【武田砂鉄】東京五輪、「疑惑をかけられた偉い人」が全員“逃げ続けている”日本のメチャクチャさ

「その粉塵が国立(競技場)のものだと証明してほしい」
2015年、国立競技場の解体工事が始まった後、ベランダや窓につく汚れに悩まされていたマンション住民がJSC(日本スホーツ振興センター)に電話で問い合わせたところ、こんな答えが返ってきたという。
そのマンションは国立競技場から道路を挟んだところに建っている。解体工事が始まると、粉塵が巻き上がり、風に流され、ベランダや窓に降りかかった。その事実を伝えると、国立から出た粉塵かを証明せよ、話はそれからだ、と返される。どう証明しろというのか。対話するのではなく、対話を断ち切り、そそくさと逃げる。
〔PHOTO〕新国立競技場

この度、『偉い人ほどすぐ逃げる』と題した本を刊行した。テーマは多岐にわたるが、本全体に共通している問題意識というのか、テーマ設定というのか、それが「偉い人ほどすぐ逃げる」だったので、そのままタイトルにしてみた。我ながら良いタイトルである。なぜって、昨今、「大きな問題がたくさんありましたね」よりも「偉い人がとにかく逃げまくりましたよね」のほうが、それぞれの記憶からいくつもの事案が引っ張り出されるに違いないからだ。偉い人が逃げ回り、問題を隠蔽し、メディアもその忘却に加担し続けた。
本の「はじめに」にこのように書いてみた。「いつも同じことが起きている。偉い人が、疑われているか、釈明しているか、逆にあなたたちはどうなんですかと反撃しているか、隠していたものが遂にバレたか、それはもう終わったことですからと開き直っているか、た」「国家を揺るがす問題であっても、また別の問題が浮上してくれば、その前の問題がそのまま放置され、忘れ去られるようになった。どんな悪事にも、いつまでやってんの、という声が必ず向かう。向かう先が、悪事を働いた権力者ではなく、なせか、追及する側なのだ」先述した、国立競技場近くの住民を取材したのはもう5年以上前だ。今では、マンションの前に、超巨大な新しい競技場がそびえ立っている。それは、47都道府県すべての木材を軒や庇(ひさし)に使用していると自信満々に「杜のスタジアム」などと打ち出している。しかし同時に、マレーシアやインドネシアの熱帯林を伐採した合板が型枠に使用されている。こんな事実も語られない。かつて、国立競技場の隣にあった明治公園や霞ヶ丘アパートは取り壊された。追い出された霞ヶ丘アパート住民が東京都へ提出した要望書には、「私たちは移転の可否について、都から一度も相談を受けていません。住民の気持ちを顧みない東京都の手続きからは、私たちがひとりの『人として』尊重されていると感じることはできません」と書かれていた。丸川珠代五輪担当大臣が先日、五輪の目的として「絆を取り戻す」を挙げたが、いくつもの絆を引き裂いて開催されるのが東京五輪ではないか。〔PHOTO〕Gettyimages 本書でも、ひとつの章を設けて東京五輪を集中的にとりあげている。本稿では、「偉い人」がいかに「すぐ逃げた」か、五輪関係の動きに絞って書き記しておきたい。今年2月、森喜朗大会組織委員会会長の女性蔑視発言が問題視され、たちまち辞任に追い込まれた後、五輪招致時の中心人物がこれで全員いなくなりましたねと、4人横並びの写真が注目された。その4人とは、竹田恒和、猪瀬直樹、安倍晋三、森喜朗である。この4人の共通項もまた「偉い人ほどすぐ逃げる」だった。それぞれの逃げ方をおさらいしておきたい。【竹田恒和の逃げ方】JOCの会長だった竹田恒和は、東京五輪招致を巡り、シンガポールのコンサルタント会社「ブラック・タイディングス」に約2億3000万円を賄賂として支払ったと疑われ続けている。支払ったのはコンサルタント料であると主張したものの、そのコンサルタント会社の活動実態はなく、追及をかわす会見をわずか7分間で終え、その後、逃げるように会長を辞した。また、2013年、五輪招致を決めるブエノスアイレスの地で、記者団に囲まれた竹田が、「東京は福島と250キロ離れているから安全」と被災地を切り捨てたことも絶対に忘れてはいけない。竹田恒和氏〔PHOTO〕Gettyimages 【猪瀬直樹の逃げ方】東京五輪の招致が決定してから半年も経たずに、「徳洲会」から5000万円の資金提供を受けていたことが発覚、都知事を辞任したのが猪瀬直樹だ。いまだに掘り起こされる猪瀬のツイートに「誤解する人がいるので言う。2020東京五輪は神宮の国立競技場を改築するがほとんど40年前の五輪施設をそのまま使うので世界一カネのかからない五輪なのです」という2012年7月のツイートがある。さて、現在はどうだろう。「誤解」しているのはどちらだろう。うっかりつぶやいたツイートではない。翌2013年3月、IOC評価委員による東京視察のときにも、取材陣に対して「コンパクトな五輪を理解していただけたと思う」と述べている。職を辞してからも、「反対論者は開催時の感染リスクを主張するが、それは具体的なデータを伴わない、無責任な感情論に過ぎません」(「週刊ポスト」2021年1月15・22日号)と開催賛成の立場をとっているが、一斉に多くの外国人がやって来るという、コロナ禍で一度も体験したことのない状況が生まれるのに、感染するリスクは低い、とする主張こそ、データが伴っていない。【安倍晋三の逃げ方】東京五輪開催までに憲法を改正しなければと勇んでいたのが安倍晋三である。2017年5月3日、読売新聞の単独インタビューに答えた安倍首相は、「私はかねがね、半世紀ぶりに日本で五輪が開催される年を、未来を見据えながら日本か新しく生まれ変わる大きなきっかけにすべきだと申し上けてきた」などと、五輪と憲法改正をくっつけようとしていた。改めて読んでみると、意味が不明だ。意味が不明なのに、2020年までに憲法改正を、というニュースとして走らせたメディアの責任も大きい。なぜ、運動会を開く日までに校則を変える必要があるのだろう。その後、自身の身内優遇が招いた事案(森友・加計・桜を見る会)から逃げるように、首相の座を明け渡した。昨年3月、東京五輪の延期について、2年延期すべきではないかとの声を遮り、1年延期で、と切り出したのが安倍だったとされる。1年後、責任をとる立場に彼はいなかった。〔PHOTO〕Gettyimages 【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
「いつも同じことが起きている。偉い人が、疑われているか、釈明しているか、逆にあなたたちはどうなんですかと反撃しているか、隠していたものが遂にバレたか、それはもう終わったことですからと開き直っているか、た」「国家を揺るがす問題であっても、また別の問題が浮上してくれば、その前の問題がそのまま放置され、忘れ去られるようになった。どんな悪事にも、いつまでやってんの、という声が必ず向かう。向かう先が、悪事を働いた権力者ではなく、なせか、追及する側なのだ」先述した、国立競技場近くの住民を取材したのはもう5年以上前だ。今では、マンションの前に、超巨大な新しい競技場がそびえ立っている。それは、47都道府県すべての木材を軒や庇(ひさし)に使用していると自信満々に「杜のスタジアム」などと打ち出している。しかし同時に、マレーシアやインドネシアの熱帯林を伐採した合板が型枠に使用されている。こんな事実も語られない。かつて、国立競技場の隣にあった明治公園や霞ヶ丘アパートは取り壊された。追い出された霞ヶ丘アパート住民が東京都へ提出した要望書には、「私たちは移転の可否について、都から一度も相談を受けていません。住民の気持ちを顧みない東京都の手続きからは、私たちがひとりの『人として』尊重されていると感じることはできません」と書かれていた。丸川珠代五輪担当大臣が先日、五輪の目的として「絆を取り戻す」を挙げたが、いくつもの絆を引き裂いて開催されるのが東京五輪ではないか。〔PHOTO〕Gettyimages 本書でも、ひとつの章を設けて東京五輪を集中的にとりあげている。本稿では、「偉い人」がいかに「すぐ逃げた」か、五輪関係の動きに絞って書き記しておきたい。今年2月、森喜朗大会組織委員会会長の女性蔑視発言が問題視され、たちまち辞任に追い込まれた後、五輪招致時の中心人物がこれで全員いなくなりましたねと、4人横並びの写真が注目された。その4人とは、竹田恒和、猪瀬直樹、安倍晋三、森喜朗である。この4人の共通項もまた「偉い人ほどすぐ逃げる」だった。それぞれの逃げ方をおさらいしておきたい。【竹田恒和の逃げ方】JOCの会長だった竹田恒和は、東京五輪招致を巡り、シンガポールのコンサルタント会社「ブラック・タイディングス」に約2億3000万円を賄賂として支払ったと疑われ続けている。支払ったのはコンサルタント料であると主張したものの、そのコンサルタント会社の活動実態はなく、追及をかわす会見をわずか7分間で終え、その後、逃げるように会長を辞した。また、2013年、五輪招致を決めるブエノスアイレスの地で、記者団に囲まれた竹田が、「東京は福島と250キロ離れているから安全」と被災地を切り捨てたことも絶対に忘れてはいけない。竹田恒和氏〔PHOTO〕Gettyimages 【猪瀬直樹の逃げ方】東京五輪の招致が決定してから半年も経たずに、「徳洲会」から5000万円の資金提供を受けていたことが発覚、都知事を辞任したのが猪瀬直樹だ。いまだに掘り起こされる猪瀬のツイートに「誤解する人がいるので言う。2020東京五輪は神宮の国立競技場を改築するがほとんど40年前の五輪施設をそのまま使うので世界一カネのかからない五輪なのです」という2012年7月のツイートがある。さて、現在はどうだろう。「誤解」しているのはどちらだろう。うっかりつぶやいたツイートではない。翌2013年3月、IOC評価委員による東京視察のときにも、取材陣に対して「コンパクトな五輪を理解していただけたと思う」と述べている。職を辞してからも、「反対論者は開催時の感染リスクを主張するが、それは具体的なデータを伴わない、無責任な感情論に過ぎません」(「週刊ポスト」2021年1月15・22日号)と開催賛成の立場をとっているが、一斉に多くの外国人がやって来るという、コロナ禍で一度も体験したことのない状況が生まれるのに、感染するリスクは低い、とする主張こそ、データが伴っていない。【安倍晋三の逃げ方】東京五輪開催までに憲法を改正しなければと勇んでいたのが安倍晋三である。2017年5月3日、読売新聞の単独インタビューに答えた安倍首相は、「私はかねがね、半世紀ぶりに日本で五輪が開催される年を、未来を見据えながら日本か新しく生まれ変わる大きなきっかけにすべきだと申し上けてきた」などと、五輪と憲法改正をくっつけようとしていた。改めて読んでみると、意味が不明だ。意味が不明なのに、2020年までに憲法改正を、というニュースとして走らせたメディアの責任も大きい。なぜ、運動会を開く日までに校則を変える必要があるのだろう。その後、自身の身内優遇が招いた事案(森友・加計・桜を見る会)から逃げるように、首相の座を明け渡した。昨年3月、東京五輪の延期について、2年延期すべきではないかとの声を遮り、1年延期で、と切り出したのが安倍だったとされる。1年後、責任をとる立場に彼はいなかった。〔PHOTO〕Gettyimages 【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
「国家を揺るがす問題であっても、また別の問題が浮上してくれば、その前の問題がそのまま放置され、忘れ去られるようになった。どんな悪事にも、いつまでやってんの、という声が必ず向かう。向かう先が、悪事を働いた権力者ではなく、なせか、追及する側なのだ」先述した、国立競技場近くの住民を取材したのはもう5年以上前だ。今では、マンションの前に、超巨大な新しい競技場がそびえ立っている。それは、47都道府県すべての木材を軒や庇(ひさし)に使用していると自信満々に「杜のスタジアム」などと打ち出している。しかし同時に、マレーシアやインドネシアの熱帯林を伐採した合板が型枠に使用されている。こんな事実も語られない。かつて、国立競技場の隣にあった明治公園や霞ヶ丘アパートは取り壊された。追い出された霞ヶ丘アパート住民が東京都へ提出した要望書には、「私たちは移転の可否について、都から一度も相談を受けていません。住民の気持ちを顧みない東京都の手続きからは、私たちがひとりの『人として』尊重されていると感じることはできません」と書かれていた。丸川珠代五輪担当大臣が先日、五輪の目的として「絆を取り戻す」を挙げたが、いくつもの絆を引き裂いて開催されるのが東京五輪ではないか。〔PHOTO〕Gettyimages 本書でも、ひとつの章を設けて東京五輪を集中的にとりあげている。本稿では、「偉い人」がいかに「すぐ逃げた」か、五輪関係の動きに絞って書き記しておきたい。今年2月、森喜朗大会組織委員会会長の女性蔑視発言が問題視され、たちまち辞任に追い込まれた後、五輪招致時の中心人物がこれで全員いなくなりましたねと、4人横並びの写真が注目された。その4人とは、竹田恒和、猪瀬直樹、安倍晋三、森喜朗である。この4人の共通項もまた「偉い人ほどすぐ逃げる」だった。それぞれの逃げ方をおさらいしておきたい。【竹田恒和の逃げ方】JOCの会長だった竹田恒和は、東京五輪招致を巡り、シンガポールのコンサルタント会社「ブラック・タイディングス」に約2億3000万円を賄賂として支払ったと疑われ続けている。支払ったのはコンサルタント料であると主張したものの、そのコンサルタント会社の活動実態はなく、追及をかわす会見をわずか7分間で終え、その後、逃げるように会長を辞した。また、2013年、五輪招致を決めるブエノスアイレスの地で、記者団に囲まれた竹田が、「東京は福島と250キロ離れているから安全」と被災地を切り捨てたことも絶対に忘れてはいけない。竹田恒和氏〔PHOTO〕Gettyimages 【猪瀬直樹の逃げ方】東京五輪の招致が決定してから半年も経たずに、「徳洲会」から5000万円の資金提供を受けていたことが発覚、都知事を辞任したのが猪瀬直樹だ。いまだに掘り起こされる猪瀬のツイートに「誤解する人がいるので言う。2020東京五輪は神宮の国立競技場を改築するがほとんど40年前の五輪施設をそのまま使うので世界一カネのかからない五輪なのです」という2012年7月のツイートがある。さて、現在はどうだろう。「誤解」しているのはどちらだろう。うっかりつぶやいたツイートではない。翌2013年3月、IOC評価委員による東京視察のときにも、取材陣に対して「コンパクトな五輪を理解していただけたと思う」と述べている。職を辞してからも、「反対論者は開催時の感染リスクを主張するが、それは具体的なデータを伴わない、無責任な感情論に過ぎません」(「週刊ポスト」2021年1月15・22日号)と開催賛成の立場をとっているが、一斉に多くの外国人がやって来るという、コロナ禍で一度も体験したことのない状況が生まれるのに、感染するリスクは低い、とする主張こそ、データが伴っていない。【安倍晋三の逃げ方】東京五輪開催までに憲法を改正しなければと勇んでいたのが安倍晋三である。2017年5月3日、読売新聞の単独インタビューに答えた安倍首相は、「私はかねがね、半世紀ぶりに日本で五輪が開催される年を、未来を見据えながら日本か新しく生まれ変わる大きなきっかけにすべきだと申し上けてきた」などと、五輪と憲法改正をくっつけようとしていた。改めて読んでみると、意味が不明だ。意味が不明なのに、2020年までに憲法改正を、というニュースとして走らせたメディアの責任も大きい。なぜ、運動会を開く日までに校則を変える必要があるのだろう。その後、自身の身内優遇が招いた事案(森友・加計・桜を見る会)から逃げるように、首相の座を明け渡した。昨年3月、東京五輪の延期について、2年延期すべきではないかとの声を遮り、1年延期で、と切り出したのが安倍だったとされる。1年後、責任をとる立場に彼はいなかった。〔PHOTO〕Gettyimages 【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
先述した、国立競技場近くの住民を取材したのはもう5年以上前だ。今では、マンションの前に、超巨大な新しい競技場がそびえ立っている。それは、47都道府県すべての木材を軒や庇(ひさし)に使用していると自信満々に「杜のスタジアム」などと打ち出している。しかし同時に、マレーシアやインドネシアの熱帯林を伐採した合板が型枠に使用されている。こんな事実も語られない。かつて、国立競技場の隣にあった明治公園や霞ヶ丘アパートは取り壊された。追い出された霞ヶ丘アパート住民が東京都へ提出した要望書には、「私たちは移転の可否について、都から一度も相談を受けていません。住民の気持ちを顧みない東京都の手続きからは、私たちがひとりの『人として』尊重されていると感じることはできません」と書かれていた。丸川珠代五輪担当大臣が先日、五輪の目的として「絆を取り戻す」を挙げたが、いくつもの絆を引き裂いて開催されるのが東京五輪ではないか。〔PHOTO〕Gettyimages 本書でも、ひとつの章を設けて東京五輪を集中的にとりあげている。本稿では、「偉い人」がいかに「すぐ逃げた」か、五輪関係の動きに絞って書き記しておきたい。今年2月、森喜朗大会組織委員会会長の女性蔑視発言が問題視され、たちまち辞任に追い込まれた後、五輪招致時の中心人物がこれで全員いなくなりましたねと、4人横並びの写真が注目された。その4人とは、竹田恒和、猪瀬直樹、安倍晋三、森喜朗である。この4人の共通項もまた「偉い人ほどすぐ逃げる」だった。それぞれの逃げ方をおさらいしておきたい。【竹田恒和の逃げ方】JOCの会長だった竹田恒和は、東京五輪招致を巡り、シンガポールのコンサルタント会社「ブラック・タイディングス」に約2億3000万円を賄賂として支払ったと疑われ続けている。支払ったのはコンサルタント料であると主張したものの、そのコンサルタント会社の活動実態はなく、追及をかわす会見をわずか7分間で終え、その後、逃げるように会長を辞した。また、2013年、五輪招致を決めるブエノスアイレスの地で、記者団に囲まれた竹田が、「東京は福島と250キロ離れているから安全」と被災地を切り捨てたことも絶対に忘れてはいけない。竹田恒和氏〔PHOTO〕Gettyimages 【猪瀬直樹の逃げ方】東京五輪の招致が決定してから半年も経たずに、「徳洲会」から5000万円の資金提供を受けていたことが発覚、都知事を辞任したのが猪瀬直樹だ。いまだに掘り起こされる猪瀬のツイートに「誤解する人がいるので言う。2020東京五輪は神宮の国立競技場を改築するがほとんど40年前の五輪施設をそのまま使うので世界一カネのかからない五輪なのです」という2012年7月のツイートがある。さて、現在はどうだろう。「誤解」しているのはどちらだろう。うっかりつぶやいたツイートではない。翌2013年3月、IOC評価委員による東京視察のときにも、取材陣に対して「コンパクトな五輪を理解していただけたと思う」と述べている。職を辞してからも、「反対論者は開催時の感染リスクを主張するが、それは具体的なデータを伴わない、無責任な感情論に過ぎません」(「週刊ポスト」2021年1月15・22日号)と開催賛成の立場をとっているが、一斉に多くの外国人がやって来るという、コロナ禍で一度も体験したことのない状況が生まれるのに、感染するリスクは低い、とする主張こそ、データが伴っていない。【安倍晋三の逃げ方】東京五輪開催までに憲法を改正しなければと勇んでいたのが安倍晋三である。2017年5月3日、読売新聞の単独インタビューに答えた安倍首相は、「私はかねがね、半世紀ぶりに日本で五輪が開催される年を、未来を見据えながら日本か新しく生まれ変わる大きなきっかけにすべきだと申し上けてきた」などと、五輪と憲法改正をくっつけようとしていた。改めて読んでみると、意味が不明だ。意味が不明なのに、2020年までに憲法改正を、というニュースとして走らせたメディアの責任も大きい。なぜ、運動会を開く日までに校則を変える必要があるのだろう。その後、自身の身内優遇が招いた事案(森友・加計・桜を見る会)から逃げるように、首相の座を明け渡した。昨年3月、東京五輪の延期について、2年延期すべきではないかとの声を遮り、1年延期で、と切り出したのが安倍だったとされる。1年後、責任をとる立場に彼はいなかった。〔PHOTO〕Gettyimages 【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
かつて、国立競技場の隣にあった明治公園や霞ヶ丘アパートは取り壊された。追い出された霞ヶ丘アパート住民が東京都へ提出した要望書には、「私たちは移転の可否について、都から一度も相談を受けていません。住民の気持ちを顧みない東京都の手続きからは、私たちがひとりの『人として』尊重されていると感じることはできません」と書かれていた。丸川珠代五輪担当大臣が先日、五輪の目的として「絆を取り戻す」を挙げたが、いくつもの絆を引き裂いて開催されるのが東京五輪ではないか。〔PHOTO〕Gettyimages 本書でも、ひとつの章を設けて東京五輪を集中的にとりあげている。本稿では、「偉い人」がいかに「すぐ逃げた」か、五輪関係の動きに絞って書き記しておきたい。今年2月、森喜朗大会組織委員会会長の女性蔑視発言が問題視され、たちまち辞任に追い込まれた後、五輪招致時の中心人物がこれで全員いなくなりましたねと、4人横並びの写真が注目された。その4人とは、竹田恒和、猪瀬直樹、安倍晋三、森喜朗である。この4人の共通項もまた「偉い人ほどすぐ逃げる」だった。それぞれの逃げ方をおさらいしておきたい。【竹田恒和の逃げ方】JOCの会長だった竹田恒和は、東京五輪招致を巡り、シンガポールのコンサルタント会社「ブラック・タイディングス」に約2億3000万円を賄賂として支払ったと疑われ続けている。支払ったのはコンサルタント料であると主張したものの、そのコンサルタント会社の活動実態はなく、追及をかわす会見をわずか7分間で終え、その後、逃げるように会長を辞した。また、2013年、五輪招致を決めるブエノスアイレスの地で、記者団に囲まれた竹田が、「東京は福島と250キロ離れているから安全」と被災地を切り捨てたことも絶対に忘れてはいけない。竹田恒和氏〔PHOTO〕Gettyimages 【猪瀬直樹の逃げ方】東京五輪の招致が決定してから半年も経たずに、「徳洲会」から5000万円の資金提供を受けていたことが発覚、都知事を辞任したのが猪瀬直樹だ。いまだに掘り起こされる猪瀬のツイートに「誤解する人がいるので言う。2020東京五輪は神宮の国立競技場を改築するがほとんど40年前の五輪施設をそのまま使うので世界一カネのかからない五輪なのです」という2012年7月のツイートがある。さて、現在はどうだろう。「誤解」しているのはどちらだろう。うっかりつぶやいたツイートではない。翌2013年3月、IOC評価委員による東京視察のときにも、取材陣に対して「コンパクトな五輪を理解していただけたと思う」と述べている。職を辞してからも、「反対論者は開催時の感染リスクを主張するが、それは具体的なデータを伴わない、無責任な感情論に過ぎません」(「週刊ポスト」2021年1月15・22日号)と開催賛成の立場をとっているが、一斉に多くの外国人がやって来るという、コロナ禍で一度も体験したことのない状況が生まれるのに、感染するリスクは低い、とする主張こそ、データが伴っていない。【安倍晋三の逃げ方】東京五輪開催までに憲法を改正しなければと勇んでいたのが安倍晋三である。2017年5月3日、読売新聞の単独インタビューに答えた安倍首相は、「私はかねがね、半世紀ぶりに日本で五輪が開催される年を、未来を見据えながら日本か新しく生まれ変わる大きなきっかけにすべきだと申し上けてきた」などと、五輪と憲法改正をくっつけようとしていた。改めて読んでみると、意味が不明だ。意味が不明なのに、2020年までに憲法改正を、というニュースとして走らせたメディアの責任も大きい。なぜ、運動会を開く日までに校則を変える必要があるのだろう。その後、自身の身内優遇が招いた事案(森友・加計・桜を見る会)から逃げるように、首相の座を明け渡した。昨年3月、東京五輪の延期について、2年延期すべきではないかとの声を遮り、1年延期で、と切り出したのが安倍だったとされる。1年後、責任をとる立場に彼はいなかった。〔PHOTO〕Gettyimages 【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
「私たちは移転の可否について、都から一度も相談を受けていません。住民の気持ちを顧みない東京都の手続きからは、私たちがひとりの『人として』尊重されていると感じることはできません」と書かれていた。丸川珠代五輪担当大臣が先日、五輪の目的として「絆を取り戻す」を挙げたが、いくつもの絆を引き裂いて開催されるのが東京五輪ではないか。〔PHOTO〕Gettyimages 本書でも、ひとつの章を設けて東京五輪を集中的にとりあげている。本稿では、「偉い人」がいかに「すぐ逃げた」か、五輪関係の動きに絞って書き記しておきたい。今年2月、森喜朗大会組織委員会会長の女性蔑視発言が問題視され、たちまち辞任に追い込まれた後、五輪招致時の中心人物がこれで全員いなくなりましたねと、4人横並びの写真が注目された。その4人とは、竹田恒和、猪瀬直樹、安倍晋三、森喜朗である。この4人の共通項もまた「偉い人ほどすぐ逃げる」だった。それぞれの逃げ方をおさらいしておきたい。【竹田恒和の逃げ方】JOCの会長だった竹田恒和は、東京五輪招致を巡り、シンガポールのコンサルタント会社「ブラック・タイディングス」に約2億3000万円を賄賂として支払ったと疑われ続けている。支払ったのはコンサルタント料であると主張したものの、そのコンサルタント会社の活動実態はなく、追及をかわす会見をわずか7分間で終え、その後、逃げるように会長を辞した。また、2013年、五輪招致を決めるブエノスアイレスの地で、記者団に囲まれた竹田が、「東京は福島と250キロ離れているから安全」と被災地を切り捨てたことも絶対に忘れてはいけない。竹田恒和氏〔PHOTO〕Gettyimages 【猪瀬直樹の逃げ方】東京五輪の招致が決定してから半年も経たずに、「徳洲会」から5000万円の資金提供を受けていたことが発覚、都知事を辞任したのが猪瀬直樹だ。いまだに掘り起こされる猪瀬のツイートに「誤解する人がいるので言う。2020東京五輪は神宮の国立競技場を改築するがほとんど40年前の五輪施設をそのまま使うので世界一カネのかからない五輪なのです」という2012年7月のツイートがある。さて、現在はどうだろう。「誤解」しているのはどちらだろう。うっかりつぶやいたツイートではない。翌2013年3月、IOC評価委員による東京視察のときにも、取材陣に対して「コンパクトな五輪を理解していただけたと思う」と述べている。職を辞してからも、「反対論者は開催時の感染リスクを主張するが、それは具体的なデータを伴わない、無責任な感情論に過ぎません」(「週刊ポスト」2021年1月15・22日号)と開催賛成の立場をとっているが、一斉に多くの外国人がやって来るという、コロナ禍で一度も体験したことのない状況が生まれるのに、感染するリスクは低い、とする主張こそ、データが伴っていない。【安倍晋三の逃げ方】東京五輪開催までに憲法を改正しなければと勇んでいたのが安倍晋三である。2017年5月3日、読売新聞の単独インタビューに答えた安倍首相は、「私はかねがね、半世紀ぶりに日本で五輪が開催される年を、未来を見据えながら日本か新しく生まれ変わる大きなきっかけにすべきだと申し上けてきた」などと、五輪と憲法改正をくっつけようとしていた。改めて読んでみると、意味が不明だ。意味が不明なのに、2020年までに憲法改正を、というニュースとして走らせたメディアの責任も大きい。なぜ、運動会を開く日までに校則を変える必要があるのだろう。その後、自身の身内優遇が招いた事案(森友・加計・桜を見る会)から逃げるように、首相の座を明け渡した。昨年3月、東京五輪の延期について、2年延期すべきではないかとの声を遮り、1年延期で、と切り出したのが安倍だったとされる。1年後、責任をとる立場に彼はいなかった。〔PHOTO〕Gettyimages 【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
と書かれていた。丸川珠代五輪担当大臣が先日、五輪の目的として「絆を取り戻す」を挙げたが、いくつもの絆を引き裂いて開催されるのが東京五輪ではないか。〔PHOTO〕Gettyimages 本書でも、ひとつの章を設けて東京五輪を集中的にとりあげている。本稿では、「偉い人」がいかに「すぐ逃げた」か、五輪関係の動きに絞って書き記しておきたい。今年2月、森喜朗大会組織委員会会長の女性蔑視発言が問題視され、たちまち辞任に追い込まれた後、五輪招致時の中心人物がこれで全員いなくなりましたねと、4人横並びの写真が注目された。その4人とは、竹田恒和、猪瀬直樹、安倍晋三、森喜朗である。この4人の共通項もまた「偉い人ほどすぐ逃げる」だった。それぞれの逃げ方をおさらいしておきたい。【竹田恒和の逃げ方】JOCの会長だった竹田恒和は、東京五輪招致を巡り、シンガポールのコンサルタント会社「ブラック・タイディングス」に約2億3000万円を賄賂として支払ったと疑われ続けている。支払ったのはコンサルタント料であると主張したものの、そのコンサルタント会社の活動実態はなく、追及をかわす会見をわずか7分間で終え、その後、逃げるように会長を辞した。また、2013年、五輪招致を決めるブエノスアイレスの地で、記者団に囲まれた竹田が、「東京は福島と250キロ離れているから安全」と被災地を切り捨てたことも絶対に忘れてはいけない。竹田恒和氏〔PHOTO〕Gettyimages 【猪瀬直樹の逃げ方】東京五輪の招致が決定してから半年も経たずに、「徳洲会」から5000万円の資金提供を受けていたことが発覚、都知事を辞任したのが猪瀬直樹だ。いまだに掘り起こされる猪瀬のツイートに「誤解する人がいるので言う。2020東京五輪は神宮の国立競技場を改築するがほとんど40年前の五輪施設をそのまま使うので世界一カネのかからない五輪なのです」という2012年7月のツイートがある。さて、現在はどうだろう。「誤解」しているのはどちらだろう。うっかりつぶやいたツイートではない。翌2013年3月、IOC評価委員による東京視察のときにも、取材陣に対して「コンパクトな五輪を理解していただけたと思う」と述べている。職を辞してからも、「反対論者は開催時の感染リスクを主張するが、それは具体的なデータを伴わない、無責任な感情論に過ぎません」(「週刊ポスト」2021年1月15・22日号)と開催賛成の立場をとっているが、一斉に多くの外国人がやって来るという、コロナ禍で一度も体験したことのない状況が生まれるのに、感染するリスクは低い、とする主張こそ、データが伴っていない。【安倍晋三の逃げ方】東京五輪開催までに憲法を改正しなければと勇んでいたのが安倍晋三である。2017年5月3日、読売新聞の単独インタビューに答えた安倍首相は、「私はかねがね、半世紀ぶりに日本で五輪が開催される年を、未来を見据えながら日本か新しく生まれ変わる大きなきっかけにすべきだと申し上けてきた」などと、五輪と憲法改正をくっつけようとしていた。改めて読んでみると、意味が不明だ。意味が不明なのに、2020年までに憲法改正を、というニュースとして走らせたメディアの責任も大きい。なぜ、運動会を開く日までに校則を変える必要があるのだろう。その後、自身の身内優遇が招いた事案(森友・加計・桜を見る会)から逃げるように、首相の座を明け渡した。昨年3月、東京五輪の延期について、2年延期すべきではないかとの声を遮り、1年延期で、と切り出したのが安倍だったとされる。1年後、責任をとる立場に彼はいなかった。〔PHOTO〕Gettyimages 【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
〔PHOTO〕Gettyimages 本書でも、ひとつの章を設けて東京五輪を集中的にとりあげている。本稿では、「偉い人」がいかに「すぐ逃げた」か、五輪関係の動きに絞って書き記しておきたい。今年2月、森喜朗大会組織委員会会長の女性蔑視発言が問題視され、たちまち辞任に追い込まれた後、五輪招致時の中心人物がこれで全員いなくなりましたねと、4人横並びの写真が注目された。その4人とは、竹田恒和、猪瀬直樹、安倍晋三、森喜朗である。この4人の共通項もまた「偉い人ほどすぐ逃げる」だった。それぞれの逃げ方をおさらいしておきたい。【竹田恒和の逃げ方】JOCの会長だった竹田恒和は、東京五輪招致を巡り、シンガポールのコンサルタント会社「ブラック・タイディングス」に約2億3000万円を賄賂として支払ったと疑われ続けている。支払ったのはコンサルタント料であると主張したものの、そのコンサルタント会社の活動実態はなく、追及をかわす会見をわずか7分間で終え、その後、逃げるように会長を辞した。また、2013年、五輪招致を決めるブエノスアイレスの地で、記者団に囲まれた竹田が、「東京は福島と250キロ離れているから安全」と被災地を切り捨てたことも絶対に忘れてはいけない。竹田恒和氏〔PHOTO〕Gettyimages 【猪瀬直樹の逃げ方】東京五輪の招致が決定してから半年も経たずに、「徳洲会」から5000万円の資金提供を受けていたことが発覚、都知事を辞任したのが猪瀬直樹だ。いまだに掘り起こされる猪瀬のツイートに「誤解する人がいるので言う。2020東京五輪は神宮の国立競技場を改築するがほとんど40年前の五輪施設をそのまま使うので世界一カネのかからない五輪なのです」という2012年7月のツイートがある。さて、現在はどうだろう。「誤解」しているのはどちらだろう。うっかりつぶやいたツイートではない。翌2013年3月、IOC評価委員による東京視察のときにも、取材陣に対して「コンパクトな五輪を理解していただけたと思う」と述べている。職を辞してからも、「反対論者は開催時の感染リスクを主張するが、それは具体的なデータを伴わない、無責任な感情論に過ぎません」(「週刊ポスト」2021年1月15・22日号)と開催賛成の立場をとっているが、一斉に多くの外国人がやって来るという、コロナ禍で一度も体験したことのない状況が生まれるのに、感染するリスクは低い、とする主張こそ、データが伴っていない。【安倍晋三の逃げ方】東京五輪開催までに憲法を改正しなければと勇んでいたのが安倍晋三である。2017年5月3日、読売新聞の単独インタビューに答えた安倍首相は、「私はかねがね、半世紀ぶりに日本で五輪が開催される年を、未来を見据えながら日本か新しく生まれ変わる大きなきっかけにすべきだと申し上けてきた」などと、五輪と憲法改正をくっつけようとしていた。改めて読んでみると、意味が不明だ。意味が不明なのに、2020年までに憲法改正を、というニュースとして走らせたメディアの責任も大きい。なぜ、運動会を開く日までに校則を変える必要があるのだろう。その後、自身の身内優遇が招いた事案(森友・加計・桜を見る会)から逃げるように、首相の座を明け渡した。昨年3月、東京五輪の延期について、2年延期すべきではないかとの声を遮り、1年延期で、と切り出したのが安倍だったとされる。1年後、責任をとる立場に彼はいなかった。〔PHOTO〕Gettyimages 【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
本書でも、ひとつの章を設けて東京五輪を集中的にとりあげている。本稿では、「偉い人」がいかに「すぐ逃げた」か、五輪関係の動きに絞って書き記しておきたい。今年2月、森喜朗大会組織委員会会長の女性蔑視発言が問題視され、たちまち辞任に追い込まれた後、五輪招致時の中心人物がこれで全員いなくなりましたねと、4人横並びの写真が注目された。その4人とは、竹田恒和、猪瀬直樹、安倍晋三、森喜朗である。この4人の共通項もまた「偉い人ほどすぐ逃げる」だった。それぞれの逃げ方をおさらいしておきたい。【竹田恒和の逃げ方】JOCの会長だった竹田恒和は、東京五輪招致を巡り、シンガポールのコンサルタント会社「ブラック・タイディングス」に約2億3000万円を賄賂として支払ったと疑われ続けている。支払ったのはコンサルタント料であると主張したものの、そのコンサルタント会社の活動実態はなく、追及をかわす会見をわずか7分間で終え、その後、逃げるように会長を辞した。また、2013年、五輪招致を決めるブエノスアイレスの地で、記者団に囲まれた竹田が、「東京は福島と250キロ離れているから安全」と被災地を切り捨てたことも絶対に忘れてはいけない。竹田恒和氏〔PHOTO〕Gettyimages 【猪瀬直樹の逃げ方】東京五輪の招致が決定してから半年も経たずに、「徳洲会」から5000万円の資金提供を受けていたことが発覚、都知事を辞任したのが猪瀬直樹だ。いまだに掘り起こされる猪瀬のツイートに「誤解する人がいるので言う。2020東京五輪は神宮の国立競技場を改築するがほとんど40年前の五輪施設をそのまま使うので世界一カネのかからない五輪なのです」という2012年7月のツイートがある。さて、現在はどうだろう。「誤解」しているのはどちらだろう。うっかりつぶやいたツイートではない。翌2013年3月、IOC評価委員による東京視察のときにも、取材陣に対して「コンパクトな五輪を理解していただけたと思う」と述べている。職を辞してからも、「反対論者は開催時の感染リスクを主張するが、それは具体的なデータを伴わない、無責任な感情論に過ぎません」(「週刊ポスト」2021年1月15・22日号)と開催賛成の立場をとっているが、一斉に多くの外国人がやって来るという、コロナ禍で一度も体験したことのない状況が生まれるのに、感染するリスクは低い、とする主張こそ、データが伴っていない。【安倍晋三の逃げ方】東京五輪開催までに憲法を改正しなければと勇んでいたのが安倍晋三である。2017年5月3日、読売新聞の単独インタビューに答えた安倍首相は、「私はかねがね、半世紀ぶりに日本で五輪が開催される年を、未来を見据えながら日本か新しく生まれ変わる大きなきっかけにすべきだと申し上けてきた」などと、五輪と憲法改正をくっつけようとしていた。改めて読んでみると、意味が不明だ。意味が不明なのに、2020年までに憲法改正を、というニュースとして走らせたメディアの責任も大きい。なぜ、運動会を開く日までに校則を変える必要があるのだろう。その後、自身の身内優遇が招いた事案(森友・加計・桜を見る会)から逃げるように、首相の座を明け渡した。昨年3月、東京五輪の延期について、2年延期すべきではないかとの声を遮り、1年延期で、と切り出したのが安倍だったとされる。1年後、責任をとる立場に彼はいなかった。〔PHOTO〕Gettyimages 【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
本書でも、ひとつの章を設けて東京五輪を集中的にとりあげている。本稿では、「偉い人」がいかに「すぐ逃げた」か、五輪関係の動きに絞って書き記しておきたい。今年2月、森喜朗大会組織委員会会長の女性蔑視発言が問題視され、たちまち辞任に追い込まれた後、五輪招致時の中心人物がこれで全員いなくなりましたねと、4人横並びの写真が注目された。その4人とは、竹田恒和、猪瀬直樹、安倍晋三、森喜朗である。この4人の共通項もまた「偉い人ほどすぐ逃げる」だった。それぞれの逃げ方をおさらいしておきたい。【竹田恒和の逃げ方】JOCの会長だった竹田恒和は、東京五輪招致を巡り、シンガポールのコンサルタント会社「ブラック・タイディングス」に約2億3000万円を賄賂として支払ったと疑われ続けている。支払ったのはコンサルタント料であると主張したものの、そのコンサルタント会社の活動実態はなく、追及をかわす会見をわずか7分間で終え、その後、逃げるように会長を辞した。また、2013年、五輪招致を決めるブエノスアイレスの地で、記者団に囲まれた竹田が、「東京は福島と250キロ離れているから安全」と被災地を切り捨てたことも絶対に忘れてはいけない。竹田恒和氏〔PHOTO〕Gettyimages 【猪瀬直樹の逃げ方】東京五輪の招致が決定してから半年も経たずに、「徳洲会」から5000万円の資金提供を受けていたことが発覚、都知事を辞任したのが猪瀬直樹だ。いまだに掘り起こされる猪瀬のツイートに「誤解する人がいるので言う。2020東京五輪は神宮の国立競技場を改築するがほとんど40年前の五輪施設をそのまま使うので世界一カネのかからない五輪なのです」という2012年7月のツイートがある。さて、現在はどうだろう。「誤解」しているのはどちらだろう。うっかりつぶやいたツイートではない。翌2013年3月、IOC評価委員による東京視察のときにも、取材陣に対して「コンパクトな五輪を理解していただけたと思う」と述べている。職を辞してからも、「反対論者は開催時の感染リスクを主張するが、それは具体的なデータを伴わない、無責任な感情論に過ぎません」(「週刊ポスト」2021年1月15・22日号)と開催賛成の立場をとっているが、一斉に多くの外国人がやって来るという、コロナ禍で一度も体験したことのない状況が生まれるのに、感染するリスクは低い、とする主張こそ、データが伴っていない。【安倍晋三の逃げ方】東京五輪開催までに憲法を改正しなければと勇んでいたのが安倍晋三である。2017年5月3日、読売新聞の単独インタビューに答えた安倍首相は、「私はかねがね、半世紀ぶりに日本で五輪が開催される年を、未来を見据えながら日本か新しく生まれ変わる大きなきっかけにすべきだと申し上けてきた」などと、五輪と憲法改正をくっつけようとしていた。改めて読んでみると、意味が不明だ。意味が不明なのに、2020年までに憲法改正を、というニュースとして走らせたメディアの責任も大きい。なぜ、運動会を開く日までに校則を変える必要があるのだろう。その後、自身の身内優遇が招いた事案(森友・加計・桜を見る会)から逃げるように、首相の座を明け渡した。昨年3月、東京五輪の延期について、2年延期すべきではないかとの声を遮り、1年延期で、と切り出したのが安倍だったとされる。1年後、責任をとる立場に彼はいなかった。〔PHOTO〕Gettyimages 【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
その4人とは、竹田恒和、猪瀬直樹、安倍晋三、森喜朗である。この4人の共通項もまた「偉い人ほどすぐ逃げる」だった。それぞれの逃げ方をおさらいしておきたい。【竹田恒和の逃げ方】JOCの会長だった竹田恒和は、東京五輪招致を巡り、シンガポールのコンサルタント会社「ブラック・タイディングス」に約2億3000万円を賄賂として支払ったと疑われ続けている。支払ったのはコンサルタント料であると主張したものの、そのコンサルタント会社の活動実態はなく、追及をかわす会見をわずか7分間で終え、その後、逃げるように会長を辞した。また、2013年、五輪招致を決めるブエノスアイレスの地で、記者団に囲まれた竹田が、「東京は福島と250キロ離れているから安全」と被災地を切り捨てたことも絶対に忘れてはいけない。竹田恒和氏〔PHOTO〕Gettyimages 【猪瀬直樹の逃げ方】東京五輪の招致が決定してから半年も経たずに、「徳洲会」から5000万円の資金提供を受けていたことが発覚、都知事を辞任したのが猪瀬直樹だ。いまだに掘り起こされる猪瀬のツイートに「誤解する人がいるので言う。2020東京五輪は神宮の国立競技場を改築するがほとんど40年前の五輪施設をそのまま使うので世界一カネのかからない五輪なのです」という2012年7月のツイートがある。さて、現在はどうだろう。「誤解」しているのはどちらだろう。うっかりつぶやいたツイートではない。翌2013年3月、IOC評価委員による東京視察のときにも、取材陣に対して「コンパクトな五輪を理解していただけたと思う」と述べている。職を辞してからも、「反対論者は開催時の感染リスクを主張するが、それは具体的なデータを伴わない、無責任な感情論に過ぎません」(「週刊ポスト」2021年1月15・22日号)と開催賛成の立場をとっているが、一斉に多くの外国人がやって来るという、コロナ禍で一度も体験したことのない状況が生まれるのに、感染するリスクは低い、とする主張こそ、データが伴っていない。【安倍晋三の逃げ方】東京五輪開催までに憲法を改正しなければと勇んでいたのが安倍晋三である。2017年5月3日、読売新聞の単独インタビューに答えた安倍首相は、「私はかねがね、半世紀ぶりに日本で五輪が開催される年を、未来を見据えながら日本か新しく生まれ変わる大きなきっかけにすべきだと申し上けてきた」などと、五輪と憲法改正をくっつけようとしていた。改めて読んでみると、意味が不明だ。意味が不明なのに、2020年までに憲法改正を、というニュースとして走らせたメディアの責任も大きい。なぜ、運動会を開く日までに校則を変える必要があるのだろう。その後、自身の身内優遇が招いた事案(森友・加計・桜を見る会)から逃げるように、首相の座を明け渡した。昨年3月、東京五輪の延期について、2年延期すべきではないかとの声を遮り、1年延期で、と切り出したのが安倍だったとされる。1年後、責任をとる立場に彼はいなかった。〔PHOTO〕Gettyimages 【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
【竹田恒和の逃げ方】JOCの会長だった竹田恒和は、東京五輪招致を巡り、シンガポールのコンサルタント会社「ブラック・タイディングス」に約2億3000万円を賄賂として支払ったと疑われ続けている。支払ったのはコンサルタント料であると主張したものの、そのコンサルタント会社の活動実態はなく、追及をかわす会見をわずか7分間で終え、その後、逃げるように会長を辞した。また、2013年、五輪招致を決めるブエノスアイレスの地で、記者団に囲まれた竹田が、「東京は福島と250キロ離れているから安全」と被災地を切り捨てたことも絶対に忘れてはいけない。竹田恒和氏〔PHOTO〕Gettyimages 【猪瀬直樹の逃げ方】東京五輪の招致が決定してから半年も経たずに、「徳洲会」から5000万円の資金提供を受けていたことが発覚、都知事を辞任したのが猪瀬直樹だ。いまだに掘り起こされる猪瀬のツイートに「誤解する人がいるので言う。2020東京五輪は神宮の国立競技場を改築するがほとんど40年前の五輪施設をそのまま使うので世界一カネのかからない五輪なのです」という2012年7月のツイートがある。さて、現在はどうだろう。「誤解」しているのはどちらだろう。うっかりつぶやいたツイートではない。翌2013年3月、IOC評価委員による東京視察のときにも、取材陣に対して「コンパクトな五輪を理解していただけたと思う」と述べている。職を辞してからも、「反対論者は開催時の感染リスクを主張するが、それは具体的なデータを伴わない、無責任な感情論に過ぎません」(「週刊ポスト」2021年1月15・22日号)と開催賛成の立場をとっているが、一斉に多くの外国人がやって来るという、コロナ禍で一度も体験したことのない状況が生まれるのに、感染するリスクは低い、とする主張こそ、データが伴っていない。【安倍晋三の逃げ方】東京五輪開催までに憲法を改正しなければと勇んでいたのが安倍晋三である。2017年5月3日、読売新聞の単独インタビューに答えた安倍首相は、「私はかねがね、半世紀ぶりに日本で五輪が開催される年を、未来を見据えながら日本か新しく生まれ変わる大きなきっかけにすべきだと申し上けてきた」などと、五輪と憲法改正をくっつけようとしていた。改めて読んでみると、意味が不明だ。意味が不明なのに、2020年までに憲法改正を、というニュースとして走らせたメディアの責任も大きい。なぜ、運動会を開く日までに校則を変える必要があるのだろう。その後、自身の身内優遇が招いた事案(森友・加計・桜を見る会)から逃げるように、首相の座を明け渡した。昨年3月、東京五輪の延期について、2年延期すべきではないかとの声を遮り、1年延期で、と切り出したのが安倍だったとされる。1年後、責任をとる立場に彼はいなかった。〔PHOTO〕Gettyimages 【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
JOCの会長だった竹田恒和は、東京五輪招致を巡り、シンガポールのコンサルタント会社「ブラック・タイディングス」に約2億3000万円を賄賂として支払ったと疑われ続けている。支払ったのはコンサルタント料であると主張したものの、そのコンサルタント会社の活動実態はなく、追及をかわす会見をわずか7分間で終え、その後、逃げるように会長を辞した。また、2013年、五輪招致を決めるブエノスアイレスの地で、記者団に囲まれた竹田が、「東京は福島と250キロ離れているから安全」と被災地を切り捨てたことも絶対に忘れてはいけない。竹田恒和氏〔PHOTO〕Gettyimages 【猪瀬直樹の逃げ方】東京五輪の招致が決定してから半年も経たずに、「徳洲会」から5000万円の資金提供を受けていたことが発覚、都知事を辞任したのが猪瀬直樹だ。いまだに掘り起こされる猪瀬のツイートに「誤解する人がいるので言う。2020東京五輪は神宮の国立競技場を改築するがほとんど40年前の五輪施設をそのまま使うので世界一カネのかからない五輪なのです」という2012年7月のツイートがある。さて、現在はどうだろう。「誤解」しているのはどちらだろう。うっかりつぶやいたツイートではない。翌2013年3月、IOC評価委員による東京視察のときにも、取材陣に対して「コンパクトな五輪を理解していただけたと思う」と述べている。職を辞してからも、「反対論者は開催時の感染リスクを主張するが、それは具体的なデータを伴わない、無責任な感情論に過ぎません」(「週刊ポスト」2021年1月15・22日号)と開催賛成の立場をとっているが、一斉に多くの外国人がやって来るという、コロナ禍で一度も体験したことのない状況が生まれるのに、感染するリスクは低い、とする主張こそ、データが伴っていない。【安倍晋三の逃げ方】東京五輪開催までに憲法を改正しなければと勇んでいたのが安倍晋三である。2017年5月3日、読売新聞の単独インタビューに答えた安倍首相は、「私はかねがね、半世紀ぶりに日本で五輪が開催される年を、未来を見据えながら日本か新しく生まれ変わる大きなきっかけにすべきだと申し上けてきた」などと、五輪と憲法改正をくっつけようとしていた。改めて読んでみると、意味が不明だ。意味が不明なのに、2020年までに憲法改正を、というニュースとして走らせたメディアの責任も大きい。なぜ、運動会を開く日までに校則を変える必要があるのだろう。その後、自身の身内優遇が招いた事案(森友・加計・桜を見る会)から逃げるように、首相の座を明け渡した。昨年3月、東京五輪の延期について、2年延期すべきではないかとの声を遮り、1年延期で、と切り出したのが安倍だったとされる。1年後、責任をとる立場に彼はいなかった。〔PHOTO〕Gettyimages 【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
また、2013年、五輪招致を決めるブエノスアイレスの地で、記者団に囲まれた竹田が、「東京は福島と250キロ離れているから安全」と被災地を切り捨てたことも絶対に忘れてはいけない。竹田恒和氏〔PHOTO〕Gettyimages 【猪瀬直樹の逃げ方】東京五輪の招致が決定してから半年も経たずに、「徳洲会」から5000万円の資金提供を受けていたことが発覚、都知事を辞任したのが猪瀬直樹だ。いまだに掘り起こされる猪瀬のツイートに「誤解する人がいるので言う。2020東京五輪は神宮の国立競技場を改築するがほとんど40年前の五輪施設をそのまま使うので世界一カネのかからない五輪なのです」という2012年7月のツイートがある。さて、現在はどうだろう。「誤解」しているのはどちらだろう。うっかりつぶやいたツイートではない。翌2013年3月、IOC評価委員による東京視察のときにも、取材陣に対して「コンパクトな五輪を理解していただけたと思う」と述べている。職を辞してからも、「反対論者は開催時の感染リスクを主張するが、それは具体的なデータを伴わない、無責任な感情論に過ぎません」(「週刊ポスト」2021年1月15・22日号)と開催賛成の立場をとっているが、一斉に多くの外国人がやって来るという、コロナ禍で一度も体験したことのない状況が生まれるのに、感染するリスクは低い、とする主張こそ、データが伴っていない。【安倍晋三の逃げ方】東京五輪開催までに憲法を改正しなければと勇んでいたのが安倍晋三である。2017年5月3日、読売新聞の単独インタビューに答えた安倍首相は、「私はかねがね、半世紀ぶりに日本で五輪が開催される年を、未来を見据えながら日本か新しく生まれ変わる大きなきっかけにすべきだと申し上けてきた」などと、五輪と憲法改正をくっつけようとしていた。改めて読んでみると、意味が不明だ。意味が不明なのに、2020年までに憲法改正を、というニュースとして走らせたメディアの責任も大きい。なぜ、運動会を開く日までに校則を変える必要があるのだろう。その後、自身の身内優遇が招いた事案(森友・加計・桜を見る会)から逃げるように、首相の座を明け渡した。昨年3月、東京五輪の延期について、2年延期すべきではないかとの声を遮り、1年延期で、と切り出したのが安倍だったとされる。1年後、責任をとる立場に彼はいなかった。〔PHOTO〕Gettyimages 【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
竹田恒和氏〔PHOTO〕Gettyimages 【猪瀬直樹の逃げ方】東京五輪の招致が決定してから半年も経たずに、「徳洲会」から5000万円の資金提供を受けていたことが発覚、都知事を辞任したのが猪瀬直樹だ。いまだに掘り起こされる猪瀬のツイートに「誤解する人がいるので言う。2020東京五輪は神宮の国立競技場を改築するがほとんど40年前の五輪施設をそのまま使うので世界一カネのかからない五輪なのです」という2012年7月のツイートがある。さて、現在はどうだろう。「誤解」しているのはどちらだろう。うっかりつぶやいたツイートではない。翌2013年3月、IOC評価委員による東京視察のときにも、取材陣に対して「コンパクトな五輪を理解していただけたと思う」と述べている。職を辞してからも、「反対論者は開催時の感染リスクを主張するが、それは具体的なデータを伴わない、無責任な感情論に過ぎません」(「週刊ポスト」2021年1月15・22日号)と開催賛成の立場をとっているが、一斉に多くの外国人がやって来るという、コロナ禍で一度も体験したことのない状況が生まれるのに、感染するリスクは低い、とする主張こそ、データが伴っていない。【安倍晋三の逃げ方】東京五輪開催までに憲法を改正しなければと勇んでいたのが安倍晋三である。2017年5月3日、読売新聞の単独インタビューに答えた安倍首相は、「私はかねがね、半世紀ぶりに日本で五輪が開催される年を、未来を見据えながら日本か新しく生まれ変わる大きなきっかけにすべきだと申し上けてきた」などと、五輪と憲法改正をくっつけようとしていた。改めて読んでみると、意味が不明だ。意味が不明なのに、2020年までに憲法改正を、というニュースとして走らせたメディアの責任も大きい。なぜ、運動会を開く日までに校則を変える必要があるのだろう。その後、自身の身内優遇が招いた事案(森友・加計・桜を見る会)から逃げるように、首相の座を明け渡した。昨年3月、東京五輪の延期について、2年延期すべきではないかとの声を遮り、1年延期で、と切り出したのが安倍だったとされる。1年後、責任をとる立場に彼はいなかった。〔PHOTO〕Gettyimages 【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
【猪瀬直樹の逃げ方】東京五輪の招致が決定してから半年も経たずに、「徳洲会」から5000万円の資金提供を受けていたことが発覚、都知事を辞任したのが猪瀬直樹だ。いまだに掘り起こされる猪瀬のツイートに「誤解する人がいるので言う。2020東京五輪は神宮の国立競技場を改築するがほとんど40年前の五輪施設をそのまま使うので世界一カネのかからない五輪なのです」という2012年7月のツイートがある。さて、現在はどうだろう。「誤解」しているのはどちらだろう。うっかりつぶやいたツイートではない。翌2013年3月、IOC評価委員による東京視察のときにも、取材陣に対して「コンパクトな五輪を理解していただけたと思う」と述べている。職を辞してからも、「反対論者は開催時の感染リスクを主張するが、それは具体的なデータを伴わない、無責任な感情論に過ぎません」(「週刊ポスト」2021年1月15・22日号)と開催賛成の立場をとっているが、一斉に多くの外国人がやって来るという、コロナ禍で一度も体験したことのない状況が生まれるのに、感染するリスクは低い、とする主張こそ、データが伴っていない。【安倍晋三の逃げ方】東京五輪開催までに憲法を改正しなければと勇んでいたのが安倍晋三である。2017年5月3日、読売新聞の単独インタビューに答えた安倍首相は、「私はかねがね、半世紀ぶりに日本で五輪が開催される年を、未来を見据えながら日本か新しく生まれ変わる大きなきっかけにすべきだと申し上けてきた」などと、五輪と憲法改正をくっつけようとしていた。改めて読んでみると、意味が不明だ。意味が不明なのに、2020年までに憲法改正を、というニュースとして走らせたメディアの責任も大きい。なぜ、運動会を開く日までに校則を変える必要があるのだろう。その後、自身の身内優遇が招いた事案(森友・加計・桜を見る会)から逃げるように、首相の座を明け渡した。昨年3月、東京五輪の延期について、2年延期すべきではないかとの声を遮り、1年延期で、と切り出したのが安倍だったとされる。1年後、責任をとる立場に彼はいなかった。〔PHOTO〕Gettyimages 【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
【猪瀬直樹の逃げ方】東京五輪の招致が決定してから半年も経たずに、「徳洲会」から5000万円の資金提供を受けていたことが発覚、都知事を辞任したのが猪瀬直樹だ。いまだに掘り起こされる猪瀬のツイートに「誤解する人がいるので言う。2020東京五輪は神宮の国立競技場を改築するがほとんど40年前の五輪施設をそのまま使うので世界一カネのかからない五輪なのです」という2012年7月のツイートがある。さて、現在はどうだろう。「誤解」しているのはどちらだろう。うっかりつぶやいたツイートではない。翌2013年3月、IOC評価委員による東京視察のときにも、取材陣に対して「コンパクトな五輪を理解していただけたと思う」と述べている。職を辞してからも、「反対論者は開催時の感染リスクを主張するが、それは具体的なデータを伴わない、無責任な感情論に過ぎません」(「週刊ポスト」2021年1月15・22日号)と開催賛成の立場をとっているが、一斉に多くの外国人がやって来るという、コロナ禍で一度も体験したことのない状況が生まれるのに、感染するリスクは低い、とする主張こそ、データが伴っていない。【安倍晋三の逃げ方】東京五輪開催までに憲法を改正しなければと勇んでいたのが安倍晋三である。2017年5月3日、読売新聞の単独インタビューに答えた安倍首相は、「私はかねがね、半世紀ぶりに日本で五輪が開催される年を、未来を見据えながら日本か新しく生まれ変わる大きなきっかけにすべきだと申し上けてきた」などと、五輪と憲法改正をくっつけようとしていた。改めて読んでみると、意味が不明だ。意味が不明なのに、2020年までに憲法改正を、というニュースとして走らせたメディアの責任も大きい。なぜ、運動会を開く日までに校則を変える必要があるのだろう。その後、自身の身内優遇が招いた事案(森友・加計・桜を見る会)から逃げるように、首相の座を明け渡した。昨年3月、東京五輪の延期について、2年延期すべきではないかとの声を遮り、1年延期で、と切り出したのが安倍だったとされる。1年後、責任をとる立場に彼はいなかった。〔PHOTO〕Gettyimages 【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
東京五輪の招致が決定してから半年も経たずに、「徳洲会」から5000万円の資金提供を受けていたことが発覚、都知事を辞任したのが猪瀬直樹だ。いまだに掘り起こされる猪瀬のツイートに「誤解する人がいるので言う。2020東京五輪は神宮の国立競技場を改築するがほとんど40年前の五輪施設をそのまま使うので世界一カネのかからない五輪なのです」という2012年7月のツイートがある。さて、現在はどうだろう。「誤解」しているのはどちらだろう。うっかりつぶやいたツイートではない。翌2013年3月、IOC評価委員による東京視察のときにも、取材陣に対して「コンパクトな五輪を理解していただけたと思う」と述べている。職を辞してからも、「反対論者は開催時の感染リスクを主張するが、それは具体的なデータを伴わない、無責任な感情論に過ぎません」(「週刊ポスト」2021年1月15・22日号)と開催賛成の立場をとっているが、一斉に多くの外国人がやって来るという、コロナ禍で一度も体験したことのない状況が生まれるのに、感染するリスクは低い、とする主張こそ、データが伴っていない。【安倍晋三の逃げ方】東京五輪開催までに憲法を改正しなければと勇んでいたのが安倍晋三である。2017年5月3日、読売新聞の単独インタビューに答えた安倍首相は、「私はかねがね、半世紀ぶりに日本で五輪が開催される年を、未来を見据えながら日本か新しく生まれ変わる大きなきっかけにすべきだと申し上けてきた」などと、五輪と憲法改正をくっつけようとしていた。改めて読んでみると、意味が不明だ。意味が不明なのに、2020年までに憲法改正を、というニュースとして走らせたメディアの責任も大きい。なぜ、運動会を開く日までに校則を変える必要があるのだろう。その後、自身の身内優遇が招いた事案(森友・加計・桜を見る会)から逃げるように、首相の座を明け渡した。昨年3月、東京五輪の延期について、2年延期すべきではないかとの声を遮り、1年延期で、と切り出したのが安倍だったとされる。1年後、責任をとる立場に彼はいなかった。〔PHOTO〕Gettyimages 【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
さて、現在はどうだろう。「誤解」しているのはどちらだろう。うっかりつぶやいたツイートではない。翌2013年3月、IOC評価委員による東京視察のときにも、取材陣に対して「コンパクトな五輪を理解していただけたと思う」と述べている。職を辞してからも、「反対論者は開催時の感染リスクを主張するが、それは具体的なデータを伴わない、無責任な感情論に過ぎません」(「週刊ポスト」2021年1月15・22日号)と開催賛成の立場をとっているが、一斉に多くの外国人がやって来るという、コロナ禍で一度も体験したことのない状況が生まれるのに、感染するリスクは低い、とする主張こそ、データが伴っていない。【安倍晋三の逃げ方】東京五輪開催までに憲法を改正しなければと勇んでいたのが安倍晋三である。2017年5月3日、読売新聞の単独インタビューに答えた安倍首相は、「私はかねがね、半世紀ぶりに日本で五輪が開催される年を、未来を見据えながら日本か新しく生まれ変わる大きなきっかけにすべきだと申し上けてきた」などと、五輪と憲法改正をくっつけようとしていた。改めて読んでみると、意味が不明だ。意味が不明なのに、2020年までに憲法改正を、というニュースとして走らせたメディアの責任も大きい。なぜ、運動会を開く日までに校則を変える必要があるのだろう。その後、自身の身内優遇が招いた事案(森友・加計・桜を見る会)から逃げるように、首相の座を明け渡した。昨年3月、東京五輪の延期について、2年延期すべきではないかとの声を遮り、1年延期で、と切り出したのが安倍だったとされる。1年後、責任をとる立場に彼はいなかった。〔PHOTO〕Gettyimages 【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
職を辞してからも、「反対論者は開催時の感染リスクを主張するが、それは具体的なデータを伴わない、無責任な感情論に過ぎません」(「週刊ポスト」2021年1月15・22日号)と開催賛成の立場をとっているが、一斉に多くの外国人がやって来るという、コロナ禍で一度も体験したことのない状況が生まれるのに、感染するリスクは低い、とする主張こそ、データが伴っていない。【安倍晋三の逃げ方】東京五輪開催までに憲法を改正しなければと勇んでいたのが安倍晋三である。2017年5月3日、読売新聞の単独インタビューに答えた安倍首相は、「私はかねがね、半世紀ぶりに日本で五輪が開催される年を、未来を見据えながら日本か新しく生まれ変わる大きなきっかけにすべきだと申し上けてきた」などと、五輪と憲法改正をくっつけようとしていた。改めて読んでみると、意味が不明だ。意味が不明なのに、2020年までに憲法改正を、というニュースとして走らせたメディアの責任も大きい。なぜ、運動会を開く日までに校則を変える必要があるのだろう。その後、自身の身内優遇が招いた事案(森友・加計・桜を見る会)から逃げるように、首相の座を明け渡した。昨年3月、東京五輪の延期について、2年延期すべきではないかとの声を遮り、1年延期で、と切り出したのが安倍だったとされる。1年後、責任をとる立場に彼はいなかった。〔PHOTO〕Gettyimages 【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
【安倍晋三の逃げ方】東京五輪開催までに憲法を改正しなければと勇んでいたのが安倍晋三である。2017年5月3日、読売新聞の単独インタビューに答えた安倍首相は、「私はかねがね、半世紀ぶりに日本で五輪が開催される年を、未来を見据えながら日本か新しく生まれ変わる大きなきっかけにすべきだと申し上けてきた」などと、五輪と憲法改正をくっつけようとしていた。改めて読んでみると、意味が不明だ。意味が不明なのに、2020年までに憲法改正を、というニュースとして走らせたメディアの責任も大きい。なぜ、運動会を開く日までに校則を変える必要があるのだろう。その後、自身の身内優遇が招いた事案(森友・加計・桜を見る会)から逃げるように、首相の座を明け渡した。昨年3月、東京五輪の延期について、2年延期すべきではないかとの声を遮り、1年延期で、と切り出したのが安倍だったとされる。1年後、責任をとる立場に彼はいなかった。〔PHOTO〕Gettyimages 【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
東京五輪開催までに憲法を改正しなければと勇んでいたのが安倍晋三である。2017年5月3日、読売新聞の単独インタビューに答えた安倍首相は、「私はかねがね、半世紀ぶりに日本で五輪が開催される年を、未来を見据えながら日本か新しく生まれ変わる大きなきっかけにすべきだと申し上けてきた」などと、五輪と憲法改正をくっつけようとしていた。改めて読んでみると、意味が不明だ。意味が不明なのに、2020年までに憲法改正を、というニュースとして走らせたメディアの責任も大きい。なぜ、運動会を開く日までに校則を変える必要があるのだろう。その後、自身の身内優遇が招いた事案(森友・加計・桜を見る会)から逃げるように、首相の座を明け渡した。昨年3月、東京五輪の延期について、2年延期すべきではないかとの声を遮り、1年延期で、と切り出したのが安倍だったとされる。1年後、責任をとる立場に彼はいなかった。〔PHOTO〕Gettyimages 【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
「私はかねがね、半世紀ぶりに日本で五輪が開催される年を、未来を見据えながら日本か新しく生まれ変わる大きなきっかけにすべきだと申し上けてきた」などと、五輪と憲法改正をくっつけようとしていた。改めて読んでみると、意味が不明だ。意味が不明なのに、2020年までに憲法改正を、というニュースとして走らせたメディアの責任も大きい。なぜ、運動会を開く日までに校則を変える必要があるのだろう。その後、自身の身内優遇が招いた事案(森友・加計・桜を見る会)から逃げるように、首相の座を明け渡した。昨年3月、東京五輪の延期について、2年延期すべきではないかとの声を遮り、1年延期で、と切り出したのが安倍だったとされる。1年後、責任をとる立場に彼はいなかった。〔PHOTO〕Gettyimages 【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
などと、五輪と憲法改正をくっつけようとしていた。改めて読んでみると、意味が不明だ。意味が不明なのに、2020年までに憲法改正を、というニュースとして走らせたメディアの責任も大きい。なぜ、運動会を開く日までに校則を変える必要があるのだろう。その後、自身の身内優遇が招いた事案(森友・加計・桜を見る会)から逃げるように、首相の座を明け渡した。昨年3月、東京五輪の延期について、2年延期すべきではないかとの声を遮り、1年延期で、と切り出したのが安倍だったとされる。1年後、責任をとる立場に彼はいなかった。〔PHOTO〕Gettyimages 【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
改めて読んでみると、意味が不明だ。意味が不明なのに、2020年までに憲法改正を、というニュースとして走らせたメディアの責任も大きい。なぜ、運動会を開く日までに校則を変える必要があるのだろう。その後、自身の身内優遇が招いた事案(森友・加計・桜を見る会)から逃げるように、首相の座を明け渡した。昨年3月、東京五輪の延期について、2年延期すべきではないかとの声を遮り、1年延期で、と切り出したのが安倍だったとされる。1年後、責任をとる立場に彼はいなかった。〔PHOTO〕Gettyimages 【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
昨年3月、東京五輪の延期について、2年延期すべきではないかとの声を遮り、1年延期で、と切り出したのが安倍だったとされる。1年後、責任をとる立場に彼はいなかった。〔PHOTO〕Gettyimages 【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
〔PHOTO〕Gettyimages 【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
【森喜朗の逃げ方】森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
森喜朗が会長を辞するきっかけとなった言動の詳細については、さすがにまだ記憶に残っているだろうから、いちいちおさらいしない。ここで振り返っておきたいのは、彼の発言が問題視され、辞任を発表する会見の中で、「(自分の蔑視発言について)解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思います」と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
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と述べた事実だ。つまり、森喜朗は、形だけ反省した上で辞任した、のではなく、形さえも反省しないで、辞めたのである。自身の発言を省みることなく、急いで逃げたのだ。このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
このようにして、とにかく、みんな逃げたのだ。みんな逃げた後、急遽そのポストに押し込まれた人ばかりが並んでいる。菅義偉首相にしろ、橋本聖子大会組織委員会会長にしろ、実際のところ、こんな状態での東京五輪をどこまでやりたいと考えているのか、甚だ疑問である。「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
「選挙の追い風にしたい」「つつがなく終わらせたい」という彼らの願いは、逃げた人たちが持っていた「何が何でもやりたい」とは大きく異なるはず。無論、小池百合子都知事は、五輪の開催可否が政局の風向きにどう作用するかばかり考えているのだろう。元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
元五輪選手で政治学者のジュールズ・ボイコフが『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われる。つまり、先に紹介した「逃げた男たち」の言動などが、丸ごとなかったことにされる。そういう効果が五輪にはあるのだ。 新著『偉い人ほどすぐ逃げる』では、「五輪を止める」と題した章を設け、五輪周辺の“逃走癖”“ウォッシング”の姿勢をいくつも考察している。とにかくみんな逃げている。多くを隠している。いざ開催まで持ち込めば、選手の誰かが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。この国で巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。問題視される→逃げる→忘れてもらう、この流れが続く。次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。「偉い人ほどすぐ逃げる」、この5年の日本社会にある諸問題を振り返ったら、このスローガンからはみ出る事象がほとんどなかったのである。
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