「誰も助けてくれない」「自分は価値がない人間だ」13歳から父親の性被害にあっていた女性の“悲痛な告白”

性暴力で最も深刻なレイプ被害についての2014年度内閣府調査では、日本で約15人に1人(6.5%)の女性が異性から無理やりに性交された経験があるという。この数字を少ないと思うか、多いと思うか、立場によって受け取り方は違うかもしれない。
【写真】この記事の写真を見る(4枚)
しかし、「一人でもいればそれは多すぎる」。そう意見を表明するのは自身も性暴力被害を受けた経験を持ち、現在は実名で被害者が泣き寝入りしない社会を目指した活動を続ける山本潤氏だ。
ここでは同氏が自身の体験を告白した著書『13歳、「私」をなくした私 性暴力と生きることのリアル』(朝日新聞出版)の一部を抜粋。性暴力が一人の人間にどのように影響を与えるのかを考える。(全2回の1回目/後編を読む)
◆◆◆
私が中学生のとき、父と母は居酒屋を始めた。そのころから、正規の職員として働いていた母と、仕事を転々としていた父の力関係は逆転していった。
生活する能力の高いのは母だったが、「お母さんは何も知らないんだから」「だからダメなんだよ」と口癖のように父は母に言っていた。はじめは母も反論していたが、父は全く聞きいれなかったので、次第に父に合わせるようになっていった。
「父が正しい、父が一番」というのが、私の家庭で蔓延していた価値観だった。 転職を繰り返し、何かあったらすぐに逃げてしまう問題対応能力のない父が、なぜ一番なのか、今だったら首をかしげる。 でも、父はよく「世の中の人間は、人の顔色を窺うばかりで何が本当の生き方かわかっていない。俺は何もなくても本当の生き方をしている」と、自分を誇っていた。そして自分は、人からは理解されない不遇な人間だというふうに振る舞っていた。 私は心の中では、父のことをそんな人間だとは思ってはいなかったが、彼の側につくことにしていた。父は人に順位付けする人で、家族の中のヒエラルキーでは私は最下位だったからだ。だから父につき母を馬鹿にすることで、私は家庭の中での自分の立ち位置を守っていた。 母は健全で素直な性格だったので、人を蔑むような父の言動のダメージを受けなかった。写真はイメージ iStock.com 一方、人格形成途上の私は、すぐに揺るがされたし傷つけられた。 ある日、何気なく小説で読んだ自転車乗りの話を父にしたときのことだった。その小説には、自転車に刃物を仕込んで、通りすがりの人に突き刺す通り魔のことが書かれていた。 子どもの私は、感心させようとして「自転車でそんなことをする人がいる」と父に話した。 けれども父は、「自転車乗りはそんなことはしない」「お前は馬鹿だ。何もわかっていない」と言い、私を徹底的にやっつけた。 私が泣いても許さなかった。私は悔しくてさらに泣いた。なんで、ここまで言われるのか理解できなかった。また、父がそのことを愉しんでいることも伝わってきた。 子どもながらも怒りに震え、でもどうすることもできなかった。 子どもであるということは、家庭の中で下位に位置するということだ。 少なくとも私の生まれ育った家ではそうだった。 それは、多少なりとも私に起こった出来事に影響していたことだと思う。 大人という権力者に逆らえない。それが、私が植え付けられた価値観だった。 私が13歳のとき、父は寝ている私の布団に入ってきて、私の体を触るようになった。記憶からぶっ飛んだ“あの日” 私はその記憶を正確には思い出せない。 何月何日と特定することもできない。 それは、無言で始まり、ずっと続いた。 私は自分が何をされているのか、全く理解できなかった。 記憶がおぼつかないながらも、母の記憶と照らし合わせると13歳の春ごろに始まったとは言える。 なぜならばそれが始まってから、しばらく経って私は、「お父さんが布団に入ってくるから寝られない」 と母に言ったからだ。 直接的に体を触られているとは言えなかった。 どうして言えなかったのだろうと、今も考える。 13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
転職を繰り返し、何かあったらすぐに逃げてしまう問題対応能力のない父が、なぜ一番なのか、今だったら首をかしげる。 でも、父はよく「世の中の人間は、人の顔色を窺うばかりで何が本当の生き方かわかっていない。俺は何もなくても本当の生き方をしている」と、自分を誇っていた。そして自分は、人からは理解されない不遇な人間だというふうに振る舞っていた。 私は心の中では、父のことをそんな人間だとは思ってはいなかったが、彼の側につくことにしていた。父は人に順位付けする人で、家族の中のヒエラルキーでは私は最下位だったからだ。だから父につき母を馬鹿にすることで、私は家庭の中での自分の立ち位置を守っていた。 母は健全で素直な性格だったので、人を蔑むような父の言動のダメージを受けなかった。写真はイメージ iStock.com 一方、人格形成途上の私は、すぐに揺るがされたし傷つけられた。 ある日、何気なく小説で読んだ自転車乗りの話を父にしたときのことだった。その小説には、自転車に刃物を仕込んで、通りすがりの人に突き刺す通り魔のことが書かれていた。 子どもの私は、感心させようとして「自転車でそんなことをする人がいる」と父に話した。 けれども父は、「自転車乗りはそんなことはしない」「お前は馬鹿だ。何もわかっていない」と言い、私を徹底的にやっつけた。 私が泣いても許さなかった。私は悔しくてさらに泣いた。なんで、ここまで言われるのか理解できなかった。また、父がそのことを愉しんでいることも伝わってきた。 子どもながらも怒りに震え、でもどうすることもできなかった。 子どもであるということは、家庭の中で下位に位置するということだ。 少なくとも私の生まれ育った家ではそうだった。 それは、多少なりとも私に起こった出来事に影響していたことだと思う。 大人という権力者に逆らえない。それが、私が植え付けられた価値観だった。 私が13歳のとき、父は寝ている私の布団に入ってきて、私の体を触るようになった。記憶からぶっ飛んだ“あの日” 私はその記憶を正確には思い出せない。 何月何日と特定することもできない。 それは、無言で始まり、ずっと続いた。 私は自分が何をされているのか、全く理解できなかった。 記憶がおぼつかないながらも、母の記憶と照らし合わせると13歳の春ごろに始まったとは言える。 なぜならばそれが始まってから、しばらく経って私は、「お父さんが布団に入ってくるから寝られない」 と母に言ったからだ。 直接的に体を触られているとは言えなかった。 どうして言えなかったのだろうと、今も考える。 13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
でも、父はよく「世の中の人間は、人の顔色を窺うばかりで何が本当の生き方かわかっていない。俺は何もなくても本当の生き方をしている」と、自分を誇っていた。そして自分は、人からは理解されない不遇な人間だというふうに振る舞っていた。 私は心の中では、父のことをそんな人間だとは思ってはいなかったが、彼の側につくことにしていた。父は人に順位付けする人で、家族の中のヒエラルキーでは私は最下位だったからだ。だから父につき母を馬鹿にすることで、私は家庭の中での自分の立ち位置を守っていた。 母は健全で素直な性格だったので、人を蔑むような父の言動のダメージを受けなかった。写真はイメージ iStock.com 一方、人格形成途上の私は、すぐに揺るがされたし傷つけられた。 ある日、何気なく小説で読んだ自転車乗りの話を父にしたときのことだった。その小説には、自転車に刃物を仕込んで、通りすがりの人に突き刺す通り魔のことが書かれていた。 子どもの私は、感心させようとして「自転車でそんなことをする人がいる」と父に話した。 けれども父は、「自転車乗りはそんなことはしない」「お前は馬鹿だ。何もわかっていない」と言い、私を徹底的にやっつけた。 私が泣いても許さなかった。私は悔しくてさらに泣いた。なんで、ここまで言われるのか理解できなかった。また、父がそのことを愉しんでいることも伝わってきた。 子どもながらも怒りに震え、でもどうすることもできなかった。 子どもであるということは、家庭の中で下位に位置するということだ。 少なくとも私の生まれ育った家ではそうだった。 それは、多少なりとも私に起こった出来事に影響していたことだと思う。 大人という権力者に逆らえない。それが、私が植え付けられた価値観だった。 私が13歳のとき、父は寝ている私の布団に入ってきて、私の体を触るようになった。記憶からぶっ飛んだ“あの日” 私はその記憶を正確には思い出せない。 何月何日と特定することもできない。 それは、無言で始まり、ずっと続いた。 私は自分が何をされているのか、全く理解できなかった。 記憶がおぼつかないながらも、母の記憶と照らし合わせると13歳の春ごろに始まったとは言える。 なぜならばそれが始まってから、しばらく経って私は、「お父さんが布団に入ってくるから寝られない」 と母に言ったからだ。 直接的に体を触られているとは言えなかった。 どうして言えなかったのだろうと、今も考える。 13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
私は心の中では、父のことをそんな人間だとは思ってはいなかったが、彼の側につくことにしていた。父は人に順位付けする人で、家族の中のヒエラルキーでは私は最下位だったからだ。だから父につき母を馬鹿にすることで、私は家庭の中での自分の立ち位置を守っていた。 母は健全で素直な性格だったので、人を蔑むような父の言動のダメージを受けなかった。写真はイメージ iStock.com 一方、人格形成途上の私は、すぐに揺るがされたし傷つけられた。 ある日、何気なく小説で読んだ自転車乗りの話を父にしたときのことだった。その小説には、自転車に刃物を仕込んで、通りすがりの人に突き刺す通り魔のことが書かれていた。 子どもの私は、感心させようとして「自転車でそんなことをする人がいる」と父に話した。 けれども父は、「自転車乗りはそんなことはしない」「お前は馬鹿だ。何もわかっていない」と言い、私を徹底的にやっつけた。 私が泣いても許さなかった。私は悔しくてさらに泣いた。なんで、ここまで言われるのか理解できなかった。また、父がそのことを愉しんでいることも伝わってきた。 子どもながらも怒りに震え、でもどうすることもできなかった。 子どもであるということは、家庭の中で下位に位置するということだ。 少なくとも私の生まれ育った家ではそうだった。 それは、多少なりとも私に起こった出来事に影響していたことだと思う。 大人という権力者に逆らえない。それが、私が植え付けられた価値観だった。 私が13歳のとき、父は寝ている私の布団に入ってきて、私の体を触るようになった。記憶からぶっ飛んだ“あの日” 私はその記憶を正確には思い出せない。 何月何日と特定することもできない。 それは、無言で始まり、ずっと続いた。 私は自分が何をされているのか、全く理解できなかった。 記憶がおぼつかないながらも、母の記憶と照らし合わせると13歳の春ごろに始まったとは言える。 なぜならばそれが始まってから、しばらく経って私は、「お父さんが布団に入ってくるから寝られない」 と母に言ったからだ。 直接的に体を触られているとは言えなかった。 どうして言えなかったのだろうと、今も考える。 13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
母は健全で素直な性格だったので、人を蔑むような父の言動のダメージを受けなかった。写真はイメージ iStock.com 一方、人格形成途上の私は、すぐに揺るがされたし傷つけられた。 ある日、何気なく小説で読んだ自転車乗りの話を父にしたときのことだった。その小説には、自転車に刃物を仕込んで、通りすがりの人に突き刺す通り魔のことが書かれていた。 子どもの私は、感心させようとして「自転車でそんなことをする人がいる」と父に話した。 けれども父は、「自転車乗りはそんなことはしない」「お前は馬鹿だ。何もわかっていない」と言い、私を徹底的にやっつけた。 私が泣いても許さなかった。私は悔しくてさらに泣いた。なんで、ここまで言われるのか理解できなかった。また、父がそのことを愉しんでいることも伝わってきた。 子どもながらも怒りに震え、でもどうすることもできなかった。 子どもであるということは、家庭の中で下位に位置するということだ。 少なくとも私の生まれ育った家ではそうだった。 それは、多少なりとも私に起こった出来事に影響していたことだと思う。 大人という権力者に逆らえない。それが、私が植え付けられた価値観だった。 私が13歳のとき、父は寝ている私の布団に入ってきて、私の体を触るようになった。記憶からぶっ飛んだ“あの日” 私はその記憶を正確には思い出せない。 何月何日と特定することもできない。 それは、無言で始まり、ずっと続いた。 私は自分が何をされているのか、全く理解できなかった。 記憶がおぼつかないながらも、母の記憶と照らし合わせると13歳の春ごろに始まったとは言える。 なぜならばそれが始まってから、しばらく経って私は、「お父さんが布団に入ってくるから寝られない」 と母に言ったからだ。 直接的に体を触られているとは言えなかった。 どうして言えなかったのだろうと、今も考える。 13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
写真はイメージ iStock.com 一方、人格形成途上の私は、すぐに揺るがされたし傷つけられた。 ある日、何気なく小説で読んだ自転車乗りの話を父にしたときのことだった。その小説には、自転車に刃物を仕込んで、通りすがりの人に突き刺す通り魔のことが書かれていた。 子どもの私は、感心させようとして「自転車でそんなことをする人がいる」と父に話した。 けれども父は、「自転車乗りはそんなことはしない」「お前は馬鹿だ。何もわかっていない」と言い、私を徹底的にやっつけた。 私が泣いても許さなかった。私は悔しくてさらに泣いた。なんで、ここまで言われるのか理解できなかった。また、父がそのことを愉しんでいることも伝わってきた。 子どもながらも怒りに震え、でもどうすることもできなかった。 子どもであるということは、家庭の中で下位に位置するということだ。 少なくとも私の生まれ育った家ではそうだった。 それは、多少なりとも私に起こった出来事に影響していたことだと思う。 大人という権力者に逆らえない。それが、私が植え付けられた価値観だった。 私が13歳のとき、父は寝ている私の布団に入ってきて、私の体を触るようになった。記憶からぶっ飛んだ“あの日” 私はその記憶を正確には思い出せない。 何月何日と特定することもできない。 それは、無言で始まり、ずっと続いた。 私は自分が何をされているのか、全く理解できなかった。 記憶がおぼつかないながらも、母の記憶と照らし合わせると13歳の春ごろに始まったとは言える。 なぜならばそれが始まってから、しばらく経って私は、「お父さんが布団に入ってくるから寝られない」 と母に言ったからだ。 直接的に体を触られているとは言えなかった。 どうして言えなかったのだろうと、今も考える。 13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
一方、人格形成途上の私は、すぐに揺るがされたし傷つけられた。 ある日、何気なく小説で読んだ自転車乗りの話を父にしたときのことだった。その小説には、自転車に刃物を仕込んで、通りすがりの人に突き刺す通り魔のことが書かれていた。 子どもの私は、感心させようとして「自転車でそんなことをする人がいる」と父に話した。 けれども父は、「自転車乗りはそんなことはしない」「お前は馬鹿だ。何もわかっていない」と言い、私を徹底的にやっつけた。 私が泣いても許さなかった。私は悔しくてさらに泣いた。なんで、ここまで言われるのか理解できなかった。また、父がそのことを愉しんでいることも伝わってきた。 子どもながらも怒りに震え、でもどうすることもできなかった。 子どもであるということは、家庭の中で下位に位置するということだ。 少なくとも私の生まれ育った家ではそうだった。 それは、多少なりとも私に起こった出来事に影響していたことだと思う。 大人という権力者に逆らえない。それが、私が植え付けられた価値観だった。 私が13歳のとき、父は寝ている私の布団に入ってきて、私の体を触るようになった。記憶からぶっ飛んだ“あの日” 私はその記憶を正確には思い出せない。 何月何日と特定することもできない。 それは、無言で始まり、ずっと続いた。 私は自分が何をされているのか、全く理解できなかった。 記憶がおぼつかないながらも、母の記憶と照らし合わせると13歳の春ごろに始まったとは言える。 なぜならばそれが始まってから、しばらく経って私は、「お父さんが布団に入ってくるから寝られない」 と母に言ったからだ。 直接的に体を触られているとは言えなかった。 どうして言えなかったのだろうと、今も考える。 13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
ある日、何気なく小説で読んだ自転車乗りの話を父にしたときのことだった。その小説には、自転車に刃物を仕込んで、通りすがりの人に突き刺す通り魔のことが書かれていた。 子どもの私は、感心させようとして「自転車でそんなことをする人がいる」と父に話した。 けれども父は、「自転車乗りはそんなことはしない」「お前は馬鹿だ。何もわかっていない」と言い、私を徹底的にやっつけた。 私が泣いても許さなかった。私は悔しくてさらに泣いた。なんで、ここまで言われるのか理解できなかった。また、父がそのことを愉しんでいることも伝わってきた。 子どもながらも怒りに震え、でもどうすることもできなかった。 子どもであるということは、家庭の中で下位に位置するということだ。 少なくとも私の生まれ育った家ではそうだった。 それは、多少なりとも私に起こった出来事に影響していたことだと思う。 大人という権力者に逆らえない。それが、私が植え付けられた価値観だった。 私が13歳のとき、父は寝ている私の布団に入ってきて、私の体を触るようになった。記憶からぶっ飛んだ“あの日” 私はその記憶を正確には思い出せない。 何月何日と特定することもできない。 それは、無言で始まり、ずっと続いた。 私は自分が何をされているのか、全く理解できなかった。 記憶がおぼつかないながらも、母の記憶と照らし合わせると13歳の春ごろに始まったとは言える。 なぜならばそれが始まってから、しばらく経って私は、「お父さんが布団に入ってくるから寝られない」 と母に言ったからだ。 直接的に体を触られているとは言えなかった。 どうして言えなかったのだろうと、今も考える。 13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
子どもの私は、感心させようとして「自転車でそんなことをする人がいる」と父に話した。 けれども父は、「自転車乗りはそんなことはしない」「お前は馬鹿だ。何もわかっていない」と言い、私を徹底的にやっつけた。 私が泣いても許さなかった。私は悔しくてさらに泣いた。なんで、ここまで言われるのか理解できなかった。また、父がそのことを愉しんでいることも伝わってきた。 子どもながらも怒りに震え、でもどうすることもできなかった。 子どもであるということは、家庭の中で下位に位置するということだ。 少なくとも私の生まれ育った家ではそうだった。 それは、多少なりとも私に起こった出来事に影響していたことだと思う。 大人という権力者に逆らえない。それが、私が植え付けられた価値観だった。 私が13歳のとき、父は寝ている私の布団に入ってきて、私の体を触るようになった。記憶からぶっ飛んだ“あの日” 私はその記憶を正確には思い出せない。 何月何日と特定することもできない。 それは、無言で始まり、ずっと続いた。 私は自分が何をされているのか、全く理解できなかった。 記憶がおぼつかないながらも、母の記憶と照らし合わせると13歳の春ごろに始まったとは言える。 なぜならばそれが始まってから、しばらく経って私は、「お父さんが布団に入ってくるから寝られない」 と母に言ったからだ。 直接的に体を触られているとは言えなかった。 どうして言えなかったのだろうと、今も考える。 13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
けれども父は、「自転車乗りはそんなことはしない」「お前は馬鹿だ。何もわかっていない」と言い、私を徹底的にやっつけた。 私が泣いても許さなかった。私は悔しくてさらに泣いた。なんで、ここまで言われるのか理解できなかった。また、父がそのことを愉しんでいることも伝わってきた。 子どもながらも怒りに震え、でもどうすることもできなかった。 子どもであるということは、家庭の中で下位に位置するということだ。 少なくとも私の生まれ育った家ではそうだった。 それは、多少なりとも私に起こった出来事に影響していたことだと思う。 大人という権力者に逆らえない。それが、私が植え付けられた価値観だった。 私が13歳のとき、父は寝ている私の布団に入ってきて、私の体を触るようになった。記憶からぶっ飛んだ“あの日” 私はその記憶を正確には思い出せない。 何月何日と特定することもできない。 それは、無言で始まり、ずっと続いた。 私は自分が何をされているのか、全く理解できなかった。 記憶がおぼつかないながらも、母の記憶と照らし合わせると13歳の春ごろに始まったとは言える。 なぜならばそれが始まってから、しばらく経って私は、「お父さんが布団に入ってくるから寝られない」 と母に言ったからだ。 直接的に体を触られているとは言えなかった。 どうして言えなかったのだろうと、今も考える。 13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
私が泣いても許さなかった。私は悔しくてさらに泣いた。なんで、ここまで言われるのか理解できなかった。また、父がそのことを愉しんでいることも伝わってきた。 子どもながらも怒りに震え、でもどうすることもできなかった。 子どもであるということは、家庭の中で下位に位置するということだ。 少なくとも私の生まれ育った家ではそうだった。 それは、多少なりとも私に起こった出来事に影響していたことだと思う。 大人という権力者に逆らえない。それが、私が植え付けられた価値観だった。 私が13歳のとき、父は寝ている私の布団に入ってきて、私の体を触るようになった。記憶からぶっ飛んだ“あの日” 私はその記憶を正確には思い出せない。 何月何日と特定することもできない。 それは、無言で始まり、ずっと続いた。 私は自分が何をされているのか、全く理解できなかった。 記憶がおぼつかないながらも、母の記憶と照らし合わせると13歳の春ごろに始まったとは言える。 なぜならばそれが始まってから、しばらく経って私は、「お父さんが布団に入ってくるから寝られない」 と母に言ったからだ。 直接的に体を触られているとは言えなかった。 どうして言えなかったのだろうと、今も考える。 13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
子どもながらも怒りに震え、でもどうすることもできなかった。 子どもであるということは、家庭の中で下位に位置するということだ。 少なくとも私の生まれ育った家ではそうだった。 それは、多少なりとも私に起こった出来事に影響していたことだと思う。 大人という権力者に逆らえない。それが、私が植え付けられた価値観だった。 私が13歳のとき、父は寝ている私の布団に入ってきて、私の体を触るようになった。記憶からぶっ飛んだ“あの日” 私はその記憶を正確には思い出せない。 何月何日と特定することもできない。 それは、無言で始まり、ずっと続いた。 私は自分が何をされているのか、全く理解できなかった。 記憶がおぼつかないながらも、母の記憶と照らし合わせると13歳の春ごろに始まったとは言える。 なぜならばそれが始まってから、しばらく経って私は、「お父さんが布団に入ってくるから寝られない」 と母に言ったからだ。 直接的に体を触られているとは言えなかった。 どうして言えなかったのだろうと、今も考える。 13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
子どもであるということは、家庭の中で下位に位置するということだ。 少なくとも私の生まれ育った家ではそうだった。 それは、多少なりとも私に起こった出来事に影響していたことだと思う。 大人という権力者に逆らえない。それが、私が植え付けられた価値観だった。 私が13歳のとき、父は寝ている私の布団に入ってきて、私の体を触るようになった。記憶からぶっ飛んだ“あの日” 私はその記憶を正確には思い出せない。 何月何日と特定することもできない。 それは、無言で始まり、ずっと続いた。 私は自分が何をされているのか、全く理解できなかった。 記憶がおぼつかないながらも、母の記憶と照らし合わせると13歳の春ごろに始まったとは言える。 なぜならばそれが始まってから、しばらく経って私は、「お父さんが布団に入ってくるから寝られない」 と母に言ったからだ。 直接的に体を触られているとは言えなかった。 どうして言えなかったのだろうと、今も考える。 13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
少なくとも私の生まれ育った家ではそうだった。 それは、多少なりとも私に起こった出来事に影響していたことだと思う。 大人という権力者に逆らえない。それが、私が植え付けられた価値観だった。 私が13歳のとき、父は寝ている私の布団に入ってきて、私の体を触るようになった。記憶からぶっ飛んだ“あの日” 私はその記憶を正確には思い出せない。 何月何日と特定することもできない。 それは、無言で始まり、ずっと続いた。 私は自分が何をされているのか、全く理解できなかった。 記憶がおぼつかないながらも、母の記憶と照らし合わせると13歳の春ごろに始まったとは言える。 なぜならばそれが始まってから、しばらく経って私は、「お父さんが布団に入ってくるから寝られない」 と母に言ったからだ。 直接的に体を触られているとは言えなかった。 どうして言えなかったのだろうと、今も考える。 13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
それは、多少なりとも私に起こった出来事に影響していたことだと思う。 大人という権力者に逆らえない。それが、私が植え付けられた価値観だった。 私が13歳のとき、父は寝ている私の布団に入ってきて、私の体を触るようになった。記憶からぶっ飛んだ“あの日” 私はその記憶を正確には思い出せない。 何月何日と特定することもできない。 それは、無言で始まり、ずっと続いた。 私は自分が何をされているのか、全く理解できなかった。 記憶がおぼつかないながらも、母の記憶と照らし合わせると13歳の春ごろに始まったとは言える。 なぜならばそれが始まってから、しばらく経って私は、「お父さんが布団に入ってくるから寝られない」 と母に言ったからだ。 直接的に体を触られているとは言えなかった。 どうして言えなかったのだろうと、今も考える。 13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
大人という権力者に逆らえない。それが、私が植え付けられた価値観だった。 私が13歳のとき、父は寝ている私の布団に入ってきて、私の体を触るようになった。記憶からぶっ飛んだ“あの日” 私はその記憶を正確には思い出せない。 何月何日と特定することもできない。 それは、無言で始まり、ずっと続いた。 私は自分が何をされているのか、全く理解できなかった。 記憶がおぼつかないながらも、母の記憶と照らし合わせると13歳の春ごろに始まったとは言える。 なぜならばそれが始まってから、しばらく経って私は、「お父さんが布団に入ってくるから寝られない」 と母に言ったからだ。 直接的に体を触られているとは言えなかった。 どうして言えなかったのだろうと、今も考える。 13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
私が13歳のとき、父は寝ている私の布団に入ってきて、私の体を触るようになった。記憶からぶっ飛んだ“あの日” 私はその記憶を正確には思い出せない。 何月何日と特定することもできない。 それは、無言で始まり、ずっと続いた。 私は自分が何をされているのか、全く理解できなかった。 記憶がおぼつかないながらも、母の記憶と照らし合わせると13歳の春ごろに始まったとは言える。 なぜならばそれが始まってから、しばらく経って私は、「お父さんが布団に入ってくるから寝られない」 と母に言ったからだ。 直接的に体を触られているとは言えなかった。 どうして言えなかったのだろうと、今も考える。 13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
私はその記憶を正確には思い出せない。 何月何日と特定することもできない。 それは、無言で始まり、ずっと続いた。 私は自分が何をされているのか、全く理解できなかった。 記憶がおぼつかないながらも、母の記憶と照らし合わせると13歳の春ごろに始まったとは言える。 なぜならばそれが始まってから、しばらく経って私は、「お父さんが布団に入ってくるから寝られない」 と母に言ったからだ。 直接的に体を触られているとは言えなかった。 どうして言えなかったのだろうと、今も考える。 13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
何月何日と特定することもできない。 それは、無言で始まり、ずっと続いた。 私は自分が何をされているのか、全く理解できなかった。 記憶がおぼつかないながらも、母の記憶と照らし合わせると13歳の春ごろに始まったとは言える。 なぜならばそれが始まってから、しばらく経って私は、「お父さんが布団に入ってくるから寝られない」 と母に言ったからだ。 直接的に体を触られているとは言えなかった。 どうして言えなかったのだろうと、今も考える。 13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
それは、無言で始まり、ずっと続いた。 私は自分が何をされているのか、全く理解できなかった。 記憶がおぼつかないながらも、母の記憶と照らし合わせると13歳の春ごろに始まったとは言える。 なぜならばそれが始まってから、しばらく経って私は、「お父さんが布団に入ってくるから寝られない」 と母に言ったからだ。 直接的に体を触られているとは言えなかった。 どうして言えなかったのだろうと、今も考える。 13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
私は自分が何をされているのか、全く理解できなかった。 記憶がおぼつかないながらも、母の記憶と照らし合わせると13歳の春ごろに始まったとは言える。 なぜならばそれが始まってから、しばらく経って私は、「お父さんが布団に入ってくるから寝られない」 と母に言ったからだ。 直接的に体を触られているとは言えなかった。 どうして言えなかったのだろうと、今も考える。 13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
記憶がおぼつかないながらも、母の記憶と照らし合わせると13歳の春ごろに始まったとは言える。 なぜならばそれが始まってから、しばらく経って私は、「お父さんが布団に入ってくるから寝られない」 と母に言ったからだ。 直接的に体を触られているとは言えなかった。 どうして言えなかったのだろうと、今も考える。 13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
なぜならばそれが始まってから、しばらく経って私は、「お父さんが布団に入ってくるから寝られない」 と母に言ったからだ。 直接的に体を触られているとは言えなかった。 どうして言えなかったのだろうと、今も考える。 13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
「お父さんが布団に入ってくるから寝られない」 と母に言ったからだ。 直接的に体を触られているとは言えなかった。 どうして言えなかったのだろうと、今も考える。 13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
と母に言ったからだ。 直接的に体を触られているとは言えなかった。 どうして言えなかったのだろうと、今も考える。 13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
直接的に体を触られているとは言えなかった。 どうして言えなかったのだろうと、今も考える。 13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
どうして言えなかったのだろうと、今も考える。 13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。 だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。 でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。 子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。 それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。 だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。 母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」 と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
と父に強く言った。 だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
だからしばらくは布団には来なかった。 しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
しかし、ほとぼりが冷めてからまた父は布団に入ってくるようになった。 父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
父の行動は、ずっとほとぼりが冷めてからの行動だ。 何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
何かまずいことが起こる。 しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
しばらく姿を消す。 そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
そして、現れる。 そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
そんなことの繰り返しが彼の人生のパターンだった。解離――スプリッティング 再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
再開したとき、私はもう耐えられなかった。 心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
心が耐えられないとき、人は感覚や感情を遮断する。それは、無意識に行われるものだ。負荷がかかりすぎてブレーカーが落ちた状態である。 私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
私は、何も考えず、何も感じないように時を過ごした。その間に父の行為は少しずつエスカレートしていった。私はこのときから「解離」といわれる状態にあったように思う。 解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
解離とは「通常は統合されている意識、記憶、同一性、周囲の知覚などの機能」が失われる状態である。私が私でないような、ここにいるのに周囲と切り離されているような感覚だ。それは特に虐待などの「トラウマ的な出来事、解決しがたい人間関係の問題などの心因性の要因」から生まれるという(落合慈之監修『精神神経疾患ビジュアルブック』)。 傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
傍から見たら、なぜこのことがそこまでストレスになるのかと思われるかもしれない。 確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
確かに、命の危機を感じるような激しい暴力があったわけではない。 でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
でも、私は怖かった。あの経験は怖い以外の何物でもなかった。 しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
しかし、そういう経験だとすぐに認識できる人は少ない。そもそも私も長い間、自分が怖かったのだということさえ理解できなかった。 私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
私は父が何をしているのかわからなかった。 次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
次に何をしてくるのかもわからなかった。 私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
私の意思などないかのように、私自身を無視してお構いなく続いていく行為。 私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
私の身体は引きちぎられ、ばらばらになっていく。(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
(私は嫌だと言っている、嫌だと示しているのになぜ?) 答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
答えのない迷路に入り込み、暗い穴に落ち込んでいく感覚を今でも覚えている。 それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
それは逃げ場のない恐怖だった。「わかってもらえない」ということも苦しみに 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ) と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
と強く思い込んだ。 思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
思考の飛躍。 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと) そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。愛と侵略のあいだ 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。 私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。 リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。 身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。 言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。 そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。 昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。 家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」 性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう 私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。 例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。 自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。 思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。 私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。 眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。 こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。 このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。 それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。 そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。 7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。 勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。 私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
【続きを読む】「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
「犬にまれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは へ続く(山本 潤)
(山本 潤)