悲しみ癒えず 日記に妻への思い記し新たな一歩へ 九州豪雨1年

2020年7月の九州豪雨では大分県でも6人が犠牲となった。このうちの一人で日田市の天ケ瀬温泉街で民泊を経営していた小森孝子さん(当時72歳)は、氾濫した玖珠(くす)川の濁流にのみ込まれ命を落とした。大分県内での被害発生から7日で1年。夫の満雄さん(71)は、亡き妻との思い出を胸に新たな一歩を踏み出そうとしている。
九州豪雨1年 住民、花流し故人しのぶ 「思い出が多すぎて…」
7日夕、温泉街を流れる玖珠川のほとりで孝子さんをしのぶ演奏会が開かれた。満雄さんもメンバーに名前を連ねるまちづくり団体が企画し、住民ら約40人が参加。チェロと電子ピアノによる「千の風になって」のメロディーが流れる中、全員で黙とうをささげた。「孝子のためにこんなにたくさん来てくれてありがたい。孝子は愛されているなあ」。満雄さんはしみじみと語った。
通信社の記者をしていた満雄さんは約10年前に取材先で孝子さんと知り合い、その3年後に結婚した。2人は大分市で暮らしていたが天ケ瀬温泉街の風情を気に入り、17年に移住。築90年の古民家を改修し民泊を営んでいた。料理が得意で、子供の貧困問題にも関心があった孝子さんは自宅で子ども食堂を開く夢を抱いていた。
しかし、還暦を過ぎてから一緒になった2人の穏やかな日常を豪雨が奪った。この1年、満雄さんが付けてきた日記には、被災当時の様子や孝子さんを助けられなかった後悔の念、喪失感がつづられている。
玖珠川が氾濫した昨年7月7日朝、満雄さんは自宅の浸水に備えて荷物を2階に上げていた。 <外に孝子がいた。水はどんどん増えている。「何やってる!」と大声で言った。流されているように見えたからだ。完全に流されている。こちらを向いている> 後日、日記の7日の欄にそう記した。満雄さんは家を出て助けに向かおうとしたが、濁流に阻まれた。 <一瞬体が動きかけるがとどまった。動けなかった。とにかく水が減らない。「早く引いて」と祈るしかなかった> 孝子さんの遺体は約2週間後、下流の筑後川で見つかった。福岡県警から連絡を受け警察署に向かったが、確認できたのは顔を包帯でぐるぐる巻きにされた顔写真だけ。輪郭で孝子さんだと分かった。 あれ以来、雨が降り、濁った川を見るたびに後悔で胸がいっぱいになる。「なんでもっと早く避難するよう声をかけなかったのだろうか」 日記には楽しかった思い出も書かれている。 <料理はすごかった。ビールを飲んでいる間に一品、二品と出てくるのだ。子ども食堂も孝子の発案だった。孝子は幸せそうだった。そして確実に私も幸せだった>(7月30日) 豪雨後、満雄さんは時々、孝子さんの夢を見る。自宅の居間で肉じゃがやエンドウ豆の炒め物などの料理を並べ2人で食卓を囲んでいる。「温かいうちが一番おいしいんだから、早く食べなさい!」。孝子さんは満雄さんを叱ると、少し照れたように「ふふっ」と笑い、夢はそこで終わる。いつも同じ場面。満雄さんは夢を見るたびにまた会えたとうれしくなる。 車で15分ほどの五馬(いつま)高原は2人でよくドライブに行った場所だった。昨年の初盆は孝子さんが戻ってきて隣にいてくれるような気がした。 <盆最後の日。朝からおかしかった。涙が止まらないのだ。天ケ瀬に向け、五馬高原に向かうと尚更(なおさら)涙はとめどなく流れる。孝子がついたようだ>(8月15日) 豪雨から1年がたっても満雄さんの悲しみが癒えることはない。それでも、少しずつ前向きに生きようとしている。満雄さんはいま、孝子さんの遺志を継ぎ、20年に開店しようとして新型コロナウイルスの影響で延期になっていた子ども食堂の開設に向け準備を進めている。「孝子が愛した街で俺は生きるよ」【河慧琳】
<外に孝子がいた。水はどんどん増えている。「何やってる!」と大声で言った。流されているように見えたからだ。完全に流されている。こちらを向いている> 後日、日記の7日の欄にそう記した。満雄さんは家を出て助けに向かおうとしたが、濁流に阻まれた。 <一瞬体が動きかけるがとどまった。動けなかった。とにかく水が減らない。「早く引いて」と祈るしかなかった> 孝子さんの遺体は約2週間後、下流の筑後川で見つかった。福岡県警から連絡を受け警察署に向かったが、確認できたのは顔を包帯でぐるぐる巻きにされた顔写真だけ。輪郭で孝子さんだと分かった。 あれ以来、雨が降り、濁った川を見るたびに後悔で胸がいっぱいになる。「なんでもっと早く避難するよう声をかけなかったのだろうか」 日記には楽しかった思い出も書かれている。 <料理はすごかった。ビールを飲んでいる間に一品、二品と出てくるのだ。子ども食堂も孝子の発案だった。孝子は幸せそうだった。そして確実に私も幸せだった>(7月30日) 豪雨後、満雄さんは時々、孝子さんの夢を見る。自宅の居間で肉じゃがやエンドウ豆の炒め物などの料理を並べ2人で食卓を囲んでいる。「温かいうちが一番おいしいんだから、早く食べなさい!」。孝子さんは満雄さんを叱ると、少し照れたように「ふふっ」と笑い、夢はそこで終わる。いつも同じ場面。満雄さんは夢を見るたびにまた会えたとうれしくなる。 車で15分ほどの五馬(いつま)高原は2人でよくドライブに行った場所だった。昨年の初盆は孝子さんが戻ってきて隣にいてくれるような気がした。 <盆最後の日。朝からおかしかった。涙が止まらないのだ。天ケ瀬に向け、五馬高原に向かうと尚更(なおさら)涙はとめどなく流れる。孝子がついたようだ>(8月15日) 豪雨から1年がたっても満雄さんの悲しみが癒えることはない。それでも、少しずつ前向きに生きようとしている。満雄さんはいま、孝子さんの遺志を継ぎ、20年に開店しようとして新型コロナウイルスの影響で延期になっていた子ども食堂の開設に向け準備を進めている。「孝子が愛した街で俺は生きるよ」【河慧琳】
後日、日記の7日の欄にそう記した。満雄さんは家を出て助けに向かおうとしたが、濁流に阻まれた。 <一瞬体が動きかけるがとどまった。動けなかった。とにかく水が減らない。「早く引いて」と祈るしかなかった> 孝子さんの遺体は約2週間後、下流の筑後川で見つかった。福岡県警から連絡を受け警察署に向かったが、確認できたのは顔を包帯でぐるぐる巻きにされた顔写真だけ。輪郭で孝子さんだと分かった。 あれ以来、雨が降り、濁った川を見るたびに後悔で胸がいっぱいになる。「なんでもっと早く避難するよう声をかけなかったのだろうか」 日記には楽しかった思い出も書かれている。 <料理はすごかった。ビールを飲んでいる間に一品、二品と出てくるのだ。子ども食堂も孝子の発案だった。孝子は幸せそうだった。そして確実に私も幸せだった>(7月30日) 豪雨後、満雄さんは時々、孝子さんの夢を見る。自宅の居間で肉じゃがやエンドウ豆の炒め物などの料理を並べ2人で食卓を囲んでいる。「温かいうちが一番おいしいんだから、早く食べなさい!」。孝子さんは満雄さんを叱ると、少し照れたように「ふふっ」と笑い、夢はそこで終わる。いつも同じ場面。満雄さんは夢を見るたびにまた会えたとうれしくなる。 車で15分ほどの五馬(いつま)高原は2人でよくドライブに行った場所だった。昨年の初盆は孝子さんが戻ってきて隣にいてくれるような気がした。 <盆最後の日。朝からおかしかった。涙が止まらないのだ。天ケ瀬に向け、五馬高原に向かうと尚更(なおさら)涙はとめどなく流れる。孝子がついたようだ>(8月15日) 豪雨から1年がたっても満雄さんの悲しみが癒えることはない。それでも、少しずつ前向きに生きようとしている。満雄さんはいま、孝子さんの遺志を継ぎ、20年に開店しようとして新型コロナウイルスの影響で延期になっていた子ども食堂の開設に向け準備を進めている。「孝子が愛した街で俺は生きるよ」【河慧琳】
<一瞬体が動きかけるがとどまった。動けなかった。とにかく水が減らない。「早く引いて」と祈るしかなかった> 孝子さんの遺体は約2週間後、下流の筑後川で見つかった。福岡県警から連絡を受け警察署に向かったが、確認できたのは顔を包帯でぐるぐる巻きにされた顔写真だけ。輪郭で孝子さんだと分かった。 あれ以来、雨が降り、濁った川を見るたびに後悔で胸がいっぱいになる。「なんでもっと早く避難するよう声をかけなかったのだろうか」 日記には楽しかった思い出も書かれている。 <料理はすごかった。ビールを飲んでいる間に一品、二品と出てくるのだ。子ども食堂も孝子の発案だった。孝子は幸せそうだった。そして確実に私も幸せだった>(7月30日) 豪雨後、満雄さんは時々、孝子さんの夢を見る。自宅の居間で肉じゃがやエンドウ豆の炒め物などの料理を並べ2人で食卓を囲んでいる。「温かいうちが一番おいしいんだから、早く食べなさい!」。孝子さんは満雄さんを叱ると、少し照れたように「ふふっ」と笑い、夢はそこで終わる。いつも同じ場面。満雄さんは夢を見るたびにまた会えたとうれしくなる。 車で15分ほどの五馬(いつま)高原は2人でよくドライブに行った場所だった。昨年の初盆は孝子さんが戻ってきて隣にいてくれるような気がした。 <盆最後の日。朝からおかしかった。涙が止まらないのだ。天ケ瀬に向け、五馬高原に向かうと尚更(なおさら)涙はとめどなく流れる。孝子がついたようだ>(8月15日) 豪雨から1年がたっても満雄さんの悲しみが癒えることはない。それでも、少しずつ前向きに生きようとしている。満雄さんはいま、孝子さんの遺志を継ぎ、20年に開店しようとして新型コロナウイルスの影響で延期になっていた子ども食堂の開設に向け準備を進めている。「孝子が愛した街で俺は生きるよ」【河慧琳】
孝子さんの遺体は約2週間後、下流の筑後川で見つかった。福岡県警から連絡を受け警察署に向かったが、確認できたのは顔を包帯でぐるぐる巻きにされた顔写真だけ。輪郭で孝子さんだと分かった。 あれ以来、雨が降り、濁った川を見るたびに後悔で胸がいっぱいになる。「なんでもっと早く避難するよう声をかけなかったのだろうか」 日記には楽しかった思い出も書かれている。 <料理はすごかった。ビールを飲んでいる間に一品、二品と出てくるのだ。子ども食堂も孝子の発案だった。孝子は幸せそうだった。そして確実に私も幸せだった>(7月30日) 豪雨後、満雄さんは時々、孝子さんの夢を見る。自宅の居間で肉じゃがやエンドウ豆の炒め物などの料理を並べ2人で食卓を囲んでいる。「温かいうちが一番おいしいんだから、早く食べなさい!」。孝子さんは満雄さんを叱ると、少し照れたように「ふふっ」と笑い、夢はそこで終わる。いつも同じ場面。満雄さんは夢を見るたびにまた会えたとうれしくなる。 車で15分ほどの五馬(いつま)高原は2人でよくドライブに行った場所だった。昨年の初盆は孝子さんが戻ってきて隣にいてくれるような気がした。 <盆最後の日。朝からおかしかった。涙が止まらないのだ。天ケ瀬に向け、五馬高原に向かうと尚更(なおさら)涙はとめどなく流れる。孝子がついたようだ>(8月15日) 豪雨から1年がたっても満雄さんの悲しみが癒えることはない。それでも、少しずつ前向きに生きようとしている。満雄さんはいま、孝子さんの遺志を継ぎ、20年に開店しようとして新型コロナウイルスの影響で延期になっていた子ども食堂の開設に向け準備を進めている。「孝子が愛した街で俺は生きるよ」【河慧琳】
あれ以来、雨が降り、濁った川を見るたびに後悔で胸がいっぱいになる。「なんでもっと早く避難するよう声をかけなかったのだろうか」 日記には楽しかった思い出も書かれている。 <料理はすごかった。ビールを飲んでいる間に一品、二品と出てくるのだ。子ども食堂も孝子の発案だった。孝子は幸せそうだった。そして確実に私も幸せだった>(7月30日) 豪雨後、満雄さんは時々、孝子さんの夢を見る。自宅の居間で肉じゃがやエンドウ豆の炒め物などの料理を並べ2人で食卓を囲んでいる。「温かいうちが一番おいしいんだから、早く食べなさい!」。孝子さんは満雄さんを叱ると、少し照れたように「ふふっ」と笑い、夢はそこで終わる。いつも同じ場面。満雄さんは夢を見るたびにまた会えたとうれしくなる。 車で15分ほどの五馬(いつま)高原は2人でよくドライブに行った場所だった。昨年の初盆は孝子さんが戻ってきて隣にいてくれるような気がした。 <盆最後の日。朝からおかしかった。涙が止まらないのだ。天ケ瀬に向け、五馬高原に向かうと尚更(なおさら)涙はとめどなく流れる。孝子がついたようだ>(8月15日) 豪雨から1年がたっても満雄さんの悲しみが癒えることはない。それでも、少しずつ前向きに生きようとしている。満雄さんはいま、孝子さんの遺志を継ぎ、20年に開店しようとして新型コロナウイルスの影響で延期になっていた子ども食堂の開設に向け準備を進めている。「孝子が愛した街で俺は生きるよ」【河慧琳】
日記には楽しかった思い出も書かれている。 <料理はすごかった。ビールを飲んでいる間に一品、二品と出てくるのだ。子ども食堂も孝子の発案だった。孝子は幸せそうだった。そして確実に私も幸せだった>(7月30日) 豪雨後、満雄さんは時々、孝子さんの夢を見る。自宅の居間で肉じゃがやエンドウ豆の炒め物などの料理を並べ2人で食卓を囲んでいる。「温かいうちが一番おいしいんだから、早く食べなさい!」。孝子さんは満雄さんを叱ると、少し照れたように「ふふっ」と笑い、夢はそこで終わる。いつも同じ場面。満雄さんは夢を見るたびにまた会えたとうれしくなる。 車で15分ほどの五馬(いつま)高原は2人でよくドライブに行った場所だった。昨年の初盆は孝子さんが戻ってきて隣にいてくれるような気がした。 <盆最後の日。朝からおかしかった。涙が止まらないのだ。天ケ瀬に向け、五馬高原に向かうと尚更(なおさら)涙はとめどなく流れる。孝子がついたようだ>(8月15日) 豪雨から1年がたっても満雄さんの悲しみが癒えることはない。それでも、少しずつ前向きに生きようとしている。満雄さんはいま、孝子さんの遺志を継ぎ、20年に開店しようとして新型コロナウイルスの影響で延期になっていた子ども食堂の開設に向け準備を進めている。「孝子が愛した街で俺は生きるよ」【河慧琳】
<料理はすごかった。ビールを飲んでいる間に一品、二品と出てくるのだ。子ども食堂も孝子の発案だった。孝子は幸せそうだった。そして確実に私も幸せだった>(7月30日) 豪雨後、満雄さんは時々、孝子さんの夢を見る。自宅の居間で肉じゃがやエンドウ豆の炒め物などの料理を並べ2人で食卓を囲んでいる。「温かいうちが一番おいしいんだから、早く食べなさい!」。孝子さんは満雄さんを叱ると、少し照れたように「ふふっ」と笑い、夢はそこで終わる。いつも同じ場面。満雄さんは夢を見るたびにまた会えたとうれしくなる。 車で15分ほどの五馬(いつま)高原は2人でよくドライブに行った場所だった。昨年の初盆は孝子さんが戻ってきて隣にいてくれるような気がした。 <盆最後の日。朝からおかしかった。涙が止まらないのだ。天ケ瀬に向け、五馬高原に向かうと尚更(なおさら)涙はとめどなく流れる。孝子がついたようだ>(8月15日) 豪雨から1年がたっても満雄さんの悲しみが癒えることはない。それでも、少しずつ前向きに生きようとしている。満雄さんはいま、孝子さんの遺志を継ぎ、20年に開店しようとして新型コロナウイルスの影響で延期になっていた子ども食堂の開設に向け準備を進めている。「孝子が愛した街で俺は生きるよ」【河慧琳】
豪雨後、満雄さんは時々、孝子さんの夢を見る。自宅の居間で肉じゃがやエンドウ豆の炒め物などの料理を並べ2人で食卓を囲んでいる。「温かいうちが一番おいしいんだから、早く食べなさい!」。孝子さんは満雄さんを叱ると、少し照れたように「ふふっ」と笑い、夢はそこで終わる。いつも同じ場面。満雄さんは夢を見るたびにまた会えたとうれしくなる。 車で15分ほどの五馬(いつま)高原は2人でよくドライブに行った場所だった。昨年の初盆は孝子さんが戻ってきて隣にいてくれるような気がした。 <盆最後の日。朝からおかしかった。涙が止まらないのだ。天ケ瀬に向け、五馬高原に向かうと尚更(なおさら)涙はとめどなく流れる。孝子がついたようだ>(8月15日) 豪雨から1年がたっても満雄さんの悲しみが癒えることはない。それでも、少しずつ前向きに生きようとしている。満雄さんはいま、孝子さんの遺志を継ぎ、20年に開店しようとして新型コロナウイルスの影響で延期になっていた子ども食堂の開設に向け準備を進めている。「孝子が愛した街で俺は生きるよ」【河慧琳】
車で15分ほどの五馬(いつま)高原は2人でよくドライブに行った場所だった。昨年の初盆は孝子さんが戻ってきて隣にいてくれるような気がした。 <盆最後の日。朝からおかしかった。涙が止まらないのだ。天ケ瀬に向け、五馬高原に向かうと尚更(なおさら)涙はとめどなく流れる。孝子がついたようだ>(8月15日) 豪雨から1年がたっても満雄さんの悲しみが癒えることはない。それでも、少しずつ前向きに生きようとしている。満雄さんはいま、孝子さんの遺志を継ぎ、20年に開店しようとして新型コロナウイルスの影響で延期になっていた子ども食堂の開設に向け準備を進めている。「孝子が愛した街で俺は生きるよ」【河慧琳】
<盆最後の日。朝からおかしかった。涙が止まらないのだ。天ケ瀬に向け、五馬高原に向かうと尚更(なおさら)涙はとめどなく流れる。孝子がついたようだ>(8月15日) 豪雨から1年がたっても満雄さんの悲しみが癒えることはない。それでも、少しずつ前向きに生きようとしている。満雄さんはいま、孝子さんの遺志を継ぎ、20年に開店しようとして新型コロナウイルスの影響で延期になっていた子ども食堂の開設に向け準備を進めている。「孝子が愛した街で俺は生きるよ」【河慧琳】
豪雨から1年がたっても満雄さんの悲しみが癒えることはない。それでも、少しずつ前向きに生きようとしている。満雄さんはいま、孝子さんの遺志を継ぎ、20年に開店しようとして新型コロナウイルスの影響で延期になっていた子ども食堂の開設に向け準備を進めている。「孝子が愛した街で俺は生きるよ」【河慧琳】