林眞須美死刑囚の長女と孫が無理心中 一生逃れられぬ「血縁」への葛藤

和歌山カレー事件で有罪となった林眞須美死刑囚(59才)の長女と4才の孫が飛び降り死する事件が発生した。また、16才の孫も自宅で亡くなっていた。家族に何があったのか──。
【写真】飛び降り現場となった関空連絡橋。この高さから飛び降りたのか…。他、和歌山カレー事件当時、林一家の自宅の壁には大量のいたずら書きが…
1998年7月25日、和歌山市内の新興住宅地では、自治会が主催する夏祭りが予定されていた。そこで提供されたカレーを食べた人が、1人また1人と嘔吐する。腹痛や吐き気に襲われた人は合計67人。そのうち、自治会長や10才の子供を含む4人が死亡した。これが世に言う「和歌山カレー事件」だ。小さなコミュニティーで起きた無差別的な凶行は、当時センセーショナルに報じられた。当初は食中毒も疑われたが、ヒ素中毒であることが明らかになり、事件から約2か月半後に林眞須美死刑囚が逮捕された。
その事件発生から23年目の6月、一家を新たな悲劇が襲った。6月9日、大阪府泉佐野市と沖合にある関西国際空港を結ぶ関空連絡橋から女性と女児が飛び降り、約40分後に37才の女性と4才の女児がうつ伏せで浮いているのが発見された。37才の女性・久美さん(仮名)は、眞須美死刑囚の長女であることが判明。4才の女児は久美さんの次女だった。久美さんが無理心中を図ったものと見られている。
その直前、久美さんは自宅から「娘の意識がない!」と119番通報していた。救急隊が到着すると、久美さんの長女の鶴崎心桜(こころ)さん(享年16)が亡くなっていた。死因は外傷性ショックで、日常的に虐待を受けていた疑いが持たれている。離れても家族が大事 マスコミの耳目を集めたことで、平成という時代の記憶として深く刻まれる和歌山カレー事件。眞須美死刑囚は今どうしているのか。「その後、いまに至るまで一貫してカレー事件への関与を眞須美死刑囚は否定しています。検察の主張が状況証拠ばかりだと批判が集まり、冤罪を疑う声は、いまに至るまで根強い」(地元メディア関係者) そういった声が風向きを変えたのか、5月31日、眞須美死刑囚の再審請求が和歌山地裁に受理された。ただし、夏祭りに参加し、ヒ素入りカレーを実際に食べた70代の女性は、眞須美死刑囚の犯行だと信じて疑わない。「早くこの事件を一区切りさせてほしいですわ。なんであんなことしたんという怒りの気持ちでいっぱいです」 当時の林家を知る人物は、カレー事件当時の長女・久美さんのことをこう話す。「思春期ということもあって、あの頃はちょうど反抗期でした。年子の妹がいましてね。愛情が2人の妹と1人の弟にすべて注がれていると感じ、特に母親に反抗的な態度を取っていたように思います」 しかし、両親の逮捕後、妹や弟の面倒を、親代わりとなって見たのも久美さんだった。「4人は同じ施設に引き取られたのですが、その頃は、職員や同居する子供たちからの嫌がらせや暴力もあったそうです。でも、そのときにも久美さんは気丈に振る舞い、時にきょうだいを守ったりもしました。頭もよくて、看護師になるのが夢でしたね」(前出・林家を知る人物) しかし、なじめなかった高校を中退したこともあって、その夢からは遠ざかる。その後、施設を飛び出し大阪で働き始めた。「アパレル関係の仕事を選び、若いながらに活躍していたようで、この頃は金銭的にも余裕があったと思います。眞須美死刑囚にはたびたび手紙を書き、妹や弟にはこまめにプレゼントや小遣いをあげていました。離れていても、なによりも家族のことが大事だったのでしょう」(前出・林家を知る人物) 仕事は転々としていたようだが、《関西電力の関連会社で仕事してるわ。IH売ってるねんて。俺と一緒で口が巧いから、営業担当として、よう儲けとるわ。娘に言うんよ。“おまえ、IH売るのええけど、人だけはだますなよ”って。娘は“おまえに言われたない!”って(笑い)》 健治氏が過去、『女性セブン』記者にうれしそうにこう語っていたように、久美さんは営業でも好成績を収めていた時期があったようだ。犯罪者の娘 久美さんの人生に転機が訪れたのは19才のとき。「やっぱり家族を近くで支えたい、と大阪から和歌山に戻ったのですが、19才のときに、彼氏との間に子供ができていることがわかったのです」(前出・林家を知る人物) 1つ年下の彼氏・義幸さん(仮名)は、眞須美死刑囚が久美さんの母親であることなどの家庭事情を理解したうえで、子供を産み、3人で歩む道を選ぶ。それは同時に、義幸さんが実家と絶縁することを意味していた。「『犯罪者の娘』というのが付いてまわるわけです。どこに行っても。学校・職場・恋愛、どのような状況においても、それが足かせとなる。結婚となると、家同士の話でもありますからね。義幸さんの親もそう考えたのでしょう」(林家を取材したジャーナリスト) ふたりは同棲を始め、久美さんは2005年4月に女の子を出産する。それが心桜さんだ。当時、近所に住んでいた男性が一家をよく覚えていた。「小っちゃい女の子がおったところやな。両親が“こころちゃん”と呼んでたから覚えとる。旦那さんは単車で毎日仕事に出かけていた。住民はみんな、林眞須美の娘やって知ってたで。でも普通の家族やったし、問題を起こすこともなかったから、みんな普通に接してたんや」 一家は3年ほどそこで暮らし、その後、今回の犯行現場となったアパートに移り住む。この頃、久美さんは眞須美死刑囚と健治氏とは疎遠になっていた。「家族という守りたい存在ができた久美さんにとって、眞須美死刑囚の接見禁止解除や健治の出所という、事件が再注目されるような出来事が続くのがつらかったようです。母親の無実を信じたいという思いと、自分の新しい家族を守りたいという思いの板挟みになっていたのでしょう」(前出・ジャーナリスト) そんなときに、眞須美死刑囚が義幸さんの実家に手紙を送ったことで、母娘の関係は断絶状態になっていく。「手紙の内容はわかりませんが、久美さんは“余計なこと”と受け止めたのでしょう。と同時にいくら拘置所とこっちが高い塀で断絶されていようが、いくら面会室がアクリル板で断絶されていようが、血縁というものからは一生逃れられないことも痛感した。友達もできず、恋人ができたと思ったら離れていく。家族のことを話さないと、隠しているという罪悪感が生まれる。そして話すと離れる。この繰り返しのストレスの中、新たな血縁である心桜さんを育てていく葛藤は相当なものだったでしょう」(前出・ジャーナリスト)和歌山県警が実父の元へ 心桜さんが8才のとき、丁寧に築いてきた新しい家族が音を立てて壊れ始める。「2013年6月末に、心桜さんが虐待を受けている、という通告が児童相談所にあったのです。保護者と児相とで話し合いを続け、2014年1月までに改善が見られたので解決していた。しかし、この前後に心桜さんは、父・義幸さんと2人で家を出ました。そして、久美さんと義幸さんは離婚したとみられています」(前出・全国紙記者) 父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
マスコミの耳目を集めたことで、平成という時代の記憶として深く刻まれる和歌山カレー事件。眞須美死刑囚は今どうしているのか。「その後、いまに至るまで一貫してカレー事件への関与を眞須美死刑囚は否定しています。検察の主張が状況証拠ばかりだと批判が集まり、冤罪を疑う声は、いまに至るまで根強い」(地元メディア関係者) そういった声が風向きを変えたのか、5月31日、眞須美死刑囚の再審請求が和歌山地裁に受理された。ただし、夏祭りに参加し、ヒ素入りカレーを実際に食べた70代の女性は、眞須美死刑囚の犯行だと信じて疑わない。「早くこの事件を一区切りさせてほしいですわ。なんであんなことしたんという怒りの気持ちでいっぱいです」 当時の林家を知る人物は、カレー事件当時の長女・久美さんのことをこう話す。「思春期ということもあって、あの頃はちょうど反抗期でした。年子の妹がいましてね。愛情が2人の妹と1人の弟にすべて注がれていると感じ、特に母親に反抗的な態度を取っていたように思います」 しかし、両親の逮捕後、妹や弟の面倒を、親代わりとなって見たのも久美さんだった。「4人は同じ施設に引き取られたのですが、その頃は、職員や同居する子供たちからの嫌がらせや暴力もあったそうです。でも、そのときにも久美さんは気丈に振る舞い、時にきょうだいを守ったりもしました。頭もよくて、看護師になるのが夢でしたね」(前出・林家を知る人物) しかし、なじめなかった高校を中退したこともあって、その夢からは遠ざかる。その後、施設を飛び出し大阪で働き始めた。「アパレル関係の仕事を選び、若いながらに活躍していたようで、この頃は金銭的にも余裕があったと思います。眞須美死刑囚にはたびたび手紙を書き、妹や弟にはこまめにプレゼントや小遣いをあげていました。離れていても、なによりも家族のことが大事だったのでしょう」(前出・林家を知る人物) 仕事は転々としていたようだが、《関西電力の関連会社で仕事してるわ。IH売ってるねんて。俺と一緒で口が巧いから、営業担当として、よう儲けとるわ。娘に言うんよ。“おまえ、IH売るのええけど、人だけはだますなよ”って。娘は“おまえに言われたない!”って(笑い)》 健治氏が過去、『女性セブン』記者にうれしそうにこう語っていたように、久美さんは営業でも好成績を収めていた時期があったようだ。犯罪者の娘 久美さんの人生に転機が訪れたのは19才のとき。「やっぱり家族を近くで支えたい、と大阪から和歌山に戻ったのですが、19才のときに、彼氏との間に子供ができていることがわかったのです」(前出・林家を知る人物) 1つ年下の彼氏・義幸さん(仮名)は、眞須美死刑囚が久美さんの母親であることなどの家庭事情を理解したうえで、子供を産み、3人で歩む道を選ぶ。それは同時に、義幸さんが実家と絶縁することを意味していた。「『犯罪者の娘』というのが付いてまわるわけです。どこに行っても。学校・職場・恋愛、どのような状況においても、それが足かせとなる。結婚となると、家同士の話でもありますからね。義幸さんの親もそう考えたのでしょう」(林家を取材したジャーナリスト) ふたりは同棲を始め、久美さんは2005年4月に女の子を出産する。それが心桜さんだ。当時、近所に住んでいた男性が一家をよく覚えていた。「小っちゃい女の子がおったところやな。両親が“こころちゃん”と呼んでたから覚えとる。旦那さんは単車で毎日仕事に出かけていた。住民はみんな、林眞須美の娘やって知ってたで。でも普通の家族やったし、問題を起こすこともなかったから、みんな普通に接してたんや」 一家は3年ほどそこで暮らし、その後、今回の犯行現場となったアパートに移り住む。この頃、久美さんは眞須美死刑囚と健治氏とは疎遠になっていた。「家族という守りたい存在ができた久美さんにとって、眞須美死刑囚の接見禁止解除や健治の出所という、事件が再注目されるような出来事が続くのがつらかったようです。母親の無実を信じたいという思いと、自分の新しい家族を守りたいという思いの板挟みになっていたのでしょう」(前出・ジャーナリスト) そんなときに、眞須美死刑囚が義幸さんの実家に手紙を送ったことで、母娘の関係は断絶状態になっていく。「手紙の内容はわかりませんが、久美さんは“余計なこと”と受け止めたのでしょう。と同時にいくら拘置所とこっちが高い塀で断絶されていようが、いくら面会室がアクリル板で断絶されていようが、血縁というものからは一生逃れられないことも痛感した。友達もできず、恋人ができたと思ったら離れていく。家族のことを話さないと、隠しているという罪悪感が生まれる。そして話すと離れる。この繰り返しのストレスの中、新たな血縁である心桜さんを育てていく葛藤は相当なものだったでしょう」(前出・ジャーナリスト)和歌山県警が実父の元へ 心桜さんが8才のとき、丁寧に築いてきた新しい家族が音を立てて壊れ始める。「2013年6月末に、心桜さんが虐待を受けている、という通告が児童相談所にあったのです。保護者と児相とで話し合いを続け、2014年1月までに改善が見られたので解決していた。しかし、この前後に心桜さんは、父・義幸さんと2人で家を出ました。そして、久美さんと義幸さんは離婚したとみられています」(前出・全国紙記者) 父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
「その後、いまに至るまで一貫してカレー事件への関与を眞須美死刑囚は否定しています。検察の主張が状況証拠ばかりだと批判が集まり、冤罪を疑う声は、いまに至るまで根強い」(地元メディア関係者) そういった声が風向きを変えたのか、5月31日、眞須美死刑囚の再審請求が和歌山地裁に受理された。ただし、夏祭りに参加し、ヒ素入りカレーを実際に食べた70代の女性は、眞須美死刑囚の犯行だと信じて疑わない。「早くこの事件を一区切りさせてほしいですわ。なんであんなことしたんという怒りの気持ちでいっぱいです」 当時の林家を知る人物は、カレー事件当時の長女・久美さんのことをこう話す。「思春期ということもあって、あの頃はちょうど反抗期でした。年子の妹がいましてね。愛情が2人の妹と1人の弟にすべて注がれていると感じ、特に母親に反抗的な態度を取っていたように思います」 しかし、両親の逮捕後、妹や弟の面倒を、親代わりとなって見たのも久美さんだった。「4人は同じ施設に引き取られたのですが、その頃は、職員や同居する子供たちからの嫌がらせや暴力もあったそうです。でも、そのときにも久美さんは気丈に振る舞い、時にきょうだいを守ったりもしました。頭もよくて、看護師になるのが夢でしたね」(前出・林家を知る人物) しかし、なじめなかった高校を中退したこともあって、その夢からは遠ざかる。その後、施設を飛び出し大阪で働き始めた。「アパレル関係の仕事を選び、若いながらに活躍していたようで、この頃は金銭的にも余裕があったと思います。眞須美死刑囚にはたびたび手紙を書き、妹や弟にはこまめにプレゼントや小遣いをあげていました。離れていても、なによりも家族のことが大事だったのでしょう」(前出・林家を知る人物) 仕事は転々としていたようだが、《関西電力の関連会社で仕事してるわ。IH売ってるねんて。俺と一緒で口が巧いから、営業担当として、よう儲けとるわ。娘に言うんよ。“おまえ、IH売るのええけど、人だけはだますなよ”って。娘は“おまえに言われたない!”って(笑い)》 健治氏が過去、『女性セブン』記者にうれしそうにこう語っていたように、久美さんは営業でも好成績を収めていた時期があったようだ。犯罪者の娘 久美さんの人生に転機が訪れたのは19才のとき。「やっぱり家族を近くで支えたい、と大阪から和歌山に戻ったのですが、19才のときに、彼氏との間に子供ができていることがわかったのです」(前出・林家を知る人物) 1つ年下の彼氏・義幸さん(仮名)は、眞須美死刑囚が久美さんの母親であることなどの家庭事情を理解したうえで、子供を産み、3人で歩む道を選ぶ。それは同時に、義幸さんが実家と絶縁することを意味していた。「『犯罪者の娘』というのが付いてまわるわけです。どこに行っても。学校・職場・恋愛、どのような状況においても、それが足かせとなる。結婚となると、家同士の話でもありますからね。義幸さんの親もそう考えたのでしょう」(林家を取材したジャーナリスト) ふたりは同棲を始め、久美さんは2005年4月に女の子を出産する。それが心桜さんだ。当時、近所に住んでいた男性が一家をよく覚えていた。「小っちゃい女の子がおったところやな。両親が“こころちゃん”と呼んでたから覚えとる。旦那さんは単車で毎日仕事に出かけていた。住民はみんな、林眞須美の娘やって知ってたで。でも普通の家族やったし、問題を起こすこともなかったから、みんな普通に接してたんや」 一家は3年ほどそこで暮らし、その後、今回の犯行現場となったアパートに移り住む。この頃、久美さんは眞須美死刑囚と健治氏とは疎遠になっていた。「家族という守りたい存在ができた久美さんにとって、眞須美死刑囚の接見禁止解除や健治の出所という、事件が再注目されるような出来事が続くのがつらかったようです。母親の無実を信じたいという思いと、自分の新しい家族を守りたいという思いの板挟みになっていたのでしょう」(前出・ジャーナリスト) そんなときに、眞須美死刑囚が義幸さんの実家に手紙を送ったことで、母娘の関係は断絶状態になっていく。「手紙の内容はわかりませんが、久美さんは“余計なこと”と受け止めたのでしょう。と同時にいくら拘置所とこっちが高い塀で断絶されていようが、いくら面会室がアクリル板で断絶されていようが、血縁というものからは一生逃れられないことも痛感した。友達もできず、恋人ができたと思ったら離れていく。家族のことを話さないと、隠しているという罪悪感が生まれる。そして話すと離れる。この繰り返しのストレスの中、新たな血縁である心桜さんを育てていく葛藤は相当なものだったでしょう」(前出・ジャーナリスト)和歌山県警が実父の元へ 心桜さんが8才のとき、丁寧に築いてきた新しい家族が音を立てて壊れ始める。「2013年6月末に、心桜さんが虐待を受けている、という通告が児童相談所にあったのです。保護者と児相とで話し合いを続け、2014年1月までに改善が見られたので解決していた。しかし、この前後に心桜さんは、父・義幸さんと2人で家を出ました。そして、久美さんと義幸さんは離婚したとみられています」(前出・全国紙記者) 父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
そういった声が風向きを変えたのか、5月31日、眞須美死刑囚の再審請求が和歌山地裁に受理された。ただし、夏祭りに参加し、ヒ素入りカレーを実際に食べた70代の女性は、眞須美死刑囚の犯行だと信じて疑わない。「早くこの事件を一区切りさせてほしいですわ。なんであんなことしたんという怒りの気持ちでいっぱいです」 当時の林家を知る人物は、カレー事件当時の長女・久美さんのことをこう話す。「思春期ということもあって、あの頃はちょうど反抗期でした。年子の妹がいましてね。愛情が2人の妹と1人の弟にすべて注がれていると感じ、特に母親に反抗的な態度を取っていたように思います」 しかし、両親の逮捕後、妹や弟の面倒を、親代わりとなって見たのも久美さんだった。「4人は同じ施設に引き取られたのですが、その頃は、職員や同居する子供たちからの嫌がらせや暴力もあったそうです。でも、そのときにも久美さんは気丈に振る舞い、時にきょうだいを守ったりもしました。頭もよくて、看護師になるのが夢でしたね」(前出・林家を知る人物) しかし、なじめなかった高校を中退したこともあって、その夢からは遠ざかる。その後、施設を飛び出し大阪で働き始めた。「アパレル関係の仕事を選び、若いながらに活躍していたようで、この頃は金銭的にも余裕があったと思います。眞須美死刑囚にはたびたび手紙を書き、妹や弟にはこまめにプレゼントや小遣いをあげていました。離れていても、なによりも家族のことが大事だったのでしょう」(前出・林家を知る人物) 仕事は転々としていたようだが、《関西電力の関連会社で仕事してるわ。IH売ってるねんて。俺と一緒で口が巧いから、営業担当として、よう儲けとるわ。娘に言うんよ。“おまえ、IH売るのええけど、人だけはだますなよ”って。娘は“おまえに言われたない!”って(笑い)》 健治氏が過去、『女性セブン』記者にうれしそうにこう語っていたように、久美さんは営業でも好成績を収めていた時期があったようだ。犯罪者の娘 久美さんの人生に転機が訪れたのは19才のとき。「やっぱり家族を近くで支えたい、と大阪から和歌山に戻ったのですが、19才のときに、彼氏との間に子供ができていることがわかったのです」(前出・林家を知る人物) 1つ年下の彼氏・義幸さん(仮名)は、眞須美死刑囚が久美さんの母親であることなどの家庭事情を理解したうえで、子供を産み、3人で歩む道を選ぶ。それは同時に、義幸さんが実家と絶縁することを意味していた。「『犯罪者の娘』というのが付いてまわるわけです。どこに行っても。学校・職場・恋愛、どのような状況においても、それが足かせとなる。結婚となると、家同士の話でもありますからね。義幸さんの親もそう考えたのでしょう」(林家を取材したジャーナリスト) ふたりは同棲を始め、久美さんは2005年4月に女の子を出産する。それが心桜さんだ。当時、近所に住んでいた男性が一家をよく覚えていた。「小っちゃい女の子がおったところやな。両親が“こころちゃん”と呼んでたから覚えとる。旦那さんは単車で毎日仕事に出かけていた。住民はみんな、林眞須美の娘やって知ってたで。でも普通の家族やったし、問題を起こすこともなかったから、みんな普通に接してたんや」 一家は3年ほどそこで暮らし、その後、今回の犯行現場となったアパートに移り住む。この頃、久美さんは眞須美死刑囚と健治氏とは疎遠になっていた。「家族という守りたい存在ができた久美さんにとって、眞須美死刑囚の接見禁止解除や健治の出所という、事件が再注目されるような出来事が続くのがつらかったようです。母親の無実を信じたいという思いと、自分の新しい家族を守りたいという思いの板挟みになっていたのでしょう」(前出・ジャーナリスト) そんなときに、眞須美死刑囚が義幸さんの実家に手紙を送ったことで、母娘の関係は断絶状態になっていく。「手紙の内容はわかりませんが、久美さんは“余計なこと”と受け止めたのでしょう。と同時にいくら拘置所とこっちが高い塀で断絶されていようが、いくら面会室がアクリル板で断絶されていようが、血縁というものからは一生逃れられないことも痛感した。友達もできず、恋人ができたと思ったら離れていく。家族のことを話さないと、隠しているという罪悪感が生まれる。そして話すと離れる。この繰り返しのストレスの中、新たな血縁である心桜さんを育てていく葛藤は相当なものだったでしょう」(前出・ジャーナリスト)和歌山県警が実父の元へ 心桜さんが8才のとき、丁寧に築いてきた新しい家族が音を立てて壊れ始める。「2013年6月末に、心桜さんが虐待を受けている、という通告が児童相談所にあったのです。保護者と児相とで話し合いを続け、2014年1月までに改善が見られたので解決していた。しかし、この前後に心桜さんは、父・義幸さんと2人で家を出ました。そして、久美さんと義幸さんは離婚したとみられています」(前出・全国紙記者) 父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
「早くこの事件を一区切りさせてほしいですわ。なんであんなことしたんという怒りの気持ちでいっぱいです」 当時の林家を知る人物は、カレー事件当時の長女・久美さんのことをこう話す。「思春期ということもあって、あの頃はちょうど反抗期でした。年子の妹がいましてね。愛情が2人の妹と1人の弟にすべて注がれていると感じ、特に母親に反抗的な態度を取っていたように思います」 しかし、両親の逮捕後、妹や弟の面倒を、親代わりとなって見たのも久美さんだった。「4人は同じ施設に引き取られたのですが、その頃は、職員や同居する子供たちからの嫌がらせや暴力もあったそうです。でも、そのときにも久美さんは気丈に振る舞い、時にきょうだいを守ったりもしました。頭もよくて、看護師になるのが夢でしたね」(前出・林家を知る人物) しかし、なじめなかった高校を中退したこともあって、その夢からは遠ざかる。その後、施設を飛び出し大阪で働き始めた。「アパレル関係の仕事を選び、若いながらに活躍していたようで、この頃は金銭的にも余裕があったと思います。眞須美死刑囚にはたびたび手紙を書き、妹や弟にはこまめにプレゼントや小遣いをあげていました。離れていても、なによりも家族のことが大事だったのでしょう」(前出・林家を知る人物) 仕事は転々としていたようだが、《関西電力の関連会社で仕事してるわ。IH売ってるねんて。俺と一緒で口が巧いから、営業担当として、よう儲けとるわ。娘に言うんよ。“おまえ、IH売るのええけど、人だけはだますなよ”って。娘は“おまえに言われたない!”って(笑い)》 健治氏が過去、『女性セブン』記者にうれしそうにこう語っていたように、久美さんは営業でも好成績を収めていた時期があったようだ。犯罪者の娘 久美さんの人生に転機が訪れたのは19才のとき。「やっぱり家族を近くで支えたい、と大阪から和歌山に戻ったのですが、19才のときに、彼氏との間に子供ができていることがわかったのです」(前出・林家を知る人物) 1つ年下の彼氏・義幸さん(仮名)は、眞須美死刑囚が久美さんの母親であることなどの家庭事情を理解したうえで、子供を産み、3人で歩む道を選ぶ。それは同時に、義幸さんが実家と絶縁することを意味していた。「『犯罪者の娘』というのが付いてまわるわけです。どこに行っても。学校・職場・恋愛、どのような状況においても、それが足かせとなる。結婚となると、家同士の話でもありますからね。義幸さんの親もそう考えたのでしょう」(林家を取材したジャーナリスト) ふたりは同棲を始め、久美さんは2005年4月に女の子を出産する。それが心桜さんだ。当時、近所に住んでいた男性が一家をよく覚えていた。「小っちゃい女の子がおったところやな。両親が“こころちゃん”と呼んでたから覚えとる。旦那さんは単車で毎日仕事に出かけていた。住民はみんな、林眞須美の娘やって知ってたで。でも普通の家族やったし、問題を起こすこともなかったから、みんな普通に接してたんや」 一家は3年ほどそこで暮らし、その後、今回の犯行現場となったアパートに移り住む。この頃、久美さんは眞須美死刑囚と健治氏とは疎遠になっていた。「家族という守りたい存在ができた久美さんにとって、眞須美死刑囚の接見禁止解除や健治の出所という、事件が再注目されるような出来事が続くのがつらかったようです。母親の無実を信じたいという思いと、自分の新しい家族を守りたいという思いの板挟みになっていたのでしょう」(前出・ジャーナリスト) そんなときに、眞須美死刑囚が義幸さんの実家に手紙を送ったことで、母娘の関係は断絶状態になっていく。「手紙の内容はわかりませんが、久美さんは“余計なこと”と受け止めたのでしょう。と同時にいくら拘置所とこっちが高い塀で断絶されていようが、いくら面会室がアクリル板で断絶されていようが、血縁というものからは一生逃れられないことも痛感した。友達もできず、恋人ができたと思ったら離れていく。家族のことを話さないと、隠しているという罪悪感が生まれる。そして話すと離れる。この繰り返しのストレスの中、新たな血縁である心桜さんを育てていく葛藤は相当なものだったでしょう」(前出・ジャーナリスト)和歌山県警が実父の元へ 心桜さんが8才のとき、丁寧に築いてきた新しい家族が音を立てて壊れ始める。「2013年6月末に、心桜さんが虐待を受けている、という通告が児童相談所にあったのです。保護者と児相とで話し合いを続け、2014年1月までに改善が見られたので解決していた。しかし、この前後に心桜さんは、父・義幸さんと2人で家を出ました。そして、久美さんと義幸さんは離婚したとみられています」(前出・全国紙記者) 父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
当時の林家を知る人物は、カレー事件当時の長女・久美さんのことをこう話す。「思春期ということもあって、あの頃はちょうど反抗期でした。年子の妹がいましてね。愛情が2人の妹と1人の弟にすべて注がれていると感じ、特に母親に反抗的な態度を取っていたように思います」 しかし、両親の逮捕後、妹や弟の面倒を、親代わりとなって見たのも久美さんだった。「4人は同じ施設に引き取られたのですが、その頃は、職員や同居する子供たちからの嫌がらせや暴力もあったそうです。でも、そのときにも久美さんは気丈に振る舞い、時にきょうだいを守ったりもしました。頭もよくて、看護師になるのが夢でしたね」(前出・林家を知る人物) しかし、なじめなかった高校を中退したこともあって、その夢からは遠ざかる。その後、施設を飛び出し大阪で働き始めた。「アパレル関係の仕事を選び、若いながらに活躍していたようで、この頃は金銭的にも余裕があったと思います。眞須美死刑囚にはたびたび手紙を書き、妹や弟にはこまめにプレゼントや小遣いをあげていました。離れていても、なによりも家族のことが大事だったのでしょう」(前出・林家を知る人物) 仕事は転々としていたようだが、《関西電力の関連会社で仕事してるわ。IH売ってるねんて。俺と一緒で口が巧いから、営業担当として、よう儲けとるわ。娘に言うんよ。“おまえ、IH売るのええけど、人だけはだますなよ”って。娘は“おまえに言われたない!”って(笑い)》 健治氏が過去、『女性セブン』記者にうれしそうにこう語っていたように、久美さんは営業でも好成績を収めていた時期があったようだ。犯罪者の娘 久美さんの人生に転機が訪れたのは19才のとき。「やっぱり家族を近くで支えたい、と大阪から和歌山に戻ったのですが、19才のときに、彼氏との間に子供ができていることがわかったのです」(前出・林家を知る人物) 1つ年下の彼氏・義幸さん(仮名)は、眞須美死刑囚が久美さんの母親であることなどの家庭事情を理解したうえで、子供を産み、3人で歩む道を選ぶ。それは同時に、義幸さんが実家と絶縁することを意味していた。「『犯罪者の娘』というのが付いてまわるわけです。どこに行っても。学校・職場・恋愛、どのような状況においても、それが足かせとなる。結婚となると、家同士の話でもありますからね。義幸さんの親もそう考えたのでしょう」(林家を取材したジャーナリスト) ふたりは同棲を始め、久美さんは2005年4月に女の子を出産する。それが心桜さんだ。当時、近所に住んでいた男性が一家をよく覚えていた。「小っちゃい女の子がおったところやな。両親が“こころちゃん”と呼んでたから覚えとる。旦那さんは単車で毎日仕事に出かけていた。住民はみんな、林眞須美の娘やって知ってたで。でも普通の家族やったし、問題を起こすこともなかったから、みんな普通に接してたんや」 一家は3年ほどそこで暮らし、その後、今回の犯行現場となったアパートに移り住む。この頃、久美さんは眞須美死刑囚と健治氏とは疎遠になっていた。「家族という守りたい存在ができた久美さんにとって、眞須美死刑囚の接見禁止解除や健治の出所という、事件が再注目されるような出来事が続くのがつらかったようです。母親の無実を信じたいという思いと、自分の新しい家族を守りたいという思いの板挟みになっていたのでしょう」(前出・ジャーナリスト) そんなときに、眞須美死刑囚が義幸さんの実家に手紙を送ったことで、母娘の関係は断絶状態になっていく。「手紙の内容はわかりませんが、久美さんは“余計なこと”と受け止めたのでしょう。と同時にいくら拘置所とこっちが高い塀で断絶されていようが、いくら面会室がアクリル板で断絶されていようが、血縁というものからは一生逃れられないことも痛感した。友達もできず、恋人ができたと思ったら離れていく。家族のことを話さないと、隠しているという罪悪感が生まれる。そして話すと離れる。この繰り返しのストレスの中、新たな血縁である心桜さんを育てていく葛藤は相当なものだったでしょう」(前出・ジャーナリスト)和歌山県警が実父の元へ 心桜さんが8才のとき、丁寧に築いてきた新しい家族が音を立てて壊れ始める。「2013年6月末に、心桜さんが虐待を受けている、という通告が児童相談所にあったのです。保護者と児相とで話し合いを続け、2014年1月までに改善が見られたので解決していた。しかし、この前後に心桜さんは、父・義幸さんと2人で家を出ました。そして、久美さんと義幸さんは離婚したとみられています」(前出・全国紙記者) 父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
「思春期ということもあって、あの頃はちょうど反抗期でした。年子の妹がいましてね。愛情が2人の妹と1人の弟にすべて注がれていると感じ、特に母親に反抗的な態度を取っていたように思います」 しかし、両親の逮捕後、妹や弟の面倒を、親代わりとなって見たのも久美さんだった。「4人は同じ施設に引き取られたのですが、その頃は、職員や同居する子供たちからの嫌がらせや暴力もあったそうです。でも、そのときにも久美さんは気丈に振る舞い、時にきょうだいを守ったりもしました。頭もよくて、看護師になるのが夢でしたね」(前出・林家を知る人物) しかし、なじめなかった高校を中退したこともあって、その夢からは遠ざかる。その後、施設を飛び出し大阪で働き始めた。「アパレル関係の仕事を選び、若いながらに活躍していたようで、この頃は金銭的にも余裕があったと思います。眞須美死刑囚にはたびたび手紙を書き、妹や弟にはこまめにプレゼントや小遣いをあげていました。離れていても、なによりも家族のことが大事だったのでしょう」(前出・林家を知る人物) 仕事は転々としていたようだが、《関西電力の関連会社で仕事してるわ。IH売ってるねんて。俺と一緒で口が巧いから、営業担当として、よう儲けとるわ。娘に言うんよ。“おまえ、IH売るのええけど、人だけはだますなよ”って。娘は“おまえに言われたない!”って(笑い)》 健治氏が過去、『女性セブン』記者にうれしそうにこう語っていたように、久美さんは営業でも好成績を収めていた時期があったようだ。犯罪者の娘 久美さんの人生に転機が訪れたのは19才のとき。「やっぱり家族を近くで支えたい、と大阪から和歌山に戻ったのですが、19才のときに、彼氏との間に子供ができていることがわかったのです」(前出・林家を知る人物) 1つ年下の彼氏・義幸さん(仮名)は、眞須美死刑囚が久美さんの母親であることなどの家庭事情を理解したうえで、子供を産み、3人で歩む道を選ぶ。それは同時に、義幸さんが実家と絶縁することを意味していた。「『犯罪者の娘』というのが付いてまわるわけです。どこに行っても。学校・職場・恋愛、どのような状況においても、それが足かせとなる。結婚となると、家同士の話でもありますからね。義幸さんの親もそう考えたのでしょう」(林家を取材したジャーナリスト) ふたりは同棲を始め、久美さんは2005年4月に女の子を出産する。それが心桜さんだ。当時、近所に住んでいた男性が一家をよく覚えていた。「小っちゃい女の子がおったところやな。両親が“こころちゃん”と呼んでたから覚えとる。旦那さんは単車で毎日仕事に出かけていた。住民はみんな、林眞須美の娘やって知ってたで。でも普通の家族やったし、問題を起こすこともなかったから、みんな普通に接してたんや」 一家は3年ほどそこで暮らし、その後、今回の犯行現場となったアパートに移り住む。この頃、久美さんは眞須美死刑囚と健治氏とは疎遠になっていた。「家族という守りたい存在ができた久美さんにとって、眞須美死刑囚の接見禁止解除や健治の出所という、事件が再注目されるような出来事が続くのがつらかったようです。母親の無実を信じたいという思いと、自分の新しい家族を守りたいという思いの板挟みになっていたのでしょう」(前出・ジャーナリスト) そんなときに、眞須美死刑囚が義幸さんの実家に手紙を送ったことで、母娘の関係は断絶状態になっていく。「手紙の内容はわかりませんが、久美さんは“余計なこと”と受け止めたのでしょう。と同時にいくら拘置所とこっちが高い塀で断絶されていようが、いくら面会室がアクリル板で断絶されていようが、血縁というものからは一生逃れられないことも痛感した。友達もできず、恋人ができたと思ったら離れていく。家族のことを話さないと、隠しているという罪悪感が生まれる。そして話すと離れる。この繰り返しのストレスの中、新たな血縁である心桜さんを育てていく葛藤は相当なものだったでしょう」(前出・ジャーナリスト)和歌山県警が実父の元へ 心桜さんが8才のとき、丁寧に築いてきた新しい家族が音を立てて壊れ始める。「2013年6月末に、心桜さんが虐待を受けている、という通告が児童相談所にあったのです。保護者と児相とで話し合いを続け、2014年1月までに改善が見られたので解決していた。しかし、この前後に心桜さんは、父・義幸さんと2人で家を出ました。そして、久美さんと義幸さんは離婚したとみられています」(前出・全国紙記者) 父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
しかし、両親の逮捕後、妹や弟の面倒を、親代わりとなって見たのも久美さんだった。「4人は同じ施設に引き取られたのですが、その頃は、職員や同居する子供たちからの嫌がらせや暴力もあったそうです。でも、そのときにも久美さんは気丈に振る舞い、時にきょうだいを守ったりもしました。頭もよくて、看護師になるのが夢でしたね」(前出・林家を知る人物) しかし、なじめなかった高校を中退したこともあって、その夢からは遠ざかる。その後、施設を飛び出し大阪で働き始めた。「アパレル関係の仕事を選び、若いながらに活躍していたようで、この頃は金銭的にも余裕があったと思います。眞須美死刑囚にはたびたび手紙を書き、妹や弟にはこまめにプレゼントや小遣いをあげていました。離れていても、なによりも家族のことが大事だったのでしょう」(前出・林家を知る人物) 仕事は転々としていたようだが、《関西電力の関連会社で仕事してるわ。IH売ってるねんて。俺と一緒で口が巧いから、営業担当として、よう儲けとるわ。娘に言うんよ。“おまえ、IH売るのええけど、人だけはだますなよ”って。娘は“おまえに言われたない!”って(笑い)》 健治氏が過去、『女性セブン』記者にうれしそうにこう語っていたように、久美さんは営業でも好成績を収めていた時期があったようだ。犯罪者の娘 久美さんの人生に転機が訪れたのは19才のとき。「やっぱり家族を近くで支えたい、と大阪から和歌山に戻ったのですが、19才のときに、彼氏との間に子供ができていることがわかったのです」(前出・林家を知る人物) 1つ年下の彼氏・義幸さん(仮名)は、眞須美死刑囚が久美さんの母親であることなどの家庭事情を理解したうえで、子供を産み、3人で歩む道を選ぶ。それは同時に、義幸さんが実家と絶縁することを意味していた。「『犯罪者の娘』というのが付いてまわるわけです。どこに行っても。学校・職場・恋愛、どのような状況においても、それが足かせとなる。結婚となると、家同士の話でもありますからね。義幸さんの親もそう考えたのでしょう」(林家を取材したジャーナリスト) ふたりは同棲を始め、久美さんは2005年4月に女の子を出産する。それが心桜さんだ。当時、近所に住んでいた男性が一家をよく覚えていた。「小っちゃい女の子がおったところやな。両親が“こころちゃん”と呼んでたから覚えとる。旦那さんは単車で毎日仕事に出かけていた。住民はみんな、林眞須美の娘やって知ってたで。でも普通の家族やったし、問題を起こすこともなかったから、みんな普通に接してたんや」 一家は3年ほどそこで暮らし、その後、今回の犯行現場となったアパートに移り住む。この頃、久美さんは眞須美死刑囚と健治氏とは疎遠になっていた。「家族という守りたい存在ができた久美さんにとって、眞須美死刑囚の接見禁止解除や健治の出所という、事件が再注目されるような出来事が続くのがつらかったようです。母親の無実を信じたいという思いと、自分の新しい家族を守りたいという思いの板挟みになっていたのでしょう」(前出・ジャーナリスト) そんなときに、眞須美死刑囚が義幸さんの実家に手紙を送ったことで、母娘の関係は断絶状態になっていく。「手紙の内容はわかりませんが、久美さんは“余計なこと”と受け止めたのでしょう。と同時にいくら拘置所とこっちが高い塀で断絶されていようが、いくら面会室がアクリル板で断絶されていようが、血縁というものからは一生逃れられないことも痛感した。友達もできず、恋人ができたと思ったら離れていく。家族のことを話さないと、隠しているという罪悪感が生まれる。そして話すと離れる。この繰り返しのストレスの中、新たな血縁である心桜さんを育てていく葛藤は相当なものだったでしょう」(前出・ジャーナリスト)和歌山県警が実父の元へ 心桜さんが8才のとき、丁寧に築いてきた新しい家族が音を立てて壊れ始める。「2013年6月末に、心桜さんが虐待を受けている、という通告が児童相談所にあったのです。保護者と児相とで話し合いを続け、2014年1月までに改善が見られたので解決していた。しかし、この前後に心桜さんは、父・義幸さんと2人で家を出ました。そして、久美さんと義幸さんは離婚したとみられています」(前出・全国紙記者) 父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
「4人は同じ施設に引き取られたのですが、その頃は、職員や同居する子供たちからの嫌がらせや暴力もあったそうです。でも、そのときにも久美さんは気丈に振る舞い、時にきょうだいを守ったりもしました。頭もよくて、看護師になるのが夢でしたね」(前出・林家を知る人物) しかし、なじめなかった高校を中退したこともあって、その夢からは遠ざかる。その後、施設を飛び出し大阪で働き始めた。「アパレル関係の仕事を選び、若いながらに活躍していたようで、この頃は金銭的にも余裕があったと思います。眞須美死刑囚にはたびたび手紙を書き、妹や弟にはこまめにプレゼントや小遣いをあげていました。離れていても、なによりも家族のことが大事だったのでしょう」(前出・林家を知る人物) 仕事は転々としていたようだが、《関西電力の関連会社で仕事してるわ。IH売ってるねんて。俺と一緒で口が巧いから、営業担当として、よう儲けとるわ。娘に言うんよ。“おまえ、IH売るのええけど、人だけはだますなよ”って。娘は“おまえに言われたない!”って(笑い)》 健治氏が過去、『女性セブン』記者にうれしそうにこう語っていたように、久美さんは営業でも好成績を収めていた時期があったようだ。犯罪者の娘 久美さんの人生に転機が訪れたのは19才のとき。「やっぱり家族を近くで支えたい、と大阪から和歌山に戻ったのですが、19才のときに、彼氏との間に子供ができていることがわかったのです」(前出・林家を知る人物) 1つ年下の彼氏・義幸さん(仮名)は、眞須美死刑囚が久美さんの母親であることなどの家庭事情を理解したうえで、子供を産み、3人で歩む道を選ぶ。それは同時に、義幸さんが実家と絶縁することを意味していた。「『犯罪者の娘』というのが付いてまわるわけです。どこに行っても。学校・職場・恋愛、どのような状況においても、それが足かせとなる。結婚となると、家同士の話でもありますからね。義幸さんの親もそう考えたのでしょう」(林家を取材したジャーナリスト) ふたりは同棲を始め、久美さんは2005年4月に女の子を出産する。それが心桜さんだ。当時、近所に住んでいた男性が一家をよく覚えていた。「小っちゃい女の子がおったところやな。両親が“こころちゃん”と呼んでたから覚えとる。旦那さんは単車で毎日仕事に出かけていた。住民はみんな、林眞須美の娘やって知ってたで。でも普通の家族やったし、問題を起こすこともなかったから、みんな普通に接してたんや」 一家は3年ほどそこで暮らし、その後、今回の犯行現場となったアパートに移り住む。この頃、久美さんは眞須美死刑囚と健治氏とは疎遠になっていた。「家族という守りたい存在ができた久美さんにとって、眞須美死刑囚の接見禁止解除や健治の出所という、事件が再注目されるような出来事が続くのがつらかったようです。母親の無実を信じたいという思いと、自分の新しい家族を守りたいという思いの板挟みになっていたのでしょう」(前出・ジャーナリスト) そんなときに、眞須美死刑囚が義幸さんの実家に手紙を送ったことで、母娘の関係は断絶状態になっていく。「手紙の内容はわかりませんが、久美さんは“余計なこと”と受け止めたのでしょう。と同時にいくら拘置所とこっちが高い塀で断絶されていようが、いくら面会室がアクリル板で断絶されていようが、血縁というものからは一生逃れられないことも痛感した。友達もできず、恋人ができたと思ったら離れていく。家族のことを話さないと、隠しているという罪悪感が生まれる。そして話すと離れる。この繰り返しのストレスの中、新たな血縁である心桜さんを育てていく葛藤は相当なものだったでしょう」(前出・ジャーナリスト)和歌山県警が実父の元へ 心桜さんが8才のとき、丁寧に築いてきた新しい家族が音を立てて壊れ始める。「2013年6月末に、心桜さんが虐待を受けている、という通告が児童相談所にあったのです。保護者と児相とで話し合いを続け、2014年1月までに改善が見られたので解決していた。しかし、この前後に心桜さんは、父・義幸さんと2人で家を出ました。そして、久美さんと義幸さんは離婚したとみられています」(前出・全国紙記者) 父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
しかし、なじめなかった高校を中退したこともあって、その夢からは遠ざかる。その後、施設を飛び出し大阪で働き始めた。「アパレル関係の仕事を選び、若いながらに活躍していたようで、この頃は金銭的にも余裕があったと思います。眞須美死刑囚にはたびたび手紙を書き、妹や弟にはこまめにプレゼントや小遣いをあげていました。離れていても、なによりも家族のことが大事だったのでしょう」(前出・林家を知る人物) 仕事は転々としていたようだが、《関西電力の関連会社で仕事してるわ。IH売ってるねんて。俺と一緒で口が巧いから、営業担当として、よう儲けとるわ。娘に言うんよ。“おまえ、IH売るのええけど、人だけはだますなよ”って。娘は“おまえに言われたない!”って(笑い)》 健治氏が過去、『女性セブン』記者にうれしそうにこう語っていたように、久美さんは営業でも好成績を収めていた時期があったようだ。犯罪者の娘 久美さんの人生に転機が訪れたのは19才のとき。「やっぱり家族を近くで支えたい、と大阪から和歌山に戻ったのですが、19才のときに、彼氏との間に子供ができていることがわかったのです」(前出・林家を知る人物) 1つ年下の彼氏・義幸さん(仮名)は、眞須美死刑囚が久美さんの母親であることなどの家庭事情を理解したうえで、子供を産み、3人で歩む道を選ぶ。それは同時に、義幸さんが実家と絶縁することを意味していた。「『犯罪者の娘』というのが付いてまわるわけです。どこに行っても。学校・職場・恋愛、どのような状況においても、それが足かせとなる。結婚となると、家同士の話でもありますからね。義幸さんの親もそう考えたのでしょう」(林家を取材したジャーナリスト) ふたりは同棲を始め、久美さんは2005年4月に女の子を出産する。それが心桜さんだ。当時、近所に住んでいた男性が一家をよく覚えていた。「小っちゃい女の子がおったところやな。両親が“こころちゃん”と呼んでたから覚えとる。旦那さんは単車で毎日仕事に出かけていた。住民はみんな、林眞須美の娘やって知ってたで。でも普通の家族やったし、問題を起こすこともなかったから、みんな普通に接してたんや」 一家は3年ほどそこで暮らし、その後、今回の犯行現場となったアパートに移り住む。この頃、久美さんは眞須美死刑囚と健治氏とは疎遠になっていた。「家族という守りたい存在ができた久美さんにとって、眞須美死刑囚の接見禁止解除や健治の出所という、事件が再注目されるような出来事が続くのがつらかったようです。母親の無実を信じたいという思いと、自分の新しい家族を守りたいという思いの板挟みになっていたのでしょう」(前出・ジャーナリスト) そんなときに、眞須美死刑囚が義幸さんの実家に手紙を送ったことで、母娘の関係は断絶状態になっていく。「手紙の内容はわかりませんが、久美さんは“余計なこと”と受け止めたのでしょう。と同時にいくら拘置所とこっちが高い塀で断絶されていようが、いくら面会室がアクリル板で断絶されていようが、血縁というものからは一生逃れられないことも痛感した。友達もできず、恋人ができたと思ったら離れていく。家族のことを話さないと、隠しているという罪悪感が生まれる。そして話すと離れる。この繰り返しのストレスの中、新たな血縁である心桜さんを育てていく葛藤は相当なものだったでしょう」(前出・ジャーナリスト)和歌山県警が実父の元へ 心桜さんが8才のとき、丁寧に築いてきた新しい家族が音を立てて壊れ始める。「2013年6月末に、心桜さんが虐待を受けている、という通告が児童相談所にあったのです。保護者と児相とで話し合いを続け、2014年1月までに改善が見られたので解決していた。しかし、この前後に心桜さんは、父・義幸さんと2人で家を出ました。そして、久美さんと義幸さんは離婚したとみられています」(前出・全国紙記者) 父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
「アパレル関係の仕事を選び、若いながらに活躍していたようで、この頃は金銭的にも余裕があったと思います。眞須美死刑囚にはたびたび手紙を書き、妹や弟にはこまめにプレゼントや小遣いをあげていました。離れていても、なによりも家族のことが大事だったのでしょう」(前出・林家を知る人物) 仕事は転々としていたようだが、《関西電力の関連会社で仕事してるわ。IH売ってるねんて。俺と一緒で口が巧いから、営業担当として、よう儲けとるわ。娘に言うんよ。“おまえ、IH売るのええけど、人だけはだますなよ”って。娘は“おまえに言われたない!”って(笑い)》 健治氏が過去、『女性セブン』記者にうれしそうにこう語っていたように、久美さんは営業でも好成績を収めていた時期があったようだ。犯罪者の娘 久美さんの人生に転機が訪れたのは19才のとき。「やっぱり家族を近くで支えたい、と大阪から和歌山に戻ったのですが、19才のときに、彼氏との間に子供ができていることがわかったのです」(前出・林家を知る人物) 1つ年下の彼氏・義幸さん(仮名)は、眞須美死刑囚が久美さんの母親であることなどの家庭事情を理解したうえで、子供を産み、3人で歩む道を選ぶ。それは同時に、義幸さんが実家と絶縁することを意味していた。「『犯罪者の娘』というのが付いてまわるわけです。どこに行っても。学校・職場・恋愛、どのような状況においても、それが足かせとなる。結婚となると、家同士の話でもありますからね。義幸さんの親もそう考えたのでしょう」(林家を取材したジャーナリスト) ふたりは同棲を始め、久美さんは2005年4月に女の子を出産する。それが心桜さんだ。当時、近所に住んでいた男性が一家をよく覚えていた。「小っちゃい女の子がおったところやな。両親が“こころちゃん”と呼んでたから覚えとる。旦那さんは単車で毎日仕事に出かけていた。住民はみんな、林眞須美の娘やって知ってたで。でも普通の家族やったし、問題を起こすこともなかったから、みんな普通に接してたんや」 一家は3年ほどそこで暮らし、その後、今回の犯行現場となったアパートに移り住む。この頃、久美さんは眞須美死刑囚と健治氏とは疎遠になっていた。「家族という守りたい存在ができた久美さんにとって、眞須美死刑囚の接見禁止解除や健治の出所という、事件が再注目されるような出来事が続くのがつらかったようです。母親の無実を信じたいという思いと、自分の新しい家族を守りたいという思いの板挟みになっていたのでしょう」(前出・ジャーナリスト) そんなときに、眞須美死刑囚が義幸さんの実家に手紙を送ったことで、母娘の関係は断絶状態になっていく。「手紙の内容はわかりませんが、久美さんは“余計なこと”と受け止めたのでしょう。と同時にいくら拘置所とこっちが高い塀で断絶されていようが、いくら面会室がアクリル板で断絶されていようが、血縁というものからは一生逃れられないことも痛感した。友達もできず、恋人ができたと思ったら離れていく。家族のことを話さないと、隠しているという罪悪感が生まれる。そして話すと離れる。この繰り返しのストレスの中、新たな血縁である心桜さんを育てていく葛藤は相当なものだったでしょう」(前出・ジャーナリスト)和歌山県警が実父の元へ 心桜さんが8才のとき、丁寧に築いてきた新しい家族が音を立てて壊れ始める。「2013年6月末に、心桜さんが虐待を受けている、という通告が児童相談所にあったのです。保護者と児相とで話し合いを続け、2014年1月までに改善が見られたので解決していた。しかし、この前後に心桜さんは、父・義幸さんと2人で家を出ました。そして、久美さんと義幸さんは離婚したとみられています」(前出・全国紙記者) 父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
仕事は転々としていたようだが、《関西電力の関連会社で仕事してるわ。IH売ってるねんて。俺と一緒で口が巧いから、営業担当として、よう儲けとるわ。娘に言うんよ。“おまえ、IH売るのええけど、人だけはだますなよ”って。娘は“おまえに言われたない!”って(笑い)》 健治氏が過去、『女性セブン』記者にうれしそうにこう語っていたように、久美さんは営業でも好成績を収めていた時期があったようだ。犯罪者の娘 久美さんの人生に転機が訪れたのは19才のとき。「やっぱり家族を近くで支えたい、と大阪から和歌山に戻ったのですが、19才のときに、彼氏との間に子供ができていることがわかったのです」(前出・林家を知る人物) 1つ年下の彼氏・義幸さん(仮名)は、眞須美死刑囚が久美さんの母親であることなどの家庭事情を理解したうえで、子供を産み、3人で歩む道を選ぶ。それは同時に、義幸さんが実家と絶縁することを意味していた。「『犯罪者の娘』というのが付いてまわるわけです。どこに行っても。学校・職場・恋愛、どのような状況においても、それが足かせとなる。結婚となると、家同士の話でもありますからね。義幸さんの親もそう考えたのでしょう」(林家を取材したジャーナリスト) ふたりは同棲を始め、久美さんは2005年4月に女の子を出産する。それが心桜さんだ。当時、近所に住んでいた男性が一家をよく覚えていた。「小っちゃい女の子がおったところやな。両親が“こころちゃん”と呼んでたから覚えとる。旦那さんは単車で毎日仕事に出かけていた。住民はみんな、林眞須美の娘やって知ってたで。でも普通の家族やったし、問題を起こすこともなかったから、みんな普通に接してたんや」 一家は3年ほどそこで暮らし、その後、今回の犯行現場となったアパートに移り住む。この頃、久美さんは眞須美死刑囚と健治氏とは疎遠になっていた。「家族という守りたい存在ができた久美さんにとって、眞須美死刑囚の接見禁止解除や健治の出所という、事件が再注目されるような出来事が続くのがつらかったようです。母親の無実を信じたいという思いと、自分の新しい家族を守りたいという思いの板挟みになっていたのでしょう」(前出・ジャーナリスト) そんなときに、眞須美死刑囚が義幸さんの実家に手紙を送ったことで、母娘の関係は断絶状態になっていく。「手紙の内容はわかりませんが、久美さんは“余計なこと”と受け止めたのでしょう。と同時にいくら拘置所とこっちが高い塀で断絶されていようが、いくら面会室がアクリル板で断絶されていようが、血縁というものからは一生逃れられないことも痛感した。友達もできず、恋人ができたと思ったら離れていく。家族のことを話さないと、隠しているという罪悪感が生まれる。そして話すと離れる。この繰り返しのストレスの中、新たな血縁である心桜さんを育てていく葛藤は相当なものだったでしょう」(前出・ジャーナリスト)和歌山県警が実父の元へ 心桜さんが8才のとき、丁寧に築いてきた新しい家族が音を立てて壊れ始める。「2013年6月末に、心桜さんが虐待を受けている、という通告が児童相談所にあったのです。保護者と児相とで話し合いを続け、2014年1月までに改善が見られたので解決していた。しかし、この前後に心桜さんは、父・義幸さんと2人で家を出ました。そして、久美さんと義幸さんは離婚したとみられています」(前出・全国紙記者) 父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
《関西電力の関連会社で仕事してるわ。IH売ってるねんて。俺と一緒で口が巧いから、営業担当として、よう儲けとるわ。娘に言うんよ。“おまえ、IH売るのええけど、人だけはだますなよ”って。娘は“おまえに言われたない!”って(笑い)》 健治氏が過去、『女性セブン』記者にうれしそうにこう語っていたように、久美さんは営業でも好成績を収めていた時期があったようだ。犯罪者の娘 久美さんの人生に転機が訪れたのは19才のとき。「やっぱり家族を近くで支えたい、と大阪から和歌山に戻ったのですが、19才のときに、彼氏との間に子供ができていることがわかったのです」(前出・林家を知る人物) 1つ年下の彼氏・義幸さん(仮名)は、眞須美死刑囚が久美さんの母親であることなどの家庭事情を理解したうえで、子供を産み、3人で歩む道を選ぶ。それは同時に、義幸さんが実家と絶縁することを意味していた。「『犯罪者の娘』というのが付いてまわるわけです。どこに行っても。学校・職場・恋愛、どのような状況においても、それが足かせとなる。結婚となると、家同士の話でもありますからね。義幸さんの親もそう考えたのでしょう」(林家を取材したジャーナリスト) ふたりは同棲を始め、久美さんは2005年4月に女の子を出産する。それが心桜さんだ。当時、近所に住んでいた男性が一家をよく覚えていた。「小っちゃい女の子がおったところやな。両親が“こころちゃん”と呼んでたから覚えとる。旦那さんは単車で毎日仕事に出かけていた。住民はみんな、林眞須美の娘やって知ってたで。でも普通の家族やったし、問題を起こすこともなかったから、みんな普通に接してたんや」 一家は3年ほどそこで暮らし、その後、今回の犯行現場となったアパートに移り住む。この頃、久美さんは眞須美死刑囚と健治氏とは疎遠になっていた。「家族という守りたい存在ができた久美さんにとって、眞須美死刑囚の接見禁止解除や健治の出所という、事件が再注目されるような出来事が続くのがつらかったようです。母親の無実を信じたいという思いと、自分の新しい家族を守りたいという思いの板挟みになっていたのでしょう」(前出・ジャーナリスト) そんなときに、眞須美死刑囚が義幸さんの実家に手紙を送ったことで、母娘の関係は断絶状態になっていく。「手紙の内容はわかりませんが、久美さんは“余計なこと”と受け止めたのでしょう。と同時にいくら拘置所とこっちが高い塀で断絶されていようが、いくら面会室がアクリル板で断絶されていようが、血縁というものからは一生逃れられないことも痛感した。友達もできず、恋人ができたと思ったら離れていく。家族のことを話さないと、隠しているという罪悪感が生まれる。そして話すと離れる。この繰り返しのストレスの中、新たな血縁である心桜さんを育てていく葛藤は相当なものだったでしょう」(前出・ジャーナリスト)和歌山県警が実父の元へ 心桜さんが8才のとき、丁寧に築いてきた新しい家族が音を立てて壊れ始める。「2013年6月末に、心桜さんが虐待を受けている、という通告が児童相談所にあったのです。保護者と児相とで話し合いを続け、2014年1月までに改善が見られたので解決していた。しかし、この前後に心桜さんは、父・義幸さんと2人で家を出ました。そして、久美さんと義幸さんは離婚したとみられています」(前出・全国紙記者) 父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
健治氏が過去、『女性セブン』記者にうれしそうにこう語っていたように、久美さんは営業でも好成績を収めていた時期があったようだ。犯罪者の娘 久美さんの人生に転機が訪れたのは19才のとき。「やっぱり家族を近くで支えたい、と大阪から和歌山に戻ったのですが、19才のときに、彼氏との間に子供ができていることがわかったのです」(前出・林家を知る人物) 1つ年下の彼氏・義幸さん(仮名)は、眞須美死刑囚が久美さんの母親であることなどの家庭事情を理解したうえで、子供を産み、3人で歩む道を選ぶ。それは同時に、義幸さんが実家と絶縁することを意味していた。「『犯罪者の娘』というのが付いてまわるわけです。どこに行っても。学校・職場・恋愛、どのような状況においても、それが足かせとなる。結婚となると、家同士の話でもありますからね。義幸さんの親もそう考えたのでしょう」(林家を取材したジャーナリスト) ふたりは同棲を始め、久美さんは2005年4月に女の子を出産する。それが心桜さんだ。当時、近所に住んでいた男性が一家をよく覚えていた。「小っちゃい女の子がおったところやな。両親が“こころちゃん”と呼んでたから覚えとる。旦那さんは単車で毎日仕事に出かけていた。住民はみんな、林眞須美の娘やって知ってたで。でも普通の家族やったし、問題を起こすこともなかったから、みんな普通に接してたんや」 一家は3年ほどそこで暮らし、その後、今回の犯行現場となったアパートに移り住む。この頃、久美さんは眞須美死刑囚と健治氏とは疎遠になっていた。「家族という守りたい存在ができた久美さんにとって、眞須美死刑囚の接見禁止解除や健治の出所という、事件が再注目されるような出来事が続くのがつらかったようです。母親の無実を信じたいという思いと、自分の新しい家族を守りたいという思いの板挟みになっていたのでしょう」(前出・ジャーナリスト) そんなときに、眞須美死刑囚が義幸さんの実家に手紙を送ったことで、母娘の関係は断絶状態になっていく。「手紙の内容はわかりませんが、久美さんは“余計なこと”と受け止めたのでしょう。と同時にいくら拘置所とこっちが高い塀で断絶されていようが、いくら面会室がアクリル板で断絶されていようが、血縁というものからは一生逃れられないことも痛感した。友達もできず、恋人ができたと思ったら離れていく。家族のことを話さないと、隠しているという罪悪感が生まれる。そして話すと離れる。この繰り返しのストレスの中、新たな血縁である心桜さんを育てていく葛藤は相当なものだったでしょう」(前出・ジャーナリスト)和歌山県警が実父の元へ 心桜さんが8才のとき、丁寧に築いてきた新しい家族が音を立てて壊れ始める。「2013年6月末に、心桜さんが虐待を受けている、という通告が児童相談所にあったのです。保護者と児相とで話し合いを続け、2014年1月までに改善が見られたので解決していた。しかし、この前後に心桜さんは、父・義幸さんと2人で家を出ました。そして、久美さんと義幸さんは離婚したとみられています」(前出・全国紙記者) 父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
久美さんの人生に転機が訪れたのは19才のとき。「やっぱり家族を近くで支えたい、と大阪から和歌山に戻ったのですが、19才のときに、彼氏との間に子供ができていることがわかったのです」(前出・林家を知る人物) 1つ年下の彼氏・義幸さん(仮名)は、眞須美死刑囚が久美さんの母親であることなどの家庭事情を理解したうえで、子供を産み、3人で歩む道を選ぶ。それは同時に、義幸さんが実家と絶縁することを意味していた。「『犯罪者の娘』というのが付いてまわるわけです。どこに行っても。学校・職場・恋愛、どのような状況においても、それが足かせとなる。結婚となると、家同士の話でもありますからね。義幸さんの親もそう考えたのでしょう」(林家を取材したジャーナリスト) ふたりは同棲を始め、久美さんは2005年4月に女の子を出産する。それが心桜さんだ。当時、近所に住んでいた男性が一家をよく覚えていた。「小っちゃい女の子がおったところやな。両親が“こころちゃん”と呼んでたから覚えとる。旦那さんは単車で毎日仕事に出かけていた。住民はみんな、林眞須美の娘やって知ってたで。でも普通の家族やったし、問題を起こすこともなかったから、みんな普通に接してたんや」 一家は3年ほどそこで暮らし、その後、今回の犯行現場となったアパートに移り住む。この頃、久美さんは眞須美死刑囚と健治氏とは疎遠になっていた。「家族という守りたい存在ができた久美さんにとって、眞須美死刑囚の接見禁止解除や健治の出所という、事件が再注目されるような出来事が続くのがつらかったようです。母親の無実を信じたいという思いと、自分の新しい家族を守りたいという思いの板挟みになっていたのでしょう」(前出・ジャーナリスト) そんなときに、眞須美死刑囚が義幸さんの実家に手紙を送ったことで、母娘の関係は断絶状態になっていく。「手紙の内容はわかりませんが、久美さんは“余計なこと”と受け止めたのでしょう。と同時にいくら拘置所とこっちが高い塀で断絶されていようが、いくら面会室がアクリル板で断絶されていようが、血縁というものからは一生逃れられないことも痛感した。友達もできず、恋人ができたと思ったら離れていく。家族のことを話さないと、隠しているという罪悪感が生まれる。そして話すと離れる。この繰り返しのストレスの中、新たな血縁である心桜さんを育てていく葛藤は相当なものだったでしょう」(前出・ジャーナリスト)和歌山県警が実父の元へ 心桜さんが8才のとき、丁寧に築いてきた新しい家族が音を立てて壊れ始める。「2013年6月末に、心桜さんが虐待を受けている、という通告が児童相談所にあったのです。保護者と児相とで話し合いを続け、2014年1月までに改善が見られたので解決していた。しかし、この前後に心桜さんは、父・義幸さんと2人で家を出ました。そして、久美さんと義幸さんは離婚したとみられています」(前出・全国紙記者) 父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
「やっぱり家族を近くで支えたい、と大阪から和歌山に戻ったのですが、19才のときに、彼氏との間に子供ができていることがわかったのです」(前出・林家を知る人物) 1つ年下の彼氏・義幸さん(仮名)は、眞須美死刑囚が久美さんの母親であることなどの家庭事情を理解したうえで、子供を産み、3人で歩む道を選ぶ。それは同時に、義幸さんが実家と絶縁することを意味していた。「『犯罪者の娘』というのが付いてまわるわけです。どこに行っても。学校・職場・恋愛、どのような状況においても、それが足かせとなる。結婚となると、家同士の話でもありますからね。義幸さんの親もそう考えたのでしょう」(林家を取材したジャーナリスト) ふたりは同棲を始め、久美さんは2005年4月に女の子を出産する。それが心桜さんだ。当時、近所に住んでいた男性が一家をよく覚えていた。「小っちゃい女の子がおったところやな。両親が“こころちゃん”と呼んでたから覚えとる。旦那さんは単車で毎日仕事に出かけていた。住民はみんな、林眞須美の娘やって知ってたで。でも普通の家族やったし、問題を起こすこともなかったから、みんな普通に接してたんや」 一家は3年ほどそこで暮らし、その後、今回の犯行現場となったアパートに移り住む。この頃、久美さんは眞須美死刑囚と健治氏とは疎遠になっていた。「家族という守りたい存在ができた久美さんにとって、眞須美死刑囚の接見禁止解除や健治の出所という、事件が再注目されるような出来事が続くのがつらかったようです。母親の無実を信じたいという思いと、自分の新しい家族を守りたいという思いの板挟みになっていたのでしょう」(前出・ジャーナリスト) そんなときに、眞須美死刑囚が義幸さんの実家に手紙を送ったことで、母娘の関係は断絶状態になっていく。「手紙の内容はわかりませんが、久美さんは“余計なこと”と受け止めたのでしょう。と同時にいくら拘置所とこっちが高い塀で断絶されていようが、いくら面会室がアクリル板で断絶されていようが、血縁というものからは一生逃れられないことも痛感した。友達もできず、恋人ができたと思ったら離れていく。家族のことを話さないと、隠しているという罪悪感が生まれる。そして話すと離れる。この繰り返しのストレスの中、新たな血縁である心桜さんを育てていく葛藤は相当なものだったでしょう」(前出・ジャーナリスト)和歌山県警が実父の元へ 心桜さんが8才のとき、丁寧に築いてきた新しい家族が音を立てて壊れ始める。「2013年6月末に、心桜さんが虐待を受けている、という通告が児童相談所にあったのです。保護者と児相とで話し合いを続け、2014年1月までに改善が見られたので解決していた。しかし、この前後に心桜さんは、父・義幸さんと2人で家を出ました。そして、久美さんと義幸さんは離婚したとみられています」(前出・全国紙記者) 父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
1つ年下の彼氏・義幸さん(仮名)は、眞須美死刑囚が久美さんの母親であることなどの家庭事情を理解したうえで、子供を産み、3人で歩む道を選ぶ。それは同時に、義幸さんが実家と絶縁することを意味していた。「『犯罪者の娘』というのが付いてまわるわけです。どこに行っても。学校・職場・恋愛、どのような状況においても、それが足かせとなる。結婚となると、家同士の話でもありますからね。義幸さんの親もそう考えたのでしょう」(林家を取材したジャーナリスト) ふたりは同棲を始め、久美さんは2005年4月に女の子を出産する。それが心桜さんだ。当時、近所に住んでいた男性が一家をよく覚えていた。「小っちゃい女の子がおったところやな。両親が“こころちゃん”と呼んでたから覚えとる。旦那さんは単車で毎日仕事に出かけていた。住民はみんな、林眞須美の娘やって知ってたで。でも普通の家族やったし、問題を起こすこともなかったから、みんな普通に接してたんや」 一家は3年ほどそこで暮らし、その後、今回の犯行現場となったアパートに移り住む。この頃、久美さんは眞須美死刑囚と健治氏とは疎遠になっていた。「家族という守りたい存在ができた久美さんにとって、眞須美死刑囚の接見禁止解除や健治の出所という、事件が再注目されるような出来事が続くのがつらかったようです。母親の無実を信じたいという思いと、自分の新しい家族を守りたいという思いの板挟みになっていたのでしょう」(前出・ジャーナリスト) そんなときに、眞須美死刑囚が義幸さんの実家に手紙を送ったことで、母娘の関係は断絶状態になっていく。「手紙の内容はわかりませんが、久美さんは“余計なこと”と受け止めたのでしょう。と同時にいくら拘置所とこっちが高い塀で断絶されていようが、いくら面会室がアクリル板で断絶されていようが、血縁というものからは一生逃れられないことも痛感した。友達もできず、恋人ができたと思ったら離れていく。家族のことを話さないと、隠しているという罪悪感が生まれる。そして話すと離れる。この繰り返しのストレスの中、新たな血縁である心桜さんを育てていく葛藤は相当なものだったでしょう」(前出・ジャーナリスト)和歌山県警が実父の元へ 心桜さんが8才のとき、丁寧に築いてきた新しい家族が音を立てて壊れ始める。「2013年6月末に、心桜さんが虐待を受けている、という通告が児童相談所にあったのです。保護者と児相とで話し合いを続け、2014年1月までに改善が見られたので解決していた。しかし、この前後に心桜さんは、父・義幸さんと2人で家を出ました。そして、久美さんと義幸さんは離婚したとみられています」(前出・全国紙記者) 父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
「『犯罪者の娘』というのが付いてまわるわけです。どこに行っても。学校・職場・恋愛、どのような状況においても、それが足かせとなる。結婚となると、家同士の話でもありますからね。義幸さんの親もそう考えたのでしょう」(林家を取材したジャーナリスト) ふたりは同棲を始め、久美さんは2005年4月に女の子を出産する。それが心桜さんだ。当時、近所に住んでいた男性が一家をよく覚えていた。「小っちゃい女の子がおったところやな。両親が“こころちゃん”と呼んでたから覚えとる。旦那さんは単車で毎日仕事に出かけていた。住民はみんな、林眞須美の娘やって知ってたで。でも普通の家族やったし、問題を起こすこともなかったから、みんな普通に接してたんや」 一家は3年ほどそこで暮らし、その後、今回の犯行現場となったアパートに移り住む。この頃、久美さんは眞須美死刑囚と健治氏とは疎遠になっていた。「家族という守りたい存在ができた久美さんにとって、眞須美死刑囚の接見禁止解除や健治の出所という、事件が再注目されるような出来事が続くのがつらかったようです。母親の無実を信じたいという思いと、自分の新しい家族を守りたいという思いの板挟みになっていたのでしょう」(前出・ジャーナリスト) そんなときに、眞須美死刑囚が義幸さんの実家に手紙を送ったことで、母娘の関係は断絶状態になっていく。「手紙の内容はわかりませんが、久美さんは“余計なこと”と受け止めたのでしょう。と同時にいくら拘置所とこっちが高い塀で断絶されていようが、いくら面会室がアクリル板で断絶されていようが、血縁というものからは一生逃れられないことも痛感した。友達もできず、恋人ができたと思ったら離れていく。家族のことを話さないと、隠しているという罪悪感が生まれる。そして話すと離れる。この繰り返しのストレスの中、新たな血縁である心桜さんを育てていく葛藤は相当なものだったでしょう」(前出・ジャーナリスト)和歌山県警が実父の元へ 心桜さんが8才のとき、丁寧に築いてきた新しい家族が音を立てて壊れ始める。「2013年6月末に、心桜さんが虐待を受けている、という通告が児童相談所にあったのです。保護者と児相とで話し合いを続け、2014年1月までに改善が見られたので解決していた。しかし、この前後に心桜さんは、父・義幸さんと2人で家を出ました。そして、久美さんと義幸さんは離婚したとみられています」(前出・全国紙記者) 父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
ふたりは同棲を始め、久美さんは2005年4月に女の子を出産する。それが心桜さんだ。当時、近所に住んでいた男性が一家をよく覚えていた。「小っちゃい女の子がおったところやな。両親が“こころちゃん”と呼んでたから覚えとる。旦那さんは単車で毎日仕事に出かけていた。住民はみんな、林眞須美の娘やって知ってたで。でも普通の家族やったし、問題を起こすこともなかったから、みんな普通に接してたんや」 一家は3年ほどそこで暮らし、その後、今回の犯行現場となったアパートに移り住む。この頃、久美さんは眞須美死刑囚と健治氏とは疎遠になっていた。「家族という守りたい存在ができた久美さんにとって、眞須美死刑囚の接見禁止解除や健治の出所という、事件が再注目されるような出来事が続くのがつらかったようです。母親の無実を信じたいという思いと、自分の新しい家族を守りたいという思いの板挟みになっていたのでしょう」(前出・ジャーナリスト) そんなときに、眞須美死刑囚が義幸さんの実家に手紙を送ったことで、母娘の関係は断絶状態になっていく。「手紙の内容はわかりませんが、久美さんは“余計なこと”と受け止めたのでしょう。と同時にいくら拘置所とこっちが高い塀で断絶されていようが、いくら面会室がアクリル板で断絶されていようが、血縁というものからは一生逃れられないことも痛感した。友達もできず、恋人ができたと思ったら離れていく。家族のことを話さないと、隠しているという罪悪感が生まれる。そして話すと離れる。この繰り返しのストレスの中、新たな血縁である心桜さんを育てていく葛藤は相当なものだったでしょう」(前出・ジャーナリスト)和歌山県警が実父の元へ 心桜さんが8才のとき、丁寧に築いてきた新しい家族が音を立てて壊れ始める。「2013年6月末に、心桜さんが虐待を受けている、という通告が児童相談所にあったのです。保護者と児相とで話し合いを続け、2014年1月までに改善が見られたので解決していた。しかし、この前後に心桜さんは、父・義幸さんと2人で家を出ました。そして、久美さんと義幸さんは離婚したとみられています」(前出・全国紙記者) 父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
「小っちゃい女の子がおったところやな。両親が“こころちゃん”と呼んでたから覚えとる。旦那さんは単車で毎日仕事に出かけていた。住民はみんな、林眞須美の娘やって知ってたで。でも普通の家族やったし、問題を起こすこともなかったから、みんな普通に接してたんや」 一家は3年ほどそこで暮らし、その後、今回の犯行現場となったアパートに移り住む。この頃、久美さんは眞須美死刑囚と健治氏とは疎遠になっていた。「家族という守りたい存在ができた久美さんにとって、眞須美死刑囚の接見禁止解除や健治の出所という、事件が再注目されるような出来事が続くのがつらかったようです。母親の無実を信じたいという思いと、自分の新しい家族を守りたいという思いの板挟みになっていたのでしょう」(前出・ジャーナリスト) そんなときに、眞須美死刑囚が義幸さんの実家に手紙を送ったことで、母娘の関係は断絶状態になっていく。「手紙の内容はわかりませんが、久美さんは“余計なこと”と受け止めたのでしょう。と同時にいくら拘置所とこっちが高い塀で断絶されていようが、いくら面会室がアクリル板で断絶されていようが、血縁というものからは一生逃れられないことも痛感した。友達もできず、恋人ができたと思ったら離れていく。家族のことを話さないと、隠しているという罪悪感が生まれる。そして話すと離れる。この繰り返しのストレスの中、新たな血縁である心桜さんを育てていく葛藤は相当なものだったでしょう」(前出・ジャーナリスト)和歌山県警が実父の元へ 心桜さんが8才のとき、丁寧に築いてきた新しい家族が音を立てて壊れ始める。「2013年6月末に、心桜さんが虐待を受けている、という通告が児童相談所にあったのです。保護者と児相とで話し合いを続け、2014年1月までに改善が見られたので解決していた。しかし、この前後に心桜さんは、父・義幸さんと2人で家を出ました。そして、久美さんと義幸さんは離婚したとみられています」(前出・全国紙記者) 父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
一家は3年ほどそこで暮らし、その後、今回の犯行現場となったアパートに移り住む。この頃、久美さんは眞須美死刑囚と健治氏とは疎遠になっていた。「家族という守りたい存在ができた久美さんにとって、眞須美死刑囚の接見禁止解除や健治の出所という、事件が再注目されるような出来事が続くのがつらかったようです。母親の無実を信じたいという思いと、自分の新しい家族を守りたいという思いの板挟みになっていたのでしょう」(前出・ジャーナリスト) そんなときに、眞須美死刑囚が義幸さんの実家に手紙を送ったことで、母娘の関係は断絶状態になっていく。「手紙の内容はわかりませんが、久美さんは“余計なこと”と受け止めたのでしょう。と同時にいくら拘置所とこっちが高い塀で断絶されていようが、いくら面会室がアクリル板で断絶されていようが、血縁というものからは一生逃れられないことも痛感した。友達もできず、恋人ができたと思ったら離れていく。家族のことを話さないと、隠しているという罪悪感が生まれる。そして話すと離れる。この繰り返しのストレスの中、新たな血縁である心桜さんを育てていく葛藤は相当なものだったでしょう」(前出・ジャーナリスト)和歌山県警が実父の元へ 心桜さんが8才のとき、丁寧に築いてきた新しい家族が音を立てて壊れ始める。「2013年6月末に、心桜さんが虐待を受けている、という通告が児童相談所にあったのです。保護者と児相とで話し合いを続け、2014年1月までに改善が見られたので解決していた。しかし、この前後に心桜さんは、父・義幸さんと2人で家を出ました。そして、久美さんと義幸さんは離婚したとみられています」(前出・全国紙記者) 父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
「家族という守りたい存在ができた久美さんにとって、眞須美死刑囚の接見禁止解除や健治の出所という、事件が再注目されるような出来事が続くのがつらかったようです。母親の無実を信じたいという思いと、自分の新しい家族を守りたいという思いの板挟みになっていたのでしょう」(前出・ジャーナリスト) そんなときに、眞須美死刑囚が義幸さんの実家に手紙を送ったことで、母娘の関係は断絶状態になっていく。「手紙の内容はわかりませんが、久美さんは“余計なこと”と受け止めたのでしょう。と同時にいくら拘置所とこっちが高い塀で断絶されていようが、いくら面会室がアクリル板で断絶されていようが、血縁というものからは一生逃れられないことも痛感した。友達もできず、恋人ができたと思ったら離れていく。家族のことを話さないと、隠しているという罪悪感が生まれる。そして話すと離れる。この繰り返しのストレスの中、新たな血縁である心桜さんを育てていく葛藤は相当なものだったでしょう」(前出・ジャーナリスト)和歌山県警が実父の元へ 心桜さんが8才のとき、丁寧に築いてきた新しい家族が音を立てて壊れ始める。「2013年6月末に、心桜さんが虐待を受けている、という通告が児童相談所にあったのです。保護者と児相とで話し合いを続け、2014年1月までに改善が見られたので解決していた。しかし、この前後に心桜さんは、父・義幸さんと2人で家を出ました。そして、久美さんと義幸さんは離婚したとみられています」(前出・全国紙記者) 父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
そんなときに、眞須美死刑囚が義幸さんの実家に手紙を送ったことで、母娘の関係は断絶状態になっていく。「手紙の内容はわかりませんが、久美さんは“余計なこと”と受け止めたのでしょう。と同時にいくら拘置所とこっちが高い塀で断絶されていようが、いくら面会室がアクリル板で断絶されていようが、血縁というものからは一生逃れられないことも痛感した。友達もできず、恋人ができたと思ったら離れていく。家族のことを話さないと、隠しているという罪悪感が生まれる。そして話すと離れる。この繰り返しのストレスの中、新たな血縁である心桜さんを育てていく葛藤は相当なものだったでしょう」(前出・ジャーナリスト)和歌山県警が実父の元へ 心桜さんが8才のとき、丁寧に築いてきた新しい家族が音を立てて壊れ始める。「2013年6月末に、心桜さんが虐待を受けている、という通告が児童相談所にあったのです。保護者と児相とで話し合いを続け、2014年1月までに改善が見られたので解決していた。しかし、この前後に心桜さんは、父・義幸さんと2人で家を出ました。そして、久美さんと義幸さんは離婚したとみられています」(前出・全国紙記者) 父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
「手紙の内容はわかりませんが、久美さんは“余計なこと”と受け止めたのでしょう。と同時にいくら拘置所とこっちが高い塀で断絶されていようが、いくら面会室がアクリル板で断絶されていようが、血縁というものからは一生逃れられないことも痛感した。友達もできず、恋人ができたと思ったら離れていく。家族のことを話さないと、隠しているという罪悪感が生まれる。そして話すと離れる。この繰り返しのストレスの中、新たな血縁である心桜さんを育てていく葛藤は相当なものだったでしょう」(前出・ジャーナリスト)和歌山県警が実父の元へ 心桜さんが8才のとき、丁寧に築いてきた新しい家族が音を立てて壊れ始める。「2013年6月末に、心桜さんが虐待を受けている、という通告が児童相談所にあったのです。保護者と児相とで話し合いを続け、2014年1月までに改善が見られたので解決していた。しかし、この前後に心桜さんは、父・義幸さんと2人で家を出ました。そして、久美さんと義幸さんは離婚したとみられています」(前出・全国紙記者) 父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
心桜さんが8才のとき、丁寧に築いてきた新しい家族が音を立てて壊れ始める。「2013年6月末に、心桜さんが虐待を受けている、という通告が児童相談所にあったのです。保護者と児相とで話し合いを続け、2014年1月までに改善が見られたので解決していた。しかし、この前後に心桜さんは、父・義幸さんと2人で家を出ました。そして、久美さんと義幸さんは離婚したとみられています」(前出・全国紙記者) 父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
「2013年6月末に、心桜さんが虐待を受けている、という通告が児童相談所にあったのです。保護者と児相とで話し合いを続け、2014年1月までに改善が見られたので解決していた。しかし、この前後に心桜さんは、父・義幸さんと2人で家を出ました。そして、久美さんと義幸さんは離婚したとみられています」(前出・全国紙記者) 父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
父娘は、アパートからほど近い、別の家に引っ越した。「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
「お父さんは夜勤で弁当を詰める工場仕事をして、朝帰ってきていた。心桜ちゃんは夜いつもひとりでコンビニ弁当を食べていました」 近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
近隣住民が当時を思い出しながら続ける。「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
「心桜ちゃんは目がクリっと大きくてとっても美人さん。お母さんは見たことがなかったけど、夏休みには“お母さんのところへ行くんや”って言ってたから交流はあるんやなと。中学に上がったときにはソフトボール部に入ってたんやけど、すぐに辞めて学校にも行かなくなったようで。3年前くらいから心桜ちゃんを見かけなくなったので、お母さんのところへ行ったものやと思っていました」 現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
現在、義幸さんはひとりでその家に住み続けている。心桜さんが亡くなり、和歌山県警刑事課が義幸さんを訪ねて帰った後、義幸さんに声を掛けたが、沈痛な表情のまま何も語ることはなかった。「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
「実は2018年10月、児相に心桜さんの保護者から、『非行をいくら注意しても言うことを聞かない』と相談があったんです。しかし、同じ人物が翌月になって『問題は解決しました』と再度連絡してきたので、それ以上は児相も介入できていなかった。その前後から虐待が始まっていた可能性はあります」(前出・全国紙記者) 事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
事件当日、心桜さんが息絶えたことに狼狽し、久美さんが道連れにした女の子は4才。和歌山カレー事件当時、眞須美死刑囚の末娘も4才だった。久美さんが間近で見てきた、幼い妹が味わった苦しみを、心桜さんの死が明るみに出れば、この4才の子供にも味わわせてしまうことになる。加害者家族の苦しみを断ち切るために、病院ではなく連絡橋へと車を走らせたのだろうか。真相を知る存命の関係者は、あまりにも少ない。※女性セブン2021年7月1・8日号
※女性セブン2021年7月1・8日号