大阪で生まれた「日清焼そば」発売当初は苦情も/7月2日の話

発売当初の日清焼そば(1963年)
1963年7月2日、日清食品から世界初のインスタント焼きそばである「日清焼そば」が発売された。
1958年、こちらも世界初であるインスタントラーメン「チキンラーメン」の販売を軌道に乗せた日清食品は、さらなる新商品を開発するため、大阪・高槻工場に研究所を設立する。日清焼そばは、この研究所から生み出された。
日清食品の広報担当者が、こう語る。
「チキンラーメンは、味付けしてから揚げるという独自製法のため、折れくずの出やすい製品でした。そこで、研究所の所員たちは、自分たちなりに折れくずの利用法を模索し始めます。
ある日、所員の1人が折れくずと水を入れたフライパンをそのままにし、離席して戻ってきたところ、水は蒸発し、カラカラのフライパンのうえで麺がこんがりと焼けていたのです。
試しにひと口つまんでみるとなかなか美味しかったうえ、焼けた麺がまるで焼きそばのようだったそうです。ほどなくして研究所から『即席焼そば』の案が出され、本格的な開発が始まりました」
研究を重ね、フライパンに水を入れて焼きながら麺を戻していくという画期的な方法を確立させ、ついに商品が完成。満を持して発売するが、当初、売れ行きは芳しくなかった。そこには、人々の「インスタントラーメン」に対する意識が関係していた。「当時の感覚として、インスタントラーメンはお湯を注いで待つか、鍋で煮てスープを加えるかの2パターンしかありませんでした。そのため、本来はフライパンで焼くところを、間違えて鍋で煮込んで食べた人が多く、苦情が寄せられたこともあります。 商品が画期的であればあるほど、商品の価値やコンセプトをきちんと伝えなければいけないことに気づき、総力をあげて宣伝に力を入れました。 おかげさまで、発売から4カ月たった頃からどうにか売れ始め、翌年の夏、爆発的な人気が出るに至ったのです」(広報担当者) 夏は、季節柄インスタントラーメンの売り上げが落ち込みがちだが、逆に焼きそばのシーズンとなる。日清食品の夏場の売り上げは、日清焼そばによって大幅にアップした。発売から4年後に累計5億食を突破、いまなお販売されるスーパーロングセラーの誕生となった。
「当時の感覚として、インスタントラーメンはお湯を注いで待つか、鍋で煮てスープを加えるかの2パターンしかありませんでした。そのため、本来はフライパンで焼くところを、間違えて鍋で煮込んで食べた人が多く、苦情が寄せられたこともあります。 商品が画期的であればあるほど、商品の価値やコンセプトをきちんと伝えなければいけないことに気づき、総力をあげて宣伝に力を入れました。 おかげさまで、発売から4カ月たった頃からどうにか売れ始め、翌年の夏、爆発的な人気が出るに至ったのです」(広報担当者) 夏は、季節柄インスタントラーメンの売り上げが落ち込みがちだが、逆に焼きそばのシーズンとなる。日清食品の夏場の売り上げは、日清焼そばによって大幅にアップした。発売から4年後に累計5億食を突破、いまなお販売されるスーパーロングセラーの誕生となった。
商品が画期的であればあるほど、商品の価値やコンセプトをきちんと伝えなければいけないことに気づき、総力をあげて宣伝に力を入れました。 おかげさまで、発売から4カ月たった頃からどうにか売れ始め、翌年の夏、爆発的な人気が出るに至ったのです」(広報担当者) 夏は、季節柄インスタントラーメンの売り上げが落ち込みがちだが、逆に焼きそばのシーズンとなる。日清食品の夏場の売り上げは、日清焼そばによって大幅にアップした。発売から4年後に累計5億食を突破、いまなお販売されるスーパーロングセラーの誕生となった。
おかげさまで、発売から4カ月たった頃からどうにか売れ始め、翌年の夏、爆発的な人気が出るに至ったのです」(広報担当者) 夏は、季節柄インスタントラーメンの売り上げが落ち込みがちだが、逆に焼きそばのシーズンとなる。日清食品の夏場の売り上げは、日清焼そばによって大幅にアップした。発売から4年後に累計5億食を突破、いまなお販売されるスーパーロングセラーの誕生となった。
夏は、季節柄インスタントラーメンの売り上げが落ち込みがちだが、逆に焼きそばのシーズンとなる。日清食品の夏場の売り上げは、日清焼そばによって大幅にアップした。発売から4年後に累計5億食を突破、いまなお販売されるスーパーロングセラーの誕生となった。