの半分以下しか見られていないのに受信料は得られる」し、だから次の番組も自由に作ることが可能だ。NHKのドラマは、自由に作ることができる上に、人々から厳しい声を受けることが少なく、人、モノ、時間をたっぷり使うことができる。民放各局のドラマ関係者たちが、「恵まれすぎ」「ずるい」とボヤきたくなる気持ちが分かるのではないか。「NHKなのに」ではなく、「NHKだから」であり、むしろこれだけ自由に作れるのだから攻めるくらいでなければ存在意義がないとも言える。 最後に誤解なきよう書いておくと、「『きれいのくに』と『半径5メートル』が面白くない」ということではない。前者は若手・ベテランともに俳優の技量を十分に引き出しているし、後者は脚本・演出ともに質が高いなど、それぞれに優れた点がある。NHKドラマの本質を知って、「事実上の有料コンテンツだからこれくらい攻めた内容でも当然」とハードルを上げておく必要性はあるが、あくまで視聴者側の問題であって作品に罪はない。
民放各局の深夜番組ですらめったに見られないようなシーンであり、しかも放送時間は『きれいのくに』が月曜22時45分~、『半径5メートル』が金曜22時~のプライムタイム。確かに民放各局と比べれば「攻めている」ように見えるが、「NHKなのに」というフレーズは完全なるミスリードであり、決して称賛ばかりされるものではない。視聴率は民放ドラマの半分以下photo by iStock日本中の人々が知っている通りNHKは視聴者の受信料で番組を制作していて、基本的に民放各局のような企業スポンサーはいない。そのため視聴率を気にせず、自由な作品を手がけることが可能だ。だから『きれいのくに』は、第3話の途中まで中年夫婦の物語が描かれ、「なぜか妻がどんどん若返っていく」という謎の展開が続き、もともと予告されていたあらすじと違うだけでなく、何の説明もなかったため、視聴者は何が起きているのか理解できず困惑していた。第3話の途中で突然、高校生たちの物語に切り替わったのだが、そこで明らかになったのは、「中年夫婦の物語は、高校生たちが見ていた啓発映画だった」というぶっ飛んだ展開。民放各局がここまでわかりにくい物語を連ドラの序盤に放送するのは不可能であり、スポンサーも内容を理解できず、了承してもらえないだろう。『半径5メートル』も、女性週刊誌の生活情報チームという地味な舞台設定を民放各局が採用するのは難しい。やはり両作は、視聴率度外視で制作でき、スポンサーへの配慮が不要なNHKならではの作風なのだ。 ちなみに視聴率は、『きれいのくに』が個人1.7%、2.0%、1.3%、1.3%、1.6%で、世帯3.8%、4.1%、2.8%、2.9%、3.5%。『半径5メートル』が個人1.8%、2.1%で、世帯4.0%、4.4%に留まっている。「民放ドラマの半分以下」とも言えるこの数字を見れば、視聴率度外視の制作姿勢が理解できるのではないか。しかし、民放各局のドラマは世帯視聴率が1桁台後半でも「低視聴率」という批判が飛び交うのに、視聴者が事実上のスポンサーであるNHKのドラマが1桁前半でもほとんど批判されないのは、なぜなのか。その理由は、「朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマはメディアが視聴率を報じないから」「NHKと民放各局の違いを視聴者が知らないから」だろう。もし世間の人々がNHKドラマの視聴率を知ったら、詳細が明かされていない制作費の額が気になりはじめ、「民放より攻めていて面白い」などと言っていられなくなるのではないか。 「有料コンテンツ」だから攻めて当然NHKのドラマは「視聴率度外視でスポンサーへの配慮が不要」という点で、WOWOWやスカパーなどのBS・CS、あるいは、動画配信サービスなどの有料コンテンツと似ている。つまり、『きれいのくに』も『半径5メートル』も、「ある視聴者層に刺さる」という嗜好性の高い有料コンテンツに近い立ち位置なのだ。そもそも「受信料を払って見ている」という形は有料コンテンツの図式とほぼ同じであり、だから「攻めている」と思われるくらいエッジの効いた作風であって当然だろう。自由なのは作風だけでなく、人、モノ、時間に対しても同様。NHKドラマは巨額の受信料をベースに「民放各局の倍以上、人、モノ、時間をかけられる」とも言われるほど、極めて恵まれた制作環境にある。民放各局のドラマプロデューサーやディレクターたちは、「NHKと比べられても困る」「NHKのやり方は民放にはできない」。もっと言えば、「恵まれすぎ」「ずるい」などと思っているのだ。「NHKなのに」ではなく「NHKだから」近年、「視聴者に『NHKを見るか見ないか』という選択の余地はなく、受信料を払わなければいけない」というシステムが批判を浴びている。さらに、朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマは、「民放ドラマの半分以下しか見られていないのに受信料は得られる」し、だから次の番組も自由に作ることが可能だ。NHKのドラマは、自由に作ることができる上に、人々から厳しい声を受けることが少なく、人、モノ、時間をたっぷり使うことができる。民放各局のドラマ関係者たちが、「恵まれすぎ」「ずるい」とボヤきたくなる気持ちが分かるのではないか。「NHKなのに」ではなく、「NHKだから」であり、むしろこれだけ自由に作れるのだから攻めるくらいでなければ存在意義がないとも言える。 最後に誤解なきよう書いておくと、「『きれいのくに』と『半径5メートル』が面白くない」ということではない。前者は若手・ベテランともに俳優の技量を十分に引き出しているし、後者は脚本・演出ともに質が高いなど、それぞれに優れた点がある。NHKドラマの本質を知って、「事実上の有料コンテンツだからこれくらい攻めた内容でも当然」とハードルを上げておく必要性はあるが、あくまで視聴者側の問題であって作品に罪はない。
確かに民放各局と比べれば「攻めている」ように見えるが、「NHKなのに」というフレーズは完全なるミスリードであり、決して称賛ばかりされるものではない。視聴率は民放ドラマの半分以下photo by iStock日本中の人々が知っている通りNHKは視聴者の受信料で番組を制作していて、基本的に民放各局のような企業スポンサーはいない。そのため視聴率を気にせず、自由な作品を手がけることが可能だ。だから『きれいのくに』は、第3話の途中まで中年夫婦の物語が描かれ、「なぜか妻がどんどん若返っていく」という謎の展開が続き、もともと予告されていたあらすじと違うだけでなく、何の説明もなかったため、視聴者は何が起きているのか理解できず困惑していた。第3話の途中で突然、高校生たちの物語に切り替わったのだが、そこで明らかになったのは、「中年夫婦の物語は、高校生たちが見ていた啓発映画だった」というぶっ飛んだ展開。民放各局がここまでわかりにくい物語を連ドラの序盤に放送するのは不可能であり、スポンサーも内容を理解できず、了承してもらえないだろう。『半径5メートル』も、女性週刊誌の生活情報チームという地味な舞台設定を民放各局が採用するのは難しい。やはり両作は、視聴率度外視で制作でき、スポンサーへの配慮が不要なNHKならではの作風なのだ。 ちなみに視聴率は、『きれいのくに』が個人1.7%、2.0%、1.3%、1.3%、1.6%で、世帯3.8%、4.1%、2.8%、2.9%、3.5%。『半径5メートル』が個人1.8%、2.1%で、世帯4.0%、4.4%に留まっている。「民放ドラマの半分以下」とも言えるこの数字を見れば、視聴率度外視の制作姿勢が理解できるのではないか。しかし、民放各局のドラマは世帯視聴率が1桁台後半でも「低視聴率」という批判が飛び交うのに、視聴者が事実上のスポンサーであるNHKのドラマが1桁前半でもほとんど批判されないのは、なぜなのか。その理由は、「朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマはメディアが視聴率を報じないから」「NHKと民放各局の違いを視聴者が知らないから」だろう。もし世間の人々がNHKドラマの視聴率を知ったら、詳細が明かされていない制作費の額が気になりはじめ、「民放より攻めていて面白い」などと言っていられなくなるのではないか。 「有料コンテンツ」だから攻めて当然NHKのドラマは「視聴率度外視でスポンサーへの配慮が不要」という点で、WOWOWやスカパーなどのBS・CS、あるいは、動画配信サービスなどの有料コンテンツと似ている。つまり、『きれいのくに』も『半径5メートル』も、「ある視聴者層に刺さる」という嗜好性の高い有料コンテンツに近い立ち位置なのだ。そもそも「受信料を払って見ている」という形は有料コンテンツの図式とほぼ同じであり、だから「攻めている」と思われるくらいエッジの効いた作風であって当然だろう。自由なのは作風だけでなく、人、モノ、時間に対しても同様。NHKドラマは巨額の受信料をベースに「民放各局の倍以上、人、モノ、時間をかけられる」とも言われるほど、極めて恵まれた制作環境にある。民放各局のドラマプロデューサーやディレクターたちは、「NHKと比べられても困る」「NHKのやり方は民放にはできない」。もっと言えば、「恵まれすぎ」「ずるい」などと思っているのだ。「NHKなのに」ではなく「NHKだから」近年、「視聴者に『NHKを見るか見ないか』という選択の余地はなく、受信料を払わなければいけない」というシステムが批判を浴びている。さらに、朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマは、「民放ドラマの半分以下しか見られていないのに受信料は得られる」し、だから次の番組も自由に作ることが可能だ。NHKのドラマは、自由に作ることができる上に、人々から厳しい声を受けることが少なく、人、モノ、時間をたっぷり使うことができる。民放各局のドラマ関係者たちが、「恵まれすぎ」「ずるい」とボヤきたくなる気持ちが分かるのではないか。「NHKなのに」ではなく、「NHKだから」であり、むしろこれだけ自由に作れるのだから攻めるくらいでなければ存在意義がないとも言える。 最後に誤解なきよう書いておくと、「『きれいのくに』と『半径5メートル』が面白くない」ということではない。前者は若手・ベテランともに俳優の技量を十分に引き出しているし、後者は脚本・演出ともに質が高いなど、それぞれに優れた点がある。NHKドラマの本質を知って、「事実上の有料コンテンツだからこれくらい攻めた内容でも当然」とハードルを上げておく必要性はあるが、あくまで視聴者側の問題であって作品に罪はない。
photo by iStock日本中の人々が知っている通りNHKは視聴者の受信料で番組を制作していて、基本的に民放各局のような企業スポンサーはいない。そのため視聴率を気にせず、自由な作品を手がけることが可能だ。だから『きれいのくに』は、第3話の途中まで中年夫婦の物語が描かれ、「なぜか妻がどんどん若返っていく」という謎の展開が続き、もともと予告されていたあらすじと違うだけでなく、何の説明もなかったため、視聴者は何が起きているのか理解できず困惑していた。第3話の途中で突然、高校生たちの物語に切り替わったのだが、そこで明らかになったのは、「中年夫婦の物語は、高校生たちが見ていた啓発映画だった」というぶっ飛んだ展開。民放各局がここまでわかりにくい物語を連ドラの序盤に放送するのは不可能であり、スポンサーも内容を理解できず、了承してもらえないだろう。『半径5メートル』も、女性週刊誌の生活情報チームという地味な舞台設定を民放各局が採用するのは難しい。やはり両作は、視聴率度外視で制作でき、スポンサーへの配慮が不要なNHKならではの作風なのだ。 ちなみに視聴率は、『きれいのくに』が個人1.7%、2.0%、1.3%、1.3%、1.6%で、世帯3.8%、4.1%、2.8%、2.9%、3.5%。『半径5メートル』が個人1.8%、2.1%で、世帯4.0%、4.4%に留まっている。「民放ドラマの半分以下」とも言えるこの数字を見れば、視聴率度外視の制作姿勢が理解できるのではないか。しかし、民放各局のドラマは世帯視聴率が1桁台後半でも「低視聴率」という批判が飛び交うのに、視聴者が事実上のスポンサーであるNHKのドラマが1桁前半でもほとんど批判されないのは、なぜなのか。その理由は、「朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマはメディアが視聴率を報じないから」「NHKと民放各局の違いを視聴者が知らないから」だろう。もし世間の人々がNHKドラマの視聴率を知ったら、詳細が明かされていない制作費の額が気になりはじめ、「民放より攻めていて面白い」などと言っていられなくなるのではないか。 「有料コンテンツ」だから攻めて当然NHKのドラマは「視聴率度外視でスポンサーへの配慮が不要」という点で、WOWOWやスカパーなどのBS・CS、あるいは、動画配信サービスなどの有料コンテンツと似ている。つまり、『きれいのくに』も『半径5メートル』も、「ある視聴者層に刺さる」という嗜好性の高い有料コンテンツに近い立ち位置なのだ。そもそも「受信料を払って見ている」という形は有料コンテンツの図式とほぼ同じであり、だから「攻めている」と思われるくらいエッジの効いた作風であって当然だろう。自由なのは作風だけでなく、人、モノ、時間に対しても同様。NHKドラマは巨額の受信料をベースに「民放各局の倍以上、人、モノ、時間をかけられる」とも言われるほど、極めて恵まれた制作環境にある。民放各局のドラマプロデューサーやディレクターたちは、「NHKと比べられても困る」「NHKのやり方は民放にはできない」。もっと言えば、「恵まれすぎ」「ずるい」などと思っているのだ。「NHKなのに」ではなく「NHKだから」近年、「視聴者に『NHKを見るか見ないか』という選択の余地はなく、受信料を払わなければいけない」というシステムが批判を浴びている。さらに、朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマは、「民放ドラマの半分以下しか見られていないのに受信料は得られる」し、だから次の番組も自由に作ることが可能だ。NHKのドラマは、自由に作ることができる上に、人々から厳しい声を受けることが少なく、人、モノ、時間をたっぷり使うことができる。民放各局のドラマ関係者たちが、「恵まれすぎ」「ずるい」とボヤきたくなる気持ちが分かるのではないか。「NHKなのに」ではなく、「NHKだから」であり、むしろこれだけ自由に作れるのだから攻めるくらいでなければ存在意義がないとも言える。 最後に誤解なきよう書いておくと、「『きれいのくに』と『半径5メートル』が面白くない」ということではない。前者は若手・ベテランともに俳優の技量を十分に引き出しているし、後者は脚本・演出ともに質が高いなど、それぞれに優れた点がある。NHKドラマの本質を知って、「事実上の有料コンテンツだからこれくらい攻めた内容でも当然」とハードルを上げておく必要性はあるが、あくまで視聴者側の問題であって作品に罪はない。
日本中の人々が知っている通りNHKは視聴者の受信料で番組を制作していて、基本的に民放各局のような企業スポンサーはいない。そのため視聴率を気にせず、自由な作品を手がけることが可能だ。だから『きれいのくに』は、第3話の途中まで中年夫婦の物語が描かれ、「なぜか妻がどんどん若返っていく」という謎の展開が続き、もともと予告されていたあらすじと違うだけでなく、何の説明もなかったため、視聴者は何が起きているのか理解できず困惑していた。第3話の途中で突然、高校生たちの物語に切り替わったのだが、そこで明らかになったのは、「中年夫婦の物語は、高校生たちが見ていた啓発映画だった」というぶっ飛んだ展開。民放各局がここまでわかりにくい物語を連ドラの序盤に放送するのは不可能であり、スポンサーも内容を理解できず、了承してもらえないだろう。『半径5メートル』も、女性週刊誌の生活情報チームという地味な舞台設定を民放各局が採用するのは難しい。やはり両作は、視聴率度外視で制作でき、スポンサーへの配慮が不要なNHKならではの作風なのだ。 ちなみに視聴率は、『きれいのくに』が個人1.7%、2.0%、1.3%、1.3%、1.6%で、世帯3.8%、4.1%、2.8%、2.9%、3.5%。『半径5メートル』が個人1.8%、2.1%で、世帯4.0%、4.4%に留まっている。「民放ドラマの半分以下」とも言えるこの数字を見れば、視聴率度外視の制作姿勢が理解できるのではないか。しかし、民放各局のドラマは世帯視聴率が1桁台後半でも「低視聴率」という批判が飛び交うのに、視聴者が事実上のスポンサーであるNHKのドラマが1桁前半でもほとんど批判されないのは、なぜなのか。その理由は、「朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマはメディアが視聴率を報じないから」「NHKと民放各局の違いを視聴者が知らないから」だろう。もし世間の人々がNHKドラマの視聴率を知ったら、詳細が明かされていない制作費の額が気になりはじめ、「民放より攻めていて面白い」などと言っていられなくなるのではないか。 「有料コンテンツ」だから攻めて当然NHKのドラマは「視聴率度外視でスポンサーへの配慮が不要」という点で、WOWOWやスカパーなどのBS・CS、あるいは、動画配信サービスなどの有料コンテンツと似ている。つまり、『きれいのくに』も『半径5メートル』も、「ある視聴者層に刺さる」という嗜好性の高い有料コンテンツに近い立ち位置なのだ。そもそも「受信料を払って見ている」という形は有料コンテンツの図式とほぼ同じであり、だから「攻めている」と思われるくらいエッジの効いた作風であって当然だろう。自由なのは作風だけでなく、人、モノ、時間に対しても同様。NHKドラマは巨額の受信料をベースに「民放各局の倍以上、人、モノ、時間をかけられる」とも言われるほど、極めて恵まれた制作環境にある。民放各局のドラマプロデューサーやディレクターたちは、「NHKと比べられても困る」「NHKのやり方は民放にはできない」。もっと言えば、「恵まれすぎ」「ずるい」などと思っているのだ。「NHKなのに」ではなく「NHKだから」近年、「視聴者に『NHKを見るか見ないか』という選択の余地はなく、受信料を払わなければいけない」というシステムが批判を浴びている。さらに、朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマは、「民放ドラマの半分以下しか見られていないのに受信料は得られる」し、だから次の番組も自由に作ることが可能だ。NHKのドラマは、自由に作ることができる上に、人々から厳しい声を受けることが少なく、人、モノ、時間をたっぷり使うことができる。民放各局のドラマ関係者たちが、「恵まれすぎ」「ずるい」とボヤきたくなる気持ちが分かるのではないか。「NHKなのに」ではなく、「NHKだから」であり、むしろこれだけ自由に作れるのだから攻めるくらいでなければ存在意義がないとも言える。 最後に誤解なきよう書いておくと、「『きれいのくに』と『半径5メートル』が面白くない」ということではない。前者は若手・ベテランともに俳優の技量を十分に引き出しているし、後者は脚本・演出ともに質が高いなど、それぞれに優れた点がある。NHKドラマの本質を知って、「事実上の有料コンテンツだからこれくらい攻めた内容でも当然」とハードルを上げておく必要性はあるが、あくまで視聴者側の問題であって作品に罪はない。
だから『きれいのくに』は、第3話の途中まで中年夫婦の物語が描かれ、「なぜか妻がどんどん若返っていく」という謎の展開が続き、もともと予告されていたあらすじと違うだけでなく、何の説明もなかったため、視聴者は何が起きているのか理解できず困惑していた。第3話の途中で突然、高校生たちの物語に切り替わったのだが、そこで明らかになったのは、「中年夫婦の物語は、高校生たちが見ていた啓発映画だった」というぶっ飛んだ展開。民放各局がここまでわかりにくい物語を連ドラの序盤に放送するのは不可能であり、スポンサーも内容を理解できず、了承してもらえないだろう。『半径5メートル』も、女性週刊誌の生活情報チームという地味な舞台設定を民放各局が採用するのは難しい。やはり両作は、視聴率度外視で制作でき、スポンサーへの配慮が不要なNHKならではの作風なのだ。 ちなみに視聴率は、『きれいのくに』が個人1.7%、2.0%、1.3%、1.3%、1.6%で、世帯3.8%、4.1%、2.8%、2.9%、3.5%。『半径5メートル』が個人1.8%、2.1%で、世帯4.0%、4.4%に留まっている。「民放ドラマの半分以下」とも言えるこの数字を見れば、視聴率度外視の制作姿勢が理解できるのではないか。しかし、民放各局のドラマは世帯視聴率が1桁台後半でも「低視聴率」という批判が飛び交うのに、視聴者が事実上のスポンサーであるNHKのドラマが1桁前半でもほとんど批判されないのは、なぜなのか。その理由は、「朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマはメディアが視聴率を報じないから」「NHKと民放各局の違いを視聴者が知らないから」だろう。もし世間の人々がNHKドラマの視聴率を知ったら、詳細が明かされていない制作費の額が気になりはじめ、「民放より攻めていて面白い」などと言っていられなくなるのではないか。 「有料コンテンツ」だから攻めて当然NHKのドラマは「視聴率度外視でスポンサーへの配慮が不要」という点で、WOWOWやスカパーなどのBS・CS、あるいは、動画配信サービスなどの有料コンテンツと似ている。つまり、『きれいのくに』も『半径5メートル』も、「ある視聴者層に刺さる」という嗜好性の高い有料コンテンツに近い立ち位置なのだ。そもそも「受信料を払って見ている」という形は有料コンテンツの図式とほぼ同じであり、だから「攻めている」と思われるくらいエッジの効いた作風であって当然だろう。自由なのは作風だけでなく、人、モノ、時間に対しても同様。NHKドラマは巨額の受信料をベースに「民放各局の倍以上、人、モノ、時間をかけられる」とも言われるほど、極めて恵まれた制作環境にある。民放各局のドラマプロデューサーやディレクターたちは、「NHKと比べられても困る」「NHKのやり方は民放にはできない」。もっと言えば、「恵まれすぎ」「ずるい」などと思っているのだ。「NHKなのに」ではなく「NHKだから」近年、「視聴者に『NHKを見るか見ないか』という選択の余地はなく、受信料を払わなければいけない」というシステムが批判を浴びている。さらに、朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマは、「民放ドラマの半分以下しか見られていないのに受信料は得られる」し、だから次の番組も自由に作ることが可能だ。NHKのドラマは、自由に作ることができる上に、人々から厳しい声を受けることが少なく、人、モノ、時間をたっぷり使うことができる。民放各局のドラマ関係者たちが、「恵まれすぎ」「ずるい」とボヤきたくなる気持ちが分かるのではないか。「NHKなのに」ではなく、「NHKだから」であり、むしろこれだけ自由に作れるのだから攻めるくらいでなければ存在意義がないとも言える。 最後に誤解なきよう書いておくと、「『きれいのくに』と『半径5メートル』が面白くない」ということではない。前者は若手・ベテランともに俳優の技量を十分に引き出しているし、後者は脚本・演出ともに質が高いなど、それぞれに優れた点がある。NHKドラマの本質を知って、「事実上の有料コンテンツだからこれくらい攻めた内容でも当然」とハードルを上げておく必要性はあるが、あくまで視聴者側の問題であって作品に罪はない。
第3話の途中で突然、高校生たちの物語に切り替わったのだが、そこで明らかになったのは、「中年夫婦の物語は、高校生たちが見ていた啓発映画だった」というぶっ飛んだ展開。民放各局がここまでわかりにくい物語を連ドラの序盤に放送するのは不可能であり、スポンサーも内容を理解できず、了承してもらえないだろう。『半径5メートル』も、女性週刊誌の生活情報チームという地味な舞台設定を民放各局が採用するのは難しい。やはり両作は、視聴率度外視で制作でき、スポンサーへの配慮が不要なNHKならではの作風なのだ。 ちなみに視聴率は、『きれいのくに』が個人1.7%、2.0%、1.3%、1.3%、1.6%で、世帯3.8%、4.1%、2.8%、2.9%、3.5%。『半径5メートル』が個人1.8%、2.1%で、世帯4.0%、4.4%に留まっている。「民放ドラマの半分以下」とも言えるこの数字を見れば、視聴率度外視の制作姿勢が理解できるのではないか。しかし、民放各局のドラマは世帯視聴率が1桁台後半でも「低視聴率」という批判が飛び交うのに、視聴者が事実上のスポンサーであるNHKのドラマが1桁前半でもほとんど批判されないのは、なぜなのか。その理由は、「朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマはメディアが視聴率を報じないから」「NHKと民放各局の違いを視聴者が知らないから」だろう。もし世間の人々がNHKドラマの視聴率を知ったら、詳細が明かされていない制作費の額が気になりはじめ、「民放より攻めていて面白い」などと言っていられなくなるのではないか。 「有料コンテンツ」だから攻めて当然NHKのドラマは「視聴率度外視でスポンサーへの配慮が不要」という点で、WOWOWやスカパーなどのBS・CS、あるいは、動画配信サービスなどの有料コンテンツと似ている。つまり、『きれいのくに』も『半径5メートル』も、「ある視聴者層に刺さる」という嗜好性の高い有料コンテンツに近い立ち位置なのだ。そもそも「受信料を払って見ている」という形は有料コンテンツの図式とほぼ同じであり、だから「攻めている」と思われるくらいエッジの効いた作風であって当然だろう。自由なのは作風だけでなく、人、モノ、時間に対しても同様。NHKドラマは巨額の受信料をベースに「民放各局の倍以上、人、モノ、時間をかけられる」とも言われるほど、極めて恵まれた制作環境にある。民放各局のドラマプロデューサーやディレクターたちは、「NHKと比べられても困る」「NHKのやり方は民放にはできない」。もっと言えば、「恵まれすぎ」「ずるい」などと思っているのだ。「NHKなのに」ではなく「NHKだから」近年、「視聴者に『NHKを見るか見ないか』という選択の余地はなく、受信料を払わなければいけない」というシステムが批判を浴びている。さらに、朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマは、「民放ドラマの半分以下しか見られていないのに受信料は得られる」し、だから次の番組も自由に作ることが可能だ。NHKのドラマは、自由に作ることができる上に、人々から厳しい声を受けることが少なく、人、モノ、時間をたっぷり使うことができる。民放各局のドラマ関係者たちが、「恵まれすぎ」「ずるい」とボヤきたくなる気持ちが分かるのではないか。「NHKなのに」ではなく、「NHKだから」であり、むしろこれだけ自由に作れるのだから攻めるくらいでなければ存在意義がないとも言える。 最後に誤解なきよう書いておくと、「『きれいのくに』と『半径5メートル』が面白くない」ということではない。前者は若手・ベテランともに俳優の技量を十分に引き出しているし、後者は脚本・演出ともに質が高いなど、それぞれに優れた点がある。NHKドラマの本質を知って、「事実上の有料コンテンツだからこれくらい攻めた内容でも当然」とハードルを上げておく必要性はあるが、あくまで視聴者側の問題であって作品に罪はない。
『半径5メートル』も、女性週刊誌の生活情報チームという地味な舞台設定を民放各局が採用するのは難しい。やはり両作は、視聴率度外視で制作でき、スポンサーへの配慮が不要なNHKならではの作風なのだ。 ちなみに視聴率は、『きれいのくに』が個人1.7%、2.0%、1.3%、1.3%、1.6%で、世帯3.8%、4.1%、2.8%、2.9%、3.5%。『半径5メートル』が個人1.8%、2.1%で、世帯4.0%、4.4%に留まっている。「民放ドラマの半分以下」とも言えるこの数字を見れば、視聴率度外視の制作姿勢が理解できるのではないか。しかし、民放各局のドラマは世帯視聴率が1桁台後半でも「低視聴率」という批判が飛び交うのに、視聴者が事実上のスポンサーであるNHKのドラマが1桁前半でもほとんど批判されないのは、なぜなのか。その理由は、「朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマはメディアが視聴率を報じないから」「NHKと民放各局の違いを視聴者が知らないから」だろう。もし世間の人々がNHKドラマの視聴率を知ったら、詳細が明かされていない制作費の額が気になりはじめ、「民放より攻めていて面白い」などと言っていられなくなるのではないか。 「有料コンテンツ」だから攻めて当然NHKのドラマは「視聴率度外視でスポンサーへの配慮が不要」という点で、WOWOWやスカパーなどのBS・CS、あるいは、動画配信サービスなどの有料コンテンツと似ている。つまり、『きれいのくに』も『半径5メートル』も、「ある視聴者層に刺さる」という嗜好性の高い有料コンテンツに近い立ち位置なのだ。そもそも「受信料を払って見ている」という形は有料コンテンツの図式とほぼ同じであり、だから「攻めている」と思われるくらいエッジの効いた作風であって当然だろう。自由なのは作風だけでなく、人、モノ、時間に対しても同様。NHKドラマは巨額の受信料をベースに「民放各局の倍以上、人、モノ、時間をかけられる」とも言われるほど、極めて恵まれた制作環境にある。民放各局のドラマプロデューサーやディレクターたちは、「NHKと比べられても困る」「NHKのやり方は民放にはできない」。もっと言えば、「恵まれすぎ」「ずるい」などと思っているのだ。「NHKなのに」ではなく「NHKだから」近年、「視聴者に『NHKを見るか見ないか』という選択の余地はなく、受信料を払わなければいけない」というシステムが批判を浴びている。さらに、朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマは、「民放ドラマの半分以下しか見られていないのに受信料は得られる」し、だから次の番組も自由に作ることが可能だ。NHKのドラマは、自由に作ることができる上に、人々から厳しい声を受けることが少なく、人、モノ、時間をたっぷり使うことができる。民放各局のドラマ関係者たちが、「恵まれすぎ」「ずるい」とボヤきたくなる気持ちが分かるのではないか。「NHKなのに」ではなく、「NHKだから」であり、むしろこれだけ自由に作れるのだから攻めるくらいでなければ存在意義がないとも言える。 最後に誤解なきよう書いておくと、「『きれいのくに』と『半径5メートル』が面白くない」ということではない。前者は若手・ベテランともに俳優の技量を十分に引き出しているし、後者は脚本・演出ともに質が高いなど、それぞれに優れた点がある。NHKドラマの本質を知って、「事実上の有料コンテンツだからこれくらい攻めた内容でも当然」とハードルを上げておく必要性はあるが、あくまで視聴者側の問題であって作品に罪はない。
ちなみに視聴率は、『きれいのくに』が個人1.7%、2.0%、1.3%、1.3%、1.6%で、世帯3.8%、4.1%、2.8%、2.9%、3.5%。『半径5メートル』が個人1.8%、2.1%で、世帯4.0%、4.4%に留まっている。「民放ドラマの半分以下」とも言えるこの数字を見れば、視聴率度外視の制作姿勢が理解できるのではないか。しかし、民放各局のドラマは世帯視聴率が1桁台後半でも「低視聴率」という批判が飛び交うのに、視聴者が事実上のスポンサーであるNHKのドラマが1桁前半でもほとんど批判されないのは、なぜなのか。その理由は、「朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマはメディアが視聴率を報じないから」「NHKと民放各局の違いを視聴者が知らないから」だろう。もし世間の人々がNHKドラマの視聴率を知ったら、詳細が明かされていない制作費の額が気になりはじめ、「民放より攻めていて面白い」などと言っていられなくなるのではないか。 「有料コンテンツ」だから攻めて当然NHKのドラマは「視聴率度外視でスポンサーへの配慮が不要」という点で、WOWOWやスカパーなどのBS・CS、あるいは、動画配信サービスなどの有料コンテンツと似ている。つまり、『きれいのくに』も『半径5メートル』も、「ある視聴者層に刺さる」という嗜好性の高い有料コンテンツに近い立ち位置なのだ。そもそも「受信料を払って見ている」という形は有料コンテンツの図式とほぼ同じであり、だから「攻めている」と思われるくらいエッジの効いた作風であって当然だろう。自由なのは作風だけでなく、人、モノ、時間に対しても同様。NHKドラマは巨額の受信料をベースに「民放各局の倍以上、人、モノ、時間をかけられる」とも言われるほど、極めて恵まれた制作環境にある。民放各局のドラマプロデューサーやディレクターたちは、「NHKと比べられても困る」「NHKのやり方は民放にはできない」。もっと言えば、「恵まれすぎ」「ずるい」などと思っているのだ。「NHKなのに」ではなく「NHKだから」近年、「視聴者に『NHKを見るか見ないか』という選択の余地はなく、受信料を払わなければいけない」というシステムが批判を浴びている。さらに、朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマは、「民放ドラマの半分以下しか見られていないのに受信料は得られる」し、だから次の番組も自由に作ることが可能だ。NHKのドラマは、自由に作ることができる上に、人々から厳しい声を受けることが少なく、人、モノ、時間をたっぷり使うことができる。民放各局のドラマ関係者たちが、「恵まれすぎ」「ずるい」とボヤきたくなる気持ちが分かるのではないか。「NHKなのに」ではなく、「NHKだから」であり、むしろこれだけ自由に作れるのだから攻めるくらいでなければ存在意義がないとも言える。 最後に誤解なきよう書いておくと、「『きれいのくに』と『半径5メートル』が面白くない」ということではない。前者は若手・ベテランともに俳優の技量を十分に引き出しているし、後者は脚本・演出ともに質が高いなど、それぞれに優れた点がある。NHKドラマの本質を知って、「事実上の有料コンテンツだからこれくらい攻めた内容でも当然」とハードルを上げておく必要性はあるが、あくまで視聴者側の問題であって作品に罪はない。
ちなみに視聴率は、『きれいのくに』が個人1.7%、2.0%、1.3%、1.3%、1.6%で、世帯3.8%、4.1%、2.8%、2.9%、3.5%。『半径5メートル』が個人1.8%、2.1%で、世帯4.0%、4.4%に留まっている。「民放ドラマの半分以下」とも言えるこの数字を見れば、視聴率度外視の制作姿勢が理解できるのではないか。しかし、民放各局のドラマは世帯視聴率が1桁台後半でも「低視聴率」という批判が飛び交うのに、視聴者が事実上のスポンサーであるNHKのドラマが1桁前半でもほとんど批判されないのは、なぜなのか。その理由は、「朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマはメディアが視聴率を報じないから」「NHKと民放各局の違いを視聴者が知らないから」だろう。もし世間の人々がNHKドラマの視聴率を知ったら、詳細が明かされていない制作費の額が気になりはじめ、「民放より攻めていて面白い」などと言っていられなくなるのではないか。 「有料コンテンツ」だから攻めて当然NHKのドラマは「視聴率度外視でスポンサーへの配慮が不要」という点で、WOWOWやスカパーなどのBS・CS、あるいは、動画配信サービスなどの有料コンテンツと似ている。つまり、『きれいのくに』も『半径5メートル』も、「ある視聴者層に刺さる」という嗜好性の高い有料コンテンツに近い立ち位置なのだ。そもそも「受信料を払って見ている」という形は有料コンテンツの図式とほぼ同じであり、だから「攻めている」と思われるくらいエッジの効いた作風であって当然だろう。自由なのは作風だけでなく、人、モノ、時間に対しても同様。NHKドラマは巨額の受信料をベースに「民放各局の倍以上、人、モノ、時間をかけられる」とも言われるほど、極めて恵まれた制作環境にある。民放各局のドラマプロデューサーやディレクターたちは、「NHKと比べられても困る」「NHKのやり方は民放にはできない」。もっと言えば、「恵まれすぎ」「ずるい」などと思っているのだ。「NHKなのに」ではなく「NHKだから」近年、「視聴者に『NHKを見るか見ないか』という選択の余地はなく、受信料を払わなければいけない」というシステムが批判を浴びている。さらに、朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマは、「民放ドラマの半分以下しか見られていないのに受信料は得られる」し、だから次の番組も自由に作ることが可能だ。NHKのドラマは、自由に作ることができる上に、人々から厳しい声を受けることが少なく、人、モノ、時間をたっぷり使うことができる。民放各局のドラマ関係者たちが、「恵まれすぎ」「ずるい」とボヤきたくなる気持ちが分かるのではないか。「NHKなのに」ではなく、「NHKだから」であり、むしろこれだけ自由に作れるのだから攻めるくらいでなければ存在意義がないとも言える。 最後に誤解なきよう書いておくと、「『きれいのくに』と『半径5メートル』が面白くない」ということではない。前者は若手・ベテランともに俳優の技量を十分に引き出しているし、後者は脚本・演出ともに質が高いなど、それぞれに優れた点がある。NHKドラマの本質を知って、「事実上の有料コンテンツだからこれくらい攻めた内容でも当然」とハードルを上げておく必要性はあるが、あくまで視聴者側の問題であって作品に罪はない。
しかし、民放各局のドラマは世帯視聴率が1桁台後半でも「低視聴率」という批判が飛び交うのに、視聴者が事実上のスポンサーであるNHKのドラマが1桁前半でもほとんど批判されないのは、なぜなのか。その理由は、「朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマはメディアが視聴率を報じないから」「NHKと民放各局の違いを視聴者が知らないから」だろう。もし世間の人々がNHKドラマの視聴率を知ったら、詳細が明かされていない制作費の額が気になりはじめ、「民放より攻めていて面白い」などと言っていられなくなるのではないか。 「有料コンテンツ」だから攻めて当然NHKのドラマは「視聴率度外視でスポンサーへの配慮が不要」という点で、WOWOWやスカパーなどのBS・CS、あるいは、動画配信サービスなどの有料コンテンツと似ている。つまり、『きれいのくに』も『半径5メートル』も、「ある視聴者層に刺さる」という嗜好性の高い有料コンテンツに近い立ち位置なのだ。そもそも「受信料を払って見ている」という形は有料コンテンツの図式とほぼ同じであり、だから「攻めている」と思われるくらいエッジの効いた作風であって当然だろう。自由なのは作風だけでなく、人、モノ、時間に対しても同様。NHKドラマは巨額の受信料をベースに「民放各局の倍以上、人、モノ、時間をかけられる」とも言われるほど、極めて恵まれた制作環境にある。民放各局のドラマプロデューサーやディレクターたちは、「NHKと比べられても困る」「NHKのやり方は民放にはできない」。もっと言えば、「恵まれすぎ」「ずるい」などと思っているのだ。「NHKなのに」ではなく「NHKだから」近年、「視聴者に『NHKを見るか見ないか』という選択の余地はなく、受信料を払わなければいけない」というシステムが批判を浴びている。さらに、朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマは、「民放ドラマの半分以下しか見られていないのに受信料は得られる」し、だから次の番組も自由に作ることが可能だ。NHKのドラマは、自由に作ることができる上に、人々から厳しい声を受けることが少なく、人、モノ、時間をたっぷり使うことができる。民放各局のドラマ関係者たちが、「恵まれすぎ」「ずるい」とボヤきたくなる気持ちが分かるのではないか。「NHKなのに」ではなく、「NHKだから」であり、むしろこれだけ自由に作れるのだから攻めるくらいでなければ存在意義がないとも言える。 最後に誤解なきよう書いておくと、「『きれいのくに』と『半径5メートル』が面白くない」ということではない。前者は若手・ベテランともに俳優の技量を十分に引き出しているし、後者は脚本・演出ともに質が高いなど、それぞれに優れた点がある。NHKドラマの本質を知って、「事実上の有料コンテンツだからこれくらい攻めた内容でも当然」とハードルを上げておく必要性はあるが、あくまで視聴者側の問題であって作品に罪はない。
その理由は、「朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマはメディアが視聴率を報じないから」「NHKと民放各局の違いを視聴者が知らないから」だろう。もし世間の人々がNHKドラマの視聴率を知ったら、詳細が明かされていない制作費の額が気になりはじめ、「民放より攻めていて面白い」などと言っていられなくなるのではないか。 「有料コンテンツ」だから攻めて当然NHKのドラマは「視聴率度外視でスポンサーへの配慮が不要」という点で、WOWOWやスカパーなどのBS・CS、あるいは、動画配信サービスなどの有料コンテンツと似ている。つまり、『きれいのくに』も『半径5メートル』も、「ある視聴者層に刺さる」という嗜好性の高い有料コンテンツに近い立ち位置なのだ。そもそも「受信料を払って見ている」という形は有料コンテンツの図式とほぼ同じであり、だから「攻めている」と思われるくらいエッジの効いた作風であって当然だろう。自由なのは作風だけでなく、人、モノ、時間に対しても同様。NHKドラマは巨額の受信料をベースに「民放各局の倍以上、人、モノ、時間をかけられる」とも言われるほど、極めて恵まれた制作環境にある。民放各局のドラマプロデューサーやディレクターたちは、「NHKと比べられても困る」「NHKのやり方は民放にはできない」。もっと言えば、「恵まれすぎ」「ずるい」などと思っているのだ。「NHKなのに」ではなく「NHKだから」近年、「視聴者に『NHKを見るか見ないか』という選択の余地はなく、受信料を払わなければいけない」というシステムが批判を浴びている。さらに、朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマは、「民放ドラマの半分以下しか見られていないのに受信料は得られる」し、だから次の番組も自由に作ることが可能だ。NHKのドラマは、自由に作ることができる上に、人々から厳しい声を受けることが少なく、人、モノ、時間をたっぷり使うことができる。民放各局のドラマ関係者たちが、「恵まれすぎ」「ずるい」とボヤきたくなる気持ちが分かるのではないか。「NHKなのに」ではなく、「NHKだから」であり、むしろこれだけ自由に作れるのだから攻めるくらいでなければ存在意義がないとも言える。 最後に誤解なきよう書いておくと、「『きれいのくに』と『半径5メートル』が面白くない」ということではない。前者は若手・ベテランともに俳優の技量を十分に引き出しているし、後者は脚本・演出ともに質が高いなど、それぞれに優れた点がある。NHKドラマの本質を知って、「事実上の有料コンテンツだからこれくらい攻めた内容でも当然」とハードルを上げておく必要性はあるが、あくまで視聴者側の問題であって作品に罪はない。
もし世間の人々がNHKドラマの視聴率を知ったら、詳細が明かされていない制作費の額が気になりはじめ、「民放より攻めていて面白い」などと言っていられなくなるのではないか。 「有料コンテンツ」だから攻めて当然NHKのドラマは「視聴率度外視でスポンサーへの配慮が不要」という点で、WOWOWやスカパーなどのBS・CS、あるいは、動画配信サービスなどの有料コンテンツと似ている。つまり、『きれいのくに』も『半径5メートル』も、「ある視聴者層に刺さる」という嗜好性の高い有料コンテンツに近い立ち位置なのだ。そもそも「受信料を払って見ている」という形は有料コンテンツの図式とほぼ同じであり、だから「攻めている」と思われるくらいエッジの効いた作風であって当然だろう。自由なのは作風だけでなく、人、モノ、時間に対しても同様。NHKドラマは巨額の受信料をベースに「民放各局の倍以上、人、モノ、時間をかけられる」とも言われるほど、極めて恵まれた制作環境にある。民放各局のドラマプロデューサーやディレクターたちは、「NHKと比べられても困る」「NHKのやり方は民放にはできない」。もっと言えば、「恵まれすぎ」「ずるい」などと思っているのだ。「NHKなのに」ではなく「NHKだから」近年、「視聴者に『NHKを見るか見ないか』という選択の余地はなく、受信料を払わなければいけない」というシステムが批判を浴びている。さらに、朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマは、「民放ドラマの半分以下しか見られていないのに受信料は得られる」し、だから次の番組も自由に作ることが可能だ。NHKのドラマは、自由に作ることができる上に、人々から厳しい声を受けることが少なく、人、モノ、時間をたっぷり使うことができる。民放各局のドラマ関係者たちが、「恵まれすぎ」「ずるい」とボヤきたくなる気持ちが分かるのではないか。「NHKなのに」ではなく、「NHKだから」であり、むしろこれだけ自由に作れるのだから攻めるくらいでなければ存在意義がないとも言える。 最後に誤解なきよう書いておくと、「『きれいのくに』と『半径5メートル』が面白くない」ということではない。前者は若手・ベテランともに俳優の技量を十分に引き出しているし、後者は脚本・演出ともに質が高いなど、それぞれに優れた点がある。NHKドラマの本質を知って、「事実上の有料コンテンツだからこれくらい攻めた内容でも当然」とハードルを上げておく必要性はあるが、あくまで視聴者側の問題であって作品に罪はない。
「有料コンテンツ」だから攻めて当然NHKのドラマは「視聴率度外視でスポンサーへの配慮が不要」という点で、WOWOWやスカパーなどのBS・CS、あるいは、動画配信サービスなどの有料コンテンツと似ている。つまり、『きれいのくに』も『半径5メートル』も、「ある視聴者層に刺さる」という嗜好性の高い有料コンテンツに近い立ち位置なのだ。そもそも「受信料を払って見ている」という形は有料コンテンツの図式とほぼ同じであり、だから「攻めている」と思われるくらいエッジの効いた作風であって当然だろう。自由なのは作風だけでなく、人、モノ、時間に対しても同様。NHKドラマは巨額の受信料をベースに「民放各局の倍以上、人、モノ、時間をかけられる」とも言われるほど、極めて恵まれた制作環境にある。民放各局のドラマプロデューサーやディレクターたちは、「NHKと比べられても困る」「NHKのやり方は民放にはできない」。もっと言えば、「恵まれすぎ」「ずるい」などと思っているのだ。「NHKなのに」ではなく「NHKだから」近年、「視聴者に『NHKを見るか見ないか』という選択の余地はなく、受信料を払わなければいけない」というシステムが批判を浴びている。さらに、朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマは、「民放ドラマの半分以下しか見られていないのに受信料は得られる」し、だから次の番組も自由に作ることが可能だ。NHKのドラマは、自由に作ることができる上に、人々から厳しい声を受けることが少なく、人、モノ、時間をたっぷり使うことができる。民放各局のドラマ関係者たちが、「恵まれすぎ」「ずるい」とボヤきたくなる気持ちが分かるのではないか。「NHKなのに」ではなく、「NHKだから」であり、むしろこれだけ自由に作れるのだから攻めるくらいでなければ存在意義がないとも言える。 最後に誤解なきよう書いておくと、「『きれいのくに』と『半径5メートル』が面白くない」ということではない。前者は若手・ベテランともに俳優の技量を十分に引き出しているし、後者は脚本・演出ともに質が高いなど、それぞれに優れた点がある。NHKドラマの本質を知って、「事実上の有料コンテンツだからこれくらい攻めた内容でも当然」とハードルを上げておく必要性はあるが、あくまで視聴者側の問題であって作品に罪はない。
NHKのドラマは「視聴率度外視でスポンサーへの配慮が不要」という点で、WOWOWやスカパーなどのBS・CS、あるいは、動画配信サービスなどの有料コンテンツと似ている。つまり、『きれいのくに』も『半径5メートル』も、「ある視聴者層に刺さる」という嗜好性の高い有料コンテンツに近い立ち位置なのだ。そもそも「受信料を払って見ている」という形は有料コンテンツの図式とほぼ同じであり、だから「攻めている」と思われるくらいエッジの効いた作風であって当然だろう。自由なのは作風だけでなく、人、モノ、時間に対しても同様。NHKドラマは巨額の受信料をベースに「民放各局の倍以上、人、モノ、時間をかけられる」とも言われるほど、極めて恵まれた制作環境にある。民放各局のドラマプロデューサーやディレクターたちは、「NHKと比べられても困る」「NHKのやり方は民放にはできない」。もっと言えば、「恵まれすぎ」「ずるい」などと思っているのだ。「NHKなのに」ではなく「NHKだから」近年、「視聴者に『NHKを見るか見ないか』という選択の余地はなく、受信料を払わなければいけない」というシステムが批判を浴びている。さらに、朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマは、「民放ドラマの半分以下しか見られていないのに受信料は得られる」し、だから次の番組も自由に作ることが可能だ。NHKのドラマは、自由に作ることができる上に、人々から厳しい声を受けることが少なく、人、モノ、時間をたっぷり使うことができる。民放各局のドラマ関係者たちが、「恵まれすぎ」「ずるい」とボヤきたくなる気持ちが分かるのではないか。「NHKなのに」ではなく、「NHKだから」であり、むしろこれだけ自由に作れるのだから攻めるくらいでなければ存在意義がないとも言える。 最後に誤解なきよう書いておくと、「『きれいのくに』と『半径5メートル』が面白くない」ということではない。前者は若手・ベテランともに俳優の技量を十分に引き出しているし、後者は脚本・演出ともに質が高いなど、それぞれに優れた点がある。NHKドラマの本質を知って、「事実上の有料コンテンツだからこれくらい攻めた内容でも当然」とハードルを上げておく必要性はあるが、あくまで視聴者側の問題であって作品に罪はない。
そもそも「受信料を払って見ている」という形は有料コンテンツの図式とほぼ同じであり、だから「攻めている」と思われるくらいエッジの効いた作風であって当然だろう。自由なのは作風だけでなく、人、モノ、時間に対しても同様。NHKドラマは巨額の受信料をベースに「民放各局の倍以上、人、モノ、時間をかけられる」とも言われるほど、極めて恵まれた制作環境にある。民放各局のドラマプロデューサーやディレクターたちは、「NHKと比べられても困る」「NHKのやり方は民放にはできない」。もっと言えば、「恵まれすぎ」「ずるい」などと思っているのだ。「NHKなのに」ではなく「NHKだから」近年、「視聴者に『NHKを見るか見ないか』という選択の余地はなく、受信料を払わなければいけない」というシステムが批判を浴びている。さらに、朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマは、「民放ドラマの半分以下しか見られていないのに受信料は得られる」し、だから次の番組も自由に作ることが可能だ。NHKのドラマは、自由に作ることができる上に、人々から厳しい声を受けることが少なく、人、モノ、時間をたっぷり使うことができる。民放各局のドラマ関係者たちが、「恵まれすぎ」「ずるい」とボヤきたくなる気持ちが分かるのではないか。「NHKなのに」ではなく、「NHKだから」であり、むしろこれだけ自由に作れるのだから攻めるくらいでなければ存在意義がないとも言える。 最後に誤解なきよう書いておくと、「『きれいのくに』と『半径5メートル』が面白くない」ということではない。前者は若手・ベテランともに俳優の技量を十分に引き出しているし、後者は脚本・演出ともに質が高いなど、それぞれに優れた点がある。NHKドラマの本質を知って、「事実上の有料コンテンツだからこれくらい攻めた内容でも当然」とハードルを上げておく必要性はあるが、あくまで視聴者側の問題であって作品に罪はない。
自由なのは作風だけでなく、人、モノ、時間に対しても同様。NHKドラマは巨額の受信料をベースに「民放各局の倍以上、人、モノ、時間をかけられる」とも言われるほど、極めて恵まれた制作環境にある。民放各局のドラマプロデューサーやディレクターたちは、「NHKと比べられても困る」「NHKのやり方は民放にはできない」。もっと言えば、「恵まれすぎ」「ずるい」などと思っているのだ。「NHKなのに」ではなく「NHKだから」近年、「視聴者に『NHKを見るか見ないか』という選択の余地はなく、受信料を払わなければいけない」というシステムが批判を浴びている。さらに、朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマは、「民放ドラマの半分以下しか見られていないのに受信料は得られる」し、だから次の番組も自由に作ることが可能だ。NHKのドラマは、自由に作ることができる上に、人々から厳しい声を受けることが少なく、人、モノ、時間をたっぷり使うことができる。民放各局のドラマ関係者たちが、「恵まれすぎ」「ずるい」とボヤきたくなる気持ちが分かるのではないか。「NHKなのに」ではなく、「NHKだから」であり、むしろこれだけ自由に作れるのだから攻めるくらいでなければ存在意義がないとも言える。 最後に誤解なきよう書いておくと、「『きれいのくに』と『半径5メートル』が面白くない」ということではない。前者は若手・ベテランともに俳優の技量を十分に引き出しているし、後者は脚本・演出ともに質が高いなど、それぞれに優れた点がある。NHKドラマの本質を知って、「事実上の有料コンテンツだからこれくらい攻めた内容でも当然」とハードルを上げておく必要性はあるが、あくまで視聴者側の問題であって作品に罪はない。
民放各局のドラマプロデューサーやディレクターたちは、「NHKと比べられても困る」「NHKのやり方は民放にはできない」。もっと言えば、「恵まれすぎ」「ずるい」などと思っているのだ。「NHKなのに」ではなく「NHKだから」近年、「視聴者に『NHKを見るか見ないか』という選択の余地はなく、受信料を払わなければいけない」というシステムが批判を浴びている。さらに、朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマは、「民放ドラマの半分以下しか見られていないのに受信料は得られる」し、だから次の番組も自由に作ることが可能だ。NHKのドラマは、自由に作ることができる上に、人々から厳しい声を受けることが少なく、人、モノ、時間をたっぷり使うことができる。民放各局のドラマ関係者たちが、「恵まれすぎ」「ずるい」とボヤきたくなる気持ちが分かるのではないか。「NHKなのに」ではなく、「NHKだから」であり、むしろこれだけ自由に作れるのだから攻めるくらいでなければ存在意義がないとも言える。 最後に誤解なきよう書いておくと、「『きれいのくに』と『半径5メートル』が面白くない」ということではない。前者は若手・ベテランともに俳優の技量を十分に引き出しているし、後者は脚本・演出ともに質が高いなど、それぞれに優れた点がある。NHKドラマの本質を知って、「事実上の有料コンテンツだからこれくらい攻めた内容でも当然」とハードルを上げておく必要性はあるが、あくまで視聴者側の問題であって作品に罪はない。
近年、「視聴者に『NHKを見るか見ないか』という選択の余地はなく、受信料を払わなければいけない」というシステムが批判を浴びている。さらに、朝ドラと大河ドラマ以外のNHKドラマは、「民放ドラマの半分以下しか見られていないのに受信料は得られる」し、だから次の番組も自由に作ることが可能だ。NHKのドラマは、自由に作ることができる上に、人々から厳しい声を受けることが少なく、人、モノ、時間をたっぷり使うことができる。民放各局のドラマ関係者たちが、「恵まれすぎ」「ずるい」とボヤきたくなる気持ちが分かるのではないか。「NHKなのに」ではなく、「NHKだから」であり、むしろこれだけ自由に作れるのだから攻めるくらいでなければ存在意義がないとも言える。 最後に誤解なきよう書いておくと、「『きれいのくに』と『半径5メートル』が面白くない」ということではない。前者は若手・ベテランともに俳優の技量を十分に引き出しているし、後者は脚本・演出ともに質が高いなど、それぞれに優れた点がある。NHKドラマの本質を知って、「事実上の有料コンテンツだからこれくらい攻めた内容でも当然」とハードルを上げておく必要性はあるが、あくまで視聴者側の問題であって作品に罪はない。
NHKのドラマは、自由に作ることができる上に、人々から厳しい声を受けることが少なく、人、モノ、時間をたっぷり使うことができる。民放各局のドラマ関係者たちが、「恵まれすぎ」「ずるい」とボヤきたくなる気持ちが分かるのではないか。「NHKなのに」ではなく、「NHKだから」であり、むしろこれだけ自由に作れるのだから攻めるくらいでなければ存在意義がないとも言える。 最後に誤解なきよう書いておくと、「『きれいのくに』と『半径5メートル』が面白くない」ということではない。前者は若手・ベテランともに俳優の技量を十分に引き出しているし、後者は脚本・演出ともに質が高いなど、それぞれに優れた点がある。NHKドラマの本質を知って、「事実上の有料コンテンツだからこれくらい攻めた内容でも当然」とハードルを上げておく必要性はあるが、あくまで視聴者側の問題であって作品に罪はない。
最後に誤解なきよう書いておくと、「『きれいのくに』と『半径5メートル』が面白くない」ということではない。前者は若手・ベテランともに俳優の技量を十分に引き出しているし、後者は脚本・演出ともに質が高いなど、それぞれに優れた点がある。NHKドラマの本質を知って、「事実上の有料コンテンツだからこれくらい攻めた内容でも当然」とハードルを上げておく必要性はあるが、あくまで視聴者側の問題であって作品に罪はない。
最後に誤解なきよう書いておくと、「『きれいのくに』と『半径5メートル』が面白くない」ということではない。前者は若手・ベテランともに俳優の技量を十分に引き出しているし、後者は脚本・演出ともに質が高いなど、それぞれに優れた点がある。NHKドラマの本質を知って、「事実上の有料コンテンツだからこれくらい攻めた内容でも当然」とハードルを上げておく必要性はあるが、あくまで視聴者側の問題であって作品に罪はない。
NHKドラマの本質を知って、「事実上の有料コンテンツだからこれくらい攻めた内容でも当然」とハードルを上げておく必要性はあるが、あくまで視聴者側の問題であって作品に罪はない。