一流大を卒業したのに3カ月で企業をクビになった女性が「女性間風俗店」を開業するまで

一流大学を卒業し、エリートとして新卒で企業に入社したはずなのに、心の病で3カ月でクビに――そんな世間の荒波の直撃を受けたある女性が、悩んだ末に選んだ次のフィールドは…なんと「女性間風俗」の世界。現在、「対話型レズ風俗 Relieve(リリーヴ)」を経営している橘みつさんが、自身のこれまでを振り返ります。(全2回の1回目/後編を読む)
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◆◆◆
わたし・橘みつは、大学を卒業した22歳から6年が経った今まで、他の同期よりも少し珍しい経歴を歩んできた。
偏差値69の大学から新卒でベンチャーへ入社し、3カ月後に解雇され、翌月からは銀座でホステスに転身した。その後は紆余曲折あり、現在は、対話に特化した女性間風俗(レズ風俗の俗称で知られている※)と、セクシュアリティについても気兼ねなく話してもらえるコーチングサービスを自ら営んでいる。
iStock.com わたしが対話に着目した仕事をすることになった経緯は、複雑な家庭環境に強く影響されている。不安定な家庭で身につけた振る舞い方は、大人になったときに多種多様な困難を与え、逆説的に対話の重要性を知る機会となり、共感力と洞察力という武器になってくれた。その過程を記したこの記事が、わたしのように周りにロールモデルが居なくて迷っている人や、どことなく満たされない・違和感のある日常に悩んでいる人に届くことを願っている。(※女性客の元に女性キャストが派遣される業態にはレズ風俗という呼び名が定着しているが、「レズ」という語が蔑称として使われてきた歴史と、レズビアン女性のみが利用/勤務しているわけではない現状があり、新たな呼称を求める声が高まっている。本稿では店名・書籍名を除き、業態を指す際には「女性間風俗」という語を使用する。)大人が何を求めているか察してしまった子供時代 他人の感じる「快/不快」の源を、あなたが慎重に辿ったのは何歳の頃だろうか。 空腹が苛立ちを引き起こしていたとか、散らかっている新聞が気になって話がおろそかになるとか、テレビの音量が大きすぎてドキドキするとか、そういう些細な日常の1つ1つがもたらす不愉快さを、自覚できないくせに影響されやすい性質の母のもとで わたしは育った。仕事を理由に家にほとんど居なかった父とはコミュニケーションが不足しがちで、会話するよりも主張をいきなり怒鳴られた印象のほうが強い。そんな家庭環境だからこそ、物心ついたときから、自分以外の大人が何に対して不快感を得ていて、どんな対応を言外に欲しているかを考えることが得意だった。 母と父との仲を仲裁したもっとも古い記憶は3歳ごろだ。「聞き分けのいい子」であることの代償は… 10歳になるころには、わたしは母が何に気を取られていて、どうサポートしてほしいのかを大まかに把握し、そのおかげで理不尽に怒鳴られることが少なくなった。親が爆発しないよう務めるばかりだったからか、子どもらしくわがままを言って泣き、聞き入れてもらうようなことはほぼ無かったらしい。聞き分けのいい子であることの代償か、 自分でも説明できないほど早くから精神を病んでいったように思う。 父親の「家庭外活動」も発覚して複雑を極める中、中学生の頃から精神的な不調は本格化し、大学生になるまでには日常生活に支障が出るほどになっていた。自傷癖、春に明るく冬に落ち込む精神状態、それと連動するように動かなくなる体。それでも自分と周囲をごまかしてなんとか生きていられたのは、日々の言動の責任を追及されにくい学生の身分だったからだろう。 若年層の精神を診られる医師と出逢えないまま騙しだまし生活を続けてきたが、社会人生活では無理も融通もきかず、試用期間満了の6月末で解雇されてしまう。限界を悟った瞬間だった。会社を出ていかねばならないほど決定的に何かが壊れているか欠けているのに、じぶんのことがさっぱり理解不能な生活がしばらく続いた。疲れ知らずだと感じているのに職場で何時間も眠ってしまった理由も、何一つわからなかった。下された診断は…「双極性障害型」 実は入社から間もなく、異変に気づいていたわたしは、会社近くの精神科に通院を始めていた。最初こそ、元から悩まされていた離人感に解離性障害の診断が下りただけだったが、解雇された後の秋口からはうつ症状がひどくなり、その結果、双極性障害型の診断名が下された。疲れを感じなかったのは躁状態の典型的な症状で、蓄積された身体疲労が日中の睡眠で回収されていたとのことだった。その反動で、トイレ以外は布団から動けないほど強烈なうつ状態に見舞われたらしい。十代からの春と冬の体調変動も、わたしの場合はこの病名で説明がつくと言われた。 そのとき、カウンセリングで初めて第三者を伴って幼少期の感情を振り返り、認知できていなかった自分の感覚を紐解いた。カウンセラー曰く、子どもらしく過ごせなかったからこそ「自分自身を納得させるロジック(=合理性にも近い理屈)を固めることが得意なタイプ」になったらしい。自分よりも親や周囲の人を優先してきた結果、自身の感情(好/嫌など)や感覚(疲れ/不快感など)を知覚しづらいことが問題を引き起こしているとのことだった。養育者に生死が握られているから本能的に頑張ってきたのに、自分が大人になってみたら自己管理ができていなくて他者に迷惑をかけているのか…と、やるせない気持ちになった。 会社を解雇後は夜の仕事へ 解雇直後、すぐに仕事が必要だった。何かと気を揉む実家に戻らねばならなくなることを何よりも恐れていたので、ゆっくり療養する暇などなかったが、3カ月で転職という履歴は採用を得るには見栄えが悪かった。何より、フルタイムで問題なく働ける体調にすぐ戻るはずもなく、まずは銀座のホステスとして当座の生活費を捻出することにした。少しでも体を休める時間を確保したかったから、短時間で高額が稼げる「夜の仕事」はありがたかった。数カ月働いたのち、「お触り」のひどさでホステスを辞め、どうせ触られるのならば、と風俗店の求人も視野に入れた矢先に見つけたのが、女性間風俗だ。『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』という名のエッセイ漫画がSNSを中心に話題となったのは、2016年の終わり頃だろうか。母親との接し方に難しさを感じている著者が女性間風俗に行ったら、人肌の温もりと抱きしめられる感覚で意外な気づきと癒しを得たという内容で、反響の大きさから、著者と同じような経験を期待した人の来店が増えそうだと感じた。そして、挫折と立ち直りの真っただ中に居る自分だからこそ、そのような深いところにある話を聞き、癒しの時間を作れるという自負が生まれた。すぐに情報を集め、入店希望を出した中でも、面接までスムーズに案内してくれたところに在籍を決めたのは、2017年5月のことだ。 一方では、昼間の仕事に戻る望みを捨てられずにいた。社員を目指して体調を何度も崩しては欠勤と退職を繰り返していたが、次第にフルタイム勤務がうまくできない理由が自分でも分かってきた。「不快の源」に過敏になってしまう… さまざまな「不快の源」に過敏になってしまうわたしには、職場の人が発する不穏さが耐えがたくつらい。言葉として形にされなくても、わたしに直接向けられたものでなくても、その人の視線、呼吸、語調や貧乏ゆすりまでの濃淡ある多種多様な負の感情が、フロア中から濁流のように押し寄せるのが感じられる。それらが実家での記憶を呼び起こさせるのか、相手を刺激しないように細心の注意を払って、ときに先回りして「相手の不快を和らげる行動」をしてしまう。素敵な上司や先輩に恵まれた職場でも、業務範囲を超えた気配りを毎日長時間していれば疲弊するのは当然で、やがては出社ができなくなってしまうのだ。 自分のことがわかっていないと、周囲に対して「これはできて、これは難しい。でもここまでなら可能だから、迷惑を減らせるようにこう対策したい」という擦り合わせができない。だから与えられた環境に順応できる日が来るはずだと信じて愚直に頑張り、「出来ない自分は甘えているに違いない」と自責してきた。しかし、カウンセリングによる自己理解とさまざまな職場での人との関わりが、一つずつ「甘えかもしれない」と感じる要素をつぶしてくれ、「“普通”に働けること」への固執からわたしを抜け出させてくれたのだ。2年かけてやっと、わたしは自分の「不可能性」に辿りついた。そして、それは自分ひとりで道を切り拓くことの覚悟を連れてきた。同時期に、在籍している女性間風俗の店長が、独立して店を出さないかと打診してきていたのは、必然だったのかもしれない。お客様の来店理由は“性”の迷いや悩み 再指名されることが多かったわたしは、お客様とどんな風に対峙しているのかをたびたび店長と話していた。たとえば、お客様の来店理由を聞くと、その7割ほどには“性”全般の迷いや悩みが含まれていること。風俗利用がまだ浸透していない女性に、詳細なプレイ内容や肌を露出した写真を載せて、「どれだけエロいことができるか」を打ち出す営業スタイルは、「自分がこの子を買うのだ」という搾取のような感覚が強く働いてしまって逆効果であるということ。欲望の自覚があっても素直に発散することには心理的なハードルがまだ高いから、「何かを改善する」「癒されたい」という望みを叶えるスタンスでいる方が、利用に繋がりやすいようだ、ということなどを伝えていた。 今でこそ、女性客を対象にする風俗店は、安心して利用できるような工夫に余念が無いが、2017年当時はそういう店は一部しかなかった。男性向け店舗の片手間に運営されていて、問い合わせてもまともな回答を貰えなかったとか、知らぬ間に閉店していたなどもザラ。件のレポ漫画がSNSで人気になったのと同時に、「レズ風俗」の呼び名でブームのように知られていき、新たな市場として風俗業界の中で徐々に見出されていったのが、この5年ほどの話である。“風俗っぽくない”から出会える人たち そんな経緯と背景から、自分の店を持つことになったときには「不安が払しょくされて、より利用しやすく感じる店」というコンセプトで、従来型の風俗店とは違うことをしようと考えた。まず代表である自分が最初から顔を出しているのは、「風俗っぽくなさ」を極めるのに必要だと思った。代表者の顔が出ていると、この店をどんな人が・何を考えて作ったのか、ちょっと上質な製品やサービスを選ぶときのように知ることができて、安心感につながるのではないかと考えた。 また、いちキャストとして働いていたときから重要だと感じていた、「利用のきっかけ」を30分もかけてヒアリングすることにした。性サービスの前座にしては長く、身の上を聞くには短いその30分間で、女性たちはさまざまな想いをまるで息を漏らすように細かく話してくれる。“この歳になっても”まだ処女だから婚活の障害になりそうで不安だとか、彼氏がいる女性を好きになってしまってつらいとか、性的な欲求がわかない・誰とも付き合いたくない自分を異常だと感じているとか…皆、快楽を得る以前に「性」や「愛」でがんじがらめにされていることを、初対面のわたし達に話す。「性」の話はナイーブで、日常的に関わる人に話すと心理的なコストを払ったり、暴露被害(アウティング)などのリスクになったりすることもある。そんな日常的な悩みと風俗利用という非日常との狭間で求められる絶妙なラインを体現する形で、「対話型レズ風俗 Relieve ~リリーヴ~」は誕生した。「センシティブな『性』の話題をいかにして話してもらうのか」  “女性間風俗”オーナーが語る「対話の場」の重要性 へ続く(橘 みつ)
わたしが対話に着目した仕事をすることになった経緯は、複雑な家庭環境に強く影響されている。不安定な家庭で身につけた振る舞い方は、大人になったときに多種多様な困難を与え、逆説的に対話の重要性を知る機会となり、共感力と洞察力という武器になってくれた。その過程を記したこの記事が、わたしのように周りにロールモデルが居なくて迷っている人や、どことなく満たされない・違和感のある日常に悩んでいる人に届くことを願っている。(※女性客の元に女性キャストが派遣される業態にはレズ風俗という呼び名が定着しているが、「レズ」という語が蔑称として使われてきた歴史と、レズビアン女性のみが利用/勤務しているわけではない現状があり、新たな呼称を求める声が高まっている。本稿では店名・書籍名を除き、業態を指す際には「女性間風俗」という語を使用する。)大人が何を求めているか察してしまった子供時代 他人の感じる「快/不快」の源を、あなたが慎重に辿ったのは何歳の頃だろうか。 空腹が苛立ちを引き起こしていたとか、散らかっている新聞が気になって話がおろそかになるとか、テレビの音量が大きすぎてドキドキするとか、そういう些細な日常の1つ1つがもたらす不愉快さを、自覚できないくせに影響されやすい性質の母のもとで わたしは育った。仕事を理由に家にほとんど居なかった父とはコミュニケーションが不足しがちで、会話するよりも主張をいきなり怒鳴られた印象のほうが強い。そんな家庭環境だからこそ、物心ついたときから、自分以外の大人が何に対して不快感を得ていて、どんな対応を言外に欲しているかを考えることが得意だった。 母と父との仲を仲裁したもっとも古い記憶は3歳ごろだ。「聞き分けのいい子」であることの代償は… 10歳になるころには、わたしは母が何に気を取られていて、どうサポートしてほしいのかを大まかに把握し、そのおかげで理不尽に怒鳴られることが少なくなった。親が爆発しないよう務めるばかりだったからか、子どもらしくわがままを言って泣き、聞き入れてもらうようなことはほぼ無かったらしい。聞き分けのいい子であることの代償か、 自分でも説明できないほど早くから精神を病んでいったように思う。 父親の「家庭外活動」も発覚して複雑を極める中、中学生の頃から精神的な不調は本格化し、大学生になるまでには日常生活に支障が出るほどになっていた。自傷癖、春に明るく冬に落ち込む精神状態、それと連動するように動かなくなる体。それでも自分と周囲をごまかしてなんとか生きていられたのは、日々の言動の責任を追及されにくい学生の身分だったからだろう。 若年層の精神を診られる医師と出逢えないまま騙しだまし生活を続けてきたが、社会人生活では無理も融通もきかず、試用期間満了の6月末で解雇されてしまう。限界を悟った瞬間だった。会社を出ていかねばならないほど決定的に何かが壊れているか欠けているのに、じぶんのことがさっぱり理解不能な生活がしばらく続いた。疲れ知らずだと感じているのに職場で何時間も眠ってしまった理由も、何一つわからなかった。下された診断は…「双極性障害型」 実は入社から間もなく、異変に気づいていたわたしは、会社近くの精神科に通院を始めていた。最初こそ、元から悩まされていた離人感に解離性障害の診断が下りただけだったが、解雇された後の秋口からはうつ症状がひどくなり、その結果、双極性障害型の診断名が下された。疲れを感じなかったのは躁状態の典型的な症状で、蓄積された身体疲労が日中の睡眠で回収されていたとのことだった。その反動で、トイレ以外は布団から動けないほど強烈なうつ状態に見舞われたらしい。十代からの春と冬の体調変動も、わたしの場合はこの病名で説明がつくと言われた。 そのとき、カウンセリングで初めて第三者を伴って幼少期の感情を振り返り、認知できていなかった自分の感覚を紐解いた。カウンセラー曰く、子どもらしく過ごせなかったからこそ「自分自身を納得させるロジック(=合理性にも近い理屈)を固めることが得意なタイプ」になったらしい。自分よりも親や周囲の人を優先してきた結果、自身の感情(好/嫌など)や感覚(疲れ/不快感など)を知覚しづらいことが問題を引き起こしているとのことだった。養育者に生死が握られているから本能的に頑張ってきたのに、自分が大人になってみたら自己管理ができていなくて他者に迷惑をかけているのか…と、やるせない気持ちになった。 会社を解雇後は夜の仕事へ 解雇直後、すぐに仕事が必要だった。何かと気を揉む実家に戻らねばならなくなることを何よりも恐れていたので、ゆっくり療養する暇などなかったが、3カ月で転職という履歴は採用を得るには見栄えが悪かった。何より、フルタイムで問題なく働ける体調にすぐ戻るはずもなく、まずは銀座のホステスとして当座の生活費を捻出することにした。少しでも体を休める時間を確保したかったから、短時間で高額が稼げる「夜の仕事」はありがたかった。数カ月働いたのち、「お触り」のひどさでホステスを辞め、どうせ触られるのならば、と風俗店の求人も視野に入れた矢先に見つけたのが、女性間風俗だ。『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』という名のエッセイ漫画がSNSを中心に話題となったのは、2016年の終わり頃だろうか。母親との接し方に難しさを感じている著者が女性間風俗に行ったら、人肌の温もりと抱きしめられる感覚で意外な気づきと癒しを得たという内容で、反響の大きさから、著者と同じような経験を期待した人の来店が増えそうだと感じた。そして、挫折と立ち直りの真っただ中に居る自分だからこそ、そのような深いところにある話を聞き、癒しの時間を作れるという自負が生まれた。すぐに情報を集め、入店希望を出した中でも、面接までスムーズに案内してくれたところに在籍を決めたのは、2017年5月のことだ。 一方では、昼間の仕事に戻る望みを捨てられずにいた。社員を目指して体調を何度も崩しては欠勤と退職を繰り返していたが、次第にフルタイム勤務がうまくできない理由が自分でも分かってきた。「不快の源」に過敏になってしまう… さまざまな「不快の源」に過敏になってしまうわたしには、職場の人が発する不穏さが耐えがたくつらい。言葉として形にされなくても、わたしに直接向けられたものでなくても、その人の視線、呼吸、語調や貧乏ゆすりまでの濃淡ある多種多様な負の感情が、フロア中から濁流のように押し寄せるのが感じられる。それらが実家での記憶を呼び起こさせるのか、相手を刺激しないように細心の注意を払って、ときに先回りして「相手の不快を和らげる行動」をしてしまう。素敵な上司や先輩に恵まれた職場でも、業務範囲を超えた気配りを毎日長時間していれば疲弊するのは当然で、やがては出社ができなくなってしまうのだ。 自分のことがわかっていないと、周囲に対して「これはできて、これは難しい。でもここまでなら可能だから、迷惑を減らせるようにこう対策したい」という擦り合わせができない。だから与えられた環境に順応できる日が来るはずだと信じて愚直に頑張り、「出来ない自分は甘えているに違いない」と自責してきた。しかし、カウンセリングによる自己理解とさまざまな職場での人との関わりが、一つずつ「甘えかもしれない」と感じる要素をつぶしてくれ、「“普通”に働けること」への固執からわたしを抜け出させてくれたのだ。2年かけてやっと、わたしは自分の「不可能性」に辿りついた。そして、それは自分ひとりで道を切り拓くことの覚悟を連れてきた。同時期に、在籍している女性間風俗の店長が、独立して店を出さないかと打診してきていたのは、必然だったのかもしれない。お客様の来店理由は“性”の迷いや悩み 再指名されることが多かったわたしは、お客様とどんな風に対峙しているのかをたびたび店長と話していた。たとえば、お客様の来店理由を聞くと、その7割ほどには“性”全般の迷いや悩みが含まれていること。風俗利用がまだ浸透していない女性に、詳細なプレイ内容や肌を露出した写真を載せて、「どれだけエロいことができるか」を打ち出す営業スタイルは、「自分がこの子を買うのだ」という搾取のような感覚が強く働いてしまって逆効果であるということ。欲望の自覚があっても素直に発散することには心理的なハードルがまだ高いから、「何かを改善する」「癒されたい」という望みを叶えるスタンスでいる方が、利用に繋がりやすいようだ、ということなどを伝えていた。 今でこそ、女性客を対象にする風俗店は、安心して利用できるような工夫に余念が無いが、2017年当時はそういう店は一部しかなかった。男性向け店舗の片手間に運営されていて、問い合わせてもまともな回答を貰えなかったとか、知らぬ間に閉店していたなどもザラ。件のレポ漫画がSNSで人気になったのと同時に、「レズ風俗」の呼び名でブームのように知られていき、新たな市場として風俗業界の中で徐々に見出されていったのが、この5年ほどの話である。“風俗っぽくない”から出会える人たち そんな経緯と背景から、自分の店を持つことになったときには「不安が払しょくされて、より利用しやすく感じる店」というコンセプトで、従来型の風俗店とは違うことをしようと考えた。まず代表である自分が最初から顔を出しているのは、「風俗っぽくなさ」を極めるのに必要だと思った。代表者の顔が出ていると、この店をどんな人が・何を考えて作ったのか、ちょっと上質な製品やサービスを選ぶときのように知ることができて、安心感につながるのではないかと考えた。 また、いちキャストとして働いていたときから重要だと感じていた、「利用のきっかけ」を30分もかけてヒアリングすることにした。性サービスの前座にしては長く、身の上を聞くには短いその30分間で、女性たちはさまざまな想いをまるで息を漏らすように細かく話してくれる。“この歳になっても”まだ処女だから婚活の障害になりそうで不安だとか、彼氏がいる女性を好きになってしまってつらいとか、性的な欲求がわかない・誰とも付き合いたくない自分を異常だと感じているとか…皆、快楽を得る以前に「性」や「愛」でがんじがらめにされていることを、初対面のわたし達に話す。「性」の話はナイーブで、日常的に関わる人に話すと心理的なコストを払ったり、暴露被害(アウティング)などのリスクになったりすることもある。そんな日常的な悩みと風俗利用という非日常との狭間で求められる絶妙なラインを体現する形で、「対話型レズ風俗 Relieve ~リリーヴ~」は誕生した。「センシティブな『性』の話題をいかにして話してもらうのか」  “女性間風俗”オーナーが語る「対話の場」の重要性 へ続く(橘 みつ)
(※女性客の元に女性キャストが派遣される業態にはレズ風俗という呼び名が定着しているが、「レズ」という語が蔑称として使われてきた歴史と、レズビアン女性のみが利用/勤務しているわけではない現状があり、新たな呼称を求める声が高まっている。本稿では店名・書籍名を除き、業態を指す際には「女性間風俗」という語を使用する。)大人が何を求めているか察してしまった子供時代 他人の感じる「快/不快」の源を、あなたが慎重に辿ったのは何歳の頃だろうか。 空腹が苛立ちを引き起こしていたとか、散らかっている新聞が気になって話がおろそかになるとか、テレビの音量が大きすぎてドキドキするとか、そういう些細な日常の1つ1つがもたらす不愉快さを、自覚できないくせに影響されやすい性質の母のもとで わたしは育った。仕事を理由に家にほとんど居なかった父とはコミュニケーションが不足しがちで、会話するよりも主張をいきなり怒鳴られた印象のほうが強い。そんな家庭環境だからこそ、物心ついたときから、自分以外の大人が何に対して不快感を得ていて、どんな対応を言外に欲しているかを考えることが得意だった。 母と父との仲を仲裁したもっとも古い記憶は3歳ごろだ。「聞き分けのいい子」であることの代償は… 10歳になるころには、わたしは母が何に気を取られていて、どうサポートしてほしいのかを大まかに把握し、そのおかげで理不尽に怒鳴られることが少なくなった。親が爆発しないよう務めるばかりだったからか、子どもらしくわがままを言って泣き、聞き入れてもらうようなことはほぼ無かったらしい。聞き分けのいい子であることの代償か、 自分でも説明できないほど早くから精神を病んでいったように思う。 父親の「家庭外活動」も発覚して複雑を極める中、中学生の頃から精神的な不調は本格化し、大学生になるまでには日常生活に支障が出るほどになっていた。自傷癖、春に明るく冬に落ち込む精神状態、それと連動するように動かなくなる体。それでも自分と周囲をごまかしてなんとか生きていられたのは、日々の言動の責任を追及されにくい学生の身分だったからだろう。 若年層の精神を診られる医師と出逢えないまま騙しだまし生活を続けてきたが、社会人生活では無理も融通もきかず、試用期間満了の6月末で解雇されてしまう。限界を悟った瞬間だった。会社を出ていかねばならないほど決定的に何かが壊れているか欠けているのに、じぶんのことがさっぱり理解不能な生活がしばらく続いた。疲れ知らずだと感じているのに職場で何時間も眠ってしまった理由も、何一つわからなかった。下された診断は…「双極性障害型」 実は入社から間もなく、異変に気づいていたわたしは、会社近くの精神科に通院を始めていた。最初こそ、元から悩まされていた離人感に解離性障害の診断が下りただけだったが、解雇された後の秋口からはうつ症状がひどくなり、その結果、双極性障害型の診断名が下された。疲れを感じなかったのは躁状態の典型的な症状で、蓄積された身体疲労が日中の睡眠で回収されていたとのことだった。その反動で、トイレ以外は布団から動けないほど強烈なうつ状態に見舞われたらしい。十代からの春と冬の体調変動も、わたしの場合はこの病名で説明がつくと言われた。 そのとき、カウンセリングで初めて第三者を伴って幼少期の感情を振り返り、認知できていなかった自分の感覚を紐解いた。カウンセラー曰く、子どもらしく過ごせなかったからこそ「自分自身を納得させるロジック(=合理性にも近い理屈)を固めることが得意なタイプ」になったらしい。自分よりも親や周囲の人を優先してきた結果、自身の感情(好/嫌など)や感覚(疲れ/不快感など)を知覚しづらいことが問題を引き起こしているとのことだった。養育者に生死が握られているから本能的に頑張ってきたのに、自分が大人になってみたら自己管理ができていなくて他者に迷惑をかけているのか…と、やるせない気持ちになった。 会社を解雇後は夜の仕事へ 解雇直後、すぐに仕事が必要だった。何かと気を揉む実家に戻らねばならなくなることを何よりも恐れていたので、ゆっくり療養する暇などなかったが、3カ月で転職という履歴は採用を得るには見栄えが悪かった。何より、フルタイムで問題なく働ける体調にすぐ戻るはずもなく、まずは銀座のホステスとして当座の生活費を捻出することにした。少しでも体を休める時間を確保したかったから、短時間で高額が稼げる「夜の仕事」はありがたかった。数カ月働いたのち、「お触り」のひどさでホステスを辞め、どうせ触られるのならば、と風俗店の求人も視野に入れた矢先に見つけたのが、女性間風俗だ。『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』という名のエッセイ漫画がSNSを中心に話題となったのは、2016年の終わり頃だろうか。母親との接し方に難しさを感じている著者が女性間風俗に行ったら、人肌の温もりと抱きしめられる感覚で意外な気づきと癒しを得たという内容で、反響の大きさから、著者と同じような経験を期待した人の来店が増えそうだと感じた。そして、挫折と立ち直りの真っただ中に居る自分だからこそ、そのような深いところにある話を聞き、癒しの時間を作れるという自負が生まれた。すぐに情報を集め、入店希望を出した中でも、面接までスムーズに案内してくれたところに在籍を決めたのは、2017年5月のことだ。 一方では、昼間の仕事に戻る望みを捨てられずにいた。社員を目指して体調を何度も崩しては欠勤と退職を繰り返していたが、次第にフルタイム勤務がうまくできない理由が自分でも分かってきた。「不快の源」に過敏になってしまう… さまざまな「不快の源」に過敏になってしまうわたしには、職場の人が発する不穏さが耐えがたくつらい。言葉として形にされなくても、わたしに直接向けられたものでなくても、その人の視線、呼吸、語調や貧乏ゆすりまでの濃淡ある多種多様な負の感情が、フロア中から濁流のように押し寄せるのが感じられる。それらが実家での記憶を呼び起こさせるのか、相手を刺激しないように細心の注意を払って、ときに先回りして「相手の不快を和らげる行動」をしてしまう。素敵な上司や先輩に恵まれた職場でも、業務範囲を超えた気配りを毎日長時間していれば疲弊するのは当然で、やがては出社ができなくなってしまうのだ。 自分のことがわかっていないと、周囲に対して「これはできて、これは難しい。でもここまでなら可能だから、迷惑を減らせるようにこう対策したい」という擦り合わせができない。だから与えられた環境に順応できる日が来るはずだと信じて愚直に頑張り、「出来ない自分は甘えているに違いない」と自責してきた。しかし、カウンセリングによる自己理解とさまざまな職場での人との関わりが、一つずつ「甘えかもしれない」と感じる要素をつぶしてくれ、「“普通”に働けること」への固執からわたしを抜け出させてくれたのだ。2年かけてやっと、わたしは自分の「不可能性」に辿りついた。そして、それは自分ひとりで道を切り拓くことの覚悟を連れてきた。同時期に、在籍している女性間風俗の店長が、独立して店を出さないかと打診してきていたのは、必然だったのかもしれない。お客様の来店理由は“性”の迷いや悩み 再指名されることが多かったわたしは、お客様とどんな風に対峙しているのかをたびたび店長と話していた。たとえば、お客様の来店理由を聞くと、その7割ほどには“性”全般の迷いや悩みが含まれていること。風俗利用がまだ浸透していない女性に、詳細なプレイ内容や肌を露出した写真を載せて、「どれだけエロいことができるか」を打ち出す営業スタイルは、「自分がこの子を買うのだ」という搾取のような感覚が強く働いてしまって逆効果であるということ。欲望の自覚があっても素直に発散することには心理的なハードルがまだ高いから、「何かを改善する」「癒されたい」という望みを叶えるスタンスでいる方が、利用に繋がりやすいようだ、ということなどを伝えていた。 今でこそ、女性客を対象にする風俗店は、安心して利用できるような工夫に余念が無いが、2017年当時はそういう店は一部しかなかった。男性向け店舗の片手間に運営されていて、問い合わせてもまともな回答を貰えなかったとか、知らぬ間に閉店していたなどもザラ。件のレポ漫画がSNSで人気になったのと同時に、「レズ風俗」の呼び名でブームのように知られていき、新たな市場として風俗業界の中で徐々に見出されていったのが、この5年ほどの話である。“風俗っぽくない”から出会える人たち そんな経緯と背景から、自分の店を持つことになったときには「不安が払しょくされて、より利用しやすく感じる店」というコンセプトで、従来型の風俗店とは違うことをしようと考えた。まず代表である自分が最初から顔を出しているのは、「風俗っぽくなさ」を極めるのに必要だと思った。代表者の顔が出ていると、この店をどんな人が・何を考えて作ったのか、ちょっと上質な製品やサービスを選ぶときのように知ることができて、安心感につながるのではないかと考えた。 また、いちキャストとして働いていたときから重要だと感じていた、「利用のきっかけ」を30分もかけてヒアリングすることにした。性サービスの前座にしては長く、身の上を聞くには短いその30分間で、女性たちはさまざまな想いをまるで息を漏らすように細かく話してくれる。“この歳になっても”まだ処女だから婚活の障害になりそうで不安だとか、彼氏がいる女性を好きになってしまってつらいとか、性的な欲求がわかない・誰とも付き合いたくない自分を異常だと感じているとか…皆、快楽を得る以前に「性」や「愛」でがんじがらめにされていることを、初対面のわたし達に話す。「性」の話はナイーブで、日常的に関わる人に話すと心理的なコストを払ったり、暴露被害(アウティング)などのリスクになったりすることもある。そんな日常的な悩みと風俗利用という非日常との狭間で求められる絶妙なラインを体現する形で、「対話型レズ風俗 Relieve ~リリーヴ~」は誕生した。「センシティブな『性』の話題をいかにして話してもらうのか」  “女性間風俗”オーナーが語る「対話の場」の重要性 へ続く(橘 みつ)
大人が何を求めているか察してしまった子供時代 他人の感じる「快/不快」の源を、あなたが慎重に辿ったのは何歳の頃だろうか。 空腹が苛立ちを引き起こしていたとか、散らかっている新聞が気になって話がおろそかになるとか、テレビの音量が大きすぎてドキドキするとか、そういう些細な日常の1つ1つがもたらす不愉快さを、自覚できないくせに影響されやすい性質の母のもとで わたしは育った。仕事を理由に家にほとんど居なかった父とはコミュニケーションが不足しがちで、会話するよりも主張をいきなり怒鳴られた印象のほうが強い。そんな家庭環境だからこそ、物心ついたときから、自分以外の大人が何に対して不快感を得ていて、どんな対応を言外に欲しているかを考えることが得意だった。 母と父との仲を仲裁したもっとも古い記憶は3歳ごろだ。「聞き分けのいい子」であることの代償は… 10歳になるころには、わたしは母が何に気を取られていて、どうサポートしてほしいのかを大まかに把握し、そのおかげで理不尽に怒鳴られることが少なくなった。親が爆発しないよう務めるばかりだったからか、子どもらしくわがままを言って泣き、聞き入れてもらうようなことはほぼ無かったらしい。聞き分けのいい子であることの代償か、 自分でも説明できないほど早くから精神を病んでいったように思う。 父親の「家庭外活動」も発覚して複雑を極める中、中学生の頃から精神的な不調は本格化し、大学生になるまでには日常生活に支障が出るほどになっていた。自傷癖、春に明るく冬に落ち込む精神状態、それと連動するように動かなくなる体。それでも自分と周囲をごまかしてなんとか生きていられたのは、日々の言動の責任を追及されにくい学生の身分だったからだろう。 若年層の精神を診られる医師と出逢えないまま騙しだまし生活を続けてきたが、社会人生活では無理も融通もきかず、試用期間満了の6月末で解雇されてしまう。限界を悟った瞬間だった。会社を出ていかねばならないほど決定的に何かが壊れているか欠けているのに、じぶんのことがさっぱり理解不能な生活がしばらく続いた。疲れ知らずだと感じているのに職場で何時間も眠ってしまった理由も、何一つわからなかった。下された診断は…「双極性障害型」 実は入社から間もなく、異変に気づいていたわたしは、会社近くの精神科に通院を始めていた。最初こそ、元から悩まされていた離人感に解離性障害の診断が下りただけだったが、解雇された後の秋口からはうつ症状がひどくなり、その結果、双極性障害型の診断名が下された。疲れを感じなかったのは躁状態の典型的な症状で、蓄積された身体疲労が日中の睡眠で回収されていたとのことだった。その反動で、トイレ以外は布団から動けないほど強烈なうつ状態に見舞われたらしい。十代からの春と冬の体調変動も、わたしの場合はこの病名で説明がつくと言われた。 そのとき、カウンセリングで初めて第三者を伴って幼少期の感情を振り返り、認知できていなかった自分の感覚を紐解いた。カウンセラー曰く、子どもらしく過ごせなかったからこそ「自分自身を納得させるロジック(=合理性にも近い理屈)を固めることが得意なタイプ」になったらしい。自分よりも親や周囲の人を優先してきた結果、自身の感情(好/嫌など)や感覚(疲れ/不快感など)を知覚しづらいことが問題を引き起こしているとのことだった。養育者に生死が握られているから本能的に頑張ってきたのに、自分が大人になってみたら自己管理ができていなくて他者に迷惑をかけているのか…と、やるせない気持ちになった。 会社を解雇後は夜の仕事へ 解雇直後、すぐに仕事が必要だった。何かと気を揉む実家に戻らねばならなくなることを何よりも恐れていたので、ゆっくり療養する暇などなかったが、3カ月で転職という履歴は採用を得るには見栄えが悪かった。何より、フルタイムで問題なく働ける体調にすぐ戻るはずもなく、まずは銀座のホステスとして当座の生活費を捻出することにした。少しでも体を休める時間を確保したかったから、短時間で高額が稼げる「夜の仕事」はありがたかった。数カ月働いたのち、「お触り」のひどさでホステスを辞め、どうせ触られるのならば、と風俗店の求人も視野に入れた矢先に見つけたのが、女性間風俗だ。『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』という名のエッセイ漫画がSNSを中心に話題となったのは、2016年の終わり頃だろうか。母親との接し方に難しさを感じている著者が女性間風俗に行ったら、人肌の温もりと抱きしめられる感覚で意外な気づきと癒しを得たという内容で、反響の大きさから、著者と同じような経験を期待した人の来店が増えそうだと感じた。そして、挫折と立ち直りの真っただ中に居る自分だからこそ、そのような深いところにある話を聞き、癒しの時間を作れるという自負が生まれた。すぐに情報を集め、入店希望を出した中でも、面接までスムーズに案内してくれたところに在籍を決めたのは、2017年5月のことだ。 一方では、昼間の仕事に戻る望みを捨てられずにいた。社員を目指して体調を何度も崩しては欠勤と退職を繰り返していたが、次第にフルタイム勤務がうまくできない理由が自分でも分かってきた。「不快の源」に過敏になってしまう… さまざまな「不快の源」に過敏になってしまうわたしには、職場の人が発する不穏さが耐えがたくつらい。言葉として形にされなくても、わたしに直接向けられたものでなくても、その人の視線、呼吸、語調や貧乏ゆすりまでの濃淡ある多種多様な負の感情が、フロア中から濁流のように押し寄せるのが感じられる。それらが実家での記憶を呼び起こさせるのか、相手を刺激しないように細心の注意を払って、ときに先回りして「相手の不快を和らげる行動」をしてしまう。素敵な上司や先輩に恵まれた職場でも、業務範囲を超えた気配りを毎日長時間していれば疲弊するのは当然で、やがては出社ができなくなってしまうのだ。 自分のことがわかっていないと、周囲に対して「これはできて、これは難しい。でもここまでなら可能だから、迷惑を減らせるようにこう対策したい」という擦り合わせができない。だから与えられた環境に順応できる日が来るはずだと信じて愚直に頑張り、「出来ない自分は甘えているに違いない」と自責してきた。しかし、カウンセリングによる自己理解とさまざまな職場での人との関わりが、一つずつ「甘えかもしれない」と感じる要素をつぶしてくれ、「“普通”に働けること」への固執からわたしを抜け出させてくれたのだ。2年かけてやっと、わたしは自分の「不可能性」に辿りついた。そして、それは自分ひとりで道を切り拓くことの覚悟を連れてきた。同時期に、在籍している女性間風俗の店長が、独立して店を出さないかと打診してきていたのは、必然だったのかもしれない。お客様の来店理由は“性”の迷いや悩み 再指名されることが多かったわたしは、お客様とどんな風に対峙しているのかをたびたび店長と話していた。たとえば、お客様の来店理由を聞くと、その7割ほどには“性”全般の迷いや悩みが含まれていること。風俗利用がまだ浸透していない女性に、詳細なプレイ内容や肌を露出した写真を載せて、「どれだけエロいことができるか」を打ち出す営業スタイルは、「自分がこの子を買うのだ」という搾取のような感覚が強く働いてしまって逆効果であるということ。欲望の自覚があっても素直に発散することには心理的なハードルがまだ高いから、「何かを改善する」「癒されたい」という望みを叶えるスタンスでいる方が、利用に繋がりやすいようだ、ということなどを伝えていた。 今でこそ、女性客を対象にする風俗店は、安心して利用できるような工夫に余念が無いが、2017年当時はそういう店は一部しかなかった。男性向け店舗の片手間に運営されていて、問い合わせてもまともな回答を貰えなかったとか、知らぬ間に閉店していたなどもザラ。件のレポ漫画がSNSで人気になったのと同時に、「レズ風俗」の呼び名でブームのように知られていき、新たな市場として風俗業界の中で徐々に見出されていったのが、この5年ほどの話である。“風俗っぽくない”から出会える人たち そんな経緯と背景から、自分の店を持つことになったときには「不安が払しょくされて、より利用しやすく感じる店」というコンセプトで、従来型の風俗店とは違うことをしようと考えた。まず代表である自分が最初から顔を出しているのは、「風俗っぽくなさ」を極めるのに必要だと思った。代表者の顔が出ていると、この店をどんな人が・何を考えて作ったのか、ちょっと上質な製品やサービスを選ぶときのように知ることができて、安心感につながるのではないかと考えた。 また、いちキャストとして働いていたときから重要だと感じていた、「利用のきっかけ」を30分もかけてヒアリングすることにした。性サービスの前座にしては長く、身の上を聞くには短いその30分間で、女性たちはさまざまな想いをまるで息を漏らすように細かく話してくれる。“この歳になっても”まだ処女だから婚活の障害になりそうで不安だとか、彼氏がいる女性を好きになってしまってつらいとか、性的な欲求がわかない・誰とも付き合いたくない自分を異常だと感じているとか…皆、快楽を得る以前に「性」や「愛」でがんじがらめにされていることを、初対面のわたし達に話す。「性」の話はナイーブで、日常的に関わる人に話すと心理的なコストを払ったり、暴露被害(アウティング)などのリスクになったりすることもある。そんな日常的な悩みと風俗利用という非日常との狭間で求められる絶妙なラインを体現する形で、「対話型レズ風俗 Relieve ~リリーヴ~」は誕生した。「センシティブな『性』の話題をいかにして話してもらうのか」  “女性間風俗”オーナーが語る「対話の場」の重要性 へ続く(橘 みつ)
他人の感じる「快/不快」の源を、あなたが慎重に辿ったのは何歳の頃だろうか。 空腹が苛立ちを引き起こしていたとか、散らかっている新聞が気になって話がおろそかになるとか、テレビの音量が大きすぎてドキドキするとか、そういう些細な日常の1つ1つがもたらす不愉快さを、自覚できないくせに影響されやすい性質の母のもとで わたしは育った。仕事を理由に家にほとんど居なかった父とはコミュニケーションが不足しがちで、会話するよりも主張をいきなり怒鳴られた印象のほうが強い。そんな家庭環境だからこそ、物心ついたときから、自分以外の大人が何に対して不快感を得ていて、どんな対応を言外に欲しているかを考えることが得意だった。 母と父との仲を仲裁したもっとも古い記憶は3歳ごろだ。「聞き分けのいい子」であることの代償は… 10歳になるころには、わたしは母が何に気を取られていて、どうサポートしてほしいのかを大まかに把握し、そのおかげで理不尽に怒鳴られることが少なくなった。親が爆発しないよう務めるばかりだったからか、子どもらしくわがままを言って泣き、聞き入れてもらうようなことはほぼ無かったらしい。聞き分けのいい子であることの代償か、 自分でも説明できないほど早くから精神を病んでいったように思う。 父親の「家庭外活動」も発覚して複雑を極める中、中学生の頃から精神的な不調は本格化し、大学生になるまでには日常生活に支障が出るほどになっていた。自傷癖、春に明るく冬に落ち込む精神状態、それと連動するように動かなくなる体。それでも自分と周囲をごまかしてなんとか生きていられたのは、日々の言動の責任を追及されにくい学生の身分だったからだろう。 若年層の精神を診られる医師と出逢えないまま騙しだまし生活を続けてきたが、社会人生活では無理も融通もきかず、試用期間満了の6月末で解雇されてしまう。限界を悟った瞬間だった。会社を出ていかねばならないほど決定的に何かが壊れているか欠けているのに、じぶんのことがさっぱり理解不能な生活がしばらく続いた。疲れ知らずだと感じているのに職場で何時間も眠ってしまった理由も、何一つわからなかった。下された診断は…「双極性障害型」 実は入社から間もなく、異変に気づいていたわたしは、会社近くの精神科に通院を始めていた。最初こそ、元から悩まされていた離人感に解離性障害の診断が下りただけだったが、解雇された後の秋口からはうつ症状がひどくなり、その結果、双極性障害型の診断名が下された。疲れを感じなかったのは躁状態の典型的な症状で、蓄積された身体疲労が日中の睡眠で回収されていたとのことだった。その反動で、トイレ以外は布団から動けないほど強烈なうつ状態に見舞われたらしい。十代からの春と冬の体調変動も、わたしの場合はこの病名で説明がつくと言われた。 そのとき、カウンセリングで初めて第三者を伴って幼少期の感情を振り返り、認知できていなかった自分の感覚を紐解いた。カウンセラー曰く、子どもらしく過ごせなかったからこそ「自分自身を納得させるロジック(=合理性にも近い理屈)を固めることが得意なタイプ」になったらしい。自分よりも親や周囲の人を優先してきた結果、自身の感情(好/嫌など)や感覚(疲れ/不快感など)を知覚しづらいことが問題を引き起こしているとのことだった。養育者に生死が握られているから本能的に頑張ってきたのに、自分が大人になってみたら自己管理ができていなくて他者に迷惑をかけているのか…と、やるせない気持ちになった。 会社を解雇後は夜の仕事へ 解雇直後、すぐに仕事が必要だった。何かと気を揉む実家に戻らねばならなくなることを何よりも恐れていたので、ゆっくり療養する暇などなかったが、3カ月で転職という履歴は採用を得るには見栄えが悪かった。何より、フルタイムで問題なく働ける体調にすぐ戻るはずもなく、まずは銀座のホステスとして当座の生活費を捻出することにした。少しでも体を休める時間を確保したかったから、短時間で高額が稼げる「夜の仕事」はありがたかった。数カ月働いたのち、「お触り」のひどさでホステスを辞め、どうせ触られるのならば、と風俗店の求人も視野に入れた矢先に見つけたのが、女性間風俗だ。『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』という名のエッセイ漫画がSNSを中心に話題となったのは、2016年の終わり頃だろうか。母親との接し方に難しさを感じている著者が女性間風俗に行ったら、人肌の温もりと抱きしめられる感覚で意外な気づきと癒しを得たという内容で、反響の大きさから、著者と同じような経験を期待した人の来店が増えそうだと感じた。そして、挫折と立ち直りの真っただ中に居る自分だからこそ、そのような深いところにある話を聞き、癒しの時間を作れるという自負が生まれた。すぐに情報を集め、入店希望を出した中でも、面接までスムーズに案内してくれたところに在籍を決めたのは、2017年5月のことだ。 一方では、昼間の仕事に戻る望みを捨てられずにいた。社員を目指して体調を何度も崩しては欠勤と退職を繰り返していたが、次第にフルタイム勤務がうまくできない理由が自分でも分かってきた。「不快の源」に過敏になってしまう… さまざまな「不快の源」に過敏になってしまうわたしには、職場の人が発する不穏さが耐えがたくつらい。言葉として形にされなくても、わたしに直接向けられたものでなくても、その人の視線、呼吸、語調や貧乏ゆすりまでの濃淡ある多種多様な負の感情が、フロア中から濁流のように押し寄せるのが感じられる。それらが実家での記憶を呼び起こさせるのか、相手を刺激しないように細心の注意を払って、ときに先回りして「相手の不快を和らげる行動」をしてしまう。素敵な上司や先輩に恵まれた職場でも、業務範囲を超えた気配りを毎日長時間していれば疲弊するのは当然で、やがては出社ができなくなってしまうのだ。 自分のことがわかっていないと、周囲に対して「これはできて、これは難しい。でもここまでなら可能だから、迷惑を減らせるようにこう対策したい」という擦り合わせができない。だから与えられた環境に順応できる日が来るはずだと信じて愚直に頑張り、「出来ない自分は甘えているに違いない」と自責してきた。しかし、カウンセリングによる自己理解とさまざまな職場での人との関わりが、一つずつ「甘えかもしれない」と感じる要素をつぶしてくれ、「“普通”に働けること」への固執からわたしを抜け出させてくれたのだ。2年かけてやっと、わたしは自分の「不可能性」に辿りついた。そして、それは自分ひとりで道を切り拓くことの覚悟を連れてきた。同時期に、在籍している女性間風俗の店長が、独立して店を出さないかと打診してきていたのは、必然だったのかもしれない。お客様の来店理由は“性”の迷いや悩み 再指名されることが多かったわたしは、お客様とどんな風に対峙しているのかをたびたび店長と話していた。たとえば、お客様の来店理由を聞くと、その7割ほどには“性”全般の迷いや悩みが含まれていること。風俗利用がまだ浸透していない女性に、詳細なプレイ内容や肌を露出した写真を載せて、「どれだけエロいことができるか」を打ち出す営業スタイルは、「自分がこの子を買うのだ」という搾取のような感覚が強く働いてしまって逆効果であるということ。欲望の自覚があっても素直に発散することには心理的なハードルがまだ高いから、「何かを改善する」「癒されたい」という望みを叶えるスタンスでいる方が、利用に繋がりやすいようだ、ということなどを伝えていた。 今でこそ、女性客を対象にする風俗店は、安心して利用できるような工夫に余念が無いが、2017年当時はそういう店は一部しかなかった。男性向け店舗の片手間に運営されていて、問い合わせてもまともな回答を貰えなかったとか、知らぬ間に閉店していたなどもザラ。件のレポ漫画がSNSで人気になったのと同時に、「レズ風俗」の呼び名でブームのように知られていき、新たな市場として風俗業界の中で徐々に見出されていったのが、この5年ほどの話である。“風俗っぽくない”から出会える人たち そんな経緯と背景から、自分の店を持つことになったときには「不安が払しょくされて、より利用しやすく感じる店」というコンセプトで、従来型の風俗店とは違うことをしようと考えた。まず代表である自分が最初から顔を出しているのは、「風俗っぽくなさ」を極めるのに必要だと思った。代表者の顔が出ていると、この店をどんな人が・何を考えて作ったのか、ちょっと上質な製品やサービスを選ぶときのように知ることができて、安心感につながるのではないかと考えた。 また、いちキャストとして働いていたときから重要だと感じていた、「利用のきっかけ」を30分もかけてヒアリングすることにした。性サービスの前座にしては長く、身の上を聞くには短いその30分間で、女性たちはさまざまな想いをまるで息を漏らすように細かく話してくれる。“この歳になっても”まだ処女だから婚活の障害になりそうで不安だとか、彼氏がいる女性を好きになってしまってつらいとか、性的な欲求がわかない・誰とも付き合いたくない自分を異常だと感じているとか…皆、快楽を得る以前に「性」や「愛」でがんじがらめにされていることを、初対面のわたし達に話す。「性」の話はナイーブで、日常的に関わる人に話すと心理的なコストを払ったり、暴露被害(アウティング)などのリスクになったりすることもある。そんな日常的な悩みと風俗利用という非日常との狭間で求められる絶妙なラインを体現する形で、「対話型レズ風俗 Relieve ~リリーヴ~」は誕生した。「センシティブな『性』の話題をいかにして話してもらうのか」  “女性間風俗”オーナーが語る「対話の場」の重要性 へ続く(橘 みつ)
空腹が苛立ちを引き起こしていたとか、散らかっている新聞が気になって話がおろそかになるとか、テレビの音量が大きすぎてドキドキするとか、そういう些細な日常の1つ1つがもたらす不愉快さを、自覚できないくせに影響されやすい性質の母のもとで わたしは育った。仕事を理由に家にほとんど居なかった父とはコミュニケーションが不足しがちで、会話するよりも主張をいきなり怒鳴られた印象のほうが強い。そんな家庭環境だからこそ、物心ついたときから、自分以外の大人が何に対して不快感を得ていて、どんな対応を言外に欲しているかを考えることが得意だった。 母と父との仲を仲裁したもっとも古い記憶は3歳ごろだ。「聞き分けのいい子」であることの代償は… 10歳になるころには、わたしは母が何に気を取られていて、どうサポートしてほしいのかを大まかに把握し、そのおかげで理不尽に怒鳴られることが少なくなった。親が爆発しないよう務めるばかりだったからか、子どもらしくわがままを言って泣き、聞き入れてもらうようなことはほぼ無かったらしい。聞き分けのいい子であることの代償か、 自分でも説明できないほど早くから精神を病んでいったように思う。 父親の「家庭外活動」も発覚して複雑を極める中、中学生の頃から精神的な不調は本格化し、大学生になるまでには日常生活に支障が出るほどになっていた。自傷癖、春に明るく冬に落ち込む精神状態、それと連動するように動かなくなる体。それでも自分と周囲をごまかしてなんとか生きていられたのは、日々の言動の責任を追及されにくい学生の身分だったからだろう。 若年層の精神を診られる医師と出逢えないまま騙しだまし生活を続けてきたが、社会人生活では無理も融通もきかず、試用期間満了の6月末で解雇されてしまう。限界を悟った瞬間だった。会社を出ていかねばならないほど決定的に何かが壊れているか欠けているのに、じぶんのことがさっぱり理解不能な生活がしばらく続いた。疲れ知らずだと感じているのに職場で何時間も眠ってしまった理由も、何一つわからなかった。下された診断は…「双極性障害型」 実は入社から間もなく、異変に気づいていたわたしは、会社近くの精神科に通院を始めていた。最初こそ、元から悩まされていた離人感に解離性障害の診断が下りただけだったが、解雇された後の秋口からはうつ症状がひどくなり、その結果、双極性障害型の診断名が下された。疲れを感じなかったのは躁状態の典型的な症状で、蓄積された身体疲労が日中の睡眠で回収されていたとのことだった。その反動で、トイレ以外は布団から動けないほど強烈なうつ状態に見舞われたらしい。十代からの春と冬の体調変動も、わたしの場合はこの病名で説明がつくと言われた。 そのとき、カウンセリングで初めて第三者を伴って幼少期の感情を振り返り、認知できていなかった自分の感覚を紐解いた。カウンセラー曰く、子どもらしく過ごせなかったからこそ「自分自身を納得させるロジック(=合理性にも近い理屈)を固めることが得意なタイプ」になったらしい。自分よりも親や周囲の人を優先してきた結果、自身の感情(好/嫌など)や感覚(疲れ/不快感など)を知覚しづらいことが問題を引き起こしているとのことだった。養育者に生死が握られているから本能的に頑張ってきたのに、自分が大人になってみたら自己管理ができていなくて他者に迷惑をかけているのか…と、やるせない気持ちになった。 会社を解雇後は夜の仕事へ 解雇直後、すぐに仕事が必要だった。何かと気を揉む実家に戻らねばならなくなることを何よりも恐れていたので、ゆっくり療養する暇などなかったが、3カ月で転職という履歴は採用を得るには見栄えが悪かった。何より、フルタイムで問題なく働ける体調にすぐ戻るはずもなく、まずは銀座のホステスとして当座の生活費を捻出することにした。少しでも体を休める時間を確保したかったから、短時間で高額が稼げる「夜の仕事」はありがたかった。数カ月働いたのち、「お触り」のひどさでホステスを辞め、どうせ触られるのならば、と風俗店の求人も視野に入れた矢先に見つけたのが、女性間風俗だ。『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』という名のエッセイ漫画がSNSを中心に話題となったのは、2016年の終わり頃だろうか。母親との接し方に難しさを感じている著者が女性間風俗に行ったら、人肌の温もりと抱きしめられる感覚で意外な気づきと癒しを得たという内容で、反響の大きさから、著者と同じような経験を期待した人の来店が増えそうだと感じた。そして、挫折と立ち直りの真っただ中に居る自分だからこそ、そのような深いところにある話を聞き、癒しの時間を作れるという自負が生まれた。すぐに情報を集め、入店希望を出した中でも、面接までスムーズに案内してくれたところに在籍を決めたのは、2017年5月のことだ。 一方では、昼間の仕事に戻る望みを捨てられずにいた。社員を目指して体調を何度も崩しては欠勤と退職を繰り返していたが、次第にフルタイム勤務がうまくできない理由が自分でも分かってきた。「不快の源」に過敏になってしまう… さまざまな「不快の源」に過敏になってしまうわたしには、職場の人が発する不穏さが耐えがたくつらい。言葉として形にされなくても、わたしに直接向けられたものでなくても、その人の視線、呼吸、語調や貧乏ゆすりまでの濃淡ある多種多様な負の感情が、フロア中から濁流のように押し寄せるのが感じられる。それらが実家での記憶を呼び起こさせるのか、相手を刺激しないように細心の注意を払って、ときに先回りして「相手の不快を和らげる行動」をしてしまう。素敵な上司や先輩に恵まれた職場でも、業務範囲を超えた気配りを毎日長時間していれば疲弊するのは当然で、やがては出社ができなくなってしまうのだ。 自分のことがわかっていないと、周囲に対して「これはできて、これは難しい。でもここまでなら可能だから、迷惑を減らせるようにこう対策したい」という擦り合わせができない。だから与えられた環境に順応できる日が来るはずだと信じて愚直に頑張り、「出来ない自分は甘えているに違いない」と自責してきた。しかし、カウンセリングによる自己理解とさまざまな職場での人との関わりが、一つずつ「甘えかもしれない」と感じる要素をつぶしてくれ、「“普通”に働けること」への固執からわたしを抜け出させてくれたのだ。2年かけてやっと、わたしは自分の「不可能性」に辿りついた。そして、それは自分ひとりで道を切り拓くことの覚悟を連れてきた。同時期に、在籍している女性間風俗の店長が、独立して店を出さないかと打診してきていたのは、必然だったのかもしれない。お客様の来店理由は“性”の迷いや悩み 再指名されることが多かったわたしは、お客様とどんな風に対峙しているのかをたびたび店長と話していた。たとえば、お客様の来店理由を聞くと、その7割ほどには“性”全般の迷いや悩みが含まれていること。風俗利用がまだ浸透していない女性に、詳細なプレイ内容や肌を露出した写真を載せて、「どれだけエロいことができるか」を打ち出す営業スタイルは、「自分がこの子を買うのだ」という搾取のような感覚が強く働いてしまって逆効果であるということ。欲望の自覚があっても素直に発散することには心理的なハードルがまだ高いから、「何かを改善する」「癒されたい」という望みを叶えるスタンスでいる方が、利用に繋がりやすいようだ、ということなどを伝えていた。 今でこそ、女性客を対象にする風俗店は、安心して利用できるような工夫に余念が無いが、2017年当時はそういう店は一部しかなかった。男性向け店舗の片手間に運営されていて、問い合わせてもまともな回答を貰えなかったとか、知らぬ間に閉店していたなどもザラ。件のレポ漫画がSNSで人気になったのと同時に、「レズ風俗」の呼び名でブームのように知られていき、新たな市場として風俗業界の中で徐々に見出されていったのが、この5年ほどの話である。“風俗っぽくない”から出会える人たち そんな経緯と背景から、自分の店を持つことになったときには「不安が払しょくされて、より利用しやすく感じる店」というコンセプトで、従来型の風俗店とは違うことをしようと考えた。まず代表である自分が最初から顔を出しているのは、「風俗っぽくなさ」を極めるのに必要だと思った。代表者の顔が出ていると、この店をどんな人が・何を考えて作ったのか、ちょっと上質な製品やサービスを選ぶときのように知ることができて、安心感につながるのではないかと考えた。 また、いちキャストとして働いていたときから重要だと感じていた、「利用のきっかけ」を30分もかけてヒアリングすることにした。性サービスの前座にしては長く、身の上を聞くには短いその30分間で、女性たちはさまざまな想いをまるで息を漏らすように細かく話してくれる。“この歳になっても”まだ処女だから婚活の障害になりそうで不安だとか、彼氏がいる女性を好きになってしまってつらいとか、性的な欲求がわかない・誰とも付き合いたくない自分を異常だと感じているとか…皆、快楽を得る以前に「性」や「愛」でがんじがらめにされていることを、初対面のわたし達に話す。「性」の話はナイーブで、日常的に関わる人に話すと心理的なコストを払ったり、暴露被害(アウティング)などのリスクになったりすることもある。そんな日常的な悩みと風俗利用という非日常との狭間で求められる絶妙なラインを体現する形で、「対話型レズ風俗 Relieve ~リリーヴ~」は誕生した。「センシティブな『性』の話題をいかにして話してもらうのか」  “女性間風俗”オーナーが語る「対話の場」の重要性 へ続く(橘 みつ)
10歳になるころには、わたしは母が何に気を取られていて、どうサポートしてほしいのかを大まかに把握し、そのおかげで理不尽に怒鳴られることが少なくなった。親が爆発しないよう務めるばかりだったからか、子どもらしくわがままを言って泣き、聞き入れてもらうようなことはほぼ無かったらしい。聞き分けのいい子であることの代償か、 自分でも説明できないほど早くから精神を病んでいったように思う。 父親の「家庭外活動」も発覚して複雑を極める中、中学生の頃から精神的な不調は本格化し、大学生になるまでには日常生活に支障が出るほどになっていた。自傷癖、春に明るく冬に落ち込む精神状態、それと連動するように動かなくなる体。それでも自分と周囲をごまかしてなんとか生きていられたのは、日々の言動の責任を追及されにくい学生の身分だったからだろう。 若年層の精神を診られる医師と出逢えないまま騙しだまし生活を続けてきたが、社会人生活では無理も融通もきかず、試用期間満了の6月末で解雇されてしまう。限界を悟った瞬間だった。会社を出ていかねばならないほど決定的に何かが壊れているか欠けているのに、じぶんのことがさっぱり理解不能な生活がしばらく続いた。疲れ知らずだと感じているのに職場で何時間も眠ってしまった理由も、何一つわからなかった。下された診断は…「双極性障害型」 実は入社から間もなく、異変に気づいていたわたしは、会社近くの精神科に通院を始めていた。最初こそ、元から悩まされていた離人感に解離性障害の診断が下りただけだったが、解雇された後の秋口からはうつ症状がひどくなり、その結果、双極性障害型の診断名が下された。疲れを感じなかったのは躁状態の典型的な症状で、蓄積された身体疲労が日中の睡眠で回収されていたとのことだった。その反動で、トイレ以外は布団から動けないほど強烈なうつ状態に見舞われたらしい。十代からの春と冬の体調変動も、わたしの場合はこの病名で説明がつくと言われた。 そのとき、カウンセリングで初めて第三者を伴って幼少期の感情を振り返り、認知できていなかった自分の感覚を紐解いた。カウンセラー曰く、子どもらしく過ごせなかったからこそ「自分自身を納得させるロジック(=合理性にも近い理屈)を固めることが得意なタイプ」になったらしい。自分よりも親や周囲の人を優先してきた結果、自身の感情(好/嫌など)や感覚(疲れ/不快感など)を知覚しづらいことが問題を引き起こしているとのことだった。養育者に生死が握られているから本能的に頑張ってきたのに、自分が大人になってみたら自己管理ができていなくて他者に迷惑をかけているのか…と、やるせない気持ちになった。 会社を解雇後は夜の仕事へ 解雇直後、すぐに仕事が必要だった。何かと気を揉む実家に戻らねばならなくなることを何よりも恐れていたので、ゆっくり療養する暇などなかったが、3カ月で転職という履歴は採用を得るには見栄えが悪かった。何より、フルタイムで問題なく働ける体調にすぐ戻るはずもなく、まずは銀座のホステスとして当座の生活費を捻出することにした。少しでも体を休める時間を確保したかったから、短時間で高額が稼げる「夜の仕事」はありがたかった。数カ月働いたのち、「お触り」のひどさでホステスを辞め、どうせ触られるのならば、と風俗店の求人も視野に入れた矢先に見つけたのが、女性間風俗だ。『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』という名のエッセイ漫画がSNSを中心に話題となったのは、2016年の終わり頃だろうか。母親との接し方に難しさを感じている著者が女性間風俗に行ったら、人肌の温もりと抱きしめられる感覚で意外な気づきと癒しを得たという内容で、反響の大きさから、著者と同じような経験を期待した人の来店が増えそうだと感じた。そして、挫折と立ち直りの真っただ中に居る自分だからこそ、そのような深いところにある話を聞き、癒しの時間を作れるという自負が生まれた。すぐに情報を集め、入店希望を出した中でも、面接までスムーズに案内してくれたところに在籍を決めたのは、2017年5月のことだ。 一方では、昼間の仕事に戻る望みを捨てられずにいた。社員を目指して体調を何度も崩しては欠勤と退職を繰り返していたが、次第にフルタイム勤務がうまくできない理由が自分でも分かってきた。「不快の源」に過敏になってしまう… さまざまな「不快の源」に過敏になってしまうわたしには、職場の人が発する不穏さが耐えがたくつらい。言葉として形にされなくても、わたしに直接向けられたものでなくても、その人の視線、呼吸、語調や貧乏ゆすりまでの濃淡ある多種多様な負の感情が、フロア中から濁流のように押し寄せるのが感じられる。それらが実家での記憶を呼び起こさせるのか、相手を刺激しないように細心の注意を払って、ときに先回りして「相手の不快を和らげる行動」をしてしまう。素敵な上司や先輩に恵まれた職場でも、業務範囲を超えた気配りを毎日長時間していれば疲弊するのは当然で、やがては出社ができなくなってしまうのだ。 自分のことがわかっていないと、周囲に対して「これはできて、これは難しい。でもここまでなら可能だから、迷惑を減らせるようにこう対策したい」という擦り合わせができない。だから与えられた環境に順応できる日が来るはずだと信じて愚直に頑張り、「出来ない自分は甘えているに違いない」と自責してきた。しかし、カウンセリングによる自己理解とさまざまな職場での人との関わりが、一つずつ「甘えかもしれない」と感じる要素をつぶしてくれ、「“普通”に働けること」への固執からわたしを抜け出させてくれたのだ。2年かけてやっと、わたしは自分の「不可能性」に辿りついた。そして、それは自分ひとりで道を切り拓くことの覚悟を連れてきた。同時期に、在籍している女性間風俗の店長が、独立して店を出さないかと打診してきていたのは、必然だったのかもしれない。お客様の来店理由は“性”の迷いや悩み 再指名されることが多かったわたしは、お客様とどんな風に対峙しているのかをたびたび店長と話していた。たとえば、お客様の来店理由を聞くと、その7割ほどには“性”全般の迷いや悩みが含まれていること。風俗利用がまだ浸透していない女性に、詳細なプレイ内容や肌を露出した写真を載せて、「どれだけエロいことができるか」を打ち出す営業スタイルは、「自分がこの子を買うのだ」という搾取のような感覚が強く働いてしまって逆効果であるということ。欲望の自覚があっても素直に発散することには心理的なハードルがまだ高いから、「何かを改善する」「癒されたい」という望みを叶えるスタンスでいる方が、利用に繋がりやすいようだ、ということなどを伝えていた。 今でこそ、女性客を対象にする風俗店は、安心して利用できるような工夫に余念が無いが、2017年当時はそういう店は一部しかなかった。男性向け店舗の片手間に運営されていて、問い合わせてもまともな回答を貰えなかったとか、知らぬ間に閉店していたなどもザラ。件のレポ漫画がSNSで人気になったのと同時に、「レズ風俗」の呼び名でブームのように知られていき、新たな市場として風俗業界の中で徐々に見出されていったのが、この5年ほどの話である。“風俗っぽくない”から出会える人たち そんな経緯と背景から、自分の店を持つことになったときには「不安が払しょくされて、より利用しやすく感じる店」というコンセプトで、従来型の風俗店とは違うことをしようと考えた。まず代表である自分が最初から顔を出しているのは、「風俗っぽくなさ」を極めるのに必要だと思った。代表者の顔が出ていると、この店をどんな人が・何を考えて作ったのか、ちょっと上質な製品やサービスを選ぶときのように知ることができて、安心感につながるのではないかと考えた。 また、いちキャストとして働いていたときから重要だと感じていた、「利用のきっかけ」を30分もかけてヒアリングすることにした。性サービスの前座にしては長く、身の上を聞くには短いその30分間で、女性たちはさまざまな想いをまるで息を漏らすように細かく話してくれる。“この歳になっても”まだ処女だから婚活の障害になりそうで不安だとか、彼氏がいる女性を好きになってしまってつらいとか、性的な欲求がわかない・誰とも付き合いたくない自分を異常だと感じているとか…皆、快楽を得る以前に「性」や「愛」でがんじがらめにされていることを、初対面のわたし達に話す。「性」の話はナイーブで、日常的に関わる人に話すと心理的なコストを払ったり、暴露被害(アウティング)などのリスクになったりすることもある。そんな日常的な悩みと風俗利用という非日常との狭間で求められる絶妙なラインを体現する形で、「対話型レズ風俗 Relieve ~リリーヴ~」は誕生した。「センシティブな『性』の話題をいかにして話してもらうのか」  “女性間風俗”オーナーが語る「対話の場」の重要性 へ続く(橘 みつ)
父親の「家庭外活動」も発覚して複雑を極める中、中学生の頃から精神的な不調は本格化し、大学生になるまでには日常生活に支障が出るほどになっていた。自傷癖、春に明るく冬に落ち込む精神状態、それと連動するように動かなくなる体。それでも自分と周囲をごまかしてなんとか生きていられたのは、日々の言動の責任を追及されにくい学生の身分だったからだろう。 若年層の精神を診られる医師と出逢えないまま騙しだまし生活を続けてきたが、社会人生活では無理も融通もきかず、試用期間満了の6月末で解雇されてしまう。限界を悟った瞬間だった。会社を出ていかねばならないほど決定的に何かが壊れているか欠けているのに、じぶんのことがさっぱり理解不能な生活がしばらく続いた。疲れ知らずだと感じているのに職場で何時間も眠ってしまった理由も、何一つわからなかった。下された診断は…「双極性障害型」 実は入社から間もなく、異変に気づいていたわたしは、会社近くの精神科に通院を始めていた。最初こそ、元から悩まされていた離人感に解離性障害の診断が下りただけだったが、解雇された後の秋口からはうつ症状がひどくなり、その結果、双極性障害型の診断名が下された。疲れを感じなかったのは躁状態の典型的な症状で、蓄積された身体疲労が日中の睡眠で回収されていたとのことだった。その反動で、トイレ以外は布団から動けないほど強烈なうつ状態に見舞われたらしい。十代からの春と冬の体調変動も、わたしの場合はこの病名で説明がつくと言われた。 そのとき、カウンセリングで初めて第三者を伴って幼少期の感情を振り返り、認知できていなかった自分の感覚を紐解いた。カウンセラー曰く、子どもらしく過ごせなかったからこそ「自分自身を納得させるロジック(=合理性にも近い理屈)を固めることが得意なタイプ」になったらしい。自分よりも親や周囲の人を優先してきた結果、自身の感情(好/嫌など)や感覚(疲れ/不快感など)を知覚しづらいことが問題を引き起こしているとのことだった。養育者に生死が握られているから本能的に頑張ってきたのに、自分が大人になってみたら自己管理ができていなくて他者に迷惑をかけているのか…と、やるせない気持ちになった。 会社を解雇後は夜の仕事へ 解雇直後、すぐに仕事が必要だった。何かと気を揉む実家に戻らねばならなくなることを何よりも恐れていたので、ゆっくり療養する暇などなかったが、3カ月で転職という履歴は採用を得るには見栄えが悪かった。何より、フルタイムで問題なく働ける体調にすぐ戻るはずもなく、まずは銀座のホステスとして当座の生活費を捻出することにした。少しでも体を休める時間を確保したかったから、短時間で高額が稼げる「夜の仕事」はありがたかった。数カ月働いたのち、「お触り」のひどさでホステスを辞め、どうせ触られるのならば、と風俗店の求人も視野に入れた矢先に見つけたのが、女性間風俗だ。『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』という名のエッセイ漫画がSNSを中心に話題となったのは、2016年の終わり頃だろうか。母親との接し方に難しさを感じている著者が女性間風俗に行ったら、人肌の温もりと抱きしめられる感覚で意外な気づきと癒しを得たという内容で、反響の大きさから、著者と同じような経験を期待した人の来店が増えそうだと感じた。そして、挫折と立ち直りの真っただ中に居る自分だからこそ、そのような深いところにある話を聞き、癒しの時間を作れるという自負が生まれた。すぐに情報を集め、入店希望を出した中でも、面接までスムーズに案内してくれたところに在籍を決めたのは、2017年5月のことだ。 一方では、昼間の仕事に戻る望みを捨てられずにいた。社員を目指して体調を何度も崩しては欠勤と退職を繰り返していたが、次第にフルタイム勤務がうまくできない理由が自分でも分かってきた。「不快の源」に過敏になってしまう… さまざまな「不快の源」に過敏になってしまうわたしには、職場の人が発する不穏さが耐えがたくつらい。言葉として形にされなくても、わたしに直接向けられたものでなくても、その人の視線、呼吸、語調や貧乏ゆすりまでの濃淡ある多種多様な負の感情が、フロア中から濁流のように押し寄せるのが感じられる。それらが実家での記憶を呼び起こさせるのか、相手を刺激しないように細心の注意を払って、ときに先回りして「相手の不快を和らげる行動」をしてしまう。素敵な上司や先輩に恵まれた職場でも、業務範囲を超えた気配りを毎日長時間していれば疲弊するのは当然で、やがては出社ができなくなってしまうのだ。 自分のことがわかっていないと、周囲に対して「これはできて、これは難しい。でもここまでなら可能だから、迷惑を減らせるようにこう対策したい」という擦り合わせができない。だから与えられた環境に順応できる日が来るはずだと信じて愚直に頑張り、「出来ない自分は甘えているに違いない」と自責してきた。しかし、カウンセリングによる自己理解とさまざまな職場での人との関わりが、一つずつ「甘えかもしれない」と感じる要素をつぶしてくれ、「“普通”に働けること」への固執からわたしを抜け出させてくれたのだ。2年かけてやっと、わたしは自分の「不可能性」に辿りついた。そして、それは自分ひとりで道を切り拓くことの覚悟を連れてきた。同時期に、在籍している女性間風俗の店長が、独立して店を出さないかと打診してきていたのは、必然だったのかもしれない。お客様の来店理由は“性”の迷いや悩み 再指名されることが多かったわたしは、お客様とどんな風に対峙しているのかをたびたび店長と話していた。たとえば、お客様の来店理由を聞くと、その7割ほどには“性”全般の迷いや悩みが含まれていること。風俗利用がまだ浸透していない女性に、詳細なプレイ内容や肌を露出した写真を載せて、「どれだけエロいことができるか」を打ち出す営業スタイルは、「自分がこの子を買うのだ」という搾取のような感覚が強く働いてしまって逆効果であるということ。欲望の自覚があっても素直に発散することには心理的なハードルがまだ高いから、「何かを改善する」「癒されたい」という望みを叶えるスタンスでいる方が、利用に繋がりやすいようだ、ということなどを伝えていた。 今でこそ、女性客を対象にする風俗店は、安心して利用できるような工夫に余念が無いが、2017年当時はそういう店は一部しかなかった。男性向け店舗の片手間に運営されていて、問い合わせてもまともな回答を貰えなかったとか、知らぬ間に閉店していたなどもザラ。件のレポ漫画がSNSで人気になったのと同時に、「レズ風俗」の呼び名でブームのように知られていき、新たな市場として風俗業界の中で徐々に見出されていったのが、この5年ほどの話である。“風俗っぽくない”から出会える人たち そんな経緯と背景から、自分の店を持つことになったときには「不安が払しょくされて、より利用しやすく感じる店」というコンセプトで、従来型の風俗店とは違うことをしようと考えた。まず代表である自分が最初から顔を出しているのは、「風俗っぽくなさ」を極めるのに必要だと思った。代表者の顔が出ていると、この店をどんな人が・何を考えて作ったのか、ちょっと上質な製品やサービスを選ぶときのように知ることができて、安心感につながるのではないかと考えた。 また、いちキャストとして働いていたときから重要だと感じていた、「利用のきっかけ」を30分もかけてヒアリングすることにした。性サービスの前座にしては長く、身の上を聞くには短いその30分間で、女性たちはさまざまな想いをまるで息を漏らすように細かく話してくれる。“この歳になっても”まだ処女だから婚活の障害になりそうで不安だとか、彼氏がいる女性を好きになってしまってつらいとか、性的な欲求がわかない・誰とも付き合いたくない自分を異常だと感じているとか…皆、快楽を得る以前に「性」や「愛」でがんじがらめにされていることを、初対面のわたし達に話す。「性」の話はナイーブで、日常的に関わる人に話すと心理的なコストを払ったり、暴露被害(アウティング)などのリスクになったりすることもある。そんな日常的な悩みと風俗利用という非日常との狭間で求められる絶妙なラインを体現する形で、「対話型レズ風俗 Relieve ~リリーヴ~」は誕生した。「センシティブな『性』の話題をいかにして話してもらうのか」  “女性間風俗”オーナーが語る「対話の場」の重要性 へ続く(橘 みつ)
若年層の精神を診られる医師と出逢えないまま騙しだまし生活を続けてきたが、社会人生活では無理も融通もきかず、試用期間満了の6月末で解雇されてしまう。限界を悟った瞬間だった。会社を出ていかねばならないほど決定的に何かが壊れているか欠けているのに、じぶんのことがさっぱり理解不能な生活がしばらく続いた。疲れ知らずだと感じているのに職場で何時間も眠ってしまった理由も、何一つわからなかった。下された診断は…「双極性障害型」 実は入社から間もなく、異変に気づいていたわたしは、会社近くの精神科に通院を始めていた。最初こそ、元から悩まされていた離人感に解離性障害の診断が下りただけだったが、解雇された後の秋口からはうつ症状がひどくなり、その結果、双極性障害型の診断名が下された。疲れを感じなかったのは躁状態の典型的な症状で、蓄積された身体疲労が日中の睡眠で回収されていたとのことだった。その反動で、トイレ以外は布団から動けないほど強烈なうつ状態に見舞われたらしい。十代からの春と冬の体調変動も、わたしの場合はこの病名で説明がつくと言われた。 そのとき、カウンセリングで初めて第三者を伴って幼少期の感情を振り返り、認知できていなかった自分の感覚を紐解いた。カウンセラー曰く、子どもらしく過ごせなかったからこそ「自分自身を納得させるロジック(=合理性にも近い理屈)を固めることが得意なタイプ」になったらしい。自分よりも親や周囲の人を優先してきた結果、自身の感情(好/嫌など)や感覚(疲れ/不快感など)を知覚しづらいことが問題を引き起こしているとのことだった。養育者に生死が握られているから本能的に頑張ってきたのに、自分が大人になってみたら自己管理ができていなくて他者に迷惑をかけているのか…と、やるせない気持ちになった。 会社を解雇後は夜の仕事へ 解雇直後、すぐに仕事が必要だった。何かと気を揉む実家に戻らねばならなくなることを何よりも恐れていたので、ゆっくり療養する暇などなかったが、3カ月で転職という履歴は採用を得るには見栄えが悪かった。何より、フルタイムで問題なく働ける体調にすぐ戻るはずもなく、まずは銀座のホステスとして当座の生活費を捻出することにした。少しでも体を休める時間を確保したかったから、短時間で高額が稼げる「夜の仕事」はありがたかった。数カ月働いたのち、「お触り」のひどさでホステスを辞め、どうせ触られるのならば、と風俗店の求人も視野に入れた矢先に見つけたのが、女性間風俗だ。『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』という名のエッセイ漫画がSNSを中心に話題となったのは、2016年の終わり頃だろうか。母親との接し方に難しさを感じている著者が女性間風俗に行ったら、人肌の温もりと抱きしめられる感覚で意外な気づきと癒しを得たという内容で、反響の大きさから、著者と同じような経験を期待した人の来店が増えそうだと感じた。そして、挫折と立ち直りの真っただ中に居る自分だからこそ、そのような深いところにある話を聞き、癒しの時間を作れるという自負が生まれた。すぐに情報を集め、入店希望を出した中でも、面接までスムーズに案内してくれたところに在籍を決めたのは、2017年5月のことだ。 一方では、昼間の仕事に戻る望みを捨てられずにいた。社員を目指して体調を何度も崩しては欠勤と退職を繰り返していたが、次第にフルタイム勤務がうまくできない理由が自分でも分かってきた。「不快の源」に過敏になってしまう… さまざまな「不快の源」に過敏になってしまうわたしには、職場の人が発する不穏さが耐えがたくつらい。言葉として形にされなくても、わたしに直接向けられたものでなくても、その人の視線、呼吸、語調や貧乏ゆすりまでの濃淡ある多種多様な負の感情が、フロア中から濁流のように押し寄せるのが感じられる。それらが実家での記憶を呼び起こさせるのか、相手を刺激しないように細心の注意を払って、ときに先回りして「相手の不快を和らげる行動」をしてしまう。素敵な上司や先輩に恵まれた職場でも、業務範囲を超えた気配りを毎日長時間していれば疲弊するのは当然で、やがては出社ができなくなってしまうのだ。 自分のことがわかっていないと、周囲に対して「これはできて、これは難しい。でもここまでなら可能だから、迷惑を減らせるようにこう対策したい」という擦り合わせができない。だから与えられた環境に順応できる日が来るはずだと信じて愚直に頑張り、「出来ない自分は甘えているに違いない」と自責してきた。しかし、カウンセリングによる自己理解とさまざまな職場での人との関わりが、一つずつ「甘えかもしれない」と感じる要素をつぶしてくれ、「“普通”に働けること」への固執からわたしを抜け出させてくれたのだ。2年かけてやっと、わたしは自分の「不可能性」に辿りついた。そして、それは自分ひとりで道を切り拓くことの覚悟を連れてきた。同時期に、在籍している女性間風俗の店長が、独立して店を出さないかと打診してきていたのは、必然だったのかもしれない。お客様の来店理由は“性”の迷いや悩み 再指名されることが多かったわたしは、お客様とどんな風に対峙しているのかをたびたび店長と話していた。たとえば、お客様の来店理由を聞くと、その7割ほどには“性”全般の迷いや悩みが含まれていること。風俗利用がまだ浸透していない女性に、詳細なプレイ内容や肌を露出した写真を載せて、「どれだけエロいことができるか」を打ち出す営業スタイルは、「自分がこの子を買うのだ」という搾取のような感覚が強く働いてしまって逆効果であるということ。欲望の自覚があっても素直に発散することには心理的なハードルがまだ高いから、「何かを改善する」「癒されたい」という望みを叶えるスタンスでいる方が、利用に繋がりやすいようだ、ということなどを伝えていた。 今でこそ、女性客を対象にする風俗店は、安心して利用できるような工夫に余念が無いが、2017年当時はそういう店は一部しかなかった。男性向け店舗の片手間に運営されていて、問い合わせてもまともな回答を貰えなかったとか、知らぬ間に閉店していたなどもザラ。件のレポ漫画がSNSで人気になったのと同時に、「レズ風俗」の呼び名でブームのように知られていき、新たな市場として風俗業界の中で徐々に見出されていったのが、この5年ほどの話である。“風俗っぽくない”から出会える人たち そんな経緯と背景から、自分の店を持つことになったときには「不安が払しょくされて、より利用しやすく感じる店」というコンセプトで、従来型の風俗店とは違うことをしようと考えた。まず代表である自分が最初から顔を出しているのは、「風俗っぽくなさ」を極めるのに必要だと思った。代表者の顔が出ていると、この店をどんな人が・何を考えて作ったのか、ちょっと上質な製品やサービスを選ぶときのように知ることができて、安心感につながるのではないかと考えた。 また、いちキャストとして働いていたときから重要だと感じていた、「利用のきっかけ」を30分もかけてヒアリングすることにした。性サービスの前座にしては長く、身の上を聞くには短いその30分間で、女性たちはさまざまな想いをまるで息を漏らすように細かく話してくれる。“この歳になっても”まだ処女だから婚活の障害になりそうで不安だとか、彼氏がいる女性を好きになってしまってつらいとか、性的な欲求がわかない・誰とも付き合いたくない自分を異常だと感じているとか…皆、快楽を得る以前に「性」や「愛」でがんじがらめにされていることを、初対面のわたし達に話す。「性」の話はナイーブで、日常的に関わる人に話すと心理的なコストを払ったり、暴露被害(アウティング)などのリスクになったりすることもある。そんな日常的な悩みと風俗利用という非日常との狭間で求められる絶妙なラインを体現する形で、「対話型レズ風俗 Relieve ~リリーヴ~」は誕生した。「センシティブな『性』の話題をいかにして話してもらうのか」  “女性間風俗”オーナーが語る「対話の場」の重要性 へ続く(橘 みつ)
下された診断は…「双極性障害型」 実は入社から間もなく、異変に気づいていたわたしは、会社近くの精神科に通院を始めていた。最初こそ、元から悩まされていた離人感に解離性障害の診断が下りただけだったが、解雇された後の秋口からはうつ症状がひどくなり、その結果、双極性障害型の診断名が下された。疲れを感じなかったのは躁状態の典型的な症状で、蓄積された身体疲労が日中の睡眠で回収されていたとのことだった。その反動で、トイレ以外は布団から動けないほど強烈なうつ状態に見舞われたらしい。十代からの春と冬の体調変動も、わたしの場合はこの病名で説明がつくと言われた。 そのとき、カウンセリングで初めて第三者を伴って幼少期の感情を振り返り、認知できていなかった自分の感覚を紐解いた。カウンセラー曰く、子どもらしく過ごせなかったからこそ「自分自身を納得させるロジック(=合理性にも近い理屈)を固めることが得意なタイプ」になったらしい。自分よりも親や周囲の人を優先してきた結果、自身の感情(好/嫌など)や感覚(疲れ/不快感など)を知覚しづらいことが問題を引き起こしているとのことだった。養育者に生死が握られているから本能的に頑張ってきたのに、自分が大人になってみたら自己管理ができていなくて他者に迷惑をかけているのか…と、やるせない気持ちになった。 会社を解雇後は夜の仕事へ 解雇直後、すぐに仕事が必要だった。何かと気を揉む実家に戻らねばならなくなることを何よりも恐れていたので、ゆっくり療養する暇などなかったが、3カ月で転職という履歴は採用を得るには見栄えが悪かった。何より、フルタイムで問題なく働ける体調にすぐ戻るはずもなく、まずは銀座のホステスとして当座の生活費を捻出することにした。少しでも体を休める時間を確保したかったから、短時間で高額が稼げる「夜の仕事」はありがたかった。数カ月働いたのち、「お触り」のひどさでホステスを辞め、どうせ触られるのならば、と風俗店の求人も視野に入れた矢先に見つけたのが、女性間風俗だ。『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』という名のエッセイ漫画がSNSを中心に話題となったのは、2016年の終わり頃だろうか。母親との接し方に難しさを感じている著者が女性間風俗に行ったら、人肌の温もりと抱きしめられる感覚で意外な気づきと癒しを得たという内容で、反響の大きさから、著者と同じような経験を期待した人の来店が増えそうだと感じた。そして、挫折と立ち直りの真っただ中に居る自分だからこそ、そのような深いところにある話を聞き、癒しの時間を作れるという自負が生まれた。すぐに情報を集め、入店希望を出した中でも、面接までスムーズに案内してくれたところに在籍を決めたのは、2017年5月のことだ。 一方では、昼間の仕事に戻る望みを捨てられずにいた。社員を目指して体調を何度も崩しては欠勤と退職を繰り返していたが、次第にフルタイム勤務がうまくできない理由が自分でも分かってきた。「不快の源」に過敏になってしまう… さまざまな「不快の源」に過敏になってしまうわたしには、職場の人が発する不穏さが耐えがたくつらい。言葉として形にされなくても、わたしに直接向けられたものでなくても、その人の視線、呼吸、語調や貧乏ゆすりまでの濃淡ある多種多様な負の感情が、フロア中から濁流のように押し寄せるのが感じられる。それらが実家での記憶を呼び起こさせるのか、相手を刺激しないように細心の注意を払って、ときに先回りして「相手の不快を和らげる行動」をしてしまう。素敵な上司や先輩に恵まれた職場でも、業務範囲を超えた気配りを毎日長時間していれば疲弊するのは当然で、やがては出社ができなくなってしまうのだ。 自分のことがわかっていないと、周囲に対して「これはできて、これは難しい。でもここまでなら可能だから、迷惑を減らせるようにこう対策したい」という擦り合わせができない。だから与えられた環境に順応できる日が来るはずだと信じて愚直に頑張り、「出来ない自分は甘えているに違いない」と自責してきた。しかし、カウンセリングによる自己理解とさまざまな職場での人との関わりが、一つずつ「甘えかもしれない」と感じる要素をつぶしてくれ、「“普通”に働けること」への固執からわたしを抜け出させてくれたのだ。2年かけてやっと、わたしは自分の「不可能性」に辿りついた。そして、それは自分ひとりで道を切り拓くことの覚悟を連れてきた。同時期に、在籍している女性間風俗の店長が、独立して店を出さないかと打診してきていたのは、必然だったのかもしれない。お客様の来店理由は“性”の迷いや悩み 再指名されることが多かったわたしは、お客様とどんな風に対峙しているのかをたびたび店長と話していた。たとえば、お客様の来店理由を聞くと、その7割ほどには“性”全般の迷いや悩みが含まれていること。風俗利用がまだ浸透していない女性に、詳細なプレイ内容や肌を露出した写真を載せて、「どれだけエロいことができるか」を打ち出す営業スタイルは、「自分がこの子を買うのだ」という搾取のような感覚が強く働いてしまって逆効果であるということ。欲望の自覚があっても素直に発散することには心理的なハードルがまだ高いから、「何かを改善する」「癒されたい」という望みを叶えるスタンスでいる方が、利用に繋がりやすいようだ、ということなどを伝えていた。 今でこそ、女性客を対象にする風俗店は、安心して利用できるような工夫に余念が無いが、2017年当時はそういう店は一部しかなかった。男性向け店舗の片手間に運営されていて、問い合わせてもまともな回答を貰えなかったとか、知らぬ間に閉店していたなどもザラ。件のレポ漫画がSNSで人気になったのと同時に、「レズ風俗」の呼び名でブームのように知られていき、新たな市場として風俗業界の中で徐々に見出されていったのが、この5年ほどの話である。“風俗っぽくない”から出会える人たち そんな経緯と背景から、自分の店を持つことになったときには「不安が払しょくされて、より利用しやすく感じる店」というコンセプトで、従来型の風俗店とは違うことをしようと考えた。まず代表である自分が最初から顔を出しているのは、「風俗っぽくなさ」を極めるのに必要だと思った。代表者の顔が出ていると、この店をどんな人が・何を考えて作ったのか、ちょっと上質な製品やサービスを選ぶときのように知ることができて、安心感につながるのではないかと考えた。 また、いちキャストとして働いていたときから重要だと感じていた、「利用のきっかけ」を30分もかけてヒアリングすることにした。性サービスの前座にしては長く、身の上を聞くには短いその30分間で、女性たちはさまざまな想いをまるで息を漏らすように細かく話してくれる。“この歳になっても”まだ処女だから婚活の障害になりそうで不安だとか、彼氏がいる女性を好きになってしまってつらいとか、性的な欲求がわかない・誰とも付き合いたくない自分を異常だと感じているとか…皆、快楽を得る以前に「性」や「愛」でがんじがらめにされていることを、初対面のわたし達に話す。「性」の話はナイーブで、日常的に関わる人に話すと心理的なコストを払ったり、暴露被害(アウティング)などのリスクになったりすることもある。そんな日常的な悩みと風俗利用という非日常との狭間で求められる絶妙なラインを体現する形で、「対話型レズ風俗 Relieve ~リリーヴ~」は誕生した。「センシティブな『性』の話題をいかにして話してもらうのか」  “女性間風俗”オーナーが語る「対話の場」の重要性 へ続く(橘 みつ)
実は入社から間もなく、異変に気づいていたわたしは、会社近くの精神科に通院を始めていた。最初こそ、元から悩まされていた離人感に解離性障害の診断が下りただけだったが、解雇された後の秋口からはうつ症状がひどくなり、その結果、双極性障害型の診断名が下された。疲れを感じなかったのは躁状態の典型的な症状で、蓄積された身体疲労が日中の睡眠で回収されていたとのことだった。その反動で、トイレ以外は布団から動けないほど強烈なうつ状態に見舞われたらしい。十代からの春と冬の体調変動も、わたしの場合はこの病名で説明がつくと言われた。 そのとき、カウンセリングで初めて第三者を伴って幼少期の感情を振り返り、認知できていなかった自分の感覚を紐解いた。カウンセラー曰く、子どもらしく過ごせなかったからこそ「自分自身を納得させるロジック(=合理性にも近い理屈)を固めることが得意なタイプ」になったらしい。自分よりも親や周囲の人を優先してきた結果、自身の感情(好/嫌など)や感覚(疲れ/不快感など)を知覚しづらいことが問題を引き起こしているとのことだった。養育者に生死が握られているから本能的に頑張ってきたのに、自分が大人になってみたら自己管理ができていなくて他者に迷惑をかけているのか…と、やるせない気持ちになった。 会社を解雇後は夜の仕事へ 解雇直後、すぐに仕事が必要だった。何かと気を揉む実家に戻らねばならなくなることを何よりも恐れていたので、ゆっくり療養する暇などなかったが、3カ月で転職という履歴は採用を得るには見栄えが悪かった。何より、フルタイムで問題なく働ける体調にすぐ戻るはずもなく、まずは銀座のホステスとして当座の生活費を捻出することにした。少しでも体を休める時間を確保したかったから、短時間で高額が稼げる「夜の仕事」はありがたかった。数カ月働いたのち、「お触り」のひどさでホステスを辞め、どうせ触られるのならば、と風俗店の求人も視野に入れた矢先に見つけたのが、女性間風俗だ。『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』という名のエッセイ漫画がSNSを中心に話題となったのは、2016年の終わり頃だろうか。母親との接し方に難しさを感じている著者が女性間風俗に行ったら、人肌の温もりと抱きしめられる感覚で意外な気づきと癒しを得たという内容で、反響の大きさから、著者と同じような経験を期待した人の来店が増えそうだと感じた。そして、挫折と立ち直りの真っただ中に居る自分だからこそ、そのような深いところにある話を聞き、癒しの時間を作れるという自負が生まれた。すぐに情報を集め、入店希望を出した中でも、面接までスムーズに案内してくれたところに在籍を決めたのは、2017年5月のことだ。 一方では、昼間の仕事に戻る望みを捨てられずにいた。社員を目指して体調を何度も崩しては欠勤と退職を繰り返していたが、次第にフルタイム勤務がうまくできない理由が自分でも分かってきた。「不快の源」に過敏になってしまう… さまざまな「不快の源」に過敏になってしまうわたしには、職場の人が発する不穏さが耐えがたくつらい。言葉として形にされなくても、わたしに直接向けられたものでなくても、その人の視線、呼吸、語調や貧乏ゆすりまでの濃淡ある多種多様な負の感情が、フロア中から濁流のように押し寄せるのが感じられる。それらが実家での記憶を呼び起こさせるのか、相手を刺激しないように細心の注意を払って、ときに先回りして「相手の不快を和らげる行動」をしてしまう。素敵な上司や先輩に恵まれた職場でも、業務範囲を超えた気配りを毎日長時間していれば疲弊するのは当然で、やがては出社ができなくなってしまうのだ。 自分のことがわかっていないと、周囲に対して「これはできて、これは難しい。でもここまでなら可能だから、迷惑を減らせるようにこう対策したい」という擦り合わせができない。だから与えられた環境に順応できる日が来るはずだと信じて愚直に頑張り、「出来ない自分は甘えているに違いない」と自責してきた。しかし、カウンセリングによる自己理解とさまざまな職場での人との関わりが、一つずつ「甘えかもしれない」と感じる要素をつぶしてくれ、「“普通”に働けること」への固執からわたしを抜け出させてくれたのだ。2年かけてやっと、わたしは自分の「不可能性」に辿りついた。そして、それは自分ひとりで道を切り拓くことの覚悟を連れてきた。同時期に、在籍している女性間風俗の店長が、独立して店を出さないかと打診してきていたのは、必然だったのかもしれない。お客様の来店理由は“性”の迷いや悩み 再指名されることが多かったわたしは、お客様とどんな風に対峙しているのかをたびたび店長と話していた。たとえば、お客様の来店理由を聞くと、その7割ほどには“性”全般の迷いや悩みが含まれていること。風俗利用がまだ浸透していない女性に、詳細なプレイ内容や肌を露出した写真を載せて、「どれだけエロいことができるか」を打ち出す営業スタイルは、「自分がこの子を買うのだ」という搾取のような感覚が強く働いてしまって逆効果であるということ。欲望の自覚があっても素直に発散することには心理的なハードルがまだ高いから、「何かを改善する」「癒されたい」という望みを叶えるスタンスでいる方が、利用に繋がりやすいようだ、ということなどを伝えていた。 今でこそ、女性客を対象にする風俗店は、安心して利用できるような工夫に余念が無いが、2017年当時はそういう店は一部しかなかった。男性向け店舗の片手間に運営されていて、問い合わせてもまともな回答を貰えなかったとか、知らぬ間に閉店していたなどもザラ。件のレポ漫画がSNSで人気になったのと同時に、「レズ風俗」の呼び名でブームのように知られていき、新たな市場として風俗業界の中で徐々に見出されていったのが、この5年ほどの話である。“風俗っぽくない”から出会える人たち そんな経緯と背景から、自分の店を持つことになったときには「不安が払しょくされて、より利用しやすく感じる店」というコンセプトで、従来型の風俗店とは違うことをしようと考えた。まず代表である自分が最初から顔を出しているのは、「風俗っぽくなさ」を極めるのに必要だと思った。代表者の顔が出ていると、この店をどんな人が・何を考えて作ったのか、ちょっと上質な製品やサービスを選ぶときのように知ることができて、安心感につながるのではないかと考えた。 また、いちキャストとして働いていたときから重要だと感じていた、「利用のきっかけ」を30分もかけてヒアリングすることにした。性サービスの前座にしては長く、身の上を聞くには短いその30分間で、女性たちはさまざまな想いをまるで息を漏らすように細かく話してくれる。“この歳になっても”まだ処女だから婚活の障害になりそうで不安だとか、彼氏がいる女性を好きになってしまってつらいとか、性的な欲求がわかない・誰とも付き合いたくない自分を異常だと感じているとか…皆、快楽を得る以前に「性」や「愛」でがんじがらめにされていることを、初対面のわたし達に話す。「性」の話はナイーブで、日常的に関わる人に話すと心理的なコストを払ったり、暴露被害(アウティング)などのリスクになったりすることもある。そんな日常的な悩みと風俗利用という非日常との狭間で求められる絶妙なラインを体現する形で、「対話型レズ風俗 Relieve ~リリーヴ~」は誕生した。「センシティブな『性』の話題をいかにして話してもらうのか」  “女性間風俗”オーナーが語る「対話の場」の重要性 へ続く(橘 みつ)
そのとき、カウンセリングで初めて第三者を伴って幼少期の感情を振り返り、認知できていなかった自分の感覚を紐解いた。カウンセラー曰く、子どもらしく過ごせなかったからこそ「自分自身を納得させるロジック(=合理性にも近い理屈)を固めることが得意なタイプ」になったらしい。自分よりも親や周囲の人を優先してきた結果、自身の感情(好/嫌など)や感覚(疲れ/不快感など)を知覚しづらいことが問題を引き起こしているとのことだった。養育者に生死が握られているから本能的に頑張ってきたのに、自分が大人になってみたら自己管理ができていなくて他者に迷惑をかけているのか…と、やるせない気持ちになった。 会社を解雇後は夜の仕事へ 解雇直後、すぐに仕事が必要だった。何かと気を揉む実家に戻らねばならなくなることを何よりも恐れていたので、ゆっくり療養する暇などなかったが、3カ月で転職という履歴は採用を得るには見栄えが悪かった。何より、フルタイムで問題なく働ける体調にすぐ戻るはずもなく、まずは銀座のホステスとして当座の生活費を捻出することにした。少しでも体を休める時間を確保したかったから、短時間で高額が稼げる「夜の仕事」はありがたかった。数カ月働いたのち、「お触り」のひどさでホステスを辞め、どうせ触られるのならば、と風俗店の求人も視野に入れた矢先に見つけたのが、女性間風俗だ。『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』という名のエッセイ漫画がSNSを中心に話題となったのは、2016年の終わり頃だろうか。母親との接し方に難しさを感じている著者が女性間風俗に行ったら、人肌の温もりと抱きしめられる感覚で意外な気づきと癒しを得たという内容で、反響の大きさから、著者と同じような経験を期待した人の来店が増えそうだと感じた。そして、挫折と立ち直りの真っただ中に居る自分だからこそ、そのような深いところにある話を聞き、癒しの時間を作れるという自負が生まれた。すぐに情報を集め、入店希望を出した中でも、面接までスムーズに案内してくれたところに在籍を決めたのは、2017年5月のことだ。 一方では、昼間の仕事に戻る望みを捨てられずにいた。社員を目指して体調を何度も崩しては欠勤と退職を繰り返していたが、次第にフルタイム勤務がうまくできない理由が自分でも分かってきた。「不快の源」に過敏になってしまう… さまざまな「不快の源」に過敏になってしまうわたしには、職場の人が発する不穏さが耐えがたくつらい。言葉として形にされなくても、わたしに直接向けられたものでなくても、その人の視線、呼吸、語調や貧乏ゆすりまでの濃淡ある多種多様な負の感情が、フロア中から濁流のように押し寄せるのが感じられる。それらが実家での記憶を呼び起こさせるのか、相手を刺激しないように細心の注意を払って、ときに先回りして「相手の不快を和らげる行動」をしてしまう。素敵な上司や先輩に恵まれた職場でも、業務範囲を超えた気配りを毎日長時間していれば疲弊するのは当然で、やがては出社ができなくなってしまうのだ。 自分のことがわかっていないと、周囲に対して「これはできて、これは難しい。でもここまでなら可能だから、迷惑を減らせるようにこう対策したい」という擦り合わせができない。だから与えられた環境に順応できる日が来るはずだと信じて愚直に頑張り、「出来ない自分は甘えているに違いない」と自責してきた。しかし、カウンセリングによる自己理解とさまざまな職場での人との関わりが、一つずつ「甘えかもしれない」と感じる要素をつぶしてくれ、「“普通”に働けること」への固執からわたしを抜け出させてくれたのだ。2年かけてやっと、わたしは自分の「不可能性」に辿りついた。そして、それは自分ひとりで道を切り拓くことの覚悟を連れてきた。同時期に、在籍している女性間風俗の店長が、独立して店を出さないかと打診してきていたのは、必然だったのかもしれない。お客様の来店理由は“性”の迷いや悩み 再指名されることが多かったわたしは、お客様とどんな風に対峙しているのかをたびたび店長と話していた。たとえば、お客様の来店理由を聞くと、その7割ほどには“性”全般の迷いや悩みが含まれていること。風俗利用がまだ浸透していない女性に、詳細なプレイ内容や肌を露出した写真を載せて、「どれだけエロいことができるか」を打ち出す営業スタイルは、「自分がこの子を買うのだ」という搾取のような感覚が強く働いてしまって逆効果であるということ。欲望の自覚があっても素直に発散することには心理的なハードルがまだ高いから、「何かを改善する」「癒されたい」という望みを叶えるスタンスでいる方が、利用に繋がりやすいようだ、ということなどを伝えていた。 今でこそ、女性客を対象にする風俗店は、安心して利用できるような工夫に余念が無いが、2017年当時はそういう店は一部しかなかった。男性向け店舗の片手間に運営されていて、問い合わせてもまともな回答を貰えなかったとか、知らぬ間に閉店していたなどもザラ。件のレポ漫画がSNSで人気になったのと同時に、「レズ風俗」の呼び名でブームのように知られていき、新たな市場として風俗業界の中で徐々に見出されていったのが、この5年ほどの話である。“風俗っぽくない”から出会える人たち そんな経緯と背景から、自分の店を持つことになったときには「不安が払しょくされて、より利用しやすく感じる店」というコンセプトで、従来型の風俗店とは違うことをしようと考えた。まず代表である自分が最初から顔を出しているのは、「風俗っぽくなさ」を極めるのに必要だと思った。代表者の顔が出ていると、この店をどんな人が・何を考えて作ったのか、ちょっと上質な製品やサービスを選ぶときのように知ることができて、安心感につながるのではないかと考えた。 また、いちキャストとして働いていたときから重要だと感じていた、「利用のきっかけ」を30分もかけてヒアリングすることにした。性サービスの前座にしては長く、身の上を聞くには短いその30分間で、女性たちはさまざまな想いをまるで息を漏らすように細かく話してくれる。“この歳になっても”まだ処女だから婚活の障害になりそうで不安だとか、彼氏がいる女性を好きになってしまってつらいとか、性的な欲求がわかない・誰とも付き合いたくない自分を異常だと感じているとか…皆、快楽を得る以前に「性」や「愛」でがんじがらめにされていることを、初対面のわたし達に話す。「性」の話はナイーブで、日常的に関わる人に話すと心理的なコストを払ったり、暴露被害(アウティング)などのリスクになったりすることもある。そんな日常的な悩みと風俗利用という非日常との狭間で求められる絶妙なラインを体現する形で、「対話型レズ風俗 Relieve ~リリーヴ~」は誕生した。「センシティブな『性』の話題をいかにして話してもらうのか」  “女性間風俗”オーナーが語る「対話の場」の重要性 へ続く(橘 みつ)
解雇直後、すぐに仕事が必要だった。何かと気を揉む実家に戻らねばならなくなることを何よりも恐れていたので、ゆっくり療養する暇などなかったが、3カ月で転職という履歴は採用を得るには見栄えが悪かった。何より、フルタイムで問題なく働ける体調にすぐ戻るはずもなく、まずは銀座のホステスとして当座の生活費を捻出することにした。少しでも体を休める時間を確保したかったから、短時間で高額が稼げる「夜の仕事」はありがたかった。数カ月働いたのち、「お触り」のひどさでホステスを辞め、どうせ触られるのならば、と風俗店の求人も視野に入れた矢先に見つけたのが、女性間風俗だ。『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』という名のエッセイ漫画がSNSを中心に話題となったのは、2016年の終わり頃だろうか。母親との接し方に難しさを感じている著者が女性間風俗に行ったら、人肌の温もりと抱きしめられる感覚で意外な気づきと癒しを得たという内容で、反響の大きさから、著者と同じような経験を期待した人の来店が増えそうだと感じた。そして、挫折と立ち直りの真っただ中に居る自分だからこそ、そのような深いところにある話を聞き、癒しの時間を作れるという自負が生まれた。すぐに情報を集め、入店希望を出した中でも、面接までスムーズに案内してくれたところに在籍を決めたのは、2017年5月のことだ。 一方では、昼間の仕事に戻る望みを捨てられずにいた。社員を目指して体調を何度も崩しては欠勤と退職を繰り返していたが、次第にフルタイム勤務がうまくできない理由が自分でも分かってきた。「不快の源」に過敏になってしまう… さまざまな「不快の源」に過敏になってしまうわたしには、職場の人が発する不穏さが耐えがたくつらい。言葉として形にされなくても、わたしに直接向けられたものでなくても、その人の視線、呼吸、語調や貧乏ゆすりまでの濃淡ある多種多様な負の感情が、フロア中から濁流のように押し寄せるのが感じられる。それらが実家での記憶を呼び起こさせるのか、相手を刺激しないように細心の注意を払って、ときに先回りして「相手の不快を和らげる行動」をしてしまう。素敵な上司や先輩に恵まれた職場でも、業務範囲を超えた気配りを毎日長時間していれば疲弊するのは当然で、やがては出社ができなくなってしまうのだ。 自分のことがわかっていないと、周囲に対して「これはできて、これは難しい。でもここまでなら可能だから、迷惑を減らせるようにこう対策したい」という擦り合わせができない。だから与えられた環境に順応できる日が来るはずだと信じて愚直に頑張り、「出来ない自分は甘えているに違いない」と自責してきた。しかし、カウンセリングによる自己理解とさまざまな職場での人との関わりが、一つずつ「甘えかもしれない」と感じる要素をつぶしてくれ、「“普通”に働けること」への固執からわたしを抜け出させてくれたのだ。2年かけてやっと、わたしは自分の「不可能性」に辿りついた。そして、それは自分ひとりで道を切り拓くことの覚悟を連れてきた。同時期に、在籍している女性間風俗の店長が、独立して店を出さないかと打診してきていたのは、必然だったのかもしれない。お客様の来店理由は“性”の迷いや悩み 再指名されることが多かったわたしは、お客様とどんな風に対峙しているのかをたびたび店長と話していた。たとえば、お客様の来店理由を聞くと、その7割ほどには“性”全般の迷いや悩みが含まれていること。風俗利用がまだ浸透していない女性に、詳細なプレイ内容や肌を露出した写真を載せて、「どれだけエロいことができるか」を打ち出す営業スタイルは、「自分がこの子を買うのだ」という搾取のような感覚が強く働いてしまって逆効果であるということ。欲望の自覚があっても素直に発散することには心理的なハードルがまだ高いから、「何かを改善する」「癒されたい」という望みを叶えるスタンスでいる方が、利用に繋がりやすいようだ、ということなどを伝えていた。 今でこそ、女性客を対象にする風俗店は、安心して利用できるような工夫に余念が無いが、2017年当時はそういう店は一部しかなかった。男性向け店舗の片手間に運営されていて、問い合わせてもまともな回答を貰えなかったとか、知らぬ間に閉店していたなどもザラ。件のレポ漫画がSNSで人気になったのと同時に、「レズ風俗」の呼び名でブームのように知られていき、新たな市場として風俗業界の中で徐々に見出されていったのが、この5年ほどの話である。“風俗っぽくない”から出会える人たち そんな経緯と背景から、自分の店を持つことになったときには「不安が払しょくされて、より利用しやすく感じる店」というコンセプトで、従来型の風俗店とは違うことをしようと考えた。まず代表である自分が最初から顔を出しているのは、「風俗っぽくなさ」を極めるのに必要だと思った。代表者の顔が出ていると、この店をどんな人が・何を考えて作ったのか、ちょっと上質な製品やサービスを選ぶときのように知ることができて、安心感につながるのではないかと考えた。 また、いちキャストとして働いていたときから重要だと感じていた、「利用のきっかけ」を30分もかけてヒアリングすることにした。性サービスの前座にしては長く、身の上を聞くには短いその30分間で、女性たちはさまざまな想いをまるで息を漏らすように細かく話してくれる。“この歳になっても”まだ処女だから婚活の障害になりそうで不安だとか、彼氏がいる女性を好きになってしまってつらいとか、性的な欲求がわかない・誰とも付き合いたくない自分を異常だと感じているとか…皆、快楽を得る以前に「性」や「愛」でがんじがらめにされていることを、初対面のわたし達に話す。「性」の話はナイーブで、日常的に関わる人に話すと心理的なコストを払ったり、暴露被害(アウティング)などのリスクになったりすることもある。そんな日常的な悩みと風俗利用という非日常との狭間で求められる絶妙なラインを体現する形で、「対話型レズ風俗 Relieve ~リリーヴ~」は誕生した。「センシティブな『性』の話題をいかにして話してもらうのか」  “女性間風俗”オーナーが語る「対話の場」の重要性 へ続く(橘 みつ)
『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』という名のエッセイ漫画がSNSを中心に話題となったのは、2016年の終わり頃だろうか。母親との接し方に難しさを感じている著者が女性間風俗に行ったら、人肌の温もりと抱きしめられる感覚で意外な気づきと癒しを得たという内容で、反響の大きさから、著者と同じような経験を期待した人の来店が増えそうだと感じた。そして、挫折と立ち直りの真っただ中に居る自分だからこそ、そのような深いところにある話を聞き、癒しの時間を作れるという自負が生まれた。すぐに情報を集め、入店希望を出した中でも、面接までスムーズに案内してくれたところに在籍を決めたのは、2017年5月のことだ。 一方では、昼間の仕事に戻る望みを捨てられずにいた。社員を目指して体調を何度も崩しては欠勤と退職を繰り返していたが、次第にフルタイム勤務がうまくできない理由が自分でも分かってきた。「不快の源」に過敏になってしまう… さまざまな「不快の源」に過敏になってしまうわたしには、職場の人が発する不穏さが耐えがたくつらい。言葉として形にされなくても、わたしに直接向けられたものでなくても、その人の視線、呼吸、語調や貧乏ゆすりまでの濃淡ある多種多様な負の感情が、フロア中から濁流のように押し寄せるのが感じられる。それらが実家での記憶を呼び起こさせるのか、相手を刺激しないように細心の注意を払って、ときに先回りして「相手の不快を和らげる行動」をしてしまう。素敵な上司や先輩に恵まれた職場でも、業務範囲を超えた気配りを毎日長時間していれば疲弊するのは当然で、やがては出社ができなくなってしまうのだ。 自分のことがわかっていないと、周囲に対して「これはできて、これは難しい。でもここまでなら可能だから、迷惑を減らせるようにこう対策したい」という擦り合わせができない。だから与えられた環境に順応できる日が来るはずだと信じて愚直に頑張り、「出来ない自分は甘えているに違いない」と自責してきた。しかし、カウンセリングによる自己理解とさまざまな職場での人との関わりが、一つずつ「甘えかもしれない」と感じる要素をつぶしてくれ、「“普通”に働けること」への固執からわたしを抜け出させてくれたのだ。2年かけてやっと、わたしは自分の「不可能性」に辿りついた。そして、それは自分ひとりで道を切り拓くことの覚悟を連れてきた。同時期に、在籍している女性間風俗の店長が、独立して店を出さないかと打診してきていたのは、必然だったのかもしれない。お客様の来店理由は“性”の迷いや悩み 再指名されることが多かったわたしは、お客様とどんな風に対峙しているのかをたびたび店長と話していた。たとえば、お客様の来店理由を聞くと、その7割ほどには“性”全般の迷いや悩みが含まれていること。風俗利用がまだ浸透していない女性に、詳細なプレイ内容や肌を露出した写真を載せて、「どれだけエロいことができるか」を打ち出す営業スタイルは、「自分がこの子を買うのだ」という搾取のような感覚が強く働いてしまって逆効果であるということ。欲望の自覚があっても素直に発散することには心理的なハードルがまだ高いから、「何かを改善する」「癒されたい」という望みを叶えるスタンスでいる方が、利用に繋がりやすいようだ、ということなどを伝えていた。 今でこそ、女性客を対象にする風俗店は、安心して利用できるような工夫に余念が無いが、2017年当時はそういう店は一部しかなかった。男性向け店舗の片手間に運営されていて、問い合わせてもまともな回答を貰えなかったとか、知らぬ間に閉店していたなどもザラ。件のレポ漫画がSNSで人気になったのと同時に、「レズ風俗」の呼び名でブームのように知られていき、新たな市場として風俗業界の中で徐々に見出されていったのが、この5年ほどの話である。“風俗っぽくない”から出会える人たち そんな経緯と背景から、自分の店を持つことになったときには「不安が払しょくされて、より利用しやすく感じる店」というコンセプトで、従来型の風俗店とは違うことをしようと考えた。まず代表である自分が最初から顔を出しているのは、「風俗っぽくなさ」を極めるのに必要だと思った。代表者の顔が出ていると、この店をどんな人が・何を考えて作ったのか、ちょっと上質な製品やサービスを選ぶときのように知ることができて、安心感につながるのではないかと考えた。 また、いちキャストとして働いていたときから重要だと感じていた、「利用のきっかけ」を30分もかけてヒアリングすることにした。性サービスの前座にしては長く、身の上を聞くには短いその30分間で、女性たちはさまざまな想いをまるで息を漏らすように細かく話してくれる。“この歳になっても”まだ処女だから婚活の障害になりそうで不安だとか、彼氏がいる女性を好きになってしまってつらいとか、性的な欲求がわかない・誰とも付き合いたくない自分を異常だと感じているとか…皆、快楽を得る以前に「性」や「愛」でがんじがらめにされていることを、初対面のわたし達に話す。「性」の話はナイーブで、日常的に関わる人に話すと心理的なコストを払ったり、暴露被害(アウティング)などのリスクになったりすることもある。そんな日常的な悩みと風俗利用という非日常との狭間で求められる絶妙なラインを体現する形で、「対話型レズ風俗 Relieve ~リリーヴ~」は誕生した。「センシティブな『性』の話題をいかにして話してもらうのか」  “女性間風俗”オーナーが語る「対話の場」の重要性 へ続く(橘 みつ)
一方では、昼間の仕事に戻る望みを捨てられずにいた。社員を目指して体調を何度も崩しては欠勤と退職を繰り返していたが、次第にフルタイム勤務がうまくできない理由が自分でも分かってきた。「不快の源」に過敏になってしまう… さまざまな「不快の源」に過敏になってしまうわたしには、職場の人が発する不穏さが耐えがたくつらい。言葉として形にされなくても、わたしに直接向けられたものでなくても、その人の視線、呼吸、語調や貧乏ゆすりまでの濃淡ある多種多様な負の感情が、フロア中から濁流のように押し寄せるのが感じられる。それらが実家での記憶を呼び起こさせるのか、相手を刺激しないように細心の注意を払って、ときに先回りして「相手の不快を和らげる行動」をしてしまう。素敵な上司や先輩に恵まれた職場でも、業務範囲を超えた気配りを毎日長時間していれば疲弊するのは当然で、やがては出社ができなくなってしまうのだ。 自分のことがわかっていないと、周囲に対して「これはできて、これは難しい。でもここまでなら可能だから、迷惑を減らせるようにこう対策したい」という擦り合わせができない。だから与えられた環境に順応できる日が来るはずだと信じて愚直に頑張り、「出来ない自分は甘えているに違いない」と自責してきた。しかし、カウンセリングによる自己理解とさまざまな職場での人との関わりが、一つずつ「甘えかもしれない」と感じる要素をつぶしてくれ、「“普通”に働けること」への固執からわたしを抜け出させてくれたのだ。2年かけてやっと、わたしは自分の「不可能性」に辿りついた。そして、それは自分ひとりで道を切り拓くことの覚悟を連れてきた。同時期に、在籍している女性間風俗の店長が、独立して店を出さないかと打診してきていたのは、必然だったのかもしれない。お客様の来店理由は“性”の迷いや悩み 再指名されることが多かったわたしは、お客様とどんな風に対峙しているのかをたびたび店長と話していた。たとえば、お客様の来店理由を聞くと、その7割ほどには“性”全般の迷いや悩みが含まれていること。風俗利用がまだ浸透していない女性に、詳細なプレイ内容や肌を露出した写真を載せて、「どれだけエロいことができるか」を打ち出す営業スタイルは、「自分がこの子を買うのだ」という搾取のような感覚が強く働いてしまって逆効果であるということ。欲望の自覚があっても素直に発散することには心理的なハードルがまだ高いから、「何かを改善する」「癒されたい」という望みを叶えるスタンスでいる方が、利用に繋がりやすいようだ、ということなどを伝えていた。 今でこそ、女性客を対象にする風俗店は、安心して利用できるような工夫に余念が無いが、2017年当時はそういう店は一部しかなかった。男性向け店舗の片手間に運営されていて、問い合わせてもまともな回答を貰えなかったとか、知らぬ間に閉店していたなどもザラ。件のレポ漫画がSNSで人気になったのと同時に、「レズ風俗」の呼び名でブームのように知られていき、新たな市場として風俗業界の中で徐々に見出されていったのが、この5年ほどの話である。“風俗っぽくない”から出会える人たち そんな経緯と背景から、自分の店を持つことになったときには「不安が払しょくされて、より利用しやすく感じる店」というコンセプトで、従来型の風俗店とは違うことをしようと考えた。まず代表である自分が最初から顔を出しているのは、「風俗っぽくなさ」を極めるのに必要だと思った。代表者の顔が出ていると、この店をどんな人が・何を考えて作ったのか、ちょっと上質な製品やサービスを選ぶときのように知ることができて、安心感につながるのではないかと考えた。 また、いちキャストとして働いていたときから重要だと感じていた、「利用のきっかけ」を30分もかけてヒアリングすることにした。性サービスの前座にしては長く、身の上を聞くには短いその30分間で、女性たちはさまざまな想いをまるで息を漏らすように細かく話してくれる。“この歳になっても”まだ処女だから婚活の障害になりそうで不安だとか、彼氏がいる女性を好きになってしまってつらいとか、性的な欲求がわかない・誰とも付き合いたくない自分を異常だと感じているとか…皆、快楽を得る以前に「性」や「愛」でがんじがらめにされていることを、初対面のわたし達に話す。「性」の話はナイーブで、日常的に関わる人に話すと心理的なコストを払ったり、暴露被害(アウティング)などのリスクになったりすることもある。そんな日常的な悩みと風俗利用という非日常との狭間で求められる絶妙なラインを体現する形で、「対話型レズ風俗 Relieve ~リリーヴ~」は誕生した。「センシティブな『性』の話題をいかにして話してもらうのか」  “女性間風俗”オーナーが語る「対話の場」の重要性 へ続く(橘 みつ)
「不快の源」に過敏になってしまう… さまざまな「不快の源」に過敏になってしまうわたしには、職場の人が発する不穏さが耐えがたくつらい。言葉として形にされなくても、わたしに直接向けられたものでなくても、その人の視線、呼吸、語調や貧乏ゆすりまでの濃淡ある多種多様な負の感情が、フロア中から濁流のように押し寄せるのが感じられる。それらが実家での記憶を呼び起こさせるのか、相手を刺激しないように細心の注意を払って、ときに先回りして「相手の不快を和らげる行動」をしてしまう。素敵な上司や先輩に恵まれた職場でも、業務範囲を超えた気配りを毎日長時間していれば疲弊するのは当然で、やがては出社ができなくなってしまうのだ。 自分のことがわかっていないと、周囲に対して「これはできて、これは難しい。でもここまでなら可能だから、迷惑を減らせるようにこう対策したい」という擦り合わせができない。だから与えられた環境に順応できる日が来るはずだと信じて愚直に頑張り、「出来ない自分は甘えているに違いない」と自責してきた。しかし、カウンセリングによる自己理解とさまざまな職場での人との関わりが、一つずつ「甘えかもしれない」と感じる要素をつぶしてくれ、「“普通”に働けること」への固執からわたしを抜け出させてくれたのだ。2年かけてやっと、わたしは自分の「不可能性」に辿りついた。そして、それは自分ひとりで道を切り拓くことの覚悟を連れてきた。同時期に、在籍している女性間風俗の店長が、独立して店を出さないかと打診してきていたのは、必然だったのかもしれない。お客様の来店理由は“性”の迷いや悩み 再指名されることが多かったわたしは、お客様とどんな風に対峙しているのかをたびたび店長と話していた。たとえば、お客様の来店理由を聞くと、その7割ほどには“性”全般の迷いや悩みが含まれていること。風俗利用がまだ浸透していない女性に、詳細なプレイ内容や肌を露出した写真を載せて、「どれだけエロいことができるか」を打ち出す営業スタイルは、「自分がこの子を買うのだ」という搾取のような感覚が強く働いてしまって逆効果であるということ。欲望の自覚があっても素直に発散することには心理的なハードルがまだ高いから、「何かを改善する」「癒されたい」という望みを叶えるスタンスでいる方が、利用に繋がりやすいようだ、ということなどを伝えていた。 今でこそ、女性客を対象にする風俗店は、安心して利用できるような工夫に余念が無いが、2017年当時はそういう店は一部しかなかった。男性向け店舗の片手間に運営されていて、問い合わせてもまともな回答を貰えなかったとか、知らぬ間に閉店していたなどもザラ。件のレポ漫画がSNSで人気になったのと同時に、「レズ風俗」の呼び名でブームのように知られていき、新たな市場として風俗業界の中で徐々に見出されていったのが、この5年ほどの話である。“風俗っぽくない”から出会える人たち そんな経緯と背景から、自分の店を持つことになったときには「不安が払しょくされて、より利用しやすく感じる店」というコンセプトで、従来型の風俗店とは違うことをしようと考えた。まず代表である自分が最初から顔を出しているのは、「風俗っぽくなさ」を極めるのに必要だと思った。代表者の顔が出ていると、この店をどんな人が・何を考えて作ったのか、ちょっと上質な製品やサービスを選ぶときのように知ることができて、安心感につながるのではないかと考えた。 また、いちキャストとして働いていたときから重要だと感じていた、「利用のきっかけ」を30分もかけてヒアリングすることにした。性サービスの前座にしては長く、身の上を聞くには短いその30分間で、女性たちはさまざまな想いをまるで息を漏らすように細かく話してくれる。“この歳になっても”まだ処女だから婚活の障害になりそうで不安だとか、彼氏がいる女性を好きになってしまってつらいとか、性的な欲求がわかない・誰とも付き合いたくない自分を異常だと感じているとか…皆、快楽を得る以前に「性」や「愛」でがんじがらめにされていることを、初対面のわたし達に話す。「性」の話はナイーブで、日常的に関わる人に話すと心理的なコストを払ったり、暴露被害(アウティング)などのリスクになったりすることもある。そんな日常的な悩みと風俗利用という非日常との狭間で求められる絶妙なラインを体現する形で、「対話型レズ風俗 Relieve ~リリーヴ~」は誕生した。「センシティブな『性』の話題をいかにして話してもらうのか」  “女性間風俗”オーナーが語る「対話の場」の重要性 へ続く(橘 みつ)
さまざまな「不快の源」に過敏になってしまうわたしには、職場の人が発する不穏さが耐えがたくつらい。言葉として形にされなくても、わたしに直接向けられたものでなくても、その人の視線、呼吸、語調や貧乏ゆすりまでの濃淡ある多種多様な負の感情が、フロア中から濁流のように押し寄せるのが感じられる。それらが実家での記憶を呼び起こさせるのか、相手を刺激しないように細心の注意を払って、ときに先回りして「相手の不快を和らげる行動」をしてしまう。素敵な上司や先輩に恵まれた職場でも、業務範囲を超えた気配りを毎日長時間していれば疲弊するのは当然で、やがては出社ができなくなってしまうのだ。 自分のことがわかっていないと、周囲に対して「これはできて、これは難しい。でもここまでなら可能だから、迷惑を減らせるようにこう対策したい」という擦り合わせができない。だから与えられた環境に順応できる日が来るはずだと信じて愚直に頑張り、「出来ない自分は甘えているに違いない」と自責してきた。しかし、カウンセリングによる自己理解とさまざまな職場での人との関わりが、一つずつ「甘えかもしれない」と感じる要素をつぶしてくれ、「“普通”に働けること」への固執からわたしを抜け出させてくれたのだ。2年かけてやっと、わたしは自分の「不可能性」に辿りついた。そして、それは自分ひとりで道を切り拓くことの覚悟を連れてきた。同時期に、在籍している女性間風俗の店長が、独立して店を出さないかと打診してきていたのは、必然だったのかもしれない。お客様の来店理由は“性”の迷いや悩み 再指名されることが多かったわたしは、お客様とどんな風に対峙しているのかをたびたび店長と話していた。たとえば、お客様の来店理由を聞くと、その7割ほどには“性”全般の迷いや悩みが含まれていること。風俗利用がまだ浸透していない女性に、詳細なプレイ内容や肌を露出した写真を載せて、「どれだけエロいことができるか」を打ち出す営業スタイルは、「自分がこの子を買うのだ」という搾取のような感覚が強く働いてしまって逆効果であるということ。欲望の自覚があっても素直に発散することには心理的なハードルがまだ高いから、「何かを改善する」「癒されたい」という望みを叶えるスタンスでいる方が、利用に繋がりやすいようだ、ということなどを伝えていた。 今でこそ、女性客を対象にする風俗店は、安心して利用できるような工夫に余念が無いが、2017年当時はそういう店は一部しかなかった。男性向け店舗の片手間に運営されていて、問い合わせてもまともな回答を貰えなかったとか、知らぬ間に閉店していたなどもザラ。件のレポ漫画がSNSで人気になったのと同時に、「レズ風俗」の呼び名でブームのように知られていき、新たな市場として風俗業界の中で徐々に見出されていったのが、この5年ほどの話である。“風俗っぽくない”から出会える人たち そんな経緯と背景から、自分の店を持つことになったときには「不安が払しょくされて、より利用しやすく感じる店」というコンセプトで、従来型の風俗店とは違うことをしようと考えた。まず代表である自分が最初から顔を出しているのは、「風俗っぽくなさ」を極めるのに必要だと思った。代表者の顔が出ていると、この店をどんな人が・何を考えて作ったのか、ちょっと上質な製品やサービスを選ぶときのように知ることができて、安心感につながるのではないかと考えた。 また、いちキャストとして働いていたときから重要だと感じていた、「利用のきっかけ」を30分もかけてヒアリングすることにした。性サービスの前座にしては長く、身の上を聞くには短いその30分間で、女性たちはさまざまな想いをまるで息を漏らすように細かく話してくれる。“この歳になっても”まだ処女だから婚活の障害になりそうで不安だとか、彼氏がいる女性を好きになってしまってつらいとか、性的な欲求がわかない・誰とも付き合いたくない自分を異常だと感じているとか…皆、快楽を得る以前に「性」や「愛」でがんじがらめにされていることを、初対面のわたし達に話す。「性」の話はナイーブで、日常的に関わる人に話すと心理的なコストを払ったり、暴露被害(アウティング)などのリスクになったりすることもある。そんな日常的な悩みと風俗利用という非日常との狭間で求められる絶妙なラインを体現する形で、「対話型レズ風俗 Relieve ~リリーヴ~」は誕生した。「センシティブな『性』の話題をいかにして話してもらうのか」  “女性間風俗”オーナーが語る「対話の場」の重要性 へ続く(橘 みつ)
自分のことがわかっていないと、周囲に対して「これはできて、これは難しい。でもここまでなら可能だから、迷惑を減らせるようにこう対策したい」という擦り合わせができない。だから与えられた環境に順応できる日が来るはずだと信じて愚直に頑張り、「出来ない自分は甘えているに違いない」と自責してきた。しかし、カウンセリングによる自己理解とさまざまな職場での人との関わりが、一つずつ「甘えかもしれない」と感じる要素をつぶしてくれ、「“普通”に働けること」への固執からわたしを抜け出させてくれたのだ。2年かけてやっと、わたしは自分の「不可能性」に辿りついた。そして、それは自分ひとりで道を切り拓くことの覚悟を連れてきた。同時期に、在籍している女性間風俗の店長が、独立して店を出さないかと打診してきていたのは、必然だったのかもしれない。お客様の来店理由は“性”の迷いや悩み 再指名されることが多かったわたしは、お客様とどんな風に対峙しているのかをたびたび店長と話していた。たとえば、お客様の来店理由を聞くと、その7割ほどには“性”全般の迷いや悩みが含まれていること。風俗利用がまだ浸透していない女性に、詳細なプレイ内容や肌を露出した写真を載せて、「どれだけエロいことができるか」を打ち出す営業スタイルは、「自分がこの子を買うのだ」という搾取のような感覚が強く働いてしまって逆効果であるということ。欲望の自覚があっても素直に発散することには心理的なハードルがまだ高いから、「何かを改善する」「癒されたい」という望みを叶えるスタンスでいる方が、利用に繋がりやすいようだ、ということなどを伝えていた。 今でこそ、女性客を対象にする風俗店は、安心して利用できるような工夫に余念が無いが、2017年当時はそういう店は一部しかなかった。男性向け店舗の片手間に運営されていて、問い合わせてもまともな回答を貰えなかったとか、知らぬ間に閉店していたなどもザラ。件のレポ漫画がSNSで人気になったのと同時に、「レズ風俗」の呼び名でブームのように知られていき、新たな市場として風俗業界の中で徐々に見出されていったのが、この5年ほどの話である。“風俗っぽくない”から出会える人たち そんな経緯と背景から、自分の店を持つことになったときには「不安が払しょくされて、より利用しやすく感じる店」というコンセプトで、従来型の風俗店とは違うことをしようと考えた。まず代表である自分が最初から顔を出しているのは、「風俗っぽくなさ」を極めるのに必要だと思った。代表者の顔が出ていると、この店をどんな人が・何を考えて作ったのか、ちょっと上質な製品やサービスを選ぶときのように知ることができて、安心感につながるのではないかと考えた。 また、いちキャストとして働いていたときから重要だと感じていた、「利用のきっかけ」を30分もかけてヒアリングすることにした。性サービスの前座にしては長く、身の上を聞くには短いその30分間で、女性たちはさまざまな想いをまるで息を漏らすように細かく話してくれる。“この歳になっても”まだ処女だから婚活の障害になりそうで不安だとか、彼氏がいる女性を好きになってしまってつらいとか、性的な欲求がわかない・誰とも付き合いたくない自分を異常だと感じているとか…皆、快楽を得る以前に「性」や「愛」でがんじがらめにされていることを、初対面のわたし達に話す。「性」の話はナイーブで、日常的に関わる人に話すと心理的なコストを払ったり、暴露被害(アウティング)などのリスクになったりすることもある。そんな日常的な悩みと風俗利用という非日常との狭間で求められる絶妙なラインを体現する形で、「対話型レズ風俗 Relieve ~リリーヴ~」は誕生した。「センシティブな『性』の話題をいかにして話してもらうのか」  “女性間風俗”オーナーが語る「対話の場」の重要性 へ続く(橘 みつ)
再指名されることが多かったわたしは、お客様とどんな風に対峙しているのかをたびたび店長と話していた。たとえば、お客様の来店理由を聞くと、その7割ほどには“性”全般の迷いや悩みが含まれていること。風俗利用がまだ浸透していない女性に、詳細なプレイ内容や肌を露出した写真を載せて、「どれだけエロいことができるか」を打ち出す営業スタイルは、「自分がこの子を買うのだ」という搾取のような感覚が強く働いてしまって逆効果であるということ。欲望の自覚があっても素直に発散することには心理的なハードルがまだ高いから、「何かを改善する」「癒されたい」という望みを叶えるスタンスでいる方が、利用に繋がりやすいようだ、ということなどを伝えていた。 今でこそ、女性客を対象にする風俗店は、安心して利用できるような工夫に余念が無いが、2017年当時はそういう店は一部しかなかった。男性向け店舗の片手間に運営されていて、問い合わせてもまともな回答を貰えなかったとか、知らぬ間に閉店していたなどもザラ。件のレポ漫画がSNSで人気になったのと同時に、「レズ風俗」の呼び名でブームのように知られていき、新たな市場として風俗業界の中で徐々に見出されていったのが、この5年ほどの話である。“風俗っぽくない”から出会える人たち そんな経緯と背景から、自分の店を持つことになったときには「不安が払しょくされて、より利用しやすく感じる店」というコンセプトで、従来型の風俗店とは違うことをしようと考えた。まず代表である自分が最初から顔を出しているのは、「風俗っぽくなさ」を極めるのに必要だと思った。代表者の顔が出ていると、この店をどんな人が・何を考えて作ったのか、ちょっと上質な製品やサービスを選ぶときのように知ることができて、安心感につながるのではないかと考えた。 また、いちキャストとして働いていたときから重要だと感じていた、「利用のきっかけ」を30分もかけてヒアリングすることにした。性サービスの前座にしては長く、身の上を聞くには短いその30分間で、女性たちはさまざまな想いをまるで息を漏らすように細かく話してくれる。“この歳になっても”まだ処女だから婚活の障害になりそうで不安だとか、彼氏がいる女性を好きになってしまってつらいとか、性的な欲求がわかない・誰とも付き合いたくない自分を異常だと感じているとか…皆、快楽を得る以前に「性」や「愛」でがんじがらめにされていることを、初対面のわたし達に話す。「性」の話はナイーブで、日常的に関わる人に話すと心理的なコストを払ったり、暴露被害(アウティング)などのリスクになったりすることもある。そんな日常的な悩みと風俗利用という非日常との狭間で求められる絶妙なラインを体現する形で、「対話型レズ風俗 Relieve ~リリーヴ~」は誕生した。「センシティブな『性』の話題をいかにして話してもらうのか」  “女性間風俗”オーナーが語る「対話の場」の重要性 へ続く(橘 みつ)
今でこそ、女性客を対象にする風俗店は、安心して利用できるような工夫に余念が無いが、2017年当時はそういう店は一部しかなかった。男性向け店舗の片手間に運営されていて、問い合わせてもまともな回答を貰えなかったとか、知らぬ間に閉店していたなどもザラ。件のレポ漫画がSNSで人気になったのと同時に、「レズ風俗」の呼び名でブームのように知られていき、新たな市場として風俗業界の中で徐々に見出されていったのが、この5年ほどの話である。“風俗っぽくない”から出会える人たち そんな経緯と背景から、自分の店を持つことになったときには「不安が払しょくされて、より利用しやすく感じる店」というコンセプトで、従来型の風俗店とは違うことをしようと考えた。まず代表である自分が最初から顔を出しているのは、「風俗っぽくなさ」を極めるのに必要だと思った。代表者の顔が出ていると、この店をどんな人が・何を考えて作ったのか、ちょっと上質な製品やサービスを選ぶときのように知ることができて、安心感につながるのではないかと考えた。 また、いちキャストとして働いていたときから重要だと感じていた、「利用のきっかけ」を30分もかけてヒアリングすることにした。性サービスの前座にしては長く、身の上を聞くには短いその30分間で、女性たちはさまざまな想いをまるで息を漏らすように細かく話してくれる。“この歳になっても”まだ処女だから婚活の障害になりそうで不安だとか、彼氏がいる女性を好きになってしまってつらいとか、性的な欲求がわかない・誰とも付き合いたくない自分を異常だと感じているとか…皆、快楽を得る以前に「性」や「愛」でがんじがらめにされていることを、初対面のわたし達に話す。「性」の話はナイーブで、日常的に関わる人に話すと心理的なコストを払ったり、暴露被害(アウティング)などのリスクになったりすることもある。そんな日常的な悩みと風俗利用という非日常との狭間で求められる絶妙なラインを体現する形で、「対話型レズ風俗 Relieve ~リリーヴ~」は誕生した。「センシティブな『性』の話題をいかにして話してもらうのか」  “女性間風俗”オーナーが語る「対話の場」の重要性 へ続く(橘 みつ)
“風俗っぽくない”から出会える人たち そんな経緯と背景から、自分の店を持つことになったときには「不安が払しょくされて、より利用しやすく感じる店」というコンセプトで、従来型の風俗店とは違うことをしようと考えた。まず代表である自分が最初から顔を出しているのは、「風俗っぽくなさ」を極めるのに必要だと思った。代表者の顔が出ていると、この店をどんな人が・何を考えて作ったのか、ちょっと上質な製品やサービスを選ぶときのように知ることができて、安心感につながるのではないかと考えた。 また、いちキャストとして働いていたときから重要だと感じていた、「利用のきっかけ」を30分もかけてヒアリングすることにした。性サービスの前座にしては長く、身の上を聞くには短いその30分間で、女性たちはさまざまな想いをまるで息を漏らすように細かく話してくれる。“この歳になっても”まだ処女だから婚活の障害になりそうで不安だとか、彼氏がいる女性を好きになってしまってつらいとか、性的な欲求がわかない・誰とも付き合いたくない自分を異常だと感じているとか…皆、快楽を得る以前に「性」や「愛」でがんじがらめにされていることを、初対面のわたし達に話す。「性」の話はナイーブで、日常的に関わる人に話すと心理的なコストを払ったり、暴露被害(アウティング)などのリスクになったりすることもある。そんな日常的な悩みと風俗利用という非日常との狭間で求められる絶妙なラインを体現する形で、「対話型レズ風俗 Relieve ~リリーヴ~」は誕生した。「センシティブな『性』の話題をいかにして話してもらうのか」  “女性間風俗”オーナーが語る「対話の場」の重要性 へ続く(橘 みつ)
そんな経緯と背景から、自分の店を持つことになったときには「不安が払しょくされて、より利用しやすく感じる店」というコンセプトで、従来型の風俗店とは違うことをしようと考えた。まず代表である自分が最初から顔を出しているのは、「風俗っぽくなさ」を極めるのに必要だと思った。代表者の顔が出ていると、この店をどんな人が・何を考えて作ったのか、ちょっと上質な製品やサービスを選ぶときのように知ることができて、安心感につながるのではないかと考えた。 また、いちキャストとして働いていたときから重要だと感じていた、「利用のきっかけ」を30分もかけてヒアリングすることにした。性サービスの前座にしては長く、身の上を聞くには短いその30分間で、女性たちはさまざまな想いをまるで息を漏らすように細かく話してくれる。“この歳になっても”まだ処女だから婚活の障害になりそうで不安だとか、彼氏がいる女性を好きになってしまってつらいとか、性的な欲求がわかない・誰とも付き合いたくない自分を異常だと感じているとか…皆、快楽を得る以前に「性」や「愛」でがんじがらめにされていることを、初対面のわたし達に話す。「性」の話はナイーブで、日常的に関わる人に話すと心理的なコストを払ったり、暴露被害(アウティング)などのリスクになったりすることもある。そんな日常的な悩みと風俗利用という非日常との狭間で求められる絶妙なラインを体現する形で、「対話型レズ風俗 Relieve ~リリーヴ~」は誕生した。「センシティブな『性』の話題をいかにして話してもらうのか」  “女性間風俗”オーナーが語る「対話の場」の重要性 へ続く(橘 みつ)
また、いちキャストとして働いていたときから重要だと感じていた、「利用のきっかけ」を30分もかけてヒアリングすることにした。性サービスの前座にしては長く、身の上を聞くには短いその30分間で、女性たちはさまざまな想いをまるで息を漏らすように細かく話してくれる。“この歳になっても”まだ処女だから婚活の障害になりそうで不安だとか、彼氏がいる女性を好きになってしまってつらいとか、性的な欲求がわかない・誰とも付き合いたくない自分を異常だと感じているとか…皆、快楽を得る以前に「性」や「愛」でがんじがらめにされていることを、初対面のわたし達に話す。「性」の話はナイーブで、日常的に関わる人に話すと心理的なコストを払ったり、暴露被害(アウティング)などのリスクになったりすることもある。そんな日常的な悩みと風俗利用という非日常との狭間で求められる絶妙なラインを体現する形で、「対話型レズ風俗 Relieve ~リリーヴ~」は誕生した。「センシティブな『性』の話題をいかにして話してもらうのか」  “女性間風俗”オーナーが語る「対話の場」の重要性 へ続く(橘 みつ)
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(橘 みつ)