上皇陛下の80年来の御学友が「絶縁宣言」 小室圭さん問題の根源と“越えた一線”

「上皇ご夫妻は、日課である朝の音読とご散策は欠かさずに取り組んでおられます。音読の題材は、以前は山本健吉さんの『ことばの歳時記』でしたが、最近は寺田寅彦さんの随筆を集めた『話の種』にかえられました。ご散策は雨の日でも傘をさしながら、お庭に咲く花々などをご覧になっています」(上皇職関係者)
【写真】週刊女性がスクープした眞子さまと小室さん初のツーショット
6月24日、宮内庁は上皇さまが『オキナワハゼ属』の2つの新種を発見されたことを公表した。
「コロナ禍になってからも、上皇さまはライフワークの魚類研究を継続され、皇居にある生物学研究所に週2回ほど通われていました。上皇さまによるハゼの新種発見は18年ぶりで、新種の和名や学名も、ご自身で名づけられました」(皇室担当記者)
上皇さまの研究が一段落し、美智子さまも安心されていることだろう。そうした穏やかな日常を豊かに彩るのが、長年交流のあるご友人からのお便りだという。
「お手紙とともに音楽CDや本、各地域の特産品などが届きます。上皇ご夫妻はそれらをご覧になりながら、思い出話に花を咲かせ、楽しそうに過ごされています。外出が困難でも、身近な発見や感動を大切にされているようです」(前出・上皇職関係者)“おこもり生活”でもご友人との交流を続けられる一方、途絶えてしまった“つながり”もある。「私は今、上皇さまとは絶縁状態です。以前のようにお付き合いすることはもうないと思います」 そう衝撃的な事実を打ち明けたのは、上皇さまと『学習院幼稚園』時代から80年以上にわたってご交流があった明石元紹さん。“上皇さまを最も知る存在”として、ご成婚や即位、生前退位に際してたびたび取材を受けてきた。 ’13年に出版した上皇さまについての著書『今上天皇 つくらざる尊厳 級友が綴る明仁親王』(講談社)には、《学校、疎開、スポーツと、陛下のお傍で過ごす運命になったのである。そのため、日記のように私の生涯をつづると、陛下の思い出が大半を占めてしまうのである》 とあり、上皇さまと過ごされた充実した日々が伝わる。「上皇さまは、生まれつき特別な存在でいらしたことも確かだけど、級友の私から見たら“ふつうの子ども”だったんです」(明石さん、以下同) 学習院初等科時代は日光への疎開をともに経験し、中等科時代からはあだ名で呼び合う仲に。「あのころは身体的特徴のあだ名も平気でつけていて、当時皇太子殿下だった上皇さまのあだ名は“チャブ”でした。スポーツで日焼けされた肌を、蚊取り線香の器に使う茶色い素焼きの豚と重ねて名づけたんです。それほどの仲でした」 当時は敬語を使わず、上皇さまも特別扱いされないことがうれしいご様子だったという。 高等科時代には馬術部のチームメートだったおふたり。大学以降は別々の道を歩むも、ご交流は続いた。「上皇さまの皇太子時代は、休日をご一緒に過ごし、頻繁に馬術のお供をしました。多い年には年間40回、お住まいの東宮御所に伺いました」 天皇に即位されてからは、上皇さまは「けがをして、自分の責務に支障が生じれば、国民や国家に申し訳ない」と乗馬をおやめに。 しかし、明石さんのことは気の置けないご学友として、その後も頼りにされたという。「怒っていることを示したかった」「’16年8月、上皇さまは実質的に生前退位の意向を表明するビデオメッセージを公表されましたが、私はその約2週間前にお電話を頂戴しました。私が学友としてマスコミの取材を受けることを踏まえられたのか、“誤った情報を伝えてほしくないので、明石には自分の考えを知っておいてほしい”というニュアンスだったと思います」 生前退位のご意向を事前に打ち明けるほどの固い信頼関係に、いったい何があったのか─。「コロナ禍以前は年に1度、学習院初等科時代の同窓会があり、上皇さまは毎年おいでになっていました。最後に開催されたのは上皇さまが退位された後の’19年だったと思います。例年どおり、会の準備を私も手伝いましたが、当日は出席しなかった。なぜなら“私が怒っていること”を上皇さまに示したかったからです」 明石さんは「陛下は今も気づいておられないかもしれないけれど……」と、少しうつむいたが、こう続けた。「長い間、私が敬愛してきたのは、ご自身たちを犠牲にして国民のこと、そして世界平和のことを第一に考えてくださる皇室でした。ですが、今の皇室に対して私はそうは思いません。皇室は変わってしまった。 その顕著な例が、眞子さまと小室圭さんの結婚問題です。国民がコロナ禍に苦しんでいる中で、“公”より“私”を優先している皇室のことは信じられません」 眞子さまと小室さんの結婚問題が、上皇さまと明石さんの友情を切り裂くきっかけの1つになっていたのだ。明石さんは語気を強める。「このような皇室をつくられたのは上皇ご夫妻だと思うのです。おふたりはご結婚後に“ふつうの生活”を送ろうとなさった。“国民の気持ちを知るには、皇室も一般家庭と同じような暮らしをするべきだ”とお考えになったのでしょうが、その努力が結果的に逆効果をもたらしてしまったのです」 ’59年4月、民間から初めて皇室に嫁がれた美智子さまは“あたたかい家庭”を築くためにさまざまな慣例を変えてこられた。 例えば、それまでの皇室では親が直接養育することはなく乳人制度の慣例があったが、子どもたちを手元に置いて育てられた。 また、食事は宮内庁の『大膳課』という料理部の仕事だったが、美智子さまはお住まいにキッチンを設け、ご自分で料理をされることもあった。明石さんも、平成時代に皇居で美智子さまの手料理をいただいたという。「上皇ご夫妻も私も、子どもたちが結婚したころの冬の晩、同級生夫婦4組で皇居にお邪魔しました。久々の世間話で盛り上がる私たちに、美智子さまは手料理のお鍋をご馳走してくださったのです。鍋物を選ばれたのは、私たちのふだんの食事を意識されたからなのかもしれません」国民に近づきすぎてしまった“皇室” しかし、明石さんは上皇ご夫妻が吹き込まれたこの“新しい風”こそが、現在の皇室を形成してしまった根源だと考えている。「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
「私は今、上皇さまとは絶縁状態です。以前のようにお付き合いすることはもうないと思います」 そう衝撃的な事実を打ち明けたのは、上皇さまと『学習院幼稚園』時代から80年以上にわたってご交流があった明石元紹さん。“上皇さまを最も知る存在”として、ご成婚や即位、生前退位に際してたびたび取材を受けてきた。 ’13年に出版した上皇さまについての著書『今上天皇 つくらざる尊厳 級友が綴る明仁親王』(講談社)には、《学校、疎開、スポーツと、陛下のお傍で過ごす運命になったのである。そのため、日記のように私の生涯をつづると、陛下の思い出が大半を占めてしまうのである》 とあり、上皇さまと過ごされた充実した日々が伝わる。「上皇さまは、生まれつき特別な存在でいらしたことも確かだけど、級友の私から見たら“ふつうの子ども”だったんです」(明石さん、以下同) 学習院初等科時代は日光への疎開をともに経験し、中等科時代からはあだ名で呼び合う仲に。「あのころは身体的特徴のあだ名も平気でつけていて、当時皇太子殿下だった上皇さまのあだ名は“チャブ”でした。スポーツで日焼けされた肌を、蚊取り線香の器に使う茶色い素焼きの豚と重ねて名づけたんです。それほどの仲でした」 当時は敬語を使わず、上皇さまも特別扱いされないことがうれしいご様子だったという。 高等科時代には馬術部のチームメートだったおふたり。大学以降は別々の道を歩むも、ご交流は続いた。「上皇さまの皇太子時代は、休日をご一緒に過ごし、頻繁に馬術のお供をしました。多い年には年間40回、お住まいの東宮御所に伺いました」 天皇に即位されてからは、上皇さまは「けがをして、自分の責務に支障が生じれば、国民や国家に申し訳ない」と乗馬をおやめに。 しかし、明石さんのことは気の置けないご学友として、その後も頼りにされたという。「怒っていることを示したかった」「’16年8月、上皇さまは実質的に生前退位の意向を表明するビデオメッセージを公表されましたが、私はその約2週間前にお電話を頂戴しました。私が学友としてマスコミの取材を受けることを踏まえられたのか、“誤った情報を伝えてほしくないので、明石には自分の考えを知っておいてほしい”というニュアンスだったと思います」 生前退位のご意向を事前に打ち明けるほどの固い信頼関係に、いったい何があったのか─。「コロナ禍以前は年に1度、学習院初等科時代の同窓会があり、上皇さまは毎年おいでになっていました。最後に開催されたのは上皇さまが退位された後の’19年だったと思います。例年どおり、会の準備を私も手伝いましたが、当日は出席しなかった。なぜなら“私が怒っていること”を上皇さまに示したかったからです」 明石さんは「陛下は今も気づいておられないかもしれないけれど……」と、少しうつむいたが、こう続けた。「長い間、私が敬愛してきたのは、ご自身たちを犠牲にして国民のこと、そして世界平和のことを第一に考えてくださる皇室でした。ですが、今の皇室に対して私はそうは思いません。皇室は変わってしまった。 その顕著な例が、眞子さまと小室圭さんの結婚問題です。国民がコロナ禍に苦しんでいる中で、“公”より“私”を優先している皇室のことは信じられません」 眞子さまと小室さんの結婚問題が、上皇さまと明石さんの友情を切り裂くきっかけの1つになっていたのだ。明石さんは語気を強める。「このような皇室をつくられたのは上皇ご夫妻だと思うのです。おふたりはご結婚後に“ふつうの生活”を送ろうとなさった。“国民の気持ちを知るには、皇室も一般家庭と同じような暮らしをするべきだ”とお考えになったのでしょうが、その努力が結果的に逆効果をもたらしてしまったのです」 ’59年4月、民間から初めて皇室に嫁がれた美智子さまは“あたたかい家庭”を築くためにさまざまな慣例を変えてこられた。 例えば、それまでの皇室では親が直接養育することはなく乳人制度の慣例があったが、子どもたちを手元に置いて育てられた。 また、食事は宮内庁の『大膳課』という料理部の仕事だったが、美智子さまはお住まいにキッチンを設け、ご自分で料理をされることもあった。明石さんも、平成時代に皇居で美智子さまの手料理をいただいたという。「上皇ご夫妻も私も、子どもたちが結婚したころの冬の晩、同級生夫婦4組で皇居にお邪魔しました。久々の世間話で盛り上がる私たちに、美智子さまは手料理のお鍋をご馳走してくださったのです。鍋物を選ばれたのは、私たちのふだんの食事を意識されたからなのかもしれません」国民に近づきすぎてしまった“皇室” しかし、明石さんは上皇ご夫妻が吹き込まれたこの“新しい風”こそが、現在の皇室を形成してしまった根源だと考えている。「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
そう衝撃的な事実を打ち明けたのは、上皇さまと『学習院幼稚園』時代から80年以上にわたってご交流があった明石元紹さん。“上皇さまを最も知る存在”として、ご成婚や即位、生前退位に際してたびたび取材を受けてきた。 ’13年に出版した上皇さまについての著書『今上天皇 つくらざる尊厳 級友が綴る明仁親王』(講談社)には、《学校、疎開、スポーツと、陛下のお傍で過ごす運命になったのである。そのため、日記のように私の生涯をつづると、陛下の思い出が大半を占めてしまうのである》 とあり、上皇さまと過ごされた充実した日々が伝わる。「上皇さまは、生まれつき特別な存在でいらしたことも確かだけど、級友の私から見たら“ふつうの子ども”だったんです」(明石さん、以下同) 学習院初等科時代は日光への疎開をともに経験し、中等科時代からはあだ名で呼び合う仲に。「あのころは身体的特徴のあだ名も平気でつけていて、当時皇太子殿下だった上皇さまのあだ名は“チャブ”でした。スポーツで日焼けされた肌を、蚊取り線香の器に使う茶色い素焼きの豚と重ねて名づけたんです。それほどの仲でした」 当時は敬語を使わず、上皇さまも特別扱いされないことがうれしいご様子だったという。 高等科時代には馬術部のチームメートだったおふたり。大学以降は別々の道を歩むも、ご交流は続いた。「上皇さまの皇太子時代は、休日をご一緒に過ごし、頻繁に馬術のお供をしました。多い年には年間40回、お住まいの東宮御所に伺いました」 天皇に即位されてからは、上皇さまは「けがをして、自分の責務に支障が生じれば、国民や国家に申し訳ない」と乗馬をおやめに。 しかし、明石さんのことは気の置けないご学友として、その後も頼りにされたという。「怒っていることを示したかった」「’16年8月、上皇さまは実質的に生前退位の意向を表明するビデオメッセージを公表されましたが、私はその約2週間前にお電話を頂戴しました。私が学友としてマスコミの取材を受けることを踏まえられたのか、“誤った情報を伝えてほしくないので、明石には自分の考えを知っておいてほしい”というニュアンスだったと思います」 生前退位のご意向を事前に打ち明けるほどの固い信頼関係に、いったい何があったのか─。「コロナ禍以前は年に1度、学習院初等科時代の同窓会があり、上皇さまは毎年おいでになっていました。最後に開催されたのは上皇さまが退位された後の’19年だったと思います。例年どおり、会の準備を私も手伝いましたが、当日は出席しなかった。なぜなら“私が怒っていること”を上皇さまに示したかったからです」 明石さんは「陛下は今も気づいておられないかもしれないけれど……」と、少しうつむいたが、こう続けた。「長い間、私が敬愛してきたのは、ご自身たちを犠牲にして国民のこと、そして世界平和のことを第一に考えてくださる皇室でした。ですが、今の皇室に対して私はそうは思いません。皇室は変わってしまった。 その顕著な例が、眞子さまと小室圭さんの結婚問題です。国民がコロナ禍に苦しんでいる中で、“公”より“私”を優先している皇室のことは信じられません」 眞子さまと小室さんの結婚問題が、上皇さまと明石さんの友情を切り裂くきっかけの1つになっていたのだ。明石さんは語気を強める。「このような皇室をつくられたのは上皇ご夫妻だと思うのです。おふたりはご結婚後に“ふつうの生活”を送ろうとなさった。“国民の気持ちを知るには、皇室も一般家庭と同じような暮らしをするべきだ”とお考えになったのでしょうが、その努力が結果的に逆効果をもたらしてしまったのです」 ’59年4月、民間から初めて皇室に嫁がれた美智子さまは“あたたかい家庭”を築くためにさまざまな慣例を変えてこられた。 例えば、それまでの皇室では親が直接養育することはなく乳人制度の慣例があったが、子どもたちを手元に置いて育てられた。 また、食事は宮内庁の『大膳課』という料理部の仕事だったが、美智子さまはお住まいにキッチンを設け、ご自分で料理をされることもあった。明石さんも、平成時代に皇居で美智子さまの手料理をいただいたという。「上皇ご夫妻も私も、子どもたちが結婚したころの冬の晩、同級生夫婦4組で皇居にお邪魔しました。久々の世間話で盛り上がる私たちに、美智子さまは手料理のお鍋をご馳走してくださったのです。鍋物を選ばれたのは、私たちのふだんの食事を意識されたからなのかもしれません」国民に近づきすぎてしまった“皇室” しかし、明石さんは上皇ご夫妻が吹き込まれたこの“新しい風”こそが、現在の皇室を形成してしまった根源だと考えている。「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
’13年に出版した上皇さまについての著書『今上天皇 つくらざる尊厳 級友が綴る明仁親王』(講談社)には、《学校、疎開、スポーツと、陛下のお傍で過ごす運命になったのである。そのため、日記のように私の生涯をつづると、陛下の思い出が大半を占めてしまうのである》 とあり、上皇さまと過ごされた充実した日々が伝わる。「上皇さまは、生まれつき特別な存在でいらしたことも確かだけど、級友の私から見たら“ふつうの子ども”だったんです」(明石さん、以下同) 学習院初等科時代は日光への疎開をともに経験し、中等科時代からはあだ名で呼び合う仲に。「あのころは身体的特徴のあだ名も平気でつけていて、当時皇太子殿下だった上皇さまのあだ名は“チャブ”でした。スポーツで日焼けされた肌を、蚊取り線香の器に使う茶色い素焼きの豚と重ねて名づけたんです。それほどの仲でした」 当時は敬語を使わず、上皇さまも特別扱いされないことがうれしいご様子だったという。 高等科時代には馬術部のチームメートだったおふたり。大学以降は別々の道を歩むも、ご交流は続いた。「上皇さまの皇太子時代は、休日をご一緒に過ごし、頻繁に馬術のお供をしました。多い年には年間40回、お住まいの東宮御所に伺いました」 天皇に即位されてからは、上皇さまは「けがをして、自分の責務に支障が生じれば、国民や国家に申し訳ない」と乗馬をおやめに。 しかし、明石さんのことは気の置けないご学友として、その後も頼りにされたという。「怒っていることを示したかった」「’16年8月、上皇さまは実質的に生前退位の意向を表明するビデオメッセージを公表されましたが、私はその約2週間前にお電話を頂戴しました。私が学友としてマスコミの取材を受けることを踏まえられたのか、“誤った情報を伝えてほしくないので、明石には自分の考えを知っておいてほしい”というニュアンスだったと思います」 生前退位のご意向を事前に打ち明けるほどの固い信頼関係に、いったい何があったのか─。「コロナ禍以前は年に1度、学習院初等科時代の同窓会があり、上皇さまは毎年おいでになっていました。最後に開催されたのは上皇さまが退位された後の’19年だったと思います。例年どおり、会の準備を私も手伝いましたが、当日は出席しなかった。なぜなら“私が怒っていること”を上皇さまに示したかったからです」 明石さんは「陛下は今も気づいておられないかもしれないけれど……」と、少しうつむいたが、こう続けた。「長い間、私が敬愛してきたのは、ご自身たちを犠牲にして国民のこと、そして世界平和のことを第一に考えてくださる皇室でした。ですが、今の皇室に対して私はそうは思いません。皇室は変わってしまった。 その顕著な例が、眞子さまと小室圭さんの結婚問題です。国民がコロナ禍に苦しんでいる中で、“公”より“私”を優先している皇室のことは信じられません」 眞子さまと小室さんの結婚問題が、上皇さまと明石さんの友情を切り裂くきっかけの1つになっていたのだ。明石さんは語気を強める。「このような皇室をつくられたのは上皇ご夫妻だと思うのです。おふたりはご結婚後に“ふつうの生活”を送ろうとなさった。“国民の気持ちを知るには、皇室も一般家庭と同じような暮らしをするべきだ”とお考えになったのでしょうが、その努力が結果的に逆効果をもたらしてしまったのです」 ’59年4月、民間から初めて皇室に嫁がれた美智子さまは“あたたかい家庭”を築くためにさまざまな慣例を変えてこられた。 例えば、それまでの皇室では親が直接養育することはなく乳人制度の慣例があったが、子どもたちを手元に置いて育てられた。 また、食事は宮内庁の『大膳課』という料理部の仕事だったが、美智子さまはお住まいにキッチンを設け、ご自分で料理をされることもあった。明石さんも、平成時代に皇居で美智子さまの手料理をいただいたという。「上皇ご夫妻も私も、子どもたちが結婚したころの冬の晩、同級生夫婦4組で皇居にお邪魔しました。久々の世間話で盛り上がる私たちに、美智子さまは手料理のお鍋をご馳走してくださったのです。鍋物を選ばれたのは、私たちのふだんの食事を意識されたからなのかもしれません」国民に近づきすぎてしまった“皇室” しかし、明石さんは上皇ご夫妻が吹き込まれたこの“新しい風”こそが、現在の皇室を形成してしまった根源だと考えている。「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
とあり、上皇さまと過ごされた充実した日々が伝わる。「上皇さまは、生まれつき特別な存在でいらしたことも確かだけど、級友の私から見たら“ふつうの子ども”だったんです」(明石さん、以下同) 学習院初等科時代は日光への疎開をともに経験し、中等科時代からはあだ名で呼び合う仲に。「あのころは身体的特徴のあだ名も平気でつけていて、当時皇太子殿下だった上皇さまのあだ名は“チャブ”でした。スポーツで日焼けされた肌を、蚊取り線香の器に使う茶色い素焼きの豚と重ねて名づけたんです。それほどの仲でした」 当時は敬語を使わず、上皇さまも特別扱いされないことがうれしいご様子だったという。 高等科時代には馬術部のチームメートだったおふたり。大学以降は別々の道を歩むも、ご交流は続いた。「上皇さまの皇太子時代は、休日をご一緒に過ごし、頻繁に馬術のお供をしました。多い年には年間40回、お住まいの東宮御所に伺いました」 天皇に即位されてからは、上皇さまは「けがをして、自分の責務に支障が生じれば、国民や国家に申し訳ない」と乗馬をおやめに。 しかし、明石さんのことは気の置けないご学友として、その後も頼りにされたという。「怒っていることを示したかった」「’16年8月、上皇さまは実質的に生前退位の意向を表明するビデオメッセージを公表されましたが、私はその約2週間前にお電話を頂戴しました。私が学友としてマスコミの取材を受けることを踏まえられたのか、“誤った情報を伝えてほしくないので、明石には自分の考えを知っておいてほしい”というニュアンスだったと思います」 生前退位のご意向を事前に打ち明けるほどの固い信頼関係に、いったい何があったのか─。「コロナ禍以前は年に1度、学習院初等科時代の同窓会があり、上皇さまは毎年おいでになっていました。最後に開催されたのは上皇さまが退位された後の’19年だったと思います。例年どおり、会の準備を私も手伝いましたが、当日は出席しなかった。なぜなら“私が怒っていること”を上皇さまに示したかったからです」 明石さんは「陛下は今も気づいておられないかもしれないけれど……」と、少しうつむいたが、こう続けた。「長い間、私が敬愛してきたのは、ご自身たちを犠牲にして国民のこと、そして世界平和のことを第一に考えてくださる皇室でした。ですが、今の皇室に対して私はそうは思いません。皇室は変わってしまった。 その顕著な例が、眞子さまと小室圭さんの結婚問題です。国民がコロナ禍に苦しんでいる中で、“公”より“私”を優先している皇室のことは信じられません」 眞子さまと小室さんの結婚問題が、上皇さまと明石さんの友情を切り裂くきっかけの1つになっていたのだ。明石さんは語気を強める。「このような皇室をつくられたのは上皇ご夫妻だと思うのです。おふたりはご結婚後に“ふつうの生活”を送ろうとなさった。“国民の気持ちを知るには、皇室も一般家庭と同じような暮らしをするべきだ”とお考えになったのでしょうが、その努力が結果的に逆効果をもたらしてしまったのです」 ’59年4月、民間から初めて皇室に嫁がれた美智子さまは“あたたかい家庭”を築くためにさまざまな慣例を変えてこられた。 例えば、それまでの皇室では親が直接養育することはなく乳人制度の慣例があったが、子どもたちを手元に置いて育てられた。 また、食事は宮内庁の『大膳課』という料理部の仕事だったが、美智子さまはお住まいにキッチンを設け、ご自分で料理をされることもあった。明石さんも、平成時代に皇居で美智子さまの手料理をいただいたという。「上皇ご夫妻も私も、子どもたちが結婚したころの冬の晩、同級生夫婦4組で皇居にお邪魔しました。久々の世間話で盛り上がる私たちに、美智子さまは手料理のお鍋をご馳走してくださったのです。鍋物を選ばれたのは、私たちのふだんの食事を意識されたからなのかもしれません」国民に近づきすぎてしまった“皇室” しかし、明石さんは上皇ご夫妻が吹き込まれたこの“新しい風”こそが、現在の皇室を形成してしまった根源だと考えている。「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
「上皇さまは、生まれつき特別な存在でいらしたことも確かだけど、級友の私から見たら“ふつうの子ども”だったんです」(明石さん、以下同) 学習院初等科時代は日光への疎開をともに経験し、中等科時代からはあだ名で呼び合う仲に。「あのころは身体的特徴のあだ名も平気でつけていて、当時皇太子殿下だった上皇さまのあだ名は“チャブ”でした。スポーツで日焼けされた肌を、蚊取り線香の器に使う茶色い素焼きの豚と重ねて名づけたんです。それほどの仲でした」 当時は敬語を使わず、上皇さまも特別扱いされないことがうれしいご様子だったという。 高等科時代には馬術部のチームメートだったおふたり。大学以降は別々の道を歩むも、ご交流は続いた。「上皇さまの皇太子時代は、休日をご一緒に過ごし、頻繁に馬術のお供をしました。多い年には年間40回、お住まいの東宮御所に伺いました」 天皇に即位されてからは、上皇さまは「けがをして、自分の責務に支障が生じれば、国民や国家に申し訳ない」と乗馬をおやめに。 しかし、明石さんのことは気の置けないご学友として、その後も頼りにされたという。「怒っていることを示したかった」「’16年8月、上皇さまは実質的に生前退位の意向を表明するビデオメッセージを公表されましたが、私はその約2週間前にお電話を頂戴しました。私が学友としてマスコミの取材を受けることを踏まえられたのか、“誤った情報を伝えてほしくないので、明石には自分の考えを知っておいてほしい”というニュアンスだったと思います」 生前退位のご意向を事前に打ち明けるほどの固い信頼関係に、いったい何があったのか─。「コロナ禍以前は年に1度、学習院初等科時代の同窓会があり、上皇さまは毎年おいでになっていました。最後に開催されたのは上皇さまが退位された後の’19年だったと思います。例年どおり、会の準備を私も手伝いましたが、当日は出席しなかった。なぜなら“私が怒っていること”を上皇さまに示したかったからです」 明石さんは「陛下は今も気づいておられないかもしれないけれど……」と、少しうつむいたが、こう続けた。「長い間、私が敬愛してきたのは、ご自身たちを犠牲にして国民のこと、そして世界平和のことを第一に考えてくださる皇室でした。ですが、今の皇室に対して私はそうは思いません。皇室は変わってしまった。 その顕著な例が、眞子さまと小室圭さんの結婚問題です。国民がコロナ禍に苦しんでいる中で、“公”より“私”を優先している皇室のことは信じられません」 眞子さまと小室さんの結婚問題が、上皇さまと明石さんの友情を切り裂くきっかけの1つになっていたのだ。明石さんは語気を強める。「このような皇室をつくられたのは上皇ご夫妻だと思うのです。おふたりはご結婚後に“ふつうの生活”を送ろうとなさった。“国民の気持ちを知るには、皇室も一般家庭と同じような暮らしをするべきだ”とお考えになったのでしょうが、その努力が結果的に逆効果をもたらしてしまったのです」 ’59年4月、民間から初めて皇室に嫁がれた美智子さまは“あたたかい家庭”を築くためにさまざまな慣例を変えてこられた。 例えば、それまでの皇室では親が直接養育することはなく乳人制度の慣例があったが、子どもたちを手元に置いて育てられた。 また、食事は宮内庁の『大膳課』という料理部の仕事だったが、美智子さまはお住まいにキッチンを設け、ご自分で料理をされることもあった。明石さんも、平成時代に皇居で美智子さまの手料理をいただいたという。「上皇ご夫妻も私も、子どもたちが結婚したころの冬の晩、同級生夫婦4組で皇居にお邪魔しました。久々の世間話で盛り上がる私たちに、美智子さまは手料理のお鍋をご馳走してくださったのです。鍋物を選ばれたのは、私たちのふだんの食事を意識されたからなのかもしれません」国民に近づきすぎてしまった“皇室” しかし、明石さんは上皇ご夫妻が吹き込まれたこの“新しい風”こそが、現在の皇室を形成してしまった根源だと考えている。「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
学習院初等科時代は日光への疎開をともに経験し、中等科時代からはあだ名で呼び合う仲に。「あのころは身体的特徴のあだ名も平気でつけていて、当時皇太子殿下だった上皇さまのあだ名は“チャブ”でした。スポーツで日焼けされた肌を、蚊取り線香の器に使う茶色い素焼きの豚と重ねて名づけたんです。それほどの仲でした」 当時は敬語を使わず、上皇さまも特別扱いされないことがうれしいご様子だったという。 高等科時代には馬術部のチームメートだったおふたり。大学以降は別々の道を歩むも、ご交流は続いた。「上皇さまの皇太子時代は、休日をご一緒に過ごし、頻繁に馬術のお供をしました。多い年には年間40回、お住まいの東宮御所に伺いました」 天皇に即位されてからは、上皇さまは「けがをして、自分の責務に支障が生じれば、国民や国家に申し訳ない」と乗馬をおやめに。 しかし、明石さんのことは気の置けないご学友として、その後も頼りにされたという。「怒っていることを示したかった」「’16年8月、上皇さまは実質的に生前退位の意向を表明するビデオメッセージを公表されましたが、私はその約2週間前にお電話を頂戴しました。私が学友としてマスコミの取材を受けることを踏まえられたのか、“誤った情報を伝えてほしくないので、明石には自分の考えを知っておいてほしい”というニュアンスだったと思います」 生前退位のご意向を事前に打ち明けるほどの固い信頼関係に、いったい何があったのか─。「コロナ禍以前は年に1度、学習院初等科時代の同窓会があり、上皇さまは毎年おいでになっていました。最後に開催されたのは上皇さまが退位された後の’19年だったと思います。例年どおり、会の準備を私も手伝いましたが、当日は出席しなかった。なぜなら“私が怒っていること”を上皇さまに示したかったからです」 明石さんは「陛下は今も気づいておられないかもしれないけれど……」と、少しうつむいたが、こう続けた。「長い間、私が敬愛してきたのは、ご自身たちを犠牲にして国民のこと、そして世界平和のことを第一に考えてくださる皇室でした。ですが、今の皇室に対して私はそうは思いません。皇室は変わってしまった。 その顕著な例が、眞子さまと小室圭さんの結婚問題です。国民がコロナ禍に苦しんでいる中で、“公”より“私”を優先している皇室のことは信じられません」 眞子さまと小室さんの結婚問題が、上皇さまと明石さんの友情を切り裂くきっかけの1つになっていたのだ。明石さんは語気を強める。「このような皇室をつくられたのは上皇ご夫妻だと思うのです。おふたりはご結婚後に“ふつうの生活”を送ろうとなさった。“国民の気持ちを知るには、皇室も一般家庭と同じような暮らしをするべきだ”とお考えになったのでしょうが、その努力が結果的に逆効果をもたらしてしまったのです」 ’59年4月、民間から初めて皇室に嫁がれた美智子さまは“あたたかい家庭”を築くためにさまざまな慣例を変えてこられた。 例えば、それまでの皇室では親が直接養育することはなく乳人制度の慣例があったが、子どもたちを手元に置いて育てられた。 また、食事は宮内庁の『大膳課』という料理部の仕事だったが、美智子さまはお住まいにキッチンを設け、ご自分で料理をされることもあった。明石さんも、平成時代に皇居で美智子さまの手料理をいただいたという。「上皇ご夫妻も私も、子どもたちが結婚したころの冬の晩、同級生夫婦4組で皇居にお邪魔しました。久々の世間話で盛り上がる私たちに、美智子さまは手料理のお鍋をご馳走してくださったのです。鍋物を選ばれたのは、私たちのふだんの食事を意識されたからなのかもしれません」国民に近づきすぎてしまった“皇室” しかし、明石さんは上皇ご夫妻が吹き込まれたこの“新しい風”こそが、現在の皇室を形成してしまった根源だと考えている。「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
「あのころは身体的特徴のあだ名も平気でつけていて、当時皇太子殿下だった上皇さまのあだ名は“チャブ”でした。スポーツで日焼けされた肌を、蚊取り線香の器に使う茶色い素焼きの豚と重ねて名づけたんです。それほどの仲でした」 当時は敬語を使わず、上皇さまも特別扱いされないことがうれしいご様子だったという。 高等科時代には馬術部のチームメートだったおふたり。大学以降は別々の道を歩むも、ご交流は続いた。「上皇さまの皇太子時代は、休日をご一緒に過ごし、頻繁に馬術のお供をしました。多い年には年間40回、お住まいの東宮御所に伺いました」 天皇に即位されてからは、上皇さまは「けがをして、自分の責務に支障が生じれば、国民や国家に申し訳ない」と乗馬をおやめに。 しかし、明石さんのことは気の置けないご学友として、その後も頼りにされたという。「怒っていることを示したかった」「’16年8月、上皇さまは実質的に生前退位の意向を表明するビデオメッセージを公表されましたが、私はその約2週間前にお電話を頂戴しました。私が学友としてマスコミの取材を受けることを踏まえられたのか、“誤った情報を伝えてほしくないので、明石には自分の考えを知っておいてほしい”というニュアンスだったと思います」 生前退位のご意向を事前に打ち明けるほどの固い信頼関係に、いったい何があったのか─。「コロナ禍以前は年に1度、学習院初等科時代の同窓会があり、上皇さまは毎年おいでになっていました。最後に開催されたのは上皇さまが退位された後の’19年だったと思います。例年どおり、会の準備を私も手伝いましたが、当日は出席しなかった。なぜなら“私が怒っていること”を上皇さまに示したかったからです」 明石さんは「陛下は今も気づいておられないかもしれないけれど……」と、少しうつむいたが、こう続けた。「長い間、私が敬愛してきたのは、ご自身たちを犠牲にして国民のこと、そして世界平和のことを第一に考えてくださる皇室でした。ですが、今の皇室に対して私はそうは思いません。皇室は変わってしまった。 その顕著な例が、眞子さまと小室圭さんの結婚問題です。国民がコロナ禍に苦しんでいる中で、“公”より“私”を優先している皇室のことは信じられません」 眞子さまと小室さんの結婚問題が、上皇さまと明石さんの友情を切り裂くきっかけの1つになっていたのだ。明石さんは語気を強める。「このような皇室をつくられたのは上皇ご夫妻だと思うのです。おふたりはご結婚後に“ふつうの生活”を送ろうとなさった。“国民の気持ちを知るには、皇室も一般家庭と同じような暮らしをするべきだ”とお考えになったのでしょうが、その努力が結果的に逆効果をもたらしてしまったのです」 ’59年4月、民間から初めて皇室に嫁がれた美智子さまは“あたたかい家庭”を築くためにさまざまな慣例を変えてこられた。 例えば、それまでの皇室では親が直接養育することはなく乳人制度の慣例があったが、子どもたちを手元に置いて育てられた。 また、食事は宮内庁の『大膳課』という料理部の仕事だったが、美智子さまはお住まいにキッチンを設け、ご自分で料理をされることもあった。明石さんも、平成時代に皇居で美智子さまの手料理をいただいたという。「上皇ご夫妻も私も、子どもたちが結婚したころの冬の晩、同級生夫婦4組で皇居にお邪魔しました。久々の世間話で盛り上がる私たちに、美智子さまは手料理のお鍋をご馳走してくださったのです。鍋物を選ばれたのは、私たちのふだんの食事を意識されたからなのかもしれません」国民に近づきすぎてしまった“皇室” しかし、明石さんは上皇ご夫妻が吹き込まれたこの“新しい風”こそが、現在の皇室を形成してしまった根源だと考えている。「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
当時は敬語を使わず、上皇さまも特別扱いされないことがうれしいご様子だったという。 高等科時代には馬術部のチームメートだったおふたり。大学以降は別々の道を歩むも、ご交流は続いた。「上皇さまの皇太子時代は、休日をご一緒に過ごし、頻繁に馬術のお供をしました。多い年には年間40回、お住まいの東宮御所に伺いました」 天皇に即位されてからは、上皇さまは「けがをして、自分の責務に支障が生じれば、国民や国家に申し訳ない」と乗馬をおやめに。 しかし、明石さんのことは気の置けないご学友として、その後も頼りにされたという。「怒っていることを示したかった」「’16年8月、上皇さまは実質的に生前退位の意向を表明するビデオメッセージを公表されましたが、私はその約2週間前にお電話を頂戴しました。私が学友としてマスコミの取材を受けることを踏まえられたのか、“誤った情報を伝えてほしくないので、明石には自分の考えを知っておいてほしい”というニュアンスだったと思います」 生前退位のご意向を事前に打ち明けるほどの固い信頼関係に、いったい何があったのか─。「コロナ禍以前は年に1度、学習院初等科時代の同窓会があり、上皇さまは毎年おいでになっていました。最後に開催されたのは上皇さまが退位された後の’19年だったと思います。例年どおり、会の準備を私も手伝いましたが、当日は出席しなかった。なぜなら“私が怒っていること”を上皇さまに示したかったからです」 明石さんは「陛下は今も気づいておられないかもしれないけれど……」と、少しうつむいたが、こう続けた。「長い間、私が敬愛してきたのは、ご自身たちを犠牲にして国民のこと、そして世界平和のことを第一に考えてくださる皇室でした。ですが、今の皇室に対して私はそうは思いません。皇室は変わってしまった。 その顕著な例が、眞子さまと小室圭さんの結婚問題です。国民がコロナ禍に苦しんでいる中で、“公”より“私”を優先している皇室のことは信じられません」 眞子さまと小室さんの結婚問題が、上皇さまと明石さんの友情を切り裂くきっかけの1つになっていたのだ。明石さんは語気を強める。「このような皇室をつくられたのは上皇ご夫妻だと思うのです。おふたりはご結婚後に“ふつうの生活”を送ろうとなさった。“国民の気持ちを知るには、皇室も一般家庭と同じような暮らしをするべきだ”とお考えになったのでしょうが、その努力が結果的に逆効果をもたらしてしまったのです」 ’59年4月、民間から初めて皇室に嫁がれた美智子さまは“あたたかい家庭”を築くためにさまざまな慣例を変えてこられた。 例えば、それまでの皇室では親が直接養育することはなく乳人制度の慣例があったが、子どもたちを手元に置いて育てられた。 また、食事は宮内庁の『大膳課』という料理部の仕事だったが、美智子さまはお住まいにキッチンを設け、ご自分で料理をされることもあった。明石さんも、平成時代に皇居で美智子さまの手料理をいただいたという。「上皇ご夫妻も私も、子どもたちが結婚したころの冬の晩、同級生夫婦4組で皇居にお邪魔しました。久々の世間話で盛り上がる私たちに、美智子さまは手料理のお鍋をご馳走してくださったのです。鍋物を選ばれたのは、私たちのふだんの食事を意識されたからなのかもしれません」国民に近づきすぎてしまった“皇室” しかし、明石さんは上皇ご夫妻が吹き込まれたこの“新しい風”こそが、現在の皇室を形成してしまった根源だと考えている。「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
高等科時代には馬術部のチームメートだったおふたり。大学以降は別々の道を歩むも、ご交流は続いた。「上皇さまの皇太子時代は、休日をご一緒に過ごし、頻繁に馬術のお供をしました。多い年には年間40回、お住まいの東宮御所に伺いました」 天皇に即位されてからは、上皇さまは「けがをして、自分の責務に支障が生じれば、国民や国家に申し訳ない」と乗馬をおやめに。 しかし、明石さんのことは気の置けないご学友として、その後も頼りにされたという。「怒っていることを示したかった」「’16年8月、上皇さまは実質的に生前退位の意向を表明するビデオメッセージを公表されましたが、私はその約2週間前にお電話を頂戴しました。私が学友としてマスコミの取材を受けることを踏まえられたのか、“誤った情報を伝えてほしくないので、明石には自分の考えを知っておいてほしい”というニュアンスだったと思います」 生前退位のご意向を事前に打ち明けるほどの固い信頼関係に、いったい何があったのか─。「コロナ禍以前は年に1度、学習院初等科時代の同窓会があり、上皇さまは毎年おいでになっていました。最後に開催されたのは上皇さまが退位された後の’19年だったと思います。例年どおり、会の準備を私も手伝いましたが、当日は出席しなかった。なぜなら“私が怒っていること”を上皇さまに示したかったからです」 明石さんは「陛下は今も気づいておられないかもしれないけれど……」と、少しうつむいたが、こう続けた。「長い間、私が敬愛してきたのは、ご自身たちを犠牲にして国民のこと、そして世界平和のことを第一に考えてくださる皇室でした。ですが、今の皇室に対して私はそうは思いません。皇室は変わってしまった。 その顕著な例が、眞子さまと小室圭さんの結婚問題です。国民がコロナ禍に苦しんでいる中で、“公”より“私”を優先している皇室のことは信じられません」 眞子さまと小室さんの結婚問題が、上皇さまと明石さんの友情を切り裂くきっかけの1つになっていたのだ。明石さんは語気を強める。「このような皇室をつくられたのは上皇ご夫妻だと思うのです。おふたりはご結婚後に“ふつうの生活”を送ろうとなさった。“国民の気持ちを知るには、皇室も一般家庭と同じような暮らしをするべきだ”とお考えになったのでしょうが、その努力が結果的に逆効果をもたらしてしまったのです」 ’59年4月、民間から初めて皇室に嫁がれた美智子さまは“あたたかい家庭”を築くためにさまざまな慣例を変えてこられた。 例えば、それまでの皇室では親が直接養育することはなく乳人制度の慣例があったが、子どもたちを手元に置いて育てられた。 また、食事は宮内庁の『大膳課』という料理部の仕事だったが、美智子さまはお住まいにキッチンを設け、ご自分で料理をされることもあった。明石さんも、平成時代に皇居で美智子さまの手料理をいただいたという。「上皇ご夫妻も私も、子どもたちが結婚したころの冬の晩、同級生夫婦4組で皇居にお邪魔しました。久々の世間話で盛り上がる私たちに、美智子さまは手料理のお鍋をご馳走してくださったのです。鍋物を選ばれたのは、私たちのふだんの食事を意識されたからなのかもしれません」国民に近づきすぎてしまった“皇室” しかし、明石さんは上皇ご夫妻が吹き込まれたこの“新しい風”こそが、現在の皇室を形成してしまった根源だと考えている。「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
「上皇さまの皇太子時代は、休日をご一緒に過ごし、頻繁に馬術のお供をしました。多い年には年間40回、お住まいの東宮御所に伺いました」 天皇に即位されてからは、上皇さまは「けがをして、自分の責務に支障が生じれば、国民や国家に申し訳ない」と乗馬をおやめに。 しかし、明石さんのことは気の置けないご学友として、その後も頼りにされたという。「怒っていることを示したかった」「’16年8月、上皇さまは実質的に生前退位の意向を表明するビデオメッセージを公表されましたが、私はその約2週間前にお電話を頂戴しました。私が学友としてマスコミの取材を受けることを踏まえられたのか、“誤った情報を伝えてほしくないので、明石には自分の考えを知っておいてほしい”というニュアンスだったと思います」 生前退位のご意向を事前に打ち明けるほどの固い信頼関係に、いったい何があったのか─。「コロナ禍以前は年に1度、学習院初等科時代の同窓会があり、上皇さまは毎年おいでになっていました。最後に開催されたのは上皇さまが退位された後の’19年だったと思います。例年どおり、会の準備を私も手伝いましたが、当日は出席しなかった。なぜなら“私が怒っていること”を上皇さまに示したかったからです」 明石さんは「陛下は今も気づいておられないかもしれないけれど……」と、少しうつむいたが、こう続けた。「長い間、私が敬愛してきたのは、ご自身たちを犠牲にして国民のこと、そして世界平和のことを第一に考えてくださる皇室でした。ですが、今の皇室に対して私はそうは思いません。皇室は変わってしまった。 その顕著な例が、眞子さまと小室圭さんの結婚問題です。国民がコロナ禍に苦しんでいる中で、“公”より“私”を優先している皇室のことは信じられません」 眞子さまと小室さんの結婚問題が、上皇さまと明石さんの友情を切り裂くきっかけの1つになっていたのだ。明石さんは語気を強める。「このような皇室をつくられたのは上皇ご夫妻だと思うのです。おふたりはご結婚後に“ふつうの生活”を送ろうとなさった。“国民の気持ちを知るには、皇室も一般家庭と同じような暮らしをするべきだ”とお考えになったのでしょうが、その努力が結果的に逆効果をもたらしてしまったのです」 ’59年4月、民間から初めて皇室に嫁がれた美智子さまは“あたたかい家庭”を築くためにさまざまな慣例を変えてこられた。 例えば、それまでの皇室では親が直接養育することはなく乳人制度の慣例があったが、子どもたちを手元に置いて育てられた。 また、食事は宮内庁の『大膳課』という料理部の仕事だったが、美智子さまはお住まいにキッチンを設け、ご自分で料理をされることもあった。明石さんも、平成時代に皇居で美智子さまの手料理をいただいたという。「上皇ご夫妻も私も、子どもたちが結婚したころの冬の晩、同級生夫婦4組で皇居にお邪魔しました。久々の世間話で盛り上がる私たちに、美智子さまは手料理のお鍋をご馳走してくださったのです。鍋物を選ばれたのは、私たちのふだんの食事を意識されたからなのかもしれません」国民に近づきすぎてしまった“皇室” しかし、明石さんは上皇ご夫妻が吹き込まれたこの“新しい風”こそが、現在の皇室を形成してしまった根源だと考えている。「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
天皇に即位されてからは、上皇さまは「けがをして、自分の責務に支障が生じれば、国民や国家に申し訳ない」と乗馬をおやめに。 しかし、明石さんのことは気の置けないご学友として、その後も頼りにされたという。「怒っていることを示したかった」「’16年8月、上皇さまは実質的に生前退位の意向を表明するビデオメッセージを公表されましたが、私はその約2週間前にお電話を頂戴しました。私が学友としてマスコミの取材を受けることを踏まえられたのか、“誤った情報を伝えてほしくないので、明石には自分の考えを知っておいてほしい”というニュアンスだったと思います」 生前退位のご意向を事前に打ち明けるほどの固い信頼関係に、いったい何があったのか─。「コロナ禍以前は年に1度、学習院初等科時代の同窓会があり、上皇さまは毎年おいでになっていました。最後に開催されたのは上皇さまが退位された後の’19年だったと思います。例年どおり、会の準備を私も手伝いましたが、当日は出席しなかった。なぜなら“私が怒っていること”を上皇さまに示したかったからです」 明石さんは「陛下は今も気づいておられないかもしれないけれど……」と、少しうつむいたが、こう続けた。「長い間、私が敬愛してきたのは、ご自身たちを犠牲にして国民のこと、そして世界平和のことを第一に考えてくださる皇室でした。ですが、今の皇室に対して私はそうは思いません。皇室は変わってしまった。 その顕著な例が、眞子さまと小室圭さんの結婚問題です。国民がコロナ禍に苦しんでいる中で、“公”より“私”を優先している皇室のことは信じられません」 眞子さまと小室さんの結婚問題が、上皇さまと明石さんの友情を切り裂くきっかけの1つになっていたのだ。明石さんは語気を強める。「このような皇室をつくられたのは上皇ご夫妻だと思うのです。おふたりはご結婚後に“ふつうの生活”を送ろうとなさった。“国民の気持ちを知るには、皇室も一般家庭と同じような暮らしをするべきだ”とお考えになったのでしょうが、その努力が結果的に逆効果をもたらしてしまったのです」 ’59年4月、民間から初めて皇室に嫁がれた美智子さまは“あたたかい家庭”を築くためにさまざまな慣例を変えてこられた。 例えば、それまでの皇室では親が直接養育することはなく乳人制度の慣例があったが、子どもたちを手元に置いて育てられた。 また、食事は宮内庁の『大膳課』という料理部の仕事だったが、美智子さまはお住まいにキッチンを設け、ご自分で料理をされることもあった。明石さんも、平成時代に皇居で美智子さまの手料理をいただいたという。「上皇ご夫妻も私も、子どもたちが結婚したころの冬の晩、同級生夫婦4組で皇居にお邪魔しました。久々の世間話で盛り上がる私たちに、美智子さまは手料理のお鍋をご馳走してくださったのです。鍋物を選ばれたのは、私たちのふだんの食事を意識されたからなのかもしれません」国民に近づきすぎてしまった“皇室” しかし、明石さんは上皇ご夫妻が吹き込まれたこの“新しい風”こそが、現在の皇室を形成してしまった根源だと考えている。「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
しかし、明石さんのことは気の置けないご学友として、その後も頼りにされたという。「怒っていることを示したかった」「’16年8月、上皇さまは実質的に生前退位の意向を表明するビデオメッセージを公表されましたが、私はその約2週間前にお電話を頂戴しました。私が学友としてマスコミの取材を受けることを踏まえられたのか、“誤った情報を伝えてほしくないので、明石には自分の考えを知っておいてほしい”というニュアンスだったと思います」 生前退位のご意向を事前に打ち明けるほどの固い信頼関係に、いったい何があったのか─。「コロナ禍以前は年に1度、学習院初等科時代の同窓会があり、上皇さまは毎年おいでになっていました。最後に開催されたのは上皇さまが退位された後の’19年だったと思います。例年どおり、会の準備を私も手伝いましたが、当日は出席しなかった。なぜなら“私が怒っていること”を上皇さまに示したかったからです」 明石さんは「陛下は今も気づいておられないかもしれないけれど……」と、少しうつむいたが、こう続けた。「長い間、私が敬愛してきたのは、ご自身たちを犠牲にして国民のこと、そして世界平和のことを第一に考えてくださる皇室でした。ですが、今の皇室に対して私はそうは思いません。皇室は変わってしまった。 その顕著な例が、眞子さまと小室圭さんの結婚問題です。国民がコロナ禍に苦しんでいる中で、“公”より“私”を優先している皇室のことは信じられません」 眞子さまと小室さんの結婚問題が、上皇さまと明石さんの友情を切り裂くきっかけの1つになっていたのだ。明石さんは語気を強める。「このような皇室をつくられたのは上皇ご夫妻だと思うのです。おふたりはご結婚後に“ふつうの生活”を送ろうとなさった。“国民の気持ちを知るには、皇室も一般家庭と同じような暮らしをするべきだ”とお考えになったのでしょうが、その努力が結果的に逆効果をもたらしてしまったのです」 ’59年4月、民間から初めて皇室に嫁がれた美智子さまは“あたたかい家庭”を築くためにさまざまな慣例を変えてこられた。 例えば、それまでの皇室では親が直接養育することはなく乳人制度の慣例があったが、子どもたちを手元に置いて育てられた。 また、食事は宮内庁の『大膳課』という料理部の仕事だったが、美智子さまはお住まいにキッチンを設け、ご自分で料理をされることもあった。明石さんも、平成時代に皇居で美智子さまの手料理をいただいたという。「上皇ご夫妻も私も、子どもたちが結婚したころの冬の晩、同級生夫婦4組で皇居にお邪魔しました。久々の世間話で盛り上がる私たちに、美智子さまは手料理のお鍋をご馳走してくださったのです。鍋物を選ばれたのは、私たちのふだんの食事を意識されたからなのかもしれません」国民に近づきすぎてしまった“皇室” しかし、明石さんは上皇ご夫妻が吹き込まれたこの“新しい風”こそが、現在の皇室を形成してしまった根源だと考えている。「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
「’16年8月、上皇さまは実質的に生前退位の意向を表明するビデオメッセージを公表されましたが、私はその約2週間前にお電話を頂戴しました。私が学友としてマスコミの取材を受けることを踏まえられたのか、“誤った情報を伝えてほしくないので、明石には自分の考えを知っておいてほしい”というニュアンスだったと思います」 生前退位のご意向を事前に打ち明けるほどの固い信頼関係に、いったい何があったのか─。「コロナ禍以前は年に1度、学習院初等科時代の同窓会があり、上皇さまは毎年おいでになっていました。最後に開催されたのは上皇さまが退位された後の’19年だったと思います。例年どおり、会の準備を私も手伝いましたが、当日は出席しなかった。なぜなら“私が怒っていること”を上皇さまに示したかったからです」 明石さんは「陛下は今も気づいておられないかもしれないけれど……」と、少しうつむいたが、こう続けた。「長い間、私が敬愛してきたのは、ご自身たちを犠牲にして国民のこと、そして世界平和のことを第一に考えてくださる皇室でした。ですが、今の皇室に対して私はそうは思いません。皇室は変わってしまった。 その顕著な例が、眞子さまと小室圭さんの結婚問題です。国民がコロナ禍に苦しんでいる中で、“公”より“私”を優先している皇室のことは信じられません」 眞子さまと小室さんの結婚問題が、上皇さまと明石さんの友情を切り裂くきっかけの1つになっていたのだ。明石さんは語気を強める。「このような皇室をつくられたのは上皇ご夫妻だと思うのです。おふたりはご結婚後に“ふつうの生活”を送ろうとなさった。“国民の気持ちを知るには、皇室も一般家庭と同じような暮らしをするべきだ”とお考えになったのでしょうが、その努力が結果的に逆効果をもたらしてしまったのです」 ’59年4月、民間から初めて皇室に嫁がれた美智子さまは“あたたかい家庭”を築くためにさまざまな慣例を変えてこられた。 例えば、それまでの皇室では親が直接養育することはなく乳人制度の慣例があったが、子どもたちを手元に置いて育てられた。 また、食事は宮内庁の『大膳課』という料理部の仕事だったが、美智子さまはお住まいにキッチンを設け、ご自分で料理をされることもあった。明石さんも、平成時代に皇居で美智子さまの手料理をいただいたという。「上皇ご夫妻も私も、子どもたちが結婚したころの冬の晩、同級生夫婦4組で皇居にお邪魔しました。久々の世間話で盛り上がる私たちに、美智子さまは手料理のお鍋をご馳走してくださったのです。鍋物を選ばれたのは、私たちのふだんの食事を意識されたからなのかもしれません」国民に近づきすぎてしまった“皇室” しかし、明石さんは上皇ご夫妻が吹き込まれたこの“新しい風”こそが、現在の皇室を形成してしまった根源だと考えている。「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
生前退位のご意向を事前に打ち明けるほどの固い信頼関係に、いったい何があったのか─。「コロナ禍以前は年に1度、学習院初等科時代の同窓会があり、上皇さまは毎年おいでになっていました。最後に開催されたのは上皇さまが退位された後の’19年だったと思います。例年どおり、会の準備を私も手伝いましたが、当日は出席しなかった。なぜなら“私が怒っていること”を上皇さまに示したかったからです」 明石さんは「陛下は今も気づいておられないかもしれないけれど……」と、少しうつむいたが、こう続けた。「長い間、私が敬愛してきたのは、ご自身たちを犠牲にして国民のこと、そして世界平和のことを第一に考えてくださる皇室でした。ですが、今の皇室に対して私はそうは思いません。皇室は変わってしまった。 その顕著な例が、眞子さまと小室圭さんの結婚問題です。国民がコロナ禍に苦しんでいる中で、“公”より“私”を優先している皇室のことは信じられません」 眞子さまと小室さんの結婚問題が、上皇さまと明石さんの友情を切り裂くきっかけの1つになっていたのだ。明石さんは語気を強める。「このような皇室をつくられたのは上皇ご夫妻だと思うのです。おふたりはご結婚後に“ふつうの生活”を送ろうとなさった。“国民の気持ちを知るには、皇室も一般家庭と同じような暮らしをするべきだ”とお考えになったのでしょうが、その努力が結果的に逆効果をもたらしてしまったのです」 ’59年4月、民間から初めて皇室に嫁がれた美智子さまは“あたたかい家庭”を築くためにさまざまな慣例を変えてこられた。 例えば、それまでの皇室では親が直接養育することはなく乳人制度の慣例があったが、子どもたちを手元に置いて育てられた。 また、食事は宮内庁の『大膳課』という料理部の仕事だったが、美智子さまはお住まいにキッチンを設け、ご自分で料理をされることもあった。明石さんも、平成時代に皇居で美智子さまの手料理をいただいたという。「上皇ご夫妻も私も、子どもたちが結婚したころの冬の晩、同級生夫婦4組で皇居にお邪魔しました。久々の世間話で盛り上がる私たちに、美智子さまは手料理のお鍋をご馳走してくださったのです。鍋物を選ばれたのは、私たちのふだんの食事を意識されたからなのかもしれません」国民に近づきすぎてしまった“皇室” しかし、明石さんは上皇ご夫妻が吹き込まれたこの“新しい風”こそが、現在の皇室を形成してしまった根源だと考えている。「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
「コロナ禍以前は年に1度、学習院初等科時代の同窓会があり、上皇さまは毎年おいでになっていました。最後に開催されたのは上皇さまが退位された後の’19年だったと思います。例年どおり、会の準備を私も手伝いましたが、当日は出席しなかった。なぜなら“私が怒っていること”を上皇さまに示したかったからです」 明石さんは「陛下は今も気づいておられないかもしれないけれど……」と、少しうつむいたが、こう続けた。「長い間、私が敬愛してきたのは、ご自身たちを犠牲にして国民のこと、そして世界平和のことを第一に考えてくださる皇室でした。ですが、今の皇室に対して私はそうは思いません。皇室は変わってしまった。 その顕著な例が、眞子さまと小室圭さんの結婚問題です。国民がコロナ禍に苦しんでいる中で、“公”より“私”を優先している皇室のことは信じられません」 眞子さまと小室さんの結婚問題が、上皇さまと明石さんの友情を切り裂くきっかけの1つになっていたのだ。明石さんは語気を強める。「このような皇室をつくられたのは上皇ご夫妻だと思うのです。おふたりはご結婚後に“ふつうの生活”を送ろうとなさった。“国民の気持ちを知るには、皇室も一般家庭と同じような暮らしをするべきだ”とお考えになったのでしょうが、その努力が結果的に逆効果をもたらしてしまったのです」 ’59年4月、民間から初めて皇室に嫁がれた美智子さまは“あたたかい家庭”を築くためにさまざまな慣例を変えてこられた。 例えば、それまでの皇室では親が直接養育することはなく乳人制度の慣例があったが、子どもたちを手元に置いて育てられた。 また、食事は宮内庁の『大膳課』という料理部の仕事だったが、美智子さまはお住まいにキッチンを設け、ご自分で料理をされることもあった。明石さんも、平成時代に皇居で美智子さまの手料理をいただいたという。「上皇ご夫妻も私も、子どもたちが結婚したころの冬の晩、同級生夫婦4組で皇居にお邪魔しました。久々の世間話で盛り上がる私たちに、美智子さまは手料理のお鍋をご馳走してくださったのです。鍋物を選ばれたのは、私たちのふだんの食事を意識されたからなのかもしれません」国民に近づきすぎてしまった“皇室” しかし、明石さんは上皇ご夫妻が吹き込まれたこの“新しい風”こそが、現在の皇室を形成してしまった根源だと考えている。「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
明石さんは「陛下は今も気づいておられないかもしれないけれど……」と、少しうつむいたが、こう続けた。「長い間、私が敬愛してきたのは、ご自身たちを犠牲にして国民のこと、そして世界平和のことを第一に考えてくださる皇室でした。ですが、今の皇室に対して私はそうは思いません。皇室は変わってしまった。 その顕著な例が、眞子さまと小室圭さんの結婚問題です。国民がコロナ禍に苦しんでいる中で、“公”より“私”を優先している皇室のことは信じられません」 眞子さまと小室さんの結婚問題が、上皇さまと明石さんの友情を切り裂くきっかけの1つになっていたのだ。明石さんは語気を強める。「このような皇室をつくられたのは上皇ご夫妻だと思うのです。おふたりはご結婚後に“ふつうの生活”を送ろうとなさった。“国民の気持ちを知るには、皇室も一般家庭と同じような暮らしをするべきだ”とお考えになったのでしょうが、その努力が結果的に逆効果をもたらしてしまったのです」 ’59年4月、民間から初めて皇室に嫁がれた美智子さまは“あたたかい家庭”を築くためにさまざまな慣例を変えてこられた。 例えば、それまでの皇室では親が直接養育することはなく乳人制度の慣例があったが、子どもたちを手元に置いて育てられた。 また、食事は宮内庁の『大膳課』という料理部の仕事だったが、美智子さまはお住まいにキッチンを設け、ご自分で料理をされることもあった。明石さんも、平成時代に皇居で美智子さまの手料理をいただいたという。「上皇ご夫妻も私も、子どもたちが結婚したころの冬の晩、同級生夫婦4組で皇居にお邪魔しました。久々の世間話で盛り上がる私たちに、美智子さまは手料理のお鍋をご馳走してくださったのです。鍋物を選ばれたのは、私たちのふだんの食事を意識されたからなのかもしれません」国民に近づきすぎてしまった“皇室” しかし、明石さんは上皇ご夫妻が吹き込まれたこの“新しい風”こそが、現在の皇室を形成してしまった根源だと考えている。「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
「長い間、私が敬愛してきたのは、ご自身たちを犠牲にして国民のこと、そして世界平和のことを第一に考えてくださる皇室でした。ですが、今の皇室に対して私はそうは思いません。皇室は変わってしまった。 その顕著な例が、眞子さまと小室圭さんの結婚問題です。国民がコロナ禍に苦しんでいる中で、“公”より“私”を優先している皇室のことは信じられません」 眞子さまと小室さんの結婚問題が、上皇さまと明石さんの友情を切り裂くきっかけの1つになっていたのだ。明石さんは語気を強める。「このような皇室をつくられたのは上皇ご夫妻だと思うのです。おふたりはご結婚後に“ふつうの生活”を送ろうとなさった。“国民の気持ちを知るには、皇室も一般家庭と同じような暮らしをするべきだ”とお考えになったのでしょうが、その努力が結果的に逆効果をもたらしてしまったのです」 ’59年4月、民間から初めて皇室に嫁がれた美智子さまは“あたたかい家庭”を築くためにさまざまな慣例を変えてこられた。 例えば、それまでの皇室では親が直接養育することはなく乳人制度の慣例があったが、子どもたちを手元に置いて育てられた。 また、食事は宮内庁の『大膳課』という料理部の仕事だったが、美智子さまはお住まいにキッチンを設け、ご自分で料理をされることもあった。明石さんも、平成時代に皇居で美智子さまの手料理をいただいたという。「上皇ご夫妻も私も、子どもたちが結婚したころの冬の晩、同級生夫婦4組で皇居にお邪魔しました。久々の世間話で盛り上がる私たちに、美智子さまは手料理のお鍋をご馳走してくださったのです。鍋物を選ばれたのは、私たちのふだんの食事を意識されたからなのかもしれません」国民に近づきすぎてしまった“皇室” しかし、明石さんは上皇ご夫妻が吹き込まれたこの“新しい風”こそが、現在の皇室を形成してしまった根源だと考えている。「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
その顕著な例が、眞子さまと小室圭さんの結婚問題です。国民がコロナ禍に苦しんでいる中で、“公”より“私”を優先している皇室のことは信じられません」 眞子さまと小室さんの結婚問題が、上皇さまと明石さんの友情を切り裂くきっかけの1つになっていたのだ。明石さんは語気を強める。「このような皇室をつくられたのは上皇ご夫妻だと思うのです。おふたりはご結婚後に“ふつうの生活”を送ろうとなさった。“国民の気持ちを知るには、皇室も一般家庭と同じような暮らしをするべきだ”とお考えになったのでしょうが、その努力が結果的に逆効果をもたらしてしまったのです」 ’59年4月、民間から初めて皇室に嫁がれた美智子さまは“あたたかい家庭”を築くためにさまざまな慣例を変えてこられた。 例えば、それまでの皇室では親が直接養育することはなく乳人制度の慣例があったが、子どもたちを手元に置いて育てられた。 また、食事は宮内庁の『大膳課』という料理部の仕事だったが、美智子さまはお住まいにキッチンを設け、ご自分で料理をされることもあった。明石さんも、平成時代に皇居で美智子さまの手料理をいただいたという。「上皇ご夫妻も私も、子どもたちが結婚したころの冬の晩、同級生夫婦4組で皇居にお邪魔しました。久々の世間話で盛り上がる私たちに、美智子さまは手料理のお鍋をご馳走してくださったのです。鍋物を選ばれたのは、私たちのふだんの食事を意識されたからなのかもしれません」国民に近づきすぎてしまった“皇室” しかし、明石さんは上皇ご夫妻が吹き込まれたこの“新しい風”こそが、現在の皇室を形成してしまった根源だと考えている。「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
眞子さまと小室さんの結婚問題が、上皇さまと明石さんの友情を切り裂くきっかけの1つになっていたのだ。明石さんは語気を強める。「このような皇室をつくられたのは上皇ご夫妻だと思うのです。おふたりはご結婚後に“ふつうの生活”を送ろうとなさった。“国民の気持ちを知るには、皇室も一般家庭と同じような暮らしをするべきだ”とお考えになったのでしょうが、その努力が結果的に逆効果をもたらしてしまったのです」 ’59年4月、民間から初めて皇室に嫁がれた美智子さまは“あたたかい家庭”を築くためにさまざまな慣例を変えてこられた。 例えば、それまでの皇室では親が直接養育することはなく乳人制度の慣例があったが、子どもたちを手元に置いて育てられた。 また、食事は宮内庁の『大膳課』という料理部の仕事だったが、美智子さまはお住まいにキッチンを設け、ご自分で料理をされることもあった。明石さんも、平成時代に皇居で美智子さまの手料理をいただいたという。「上皇ご夫妻も私も、子どもたちが結婚したころの冬の晩、同級生夫婦4組で皇居にお邪魔しました。久々の世間話で盛り上がる私たちに、美智子さまは手料理のお鍋をご馳走してくださったのです。鍋物を選ばれたのは、私たちのふだんの食事を意識されたからなのかもしれません」国民に近づきすぎてしまった“皇室” しかし、明石さんは上皇ご夫妻が吹き込まれたこの“新しい風”こそが、現在の皇室を形成してしまった根源だと考えている。「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
「このような皇室をつくられたのは上皇ご夫妻だと思うのです。おふたりはご結婚後に“ふつうの生活”を送ろうとなさった。“国民の気持ちを知るには、皇室も一般家庭と同じような暮らしをするべきだ”とお考えになったのでしょうが、その努力が結果的に逆効果をもたらしてしまったのです」 ’59年4月、民間から初めて皇室に嫁がれた美智子さまは“あたたかい家庭”を築くためにさまざまな慣例を変えてこられた。 例えば、それまでの皇室では親が直接養育することはなく乳人制度の慣例があったが、子どもたちを手元に置いて育てられた。 また、食事は宮内庁の『大膳課』という料理部の仕事だったが、美智子さまはお住まいにキッチンを設け、ご自分で料理をされることもあった。明石さんも、平成時代に皇居で美智子さまの手料理をいただいたという。「上皇ご夫妻も私も、子どもたちが結婚したころの冬の晩、同級生夫婦4組で皇居にお邪魔しました。久々の世間話で盛り上がる私たちに、美智子さまは手料理のお鍋をご馳走してくださったのです。鍋物を選ばれたのは、私たちのふだんの食事を意識されたからなのかもしれません」国民に近づきすぎてしまった“皇室” しかし、明石さんは上皇ご夫妻が吹き込まれたこの“新しい風”こそが、現在の皇室を形成してしまった根源だと考えている。「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
’59年4月、民間から初めて皇室に嫁がれた美智子さまは“あたたかい家庭”を築くためにさまざまな慣例を変えてこられた。 例えば、それまでの皇室では親が直接養育することはなく乳人制度の慣例があったが、子どもたちを手元に置いて育てられた。 また、食事は宮内庁の『大膳課』という料理部の仕事だったが、美智子さまはお住まいにキッチンを設け、ご自分で料理をされることもあった。明石さんも、平成時代に皇居で美智子さまの手料理をいただいたという。「上皇ご夫妻も私も、子どもたちが結婚したころの冬の晩、同級生夫婦4組で皇居にお邪魔しました。久々の世間話で盛り上がる私たちに、美智子さまは手料理のお鍋をご馳走してくださったのです。鍋物を選ばれたのは、私たちのふだんの食事を意識されたからなのかもしれません」国民に近づきすぎてしまった“皇室” しかし、明石さんは上皇ご夫妻が吹き込まれたこの“新しい風”こそが、現在の皇室を形成してしまった根源だと考えている。「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
例えば、それまでの皇室では親が直接養育することはなく乳人制度の慣例があったが、子どもたちを手元に置いて育てられた。 また、食事は宮内庁の『大膳課』という料理部の仕事だったが、美智子さまはお住まいにキッチンを設け、ご自分で料理をされることもあった。明石さんも、平成時代に皇居で美智子さまの手料理をいただいたという。「上皇ご夫妻も私も、子どもたちが結婚したころの冬の晩、同級生夫婦4組で皇居にお邪魔しました。久々の世間話で盛り上がる私たちに、美智子さまは手料理のお鍋をご馳走してくださったのです。鍋物を選ばれたのは、私たちのふだんの食事を意識されたからなのかもしれません」国民に近づきすぎてしまった“皇室” しかし、明石さんは上皇ご夫妻が吹き込まれたこの“新しい風”こそが、現在の皇室を形成してしまった根源だと考えている。「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
また、食事は宮内庁の『大膳課』という料理部の仕事だったが、美智子さまはお住まいにキッチンを設け、ご自分で料理をされることもあった。明石さんも、平成時代に皇居で美智子さまの手料理をいただいたという。「上皇ご夫妻も私も、子どもたちが結婚したころの冬の晩、同級生夫婦4組で皇居にお邪魔しました。久々の世間話で盛り上がる私たちに、美智子さまは手料理のお鍋をご馳走してくださったのです。鍋物を選ばれたのは、私たちのふだんの食事を意識されたからなのかもしれません」国民に近づきすぎてしまった“皇室” しかし、明石さんは上皇ご夫妻が吹き込まれたこの“新しい風”こそが、現在の皇室を形成してしまった根源だと考えている。「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
「上皇ご夫妻も私も、子どもたちが結婚したころの冬の晩、同級生夫婦4組で皇居にお邪魔しました。久々の世間話で盛り上がる私たちに、美智子さまは手料理のお鍋をご馳走してくださったのです。鍋物を選ばれたのは、私たちのふだんの食事を意識されたからなのかもしれません」国民に近づきすぎてしまった“皇室” しかし、明石さんは上皇ご夫妻が吹き込まれたこの“新しい風”こそが、現在の皇室を形成してしまった根源だと考えている。「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
しかし、明石さんは上皇ご夫妻が吹き込まれたこの“新しい風”こそが、現在の皇室を形成してしまった根源だと考えている。「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」 一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
一線を越えられたことで、一般の国民と同様に“公”より“私”を優先する場面が見受けられるように。「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の’89年8月。そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」 喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
喪中の婚約発表というのは異例の出来事として、世間、とりわけ皇室関係者に衝撃を与えた。「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」 さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
さらに明石さんは「ご自身の結婚を強行した秋篠宮さまは、眞子さまの結婚に対しても強く意見できないのではないか」と推測する。「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」 眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
眞子さまと小室さんの結婚問題の行く末については、どのように考えているのか。「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。私が考える問題の本質はそこではありません。皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」 そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
そう主張する明石さんの脳裏には、忘れられない上皇さまのおことばがある。「もう、上皇さまと会うことはない」「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
「お代替わり前に行われた、学習院初等科の同窓会で、学友のひとりが当時陛下だった上皇さまに“天皇に即位されてから、どういうお気持ちで国民と向き合われてこられたのですか?”と、大胆なご質問をしたのです。すると、“日本国民がいつも幸せであってくれることしか考えていません”とおっしゃった」 明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
明石さんは、まるで上皇さまに語りかけるかのように「今の皇室の状況を見れば、上皇さまの願いが叶っていないことは一目瞭然ですよね」と、つぶやく。「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
「私は長生きしすぎたのかもしれません。皇室に関する見聞きしたくなかったことも受け止めなくてはならない。昔も今も変わらず、私は“どのようにすれば、上皇さまが人間として幸せになれるのか”ということを考えてきました。その結果が“絶縁”という形になったのです」 週刊女性に打ち明けた断腸の思い。しかし、明石さんは上皇ご夫妻に直接、伝えたことはないという。 ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
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ただし、「美智子さまは、現状をよく理解しておられると思います」と続ける。「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。 本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」 明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
明石さんの推測が的中しているのか、美智子さまは最近、ご体調に変化が表れ始めているという。「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
「上皇后陛下は思い悩まれていることがあるのか、以前よりもかなりおやせになった印象で周囲は大変心配しています。ただ、時間を見つけてはご友人に電話をかけて、じっくりとお話をされているようです」(前出・上皇職関係者) 最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
最後に明石さんは、しぼり出すようにこう言った。「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
「私はもう、上皇さまと会うことはないでしょう」 ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。
ご学友の苦しく、切ない声が、敬愛してやまない皇室に届く日は来るだろうか──。