『進撃の巨人』を“読んだ人”と“読まなかった人”にこれから起こる「圧倒的な差」 戦略デザインの教科書

ついに伝説が終劇を迎えた。10年以上にわたり社会現象を巻き起こし続けた『進撃の巨人』のことだ。
本稿の題材は、この伝説的連載漫画。ただし、YouTubeやネット記事に溢れる「伏線考察モノ」ではなく、本稿はあくまで戦略論の観点から、物語を考察した「ビジネスモノ」である。
『進撃の相談室』の著者で、電通でのクリエイティブ職を卒業後、様々なブランド戦略・マーケティング戦略を実行してきた戦略論のプロフェッショナル工藤拓真氏から、フィクションからの学びを、いかにノンフィクションな現実社会に活かすのか、その術を学ぶ。
『進撃の巨人』に触れたことがないというビジネスパーソンも、本稿をきっかけに、ぜひ読んでみてほしい。そこから学び取れる情報の質は、ベストセラーのビジネス書をも凌駕する。

営業戦略、マーケティング戦略、ブランド戦略、人事戦略、経営戦略…etc. ジャンル問わず、「戦略」と名がつくものには、業界や業種を超えて共通する大原則があります。
もちろん、シンプルな原則だけで、複雑怪奇な現代ビジネスの闘いに勝利することはできません。ただし、プロフェッショナルこそ、基本の型は大事なものです。プロスポーツ選手でも、素振りや走り込みを繰り返すように、どんな熟練ビジネスパーソンであっても、定期的に基本のフォームをチェックし直すべきです。
もし基本の型を疎かにして、ただ自由奔放にふるまう「形無し」の仕事術になってしまっては、決して「型破り」な成果は実現できません。だからこそ、ビジネス初心者であっても、百戦錬磨の熟練者であっても、改めて戦略の基本のキ、原則から学ぶ価値があります。 そして、それらを余すことなく学ぶことができる教科書こそ、全34巻におよぶ現代の神話『進撃の巨人』なのです。作中で描かれる戦いの形は様々。肉弾戦、心理戦、情報戦。しかも、主人公が気持ちよい完全勝利を収めるといった、単純な少年漫画の構造をとることはまずありません。瞬く間に、敵と味方が入れ替わる世界。一話終わるごとに、次回のあらすじが読めなくなる。そんな展開が、2009年から繰り広げられ、2021年6月9日の最終巻発売をもって、ついにフィナーレを迎えました。アフリカの歴史や北欧神話など、世界中の様々な知性がモチーフと言われる「進撃の巨人」。歴史学には歴史学のレンズから、政治学には政治学のレンズから、様々な考察を加えることができる作品です。終盤で描かれる国家間の衝突と疲弊する市民の様子は、現代政治の問題点を浮き彫りにしているかのようです。そんな噛みごたえのある題材をもとに、本稿はビジネスで活用されることの多い「戦略論」のみにフォーカスして、議論を進めます。話こそフィクションですが、その学びは、ノンフィクションな世界で十二分に活用できる、戦略デザインのケーススタディ集なのです。前著『進撃の相談室』では、戦略論という言葉を聴く機会すら少ない13歳向けに(ちなみに、13という数字は作中でも重要な意味を持ちます)、戦略創りの基本のキを、エレンたちの物語に沿ってご紹介しました。直接的にビジネスの話には触れない内容であったにもかかわらず、予想外なことに、多くのビジネスパーソンが手に取ってくれたそうです。そういった反響も踏まえて、今回は、日々格闘を繰り広げるビジネスパーソンの方々たちに、進撃の巨人から学ぶ、「戦略デザインの4原則」をお届けします。第1原則:戦略デザインは、ワガママから始まる『進撃の巨人』1巻2話では、主人公・エレンの名台詞「駆逐してやる!!」が初めて登場します。このシーンは、「巨人との闘い」という大きな目的の原点が、街を破壊され、家族を失った少年の決意(個人的な野望)であることを表した象徴的なエピソードです。『進撃の巨人』1巻2話より 1つの街を壊滅させてしまう作戦にも、世界を一変してしまうような戦略にも、その原点には、誰かの、個人的な野望(目的、ワガママ)が潜んでいます。「野望」という言葉に悪いイメージを持つ人もいるかもしれません。でも、野望はビジネスにとって毒ではありません。いやむしろ、毒どころか、唯一無二のモチベーションアップ装置にもなります。データが溢れ、「ロジックが大事」「主観より客観」という主張がメインストリームとなったこの20年で、本当は何がしたいのかわからない。真面目に仕事をやっているようには見えるが、何のためにやっているかは分からない。そんな野望なきビジネスパーソンが散見されるようになりました。しかし、それでは強い戦略は描けません。 第92回アカデミー賞において、「パラサイト」でアジア初の作品賞を受賞したポン・ジュノ監督。彼がスピーチで語ったことで、有名になった「最も個人的なことは最もクリエイティブなこと」というマーティン・スコセッシ監督の名言は、映画作りはもちろんのこと、あらゆるビジネスにおいて、主観がいかに大事かを教えてくれます。より多くの人を感動させる作品、つまり客観的に見て感動させる力がある作品にこそ、強烈な主観がある、ということです。そもそも、確かな主観が存在しなければ、誰かと誰かの主観の集合体である客観なんて、生まれません。「他の誰でもない、私自身がやりたいことは***だ!」と熱量込めて主張できる願望があることが、優れた戦略家の第一条件なのです。欲望は暴走すると悲劇を生みますが、欲が一切なければ、物語も仕事も駆動しません。困難な仕事であればあるほど、個人的で強烈なワガママが、原動力になります。「進撃の巨人」でも、その起点には、個々人の願望やその衝突が描かれています。第2原則:戦略デザインは、ワガママのままじゃ終らない『進撃の巨人』11巻46話で、エレンが「感情を噛み殺せ…」と耐えるエピソードでは、ターゲットから情報を得るために、主人公が「怒りの感情」(=ワガママ)をコントロールする戦略をとったことがわかります。『進撃の巨人』11巻46話よりマーケティングであれ、人事であれ、その戦略によって「動かす対象」もしくは「動かしたい現実」は、自分の外側にあります。いくら自分の内側、つまり頭の中だけで盛り上がっても、他人が動かないと、現実は何も変わりません。いくら優れたマーケティング戦略を描き切ったところで、社会実装しなければ、売上は1円だって伸びません。もちろん、先に挙げた「パラサイト」だって、監督の願望だけではなく、観客視点でコンテンツを磨き続けたことで、世界的なヒットに至ったことは間違いありません。だからこそ、私たちは自分ではない他人。動かしたい対象であるターゲットを考察し、彼らをどう動かしたいかを考え抜く必要があります。 第1原則を語った直後から、それを否定しているかのように聞こえてしまったかもしれません。しかし、第1原則と第2原則は、矛盾する主張ではありません。確かに、出発点(スタート)として、ワガママは大事です。願望がないということは、戦略を立てる必要がないということなのですから。ところが、だからといって、出発から終着(ゴール)まで、ずっとワガママで突っ走ることで何とかなるほど、簡単な仕事は、残念ながら現代には残されていないはず。どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
そして、それらを余すことなく学ぶことができる教科書こそ、全34巻におよぶ現代の神話『進撃の巨人』なのです。作中で描かれる戦いの形は様々。肉弾戦、心理戦、情報戦。しかも、主人公が気持ちよい完全勝利を収めるといった、単純な少年漫画の構造をとることはまずありません。瞬く間に、敵と味方が入れ替わる世界。一話終わるごとに、次回のあらすじが読めなくなる。そんな展開が、2009年から繰り広げられ、2021年6月9日の最終巻発売をもって、ついにフィナーレを迎えました。アフリカの歴史や北欧神話など、世界中の様々な知性がモチーフと言われる「進撃の巨人」。歴史学には歴史学のレンズから、政治学には政治学のレンズから、様々な考察を加えることができる作品です。終盤で描かれる国家間の衝突と疲弊する市民の様子は、現代政治の問題点を浮き彫りにしているかのようです。そんな噛みごたえのある題材をもとに、本稿はビジネスで活用されることの多い「戦略論」のみにフォーカスして、議論を進めます。話こそフィクションですが、その学びは、ノンフィクションな世界で十二分に活用できる、戦略デザインのケーススタディ集なのです。前著『進撃の相談室』では、戦略論という言葉を聴く機会すら少ない13歳向けに(ちなみに、13という数字は作中でも重要な意味を持ちます)、戦略創りの基本のキを、エレンたちの物語に沿ってご紹介しました。直接的にビジネスの話には触れない内容であったにもかかわらず、予想外なことに、多くのビジネスパーソンが手に取ってくれたそうです。そういった反響も踏まえて、今回は、日々格闘を繰り広げるビジネスパーソンの方々たちに、進撃の巨人から学ぶ、「戦略デザインの4原則」をお届けします。第1原則:戦略デザインは、ワガママから始まる『進撃の巨人』1巻2話では、主人公・エレンの名台詞「駆逐してやる!!」が初めて登場します。このシーンは、「巨人との闘い」という大きな目的の原点が、街を破壊され、家族を失った少年の決意(個人的な野望)であることを表した象徴的なエピソードです。『進撃の巨人』1巻2話より 1つの街を壊滅させてしまう作戦にも、世界を一変してしまうような戦略にも、その原点には、誰かの、個人的な野望(目的、ワガママ)が潜んでいます。「野望」という言葉に悪いイメージを持つ人もいるかもしれません。でも、野望はビジネスにとって毒ではありません。いやむしろ、毒どころか、唯一無二のモチベーションアップ装置にもなります。データが溢れ、「ロジックが大事」「主観より客観」という主張がメインストリームとなったこの20年で、本当は何がしたいのかわからない。真面目に仕事をやっているようには見えるが、何のためにやっているかは分からない。そんな野望なきビジネスパーソンが散見されるようになりました。しかし、それでは強い戦略は描けません。 第92回アカデミー賞において、「パラサイト」でアジア初の作品賞を受賞したポン・ジュノ監督。彼がスピーチで語ったことで、有名になった「最も個人的なことは最もクリエイティブなこと」というマーティン・スコセッシ監督の名言は、映画作りはもちろんのこと、あらゆるビジネスにおいて、主観がいかに大事かを教えてくれます。より多くの人を感動させる作品、つまり客観的に見て感動させる力がある作品にこそ、強烈な主観がある、ということです。そもそも、確かな主観が存在しなければ、誰かと誰かの主観の集合体である客観なんて、生まれません。「他の誰でもない、私自身がやりたいことは***だ!」と熱量込めて主張できる願望があることが、優れた戦略家の第一条件なのです。欲望は暴走すると悲劇を生みますが、欲が一切なければ、物語も仕事も駆動しません。困難な仕事であればあるほど、個人的で強烈なワガママが、原動力になります。「進撃の巨人」でも、その起点には、個々人の願望やその衝突が描かれています。第2原則:戦略デザインは、ワガママのままじゃ終らない『進撃の巨人』11巻46話で、エレンが「感情を噛み殺せ…」と耐えるエピソードでは、ターゲットから情報を得るために、主人公が「怒りの感情」(=ワガママ)をコントロールする戦略をとったことがわかります。『進撃の巨人』11巻46話よりマーケティングであれ、人事であれ、その戦略によって「動かす対象」もしくは「動かしたい現実」は、自分の外側にあります。いくら自分の内側、つまり頭の中だけで盛り上がっても、他人が動かないと、現実は何も変わりません。いくら優れたマーケティング戦略を描き切ったところで、社会実装しなければ、売上は1円だって伸びません。もちろん、先に挙げた「パラサイト」だって、監督の願望だけではなく、観客視点でコンテンツを磨き続けたことで、世界的なヒットに至ったことは間違いありません。だからこそ、私たちは自分ではない他人。動かしたい対象であるターゲットを考察し、彼らをどう動かしたいかを考え抜く必要があります。 第1原則を語った直後から、それを否定しているかのように聞こえてしまったかもしれません。しかし、第1原則と第2原則は、矛盾する主張ではありません。確かに、出発点(スタート)として、ワガママは大事です。願望がないということは、戦略を立てる必要がないということなのですから。ところが、だからといって、出発から終着(ゴール)まで、ずっとワガママで突っ走ることで何とかなるほど、簡単な仕事は、残念ながら現代には残されていないはず。どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
作中で描かれる戦いの形は様々。肉弾戦、心理戦、情報戦。しかも、主人公が気持ちよい完全勝利を収めるといった、単純な少年漫画の構造をとることはまずありません。瞬く間に、敵と味方が入れ替わる世界。一話終わるごとに、次回のあらすじが読めなくなる。そんな展開が、2009年から繰り広げられ、2021年6月9日の最終巻発売をもって、ついにフィナーレを迎えました。アフリカの歴史や北欧神話など、世界中の様々な知性がモチーフと言われる「進撃の巨人」。歴史学には歴史学のレンズから、政治学には政治学のレンズから、様々な考察を加えることができる作品です。終盤で描かれる国家間の衝突と疲弊する市民の様子は、現代政治の問題点を浮き彫りにしているかのようです。そんな噛みごたえのある題材をもとに、本稿はビジネスで活用されることの多い「戦略論」のみにフォーカスして、議論を進めます。話こそフィクションですが、その学びは、ノンフィクションな世界で十二分に活用できる、戦略デザインのケーススタディ集なのです。前著『進撃の相談室』では、戦略論という言葉を聴く機会すら少ない13歳向けに(ちなみに、13という数字は作中でも重要な意味を持ちます)、戦略創りの基本のキを、エレンたちの物語に沿ってご紹介しました。直接的にビジネスの話には触れない内容であったにもかかわらず、予想外なことに、多くのビジネスパーソンが手に取ってくれたそうです。そういった反響も踏まえて、今回は、日々格闘を繰り広げるビジネスパーソンの方々たちに、進撃の巨人から学ぶ、「戦略デザインの4原則」をお届けします。第1原則:戦略デザインは、ワガママから始まる『進撃の巨人』1巻2話では、主人公・エレンの名台詞「駆逐してやる!!」が初めて登場します。このシーンは、「巨人との闘い」という大きな目的の原点が、街を破壊され、家族を失った少年の決意(個人的な野望)であることを表した象徴的なエピソードです。『進撃の巨人』1巻2話より 1つの街を壊滅させてしまう作戦にも、世界を一変してしまうような戦略にも、その原点には、誰かの、個人的な野望(目的、ワガママ)が潜んでいます。「野望」という言葉に悪いイメージを持つ人もいるかもしれません。でも、野望はビジネスにとって毒ではありません。いやむしろ、毒どころか、唯一無二のモチベーションアップ装置にもなります。データが溢れ、「ロジックが大事」「主観より客観」という主張がメインストリームとなったこの20年で、本当は何がしたいのかわからない。真面目に仕事をやっているようには見えるが、何のためにやっているかは分からない。そんな野望なきビジネスパーソンが散見されるようになりました。しかし、それでは強い戦略は描けません。 第92回アカデミー賞において、「パラサイト」でアジア初の作品賞を受賞したポン・ジュノ監督。彼がスピーチで語ったことで、有名になった「最も個人的なことは最もクリエイティブなこと」というマーティン・スコセッシ監督の名言は、映画作りはもちろんのこと、あらゆるビジネスにおいて、主観がいかに大事かを教えてくれます。より多くの人を感動させる作品、つまり客観的に見て感動させる力がある作品にこそ、強烈な主観がある、ということです。そもそも、確かな主観が存在しなければ、誰かと誰かの主観の集合体である客観なんて、生まれません。「他の誰でもない、私自身がやりたいことは***だ!」と熱量込めて主張できる願望があることが、優れた戦略家の第一条件なのです。欲望は暴走すると悲劇を生みますが、欲が一切なければ、物語も仕事も駆動しません。困難な仕事であればあるほど、個人的で強烈なワガママが、原動力になります。「進撃の巨人」でも、その起点には、個々人の願望やその衝突が描かれています。第2原則:戦略デザインは、ワガママのままじゃ終らない『進撃の巨人』11巻46話で、エレンが「感情を噛み殺せ…」と耐えるエピソードでは、ターゲットから情報を得るために、主人公が「怒りの感情」(=ワガママ)をコントロールする戦略をとったことがわかります。『進撃の巨人』11巻46話よりマーケティングであれ、人事であれ、その戦略によって「動かす対象」もしくは「動かしたい現実」は、自分の外側にあります。いくら自分の内側、つまり頭の中だけで盛り上がっても、他人が動かないと、現実は何も変わりません。いくら優れたマーケティング戦略を描き切ったところで、社会実装しなければ、売上は1円だって伸びません。もちろん、先に挙げた「パラサイト」だって、監督の願望だけではなく、観客視点でコンテンツを磨き続けたことで、世界的なヒットに至ったことは間違いありません。だからこそ、私たちは自分ではない他人。動かしたい対象であるターゲットを考察し、彼らをどう動かしたいかを考え抜く必要があります。 第1原則を語った直後から、それを否定しているかのように聞こえてしまったかもしれません。しかし、第1原則と第2原則は、矛盾する主張ではありません。確かに、出発点(スタート)として、ワガママは大事です。願望がないということは、戦略を立てる必要がないということなのですから。ところが、だからといって、出発から終着(ゴール)まで、ずっとワガママで突っ走ることで何とかなるほど、簡単な仕事は、残念ながら現代には残されていないはず。どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
瞬く間に、敵と味方が入れ替わる世界。一話終わるごとに、次回のあらすじが読めなくなる。そんな展開が、2009年から繰り広げられ、2021年6月9日の最終巻発売をもって、ついにフィナーレを迎えました。アフリカの歴史や北欧神話など、世界中の様々な知性がモチーフと言われる「進撃の巨人」。歴史学には歴史学のレンズから、政治学には政治学のレンズから、様々な考察を加えることができる作品です。終盤で描かれる国家間の衝突と疲弊する市民の様子は、現代政治の問題点を浮き彫りにしているかのようです。そんな噛みごたえのある題材をもとに、本稿はビジネスで活用されることの多い「戦略論」のみにフォーカスして、議論を進めます。話こそフィクションですが、その学びは、ノンフィクションな世界で十二分に活用できる、戦略デザインのケーススタディ集なのです。前著『進撃の相談室』では、戦略論という言葉を聴く機会すら少ない13歳向けに(ちなみに、13という数字は作中でも重要な意味を持ちます)、戦略創りの基本のキを、エレンたちの物語に沿ってご紹介しました。直接的にビジネスの話には触れない内容であったにもかかわらず、予想外なことに、多くのビジネスパーソンが手に取ってくれたそうです。そういった反響も踏まえて、今回は、日々格闘を繰り広げるビジネスパーソンの方々たちに、進撃の巨人から学ぶ、「戦略デザインの4原則」をお届けします。第1原則:戦略デザインは、ワガママから始まる『進撃の巨人』1巻2話では、主人公・エレンの名台詞「駆逐してやる!!」が初めて登場します。このシーンは、「巨人との闘い」という大きな目的の原点が、街を破壊され、家族を失った少年の決意(個人的な野望)であることを表した象徴的なエピソードです。『進撃の巨人』1巻2話より 1つの街を壊滅させてしまう作戦にも、世界を一変してしまうような戦略にも、その原点には、誰かの、個人的な野望(目的、ワガママ)が潜んでいます。「野望」という言葉に悪いイメージを持つ人もいるかもしれません。でも、野望はビジネスにとって毒ではありません。いやむしろ、毒どころか、唯一無二のモチベーションアップ装置にもなります。データが溢れ、「ロジックが大事」「主観より客観」という主張がメインストリームとなったこの20年で、本当は何がしたいのかわからない。真面目に仕事をやっているようには見えるが、何のためにやっているかは分からない。そんな野望なきビジネスパーソンが散見されるようになりました。しかし、それでは強い戦略は描けません。 第92回アカデミー賞において、「パラサイト」でアジア初の作品賞を受賞したポン・ジュノ監督。彼がスピーチで語ったことで、有名になった「最も個人的なことは最もクリエイティブなこと」というマーティン・スコセッシ監督の名言は、映画作りはもちろんのこと、あらゆるビジネスにおいて、主観がいかに大事かを教えてくれます。より多くの人を感動させる作品、つまり客観的に見て感動させる力がある作品にこそ、強烈な主観がある、ということです。そもそも、確かな主観が存在しなければ、誰かと誰かの主観の集合体である客観なんて、生まれません。「他の誰でもない、私自身がやりたいことは***だ!」と熱量込めて主張できる願望があることが、優れた戦略家の第一条件なのです。欲望は暴走すると悲劇を生みますが、欲が一切なければ、物語も仕事も駆動しません。困難な仕事であればあるほど、個人的で強烈なワガママが、原動力になります。「進撃の巨人」でも、その起点には、個々人の願望やその衝突が描かれています。第2原則:戦略デザインは、ワガママのままじゃ終らない『進撃の巨人』11巻46話で、エレンが「感情を噛み殺せ…」と耐えるエピソードでは、ターゲットから情報を得るために、主人公が「怒りの感情」(=ワガママ)をコントロールする戦略をとったことがわかります。『進撃の巨人』11巻46話よりマーケティングであれ、人事であれ、その戦略によって「動かす対象」もしくは「動かしたい現実」は、自分の外側にあります。いくら自分の内側、つまり頭の中だけで盛り上がっても、他人が動かないと、現実は何も変わりません。いくら優れたマーケティング戦略を描き切ったところで、社会実装しなければ、売上は1円だって伸びません。もちろん、先に挙げた「パラサイト」だって、監督の願望だけではなく、観客視点でコンテンツを磨き続けたことで、世界的なヒットに至ったことは間違いありません。だからこそ、私たちは自分ではない他人。動かしたい対象であるターゲットを考察し、彼らをどう動かしたいかを考え抜く必要があります。 第1原則を語った直後から、それを否定しているかのように聞こえてしまったかもしれません。しかし、第1原則と第2原則は、矛盾する主張ではありません。確かに、出発点(スタート)として、ワガママは大事です。願望がないということは、戦略を立てる必要がないということなのですから。ところが、だからといって、出発から終着(ゴール)まで、ずっとワガママで突っ走ることで何とかなるほど、簡単な仕事は、残念ながら現代には残されていないはず。どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
アフリカの歴史や北欧神話など、世界中の様々な知性がモチーフと言われる「進撃の巨人」。歴史学には歴史学のレンズから、政治学には政治学のレンズから、様々な考察を加えることができる作品です。終盤で描かれる国家間の衝突と疲弊する市民の様子は、現代政治の問題点を浮き彫りにしているかのようです。そんな噛みごたえのある題材をもとに、本稿はビジネスで活用されることの多い「戦略論」のみにフォーカスして、議論を進めます。話こそフィクションですが、その学びは、ノンフィクションな世界で十二分に活用できる、戦略デザインのケーススタディ集なのです。前著『進撃の相談室』では、戦略論という言葉を聴く機会すら少ない13歳向けに(ちなみに、13という数字は作中でも重要な意味を持ちます)、戦略創りの基本のキを、エレンたちの物語に沿ってご紹介しました。直接的にビジネスの話には触れない内容であったにもかかわらず、予想外なことに、多くのビジネスパーソンが手に取ってくれたそうです。そういった反響も踏まえて、今回は、日々格闘を繰り広げるビジネスパーソンの方々たちに、進撃の巨人から学ぶ、「戦略デザインの4原則」をお届けします。第1原則:戦略デザインは、ワガママから始まる『進撃の巨人』1巻2話では、主人公・エレンの名台詞「駆逐してやる!!」が初めて登場します。このシーンは、「巨人との闘い」という大きな目的の原点が、街を破壊され、家族を失った少年の決意(個人的な野望)であることを表した象徴的なエピソードです。『進撃の巨人』1巻2話より 1つの街を壊滅させてしまう作戦にも、世界を一変してしまうような戦略にも、その原点には、誰かの、個人的な野望(目的、ワガママ)が潜んでいます。「野望」という言葉に悪いイメージを持つ人もいるかもしれません。でも、野望はビジネスにとって毒ではありません。いやむしろ、毒どころか、唯一無二のモチベーションアップ装置にもなります。データが溢れ、「ロジックが大事」「主観より客観」という主張がメインストリームとなったこの20年で、本当は何がしたいのかわからない。真面目に仕事をやっているようには見えるが、何のためにやっているかは分からない。そんな野望なきビジネスパーソンが散見されるようになりました。しかし、それでは強い戦略は描けません。 第92回アカデミー賞において、「パラサイト」でアジア初の作品賞を受賞したポン・ジュノ監督。彼がスピーチで語ったことで、有名になった「最も個人的なことは最もクリエイティブなこと」というマーティン・スコセッシ監督の名言は、映画作りはもちろんのこと、あらゆるビジネスにおいて、主観がいかに大事かを教えてくれます。より多くの人を感動させる作品、つまり客観的に見て感動させる力がある作品にこそ、強烈な主観がある、ということです。そもそも、確かな主観が存在しなければ、誰かと誰かの主観の集合体である客観なんて、生まれません。「他の誰でもない、私自身がやりたいことは***だ!」と熱量込めて主張できる願望があることが、優れた戦略家の第一条件なのです。欲望は暴走すると悲劇を生みますが、欲が一切なければ、物語も仕事も駆動しません。困難な仕事であればあるほど、個人的で強烈なワガママが、原動力になります。「進撃の巨人」でも、その起点には、個々人の願望やその衝突が描かれています。第2原則:戦略デザインは、ワガママのままじゃ終らない『進撃の巨人』11巻46話で、エレンが「感情を噛み殺せ…」と耐えるエピソードでは、ターゲットから情報を得るために、主人公が「怒りの感情」(=ワガママ)をコントロールする戦略をとったことがわかります。『進撃の巨人』11巻46話よりマーケティングであれ、人事であれ、その戦略によって「動かす対象」もしくは「動かしたい現実」は、自分の外側にあります。いくら自分の内側、つまり頭の中だけで盛り上がっても、他人が動かないと、現実は何も変わりません。いくら優れたマーケティング戦略を描き切ったところで、社会実装しなければ、売上は1円だって伸びません。もちろん、先に挙げた「パラサイト」だって、監督の願望だけではなく、観客視点でコンテンツを磨き続けたことで、世界的なヒットに至ったことは間違いありません。だからこそ、私たちは自分ではない他人。動かしたい対象であるターゲットを考察し、彼らをどう動かしたいかを考え抜く必要があります。 第1原則を語った直後から、それを否定しているかのように聞こえてしまったかもしれません。しかし、第1原則と第2原則は、矛盾する主張ではありません。確かに、出発点(スタート)として、ワガママは大事です。願望がないということは、戦略を立てる必要がないということなのですから。ところが、だからといって、出発から終着(ゴール)まで、ずっとワガママで突っ走ることで何とかなるほど、簡単な仕事は、残念ながら現代には残されていないはず。どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
終盤で描かれる国家間の衝突と疲弊する市民の様子は、現代政治の問題点を浮き彫りにしているかのようです。そんな噛みごたえのある題材をもとに、本稿はビジネスで活用されることの多い「戦略論」のみにフォーカスして、議論を進めます。話こそフィクションですが、その学びは、ノンフィクションな世界で十二分に活用できる、戦略デザインのケーススタディ集なのです。前著『進撃の相談室』では、戦略論という言葉を聴く機会すら少ない13歳向けに(ちなみに、13という数字は作中でも重要な意味を持ちます)、戦略創りの基本のキを、エレンたちの物語に沿ってご紹介しました。直接的にビジネスの話には触れない内容であったにもかかわらず、予想外なことに、多くのビジネスパーソンが手に取ってくれたそうです。そういった反響も踏まえて、今回は、日々格闘を繰り広げるビジネスパーソンの方々たちに、進撃の巨人から学ぶ、「戦略デザインの4原則」をお届けします。第1原則:戦略デザインは、ワガママから始まる『進撃の巨人』1巻2話では、主人公・エレンの名台詞「駆逐してやる!!」が初めて登場します。このシーンは、「巨人との闘い」という大きな目的の原点が、街を破壊され、家族を失った少年の決意(個人的な野望)であることを表した象徴的なエピソードです。『進撃の巨人』1巻2話より 1つの街を壊滅させてしまう作戦にも、世界を一変してしまうような戦略にも、その原点には、誰かの、個人的な野望(目的、ワガママ)が潜んでいます。「野望」という言葉に悪いイメージを持つ人もいるかもしれません。でも、野望はビジネスにとって毒ではありません。いやむしろ、毒どころか、唯一無二のモチベーションアップ装置にもなります。データが溢れ、「ロジックが大事」「主観より客観」という主張がメインストリームとなったこの20年で、本当は何がしたいのかわからない。真面目に仕事をやっているようには見えるが、何のためにやっているかは分からない。そんな野望なきビジネスパーソンが散見されるようになりました。しかし、それでは強い戦略は描けません。 第92回アカデミー賞において、「パラサイト」でアジア初の作品賞を受賞したポン・ジュノ監督。彼がスピーチで語ったことで、有名になった「最も個人的なことは最もクリエイティブなこと」というマーティン・スコセッシ監督の名言は、映画作りはもちろんのこと、あらゆるビジネスにおいて、主観がいかに大事かを教えてくれます。より多くの人を感動させる作品、つまり客観的に見て感動させる力がある作品にこそ、強烈な主観がある、ということです。そもそも、確かな主観が存在しなければ、誰かと誰かの主観の集合体である客観なんて、生まれません。「他の誰でもない、私自身がやりたいことは***だ!」と熱量込めて主張できる願望があることが、優れた戦略家の第一条件なのです。欲望は暴走すると悲劇を生みますが、欲が一切なければ、物語も仕事も駆動しません。困難な仕事であればあるほど、個人的で強烈なワガママが、原動力になります。「進撃の巨人」でも、その起点には、個々人の願望やその衝突が描かれています。第2原則:戦略デザインは、ワガママのままじゃ終らない『進撃の巨人』11巻46話で、エレンが「感情を噛み殺せ…」と耐えるエピソードでは、ターゲットから情報を得るために、主人公が「怒りの感情」(=ワガママ)をコントロールする戦略をとったことがわかります。『進撃の巨人』11巻46話よりマーケティングであれ、人事であれ、その戦略によって「動かす対象」もしくは「動かしたい現実」は、自分の外側にあります。いくら自分の内側、つまり頭の中だけで盛り上がっても、他人が動かないと、現実は何も変わりません。いくら優れたマーケティング戦略を描き切ったところで、社会実装しなければ、売上は1円だって伸びません。もちろん、先に挙げた「パラサイト」だって、監督の願望だけではなく、観客視点でコンテンツを磨き続けたことで、世界的なヒットに至ったことは間違いありません。だからこそ、私たちは自分ではない他人。動かしたい対象であるターゲットを考察し、彼らをどう動かしたいかを考え抜く必要があります。 第1原則を語った直後から、それを否定しているかのように聞こえてしまったかもしれません。しかし、第1原則と第2原則は、矛盾する主張ではありません。確かに、出発点(スタート)として、ワガママは大事です。願望がないということは、戦略を立てる必要がないということなのですから。ところが、だからといって、出発から終着(ゴール)まで、ずっとワガママで突っ走ることで何とかなるほど、簡単な仕事は、残念ながら現代には残されていないはず。どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
話こそフィクションですが、その学びは、ノンフィクションな世界で十二分に活用できる、戦略デザインのケーススタディ集なのです。前著『進撃の相談室』では、戦略論という言葉を聴く機会すら少ない13歳向けに(ちなみに、13という数字は作中でも重要な意味を持ちます)、戦略創りの基本のキを、エレンたちの物語に沿ってご紹介しました。直接的にビジネスの話には触れない内容であったにもかかわらず、予想外なことに、多くのビジネスパーソンが手に取ってくれたそうです。そういった反響も踏まえて、今回は、日々格闘を繰り広げるビジネスパーソンの方々たちに、進撃の巨人から学ぶ、「戦略デザインの4原則」をお届けします。第1原則:戦略デザインは、ワガママから始まる『進撃の巨人』1巻2話では、主人公・エレンの名台詞「駆逐してやる!!」が初めて登場します。このシーンは、「巨人との闘い」という大きな目的の原点が、街を破壊され、家族を失った少年の決意(個人的な野望)であることを表した象徴的なエピソードです。『進撃の巨人』1巻2話より 1つの街を壊滅させてしまう作戦にも、世界を一変してしまうような戦略にも、その原点には、誰かの、個人的な野望(目的、ワガママ)が潜んでいます。「野望」という言葉に悪いイメージを持つ人もいるかもしれません。でも、野望はビジネスにとって毒ではありません。いやむしろ、毒どころか、唯一無二のモチベーションアップ装置にもなります。データが溢れ、「ロジックが大事」「主観より客観」という主張がメインストリームとなったこの20年で、本当は何がしたいのかわからない。真面目に仕事をやっているようには見えるが、何のためにやっているかは分からない。そんな野望なきビジネスパーソンが散見されるようになりました。しかし、それでは強い戦略は描けません。 第92回アカデミー賞において、「パラサイト」でアジア初の作品賞を受賞したポン・ジュノ監督。彼がスピーチで語ったことで、有名になった「最も個人的なことは最もクリエイティブなこと」というマーティン・スコセッシ監督の名言は、映画作りはもちろんのこと、あらゆるビジネスにおいて、主観がいかに大事かを教えてくれます。より多くの人を感動させる作品、つまり客観的に見て感動させる力がある作品にこそ、強烈な主観がある、ということです。そもそも、確かな主観が存在しなければ、誰かと誰かの主観の集合体である客観なんて、生まれません。「他の誰でもない、私自身がやりたいことは***だ!」と熱量込めて主張できる願望があることが、優れた戦略家の第一条件なのです。欲望は暴走すると悲劇を生みますが、欲が一切なければ、物語も仕事も駆動しません。困難な仕事であればあるほど、個人的で強烈なワガママが、原動力になります。「進撃の巨人」でも、その起点には、個々人の願望やその衝突が描かれています。第2原則:戦略デザインは、ワガママのままじゃ終らない『進撃の巨人』11巻46話で、エレンが「感情を噛み殺せ…」と耐えるエピソードでは、ターゲットから情報を得るために、主人公が「怒りの感情」(=ワガママ)をコントロールする戦略をとったことがわかります。『進撃の巨人』11巻46話よりマーケティングであれ、人事であれ、その戦略によって「動かす対象」もしくは「動かしたい現実」は、自分の外側にあります。いくら自分の内側、つまり頭の中だけで盛り上がっても、他人が動かないと、現実は何も変わりません。いくら優れたマーケティング戦略を描き切ったところで、社会実装しなければ、売上は1円だって伸びません。もちろん、先に挙げた「パラサイト」だって、監督の願望だけではなく、観客視点でコンテンツを磨き続けたことで、世界的なヒットに至ったことは間違いありません。だからこそ、私たちは自分ではない他人。動かしたい対象であるターゲットを考察し、彼らをどう動かしたいかを考え抜く必要があります。 第1原則を語った直後から、それを否定しているかのように聞こえてしまったかもしれません。しかし、第1原則と第2原則は、矛盾する主張ではありません。確かに、出発点(スタート)として、ワガママは大事です。願望がないということは、戦略を立てる必要がないということなのですから。ところが、だからといって、出発から終着(ゴール)まで、ずっとワガママで突っ走ることで何とかなるほど、簡単な仕事は、残念ながら現代には残されていないはず。どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
前著『進撃の相談室』では、戦略論という言葉を聴く機会すら少ない13歳向けに(ちなみに、13という数字は作中でも重要な意味を持ちます)、戦略創りの基本のキを、エレンたちの物語に沿ってご紹介しました。直接的にビジネスの話には触れない内容であったにもかかわらず、予想外なことに、多くのビジネスパーソンが手に取ってくれたそうです。そういった反響も踏まえて、今回は、日々格闘を繰り広げるビジネスパーソンの方々たちに、進撃の巨人から学ぶ、「戦略デザインの4原則」をお届けします。第1原則:戦略デザインは、ワガママから始まる『進撃の巨人』1巻2話では、主人公・エレンの名台詞「駆逐してやる!!」が初めて登場します。このシーンは、「巨人との闘い」という大きな目的の原点が、街を破壊され、家族を失った少年の決意(個人的な野望)であることを表した象徴的なエピソードです。『進撃の巨人』1巻2話より 1つの街を壊滅させてしまう作戦にも、世界を一変してしまうような戦略にも、その原点には、誰かの、個人的な野望(目的、ワガママ)が潜んでいます。「野望」という言葉に悪いイメージを持つ人もいるかもしれません。でも、野望はビジネスにとって毒ではありません。いやむしろ、毒どころか、唯一無二のモチベーションアップ装置にもなります。データが溢れ、「ロジックが大事」「主観より客観」という主張がメインストリームとなったこの20年で、本当は何がしたいのかわからない。真面目に仕事をやっているようには見えるが、何のためにやっているかは分からない。そんな野望なきビジネスパーソンが散見されるようになりました。しかし、それでは強い戦略は描けません。 第92回アカデミー賞において、「パラサイト」でアジア初の作品賞を受賞したポン・ジュノ監督。彼がスピーチで語ったことで、有名になった「最も個人的なことは最もクリエイティブなこと」というマーティン・スコセッシ監督の名言は、映画作りはもちろんのこと、あらゆるビジネスにおいて、主観がいかに大事かを教えてくれます。より多くの人を感動させる作品、つまり客観的に見て感動させる力がある作品にこそ、強烈な主観がある、ということです。そもそも、確かな主観が存在しなければ、誰かと誰かの主観の集合体である客観なんて、生まれません。「他の誰でもない、私自身がやりたいことは***だ!」と熱量込めて主張できる願望があることが、優れた戦略家の第一条件なのです。欲望は暴走すると悲劇を生みますが、欲が一切なければ、物語も仕事も駆動しません。困難な仕事であればあるほど、個人的で強烈なワガママが、原動力になります。「進撃の巨人」でも、その起点には、個々人の願望やその衝突が描かれています。第2原則:戦略デザインは、ワガママのままじゃ終らない『進撃の巨人』11巻46話で、エレンが「感情を噛み殺せ…」と耐えるエピソードでは、ターゲットから情報を得るために、主人公が「怒りの感情」(=ワガママ)をコントロールする戦略をとったことがわかります。『進撃の巨人』11巻46話よりマーケティングであれ、人事であれ、その戦略によって「動かす対象」もしくは「動かしたい現実」は、自分の外側にあります。いくら自分の内側、つまり頭の中だけで盛り上がっても、他人が動かないと、現実は何も変わりません。いくら優れたマーケティング戦略を描き切ったところで、社会実装しなければ、売上は1円だって伸びません。もちろん、先に挙げた「パラサイト」だって、監督の願望だけではなく、観客視点でコンテンツを磨き続けたことで、世界的なヒットに至ったことは間違いありません。だからこそ、私たちは自分ではない他人。動かしたい対象であるターゲットを考察し、彼らをどう動かしたいかを考え抜く必要があります。 第1原則を語った直後から、それを否定しているかのように聞こえてしまったかもしれません。しかし、第1原則と第2原則は、矛盾する主張ではありません。確かに、出発点(スタート)として、ワガママは大事です。願望がないということは、戦略を立てる必要がないということなのですから。ところが、だからといって、出発から終着(ゴール)まで、ずっとワガママで突っ走ることで何とかなるほど、簡単な仕事は、残念ながら現代には残されていないはず。どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
直接的にビジネスの話には触れない内容であったにもかかわらず、予想外なことに、多くのビジネスパーソンが手に取ってくれたそうです。そういった反響も踏まえて、今回は、日々格闘を繰り広げるビジネスパーソンの方々たちに、進撃の巨人から学ぶ、「戦略デザインの4原則」をお届けします。第1原則:戦略デザインは、ワガママから始まる『進撃の巨人』1巻2話では、主人公・エレンの名台詞「駆逐してやる!!」が初めて登場します。このシーンは、「巨人との闘い」という大きな目的の原点が、街を破壊され、家族を失った少年の決意(個人的な野望)であることを表した象徴的なエピソードです。『進撃の巨人』1巻2話より 1つの街を壊滅させてしまう作戦にも、世界を一変してしまうような戦略にも、その原点には、誰かの、個人的な野望(目的、ワガママ)が潜んでいます。「野望」という言葉に悪いイメージを持つ人もいるかもしれません。でも、野望はビジネスにとって毒ではありません。いやむしろ、毒どころか、唯一無二のモチベーションアップ装置にもなります。データが溢れ、「ロジックが大事」「主観より客観」という主張がメインストリームとなったこの20年で、本当は何がしたいのかわからない。真面目に仕事をやっているようには見えるが、何のためにやっているかは分からない。そんな野望なきビジネスパーソンが散見されるようになりました。しかし、それでは強い戦略は描けません。 第92回アカデミー賞において、「パラサイト」でアジア初の作品賞を受賞したポン・ジュノ監督。彼がスピーチで語ったことで、有名になった「最も個人的なことは最もクリエイティブなこと」というマーティン・スコセッシ監督の名言は、映画作りはもちろんのこと、あらゆるビジネスにおいて、主観がいかに大事かを教えてくれます。より多くの人を感動させる作品、つまり客観的に見て感動させる力がある作品にこそ、強烈な主観がある、ということです。そもそも、確かな主観が存在しなければ、誰かと誰かの主観の集合体である客観なんて、生まれません。「他の誰でもない、私自身がやりたいことは***だ!」と熱量込めて主張できる願望があることが、優れた戦略家の第一条件なのです。欲望は暴走すると悲劇を生みますが、欲が一切なければ、物語も仕事も駆動しません。困難な仕事であればあるほど、個人的で強烈なワガママが、原動力になります。「進撃の巨人」でも、その起点には、個々人の願望やその衝突が描かれています。第2原則:戦略デザインは、ワガママのままじゃ終らない『進撃の巨人』11巻46話で、エレンが「感情を噛み殺せ…」と耐えるエピソードでは、ターゲットから情報を得るために、主人公が「怒りの感情」(=ワガママ)をコントロールする戦略をとったことがわかります。『進撃の巨人』11巻46話よりマーケティングであれ、人事であれ、その戦略によって「動かす対象」もしくは「動かしたい現実」は、自分の外側にあります。いくら自分の内側、つまり頭の中だけで盛り上がっても、他人が動かないと、現実は何も変わりません。いくら優れたマーケティング戦略を描き切ったところで、社会実装しなければ、売上は1円だって伸びません。もちろん、先に挙げた「パラサイト」だって、監督の願望だけではなく、観客視点でコンテンツを磨き続けたことで、世界的なヒットに至ったことは間違いありません。だからこそ、私たちは自分ではない他人。動かしたい対象であるターゲットを考察し、彼らをどう動かしたいかを考え抜く必要があります。 第1原則を語った直後から、それを否定しているかのように聞こえてしまったかもしれません。しかし、第1原則と第2原則は、矛盾する主張ではありません。確かに、出発点(スタート)として、ワガママは大事です。願望がないということは、戦略を立てる必要がないということなのですから。ところが、だからといって、出発から終着(ゴール)まで、ずっとワガママで突っ走ることで何とかなるほど、簡単な仕事は、残念ながら現代には残されていないはず。どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
そういった反響も踏まえて、今回は、日々格闘を繰り広げるビジネスパーソンの方々たちに、進撃の巨人から学ぶ、「戦略デザインの4原則」をお届けします。第1原則:戦略デザインは、ワガママから始まる『進撃の巨人』1巻2話では、主人公・エレンの名台詞「駆逐してやる!!」が初めて登場します。このシーンは、「巨人との闘い」という大きな目的の原点が、街を破壊され、家族を失った少年の決意(個人的な野望)であることを表した象徴的なエピソードです。『進撃の巨人』1巻2話より 1つの街を壊滅させてしまう作戦にも、世界を一変してしまうような戦略にも、その原点には、誰かの、個人的な野望(目的、ワガママ)が潜んでいます。「野望」という言葉に悪いイメージを持つ人もいるかもしれません。でも、野望はビジネスにとって毒ではありません。いやむしろ、毒どころか、唯一無二のモチベーションアップ装置にもなります。データが溢れ、「ロジックが大事」「主観より客観」という主張がメインストリームとなったこの20年で、本当は何がしたいのかわからない。真面目に仕事をやっているようには見えるが、何のためにやっているかは分からない。そんな野望なきビジネスパーソンが散見されるようになりました。しかし、それでは強い戦略は描けません。 第92回アカデミー賞において、「パラサイト」でアジア初の作品賞を受賞したポン・ジュノ監督。彼がスピーチで語ったことで、有名になった「最も個人的なことは最もクリエイティブなこと」というマーティン・スコセッシ監督の名言は、映画作りはもちろんのこと、あらゆるビジネスにおいて、主観がいかに大事かを教えてくれます。より多くの人を感動させる作品、つまり客観的に見て感動させる力がある作品にこそ、強烈な主観がある、ということです。そもそも、確かな主観が存在しなければ、誰かと誰かの主観の集合体である客観なんて、生まれません。「他の誰でもない、私自身がやりたいことは***だ!」と熱量込めて主張できる願望があることが、優れた戦略家の第一条件なのです。欲望は暴走すると悲劇を生みますが、欲が一切なければ、物語も仕事も駆動しません。困難な仕事であればあるほど、個人的で強烈なワガママが、原動力になります。「進撃の巨人」でも、その起点には、個々人の願望やその衝突が描かれています。第2原則:戦略デザインは、ワガママのままじゃ終らない『進撃の巨人』11巻46話で、エレンが「感情を噛み殺せ…」と耐えるエピソードでは、ターゲットから情報を得るために、主人公が「怒りの感情」(=ワガママ)をコントロールする戦略をとったことがわかります。『進撃の巨人』11巻46話よりマーケティングであれ、人事であれ、その戦略によって「動かす対象」もしくは「動かしたい現実」は、自分の外側にあります。いくら自分の内側、つまり頭の中だけで盛り上がっても、他人が動かないと、現実は何も変わりません。いくら優れたマーケティング戦略を描き切ったところで、社会実装しなければ、売上は1円だって伸びません。もちろん、先に挙げた「パラサイト」だって、監督の願望だけではなく、観客視点でコンテンツを磨き続けたことで、世界的なヒットに至ったことは間違いありません。だからこそ、私たちは自分ではない他人。動かしたい対象であるターゲットを考察し、彼らをどう動かしたいかを考え抜く必要があります。 第1原則を語った直後から、それを否定しているかのように聞こえてしまったかもしれません。しかし、第1原則と第2原則は、矛盾する主張ではありません。確かに、出発点(スタート)として、ワガママは大事です。願望がないということは、戦略を立てる必要がないということなのですから。ところが、だからといって、出発から終着(ゴール)まで、ずっとワガママで突っ走ることで何とかなるほど、簡単な仕事は、残念ながら現代には残されていないはず。どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
『進撃の巨人』1巻2話では、主人公・エレンの名台詞「駆逐してやる!!」が初めて登場します。このシーンは、「巨人との闘い」という大きな目的の原点が、街を破壊され、家族を失った少年の決意(個人的な野望)であることを表した象徴的なエピソードです。『進撃の巨人』1巻2話より 1つの街を壊滅させてしまう作戦にも、世界を一変してしまうような戦略にも、その原点には、誰かの、個人的な野望(目的、ワガママ)が潜んでいます。「野望」という言葉に悪いイメージを持つ人もいるかもしれません。でも、野望はビジネスにとって毒ではありません。いやむしろ、毒どころか、唯一無二のモチベーションアップ装置にもなります。データが溢れ、「ロジックが大事」「主観より客観」という主張がメインストリームとなったこの20年で、本当は何がしたいのかわからない。真面目に仕事をやっているようには見えるが、何のためにやっているかは分からない。そんな野望なきビジネスパーソンが散見されるようになりました。しかし、それでは強い戦略は描けません。 第92回アカデミー賞において、「パラサイト」でアジア初の作品賞を受賞したポン・ジュノ監督。彼がスピーチで語ったことで、有名になった「最も個人的なことは最もクリエイティブなこと」というマーティン・スコセッシ監督の名言は、映画作りはもちろんのこと、あらゆるビジネスにおいて、主観がいかに大事かを教えてくれます。より多くの人を感動させる作品、つまり客観的に見て感動させる力がある作品にこそ、強烈な主観がある、ということです。そもそも、確かな主観が存在しなければ、誰かと誰かの主観の集合体である客観なんて、生まれません。「他の誰でもない、私自身がやりたいことは***だ!」と熱量込めて主張できる願望があることが、優れた戦略家の第一条件なのです。欲望は暴走すると悲劇を生みますが、欲が一切なければ、物語も仕事も駆動しません。困難な仕事であればあるほど、個人的で強烈なワガママが、原動力になります。「進撃の巨人」でも、その起点には、個々人の願望やその衝突が描かれています。第2原則:戦略デザインは、ワガママのままじゃ終らない『進撃の巨人』11巻46話で、エレンが「感情を噛み殺せ…」と耐えるエピソードでは、ターゲットから情報を得るために、主人公が「怒りの感情」(=ワガママ)をコントロールする戦略をとったことがわかります。『進撃の巨人』11巻46話よりマーケティングであれ、人事であれ、その戦略によって「動かす対象」もしくは「動かしたい現実」は、自分の外側にあります。いくら自分の内側、つまり頭の中だけで盛り上がっても、他人が動かないと、現実は何も変わりません。いくら優れたマーケティング戦略を描き切ったところで、社会実装しなければ、売上は1円だって伸びません。もちろん、先に挙げた「パラサイト」だって、監督の願望だけではなく、観客視点でコンテンツを磨き続けたことで、世界的なヒットに至ったことは間違いありません。だからこそ、私たちは自分ではない他人。動かしたい対象であるターゲットを考察し、彼らをどう動かしたいかを考え抜く必要があります。 第1原則を語った直後から、それを否定しているかのように聞こえてしまったかもしれません。しかし、第1原則と第2原則は、矛盾する主張ではありません。確かに、出発点(スタート)として、ワガママは大事です。願望がないということは、戦略を立てる必要がないということなのですから。ところが、だからといって、出発から終着(ゴール)まで、ずっとワガママで突っ走ることで何とかなるほど、簡単な仕事は、残念ながら現代には残されていないはず。どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
『進撃の巨人』1巻2話より 1つの街を壊滅させてしまう作戦にも、世界を一変してしまうような戦略にも、その原点には、誰かの、個人的な野望(目的、ワガママ)が潜んでいます。「野望」という言葉に悪いイメージを持つ人もいるかもしれません。でも、野望はビジネスにとって毒ではありません。いやむしろ、毒どころか、唯一無二のモチベーションアップ装置にもなります。データが溢れ、「ロジックが大事」「主観より客観」という主張がメインストリームとなったこの20年で、本当は何がしたいのかわからない。真面目に仕事をやっているようには見えるが、何のためにやっているかは分からない。そんな野望なきビジネスパーソンが散見されるようになりました。しかし、それでは強い戦略は描けません。 第92回アカデミー賞において、「パラサイト」でアジア初の作品賞を受賞したポン・ジュノ監督。彼がスピーチで語ったことで、有名になった「最も個人的なことは最もクリエイティブなこと」というマーティン・スコセッシ監督の名言は、映画作りはもちろんのこと、あらゆるビジネスにおいて、主観がいかに大事かを教えてくれます。より多くの人を感動させる作品、つまり客観的に見て感動させる力がある作品にこそ、強烈な主観がある、ということです。そもそも、確かな主観が存在しなければ、誰かと誰かの主観の集合体である客観なんて、生まれません。「他の誰でもない、私自身がやりたいことは***だ!」と熱量込めて主張できる願望があることが、優れた戦略家の第一条件なのです。欲望は暴走すると悲劇を生みますが、欲が一切なければ、物語も仕事も駆動しません。困難な仕事であればあるほど、個人的で強烈なワガママが、原動力になります。「進撃の巨人」でも、その起点には、個々人の願望やその衝突が描かれています。第2原則:戦略デザインは、ワガママのままじゃ終らない『進撃の巨人』11巻46話で、エレンが「感情を噛み殺せ…」と耐えるエピソードでは、ターゲットから情報を得るために、主人公が「怒りの感情」(=ワガママ)をコントロールする戦略をとったことがわかります。『進撃の巨人』11巻46話よりマーケティングであれ、人事であれ、その戦略によって「動かす対象」もしくは「動かしたい現実」は、自分の外側にあります。いくら自分の内側、つまり頭の中だけで盛り上がっても、他人が動かないと、現実は何も変わりません。いくら優れたマーケティング戦略を描き切ったところで、社会実装しなければ、売上は1円だって伸びません。もちろん、先に挙げた「パラサイト」だって、監督の願望だけではなく、観客視点でコンテンツを磨き続けたことで、世界的なヒットに至ったことは間違いありません。だからこそ、私たちは自分ではない他人。動かしたい対象であるターゲットを考察し、彼らをどう動かしたいかを考え抜く必要があります。 第1原則を語った直後から、それを否定しているかのように聞こえてしまったかもしれません。しかし、第1原則と第2原則は、矛盾する主張ではありません。確かに、出発点(スタート)として、ワガママは大事です。願望がないということは、戦略を立てる必要がないということなのですから。ところが、だからといって、出発から終着(ゴール)まで、ずっとワガママで突っ走ることで何とかなるほど、簡単な仕事は、残念ながら現代には残されていないはず。どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
1つの街を壊滅させてしまう作戦にも、世界を一変してしまうような戦略にも、その原点には、誰かの、個人的な野望(目的、ワガママ)が潜んでいます。「野望」という言葉に悪いイメージを持つ人もいるかもしれません。でも、野望はビジネスにとって毒ではありません。いやむしろ、毒どころか、唯一無二のモチベーションアップ装置にもなります。データが溢れ、「ロジックが大事」「主観より客観」という主張がメインストリームとなったこの20年で、本当は何がしたいのかわからない。真面目に仕事をやっているようには見えるが、何のためにやっているかは分からない。そんな野望なきビジネスパーソンが散見されるようになりました。しかし、それでは強い戦略は描けません。 第92回アカデミー賞において、「パラサイト」でアジア初の作品賞を受賞したポン・ジュノ監督。彼がスピーチで語ったことで、有名になった「最も個人的なことは最もクリエイティブなこと」というマーティン・スコセッシ監督の名言は、映画作りはもちろんのこと、あらゆるビジネスにおいて、主観がいかに大事かを教えてくれます。より多くの人を感動させる作品、つまり客観的に見て感動させる力がある作品にこそ、強烈な主観がある、ということです。そもそも、確かな主観が存在しなければ、誰かと誰かの主観の集合体である客観なんて、生まれません。「他の誰でもない、私自身がやりたいことは***だ!」と熱量込めて主張できる願望があることが、優れた戦略家の第一条件なのです。欲望は暴走すると悲劇を生みますが、欲が一切なければ、物語も仕事も駆動しません。困難な仕事であればあるほど、個人的で強烈なワガママが、原動力になります。「進撃の巨人」でも、その起点には、個々人の願望やその衝突が描かれています。第2原則:戦略デザインは、ワガママのままじゃ終らない『進撃の巨人』11巻46話で、エレンが「感情を噛み殺せ…」と耐えるエピソードでは、ターゲットから情報を得るために、主人公が「怒りの感情」(=ワガママ)をコントロールする戦略をとったことがわかります。『進撃の巨人』11巻46話よりマーケティングであれ、人事であれ、その戦略によって「動かす対象」もしくは「動かしたい現実」は、自分の外側にあります。いくら自分の内側、つまり頭の中だけで盛り上がっても、他人が動かないと、現実は何も変わりません。いくら優れたマーケティング戦略を描き切ったところで、社会実装しなければ、売上は1円だって伸びません。もちろん、先に挙げた「パラサイト」だって、監督の願望だけではなく、観客視点でコンテンツを磨き続けたことで、世界的なヒットに至ったことは間違いありません。だからこそ、私たちは自分ではない他人。動かしたい対象であるターゲットを考察し、彼らをどう動かしたいかを考え抜く必要があります。 第1原則を語った直後から、それを否定しているかのように聞こえてしまったかもしれません。しかし、第1原則と第2原則は、矛盾する主張ではありません。確かに、出発点(スタート)として、ワガママは大事です。願望がないということは、戦略を立てる必要がないということなのですから。ところが、だからといって、出発から終着(ゴール)まで、ずっとワガママで突っ走ることで何とかなるほど、簡単な仕事は、残念ながら現代には残されていないはず。どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
「野望」という言葉に悪いイメージを持つ人もいるかもしれません。でも、野望はビジネスにとって毒ではありません。いやむしろ、毒どころか、唯一無二のモチベーションアップ装置にもなります。データが溢れ、「ロジックが大事」「主観より客観」という主張がメインストリームとなったこの20年で、本当は何がしたいのかわからない。真面目に仕事をやっているようには見えるが、何のためにやっているかは分からない。そんな野望なきビジネスパーソンが散見されるようになりました。しかし、それでは強い戦略は描けません。 第92回アカデミー賞において、「パラサイト」でアジア初の作品賞を受賞したポン・ジュノ監督。彼がスピーチで語ったことで、有名になった「最も個人的なことは最もクリエイティブなこと」というマーティン・スコセッシ監督の名言は、映画作りはもちろんのこと、あらゆるビジネスにおいて、主観がいかに大事かを教えてくれます。より多くの人を感動させる作品、つまり客観的に見て感動させる力がある作品にこそ、強烈な主観がある、ということです。そもそも、確かな主観が存在しなければ、誰かと誰かの主観の集合体である客観なんて、生まれません。「他の誰でもない、私自身がやりたいことは***だ!」と熱量込めて主張できる願望があることが、優れた戦略家の第一条件なのです。欲望は暴走すると悲劇を生みますが、欲が一切なければ、物語も仕事も駆動しません。困難な仕事であればあるほど、個人的で強烈なワガママが、原動力になります。「進撃の巨人」でも、その起点には、個々人の願望やその衝突が描かれています。第2原則:戦略デザインは、ワガママのままじゃ終らない『進撃の巨人』11巻46話で、エレンが「感情を噛み殺せ…」と耐えるエピソードでは、ターゲットから情報を得るために、主人公が「怒りの感情」(=ワガママ)をコントロールする戦略をとったことがわかります。『進撃の巨人』11巻46話よりマーケティングであれ、人事であれ、その戦略によって「動かす対象」もしくは「動かしたい現実」は、自分の外側にあります。いくら自分の内側、つまり頭の中だけで盛り上がっても、他人が動かないと、現実は何も変わりません。いくら優れたマーケティング戦略を描き切ったところで、社会実装しなければ、売上は1円だって伸びません。もちろん、先に挙げた「パラサイト」だって、監督の願望だけではなく、観客視点でコンテンツを磨き続けたことで、世界的なヒットに至ったことは間違いありません。だからこそ、私たちは自分ではない他人。動かしたい対象であるターゲットを考察し、彼らをどう動かしたいかを考え抜く必要があります。 第1原則を語った直後から、それを否定しているかのように聞こえてしまったかもしれません。しかし、第1原則と第2原則は、矛盾する主張ではありません。確かに、出発点(スタート)として、ワガママは大事です。願望がないということは、戦略を立てる必要がないということなのですから。ところが、だからといって、出発から終着(ゴール)まで、ずっとワガママで突っ走ることで何とかなるほど、簡単な仕事は、残念ながら現代には残されていないはず。どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
データが溢れ、「ロジックが大事」「主観より客観」という主張がメインストリームとなったこの20年で、本当は何がしたいのかわからない。真面目に仕事をやっているようには見えるが、何のためにやっているかは分からない。そんな野望なきビジネスパーソンが散見されるようになりました。しかし、それでは強い戦略は描けません。 第92回アカデミー賞において、「パラサイト」でアジア初の作品賞を受賞したポン・ジュノ監督。彼がスピーチで語ったことで、有名になった「最も個人的なことは最もクリエイティブなこと」というマーティン・スコセッシ監督の名言は、映画作りはもちろんのこと、あらゆるビジネスにおいて、主観がいかに大事かを教えてくれます。より多くの人を感動させる作品、つまり客観的に見て感動させる力がある作品にこそ、強烈な主観がある、ということです。そもそも、確かな主観が存在しなければ、誰かと誰かの主観の集合体である客観なんて、生まれません。「他の誰でもない、私自身がやりたいことは***だ!」と熱量込めて主張できる願望があることが、優れた戦略家の第一条件なのです。欲望は暴走すると悲劇を生みますが、欲が一切なければ、物語も仕事も駆動しません。困難な仕事であればあるほど、個人的で強烈なワガママが、原動力になります。「進撃の巨人」でも、その起点には、個々人の願望やその衝突が描かれています。第2原則:戦略デザインは、ワガママのままじゃ終らない『進撃の巨人』11巻46話で、エレンが「感情を噛み殺せ…」と耐えるエピソードでは、ターゲットから情報を得るために、主人公が「怒りの感情」(=ワガママ)をコントロールする戦略をとったことがわかります。『進撃の巨人』11巻46話よりマーケティングであれ、人事であれ、その戦略によって「動かす対象」もしくは「動かしたい現実」は、自分の外側にあります。いくら自分の内側、つまり頭の中だけで盛り上がっても、他人が動かないと、現実は何も変わりません。いくら優れたマーケティング戦略を描き切ったところで、社会実装しなければ、売上は1円だって伸びません。もちろん、先に挙げた「パラサイト」だって、監督の願望だけではなく、観客視点でコンテンツを磨き続けたことで、世界的なヒットに至ったことは間違いありません。だからこそ、私たちは自分ではない他人。動かしたい対象であるターゲットを考察し、彼らをどう動かしたいかを考え抜く必要があります。 第1原則を語った直後から、それを否定しているかのように聞こえてしまったかもしれません。しかし、第1原則と第2原則は、矛盾する主張ではありません。確かに、出発点(スタート)として、ワガママは大事です。願望がないということは、戦略を立てる必要がないということなのですから。ところが、だからといって、出発から終着(ゴール)まで、ずっとワガママで突っ走ることで何とかなるほど、簡単な仕事は、残念ながら現代には残されていないはず。どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
第92回アカデミー賞において、「パラサイト」でアジア初の作品賞を受賞したポン・ジュノ監督。彼がスピーチで語ったことで、有名になった「最も個人的なことは最もクリエイティブなこと」というマーティン・スコセッシ監督の名言は、映画作りはもちろんのこと、あらゆるビジネスにおいて、主観がいかに大事かを教えてくれます。より多くの人を感動させる作品、つまり客観的に見て感動させる力がある作品にこそ、強烈な主観がある、ということです。そもそも、確かな主観が存在しなければ、誰かと誰かの主観の集合体である客観なんて、生まれません。「他の誰でもない、私自身がやりたいことは***だ!」と熱量込めて主張できる願望があることが、優れた戦略家の第一条件なのです。欲望は暴走すると悲劇を生みますが、欲が一切なければ、物語も仕事も駆動しません。困難な仕事であればあるほど、個人的で強烈なワガママが、原動力になります。「進撃の巨人」でも、その起点には、個々人の願望やその衝突が描かれています。第2原則:戦略デザインは、ワガママのままじゃ終らない『進撃の巨人』11巻46話で、エレンが「感情を噛み殺せ…」と耐えるエピソードでは、ターゲットから情報を得るために、主人公が「怒りの感情」(=ワガママ)をコントロールする戦略をとったことがわかります。『進撃の巨人』11巻46話よりマーケティングであれ、人事であれ、その戦略によって「動かす対象」もしくは「動かしたい現実」は、自分の外側にあります。いくら自分の内側、つまり頭の中だけで盛り上がっても、他人が動かないと、現実は何も変わりません。いくら優れたマーケティング戦略を描き切ったところで、社会実装しなければ、売上は1円だって伸びません。もちろん、先に挙げた「パラサイト」だって、監督の願望だけではなく、観客視点でコンテンツを磨き続けたことで、世界的なヒットに至ったことは間違いありません。だからこそ、私たちは自分ではない他人。動かしたい対象であるターゲットを考察し、彼らをどう動かしたいかを考え抜く必要があります。 第1原則を語った直後から、それを否定しているかのように聞こえてしまったかもしれません。しかし、第1原則と第2原則は、矛盾する主張ではありません。確かに、出発点(スタート)として、ワガママは大事です。願望がないということは、戦略を立てる必要がないということなのですから。ところが、だからといって、出発から終着(ゴール)まで、ずっとワガママで突っ走ることで何とかなるほど、簡単な仕事は、残念ながら現代には残されていないはず。どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
第92回アカデミー賞において、「パラサイト」でアジア初の作品賞を受賞したポン・ジュノ監督。彼がスピーチで語ったことで、有名になった「最も個人的なことは最もクリエイティブなこと」というマーティン・スコセッシ監督の名言は、映画作りはもちろんのこと、あらゆるビジネスにおいて、主観がいかに大事かを教えてくれます。より多くの人を感動させる作品、つまり客観的に見て感動させる力がある作品にこそ、強烈な主観がある、ということです。そもそも、確かな主観が存在しなければ、誰かと誰かの主観の集合体である客観なんて、生まれません。「他の誰でもない、私自身がやりたいことは***だ!」と熱量込めて主張できる願望があることが、優れた戦略家の第一条件なのです。欲望は暴走すると悲劇を生みますが、欲が一切なければ、物語も仕事も駆動しません。困難な仕事であればあるほど、個人的で強烈なワガママが、原動力になります。「進撃の巨人」でも、その起点には、個々人の願望やその衝突が描かれています。第2原則:戦略デザインは、ワガママのままじゃ終らない『進撃の巨人』11巻46話で、エレンが「感情を噛み殺せ…」と耐えるエピソードでは、ターゲットから情報を得るために、主人公が「怒りの感情」(=ワガママ)をコントロールする戦略をとったことがわかります。『進撃の巨人』11巻46話よりマーケティングであれ、人事であれ、その戦略によって「動かす対象」もしくは「動かしたい現実」は、自分の外側にあります。いくら自分の内側、つまり頭の中だけで盛り上がっても、他人が動かないと、現実は何も変わりません。いくら優れたマーケティング戦略を描き切ったところで、社会実装しなければ、売上は1円だって伸びません。もちろん、先に挙げた「パラサイト」だって、監督の願望だけではなく、観客視点でコンテンツを磨き続けたことで、世界的なヒットに至ったことは間違いありません。だからこそ、私たちは自分ではない他人。動かしたい対象であるターゲットを考察し、彼らをどう動かしたいかを考え抜く必要があります。 第1原則を語った直後から、それを否定しているかのように聞こえてしまったかもしれません。しかし、第1原則と第2原則は、矛盾する主張ではありません。確かに、出発点(スタート)として、ワガママは大事です。願望がないということは、戦略を立てる必要がないということなのですから。ところが、だからといって、出発から終着(ゴール)まで、ずっとワガママで突っ走ることで何とかなるほど、簡単な仕事は、残念ながら現代には残されていないはず。どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
彼がスピーチで語ったことで、有名になった「最も個人的なことは最もクリエイティブなこと」というマーティン・スコセッシ監督の名言は、映画作りはもちろんのこと、あらゆるビジネスにおいて、主観がいかに大事かを教えてくれます。より多くの人を感動させる作品、つまり客観的に見て感動させる力がある作品にこそ、強烈な主観がある、ということです。そもそも、確かな主観が存在しなければ、誰かと誰かの主観の集合体である客観なんて、生まれません。「他の誰でもない、私自身がやりたいことは***だ!」と熱量込めて主張できる願望があることが、優れた戦略家の第一条件なのです。欲望は暴走すると悲劇を生みますが、欲が一切なければ、物語も仕事も駆動しません。困難な仕事であればあるほど、個人的で強烈なワガママが、原動力になります。「進撃の巨人」でも、その起点には、個々人の願望やその衝突が描かれています。第2原則:戦略デザインは、ワガママのままじゃ終らない『進撃の巨人』11巻46話で、エレンが「感情を噛み殺せ…」と耐えるエピソードでは、ターゲットから情報を得るために、主人公が「怒りの感情」(=ワガママ)をコントロールする戦略をとったことがわかります。『進撃の巨人』11巻46話よりマーケティングであれ、人事であれ、その戦略によって「動かす対象」もしくは「動かしたい現実」は、自分の外側にあります。いくら自分の内側、つまり頭の中だけで盛り上がっても、他人が動かないと、現実は何も変わりません。いくら優れたマーケティング戦略を描き切ったところで、社会実装しなければ、売上は1円だって伸びません。もちろん、先に挙げた「パラサイト」だって、監督の願望だけではなく、観客視点でコンテンツを磨き続けたことで、世界的なヒットに至ったことは間違いありません。だからこそ、私たちは自分ではない他人。動かしたい対象であるターゲットを考察し、彼らをどう動かしたいかを考え抜く必要があります。 第1原則を語った直後から、それを否定しているかのように聞こえてしまったかもしれません。しかし、第1原則と第2原則は、矛盾する主張ではありません。確かに、出発点(スタート)として、ワガママは大事です。願望がないということは、戦略を立てる必要がないということなのですから。ところが、だからといって、出発から終着(ゴール)まで、ずっとワガママで突っ走ることで何とかなるほど、簡単な仕事は、残念ながら現代には残されていないはず。どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
そもそも、確かな主観が存在しなければ、誰かと誰かの主観の集合体である客観なんて、生まれません。「他の誰でもない、私自身がやりたいことは***だ!」と熱量込めて主張できる願望があることが、優れた戦略家の第一条件なのです。欲望は暴走すると悲劇を生みますが、欲が一切なければ、物語も仕事も駆動しません。困難な仕事であればあるほど、個人的で強烈なワガママが、原動力になります。「進撃の巨人」でも、その起点には、個々人の願望やその衝突が描かれています。第2原則:戦略デザインは、ワガママのままじゃ終らない『進撃の巨人』11巻46話で、エレンが「感情を噛み殺せ…」と耐えるエピソードでは、ターゲットから情報を得るために、主人公が「怒りの感情」(=ワガママ)をコントロールする戦略をとったことがわかります。『進撃の巨人』11巻46話よりマーケティングであれ、人事であれ、その戦略によって「動かす対象」もしくは「動かしたい現実」は、自分の外側にあります。いくら自分の内側、つまり頭の中だけで盛り上がっても、他人が動かないと、現実は何も変わりません。いくら優れたマーケティング戦略を描き切ったところで、社会実装しなければ、売上は1円だって伸びません。もちろん、先に挙げた「パラサイト」だって、監督の願望だけではなく、観客視点でコンテンツを磨き続けたことで、世界的なヒットに至ったことは間違いありません。だからこそ、私たちは自分ではない他人。動かしたい対象であるターゲットを考察し、彼らをどう動かしたいかを考え抜く必要があります。 第1原則を語った直後から、それを否定しているかのように聞こえてしまったかもしれません。しかし、第1原則と第2原則は、矛盾する主張ではありません。確かに、出発点(スタート)として、ワガママは大事です。願望がないということは、戦略を立てる必要がないということなのですから。ところが、だからといって、出発から終着(ゴール)まで、ずっとワガママで突っ走ることで何とかなるほど、簡単な仕事は、残念ながら現代には残されていないはず。どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
欲望は暴走すると悲劇を生みますが、欲が一切なければ、物語も仕事も駆動しません。困難な仕事であればあるほど、個人的で強烈なワガママが、原動力になります。「進撃の巨人」でも、その起点には、個々人の願望やその衝突が描かれています。第2原則:戦略デザインは、ワガママのままじゃ終らない『進撃の巨人』11巻46話で、エレンが「感情を噛み殺せ…」と耐えるエピソードでは、ターゲットから情報を得るために、主人公が「怒りの感情」(=ワガママ)をコントロールする戦略をとったことがわかります。『進撃の巨人』11巻46話よりマーケティングであれ、人事であれ、その戦略によって「動かす対象」もしくは「動かしたい現実」は、自分の外側にあります。いくら自分の内側、つまり頭の中だけで盛り上がっても、他人が動かないと、現実は何も変わりません。いくら優れたマーケティング戦略を描き切ったところで、社会実装しなければ、売上は1円だって伸びません。もちろん、先に挙げた「パラサイト」だって、監督の願望だけではなく、観客視点でコンテンツを磨き続けたことで、世界的なヒットに至ったことは間違いありません。だからこそ、私たちは自分ではない他人。動かしたい対象であるターゲットを考察し、彼らをどう動かしたいかを考え抜く必要があります。 第1原則を語った直後から、それを否定しているかのように聞こえてしまったかもしれません。しかし、第1原則と第2原則は、矛盾する主張ではありません。確かに、出発点(スタート)として、ワガママは大事です。願望がないということは、戦略を立てる必要がないということなのですから。ところが、だからといって、出発から終着(ゴール)まで、ずっとワガママで突っ走ることで何とかなるほど、簡単な仕事は、残念ながら現代には残されていないはず。どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
『進撃の巨人』11巻46話で、エレンが「感情を噛み殺せ…」と耐えるエピソードでは、ターゲットから情報を得るために、主人公が「怒りの感情」(=ワガママ)をコントロールする戦略をとったことがわかります。『進撃の巨人』11巻46話よりマーケティングであれ、人事であれ、その戦略によって「動かす対象」もしくは「動かしたい現実」は、自分の外側にあります。いくら自分の内側、つまり頭の中だけで盛り上がっても、他人が動かないと、現実は何も変わりません。いくら優れたマーケティング戦略を描き切ったところで、社会実装しなければ、売上は1円だって伸びません。もちろん、先に挙げた「パラサイト」だって、監督の願望だけではなく、観客視点でコンテンツを磨き続けたことで、世界的なヒットに至ったことは間違いありません。だからこそ、私たちは自分ではない他人。動かしたい対象であるターゲットを考察し、彼らをどう動かしたいかを考え抜く必要があります。 第1原則を語った直後から、それを否定しているかのように聞こえてしまったかもしれません。しかし、第1原則と第2原則は、矛盾する主張ではありません。確かに、出発点(スタート)として、ワガママは大事です。願望がないということは、戦略を立てる必要がないということなのですから。ところが、だからといって、出発から終着(ゴール)まで、ずっとワガママで突っ走ることで何とかなるほど、簡単な仕事は、残念ながら現代には残されていないはず。どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
『進撃の巨人』11巻46話よりマーケティングであれ、人事であれ、その戦略によって「動かす対象」もしくは「動かしたい現実」は、自分の外側にあります。いくら自分の内側、つまり頭の中だけで盛り上がっても、他人が動かないと、現実は何も変わりません。いくら優れたマーケティング戦略を描き切ったところで、社会実装しなければ、売上は1円だって伸びません。もちろん、先に挙げた「パラサイト」だって、監督の願望だけではなく、観客視点でコンテンツを磨き続けたことで、世界的なヒットに至ったことは間違いありません。だからこそ、私たちは自分ではない他人。動かしたい対象であるターゲットを考察し、彼らをどう動かしたいかを考え抜く必要があります。 第1原則を語った直後から、それを否定しているかのように聞こえてしまったかもしれません。しかし、第1原則と第2原則は、矛盾する主張ではありません。確かに、出発点(スタート)として、ワガママは大事です。願望がないということは、戦略を立てる必要がないということなのですから。ところが、だからといって、出発から終着(ゴール)まで、ずっとワガママで突っ走ることで何とかなるほど、簡単な仕事は、残念ながら現代には残されていないはず。どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
マーケティングであれ、人事であれ、その戦略によって「動かす対象」もしくは「動かしたい現実」は、自分の外側にあります。いくら自分の内側、つまり頭の中だけで盛り上がっても、他人が動かないと、現実は何も変わりません。いくら優れたマーケティング戦略を描き切ったところで、社会実装しなければ、売上は1円だって伸びません。もちろん、先に挙げた「パラサイト」だって、監督の願望だけではなく、観客視点でコンテンツを磨き続けたことで、世界的なヒットに至ったことは間違いありません。だからこそ、私たちは自分ではない他人。動かしたい対象であるターゲットを考察し、彼らをどう動かしたいかを考え抜く必要があります。 第1原則を語った直後から、それを否定しているかのように聞こえてしまったかもしれません。しかし、第1原則と第2原則は、矛盾する主張ではありません。確かに、出発点(スタート)として、ワガママは大事です。願望がないということは、戦略を立てる必要がないということなのですから。ところが、だからといって、出発から終着(ゴール)まで、ずっとワガママで突っ走ることで何とかなるほど、簡単な仕事は、残念ながら現代には残されていないはず。どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
いくら優れたマーケティング戦略を描き切ったところで、社会実装しなければ、売上は1円だって伸びません。もちろん、先に挙げた「パラサイト」だって、監督の願望だけではなく、観客視点でコンテンツを磨き続けたことで、世界的なヒットに至ったことは間違いありません。だからこそ、私たちは自分ではない他人。動かしたい対象であるターゲットを考察し、彼らをどう動かしたいかを考え抜く必要があります。 第1原則を語った直後から、それを否定しているかのように聞こえてしまったかもしれません。しかし、第1原則と第2原則は、矛盾する主張ではありません。確かに、出発点(スタート)として、ワガママは大事です。願望がないということは、戦略を立てる必要がないということなのですから。ところが、だからといって、出発から終着(ゴール)まで、ずっとワガママで突っ走ることで何とかなるほど、簡単な仕事は、残念ながら現代には残されていないはず。どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
だからこそ、私たちは自分ではない他人。動かしたい対象であるターゲットを考察し、彼らをどう動かしたいかを考え抜く必要があります。 第1原則を語った直後から、それを否定しているかのように聞こえてしまったかもしれません。しかし、第1原則と第2原則は、矛盾する主張ではありません。確かに、出発点(スタート)として、ワガママは大事です。願望がないということは、戦略を立てる必要がないということなのですから。ところが、だからといって、出発から終着(ゴール)まで、ずっとワガママで突っ走ることで何とかなるほど、簡単な仕事は、残念ながら現代には残されていないはず。どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
第1原則を語った直後から、それを否定しているかのように聞こえてしまったかもしれません。しかし、第1原則と第2原則は、矛盾する主張ではありません。確かに、出発点(スタート)として、ワガママは大事です。願望がないということは、戦略を立てる必要がないということなのですから。ところが、だからといって、出発から終着(ゴール)まで、ずっとワガママで突っ走ることで何とかなるほど、簡単な仕事は、残念ながら現代には残されていないはず。どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
ところが、だからといって、出発から終着(ゴール)まで、ずっとワガママで突っ走ることで何とかなるほど、簡単な仕事は、残念ながら現代には残されていないはず。どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
どんな業界であれ、どんな職種であれ、動かさなければいけない他人(ターゲット)がいます。そして、そのターゲットの願望にこそ、フォーカスをあてなければいけません。自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
自分のワガママを実現するため、いかに他人の気持ちを動かすか。相手視点で情勢を考え抜くことが欠かせないのです。 ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
ある日のランチ、あなたはラーメンを食べたかったとします。「ラーメンであれば、味噌だろうが醤油だろうが何だっていい。とにかく俺はラーメンというモノが食べたいんだ!」そんな願望があなたを突き動かしているとします。この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
この時、同僚に自分の願望をそのまま押し付け、「ラーメンいこう」というだけでは、偶然にもダイエットしているメンバーがいようものなら、いきなり願望の実現は、危機に立たされることでしょう。ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
ところが、そんな「ダイエットしたい」というメンバーの願望に寄り添い、自分のワガママと折衷をつけて、「糖質ゼロ野菜ラーメンができて人気らしいんだけど、行ってみない?」と口に出してみたらどうでしょうか。勝率は変わるはずです。こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
こんな素朴な事例で語ると、いかにも陳腐に聞こえてしまうかもしれません。しかし、どんな問題であっても、同じ戦略論で考えれば、この原則が当てはまります。ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
ラーメンの例で発揮された「ワガママのままじゃ終わらない=他人の願望を取り入れる」という大原則は、進撃の巨人で描かれる、手に汗握る奇襲作戦の場面でも、会社の生死を左右するM&A戦略においても、絶大な効果を発揮します。第3原則:戦略デザインは、現在の目的の奴隷である『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
『進撃の巨人』27巻108話では、「巨人の継承」をめぐる対話の中で、エレンがこれまで明かすことのなかった心情(=願望・目的)を語ります。複雑な思惑が絡みあう状況のなか、「お前らが大事だからだ」「長生きしてほしい」と、仲間に向けて率直に告白する主人公を描いたシーンです。『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
『進撃の巨人』27巻108話より自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
自分の願望にも、ターゲットの願望にも、様々な思惑が絡みついています。ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
ザラザラで歪な願望から、もっとも大事な根幹部分、枝葉ではなく幹となるコア部分を取り出してきたもの、それを戦略論では「目的」と呼びます。優れた戦略家ほど、この目的の大事さを知っています。ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
ところが、人間は、抽象的で形を持たない「目的」よりも、具体的で目に見えやすい「手段」のほうに、集中力を奪われがち。気づけば、人は「手段の奴隷」になってしまうのです。ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
ある会社の経営会議を思い浮かべてください。その日、「売上を伸ばすデータ分析」というタイトルで、有名コンサルタントから経営陣へプレゼンテーションが行われました。要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
要約すると、このような主旨でした。あるデータ分析から、この企業のイメージでもっとも欠けているのは「信頼感」だ、と。自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
自信満々の外部コンサルタントに、分析を突き付けられた社長は顔面蒼白。翌日、「信頼感を醸成せよ」と様々な部署に大号令をかかります。マーケティング部では「信頼感を醸成するようなTVCMを」というアクションが立ち上がり、人事部では「誠実な人柄の社員を評価しよう」という声が上がる。もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
もちろん、冷静になって事の発端を考えてみると、「信頼感を高める」ことは手段であって、目的は「売上UP」であったはずです。ところが、真面目な現場ほど、そんな前提はおいてけぼりで、「とにかく信頼感を高めるために手を尽くせ」と必死になってしまう。ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
ターゲットに「信頼できる」と感じさせるコミュニケーションを届けたところで、その先の購入意欲まで喚起できなければ、「信頼は確かにできるけど、買うかと言われれば、買わなくてもいいかも」などと思われて終わり。これでは、売上UPまでの道のりは遠いはずです。 これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
これは新しい議論ではなく、以前から「手段の目的化」というキーワードで、耳にタコができるほどに語られてきた論点です。しかしそれでもなお、無意識に「手段の奴隷」に堕ちてしまう悲しい事件は後を絶ちません。言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
言うは易く行うは難し。優れた戦略家ほど、手段にはニュートラル。そのかわり、目的に対してはまさに奴隷のように、従順に従う生きものなのです。「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
「目的に従順」というと、ルールをしっかり真面目に守る、学級委員長のようなイメージを持ってしまう人もいるかもしれません。しかし、「目的の奴隷」たる優れた戦略家は、決してそんな生ぬるい人間ではありません。むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
むしろ、「目的」を達成するためには、ルールを破ったり、非常識な態度に出たり。エレンやリヴァイのように、ある目的のためなら、あらゆる手を尽くす貪欲さがあります。ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
ただし、この第3原則で示した「目的」にも注釈が必要です。第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
第3原則のテキストには、単なる目的ではなく、「現代の目的」と記載されています。なぜこんな修飾語が必要だったのか。その秘密が、第4原則へとつながっていきます。 第4原則:戦略デザインは、ナマモノであり続ける『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
『進撃の巨人』の終盤では、敵対し合っていた者同士が、目前の現実に対処するため、共に立ち上がろうとする様子が描かれます。どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
どれだけ綿密に戦略を組んでいたとしても、この世界はいつだって一変します。順調な恋愛ドラマも、1人のライバルが登場するだけで(例えば、かつて大恋愛をしていた元カレとの偶然の再会)、一夜にして修羅場となるように。大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
大雨が1週間続けば、いかに雨を防ぐか?が戦略の肝になるし、逆に雨が数週間降らなければ、いかに水分を確保するか?が戦略の肝になる。まるで生き物のように、変異していく現実にあわせて、柔軟に戦略を組み立てる、いや組み立て直し続ける必要があります。「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
「進撃の巨人」では、はじめ「人間の住む壁の中と、巨人の棲む壁の外」という対比で描かれていました。ところが、途中で状況は一変。話が進み、他の大陸や民族等の存在が明らかになる過程の中で、エレンたちの置かれる立場は英雄になったり、悪魔になったり、反逆者になったり。目まぐるしく変化していきます。第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
第3原則で語った「目的」ですら、絶対不変の存在ではなかったのです。いくら過去を振り返って、「もともとの目的は***だったでしょ」と部下に声をかけても、目的や状況が変わったしまったら最後、何の言い訳にもなりません。 その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
その意味で、原理的に、優れた戦略だったかどうかの判断は、即座に下すことが難しいのです。 枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
枯れ果てた畑に、今現在、「水を与える」ことが最良の選択だと思えたとしても、次の瞬間、予想外のスコールが降ってくれば、台無しになります。ある瞬間を切り取ると、大量殺人を計画した極悪人に見える人物も、歴史の教科書の中に位置づければ、「近代的な文化を発展させる基盤をつくった革命家」になり得ます。 優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
優れた戦略家は、戦略創りはナマモノだと割り切った上で、常に目の前の現状に応じて、柔軟に動き方を変えて、結果を求め続けます。一度の勝利が、次の勝利を呼び寄せるとは限らない。むしろ、次の敗因を導くキッカケにすらなってしまうかもしれません。「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
「勝つ」ことではなく、「勝ち続ける」ことを求めて、しなやかに思考する人こそ、真の戦略家なのです。そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
そもそも、「続ける」という営みは、とても地味です。急死に一生を治す神の手を持ったドクターに比べて、太り過ぎによる成人病を予防するアドバイスを行うかかりつけ医は、どうしても地味に感じてしまうかもしれません。しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
しかし、実際の効能で考えたら、神の手ドクターも、成人病かかりつけ医も、同じく大事な存在であるはずです。むしろ、「未然に防いでくれる」という意味では、地味なかかりつけ医のほうが、自分の人生にとって重要な役割を担ってくれている、とすら言えるかもしれません。 第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
第4原則が、「ナマモノである」ではなく、「ナマモノであり続ける」となっている理由は、ここにあります。単に「変化する」ことだけではなく、「変化し続ける」ことにまで着目すること。その姿勢が、真の戦略デザインをもたらします。「進撃の巨人」は、最強のケーススタディ集読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
読者が向き合っている現実のビジネス現場も、「進撃の巨人」に負けず劣らずの複雑怪奇さを抱えています。イギリス詩人の言葉が語源とされる「事実は小説より奇なり」という言葉にあるように、常に、ノンフィクションはフィクションを上回る複雑怪奇さを持つものです。しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
しかし、だからこそ、良質なフィクションは、リアルなビジネス現場のケーススタディになります。才能あふれるクリエイターが、その時代に流れる空気を敏感に感じ取りながら生み出した物語に、今の時代を生き抜くヒントがないはずがありません。中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
中でも、現代の神話と称されるほど、骨太な物語と、二転三転する戦略デザインに支えられた「進撃の巨人」は、私たちの仕事に様々な気づきを与えてくれます。 先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
先日、SF作家を経営戦略の会議に招いて、自社や社会の未来像を構想するといったサービスがアメリカで人気になっている、という記事を読みました。テクノロジーの発展を受けて、指数関数的に時代の変化が激しくなる現代において、フィクションから学ぶことの効用は、高まっているのです。さいごに。一部の進撃ファンの方からすると、まるでビジネス書のように進撃を読もうとする筆者の取り組みは、邪道に映るかもしれません。気分を害した方がいたのなら、大変申し訳ございません。しかし、そんな批判を受けてなお、筆者は声を大にして言いたいのです。半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。
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半端なビジネス書を読む時間があるのなら、「ビジネスパーソンこそ、進撃の巨人の一気読みに時間を賭すべきだ」と。一度読んだという読者の方も、ぜひ戦略論の視点から、読み返していただけると、嬉しいです。