下着の色指定&チェックするブラック校則 「内申書あるから我慢」はおかしくないか

1980年に放送されたテレビドラマ『3年B組金八先生』第2シリーズは、校内暴力が主要テーマとして描かれていた。全国の中学校で問題となっていたからだが、その対策として、生徒のあらゆる在り方を決めて従わせる管理教育が各地で勃興した。だが、目的が不明な規則が多数だったことから社会的批判を集め、それは廃れた……はずだったが、2021年春、体操服の下は肌着禁止という一部地域のブラック校則が全国に知られたことで、妙な進化を遂げた校則が全国に存在すると明らかになった。俳人で著作家の日野百草氏が、「校則」で下着を決める中学校の現在について、JC(女子中学生)の娘を持つ母親に聞いた。
【写真】内申書裁判当時の保坂展人さん
* * *「うちの地域も白パンツ指定ですけど、ワンポイントくらいなら大丈夫ですよ」
のっけから一体何の話か驚くだろうが、なんとこれ、中学生女子の下着の話。筆者と長いつき合いの女性漫画家、kuniママさん(40代・仮名)が電話口で教えてくれた。
「学校にもよるし娘いないと知らないかもですけど、うちの中学はブラとパンツの先生チェックがあるんです」
てっきり漫画の話かと思ったらリアルの話。kuniママさんはティーンズラブも描いているのでありえない話ではなかったが、なんと中学生になる娘さんのリアルな話。教師の下着チェックなど論外なのは当然だが、ワンポイントとはどういうことか。
「下着は白って決まっているんですけど、うちの中学はワンポイントでリボンとか模様とか、ちょっと入っている分にはオーケーなんです」 実はこの話、ずいぶん前に打ち合わせ途中のよもやまで聞いたのだが、昨今のいわゆる「ブラック校則」問題を取り上げるべく再度、電話インタビューをお願いした次第である。筆者には子どもがいないため、仕事がら付き合いのあるベテラン女性漫画家やイラストレーターの子育てネタは重宝している。「厳しい学区だと上下純白みたいですけど、あれ思いっきり透けますね」 白い服に白の下着は透ける。これはアパレル関係者なら当たり前の話だが、学校関係者の一部はいまだに「白に白は透けないから白」らしい。昔のおじさんが白のワイシャツだからと白のランニングシャツで余計に透けてしまい「月の輪おやじ」と揶揄されたアレみたいなものだ。思春期の女子にすれば恥ずかしいことこの上ない。「親としては探すのが面倒ですよ。真っ白な10代女子の下着なんて。とくにブラジャーなんか面倒だからネット通販とか」 サイズにもよるが、真っ白な女性用の下着というのは探すのが面倒らしい。それにしても、なぜ白なのか、パンツチェックの話は本当なのか。「さすがに女性の先生がチェックするみたいですけど本当ですね。娘が言うには、やんちゃな子はとくに目をつけられるみたいです」 履いている下着なんか同性にだって見られたくはないだろう。kuniママさんは東京区部の話だが、調べてみると筆者の住む東京都下、多摩地域でも下着の指定が存在した。東京だけの話ではなく、例えば福岡市の市立中学の多くは下着の色を指定している。佐賀や愛知、静岡でも同様に下着の色は白と指定する公立中学が存在する。鹿児島市も市立中学校38校のほとんどで下着の色を白に限定していた。猛抗議により2022年3月までに廃止となるようだが、東京はどうなのか。「校則が厳しくても保護者はうるさく言わないんですよね。むしろ校則で縛って欲しいって親もいるし、あと公立中学は内申点の問題もあります。都立高校の受験は内申点が絶対ですからね」娘は「内申下げられたくないから我慢」 なるほど、都立高校の受験はとくに内申点に左右される。試験日一発逆転など過去の話、内申書によっておおよその受験校は決まる。かつて都内の公立中学が荒れに荒れた弊害もあるが、とくに昨今は内申点の比重が高く、それも五教科以外の内申点の比重が高い。つまり、学力だけでなく生徒の日常も評価すると言えば聞こえはいいが、内申を盾に生徒を徹底して管理できるように仕組まれているとも言える。実際には一教師の好き嫌いではなく個々の生徒の内申に管理側のチェックも働くとされているが、生徒や保護者からすれば機嫌は損ねたくはないし、実際の現場となるとどうだろう。「だから文句は言えないですね。卒業まで我慢です」 まったくおかしな話、女子の下着の色を決め、そのチェックをする公立中学。親も子も内申書を気にして文句も言えない。大昔は「内申書裁判」なんてのもあった(当時の原告はいまや世田谷区長の保坂展人さん)。「言い方はアレですけど、田舎と違って東京だとまともな家庭の大半は中学受験ですからね、都立だって中高一貫が増えました。私は子どもを自由に育てようと考えて受験させませんでしたけど、やっぱりさせたほうがよかったかなとも思います」 ブラック校則、中学に限ればその大半が公立中学である。当たり前の話で私立中の生徒は「お客さま」。まして程度の差はあれ、東京の私立中学はそれなりに高いレベルの子が入学してくるし、学校も一定レベルの偏差値と家庭環境の子を相手にすればいいので、一長一短あるにせよ荒れた公立中学のような「動物園」にはなりにくい。それに私立や中高一貫都立中は嫌なら途中で辞めて公立中に行く選択肢があるが、その逆は一般的ではないし嫌なら不登校にでもなるしかない。ちなみに町田市在住で私立中学受験を目指す小学生いわく「地元中学に上がったら殺される」とのことで、いまだに修羅の中学は存在するようだ。「そんな中学もあるから校則で縛るのも仕方ないのかもしれませんけど、さすがにパンツチェックはねえ」もっともな話で下着チェックなんて女子生徒も嫌なはずだ。声を上げるべきでは。「それが生徒も声を上げないんです。娘は内申下げられたくないから我慢って言ってます。それが当たり前になっちゃうんですよ」 学校という社会から隔絶した閉鎖空間、生徒は機嫌を損ねて内申を下げられたくないと口をつぐみ、教師は与えられただけの立場を権威と勘違いする。まるでスタンフォード監獄実験だが、日本の一部の公立中学では当たり前に繰り返されてきた。もちろんkuniママさんの中学の話でしかないが、こうした中学がいまだ日本に存在することは事実だ。「親もね、自分のころはもっと理不尽だったからマシなんて思っちゃうんですよ、日野さんも経験あるでしょう」 もちろんある。昔はもっとひどかった。筆者が中学生時代を過ごした1980年代の千葉(東葛地域)といえば「東の千葉、西の愛知」と呼ばれ管理教育で悪名を轟かせた。男子は3年間全員丸坊主、部活で負ければ校庭のど真ん中で炎天下に5時間立たされ、担任がぎょう虫検査陽性者(嫌いな生徒)の発表、日の丸のポールに抱きついて蝉のマネしろとミンミン鳴かされる。クラス対抗の歌声発表会で1位をとらなかったら全員コンクリートの上に放課後まで正座、男子女子関係なく殴る蹴るは普通だった。もちろん東葛地域でも学区や教師によってまともな人はいたが、まあ、いまと比べれば間違いなく酷かった。「そういうのもありましたけど、今回の女子の下着みたいなデリケートな話ですよ」 つい私怨込みで興奮してしまいkuniママさんにたしなめられてしまった。そういえばkuniママさんも東葛地区(筆者の野田よりは東京寄り)なので、この程度の管理教育は当たり前か。なるほどそういう「デリケートな話」、あえて話そう。もう筆者もkuniママさんも40代後半、30年も前の話だからいいだろう。 ある男性教師の部屋に遊びに行ったら(昔は学校の先生のアパートに遊びに行く牧歌的な面もあった)、小学生女児の裸写真ばかりのお手製アルバムがぎっしり、あきらかに自分の生徒だったであろう女児のパンチラ写真や着替えの盗撮もあった。「先生ってばエローい」と一緒に行った女子たちはからかっていたが、いま考えればおいおいその教師は事案、である。それでも人気教師だったしのちに校長先生になった(珍しい名前だったので検索で確認済み、いまは定年)。若い人には理解不能だろうが、子どもに対する性が真剣に取り沙汰されなかった昭和の話である。そういう実写の女児本も合法で、普通に書店で売っていた。 中学時代には特定の女子を常に膝に抱く(中2の女子生徒!)男性教師がいた。彼女の心中はどうだったのだろう。「先生ってば贔屓してる~」とこれまた女子はからかっていたが、まさに恐怖の贔屓である。そんなのありえない、作り話、嘘つきと公正世界仮説のお花畑で幸せに生きてきた人や当時を知らない若い人は怒るかもしれないが、かつての声なき声の持ち主はいまも当時のトラウマを心に隠し持っている。昭和の話、思春期の傷、いまさら蒸し返したくないだけだ。本音では教師なんて信用してない 乱暴を覚悟で言うが昭和の日本の学校教育なんて大なり小なりそんなものだった。元軍人が校長だった千葉の某小学校は真冬に半袖半ズボンで意味なく行進させられた。集会中に貧血で倒れた校旗持ち(小学校の話である! ちなみに応援団とかではない)は倒れたまま教師に蹴りを入れられた。部活の殴る蹴るで生徒を病院送りにしてお咎めなしの体育教師もいた。これは筆者の地域ではないが、男女とも高学年にもなって上半身裸で乾布摩擦とはなんだったのだろう(これ、地域差が相当あるようで筆者の元勤務先の先輩は信じてもらえないと嘆いていたが、この乾布摩擦の盗撮写真集も90年代くらいまで専門書店を中心に売られていた)。いずれも昭和50年代、半世紀も遡らない話である。ガンガン躾けてくれと地元有力者が牛耳るPTAも共犯だった。子どもの尊厳や羞恥心など一蹴された。「だから本音では教師なんて信用してないんです。モンスターペアレンツなんて言われますけど、団塊ジュニアの親の場合、そんなトラウマのせいもあると思うんです」 あくまでもkuniママさんの意見だが納得できる部分はある。現代の親世代の教師や学校に対する不信は、かつての学校教育と理不尽な管理教育、そしてコンプライアンスと無縁の生徒指導にあるのかもしれない。それなのに、いまだに社会から隔絶した昭和のルールで子どもを支配する学校が存在する。ましてや女子の下着の色を決め、そのチェックをするような学校だ。こんな意味のない校則、なぜ正せないのか。「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
実はこの話、ずいぶん前に打ち合わせ途中のよもやまで聞いたのだが、昨今のいわゆる「ブラック校則」問題を取り上げるべく再度、電話インタビューをお願いした次第である。筆者には子どもがいないため、仕事がら付き合いのあるベテラン女性漫画家やイラストレーターの子育てネタは重宝している。「厳しい学区だと上下純白みたいですけど、あれ思いっきり透けますね」 白い服に白の下着は透ける。これはアパレル関係者なら当たり前の話だが、学校関係者の一部はいまだに「白に白は透けないから白」らしい。昔のおじさんが白のワイシャツだからと白のランニングシャツで余計に透けてしまい「月の輪おやじ」と揶揄されたアレみたいなものだ。思春期の女子にすれば恥ずかしいことこの上ない。「親としては探すのが面倒ですよ。真っ白な10代女子の下着なんて。とくにブラジャーなんか面倒だからネット通販とか」 サイズにもよるが、真っ白な女性用の下着というのは探すのが面倒らしい。それにしても、なぜ白なのか、パンツチェックの話は本当なのか。「さすがに女性の先生がチェックするみたいですけど本当ですね。娘が言うには、やんちゃな子はとくに目をつけられるみたいです」 履いている下着なんか同性にだって見られたくはないだろう。kuniママさんは東京区部の話だが、調べてみると筆者の住む東京都下、多摩地域でも下着の指定が存在した。東京だけの話ではなく、例えば福岡市の市立中学の多くは下着の色を指定している。佐賀や愛知、静岡でも同様に下着の色は白と指定する公立中学が存在する。鹿児島市も市立中学校38校のほとんどで下着の色を白に限定していた。猛抗議により2022年3月までに廃止となるようだが、東京はどうなのか。「校則が厳しくても保護者はうるさく言わないんですよね。むしろ校則で縛って欲しいって親もいるし、あと公立中学は内申点の問題もあります。都立高校の受験は内申点が絶対ですからね」娘は「内申下げられたくないから我慢」 なるほど、都立高校の受験はとくに内申点に左右される。試験日一発逆転など過去の話、内申書によっておおよその受験校は決まる。かつて都内の公立中学が荒れに荒れた弊害もあるが、とくに昨今は内申点の比重が高く、それも五教科以外の内申点の比重が高い。つまり、学力だけでなく生徒の日常も評価すると言えば聞こえはいいが、内申を盾に生徒を徹底して管理できるように仕組まれているとも言える。実際には一教師の好き嫌いではなく個々の生徒の内申に管理側のチェックも働くとされているが、生徒や保護者からすれば機嫌は損ねたくはないし、実際の現場となるとどうだろう。「だから文句は言えないですね。卒業まで我慢です」 まったくおかしな話、女子の下着の色を決め、そのチェックをする公立中学。親も子も内申書を気にして文句も言えない。大昔は「内申書裁判」なんてのもあった(当時の原告はいまや世田谷区長の保坂展人さん)。「言い方はアレですけど、田舎と違って東京だとまともな家庭の大半は中学受験ですからね、都立だって中高一貫が増えました。私は子どもを自由に育てようと考えて受験させませんでしたけど、やっぱりさせたほうがよかったかなとも思います」 ブラック校則、中学に限ればその大半が公立中学である。当たり前の話で私立中の生徒は「お客さま」。まして程度の差はあれ、東京の私立中学はそれなりに高いレベルの子が入学してくるし、学校も一定レベルの偏差値と家庭環境の子を相手にすればいいので、一長一短あるにせよ荒れた公立中学のような「動物園」にはなりにくい。それに私立や中高一貫都立中は嫌なら途中で辞めて公立中に行く選択肢があるが、その逆は一般的ではないし嫌なら不登校にでもなるしかない。ちなみに町田市在住で私立中学受験を目指す小学生いわく「地元中学に上がったら殺される」とのことで、いまだに修羅の中学は存在するようだ。「そんな中学もあるから校則で縛るのも仕方ないのかもしれませんけど、さすがにパンツチェックはねえ」もっともな話で下着チェックなんて女子生徒も嫌なはずだ。声を上げるべきでは。「それが生徒も声を上げないんです。娘は内申下げられたくないから我慢って言ってます。それが当たり前になっちゃうんですよ」 学校という社会から隔絶した閉鎖空間、生徒は機嫌を損ねて内申を下げられたくないと口をつぐみ、教師は与えられただけの立場を権威と勘違いする。まるでスタンフォード監獄実験だが、日本の一部の公立中学では当たり前に繰り返されてきた。もちろんkuniママさんの中学の話でしかないが、こうした中学がいまだ日本に存在することは事実だ。「親もね、自分のころはもっと理不尽だったからマシなんて思っちゃうんですよ、日野さんも経験あるでしょう」 もちろんある。昔はもっとひどかった。筆者が中学生時代を過ごした1980年代の千葉(東葛地域)といえば「東の千葉、西の愛知」と呼ばれ管理教育で悪名を轟かせた。男子は3年間全員丸坊主、部活で負ければ校庭のど真ん中で炎天下に5時間立たされ、担任がぎょう虫検査陽性者(嫌いな生徒)の発表、日の丸のポールに抱きついて蝉のマネしろとミンミン鳴かされる。クラス対抗の歌声発表会で1位をとらなかったら全員コンクリートの上に放課後まで正座、男子女子関係なく殴る蹴るは普通だった。もちろん東葛地域でも学区や教師によってまともな人はいたが、まあ、いまと比べれば間違いなく酷かった。「そういうのもありましたけど、今回の女子の下着みたいなデリケートな話ですよ」 つい私怨込みで興奮してしまいkuniママさんにたしなめられてしまった。そういえばkuniママさんも東葛地区(筆者の野田よりは東京寄り)なので、この程度の管理教育は当たり前か。なるほどそういう「デリケートな話」、あえて話そう。もう筆者もkuniママさんも40代後半、30年も前の話だからいいだろう。 ある男性教師の部屋に遊びに行ったら(昔は学校の先生のアパートに遊びに行く牧歌的な面もあった)、小学生女児の裸写真ばかりのお手製アルバムがぎっしり、あきらかに自分の生徒だったであろう女児のパンチラ写真や着替えの盗撮もあった。「先生ってばエローい」と一緒に行った女子たちはからかっていたが、いま考えればおいおいその教師は事案、である。それでも人気教師だったしのちに校長先生になった(珍しい名前だったので検索で確認済み、いまは定年)。若い人には理解不能だろうが、子どもに対する性が真剣に取り沙汰されなかった昭和の話である。そういう実写の女児本も合法で、普通に書店で売っていた。 中学時代には特定の女子を常に膝に抱く(中2の女子生徒!)男性教師がいた。彼女の心中はどうだったのだろう。「先生ってば贔屓してる~」とこれまた女子はからかっていたが、まさに恐怖の贔屓である。そんなのありえない、作り話、嘘つきと公正世界仮説のお花畑で幸せに生きてきた人や当時を知らない若い人は怒るかもしれないが、かつての声なき声の持ち主はいまも当時のトラウマを心に隠し持っている。昭和の話、思春期の傷、いまさら蒸し返したくないだけだ。本音では教師なんて信用してない 乱暴を覚悟で言うが昭和の日本の学校教育なんて大なり小なりそんなものだった。元軍人が校長だった千葉の某小学校は真冬に半袖半ズボンで意味なく行進させられた。集会中に貧血で倒れた校旗持ち(小学校の話である! ちなみに応援団とかではない)は倒れたまま教師に蹴りを入れられた。部活の殴る蹴るで生徒を病院送りにしてお咎めなしの体育教師もいた。これは筆者の地域ではないが、男女とも高学年にもなって上半身裸で乾布摩擦とはなんだったのだろう(これ、地域差が相当あるようで筆者の元勤務先の先輩は信じてもらえないと嘆いていたが、この乾布摩擦の盗撮写真集も90年代くらいまで専門書店を中心に売られていた)。いずれも昭和50年代、半世紀も遡らない話である。ガンガン躾けてくれと地元有力者が牛耳るPTAも共犯だった。子どもの尊厳や羞恥心など一蹴された。「だから本音では教師なんて信用してないんです。モンスターペアレンツなんて言われますけど、団塊ジュニアの親の場合、そんなトラウマのせいもあると思うんです」 あくまでもkuniママさんの意見だが納得できる部分はある。現代の親世代の教師や学校に対する不信は、かつての学校教育と理不尽な管理教育、そしてコンプライアンスと無縁の生徒指導にあるのかもしれない。それなのに、いまだに社会から隔絶した昭和のルールで子どもを支配する学校が存在する。ましてや女子の下着の色を決め、そのチェックをするような学校だ。こんな意味のない校則、なぜ正せないのか。「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
「厳しい学区だと上下純白みたいですけど、あれ思いっきり透けますね」 白い服に白の下着は透ける。これはアパレル関係者なら当たり前の話だが、学校関係者の一部はいまだに「白に白は透けないから白」らしい。昔のおじさんが白のワイシャツだからと白のランニングシャツで余計に透けてしまい「月の輪おやじ」と揶揄されたアレみたいなものだ。思春期の女子にすれば恥ずかしいことこの上ない。「親としては探すのが面倒ですよ。真っ白な10代女子の下着なんて。とくにブラジャーなんか面倒だからネット通販とか」 サイズにもよるが、真っ白な女性用の下着というのは探すのが面倒らしい。それにしても、なぜ白なのか、パンツチェックの話は本当なのか。「さすがに女性の先生がチェックするみたいですけど本当ですね。娘が言うには、やんちゃな子はとくに目をつけられるみたいです」 履いている下着なんか同性にだって見られたくはないだろう。kuniママさんは東京区部の話だが、調べてみると筆者の住む東京都下、多摩地域でも下着の指定が存在した。東京だけの話ではなく、例えば福岡市の市立中学の多くは下着の色を指定している。佐賀や愛知、静岡でも同様に下着の色は白と指定する公立中学が存在する。鹿児島市も市立中学校38校のほとんどで下着の色を白に限定していた。猛抗議により2022年3月までに廃止となるようだが、東京はどうなのか。「校則が厳しくても保護者はうるさく言わないんですよね。むしろ校則で縛って欲しいって親もいるし、あと公立中学は内申点の問題もあります。都立高校の受験は内申点が絶対ですからね」娘は「内申下げられたくないから我慢」 なるほど、都立高校の受験はとくに内申点に左右される。試験日一発逆転など過去の話、内申書によっておおよその受験校は決まる。かつて都内の公立中学が荒れに荒れた弊害もあるが、とくに昨今は内申点の比重が高く、それも五教科以外の内申点の比重が高い。つまり、学力だけでなく生徒の日常も評価すると言えば聞こえはいいが、内申を盾に生徒を徹底して管理できるように仕組まれているとも言える。実際には一教師の好き嫌いではなく個々の生徒の内申に管理側のチェックも働くとされているが、生徒や保護者からすれば機嫌は損ねたくはないし、実際の現場となるとどうだろう。「だから文句は言えないですね。卒業まで我慢です」 まったくおかしな話、女子の下着の色を決め、そのチェックをする公立中学。親も子も内申書を気にして文句も言えない。大昔は「内申書裁判」なんてのもあった(当時の原告はいまや世田谷区長の保坂展人さん)。「言い方はアレですけど、田舎と違って東京だとまともな家庭の大半は中学受験ですからね、都立だって中高一貫が増えました。私は子どもを自由に育てようと考えて受験させませんでしたけど、やっぱりさせたほうがよかったかなとも思います」 ブラック校則、中学に限ればその大半が公立中学である。当たり前の話で私立中の生徒は「お客さま」。まして程度の差はあれ、東京の私立中学はそれなりに高いレベルの子が入学してくるし、学校も一定レベルの偏差値と家庭環境の子を相手にすればいいので、一長一短あるにせよ荒れた公立中学のような「動物園」にはなりにくい。それに私立や中高一貫都立中は嫌なら途中で辞めて公立中に行く選択肢があるが、その逆は一般的ではないし嫌なら不登校にでもなるしかない。ちなみに町田市在住で私立中学受験を目指す小学生いわく「地元中学に上がったら殺される」とのことで、いまだに修羅の中学は存在するようだ。「そんな中学もあるから校則で縛るのも仕方ないのかもしれませんけど、さすがにパンツチェックはねえ」もっともな話で下着チェックなんて女子生徒も嫌なはずだ。声を上げるべきでは。「それが生徒も声を上げないんです。娘は内申下げられたくないから我慢って言ってます。それが当たり前になっちゃうんですよ」 学校という社会から隔絶した閉鎖空間、生徒は機嫌を損ねて内申を下げられたくないと口をつぐみ、教師は与えられただけの立場を権威と勘違いする。まるでスタンフォード監獄実験だが、日本の一部の公立中学では当たり前に繰り返されてきた。もちろんkuniママさんの中学の話でしかないが、こうした中学がいまだ日本に存在することは事実だ。「親もね、自分のころはもっと理不尽だったからマシなんて思っちゃうんですよ、日野さんも経験あるでしょう」 もちろんある。昔はもっとひどかった。筆者が中学生時代を過ごした1980年代の千葉(東葛地域)といえば「東の千葉、西の愛知」と呼ばれ管理教育で悪名を轟かせた。男子は3年間全員丸坊主、部活で負ければ校庭のど真ん中で炎天下に5時間立たされ、担任がぎょう虫検査陽性者(嫌いな生徒)の発表、日の丸のポールに抱きついて蝉のマネしろとミンミン鳴かされる。クラス対抗の歌声発表会で1位をとらなかったら全員コンクリートの上に放課後まで正座、男子女子関係なく殴る蹴るは普通だった。もちろん東葛地域でも学区や教師によってまともな人はいたが、まあ、いまと比べれば間違いなく酷かった。「そういうのもありましたけど、今回の女子の下着みたいなデリケートな話ですよ」 つい私怨込みで興奮してしまいkuniママさんにたしなめられてしまった。そういえばkuniママさんも東葛地区(筆者の野田よりは東京寄り)なので、この程度の管理教育は当たり前か。なるほどそういう「デリケートな話」、あえて話そう。もう筆者もkuniママさんも40代後半、30年も前の話だからいいだろう。 ある男性教師の部屋に遊びに行ったら(昔は学校の先生のアパートに遊びに行く牧歌的な面もあった)、小学生女児の裸写真ばかりのお手製アルバムがぎっしり、あきらかに自分の生徒だったであろう女児のパンチラ写真や着替えの盗撮もあった。「先生ってばエローい」と一緒に行った女子たちはからかっていたが、いま考えればおいおいその教師は事案、である。それでも人気教師だったしのちに校長先生になった(珍しい名前だったので検索で確認済み、いまは定年)。若い人には理解不能だろうが、子どもに対する性が真剣に取り沙汰されなかった昭和の話である。そういう実写の女児本も合法で、普通に書店で売っていた。 中学時代には特定の女子を常に膝に抱く(中2の女子生徒!)男性教師がいた。彼女の心中はどうだったのだろう。「先生ってば贔屓してる~」とこれまた女子はからかっていたが、まさに恐怖の贔屓である。そんなのありえない、作り話、嘘つきと公正世界仮説のお花畑で幸せに生きてきた人や当時を知らない若い人は怒るかもしれないが、かつての声なき声の持ち主はいまも当時のトラウマを心に隠し持っている。昭和の話、思春期の傷、いまさら蒸し返したくないだけだ。本音では教師なんて信用してない 乱暴を覚悟で言うが昭和の日本の学校教育なんて大なり小なりそんなものだった。元軍人が校長だった千葉の某小学校は真冬に半袖半ズボンで意味なく行進させられた。集会中に貧血で倒れた校旗持ち(小学校の話である! ちなみに応援団とかではない)は倒れたまま教師に蹴りを入れられた。部活の殴る蹴るで生徒を病院送りにしてお咎めなしの体育教師もいた。これは筆者の地域ではないが、男女とも高学年にもなって上半身裸で乾布摩擦とはなんだったのだろう(これ、地域差が相当あるようで筆者の元勤務先の先輩は信じてもらえないと嘆いていたが、この乾布摩擦の盗撮写真集も90年代くらいまで専門書店を中心に売られていた)。いずれも昭和50年代、半世紀も遡らない話である。ガンガン躾けてくれと地元有力者が牛耳るPTAも共犯だった。子どもの尊厳や羞恥心など一蹴された。「だから本音では教師なんて信用してないんです。モンスターペアレンツなんて言われますけど、団塊ジュニアの親の場合、そんなトラウマのせいもあると思うんです」 あくまでもkuniママさんの意見だが納得できる部分はある。現代の親世代の教師や学校に対する不信は、かつての学校教育と理不尽な管理教育、そしてコンプライアンスと無縁の生徒指導にあるのかもしれない。それなのに、いまだに社会から隔絶した昭和のルールで子どもを支配する学校が存在する。ましてや女子の下着の色を決め、そのチェックをするような学校だ。こんな意味のない校則、なぜ正せないのか。「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
白い服に白の下着は透ける。これはアパレル関係者なら当たり前の話だが、学校関係者の一部はいまだに「白に白は透けないから白」らしい。昔のおじさんが白のワイシャツだからと白のランニングシャツで余計に透けてしまい「月の輪おやじ」と揶揄されたアレみたいなものだ。思春期の女子にすれば恥ずかしいことこの上ない。「親としては探すのが面倒ですよ。真っ白な10代女子の下着なんて。とくにブラジャーなんか面倒だからネット通販とか」 サイズにもよるが、真っ白な女性用の下着というのは探すのが面倒らしい。それにしても、なぜ白なのか、パンツチェックの話は本当なのか。「さすがに女性の先生がチェックするみたいですけど本当ですね。娘が言うには、やんちゃな子はとくに目をつけられるみたいです」 履いている下着なんか同性にだって見られたくはないだろう。kuniママさんは東京区部の話だが、調べてみると筆者の住む東京都下、多摩地域でも下着の指定が存在した。東京だけの話ではなく、例えば福岡市の市立中学の多くは下着の色を指定している。佐賀や愛知、静岡でも同様に下着の色は白と指定する公立中学が存在する。鹿児島市も市立中学校38校のほとんどで下着の色を白に限定していた。猛抗議により2022年3月までに廃止となるようだが、東京はどうなのか。「校則が厳しくても保護者はうるさく言わないんですよね。むしろ校則で縛って欲しいって親もいるし、あと公立中学は内申点の問題もあります。都立高校の受験は内申点が絶対ですからね」娘は「内申下げられたくないから我慢」 なるほど、都立高校の受験はとくに内申点に左右される。試験日一発逆転など過去の話、内申書によっておおよその受験校は決まる。かつて都内の公立中学が荒れに荒れた弊害もあるが、とくに昨今は内申点の比重が高く、それも五教科以外の内申点の比重が高い。つまり、学力だけでなく生徒の日常も評価すると言えば聞こえはいいが、内申を盾に生徒を徹底して管理できるように仕組まれているとも言える。実際には一教師の好き嫌いではなく個々の生徒の内申に管理側のチェックも働くとされているが、生徒や保護者からすれば機嫌は損ねたくはないし、実際の現場となるとどうだろう。「だから文句は言えないですね。卒業まで我慢です」 まったくおかしな話、女子の下着の色を決め、そのチェックをする公立中学。親も子も内申書を気にして文句も言えない。大昔は「内申書裁判」なんてのもあった(当時の原告はいまや世田谷区長の保坂展人さん)。「言い方はアレですけど、田舎と違って東京だとまともな家庭の大半は中学受験ですからね、都立だって中高一貫が増えました。私は子どもを自由に育てようと考えて受験させませんでしたけど、やっぱりさせたほうがよかったかなとも思います」 ブラック校則、中学に限ればその大半が公立中学である。当たり前の話で私立中の生徒は「お客さま」。まして程度の差はあれ、東京の私立中学はそれなりに高いレベルの子が入学してくるし、学校も一定レベルの偏差値と家庭環境の子を相手にすればいいので、一長一短あるにせよ荒れた公立中学のような「動物園」にはなりにくい。それに私立や中高一貫都立中は嫌なら途中で辞めて公立中に行く選択肢があるが、その逆は一般的ではないし嫌なら不登校にでもなるしかない。ちなみに町田市在住で私立中学受験を目指す小学生いわく「地元中学に上がったら殺される」とのことで、いまだに修羅の中学は存在するようだ。「そんな中学もあるから校則で縛るのも仕方ないのかもしれませんけど、さすがにパンツチェックはねえ」もっともな話で下着チェックなんて女子生徒も嫌なはずだ。声を上げるべきでは。「それが生徒も声を上げないんです。娘は内申下げられたくないから我慢って言ってます。それが当たり前になっちゃうんですよ」 学校という社会から隔絶した閉鎖空間、生徒は機嫌を損ねて内申を下げられたくないと口をつぐみ、教師は与えられただけの立場を権威と勘違いする。まるでスタンフォード監獄実験だが、日本の一部の公立中学では当たり前に繰り返されてきた。もちろんkuniママさんの中学の話でしかないが、こうした中学がいまだ日本に存在することは事実だ。「親もね、自分のころはもっと理不尽だったからマシなんて思っちゃうんですよ、日野さんも経験あるでしょう」 もちろんある。昔はもっとひどかった。筆者が中学生時代を過ごした1980年代の千葉(東葛地域)といえば「東の千葉、西の愛知」と呼ばれ管理教育で悪名を轟かせた。男子は3年間全員丸坊主、部活で負ければ校庭のど真ん中で炎天下に5時間立たされ、担任がぎょう虫検査陽性者(嫌いな生徒)の発表、日の丸のポールに抱きついて蝉のマネしろとミンミン鳴かされる。クラス対抗の歌声発表会で1位をとらなかったら全員コンクリートの上に放課後まで正座、男子女子関係なく殴る蹴るは普通だった。もちろん東葛地域でも学区や教師によってまともな人はいたが、まあ、いまと比べれば間違いなく酷かった。「そういうのもありましたけど、今回の女子の下着みたいなデリケートな話ですよ」 つい私怨込みで興奮してしまいkuniママさんにたしなめられてしまった。そういえばkuniママさんも東葛地区(筆者の野田よりは東京寄り)なので、この程度の管理教育は当たり前か。なるほどそういう「デリケートな話」、あえて話そう。もう筆者もkuniママさんも40代後半、30年も前の話だからいいだろう。 ある男性教師の部屋に遊びに行ったら(昔は学校の先生のアパートに遊びに行く牧歌的な面もあった)、小学生女児の裸写真ばかりのお手製アルバムがぎっしり、あきらかに自分の生徒だったであろう女児のパンチラ写真や着替えの盗撮もあった。「先生ってばエローい」と一緒に行った女子たちはからかっていたが、いま考えればおいおいその教師は事案、である。それでも人気教師だったしのちに校長先生になった(珍しい名前だったので検索で確認済み、いまは定年)。若い人には理解不能だろうが、子どもに対する性が真剣に取り沙汰されなかった昭和の話である。そういう実写の女児本も合法で、普通に書店で売っていた。 中学時代には特定の女子を常に膝に抱く(中2の女子生徒!)男性教師がいた。彼女の心中はどうだったのだろう。「先生ってば贔屓してる~」とこれまた女子はからかっていたが、まさに恐怖の贔屓である。そんなのありえない、作り話、嘘つきと公正世界仮説のお花畑で幸せに生きてきた人や当時を知らない若い人は怒るかもしれないが、かつての声なき声の持ち主はいまも当時のトラウマを心に隠し持っている。昭和の話、思春期の傷、いまさら蒸し返したくないだけだ。本音では教師なんて信用してない 乱暴を覚悟で言うが昭和の日本の学校教育なんて大なり小なりそんなものだった。元軍人が校長だった千葉の某小学校は真冬に半袖半ズボンで意味なく行進させられた。集会中に貧血で倒れた校旗持ち(小学校の話である! ちなみに応援団とかではない)は倒れたまま教師に蹴りを入れられた。部活の殴る蹴るで生徒を病院送りにしてお咎めなしの体育教師もいた。これは筆者の地域ではないが、男女とも高学年にもなって上半身裸で乾布摩擦とはなんだったのだろう(これ、地域差が相当あるようで筆者の元勤務先の先輩は信じてもらえないと嘆いていたが、この乾布摩擦の盗撮写真集も90年代くらいまで専門書店を中心に売られていた)。いずれも昭和50年代、半世紀も遡らない話である。ガンガン躾けてくれと地元有力者が牛耳るPTAも共犯だった。子どもの尊厳や羞恥心など一蹴された。「だから本音では教師なんて信用してないんです。モンスターペアレンツなんて言われますけど、団塊ジュニアの親の場合、そんなトラウマのせいもあると思うんです」 あくまでもkuniママさんの意見だが納得できる部分はある。現代の親世代の教師や学校に対する不信は、かつての学校教育と理不尽な管理教育、そしてコンプライアンスと無縁の生徒指導にあるのかもしれない。それなのに、いまだに社会から隔絶した昭和のルールで子どもを支配する学校が存在する。ましてや女子の下着の色を決め、そのチェックをするような学校だ。こんな意味のない校則、なぜ正せないのか。「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
「親としては探すのが面倒ですよ。真っ白な10代女子の下着なんて。とくにブラジャーなんか面倒だからネット通販とか」 サイズにもよるが、真っ白な女性用の下着というのは探すのが面倒らしい。それにしても、なぜ白なのか、パンツチェックの話は本当なのか。「さすがに女性の先生がチェックするみたいですけど本当ですね。娘が言うには、やんちゃな子はとくに目をつけられるみたいです」 履いている下着なんか同性にだって見られたくはないだろう。kuniママさんは東京区部の話だが、調べてみると筆者の住む東京都下、多摩地域でも下着の指定が存在した。東京だけの話ではなく、例えば福岡市の市立中学の多くは下着の色を指定している。佐賀や愛知、静岡でも同様に下着の色は白と指定する公立中学が存在する。鹿児島市も市立中学校38校のほとんどで下着の色を白に限定していた。猛抗議により2022年3月までに廃止となるようだが、東京はどうなのか。「校則が厳しくても保護者はうるさく言わないんですよね。むしろ校則で縛って欲しいって親もいるし、あと公立中学は内申点の問題もあります。都立高校の受験は内申点が絶対ですからね」娘は「内申下げられたくないから我慢」 なるほど、都立高校の受験はとくに内申点に左右される。試験日一発逆転など過去の話、内申書によっておおよその受験校は決まる。かつて都内の公立中学が荒れに荒れた弊害もあるが、とくに昨今は内申点の比重が高く、それも五教科以外の内申点の比重が高い。つまり、学力だけでなく生徒の日常も評価すると言えば聞こえはいいが、内申を盾に生徒を徹底して管理できるように仕組まれているとも言える。実際には一教師の好き嫌いではなく個々の生徒の内申に管理側のチェックも働くとされているが、生徒や保護者からすれば機嫌は損ねたくはないし、実際の現場となるとどうだろう。「だから文句は言えないですね。卒業まで我慢です」 まったくおかしな話、女子の下着の色を決め、そのチェックをする公立中学。親も子も内申書を気にして文句も言えない。大昔は「内申書裁判」なんてのもあった(当時の原告はいまや世田谷区長の保坂展人さん)。「言い方はアレですけど、田舎と違って東京だとまともな家庭の大半は中学受験ですからね、都立だって中高一貫が増えました。私は子どもを自由に育てようと考えて受験させませんでしたけど、やっぱりさせたほうがよかったかなとも思います」 ブラック校則、中学に限ればその大半が公立中学である。当たり前の話で私立中の生徒は「お客さま」。まして程度の差はあれ、東京の私立中学はそれなりに高いレベルの子が入学してくるし、学校も一定レベルの偏差値と家庭環境の子を相手にすればいいので、一長一短あるにせよ荒れた公立中学のような「動物園」にはなりにくい。それに私立や中高一貫都立中は嫌なら途中で辞めて公立中に行く選択肢があるが、その逆は一般的ではないし嫌なら不登校にでもなるしかない。ちなみに町田市在住で私立中学受験を目指す小学生いわく「地元中学に上がったら殺される」とのことで、いまだに修羅の中学は存在するようだ。「そんな中学もあるから校則で縛るのも仕方ないのかもしれませんけど、さすがにパンツチェックはねえ」もっともな話で下着チェックなんて女子生徒も嫌なはずだ。声を上げるべきでは。「それが生徒も声を上げないんです。娘は内申下げられたくないから我慢って言ってます。それが当たり前になっちゃうんですよ」 学校という社会から隔絶した閉鎖空間、生徒は機嫌を損ねて内申を下げられたくないと口をつぐみ、教師は与えられただけの立場を権威と勘違いする。まるでスタンフォード監獄実験だが、日本の一部の公立中学では当たり前に繰り返されてきた。もちろんkuniママさんの中学の話でしかないが、こうした中学がいまだ日本に存在することは事実だ。「親もね、自分のころはもっと理不尽だったからマシなんて思っちゃうんですよ、日野さんも経験あるでしょう」 もちろんある。昔はもっとひどかった。筆者が中学生時代を過ごした1980年代の千葉(東葛地域)といえば「東の千葉、西の愛知」と呼ばれ管理教育で悪名を轟かせた。男子は3年間全員丸坊主、部活で負ければ校庭のど真ん中で炎天下に5時間立たされ、担任がぎょう虫検査陽性者(嫌いな生徒)の発表、日の丸のポールに抱きついて蝉のマネしろとミンミン鳴かされる。クラス対抗の歌声発表会で1位をとらなかったら全員コンクリートの上に放課後まで正座、男子女子関係なく殴る蹴るは普通だった。もちろん東葛地域でも学区や教師によってまともな人はいたが、まあ、いまと比べれば間違いなく酷かった。「そういうのもありましたけど、今回の女子の下着みたいなデリケートな話ですよ」 つい私怨込みで興奮してしまいkuniママさんにたしなめられてしまった。そういえばkuniママさんも東葛地区(筆者の野田よりは東京寄り)なので、この程度の管理教育は当たり前か。なるほどそういう「デリケートな話」、あえて話そう。もう筆者もkuniママさんも40代後半、30年も前の話だからいいだろう。 ある男性教師の部屋に遊びに行ったら(昔は学校の先生のアパートに遊びに行く牧歌的な面もあった)、小学生女児の裸写真ばかりのお手製アルバムがぎっしり、あきらかに自分の生徒だったであろう女児のパンチラ写真や着替えの盗撮もあった。「先生ってばエローい」と一緒に行った女子たちはからかっていたが、いま考えればおいおいその教師は事案、である。それでも人気教師だったしのちに校長先生になった(珍しい名前だったので検索で確認済み、いまは定年)。若い人には理解不能だろうが、子どもに対する性が真剣に取り沙汰されなかった昭和の話である。そういう実写の女児本も合法で、普通に書店で売っていた。 中学時代には特定の女子を常に膝に抱く(中2の女子生徒!)男性教師がいた。彼女の心中はどうだったのだろう。「先生ってば贔屓してる~」とこれまた女子はからかっていたが、まさに恐怖の贔屓である。そんなのありえない、作り話、嘘つきと公正世界仮説のお花畑で幸せに生きてきた人や当時を知らない若い人は怒るかもしれないが、かつての声なき声の持ち主はいまも当時のトラウマを心に隠し持っている。昭和の話、思春期の傷、いまさら蒸し返したくないだけだ。本音では教師なんて信用してない 乱暴を覚悟で言うが昭和の日本の学校教育なんて大なり小なりそんなものだった。元軍人が校長だった千葉の某小学校は真冬に半袖半ズボンで意味なく行進させられた。集会中に貧血で倒れた校旗持ち(小学校の話である! ちなみに応援団とかではない)は倒れたまま教師に蹴りを入れられた。部活の殴る蹴るで生徒を病院送りにしてお咎めなしの体育教師もいた。これは筆者の地域ではないが、男女とも高学年にもなって上半身裸で乾布摩擦とはなんだったのだろう(これ、地域差が相当あるようで筆者の元勤務先の先輩は信じてもらえないと嘆いていたが、この乾布摩擦の盗撮写真集も90年代くらいまで専門書店を中心に売られていた)。いずれも昭和50年代、半世紀も遡らない話である。ガンガン躾けてくれと地元有力者が牛耳るPTAも共犯だった。子どもの尊厳や羞恥心など一蹴された。「だから本音では教師なんて信用してないんです。モンスターペアレンツなんて言われますけど、団塊ジュニアの親の場合、そんなトラウマのせいもあると思うんです」 あくまでもkuniママさんの意見だが納得できる部分はある。現代の親世代の教師や学校に対する不信は、かつての学校教育と理不尽な管理教育、そしてコンプライアンスと無縁の生徒指導にあるのかもしれない。それなのに、いまだに社会から隔絶した昭和のルールで子どもを支配する学校が存在する。ましてや女子の下着の色を決め、そのチェックをするような学校だ。こんな意味のない校則、なぜ正せないのか。「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
サイズにもよるが、真っ白な女性用の下着というのは探すのが面倒らしい。それにしても、なぜ白なのか、パンツチェックの話は本当なのか。「さすがに女性の先生がチェックするみたいですけど本当ですね。娘が言うには、やんちゃな子はとくに目をつけられるみたいです」 履いている下着なんか同性にだって見られたくはないだろう。kuniママさんは東京区部の話だが、調べてみると筆者の住む東京都下、多摩地域でも下着の指定が存在した。東京だけの話ではなく、例えば福岡市の市立中学の多くは下着の色を指定している。佐賀や愛知、静岡でも同様に下着の色は白と指定する公立中学が存在する。鹿児島市も市立中学校38校のほとんどで下着の色を白に限定していた。猛抗議により2022年3月までに廃止となるようだが、東京はどうなのか。「校則が厳しくても保護者はうるさく言わないんですよね。むしろ校則で縛って欲しいって親もいるし、あと公立中学は内申点の問題もあります。都立高校の受験は内申点が絶対ですからね」娘は「内申下げられたくないから我慢」 なるほど、都立高校の受験はとくに内申点に左右される。試験日一発逆転など過去の話、内申書によっておおよその受験校は決まる。かつて都内の公立中学が荒れに荒れた弊害もあるが、とくに昨今は内申点の比重が高く、それも五教科以外の内申点の比重が高い。つまり、学力だけでなく生徒の日常も評価すると言えば聞こえはいいが、内申を盾に生徒を徹底して管理できるように仕組まれているとも言える。実際には一教師の好き嫌いではなく個々の生徒の内申に管理側のチェックも働くとされているが、生徒や保護者からすれば機嫌は損ねたくはないし、実際の現場となるとどうだろう。「だから文句は言えないですね。卒業まで我慢です」 まったくおかしな話、女子の下着の色を決め、そのチェックをする公立中学。親も子も内申書を気にして文句も言えない。大昔は「内申書裁判」なんてのもあった(当時の原告はいまや世田谷区長の保坂展人さん)。「言い方はアレですけど、田舎と違って東京だとまともな家庭の大半は中学受験ですからね、都立だって中高一貫が増えました。私は子どもを自由に育てようと考えて受験させませんでしたけど、やっぱりさせたほうがよかったかなとも思います」 ブラック校則、中学に限ればその大半が公立中学である。当たり前の話で私立中の生徒は「お客さま」。まして程度の差はあれ、東京の私立中学はそれなりに高いレベルの子が入学してくるし、学校も一定レベルの偏差値と家庭環境の子を相手にすればいいので、一長一短あるにせよ荒れた公立中学のような「動物園」にはなりにくい。それに私立や中高一貫都立中は嫌なら途中で辞めて公立中に行く選択肢があるが、その逆は一般的ではないし嫌なら不登校にでもなるしかない。ちなみに町田市在住で私立中学受験を目指す小学生いわく「地元中学に上がったら殺される」とのことで、いまだに修羅の中学は存在するようだ。「そんな中学もあるから校則で縛るのも仕方ないのかもしれませんけど、さすがにパンツチェックはねえ」もっともな話で下着チェックなんて女子生徒も嫌なはずだ。声を上げるべきでは。「それが生徒も声を上げないんです。娘は内申下げられたくないから我慢って言ってます。それが当たり前になっちゃうんですよ」 学校という社会から隔絶した閉鎖空間、生徒は機嫌を損ねて内申を下げられたくないと口をつぐみ、教師は与えられただけの立場を権威と勘違いする。まるでスタンフォード監獄実験だが、日本の一部の公立中学では当たり前に繰り返されてきた。もちろんkuniママさんの中学の話でしかないが、こうした中学がいまだ日本に存在することは事実だ。「親もね、自分のころはもっと理不尽だったからマシなんて思っちゃうんですよ、日野さんも経験あるでしょう」 もちろんある。昔はもっとひどかった。筆者が中学生時代を過ごした1980年代の千葉(東葛地域)といえば「東の千葉、西の愛知」と呼ばれ管理教育で悪名を轟かせた。男子は3年間全員丸坊主、部活で負ければ校庭のど真ん中で炎天下に5時間立たされ、担任がぎょう虫検査陽性者(嫌いな生徒)の発表、日の丸のポールに抱きついて蝉のマネしろとミンミン鳴かされる。クラス対抗の歌声発表会で1位をとらなかったら全員コンクリートの上に放課後まで正座、男子女子関係なく殴る蹴るは普通だった。もちろん東葛地域でも学区や教師によってまともな人はいたが、まあ、いまと比べれば間違いなく酷かった。「そういうのもありましたけど、今回の女子の下着みたいなデリケートな話ですよ」 つい私怨込みで興奮してしまいkuniママさんにたしなめられてしまった。そういえばkuniママさんも東葛地区(筆者の野田よりは東京寄り)なので、この程度の管理教育は当たり前か。なるほどそういう「デリケートな話」、あえて話そう。もう筆者もkuniママさんも40代後半、30年も前の話だからいいだろう。 ある男性教師の部屋に遊びに行ったら(昔は学校の先生のアパートに遊びに行く牧歌的な面もあった)、小学生女児の裸写真ばかりのお手製アルバムがぎっしり、あきらかに自分の生徒だったであろう女児のパンチラ写真や着替えの盗撮もあった。「先生ってばエローい」と一緒に行った女子たちはからかっていたが、いま考えればおいおいその教師は事案、である。それでも人気教師だったしのちに校長先生になった(珍しい名前だったので検索で確認済み、いまは定年)。若い人には理解不能だろうが、子どもに対する性が真剣に取り沙汰されなかった昭和の話である。そういう実写の女児本も合法で、普通に書店で売っていた。 中学時代には特定の女子を常に膝に抱く(中2の女子生徒!)男性教師がいた。彼女の心中はどうだったのだろう。「先生ってば贔屓してる~」とこれまた女子はからかっていたが、まさに恐怖の贔屓である。そんなのありえない、作り話、嘘つきと公正世界仮説のお花畑で幸せに生きてきた人や当時を知らない若い人は怒るかもしれないが、かつての声なき声の持ち主はいまも当時のトラウマを心に隠し持っている。昭和の話、思春期の傷、いまさら蒸し返したくないだけだ。本音では教師なんて信用してない 乱暴を覚悟で言うが昭和の日本の学校教育なんて大なり小なりそんなものだった。元軍人が校長だった千葉の某小学校は真冬に半袖半ズボンで意味なく行進させられた。集会中に貧血で倒れた校旗持ち(小学校の話である! ちなみに応援団とかではない)は倒れたまま教師に蹴りを入れられた。部活の殴る蹴るで生徒を病院送りにしてお咎めなしの体育教師もいた。これは筆者の地域ではないが、男女とも高学年にもなって上半身裸で乾布摩擦とはなんだったのだろう(これ、地域差が相当あるようで筆者の元勤務先の先輩は信じてもらえないと嘆いていたが、この乾布摩擦の盗撮写真集も90年代くらいまで専門書店を中心に売られていた)。いずれも昭和50年代、半世紀も遡らない話である。ガンガン躾けてくれと地元有力者が牛耳るPTAも共犯だった。子どもの尊厳や羞恥心など一蹴された。「だから本音では教師なんて信用してないんです。モンスターペアレンツなんて言われますけど、団塊ジュニアの親の場合、そんなトラウマのせいもあると思うんです」 あくまでもkuniママさんの意見だが納得できる部分はある。現代の親世代の教師や学校に対する不信は、かつての学校教育と理不尽な管理教育、そしてコンプライアンスと無縁の生徒指導にあるのかもしれない。それなのに、いまだに社会から隔絶した昭和のルールで子どもを支配する学校が存在する。ましてや女子の下着の色を決め、そのチェックをするような学校だ。こんな意味のない校則、なぜ正せないのか。「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
「さすがに女性の先生がチェックするみたいですけど本当ですね。娘が言うには、やんちゃな子はとくに目をつけられるみたいです」 履いている下着なんか同性にだって見られたくはないだろう。kuniママさんは東京区部の話だが、調べてみると筆者の住む東京都下、多摩地域でも下着の指定が存在した。東京だけの話ではなく、例えば福岡市の市立中学の多くは下着の色を指定している。佐賀や愛知、静岡でも同様に下着の色は白と指定する公立中学が存在する。鹿児島市も市立中学校38校のほとんどで下着の色を白に限定していた。猛抗議により2022年3月までに廃止となるようだが、東京はどうなのか。「校則が厳しくても保護者はうるさく言わないんですよね。むしろ校則で縛って欲しいって親もいるし、あと公立中学は内申点の問題もあります。都立高校の受験は内申点が絶対ですからね」娘は「内申下げられたくないから我慢」 なるほど、都立高校の受験はとくに内申点に左右される。試験日一発逆転など過去の話、内申書によっておおよその受験校は決まる。かつて都内の公立中学が荒れに荒れた弊害もあるが、とくに昨今は内申点の比重が高く、それも五教科以外の内申点の比重が高い。つまり、学力だけでなく生徒の日常も評価すると言えば聞こえはいいが、内申を盾に生徒を徹底して管理できるように仕組まれているとも言える。実際には一教師の好き嫌いではなく個々の生徒の内申に管理側のチェックも働くとされているが、生徒や保護者からすれば機嫌は損ねたくはないし、実際の現場となるとどうだろう。「だから文句は言えないですね。卒業まで我慢です」 まったくおかしな話、女子の下着の色を決め、そのチェックをする公立中学。親も子も内申書を気にして文句も言えない。大昔は「内申書裁判」なんてのもあった(当時の原告はいまや世田谷区長の保坂展人さん)。「言い方はアレですけど、田舎と違って東京だとまともな家庭の大半は中学受験ですからね、都立だって中高一貫が増えました。私は子どもを自由に育てようと考えて受験させませんでしたけど、やっぱりさせたほうがよかったかなとも思います」 ブラック校則、中学に限ればその大半が公立中学である。当たり前の話で私立中の生徒は「お客さま」。まして程度の差はあれ、東京の私立中学はそれなりに高いレベルの子が入学してくるし、学校も一定レベルの偏差値と家庭環境の子を相手にすればいいので、一長一短あるにせよ荒れた公立中学のような「動物園」にはなりにくい。それに私立や中高一貫都立中は嫌なら途中で辞めて公立中に行く選択肢があるが、その逆は一般的ではないし嫌なら不登校にでもなるしかない。ちなみに町田市在住で私立中学受験を目指す小学生いわく「地元中学に上がったら殺される」とのことで、いまだに修羅の中学は存在するようだ。「そんな中学もあるから校則で縛るのも仕方ないのかもしれませんけど、さすがにパンツチェックはねえ」もっともな話で下着チェックなんて女子生徒も嫌なはずだ。声を上げるべきでは。「それが生徒も声を上げないんです。娘は内申下げられたくないから我慢って言ってます。それが当たり前になっちゃうんですよ」 学校という社会から隔絶した閉鎖空間、生徒は機嫌を損ねて内申を下げられたくないと口をつぐみ、教師は与えられただけの立場を権威と勘違いする。まるでスタンフォード監獄実験だが、日本の一部の公立中学では当たり前に繰り返されてきた。もちろんkuniママさんの中学の話でしかないが、こうした中学がいまだ日本に存在することは事実だ。「親もね、自分のころはもっと理不尽だったからマシなんて思っちゃうんですよ、日野さんも経験あるでしょう」 もちろんある。昔はもっとひどかった。筆者が中学生時代を過ごした1980年代の千葉(東葛地域)といえば「東の千葉、西の愛知」と呼ばれ管理教育で悪名を轟かせた。男子は3年間全員丸坊主、部活で負ければ校庭のど真ん中で炎天下に5時間立たされ、担任がぎょう虫検査陽性者(嫌いな生徒)の発表、日の丸のポールに抱きついて蝉のマネしろとミンミン鳴かされる。クラス対抗の歌声発表会で1位をとらなかったら全員コンクリートの上に放課後まで正座、男子女子関係なく殴る蹴るは普通だった。もちろん東葛地域でも学区や教師によってまともな人はいたが、まあ、いまと比べれば間違いなく酷かった。「そういうのもありましたけど、今回の女子の下着みたいなデリケートな話ですよ」 つい私怨込みで興奮してしまいkuniママさんにたしなめられてしまった。そういえばkuniママさんも東葛地区(筆者の野田よりは東京寄り)なので、この程度の管理教育は当たり前か。なるほどそういう「デリケートな話」、あえて話そう。もう筆者もkuniママさんも40代後半、30年も前の話だからいいだろう。 ある男性教師の部屋に遊びに行ったら(昔は学校の先生のアパートに遊びに行く牧歌的な面もあった)、小学生女児の裸写真ばかりのお手製アルバムがぎっしり、あきらかに自分の生徒だったであろう女児のパンチラ写真や着替えの盗撮もあった。「先生ってばエローい」と一緒に行った女子たちはからかっていたが、いま考えればおいおいその教師は事案、である。それでも人気教師だったしのちに校長先生になった(珍しい名前だったので検索で確認済み、いまは定年)。若い人には理解不能だろうが、子どもに対する性が真剣に取り沙汰されなかった昭和の話である。そういう実写の女児本も合法で、普通に書店で売っていた。 中学時代には特定の女子を常に膝に抱く(中2の女子生徒!)男性教師がいた。彼女の心中はどうだったのだろう。「先生ってば贔屓してる~」とこれまた女子はからかっていたが、まさに恐怖の贔屓である。そんなのありえない、作り話、嘘つきと公正世界仮説のお花畑で幸せに生きてきた人や当時を知らない若い人は怒るかもしれないが、かつての声なき声の持ち主はいまも当時のトラウマを心に隠し持っている。昭和の話、思春期の傷、いまさら蒸し返したくないだけだ。本音では教師なんて信用してない 乱暴を覚悟で言うが昭和の日本の学校教育なんて大なり小なりそんなものだった。元軍人が校長だった千葉の某小学校は真冬に半袖半ズボンで意味なく行進させられた。集会中に貧血で倒れた校旗持ち(小学校の話である! ちなみに応援団とかではない)は倒れたまま教師に蹴りを入れられた。部活の殴る蹴るで生徒を病院送りにしてお咎めなしの体育教師もいた。これは筆者の地域ではないが、男女とも高学年にもなって上半身裸で乾布摩擦とはなんだったのだろう(これ、地域差が相当あるようで筆者の元勤務先の先輩は信じてもらえないと嘆いていたが、この乾布摩擦の盗撮写真集も90年代くらいまで専門書店を中心に売られていた)。いずれも昭和50年代、半世紀も遡らない話である。ガンガン躾けてくれと地元有力者が牛耳るPTAも共犯だった。子どもの尊厳や羞恥心など一蹴された。「だから本音では教師なんて信用してないんです。モンスターペアレンツなんて言われますけど、団塊ジュニアの親の場合、そんなトラウマのせいもあると思うんです」 あくまでもkuniママさんの意見だが納得できる部分はある。現代の親世代の教師や学校に対する不信は、かつての学校教育と理不尽な管理教育、そしてコンプライアンスと無縁の生徒指導にあるのかもしれない。それなのに、いまだに社会から隔絶した昭和のルールで子どもを支配する学校が存在する。ましてや女子の下着の色を決め、そのチェックをするような学校だ。こんな意味のない校則、なぜ正せないのか。「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
履いている下着なんか同性にだって見られたくはないだろう。kuniママさんは東京区部の話だが、調べてみると筆者の住む東京都下、多摩地域でも下着の指定が存在した。東京だけの話ではなく、例えば福岡市の市立中学の多くは下着の色を指定している。佐賀や愛知、静岡でも同様に下着の色は白と指定する公立中学が存在する。鹿児島市も市立中学校38校のほとんどで下着の色を白に限定していた。猛抗議により2022年3月までに廃止となるようだが、東京はどうなのか。「校則が厳しくても保護者はうるさく言わないんですよね。むしろ校則で縛って欲しいって親もいるし、あと公立中学は内申点の問題もあります。都立高校の受験は内申点が絶対ですからね」娘は「内申下げられたくないから我慢」 なるほど、都立高校の受験はとくに内申点に左右される。試験日一発逆転など過去の話、内申書によっておおよその受験校は決まる。かつて都内の公立中学が荒れに荒れた弊害もあるが、とくに昨今は内申点の比重が高く、それも五教科以外の内申点の比重が高い。つまり、学力だけでなく生徒の日常も評価すると言えば聞こえはいいが、内申を盾に生徒を徹底して管理できるように仕組まれているとも言える。実際には一教師の好き嫌いではなく個々の生徒の内申に管理側のチェックも働くとされているが、生徒や保護者からすれば機嫌は損ねたくはないし、実際の現場となるとどうだろう。「だから文句は言えないですね。卒業まで我慢です」 まったくおかしな話、女子の下着の色を決め、そのチェックをする公立中学。親も子も内申書を気にして文句も言えない。大昔は「内申書裁判」なんてのもあった(当時の原告はいまや世田谷区長の保坂展人さん)。「言い方はアレですけど、田舎と違って東京だとまともな家庭の大半は中学受験ですからね、都立だって中高一貫が増えました。私は子どもを自由に育てようと考えて受験させませんでしたけど、やっぱりさせたほうがよかったかなとも思います」 ブラック校則、中学に限ればその大半が公立中学である。当たり前の話で私立中の生徒は「お客さま」。まして程度の差はあれ、東京の私立中学はそれなりに高いレベルの子が入学してくるし、学校も一定レベルの偏差値と家庭環境の子を相手にすればいいので、一長一短あるにせよ荒れた公立中学のような「動物園」にはなりにくい。それに私立や中高一貫都立中は嫌なら途中で辞めて公立中に行く選択肢があるが、その逆は一般的ではないし嫌なら不登校にでもなるしかない。ちなみに町田市在住で私立中学受験を目指す小学生いわく「地元中学に上がったら殺される」とのことで、いまだに修羅の中学は存在するようだ。「そんな中学もあるから校則で縛るのも仕方ないのかもしれませんけど、さすがにパンツチェックはねえ」もっともな話で下着チェックなんて女子生徒も嫌なはずだ。声を上げるべきでは。「それが生徒も声を上げないんです。娘は内申下げられたくないから我慢って言ってます。それが当たり前になっちゃうんですよ」 学校という社会から隔絶した閉鎖空間、生徒は機嫌を損ねて内申を下げられたくないと口をつぐみ、教師は与えられただけの立場を権威と勘違いする。まるでスタンフォード監獄実験だが、日本の一部の公立中学では当たり前に繰り返されてきた。もちろんkuniママさんの中学の話でしかないが、こうした中学がいまだ日本に存在することは事実だ。「親もね、自分のころはもっと理不尽だったからマシなんて思っちゃうんですよ、日野さんも経験あるでしょう」 もちろんある。昔はもっとひどかった。筆者が中学生時代を過ごした1980年代の千葉(東葛地域)といえば「東の千葉、西の愛知」と呼ばれ管理教育で悪名を轟かせた。男子は3年間全員丸坊主、部活で負ければ校庭のど真ん中で炎天下に5時間立たされ、担任がぎょう虫検査陽性者(嫌いな生徒)の発表、日の丸のポールに抱きついて蝉のマネしろとミンミン鳴かされる。クラス対抗の歌声発表会で1位をとらなかったら全員コンクリートの上に放課後まで正座、男子女子関係なく殴る蹴るは普通だった。もちろん東葛地域でも学区や教師によってまともな人はいたが、まあ、いまと比べれば間違いなく酷かった。「そういうのもありましたけど、今回の女子の下着みたいなデリケートな話ですよ」 つい私怨込みで興奮してしまいkuniママさんにたしなめられてしまった。そういえばkuniママさんも東葛地区(筆者の野田よりは東京寄り)なので、この程度の管理教育は当たり前か。なるほどそういう「デリケートな話」、あえて話そう。もう筆者もkuniママさんも40代後半、30年も前の話だからいいだろう。 ある男性教師の部屋に遊びに行ったら(昔は学校の先生のアパートに遊びに行く牧歌的な面もあった)、小学生女児の裸写真ばかりのお手製アルバムがぎっしり、あきらかに自分の生徒だったであろう女児のパンチラ写真や着替えの盗撮もあった。「先生ってばエローい」と一緒に行った女子たちはからかっていたが、いま考えればおいおいその教師は事案、である。それでも人気教師だったしのちに校長先生になった(珍しい名前だったので検索で確認済み、いまは定年)。若い人には理解不能だろうが、子どもに対する性が真剣に取り沙汰されなかった昭和の話である。そういう実写の女児本も合法で、普通に書店で売っていた。 中学時代には特定の女子を常に膝に抱く(中2の女子生徒!)男性教師がいた。彼女の心中はどうだったのだろう。「先生ってば贔屓してる~」とこれまた女子はからかっていたが、まさに恐怖の贔屓である。そんなのありえない、作り話、嘘つきと公正世界仮説のお花畑で幸せに生きてきた人や当時を知らない若い人は怒るかもしれないが、かつての声なき声の持ち主はいまも当時のトラウマを心に隠し持っている。昭和の話、思春期の傷、いまさら蒸し返したくないだけだ。本音では教師なんて信用してない 乱暴を覚悟で言うが昭和の日本の学校教育なんて大なり小なりそんなものだった。元軍人が校長だった千葉の某小学校は真冬に半袖半ズボンで意味なく行進させられた。集会中に貧血で倒れた校旗持ち(小学校の話である! ちなみに応援団とかではない)は倒れたまま教師に蹴りを入れられた。部活の殴る蹴るで生徒を病院送りにしてお咎めなしの体育教師もいた。これは筆者の地域ではないが、男女とも高学年にもなって上半身裸で乾布摩擦とはなんだったのだろう(これ、地域差が相当あるようで筆者の元勤務先の先輩は信じてもらえないと嘆いていたが、この乾布摩擦の盗撮写真集も90年代くらいまで専門書店を中心に売られていた)。いずれも昭和50年代、半世紀も遡らない話である。ガンガン躾けてくれと地元有力者が牛耳るPTAも共犯だった。子どもの尊厳や羞恥心など一蹴された。「だから本音では教師なんて信用してないんです。モンスターペアレンツなんて言われますけど、団塊ジュニアの親の場合、そんなトラウマのせいもあると思うんです」 あくまでもkuniママさんの意見だが納得できる部分はある。現代の親世代の教師や学校に対する不信は、かつての学校教育と理不尽な管理教育、そしてコンプライアンスと無縁の生徒指導にあるのかもしれない。それなのに、いまだに社会から隔絶した昭和のルールで子どもを支配する学校が存在する。ましてや女子の下着の色を決め、そのチェックをするような学校だ。こんな意味のない校則、なぜ正せないのか。「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
「校則が厳しくても保護者はうるさく言わないんですよね。むしろ校則で縛って欲しいって親もいるし、あと公立中学は内申点の問題もあります。都立高校の受験は内申点が絶対ですからね」娘は「内申下げられたくないから我慢」 なるほど、都立高校の受験はとくに内申点に左右される。試験日一発逆転など過去の話、内申書によっておおよその受験校は決まる。かつて都内の公立中学が荒れに荒れた弊害もあるが、とくに昨今は内申点の比重が高く、それも五教科以外の内申点の比重が高い。つまり、学力だけでなく生徒の日常も評価すると言えば聞こえはいいが、内申を盾に生徒を徹底して管理できるように仕組まれているとも言える。実際には一教師の好き嫌いではなく個々の生徒の内申に管理側のチェックも働くとされているが、生徒や保護者からすれば機嫌は損ねたくはないし、実際の現場となるとどうだろう。「だから文句は言えないですね。卒業まで我慢です」 まったくおかしな話、女子の下着の色を決め、そのチェックをする公立中学。親も子も内申書を気にして文句も言えない。大昔は「内申書裁判」なんてのもあった(当時の原告はいまや世田谷区長の保坂展人さん)。「言い方はアレですけど、田舎と違って東京だとまともな家庭の大半は中学受験ですからね、都立だって中高一貫が増えました。私は子どもを自由に育てようと考えて受験させませんでしたけど、やっぱりさせたほうがよかったかなとも思います」 ブラック校則、中学に限ればその大半が公立中学である。当たり前の話で私立中の生徒は「お客さま」。まして程度の差はあれ、東京の私立中学はそれなりに高いレベルの子が入学してくるし、学校も一定レベルの偏差値と家庭環境の子を相手にすればいいので、一長一短あるにせよ荒れた公立中学のような「動物園」にはなりにくい。それに私立や中高一貫都立中は嫌なら途中で辞めて公立中に行く選択肢があるが、その逆は一般的ではないし嫌なら不登校にでもなるしかない。ちなみに町田市在住で私立中学受験を目指す小学生いわく「地元中学に上がったら殺される」とのことで、いまだに修羅の中学は存在するようだ。「そんな中学もあるから校則で縛るのも仕方ないのかもしれませんけど、さすがにパンツチェックはねえ」もっともな話で下着チェックなんて女子生徒も嫌なはずだ。声を上げるべきでは。「それが生徒も声を上げないんです。娘は内申下げられたくないから我慢って言ってます。それが当たり前になっちゃうんですよ」 学校という社会から隔絶した閉鎖空間、生徒は機嫌を損ねて内申を下げられたくないと口をつぐみ、教師は与えられただけの立場を権威と勘違いする。まるでスタンフォード監獄実験だが、日本の一部の公立中学では当たり前に繰り返されてきた。もちろんkuniママさんの中学の話でしかないが、こうした中学がいまだ日本に存在することは事実だ。「親もね、自分のころはもっと理不尽だったからマシなんて思っちゃうんですよ、日野さんも経験あるでしょう」 もちろんある。昔はもっとひどかった。筆者が中学生時代を過ごした1980年代の千葉(東葛地域)といえば「東の千葉、西の愛知」と呼ばれ管理教育で悪名を轟かせた。男子は3年間全員丸坊主、部活で負ければ校庭のど真ん中で炎天下に5時間立たされ、担任がぎょう虫検査陽性者(嫌いな生徒)の発表、日の丸のポールに抱きついて蝉のマネしろとミンミン鳴かされる。クラス対抗の歌声発表会で1位をとらなかったら全員コンクリートの上に放課後まで正座、男子女子関係なく殴る蹴るは普通だった。もちろん東葛地域でも学区や教師によってまともな人はいたが、まあ、いまと比べれば間違いなく酷かった。「そういうのもありましたけど、今回の女子の下着みたいなデリケートな話ですよ」 つい私怨込みで興奮してしまいkuniママさんにたしなめられてしまった。そういえばkuniママさんも東葛地区(筆者の野田よりは東京寄り)なので、この程度の管理教育は当たり前か。なるほどそういう「デリケートな話」、あえて話そう。もう筆者もkuniママさんも40代後半、30年も前の話だからいいだろう。 ある男性教師の部屋に遊びに行ったら(昔は学校の先生のアパートに遊びに行く牧歌的な面もあった)、小学生女児の裸写真ばかりのお手製アルバムがぎっしり、あきらかに自分の生徒だったであろう女児のパンチラ写真や着替えの盗撮もあった。「先生ってばエローい」と一緒に行った女子たちはからかっていたが、いま考えればおいおいその教師は事案、である。それでも人気教師だったしのちに校長先生になった(珍しい名前だったので検索で確認済み、いまは定年)。若い人には理解不能だろうが、子どもに対する性が真剣に取り沙汰されなかった昭和の話である。そういう実写の女児本も合法で、普通に書店で売っていた。 中学時代には特定の女子を常に膝に抱く(中2の女子生徒!)男性教師がいた。彼女の心中はどうだったのだろう。「先生ってば贔屓してる~」とこれまた女子はからかっていたが、まさに恐怖の贔屓である。そんなのありえない、作り話、嘘つきと公正世界仮説のお花畑で幸せに生きてきた人や当時を知らない若い人は怒るかもしれないが、かつての声なき声の持ち主はいまも当時のトラウマを心に隠し持っている。昭和の話、思春期の傷、いまさら蒸し返したくないだけだ。本音では教師なんて信用してない 乱暴を覚悟で言うが昭和の日本の学校教育なんて大なり小なりそんなものだった。元軍人が校長だった千葉の某小学校は真冬に半袖半ズボンで意味なく行進させられた。集会中に貧血で倒れた校旗持ち(小学校の話である! ちなみに応援団とかではない)は倒れたまま教師に蹴りを入れられた。部活の殴る蹴るで生徒を病院送りにしてお咎めなしの体育教師もいた。これは筆者の地域ではないが、男女とも高学年にもなって上半身裸で乾布摩擦とはなんだったのだろう(これ、地域差が相当あるようで筆者の元勤務先の先輩は信じてもらえないと嘆いていたが、この乾布摩擦の盗撮写真集も90年代くらいまで専門書店を中心に売られていた)。いずれも昭和50年代、半世紀も遡らない話である。ガンガン躾けてくれと地元有力者が牛耳るPTAも共犯だった。子どもの尊厳や羞恥心など一蹴された。「だから本音では教師なんて信用してないんです。モンスターペアレンツなんて言われますけど、団塊ジュニアの親の場合、そんなトラウマのせいもあると思うんです」 あくまでもkuniママさんの意見だが納得できる部分はある。現代の親世代の教師や学校に対する不信は、かつての学校教育と理不尽な管理教育、そしてコンプライアンスと無縁の生徒指導にあるのかもしれない。それなのに、いまだに社会から隔絶した昭和のルールで子どもを支配する学校が存在する。ましてや女子の下着の色を決め、そのチェックをするような学校だ。こんな意味のない校則、なぜ正せないのか。「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
なるほど、都立高校の受験はとくに内申点に左右される。試験日一発逆転など過去の話、内申書によっておおよその受験校は決まる。かつて都内の公立中学が荒れに荒れた弊害もあるが、とくに昨今は内申点の比重が高く、それも五教科以外の内申点の比重が高い。つまり、学力だけでなく生徒の日常も評価すると言えば聞こえはいいが、内申を盾に生徒を徹底して管理できるように仕組まれているとも言える。実際には一教師の好き嫌いではなく個々の生徒の内申に管理側のチェックも働くとされているが、生徒や保護者からすれば機嫌は損ねたくはないし、実際の現場となるとどうだろう。「だから文句は言えないですね。卒業まで我慢です」 まったくおかしな話、女子の下着の色を決め、そのチェックをする公立中学。親も子も内申書を気にして文句も言えない。大昔は「内申書裁判」なんてのもあった(当時の原告はいまや世田谷区長の保坂展人さん)。「言い方はアレですけど、田舎と違って東京だとまともな家庭の大半は中学受験ですからね、都立だって中高一貫が増えました。私は子どもを自由に育てようと考えて受験させませんでしたけど、やっぱりさせたほうがよかったかなとも思います」 ブラック校則、中学に限ればその大半が公立中学である。当たり前の話で私立中の生徒は「お客さま」。まして程度の差はあれ、東京の私立中学はそれなりに高いレベルの子が入学してくるし、学校も一定レベルの偏差値と家庭環境の子を相手にすればいいので、一長一短あるにせよ荒れた公立中学のような「動物園」にはなりにくい。それに私立や中高一貫都立中は嫌なら途中で辞めて公立中に行く選択肢があるが、その逆は一般的ではないし嫌なら不登校にでもなるしかない。ちなみに町田市在住で私立中学受験を目指す小学生いわく「地元中学に上がったら殺される」とのことで、いまだに修羅の中学は存在するようだ。「そんな中学もあるから校則で縛るのも仕方ないのかもしれませんけど、さすがにパンツチェックはねえ」もっともな話で下着チェックなんて女子生徒も嫌なはずだ。声を上げるべきでは。「それが生徒も声を上げないんです。娘は内申下げられたくないから我慢って言ってます。それが当たり前になっちゃうんですよ」 学校という社会から隔絶した閉鎖空間、生徒は機嫌を損ねて内申を下げられたくないと口をつぐみ、教師は与えられただけの立場を権威と勘違いする。まるでスタンフォード監獄実験だが、日本の一部の公立中学では当たり前に繰り返されてきた。もちろんkuniママさんの中学の話でしかないが、こうした中学がいまだ日本に存在することは事実だ。「親もね、自分のころはもっと理不尽だったからマシなんて思っちゃうんですよ、日野さんも経験あるでしょう」 もちろんある。昔はもっとひどかった。筆者が中学生時代を過ごした1980年代の千葉(東葛地域)といえば「東の千葉、西の愛知」と呼ばれ管理教育で悪名を轟かせた。男子は3年間全員丸坊主、部活で負ければ校庭のど真ん中で炎天下に5時間立たされ、担任がぎょう虫検査陽性者(嫌いな生徒)の発表、日の丸のポールに抱きついて蝉のマネしろとミンミン鳴かされる。クラス対抗の歌声発表会で1位をとらなかったら全員コンクリートの上に放課後まで正座、男子女子関係なく殴る蹴るは普通だった。もちろん東葛地域でも学区や教師によってまともな人はいたが、まあ、いまと比べれば間違いなく酷かった。「そういうのもありましたけど、今回の女子の下着みたいなデリケートな話ですよ」 つい私怨込みで興奮してしまいkuniママさんにたしなめられてしまった。そういえばkuniママさんも東葛地区(筆者の野田よりは東京寄り)なので、この程度の管理教育は当たり前か。なるほどそういう「デリケートな話」、あえて話そう。もう筆者もkuniママさんも40代後半、30年も前の話だからいいだろう。 ある男性教師の部屋に遊びに行ったら(昔は学校の先生のアパートに遊びに行く牧歌的な面もあった)、小学生女児の裸写真ばかりのお手製アルバムがぎっしり、あきらかに自分の生徒だったであろう女児のパンチラ写真や着替えの盗撮もあった。「先生ってばエローい」と一緒に行った女子たちはからかっていたが、いま考えればおいおいその教師は事案、である。それでも人気教師だったしのちに校長先生になった(珍しい名前だったので検索で確認済み、いまは定年)。若い人には理解不能だろうが、子どもに対する性が真剣に取り沙汰されなかった昭和の話である。そういう実写の女児本も合法で、普通に書店で売っていた。 中学時代には特定の女子を常に膝に抱く(中2の女子生徒!)男性教師がいた。彼女の心中はどうだったのだろう。「先生ってば贔屓してる~」とこれまた女子はからかっていたが、まさに恐怖の贔屓である。そんなのありえない、作り話、嘘つきと公正世界仮説のお花畑で幸せに生きてきた人や当時を知らない若い人は怒るかもしれないが、かつての声なき声の持ち主はいまも当時のトラウマを心に隠し持っている。昭和の話、思春期の傷、いまさら蒸し返したくないだけだ。本音では教師なんて信用してない 乱暴を覚悟で言うが昭和の日本の学校教育なんて大なり小なりそんなものだった。元軍人が校長だった千葉の某小学校は真冬に半袖半ズボンで意味なく行進させられた。集会中に貧血で倒れた校旗持ち(小学校の話である! ちなみに応援団とかではない)は倒れたまま教師に蹴りを入れられた。部活の殴る蹴るで生徒を病院送りにしてお咎めなしの体育教師もいた。これは筆者の地域ではないが、男女とも高学年にもなって上半身裸で乾布摩擦とはなんだったのだろう(これ、地域差が相当あるようで筆者の元勤務先の先輩は信じてもらえないと嘆いていたが、この乾布摩擦の盗撮写真集も90年代くらいまで専門書店を中心に売られていた)。いずれも昭和50年代、半世紀も遡らない話である。ガンガン躾けてくれと地元有力者が牛耳るPTAも共犯だった。子どもの尊厳や羞恥心など一蹴された。「だから本音では教師なんて信用してないんです。モンスターペアレンツなんて言われますけど、団塊ジュニアの親の場合、そんなトラウマのせいもあると思うんです」 あくまでもkuniママさんの意見だが納得できる部分はある。現代の親世代の教師や学校に対する不信は、かつての学校教育と理不尽な管理教育、そしてコンプライアンスと無縁の生徒指導にあるのかもしれない。それなのに、いまだに社会から隔絶した昭和のルールで子どもを支配する学校が存在する。ましてや女子の下着の色を決め、そのチェックをするような学校だ。こんな意味のない校則、なぜ正せないのか。「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
「だから文句は言えないですね。卒業まで我慢です」 まったくおかしな話、女子の下着の色を決め、そのチェックをする公立中学。親も子も内申書を気にして文句も言えない。大昔は「内申書裁判」なんてのもあった(当時の原告はいまや世田谷区長の保坂展人さん)。「言い方はアレですけど、田舎と違って東京だとまともな家庭の大半は中学受験ですからね、都立だって中高一貫が増えました。私は子どもを自由に育てようと考えて受験させませんでしたけど、やっぱりさせたほうがよかったかなとも思います」 ブラック校則、中学に限ればその大半が公立中学である。当たり前の話で私立中の生徒は「お客さま」。まして程度の差はあれ、東京の私立中学はそれなりに高いレベルの子が入学してくるし、学校も一定レベルの偏差値と家庭環境の子を相手にすればいいので、一長一短あるにせよ荒れた公立中学のような「動物園」にはなりにくい。それに私立や中高一貫都立中は嫌なら途中で辞めて公立中に行く選択肢があるが、その逆は一般的ではないし嫌なら不登校にでもなるしかない。ちなみに町田市在住で私立中学受験を目指す小学生いわく「地元中学に上がったら殺される」とのことで、いまだに修羅の中学は存在するようだ。「そんな中学もあるから校則で縛るのも仕方ないのかもしれませんけど、さすがにパンツチェックはねえ」もっともな話で下着チェックなんて女子生徒も嫌なはずだ。声を上げるべきでは。「それが生徒も声を上げないんです。娘は内申下げられたくないから我慢って言ってます。それが当たり前になっちゃうんですよ」 学校という社会から隔絶した閉鎖空間、生徒は機嫌を損ねて内申を下げられたくないと口をつぐみ、教師は与えられただけの立場を権威と勘違いする。まるでスタンフォード監獄実験だが、日本の一部の公立中学では当たり前に繰り返されてきた。もちろんkuniママさんの中学の話でしかないが、こうした中学がいまだ日本に存在することは事実だ。「親もね、自分のころはもっと理不尽だったからマシなんて思っちゃうんですよ、日野さんも経験あるでしょう」 もちろんある。昔はもっとひどかった。筆者が中学生時代を過ごした1980年代の千葉(東葛地域)といえば「東の千葉、西の愛知」と呼ばれ管理教育で悪名を轟かせた。男子は3年間全員丸坊主、部活で負ければ校庭のど真ん中で炎天下に5時間立たされ、担任がぎょう虫検査陽性者(嫌いな生徒)の発表、日の丸のポールに抱きついて蝉のマネしろとミンミン鳴かされる。クラス対抗の歌声発表会で1位をとらなかったら全員コンクリートの上に放課後まで正座、男子女子関係なく殴る蹴るは普通だった。もちろん東葛地域でも学区や教師によってまともな人はいたが、まあ、いまと比べれば間違いなく酷かった。「そういうのもありましたけど、今回の女子の下着みたいなデリケートな話ですよ」 つい私怨込みで興奮してしまいkuniママさんにたしなめられてしまった。そういえばkuniママさんも東葛地区(筆者の野田よりは東京寄り)なので、この程度の管理教育は当たり前か。なるほどそういう「デリケートな話」、あえて話そう。もう筆者もkuniママさんも40代後半、30年も前の話だからいいだろう。 ある男性教師の部屋に遊びに行ったら(昔は学校の先生のアパートに遊びに行く牧歌的な面もあった)、小学生女児の裸写真ばかりのお手製アルバムがぎっしり、あきらかに自分の生徒だったであろう女児のパンチラ写真や着替えの盗撮もあった。「先生ってばエローい」と一緒に行った女子たちはからかっていたが、いま考えればおいおいその教師は事案、である。それでも人気教師だったしのちに校長先生になった(珍しい名前だったので検索で確認済み、いまは定年)。若い人には理解不能だろうが、子どもに対する性が真剣に取り沙汰されなかった昭和の話である。そういう実写の女児本も合法で、普通に書店で売っていた。 中学時代には特定の女子を常に膝に抱く(中2の女子生徒!)男性教師がいた。彼女の心中はどうだったのだろう。「先生ってば贔屓してる~」とこれまた女子はからかっていたが、まさに恐怖の贔屓である。そんなのありえない、作り話、嘘つきと公正世界仮説のお花畑で幸せに生きてきた人や当時を知らない若い人は怒るかもしれないが、かつての声なき声の持ち主はいまも当時のトラウマを心に隠し持っている。昭和の話、思春期の傷、いまさら蒸し返したくないだけだ。本音では教師なんて信用してない 乱暴を覚悟で言うが昭和の日本の学校教育なんて大なり小なりそんなものだった。元軍人が校長だった千葉の某小学校は真冬に半袖半ズボンで意味なく行進させられた。集会中に貧血で倒れた校旗持ち(小学校の話である! ちなみに応援団とかではない)は倒れたまま教師に蹴りを入れられた。部活の殴る蹴るで生徒を病院送りにしてお咎めなしの体育教師もいた。これは筆者の地域ではないが、男女とも高学年にもなって上半身裸で乾布摩擦とはなんだったのだろう(これ、地域差が相当あるようで筆者の元勤務先の先輩は信じてもらえないと嘆いていたが、この乾布摩擦の盗撮写真集も90年代くらいまで専門書店を中心に売られていた)。いずれも昭和50年代、半世紀も遡らない話である。ガンガン躾けてくれと地元有力者が牛耳るPTAも共犯だった。子どもの尊厳や羞恥心など一蹴された。「だから本音では教師なんて信用してないんです。モンスターペアレンツなんて言われますけど、団塊ジュニアの親の場合、そんなトラウマのせいもあると思うんです」 あくまでもkuniママさんの意見だが納得できる部分はある。現代の親世代の教師や学校に対する不信は、かつての学校教育と理不尽な管理教育、そしてコンプライアンスと無縁の生徒指導にあるのかもしれない。それなのに、いまだに社会から隔絶した昭和のルールで子どもを支配する学校が存在する。ましてや女子の下着の色を決め、そのチェックをするような学校だ。こんな意味のない校則、なぜ正せないのか。「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
まったくおかしな話、女子の下着の色を決め、そのチェックをする公立中学。親も子も内申書を気にして文句も言えない。大昔は「内申書裁判」なんてのもあった(当時の原告はいまや世田谷区長の保坂展人さん)。「言い方はアレですけど、田舎と違って東京だとまともな家庭の大半は中学受験ですからね、都立だって中高一貫が増えました。私は子どもを自由に育てようと考えて受験させませんでしたけど、やっぱりさせたほうがよかったかなとも思います」 ブラック校則、中学に限ればその大半が公立中学である。当たり前の話で私立中の生徒は「お客さま」。まして程度の差はあれ、東京の私立中学はそれなりに高いレベルの子が入学してくるし、学校も一定レベルの偏差値と家庭環境の子を相手にすればいいので、一長一短あるにせよ荒れた公立中学のような「動物園」にはなりにくい。それに私立や中高一貫都立中は嫌なら途中で辞めて公立中に行く選択肢があるが、その逆は一般的ではないし嫌なら不登校にでもなるしかない。ちなみに町田市在住で私立中学受験を目指す小学生いわく「地元中学に上がったら殺される」とのことで、いまだに修羅の中学は存在するようだ。「そんな中学もあるから校則で縛るのも仕方ないのかもしれませんけど、さすがにパンツチェックはねえ」もっともな話で下着チェックなんて女子生徒も嫌なはずだ。声を上げるべきでは。「それが生徒も声を上げないんです。娘は内申下げられたくないから我慢って言ってます。それが当たり前になっちゃうんですよ」 学校という社会から隔絶した閉鎖空間、生徒は機嫌を損ねて内申を下げられたくないと口をつぐみ、教師は与えられただけの立場を権威と勘違いする。まるでスタンフォード監獄実験だが、日本の一部の公立中学では当たり前に繰り返されてきた。もちろんkuniママさんの中学の話でしかないが、こうした中学がいまだ日本に存在することは事実だ。「親もね、自分のころはもっと理不尽だったからマシなんて思っちゃうんですよ、日野さんも経験あるでしょう」 もちろんある。昔はもっとひどかった。筆者が中学生時代を過ごした1980年代の千葉(東葛地域)といえば「東の千葉、西の愛知」と呼ばれ管理教育で悪名を轟かせた。男子は3年間全員丸坊主、部活で負ければ校庭のど真ん中で炎天下に5時間立たされ、担任がぎょう虫検査陽性者(嫌いな生徒)の発表、日の丸のポールに抱きついて蝉のマネしろとミンミン鳴かされる。クラス対抗の歌声発表会で1位をとらなかったら全員コンクリートの上に放課後まで正座、男子女子関係なく殴る蹴るは普通だった。もちろん東葛地域でも学区や教師によってまともな人はいたが、まあ、いまと比べれば間違いなく酷かった。「そういうのもありましたけど、今回の女子の下着みたいなデリケートな話ですよ」 つい私怨込みで興奮してしまいkuniママさんにたしなめられてしまった。そういえばkuniママさんも東葛地区(筆者の野田よりは東京寄り)なので、この程度の管理教育は当たり前か。なるほどそういう「デリケートな話」、あえて話そう。もう筆者もkuniママさんも40代後半、30年も前の話だからいいだろう。 ある男性教師の部屋に遊びに行ったら(昔は学校の先生のアパートに遊びに行く牧歌的な面もあった)、小学生女児の裸写真ばかりのお手製アルバムがぎっしり、あきらかに自分の生徒だったであろう女児のパンチラ写真や着替えの盗撮もあった。「先生ってばエローい」と一緒に行った女子たちはからかっていたが、いま考えればおいおいその教師は事案、である。それでも人気教師だったしのちに校長先生になった(珍しい名前だったので検索で確認済み、いまは定年)。若い人には理解不能だろうが、子どもに対する性が真剣に取り沙汰されなかった昭和の話である。そういう実写の女児本も合法で、普通に書店で売っていた。 中学時代には特定の女子を常に膝に抱く(中2の女子生徒!)男性教師がいた。彼女の心中はどうだったのだろう。「先生ってば贔屓してる~」とこれまた女子はからかっていたが、まさに恐怖の贔屓である。そんなのありえない、作り話、嘘つきと公正世界仮説のお花畑で幸せに生きてきた人や当時を知らない若い人は怒るかもしれないが、かつての声なき声の持ち主はいまも当時のトラウマを心に隠し持っている。昭和の話、思春期の傷、いまさら蒸し返したくないだけだ。本音では教師なんて信用してない 乱暴を覚悟で言うが昭和の日本の学校教育なんて大なり小なりそんなものだった。元軍人が校長だった千葉の某小学校は真冬に半袖半ズボンで意味なく行進させられた。集会中に貧血で倒れた校旗持ち(小学校の話である! ちなみに応援団とかではない)は倒れたまま教師に蹴りを入れられた。部活の殴る蹴るで生徒を病院送りにしてお咎めなしの体育教師もいた。これは筆者の地域ではないが、男女とも高学年にもなって上半身裸で乾布摩擦とはなんだったのだろう(これ、地域差が相当あるようで筆者の元勤務先の先輩は信じてもらえないと嘆いていたが、この乾布摩擦の盗撮写真集も90年代くらいまで専門書店を中心に売られていた)。いずれも昭和50年代、半世紀も遡らない話である。ガンガン躾けてくれと地元有力者が牛耳るPTAも共犯だった。子どもの尊厳や羞恥心など一蹴された。「だから本音では教師なんて信用してないんです。モンスターペアレンツなんて言われますけど、団塊ジュニアの親の場合、そんなトラウマのせいもあると思うんです」 あくまでもkuniママさんの意見だが納得できる部分はある。現代の親世代の教師や学校に対する不信は、かつての学校教育と理不尽な管理教育、そしてコンプライアンスと無縁の生徒指導にあるのかもしれない。それなのに、いまだに社会から隔絶した昭和のルールで子どもを支配する学校が存在する。ましてや女子の下着の色を決め、そのチェックをするような学校だ。こんな意味のない校則、なぜ正せないのか。「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
「言い方はアレですけど、田舎と違って東京だとまともな家庭の大半は中学受験ですからね、都立だって中高一貫が増えました。私は子どもを自由に育てようと考えて受験させませんでしたけど、やっぱりさせたほうがよかったかなとも思います」 ブラック校則、中学に限ればその大半が公立中学である。当たり前の話で私立中の生徒は「お客さま」。まして程度の差はあれ、東京の私立中学はそれなりに高いレベルの子が入学してくるし、学校も一定レベルの偏差値と家庭環境の子を相手にすればいいので、一長一短あるにせよ荒れた公立中学のような「動物園」にはなりにくい。それに私立や中高一貫都立中は嫌なら途中で辞めて公立中に行く選択肢があるが、その逆は一般的ではないし嫌なら不登校にでもなるしかない。ちなみに町田市在住で私立中学受験を目指す小学生いわく「地元中学に上がったら殺される」とのことで、いまだに修羅の中学は存在するようだ。「そんな中学もあるから校則で縛るのも仕方ないのかもしれませんけど、さすがにパンツチェックはねえ」もっともな話で下着チェックなんて女子生徒も嫌なはずだ。声を上げるべきでは。「それが生徒も声を上げないんです。娘は内申下げられたくないから我慢って言ってます。それが当たり前になっちゃうんですよ」 学校という社会から隔絶した閉鎖空間、生徒は機嫌を損ねて内申を下げられたくないと口をつぐみ、教師は与えられただけの立場を権威と勘違いする。まるでスタンフォード監獄実験だが、日本の一部の公立中学では当たり前に繰り返されてきた。もちろんkuniママさんの中学の話でしかないが、こうした中学がいまだ日本に存在することは事実だ。「親もね、自分のころはもっと理不尽だったからマシなんて思っちゃうんですよ、日野さんも経験あるでしょう」 もちろんある。昔はもっとひどかった。筆者が中学生時代を過ごした1980年代の千葉(東葛地域)といえば「東の千葉、西の愛知」と呼ばれ管理教育で悪名を轟かせた。男子は3年間全員丸坊主、部活で負ければ校庭のど真ん中で炎天下に5時間立たされ、担任がぎょう虫検査陽性者(嫌いな生徒)の発表、日の丸のポールに抱きついて蝉のマネしろとミンミン鳴かされる。クラス対抗の歌声発表会で1位をとらなかったら全員コンクリートの上に放課後まで正座、男子女子関係なく殴る蹴るは普通だった。もちろん東葛地域でも学区や教師によってまともな人はいたが、まあ、いまと比べれば間違いなく酷かった。「そういうのもありましたけど、今回の女子の下着みたいなデリケートな話ですよ」 つい私怨込みで興奮してしまいkuniママさんにたしなめられてしまった。そういえばkuniママさんも東葛地区(筆者の野田よりは東京寄り)なので、この程度の管理教育は当たり前か。なるほどそういう「デリケートな話」、あえて話そう。もう筆者もkuniママさんも40代後半、30年も前の話だからいいだろう。 ある男性教師の部屋に遊びに行ったら(昔は学校の先生のアパートに遊びに行く牧歌的な面もあった)、小学生女児の裸写真ばかりのお手製アルバムがぎっしり、あきらかに自分の生徒だったであろう女児のパンチラ写真や着替えの盗撮もあった。「先生ってばエローい」と一緒に行った女子たちはからかっていたが、いま考えればおいおいその教師は事案、である。それでも人気教師だったしのちに校長先生になった(珍しい名前だったので検索で確認済み、いまは定年)。若い人には理解不能だろうが、子どもに対する性が真剣に取り沙汰されなかった昭和の話である。そういう実写の女児本も合法で、普通に書店で売っていた。 中学時代には特定の女子を常に膝に抱く(中2の女子生徒!)男性教師がいた。彼女の心中はどうだったのだろう。「先生ってば贔屓してる~」とこれまた女子はからかっていたが、まさに恐怖の贔屓である。そんなのありえない、作り話、嘘つきと公正世界仮説のお花畑で幸せに生きてきた人や当時を知らない若い人は怒るかもしれないが、かつての声なき声の持ち主はいまも当時のトラウマを心に隠し持っている。昭和の話、思春期の傷、いまさら蒸し返したくないだけだ。本音では教師なんて信用してない 乱暴を覚悟で言うが昭和の日本の学校教育なんて大なり小なりそんなものだった。元軍人が校長だった千葉の某小学校は真冬に半袖半ズボンで意味なく行進させられた。集会中に貧血で倒れた校旗持ち(小学校の話である! ちなみに応援団とかではない)は倒れたまま教師に蹴りを入れられた。部活の殴る蹴るで生徒を病院送りにしてお咎めなしの体育教師もいた。これは筆者の地域ではないが、男女とも高学年にもなって上半身裸で乾布摩擦とはなんだったのだろう(これ、地域差が相当あるようで筆者の元勤務先の先輩は信じてもらえないと嘆いていたが、この乾布摩擦の盗撮写真集も90年代くらいまで専門書店を中心に売られていた)。いずれも昭和50年代、半世紀も遡らない話である。ガンガン躾けてくれと地元有力者が牛耳るPTAも共犯だった。子どもの尊厳や羞恥心など一蹴された。「だから本音では教師なんて信用してないんです。モンスターペアレンツなんて言われますけど、団塊ジュニアの親の場合、そんなトラウマのせいもあると思うんです」 あくまでもkuniママさんの意見だが納得できる部分はある。現代の親世代の教師や学校に対する不信は、かつての学校教育と理不尽な管理教育、そしてコンプライアンスと無縁の生徒指導にあるのかもしれない。それなのに、いまだに社会から隔絶した昭和のルールで子どもを支配する学校が存在する。ましてや女子の下着の色を決め、そのチェックをするような学校だ。こんな意味のない校則、なぜ正せないのか。「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
ブラック校則、中学に限ればその大半が公立中学である。当たり前の話で私立中の生徒は「お客さま」。まして程度の差はあれ、東京の私立中学はそれなりに高いレベルの子が入学してくるし、学校も一定レベルの偏差値と家庭環境の子を相手にすればいいので、一長一短あるにせよ荒れた公立中学のような「動物園」にはなりにくい。それに私立や中高一貫都立中は嫌なら途中で辞めて公立中に行く選択肢があるが、その逆は一般的ではないし嫌なら不登校にでもなるしかない。ちなみに町田市在住で私立中学受験を目指す小学生いわく「地元中学に上がったら殺される」とのことで、いまだに修羅の中学は存在するようだ。「そんな中学もあるから校則で縛るのも仕方ないのかもしれませんけど、さすがにパンツチェックはねえ」もっともな話で下着チェックなんて女子生徒も嫌なはずだ。声を上げるべきでは。「それが生徒も声を上げないんです。娘は内申下げられたくないから我慢って言ってます。それが当たり前になっちゃうんですよ」 学校という社会から隔絶した閉鎖空間、生徒は機嫌を損ねて内申を下げられたくないと口をつぐみ、教師は与えられただけの立場を権威と勘違いする。まるでスタンフォード監獄実験だが、日本の一部の公立中学では当たり前に繰り返されてきた。もちろんkuniママさんの中学の話でしかないが、こうした中学がいまだ日本に存在することは事実だ。「親もね、自分のころはもっと理不尽だったからマシなんて思っちゃうんですよ、日野さんも経験あるでしょう」 もちろんある。昔はもっとひどかった。筆者が中学生時代を過ごした1980年代の千葉(東葛地域)といえば「東の千葉、西の愛知」と呼ばれ管理教育で悪名を轟かせた。男子は3年間全員丸坊主、部活で負ければ校庭のど真ん中で炎天下に5時間立たされ、担任がぎょう虫検査陽性者(嫌いな生徒)の発表、日の丸のポールに抱きついて蝉のマネしろとミンミン鳴かされる。クラス対抗の歌声発表会で1位をとらなかったら全員コンクリートの上に放課後まで正座、男子女子関係なく殴る蹴るは普通だった。もちろん東葛地域でも学区や教師によってまともな人はいたが、まあ、いまと比べれば間違いなく酷かった。「そういうのもありましたけど、今回の女子の下着みたいなデリケートな話ですよ」 つい私怨込みで興奮してしまいkuniママさんにたしなめられてしまった。そういえばkuniママさんも東葛地区(筆者の野田よりは東京寄り)なので、この程度の管理教育は当たり前か。なるほどそういう「デリケートな話」、あえて話そう。もう筆者もkuniママさんも40代後半、30年も前の話だからいいだろう。 ある男性教師の部屋に遊びに行ったら(昔は学校の先生のアパートに遊びに行く牧歌的な面もあった)、小学生女児の裸写真ばかりのお手製アルバムがぎっしり、あきらかに自分の生徒だったであろう女児のパンチラ写真や着替えの盗撮もあった。「先生ってばエローい」と一緒に行った女子たちはからかっていたが、いま考えればおいおいその教師は事案、である。それでも人気教師だったしのちに校長先生になった(珍しい名前だったので検索で確認済み、いまは定年)。若い人には理解不能だろうが、子どもに対する性が真剣に取り沙汰されなかった昭和の話である。そういう実写の女児本も合法で、普通に書店で売っていた。 中学時代には特定の女子を常に膝に抱く(中2の女子生徒!)男性教師がいた。彼女の心中はどうだったのだろう。「先生ってば贔屓してる~」とこれまた女子はからかっていたが、まさに恐怖の贔屓である。そんなのありえない、作り話、嘘つきと公正世界仮説のお花畑で幸せに生きてきた人や当時を知らない若い人は怒るかもしれないが、かつての声なき声の持ち主はいまも当時のトラウマを心に隠し持っている。昭和の話、思春期の傷、いまさら蒸し返したくないだけだ。本音では教師なんて信用してない 乱暴を覚悟で言うが昭和の日本の学校教育なんて大なり小なりそんなものだった。元軍人が校長だった千葉の某小学校は真冬に半袖半ズボンで意味なく行進させられた。集会中に貧血で倒れた校旗持ち(小学校の話である! ちなみに応援団とかではない)は倒れたまま教師に蹴りを入れられた。部活の殴る蹴るで生徒を病院送りにしてお咎めなしの体育教師もいた。これは筆者の地域ではないが、男女とも高学年にもなって上半身裸で乾布摩擦とはなんだったのだろう(これ、地域差が相当あるようで筆者の元勤務先の先輩は信じてもらえないと嘆いていたが、この乾布摩擦の盗撮写真集も90年代くらいまで専門書店を中心に売られていた)。いずれも昭和50年代、半世紀も遡らない話である。ガンガン躾けてくれと地元有力者が牛耳るPTAも共犯だった。子どもの尊厳や羞恥心など一蹴された。「だから本音では教師なんて信用してないんです。モンスターペアレンツなんて言われますけど、団塊ジュニアの親の場合、そんなトラウマのせいもあると思うんです」 あくまでもkuniママさんの意見だが納得できる部分はある。現代の親世代の教師や学校に対する不信は、かつての学校教育と理不尽な管理教育、そしてコンプライアンスと無縁の生徒指導にあるのかもしれない。それなのに、いまだに社会から隔絶した昭和のルールで子どもを支配する学校が存在する。ましてや女子の下着の色を決め、そのチェックをするような学校だ。こんな意味のない校則、なぜ正せないのか。「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
「そんな中学もあるから校則で縛るのも仕方ないのかもしれませんけど、さすがにパンツチェックはねえ」もっともな話で下着チェックなんて女子生徒も嫌なはずだ。声を上げるべきでは。「それが生徒も声を上げないんです。娘は内申下げられたくないから我慢って言ってます。それが当たり前になっちゃうんですよ」 学校という社会から隔絶した閉鎖空間、生徒は機嫌を損ねて内申を下げられたくないと口をつぐみ、教師は与えられただけの立場を権威と勘違いする。まるでスタンフォード監獄実験だが、日本の一部の公立中学では当たり前に繰り返されてきた。もちろんkuniママさんの中学の話でしかないが、こうした中学がいまだ日本に存在することは事実だ。「親もね、自分のころはもっと理不尽だったからマシなんて思っちゃうんですよ、日野さんも経験あるでしょう」 もちろんある。昔はもっとひどかった。筆者が中学生時代を過ごした1980年代の千葉(東葛地域)といえば「東の千葉、西の愛知」と呼ばれ管理教育で悪名を轟かせた。男子は3年間全員丸坊主、部活で負ければ校庭のど真ん中で炎天下に5時間立たされ、担任がぎょう虫検査陽性者(嫌いな生徒)の発表、日の丸のポールに抱きついて蝉のマネしろとミンミン鳴かされる。クラス対抗の歌声発表会で1位をとらなかったら全員コンクリートの上に放課後まで正座、男子女子関係なく殴る蹴るは普通だった。もちろん東葛地域でも学区や教師によってまともな人はいたが、まあ、いまと比べれば間違いなく酷かった。「そういうのもありましたけど、今回の女子の下着みたいなデリケートな話ですよ」 つい私怨込みで興奮してしまいkuniママさんにたしなめられてしまった。そういえばkuniママさんも東葛地区(筆者の野田よりは東京寄り)なので、この程度の管理教育は当たり前か。なるほどそういう「デリケートな話」、あえて話そう。もう筆者もkuniママさんも40代後半、30年も前の話だからいいだろう。 ある男性教師の部屋に遊びに行ったら(昔は学校の先生のアパートに遊びに行く牧歌的な面もあった)、小学生女児の裸写真ばかりのお手製アルバムがぎっしり、あきらかに自分の生徒だったであろう女児のパンチラ写真や着替えの盗撮もあった。「先生ってばエローい」と一緒に行った女子たちはからかっていたが、いま考えればおいおいその教師は事案、である。それでも人気教師だったしのちに校長先生になった(珍しい名前だったので検索で確認済み、いまは定年)。若い人には理解不能だろうが、子どもに対する性が真剣に取り沙汰されなかった昭和の話である。そういう実写の女児本も合法で、普通に書店で売っていた。 中学時代には特定の女子を常に膝に抱く(中2の女子生徒!)男性教師がいた。彼女の心中はどうだったのだろう。「先生ってば贔屓してる~」とこれまた女子はからかっていたが、まさに恐怖の贔屓である。そんなのありえない、作り話、嘘つきと公正世界仮説のお花畑で幸せに生きてきた人や当時を知らない若い人は怒るかもしれないが、かつての声なき声の持ち主はいまも当時のトラウマを心に隠し持っている。昭和の話、思春期の傷、いまさら蒸し返したくないだけだ。本音では教師なんて信用してない 乱暴を覚悟で言うが昭和の日本の学校教育なんて大なり小なりそんなものだった。元軍人が校長だった千葉の某小学校は真冬に半袖半ズボンで意味なく行進させられた。集会中に貧血で倒れた校旗持ち(小学校の話である! ちなみに応援団とかではない)は倒れたまま教師に蹴りを入れられた。部活の殴る蹴るで生徒を病院送りにしてお咎めなしの体育教師もいた。これは筆者の地域ではないが、男女とも高学年にもなって上半身裸で乾布摩擦とはなんだったのだろう(これ、地域差が相当あるようで筆者の元勤務先の先輩は信じてもらえないと嘆いていたが、この乾布摩擦の盗撮写真集も90年代くらいまで専門書店を中心に売られていた)。いずれも昭和50年代、半世紀も遡らない話である。ガンガン躾けてくれと地元有力者が牛耳るPTAも共犯だった。子どもの尊厳や羞恥心など一蹴された。「だから本音では教師なんて信用してないんです。モンスターペアレンツなんて言われますけど、団塊ジュニアの親の場合、そんなトラウマのせいもあると思うんです」 あくまでもkuniママさんの意見だが納得できる部分はある。現代の親世代の教師や学校に対する不信は、かつての学校教育と理不尽な管理教育、そしてコンプライアンスと無縁の生徒指導にあるのかもしれない。それなのに、いまだに社会から隔絶した昭和のルールで子どもを支配する学校が存在する。ましてや女子の下着の色を決め、そのチェックをするような学校だ。こんな意味のない校則、なぜ正せないのか。「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
もっともな話で下着チェックなんて女子生徒も嫌なはずだ。声を上げるべきでは。「それが生徒も声を上げないんです。娘は内申下げられたくないから我慢って言ってます。それが当たり前になっちゃうんですよ」 学校という社会から隔絶した閉鎖空間、生徒は機嫌を損ねて内申を下げられたくないと口をつぐみ、教師は与えられただけの立場を権威と勘違いする。まるでスタンフォード監獄実験だが、日本の一部の公立中学では当たり前に繰り返されてきた。もちろんkuniママさんの中学の話でしかないが、こうした中学がいまだ日本に存在することは事実だ。「親もね、自分のころはもっと理不尽だったからマシなんて思っちゃうんですよ、日野さんも経験あるでしょう」 もちろんある。昔はもっとひどかった。筆者が中学生時代を過ごした1980年代の千葉(東葛地域)といえば「東の千葉、西の愛知」と呼ばれ管理教育で悪名を轟かせた。男子は3年間全員丸坊主、部活で負ければ校庭のど真ん中で炎天下に5時間立たされ、担任がぎょう虫検査陽性者(嫌いな生徒)の発表、日の丸のポールに抱きついて蝉のマネしろとミンミン鳴かされる。クラス対抗の歌声発表会で1位をとらなかったら全員コンクリートの上に放課後まで正座、男子女子関係なく殴る蹴るは普通だった。もちろん東葛地域でも学区や教師によってまともな人はいたが、まあ、いまと比べれば間違いなく酷かった。「そういうのもありましたけど、今回の女子の下着みたいなデリケートな話ですよ」 つい私怨込みで興奮してしまいkuniママさんにたしなめられてしまった。そういえばkuniママさんも東葛地区(筆者の野田よりは東京寄り)なので、この程度の管理教育は当たり前か。なるほどそういう「デリケートな話」、あえて話そう。もう筆者もkuniママさんも40代後半、30年も前の話だからいいだろう。 ある男性教師の部屋に遊びに行ったら(昔は学校の先生のアパートに遊びに行く牧歌的な面もあった)、小学生女児の裸写真ばかりのお手製アルバムがぎっしり、あきらかに自分の生徒だったであろう女児のパンチラ写真や着替えの盗撮もあった。「先生ってばエローい」と一緒に行った女子たちはからかっていたが、いま考えればおいおいその教師は事案、である。それでも人気教師だったしのちに校長先生になった(珍しい名前だったので検索で確認済み、いまは定年)。若い人には理解不能だろうが、子どもに対する性が真剣に取り沙汰されなかった昭和の話である。そういう実写の女児本も合法で、普通に書店で売っていた。 中学時代には特定の女子を常に膝に抱く(中2の女子生徒!)男性教師がいた。彼女の心中はどうだったのだろう。「先生ってば贔屓してる~」とこれまた女子はからかっていたが、まさに恐怖の贔屓である。そんなのありえない、作り話、嘘つきと公正世界仮説のお花畑で幸せに生きてきた人や当時を知らない若い人は怒るかもしれないが、かつての声なき声の持ち主はいまも当時のトラウマを心に隠し持っている。昭和の話、思春期の傷、いまさら蒸し返したくないだけだ。本音では教師なんて信用してない 乱暴を覚悟で言うが昭和の日本の学校教育なんて大なり小なりそんなものだった。元軍人が校長だった千葉の某小学校は真冬に半袖半ズボンで意味なく行進させられた。集会中に貧血で倒れた校旗持ち(小学校の話である! ちなみに応援団とかではない)は倒れたまま教師に蹴りを入れられた。部活の殴る蹴るで生徒を病院送りにしてお咎めなしの体育教師もいた。これは筆者の地域ではないが、男女とも高学年にもなって上半身裸で乾布摩擦とはなんだったのだろう(これ、地域差が相当あるようで筆者の元勤務先の先輩は信じてもらえないと嘆いていたが、この乾布摩擦の盗撮写真集も90年代くらいまで専門書店を中心に売られていた)。いずれも昭和50年代、半世紀も遡らない話である。ガンガン躾けてくれと地元有力者が牛耳るPTAも共犯だった。子どもの尊厳や羞恥心など一蹴された。「だから本音では教師なんて信用してないんです。モンスターペアレンツなんて言われますけど、団塊ジュニアの親の場合、そんなトラウマのせいもあると思うんです」 あくまでもkuniママさんの意見だが納得できる部分はある。現代の親世代の教師や学校に対する不信は、かつての学校教育と理不尽な管理教育、そしてコンプライアンスと無縁の生徒指導にあるのかもしれない。それなのに、いまだに社会から隔絶した昭和のルールで子どもを支配する学校が存在する。ましてや女子の下着の色を決め、そのチェックをするような学校だ。こんな意味のない校則、なぜ正せないのか。「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
「それが生徒も声を上げないんです。娘は内申下げられたくないから我慢って言ってます。それが当たり前になっちゃうんですよ」 学校という社会から隔絶した閉鎖空間、生徒は機嫌を損ねて内申を下げられたくないと口をつぐみ、教師は与えられただけの立場を権威と勘違いする。まるでスタンフォード監獄実験だが、日本の一部の公立中学では当たり前に繰り返されてきた。もちろんkuniママさんの中学の話でしかないが、こうした中学がいまだ日本に存在することは事実だ。「親もね、自分のころはもっと理不尽だったからマシなんて思っちゃうんですよ、日野さんも経験あるでしょう」 もちろんある。昔はもっとひどかった。筆者が中学生時代を過ごした1980年代の千葉(東葛地域)といえば「東の千葉、西の愛知」と呼ばれ管理教育で悪名を轟かせた。男子は3年間全員丸坊主、部活で負ければ校庭のど真ん中で炎天下に5時間立たされ、担任がぎょう虫検査陽性者(嫌いな生徒)の発表、日の丸のポールに抱きついて蝉のマネしろとミンミン鳴かされる。クラス対抗の歌声発表会で1位をとらなかったら全員コンクリートの上に放課後まで正座、男子女子関係なく殴る蹴るは普通だった。もちろん東葛地域でも学区や教師によってまともな人はいたが、まあ、いまと比べれば間違いなく酷かった。「そういうのもありましたけど、今回の女子の下着みたいなデリケートな話ですよ」 つい私怨込みで興奮してしまいkuniママさんにたしなめられてしまった。そういえばkuniママさんも東葛地区(筆者の野田よりは東京寄り)なので、この程度の管理教育は当たり前か。なるほどそういう「デリケートな話」、あえて話そう。もう筆者もkuniママさんも40代後半、30年も前の話だからいいだろう。 ある男性教師の部屋に遊びに行ったら(昔は学校の先生のアパートに遊びに行く牧歌的な面もあった)、小学生女児の裸写真ばかりのお手製アルバムがぎっしり、あきらかに自分の生徒だったであろう女児のパンチラ写真や着替えの盗撮もあった。「先生ってばエローい」と一緒に行った女子たちはからかっていたが、いま考えればおいおいその教師は事案、である。それでも人気教師だったしのちに校長先生になった(珍しい名前だったので検索で確認済み、いまは定年)。若い人には理解不能だろうが、子どもに対する性が真剣に取り沙汰されなかった昭和の話である。そういう実写の女児本も合法で、普通に書店で売っていた。 中学時代には特定の女子を常に膝に抱く(中2の女子生徒!)男性教師がいた。彼女の心中はどうだったのだろう。「先生ってば贔屓してる~」とこれまた女子はからかっていたが、まさに恐怖の贔屓である。そんなのありえない、作り話、嘘つきと公正世界仮説のお花畑で幸せに生きてきた人や当時を知らない若い人は怒るかもしれないが、かつての声なき声の持ち主はいまも当時のトラウマを心に隠し持っている。昭和の話、思春期の傷、いまさら蒸し返したくないだけだ。本音では教師なんて信用してない 乱暴を覚悟で言うが昭和の日本の学校教育なんて大なり小なりそんなものだった。元軍人が校長だった千葉の某小学校は真冬に半袖半ズボンで意味なく行進させられた。集会中に貧血で倒れた校旗持ち(小学校の話である! ちなみに応援団とかではない)は倒れたまま教師に蹴りを入れられた。部活の殴る蹴るで生徒を病院送りにしてお咎めなしの体育教師もいた。これは筆者の地域ではないが、男女とも高学年にもなって上半身裸で乾布摩擦とはなんだったのだろう(これ、地域差が相当あるようで筆者の元勤務先の先輩は信じてもらえないと嘆いていたが、この乾布摩擦の盗撮写真集も90年代くらいまで専門書店を中心に売られていた)。いずれも昭和50年代、半世紀も遡らない話である。ガンガン躾けてくれと地元有力者が牛耳るPTAも共犯だった。子どもの尊厳や羞恥心など一蹴された。「だから本音では教師なんて信用してないんです。モンスターペアレンツなんて言われますけど、団塊ジュニアの親の場合、そんなトラウマのせいもあると思うんです」 あくまでもkuniママさんの意見だが納得できる部分はある。現代の親世代の教師や学校に対する不信は、かつての学校教育と理不尽な管理教育、そしてコンプライアンスと無縁の生徒指導にあるのかもしれない。それなのに、いまだに社会から隔絶した昭和のルールで子どもを支配する学校が存在する。ましてや女子の下着の色を決め、そのチェックをするような学校だ。こんな意味のない校則、なぜ正せないのか。「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
学校という社会から隔絶した閉鎖空間、生徒は機嫌を損ねて内申を下げられたくないと口をつぐみ、教師は与えられただけの立場を権威と勘違いする。まるでスタンフォード監獄実験だが、日本の一部の公立中学では当たり前に繰り返されてきた。もちろんkuniママさんの中学の話でしかないが、こうした中学がいまだ日本に存在することは事実だ。「親もね、自分のころはもっと理不尽だったからマシなんて思っちゃうんですよ、日野さんも経験あるでしょう」 もちろんある。昔はもっとひどかった。筆者が中学生時代を過ごした1980年代の千葉(東葛地域)といえば「東の千葉、西の愛知」と呼ばれ管理教育で悪名を轟かせた。男子は3年間全員丸坊主、部活で負ければ校庭のど真ん中で炎天下に5時間立たされ、担任がぎょう虫検査陽性者(嫌いな生徒)の発表、日の丸のポールに抱きついて蝉のマネしろとミンミン鳴かされる。クラス対抗の歌声発表会で1位をとらなかったら全員コンクリートの上に放課後まで正座、男子女子関係なく殴る蹴るは普通だった。もちろん東葛地域でも学区や教師によってまともな人はいたが、まあ、いまと比べれば間違いなく酷かった。「そういうのもありましたけど、今回の女子の下着みたいなデリケートな話ですよ」 つい私怨込みで興奮してしまいkuniママさんにたしなめられてしまった。そういえばkuniママさんも東葛地区(筆者の野田よりは東京寄り)なので、この程度の管理教育は当たり前か。なるほどそういう「デリケートな話」、あえて話そう。もう筆者もkuniママさんも40代後半、30年も前の話だからいいだろう。 ある男性教師の部屋に遊びに行ったら(昔は学校の先生のアパートに遊びに行く牧歌的な面もあった)、小学生女児の裸写真ばかりのお手製アルバムがぎっしり、あきらかに自分の生徒だったであろう女児のパンチラ写真や着替えの盗撮もあった。「先生ってばエローい」と一緒に行った女子たちはからかっていたが、いま考えればおいおいその教師は事案、である。それでも人気教師だったしのちに校長先生になった(珍しい名前だったので検索で確認済み、いまは定年)。若い人には理解不能だろうが、子どもに対する性が真剣に取り沙汰されなかった昭和の話である。そういう実写の女児本も合法で、普通に書店で売っていた。 中学時代には特定の女子を常に膝に抱く(中2の女子生徒!)男性教師がいた。彼女の心中はどうだったのだろう。「先生ってば贔屓してる~」とこれまた女子はからかっていたが、まさに恐怖の贔屓である。そんなのありえない、作り話、嘘つきと公正世界仮説のお花畑で幸せに生きてきた人や当時を知らない若い人は怒るかもしれないが、かつての声なき声の持ち主はいまも当時のトラウマを心に隠し持っている。昭和の話、思春期の傷、いまさら蒸し返したくないだけだ。本音では教師なんて信用してない 乱暴を覚悟で言うが昭和の日本の学校教育なんて大なり小なりそんなものだった。元軍人が校長だった千葉の某小学校は真冬に半袖半ズボンで意味なく行進させられた。集会中に貧血で倒れた校旗持ち(小学校の話である! ちなみに応援団とかではない)は倒れたまま教師に蹴りを入れられた。部活の殴る蹴るで生徒を病院送りにしてお咎めなしの体育教師もいた。これは筆者の地域ではないが、男女とも高学年にもなって上半身裸で乾布摩擦とはなんだったのだろう(これ、地域差が相当あるようで筆者の元勤務先の先輩は信じてもらえないと嘆いていたが、この乾布摩擦の盗撮写真集も90年代くらいまで専門書店を中心に売られていた)。いずれも昭和50年代、半世紀も遡らない話である。ガンガン躾けてくれと地元有力者が牛耳るPTAも共犯だった。子どもの尊厳や羞恥心など一蹴された。「だから本音では教師なんて信用してないんです。モンスターペアレンツなんて言われますけど、団塊ジュニアの親の場合、そんなトラウマのせいもあると思うんです」 あくまでもkuniママさんの意見だが納得できる部分はある。現代の親世代の教師や学校に対する不信は、かつての学校教育と理不尽な管理教育、そしてコンプライアンスと無縁の生徒指導にあるのかもしれない。それなのに、いまだに社会から隔絶した昭和のルールで子どもを支配する学校が存在する。ましてや女子の下着の色を決め、そのチェックをするような学校だ。こんな意味のない校則、なぜ正せないのか。「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
「親もね、自分のころはもっと理不尽だったからマシなんて思っちゃうんですよ、日野さんも経験あるでしょう」 もちろんある。昔はもっとひどかった。筆者が中学生時代を過ごした1980年代の千葉(東葛地域)といえば「東の千葉、西の愛知」と呼ばれ管理教育で悪名を轟かせた。男子は3年間全員丸坊主、部活で負ければ校庭のど真ん中で炎天下に5時間立たされ、担任がぎょう虫検査陽性者(嫌いな生徒)の発表、日の丸のポールに抱きついて蝉のマネしろとミンミン鳴かされる。クラス対抗の歌声発表会で1位をとらなかったら全員コンクリートの上に放課後まで正座、男子女子関係なく殴る蹴るは普通だった。もちろん東葛地域でも学区や教師によってまともな人はいたが、まあ、いまと比べれば間違いなく酷かった。「そういうのもありましたけど、今回の女子の下着みたいなデリケートな話ですよ」 つい私怨込みで興奮してしまいkuniママさんにたしなめられてしまった。そういえばkuniママさんも東葛地区(筆者の野田よりは東京寄り)なので、この程度の管理教育は当たり前か。なるほどそういう「デリケートな話」、あえて話そう。もう筆者もkuniママさんも40代後半、30年も前の話だからいいだろう。 ある男性教師の部屋に遊びに行ったら(昔は学校の先生のアパートに遊びに行く牧歌的な面もあった)、小学生女児の裸写真ばかりのお手製アルバムがぎっしり、あきらかに自分の生徒だったであろう女児のパンチラ写真や着替えの盗撮もあった。「先生ってばエローい」と一緒に行った女子たちはからかっていたが、いま考えればおいおいその教師は事案、である。それでも人気教師だったしのちに校長先生になった(珍しい名前だったので検索で確認済み、いまは定年)。若い人には理解不能だろうが、子どもに対する性が真剣に取り沙汰されなかった昭和の話である。そういう実写の女児本も合法で、普通に書店で売っていた。 中学時代には特定の女子を常に膝に抱く(中2の女子生徒!)男性教師がいた。彼女の心中はどうだったのだろう。「先生ってば贔屓してる~」とこれまた女子はからかっていたが、まさに恐怖の贔屓である。そんなのありえない、作り話、嘘つきと公正世界仮説のお花畑で幸せに生きてきた人や当時を知らない若い人は怒るかもしれないが、かつての声なき声の持ち主はいまも当時のトラウマを心に隠し持っている。昭和の話、思春期の傷、いまさら蒸し返したくないだけだ。本音では教師なんて信用してない 乱暴を覚悟で言うが昭和の日本の学校教育なんて大なり小なりそんなものだった。元軍人が校長だった千葉の某小学校は真冬に半袖半ズボンで意味なく行進させられた。集会中に貧血で倒れた校旗持ち(小学校の話である! ちなみに応援団とかではない)は倒れたまま教師に蹴りを入れられた。部活の殴る蹴るで生徒を病院送りにしてお咎めなしの体育教師もいた。これは筆者の地域ではないが、男女とも高学年にもなって上半身裸で乾布摩擦とはなんだったのだろう(これ、地域差が相当あるようで筆者の元勤務先の先輩は信じてもらえないと嘆いていたが、この乾布摩擦の盗撮写真集も90年代くらいまで専門書店を中心に売られていた)。いずれも昭和50年代、半世紀も遡らない話である。ガンガン躾けてくれと地元有力者が牛耳るPTAも共犯だった。子どもの尊厳や羞恥心など一蹴された。「だから本音では教師なんて信用してないんです。モンスターペアレンツなんて言われますけど、団塊ジュニアの親の場合、そんなトラウマのせいもあると思うんです」 あくまでもkuniママさんの意見だが納得できる部分はある。現代の親世代の教師や学校に対する不信は、かつての学校教育と理不尽な管理教育、そしてコンプライアンスと無縁の生徒指導にあるのかもしれない。それなのに、いまだに社会から隔絶した昭和のルールで子どもを支配する学校が存在する。ましてや女子の下着の色を決め、そのチェックをするような学校だ。こんな意味のない校則、なぜ正せないのか。「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
もちろんある。昔はもっとひどかった。筆者が中学生時代を過ごした1980年代の千葉(東葛地域)といえば「東の千葉、西の愛知」と呼ばれ管理教育で悪名を轟かせた。男子は3年間全員丸坊主、部活で負ければ校庭のど真ん中で炎天下に5時間立たされ、担任がぎょう虫検査陽性者(嫌いな生徒)の発表、日の丸のポールに抱きついて蝉のマネしろとミンミン鳴かされる。クラス対抗の歌声発表会で1位をとらなかったら全員コンクリートの上に放課後まで正座、男子女子関係なく殴る蹴るは普通だった。もちろん東葛地域でも学区や教師によってまともな人はいたが、まあ、いまと比べれば間違いなく酷かった。「そういうのもありましたけど、今回の女子の下着みたいなデリケートな話ですよ」 つい私怨込みで興奮してしまいkuniママさんにたしなめられてしまった。そういえばkuniママさんも東葛地区(筆者の野田よりは東京寄り)なので、この程度の管理教育は当たり前か。なるほどそういう「デリケートな話」、あえて話そう。もう筆者もkuniママさんも40代後半、30年も前の話だからいいだろう。 ある男性教師の部屋に遊びに行ったら(昔は学校の先生のアパートに遊びに行く牧歌的な面もあった)、小学生女児の裸写真ばかりのお手製アルバムがぎっしり、あきらかに自分の生徒だったであろう女児のパンチラ写真や着替えの盗撮もあった。「先生ってばエローい」と一緒に行った女子たちはからかっていたが、いま考えればおいおいその教師は事案、である。それでも人気教師だったしのちに校長先生になった(珍しい名前だったので検索で確認済み、いまは定年)。若い人には理解不能だろうが、子どもに対する性が真剣に取り沙汰されなかった昭和の話である。そういう実写の女児本も合法で、普通に書店で売っていた。 中学時代には特定の女子を常に膝に抱く(中2の女子生徒!)男性教師がいた。彼女の心中はどうだったのだろう。「先生ってば贔屓してる~」とこれまた女子はからかっていたが、まさに恐怖の贔屓である。そんなのありえない、作り話、嘘つきと公正世界仮説のお花畑で幸せに生きてきた人や当時を知らない若い人は怒るかもしれないが、かつての声なき声の持ち主はいまも当時のトラウマを心に隠し持っている。昭和の話、思春期の傷、いまさら蒸し返したくないだけだ。本音では教師なんて信用してない 乱暴を覚悟で言うが昭和の日本の学校教育なんて大なり小なりそんなものだった。元軍人が校長だった千葉の某小学校は真冬に半袖半ズボンで意味なく行進させられた。集会中に貧血で倒れた校旗持ち(小学校の話である! ちなみに応援団とかではない)は倒れたまま教師に蹴りを入れられた。部活の殴る蹴るで生徒を病院送りにしてお咎めなしの体育教師もいた。これは筆者の地域ではないが、男女とも高学年にもなって上半身裸で乾布摩擦とはなんだったのだろう(これ、地域差が相当あるようで筆者の元勤務先の先輩は信じてもらえないと嘆いていたが、この乾布摩擦の盗撮写真集も90年代くらいまで専門書店を中心に売られていた)。いずれも昭和50年代、半世紀も遡らない話である。ガンガン躾けてくれと地元有力者が牛耳るPTAも共犯だった。子どもの尊厳や羞恥心など一蹴された。「だから本音では教師なんて信用してないんです。モンスターペアレンツなんて言われますけど、団塊ジュニアの親の場合、そんなトラウマのせいもあると思うんです」 あくまでもkuniママさんの意見だが納得できる部分はある。現代の親世代の教師や学校に対する不信は、かつての学校教育と理不尽な管理教育、そしてコンプライアンスと無縁の生徒指導にあるのかもしれない。それなのに、いまだに社会から隔絶した昭和のルールで子どもを支配する学校が存在する。ましてや女子の下着の色を決め、そのチェックをするような学校だ。こんな意味のない校則、なぜ正せないのか。「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
「そういうのもありましたけど、今回の女子の下着みたいなデリケートな話ですよ」 つい私怨込みで興奮してしまいkuniママさんにたしなめられてしまった。そういえばkuniママさんも東葛地区(筆者の野田よりは東京寄り)なので、この程度の管理教育は当たり前か。なるほどそういう「デリケートな話」、あえて話そう。もう筆者もkuniママさんも40代後半、30年も前の話だからいいだろう。 ある男性教師の部屋に遊びに行ったら(昔は学校の先生のアパートに遊びに行く牧歌的な面もあった)、小学生女児の裸写真ばかりのお手製アルバムがぎっしり、あきらかに自分の生徒だったであろう女児のパンチラ写真や着替えの盗撮もあった。「先生ってばエローい」と一緒に行った女子たちはからかっていたが、いま考えればおいおいその教師は事案、である。それでも人気教師だったしのちに校長先生になった(珍しい名前だったので検索で確認済み、いまは定年)。若い人には理解不能だろうが、子どもに対する性が真剣に取り沙汰されなかった昭和の話である。そういう実写の女児本も合法で、普通に書店で売っていた。 中学時代には特定の女子を常に膝に抱く(中2の女子生徒!)男性教師がいた。彼女の心中はどうだったのだろう。「先生ってば贔屓してる~」とこれまた女子はからかっていたが、まさに恐怖の贔屓である。そんなのありえない、作り話、嘘つきと公正世界仮説のお花畑で幸せに生きてきた人や当時を知らない若い人は怒るかもしれないが、かつての声なき声の持ち主はいまも当時のトラウマを心に隠し持っている。昭和の話、思春期の傷、いまさら蒸し返したくないだけだ。本音では教師なんて信用してない 乱暴を覚悟で言うが昭和の日本の学校教育なんて大なり小なりそんなものだった。元軍人が校長だった千葉の某小学校は真冬に半袖半ズボンで意味なく行進させられた。集会中に貧血で倒れた校旗持ち(小学校の話である! ちなみに応援団とかではない)は倒れたまま教師に蹴りを入れられた。部活の殴る蹴るで生徒を病院送りにしてお咎めなしの体育教師もいた。これは筆者の地域ではないが、男女とも高学年にもなって上半身裸で乾布摩擦とはなんだったのだろう(これ、地域差が相当あるようで筆者の元勤務先の先輩は信じてもらえないと嘆いていたが、この乾布摩擦の盗撮写真集も90年代くらいまで専門書店を中心に売られていた)。いずれも昭和50年代、半世紀も遡らない話である。ガンガン躾けてくれと地元有力者が牛耳るPTAも共犯だった。子どもの尊厳や羞恥心など一蹴された。「だから本音では教師なんて信用してないんです。モンスターペアレンツなんて言われますけど、団塊ジュニアの親の場合、そんなトラウマのせいもあると思うんです」 あくまでもkuniママさんの意見だが納得できる部分はある。現代の親世代の教師や学校に対する不信は、かつての学校教育と理不尽な管理教育、そしてコンプライアンスと無縁の生徒指導にあるのかもしれない。それなのに、いまだに社会から隔絶した昭和のルールで子どもを支配する学校が存在する。ましてや女子の下着の色を決め、そのチェックをするような学校だ。こんな意味のない校則、なぜ正せないのか。「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
つい私怨込みで興奮してしまいkuniママさんにたしなめられてしまった。そういえばkuniママさんも東葛地区(筆者の野田よりは東京寄り)なので、この程度の管理教育は当たり前か。なるほどそういう「デリケートな話」、あえて話そう。もう筆者もkuniママさんも40代後半、30年も前の話だからいいだろう。 ある男性教師の部屋に遊びに行ったら(昔は学校の先生のアパートに遊びに行く牧歌的な面もあった)、小学生女児の裸写真ばかりのお手製アルバムがぎっしり、あきらかに自分の生徒だったであろう女児のパンチラ写真や着替えの盗撮もあった。「先生ってばエローい」と一緒に行った女子たちはからかっていたが、いま考えればおいおいその教師は事案、である。それでも人気教師だったしのちに校長先生になった(珍しい名前だったので検索で確認済み、いまは定年)。若い人には理解不能だろうが、子どもに対する性が真剣に取り沙汰されなかった昭和の話である。そういう実写の女児本も合法で、普通に書店で売っていた。 中学時代には特定の女子を常に膝に抱く(中2の女子生徒!)男性教師がいた。彼女の心中はどうだったのだろう。「先生ってば贔屓してる~」とこれまた女子はからかっていたが、まさに恐怖の贔屓である。そんなのありえない、作り話、嘘つきと公正世界仮説のお花畑で幸せに生きてきた人や当時を知らない若い人は怒るかもしれないが、かつての声なき声の持ち主はいまも当時のトラウマを心に隠し持っている。昭和の話、思春期の傷、いまさら蒸し返したくないだけだ。本音では教師なんて信用してない 乱暴を覚悟で言うが昭和の日本の学校教育なんて大なり小なりそんなものだった。元軍人が校長だった千葉の某小学校は真冬に半袖半ズボンで意味なく行進させられた。集会中に貧血で倒れた校旗持ち(小学校の話である! ちなみに応援団とかではない)は倒れたまま教師に蹴りを入れられた。部活の殴る蹴るで生徒を病院送りにしてお咎めなしの体育教師もいた。これは筆者の地域ではないが、男女とも高学年にもなって上半身裸で乾布摩擦とはなんだったのだろう(これ、地域差が相当あるようで筆者の元勤務先の先輩は信じてもらえないと嘆いていたが、この乾布摩擦の盗撮写真集も90年代くらいまで専門書店を中心に売られていた)。いずれも昭和50年代、半世紀も遡らない話である。ガンガン躾けてくれと地元有力者が牛耳るPTAも共犯だった。子どもの尊厳や羞恥心など一蹴された。「だから本音では教師なんて信用してないんです。モンスターペアレンツなんて言われますけど、団塊ジュニアの親の場合、そんなトラウマのせいもあると思うんです」 あくまでもkuniママさんの意見だが納得できる部分はある。現代の親世代の教師や学校に対する不信は、かつての学校教育と理不尽な管理教育、そしてコンプライアンスと無縁の生徒指導にあるのかもしれない。それなのに、いまだに社会から隔絶した昭和のルールで子どもを支配する学校が存在する。ましてや女子の下着の色を決め、そのチェックをするような学校だ。こんな意味のない校則、なぜ正せないのか。「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
ある男性教師の部屋に遊びに行ったら(昔は学校の先生のアパートに遊びに行く牧歌的な面もあった)、小学生女児の裸写真ばかりのお手製アルバムがぎっしり、あきらかに自分の生徒だったであろう女児のパンチラ写真や着替えの盗撮もあった。「先生ってばエローい」と一緒に行った女子たちはからかっていたが、いま考えればおいおいその教師は事案、である。それでも人気教師だったしのちに校長先生になった(珍しい名前だったので検索で確認済み、いまは定年)。若い人には理解不能だろうが、子どもに対する性が真剣に取り沙汰されなかった昭和の話である。そういう実写の女児本も合法で、普通に書店で売っていた。 中学時代には特定の女子を常に膝に抱く(中2の女子生徒!)男性教師がいた。彼女の心中はどうだったのだろう。「先生ってば贔屓してる~」とこれまた女子はからかっていたが、まさに恐怖の贔屓である。そんなのありえない、作り話、嘘つきと公正世界仮説のお花畑で幸せに生きてきた人や当時を知らない若い人は怒るかもしれないが、かつての声なき声の持ち主はいまも当時のトラウマを心に隠し持っている。昭和の話、思春期の傷、いまさら蒸し返したくないだけだ。本音では教師なんて信用してない 乱暴を覚悟で言うが昭和の日本の学校教育なんて大なり小なりそんなものだった。元軍人が校長だった千葉の某小学校は真冬に半袖半ズボンで意味なく行進させられた。集会中に貧血で倒れた校旗持ち(小学校の話である! ちなみに応援団とかではない)は倒れたまま教師に蹴りを入れられた。部活の殴る蹴るで生徒を病院送りにしてお咎めなしの体育教師もいた。これは筆者の地域ではないが、男女とも高学年にもなって上半身裸で乾布摩擦とはなんだったのだろう(これ、地域差が相当あるようで筆者の元勤務先の先輩は信じてもらえないと嘆いていたが、この乾布摩擦の盗撮写真集も90年代くらいまで専門書店を中心に売られていた)。いずれも昭和50年代、半世紀も遡らない話である。ガンガン躾けてくれと地元有力者が牛耳るPTAも共犯だった。子どもの尊厳や羞恥心など一蹴された。「だから本音では教師なんて信用してないんです。モンスターペアレンツなんて言われますけど、団塊ジュニアの親の場合、そんなトラウマのせいもあると思うんです」 あくまでもkuniママさんの意見だが納得できる部分はある。現代の親世代の教師や学校に対する不信は、かつての学校教育と理不尽な管理教育、そしてコンプライアンスと無縁の生徒指導にあるのかもしれない。それなのに、いまだに社会から隔絶した昭和のルールで子どもを支配する学校が存在する。ましてや女子の下着の色を決め、そのチェックをするような学校だ。こんな意味のない校則、なぜ正せないのか。「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
中学時代には特定の女子を常に膝に抱く(中2の女子生徒!)男性教師がいた。彼女の心中はどうだったのだろう。「先生ってば贔屓してる~」とこれまた女子はからかっていたが、まさに恐怖の贔屓である。そんなのありえない、作り話、嘘つきと公正世界仮説のお花畑で幸せに生きてきた人や当時を知らない若い人は怒るかもしれないが、かつての声なき声の持ち主はいまも当時のトラウマを心に隠し持っている。昭和の話、思春期の傷、いまさら蒸し返したくないだけだ。本音では教師なんて信用してない 乱暴を覚悟で言うが昭和の日本の学校教育なんて大なり小なりそんなものだった。元軍人が校長だった千葉の某小学校は真冬に半袖半ズボンで意味なく行進させられた。集会中に貧血で倒れた校旗持ち(小学校の話である! ちなみに応援団とかではない)は倒れたまま教師に蹴りを入れられた。部活の殴る蹴るで生徒を病院送りにしてお咎めなしの体育教師もいた。これは筆者の地域ではないが、男女とも高学年にもなって上半身裸で乾布摩擦とはなんだったのだろう(これ、地域差が相当あるようで筆者の元勤務先の先輩は信じてもらえないと嘆いていたが、この乾布摩擦の盗撮写真集も90年代くらいまで専門書店を中心に売られていた)。いずれも昭和50年代、半世紀も遡らない話である。ガンガン躾けてくれと地元有力者が牛耳るPTAも共犯だった。子どもの尊厳や羞恥心など一蹴された。「だから本音では教師なんて信用してないんです。モンスターペアレンツなんて言われますけど、団塊ジュニアの親の場合、そんなトラウマのせいもあると思うんです」 あくまでもkuniママさんの意見だが納得できる部分はある。現代の親世代の教師や学校に対する不信は、かつての学校教育と理不尽な管理教育、そしてコンプライアンスと無縁の生徒指導にあるのかもしれない。それなのに、いまだに社会から隔絶した昭和のルールで子どもを支配する学校が存在する。ましてや女子の下着の色を決め、そのチェックをするような学校だ。こんな意味のない校則、なぜ正せないのか。「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
乱暴を覚悟で言うが昭和の日本の学校教育なんて大なり小なりそんなものだった。元軍人が校長だった千葉の某小学校は真冬に半袖半ズボンで意味なく行進させられた。集会中に貧血で倒れた校旗持ち(小学校の話である! ちなみに応援団とかではない)は倒れたまま教師に蹴りを入れられた。部活の殴る蹴るで生徒を病院送りにしてお咎めなしの体育教師もいた。これは筆者の地域ではないが、男女とも高学年にもなって上半身裸で乾布摩擦とはなんだったのだろう(これ、地域差が相当あるようで筆者の元勤務先の先輩は信じてもらえないと嘆いていたが、この乾布摩擦の盗撮写真集も90年代くらいまで専門書店を中心に売られていた)。いずれも昭和50年代、半世紀も遡らない話である。ガンガン躾けてくれと地元有力者が牛耳るPTAも共犯だった。子どもの尊厳や羞恥心など一蹴された。「だから本音では教師なんて信用してないんです。モンスターペアレンツなんて言われますけど、団塊ジュニアの親の場合、そんなトラウマのせいもあると思うんです」 あくまでもkuniママさんの意見だが納得できる部分はある。現代の親世代の教師や学校に対する不信は、かつての学校教育と理不尽な管理教育、そしてコンプライアンスと無縁の生徒指導にあるのかもしれない。それなのに、いまだに社会から隔絶した昭和のルールで子どもを支配する学校が存在する。ましてや女子の下着の色を決め、そのチェックをするような学校だ。こんな意味のない校則、なぜ正せないのか。「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
「だから本音では教師なんて信用してないんです。モンスターペアレンツなんて言われますけど、団塊ジュニアの親の場合、そんなトラウマのせいもあると思うんです」 あくまでもkuniママさんの意見だが納得できる部分はある。現代の親世代の教師や学校に対する不信は、かつての学校教育と理不尽な管理教育、そしてコンプライアンスと無縁の生徒指導にあるのかもしれない。それなのに、いまだに社会から隔絶した昭和のルールで子どもを支配する学校が存在する。ましてや女子の下着の色を決め、そのチェックをするような学校だ。こんな意味のない校則、なぜ正せないのか。「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
あくまでもkuniママさんの意見だが納得できる部分はある。現代の親世代の教師や学校に対する不信は、かつての学校教育と理不尽な管理教育、そしてコンプライアンスと無縁の生徒指導にあるのかもしれない。それなのに、いまだに社会から隔絶した昭和のルールで子どもを支配する学校が存在する。ましてや女子の下着の色を決め、そのチェックをするような学校だ。こんな意味のない校則、なぜ正せないのか。「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
「学校を正すには外圧しかないんだと思います。生徒も保護者も言いにくいです。先生も大半はそうなのかもしれません。そういう意味もあって、こうして話してる部分もあります」 筆者も俳句の関係で知人には教師、とくに引退した元教師も多い。以前、個人的に興味があったので機会あるごとに昭和の管理教育の経緯と真相を聞いてみたが誰も話したがらない。ようやく話を聞けた元教師によれば「理不尽なのはわかっていたが、教師も染まらないと学校で立場がない」「あの時代、教員だって怖い思いはしていた」とのことで、一部の公立中学校には根深い問題があるのだろう。心ある先生も染まってしまうか、同調圧力に声を上げられなくなるのかもしれない。その主犯は学校責任者か、教育委員会か、教職員組合か、地方議会か、自治体か、あるいは地域の風土そのものか ――。「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
「学校の下着チェック、あえて下品に言っちゃいますけど、女子中学生のJCパンティーは純白パンティーが一番でワンポイントな萌え要素が入る分にはOK、ちゃんと白パン履いてるかどうかわかんないからスカートめくって先生が確認しちゃうぞ、ですよね。やってることはいっしょです」 さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
さすがkuniママさん、見事にヘンタイ教師っぽく言い換えてくれた。筆者もkuniママさんも生まれが千葉の東葛地域なので千葉の事例ばかりとなったが(もちろん、同じ当時の千葉県でも地域や学校によって管理教育の温度差はあった)、先にも書いた通り日本全国の一部公立中でこうした「JC(女子中学生)のブラとパンティーは白! 白かどうか先生がチェック!」というヘンタイ行為が行われていることは事実であり、鹿児島市のように校則と行為を全面的に認めて見直しとなった例もある。福岡県でも弁護士会を中心に人権侵害であると声を上げ、静岡県でも市民団体の情報公開請求により見直しが検討されている。 規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
規則は必要だし、学校という集団生活の中で有意な校則があることは認める。しかし学校による中学女子の下着指定とチェックは異常としか言いようがない。異常な強制力による権威を野放しにしてはいけない。時代とともにアップデートできない公教育は国の将来にも害悪である。社会全体の問題としてこの「教師によるJC下着の指定とチェック」という公教育による悪習はいますぐ排除すべきだ。昭和の過去は過去として。 それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
それにしても多感な思春期にこんな目に遭う生徒たち、本当にかわいそう過ぎる。こうした旧来の理不尽もまた、ルッキズムやハラスメント同様、将来に引き継ぐこと無く終わらせなければならない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。
【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社を経てフリーランス。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞(評論部門)受賞。『誰も書けなかったパチンコ20兆円の闇』(宝島社)、『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。近刊『評伝 赤城さかえ 楸邨、波郷、兜太から愛された魂の俳人』(コールサック社)。