「煙で人が焼けるとは」知らなかった火砕流の怖さ…悔い今も

「煙で人が焼けるとは考えもしなかった」。長崎県島原市の元消防士坂本梓さん(88)は、1991年6月3日の雲仙・普賢岳大火砕流が発生した際、消防団員や報道関係者らが巻き込まれた「定点」から1キロの場所にいた。数百度もある熱風や煙、砕け散った岩片が迫る。消防出張所の責任者だった自身は難を逃れたが、その怖さを知っていれば大惨事は防げたかもしれない、と今も悔やむ。
朝から空はぐずついていた。当時の懸案は土石流。定点から水無川を挟んで対岸の深江町大野木場地区(現南島原市)に隊員数人とポンプ車で警戒出動した。
午後4時8分。爆発音の後、ごう音が鳴り響く。「『ゴーッ』と、聞いたことがない音だった」。普賢岳の方向に煙が立ち上り、真っ黒い塊が大きくなりながら押し寄せてきた。初めて間近に見る火砕流だった。
マグマが形成した溶岩ドームの内部の火山ガスが爆発したり、ドーム崩壊でガスが噴き出したりして、岩片が時速100キロ超のスピードで駆け下る。この火砕流本体に加えて、高温のマグマや溶岩、ガスによって生じた熱風や煙がさらに広い範囲に影響を及ぼす。火砕流に対する認識は薄かった。それでも「直感で危ない、と身震いした」。
ポンプ車に飛び乗り、狭い田舎道を疾走。途中で見掛けた住民5人を車に押し込め、高台にある大野木場小に滑り込ませた。遅れてはだしで走ってきた全身血だらけの男性は、手配した救急車で病院まで搬送し一命を取り留めた。 その後も火砕流の勢いは止まらない。3カ月後の9月15日には大野木場地区ものみ込み、高台の小学校や多くの民家を焼いた。火砕流で恐ろしいのは「岩」ではなく、「火」をもたらす熱風や煙なのだと思い知らされた。 自然災害は多様だ。今では一般的になった「線状降水帯」や「湿舌」も当初は聞き慣れない珍しい言葉だった。30年前の「火砕流」もそうだった。「しっかりと学び、意味や危険を伝えることが大切」。自らの経験を振り返って、そう訴える。 (真弓一夫)
その後も火砕流の勢いは止まらない。3カ月後の9月15日には大野木場地区ものみ込み、高台の小学校や多くの民家を焼いた。火砕流で恐ろしいのは「岩」ではなく、「火」をもたらす熱風や煙なのだと思い知らされた。 自然災害は多様だ。今では一般的になった「線状降水帯」や「湿舌」も当初は聞き慣れない珍しい言葉だった。30年前の「火砕流」もそうだった。「しっかりと学び、意味や危険を伝えることが大切」。自らの経験を振り返って、そう訴える。 (真弓一夫)
自然災害は多様だ。今では一般的になった「線状降水帯」や「湿舌」も当初は聞き慣れない珍しい言葉だった。30年前の「火砕流」もそうだった。「しっかりと学び、意味や危険を伝えることが大切」。自らの経験を振り返って、そう訴える。 (真弓一夫)