【山下祐介】9割の国民が気づいていない、「無観客」オリンピックで目にする「意外な光景」 テレビ中継で見て、初めて気づく

緊急事態宣言下の無観客オリンピックへの行程が進行中である。
多くの人がまさかと思っていた最悪の状態でのオリンピック開催。楽しいはずのものが、この違和感はいったい何だろうか。
もしかすると今覚えている違和感は、これを無理にでも進めようとしている菅義偉政権にとって大きな足かせになりそうである。
無観客オリンピックを進めたとしても、国民は始まりさえすれば競技に熱中し、熱狂し、批判や異論は一気になくなるという読みが官邸の中にはあるらしい。
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だがそれは本当だろうか。
問いはこうである。本当に無観客でオリンピックを行うのか。そしてその無観客オリンピックを見て、国民は実際のところどんな反応を示すだろうか。
ここでは筆者が想定する無観客オリンピックを記述してみる。そして今からでも遅くはない、早く国民はオリンピックの延期または中止を広く主張して、政権の存続を実現してあげるべきだろう。
そして本当のところ、たまっている国民の感情はどこで爆発するのか。これが筆者のもっとも知りたいことである。実は無観客ではないオリンピックオリンピックを無観客で行うという。だが多くの人が知っているように、これはもちろん無観客ではない。そこには競技を報道するマスメディアの人々がいる。メディアは観戦できない国民や世界市民のかわりだということになっているが、本当にそうだろうか。私たちはそんなふうに落ち着いて、これからの放送を見ることができるだろうか。国民の多くが2年前、オリンピックチケットの争奪選に驚喜し、1人あたり1枚くらいのチケットを、しばしばプロスポーツ観戦以上のお金を払って購入していたはずである。せっかくの機会だからと思って買っておいたチケットが紙切れになり、テレビ観戦を強いられる。パブリックビューイングさえできない。緊急事態宣言下で、外で会食しながらの観戦もできない。世界中から選手や関係者が来て、すでに街にも繰り出しているようだ。東京ではやってもよいが感染覚悟の命がけだろう。しかも自宅のテレビで見るオリンピックは、決して私たちのこうした感情をふまえたものにはなるまい。オリンピックはたしかに見ているものを歓喜させるものである。それゆえそこには、本来、私たちがその場で見られるはずだった試合を間近にして感動の声をあげる解説者や、場合によってははしゃぐタレントたちの姿があるはずである。騒ぎ、有頂天になる彼・彼女ら。しかし私たちはその現場に行くことはできない。本当は自分たちが見られるはずだったものを自宅の映像で見て、私たちははたしてこの人たちと一緒に、「オリンピックは素敵だ」と心から楽しむことができるだろうか。オリンピックの横断幕を掲げている東京都庁[Photo by gettyimages] 私たちの多くがワクチン接種もすんでいない。海外ではワクチンで相当に感染抑止効果が出ているところもあるが、日本はオリンピック開催国なのに遅れてしまった。そのため、私たちが海外からきた人々にウイルスをうつしてはいけないからと、直接近くに行くことさえ制限されるわけだが、テレビの向こう側では、日本人選手や大会会関係者には優先的に感染予防が図られている。こちら側には現実に感染し、苦しむ人もいる。多くの人が1年間、肉親にさえ会っていない。まともな暮らしが1年以上もできていない。なのにその状況でテレビの放送を見て、「オリンピック最高!」などと思うことができるのだろうか。無観客で、オリンピックの「陰」に光が当たるそれどころか、その中継にはCMや広告が入り込むはずである。競技場そのものにもスポンサーの名をたくさん見るだろう。選手の身のまわりにまで。そこで私たちは気づくはずである。オリンピックを実現するために犠牲になっている国民の向こうで――その中には事業倒産の危機を背負っている人たちも大勢いる――巨大なカネが動き、利益を得ている人たちがいることに。そしてそれは実は、マスコミそのものであったことに。Photo by iStock 考えてみれば、国民の声を聞いて世論をつくるはずのマスコミが「無観客でもオリンピックを開催して欲しい」という「世論」づくりの先鋒になってきた。だが、「無観客なら延期か中止」こそが、本来の世論の姿であるはずだ。しかし世論調査では、そうした意見はするりとはぐらかされて、「開催するなら無観客もやむを得ない」が私たちの意見であるかのようにすり替えられてしまっている。筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
オリンピックを無観客で行うという。だが多くの人が知っているように、これはもちろん無観客ではない。そこには競技を報道するマスメディアの人々がいる。メディアは観戦できない国民や世界市民のかわりだということになっているが、本当にそうだろうか。私たちはそんなふうに落ち着いて、これからの放送を見ることができるだろうか。国民の多くが2年前、オリンピックチケットの争奪選に驚喜し、1人あたり1枚くらいのチケットを、しばしばプロスポーツ観戦以上のお金を払って購入していたはずである。せっかくの機会だからと思って買っておいたチケットが紙切れになり、テレビ観戦を強いられる。パブリックビューイングさえできない。緊急事態宣言下で、外で会食しながらの観戦もできない。世界中から選手や関係者が来て、すでに街にも繰り出しているようだ。東京ではやってもよいが感染覚悟の命がけだろう。しかも自宅のテレビで見るオリンピックは、決して私たちのこうした感情をふまえたものにはなるまい。オリンピックはたしかに見ているものを歓喜させるものである。それゆえそこには、本来、私たちがその場で見られるはずだった試合を間近にして感動の声をあげる解説者や、場合によってははしゃぐタレントたちの姿があるはずである。騒ぎ、有頂天になる彼・彼女ら。しかし私たちはその現場に行くことはできない。本当は自分たちが見られるはずだったものを自宅の映像で見て、私たちははたしてこの人たちと一緒に、「オリンピックは素敵だ」と心から楽しむことができるだろうか。オリンピックの横断幕を掲げている東京都庁[Photo by gettyimages] 私たちの多くがワクチン接種もすんでいない。海外ではワクチンで相当に感染抑止効果が出ているところもあるが、日本はオリンピック開催国なのに遅れてしまった。そのため、私たちが海外からきた人々にウイルスをうつしてはいけないからと、直接近くに行くことさえ制限されるわけだが、テレビの向こう側では、日本人選手や大会会関係者には優先的に感染予防が図られている。こちら側には現実に感染し、苦しむ人もいる。多くの人が1年間、肉親にさえ会っていない。まともな暮らしが1年以上もできていない。なのにその状況でテレビの放送を見て、「オリンピック最高!」などと思うことができるのだろうか。無観客で、オリンピックの「陰」に光が当たるそれどころか、その中継にはCMや広告が入り込むはずである。競技場そのものにもスポンサーの名をたくさん見るだろう。選手の身のまわりにまで。そこで私たちは気づくはずである。オリンピックを実現するために犠牲になっている国民の向こうで――その中には事業倒産の危機を背負っている人たちも大勢いる――巨大なカネが動き、利益を得ている人たちがいることに。そしてそれは実は、マスコミそのものであったことに。Photo by iStock 考えてみれば、国民の声を聞いて世論をつくるはずのマスコミが「無観客でもオリンピックを開催して欲しい」という「世論」づくりの先鋒になってきた。だが、「無観客なら延期か中止」こそが、本来の世論の姿であるはずだ。しかし世論調査では、そうした意見はするりとはぐらかされて、「開催するなら無観客もやむを得ない」が私たちの意見であるかのようにすり替えられてしまっている。筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
だが多くの人が知っているように、これはもちろん無観客ではない。そこには競技を報道するマスメディアの人々がいる。メディアは観戦できない国民や世界市民のかわりだということになっているが、本当にそうだろうか。私たちはそんなふうに落ち着いて、これからの放送を見ることができるだろうか。国民の多くが2年前、オリンピックチケットの争奪選に驚喜し、1人あたり1枚くらいのチケットを、しばしばプロスポーツ観戦以上のお金を払って購入していたはずである。せっかくの機会だからと思って買っておいたチケットが紙切れになり、テレビ観戦を強いられる。パブリックビューイングさえできない。緊急事態宣言下で、外で会食しながらの観戦もできない。世界中から選手や関係者が来て、すでに街にも繰り出しているようだ。東京ではやってもよいが感染覚悟の命がけだろう。しかも自宅のテレビで見るオリンピックは、決して私たちのこうした感情をふまえたものにはなるまい。オリンピックはたしかに見ているものを歓喜させるものである。それゆえそこには、本来、私たちがその場で見られるはずだった試合を間近にして感動の声をあげる解説者や、場合によってははしゃぐタレントたちの姿があるはずである。騒ぎ、有頂天になる彼・彼女ら。しかし私たちはその現場に行くことはできない。本当は自分たちが見られるはずだったものを自宅の映像で見て、私たちははたしてこの人たちと一緒に、「オリンピックは素敵だ」と心から楽しむことができるだろうか。オリンピックの横断幕を掲げている東京都庁[Photo by gettyimages] 私たちの多くがワクチン接種もすんでいない。海外ではワクチンで相当に感染抑止効果が出ているところもあるが、日本はオリンピック開催国なのに遅れてしまった。そのため、私たちが海外からきた人々にウイルスをうつしてはいけないからと、直接近くに行くことさえ制限されるわけだが、テレビの向こう側では、日本人選手や大会会関係者には優先的に感染予防が図られている。こちら側には現実に感染し、苦しむ人もいる。多くの人が1年間、肉親にさえ会っていない。まともな暮らしが1年以上もできていない。なのにその状況でテレビの放送を見て、「オリンピック最高!」などと思うことができるのだろうか。無観客で、オリンピックの「陰」に光が当たるそれどころか、その中継にはCMや広告が入り込むはずである。競技場そのものにもスポンサーの名をたくさん見るだろう。選手の身のまわりにまで。そこで私たちは気づくはずである。オリンピックを実現するために犠牲になっている国民の向こうで――その中には事業倒産の危機を背負っている人たちも大勢いる――巨大なカネが動き、利益を得ている人たちがいることに。そしてそれは実は、マスコミそのものであったことに。Photo by iStock 考えてみれば、国民の声を聞いて世論をつくるはずのマスコミが「無観客でもオリンピックを開催して欲しい」という「世論」づくりの先鋒になってきた。だが、「無観客なら延期か中止」こそが、本来の世論の姿であるはずだ。しかし世論調査では、そうした意見はするりとはぐらかされて、「開催するなら無観客もやむを得ない」が私たちの意見であるかのようにすり替えられてしまっている。筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
そこには競技を報道するマスメディアの人々がいる。メディアは観戦できない国民や世界市民のかわりだということになっているが、本当にそうだろうか。私たちはそんなふうに落ち着いて、これからの放送を見ることができるだろうか。国民の多くが2年前、オリンピックチケットの争奪選に驚喜し、1人あたり1枚くらいのチケットを、しばしばプロスポーツ観戦以上のお金を払って購入していたはずである。せっかくの機会だからと思って買っておいたチケットが紙切れになり、テレビ観戦を強いられる。パブリックビューイングさえできない。緊急事態宣言下で、外で会食しながらの観戦もできない。世界中から選手や関係者が来て、すでに街にも繰り出しているようだ。東京ではやってもよいが感染覚悟の命がけだろう。しかも自宅のテレビで見るオリンピックは、決して私たちのこうした感情をふまえたものにはなるまい。オリンピックはたしかに見ているものを歓喜させるものである。それゆえそこには、本来、私たちがその場で見られるはずだった試合を間近にして感動の声をあげる解説者や、場合によってははしゃぐタレントたちの姿があるはずである。騒ぎ、有頂天になる彼・彼女ら。しかし私たちはその現場に行くことはできない。本当は自分たちが見られるはずだったものを自宅の映像で見て、私たちははたしてこの人たちと一緒に、「オリンピックは素敵だ」と心から楽しむことができるだろうか。オリンピックの横断幕を掲げている東京都庁[Photo by gettyimages] 私たちの多くがワクチン接種もすんでいない。海外ではワクチンで相当に感染抑止効果が出ているところもあるが、日本はオリンピック開催国なのに遅れてしまった。そのため、私たちが海外からきた人々にウイルスをうつしてはいけないからと、直接近くに行くことさえ制限されるわけだが、テレビの向こう側では、日本人選手や大会会関係者には優先的に感染予防が図られている。こちら側には現実に感染し、苦しむ人もいる。多くの人が1年間、肉親にさえ会っていない。まともな暮らしが1年以上もできていない。なのにその状況でテレビの放送を見て、「オリンピック最高!」などと思うことができるのだろうか。無観客で、オリンピックの「陰」に光が当たるそれどころか、その中継にはCMや広告が入り込むはずである。競技場そのものにもスポンサーの名をたくさん見るだろう。選手の身のまわりにまで。そこで私たちは気づくはずである。オリンピックを実現するために犠牲になっている国民の向こうで――その中には事業倒産の危機を背負っている人たちも大勢いる――巨大なカネが動き、利益を得ている人たちがいることに。そしてそれは実は、マスコミそのものであったことに。Photo by iStock 考えてみれば、国民の声を聞いて世論をつくるはずのマスコミが「無観客でもオリンピックを開催して欲しい」という「世論」づくりの先鋒になってきた。だが、「無観客なら延期か中止」こそが、本来の世論の姿であるはずだ。しかし世論調査では、そうした意見はするりとはぐらかされて、「開催するなら無観客もやむを得ない」が私たちの意見であるかのようにすり替えられてしまっている。筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
メディアは観戦できない国民や世界市民のかわりだということになっているが、本当にそうだろうか。私たちはそんなふうに落ち着いて、これからの放送を見ることができるだろうか。国民の多くが2年前、オリンピックチケットの争奪選に驚喜し、1人あたり1枚くらいのチケットを、しばしばプロスポーツ観戦以上のお金を払って購入していたはずである。せっかくの機会だからと思って買っておいたチケットが紙切れになり、テレビ観戦を強いられる。パブリックビューイングさえできない。緊急事態宣言下で、外で会食しながらの観戦もできない。世界中から選手や関係者が来て、すでに街にも繰り出しているようだ。東京ではやってもよいが感染覚悟の命がけだろう。しかも自宅のテレビで見るオリンピックは、決して私たちのこうした感情をふまえたものにはなるまい。オリンピックはたしかに見ているものを歓喜させるものである。それゆえそこには、本来、私たちがその場で見られるはずだった試合を間近にして感動の声をあげる解説者や、場合によってははしゃぐタレントたちの姿があるはずである。騒ぎ、有頂天になる彼・彼女ら。しかし私たちはその現場に行くことはできない。本当は自分たちが見られるはずだったものを自宅の映像で見て、私たちははたしてこの人たちと一緒に、「オリンピックは素敵だ」と心から楽しむことができるだろうか。オリンピックの横断幕を掲げている東京都庁[Photo by gettyimages] 私たちの多くがワクチン接種もすんでいない。海外ではワクチンで相当に感染抑止効果が出ているところもあるが、日本はオリンピック開催国なのに遅れてしまった。そのため、私たちが海外からきた人々にウイルスをうつしてはいけないからと、直接近くに行くことさえ制限されるわけだが、テレビの向こう側では、日本人選手や大会会関係者には優先的に感染予防が図られている。こちら側には現実に感染し、苦しむ人もいる。多くの人が1年間、肉親にさえ会っていない。まともな暮らしが1年以上もできていない。なのにその状況でテレビの放送を見て、「オリンピック最高!」などと思うことができるのだろうか。無観客で、オリンピックの「陰」に光が当たるそれどころか、その中継にはCMや広告が入り込むはずである。競技場そのものにもスポンサーの名をたくさん見るだろう。選手の身のまわりにまで。そこで私たちは気づくはずである。オリンピックを実現するために犠牲になっている国民の向こうで――その中には事業倒産の危機を背負っている人たちも大勢いる――巨大なカネが動き、利益を得ている人たちがいることに。そしてそれは実は、マスコミそのものであったことに。Photo by iStock 考えてみれば、国民の声を聞いて世論をつくるはずのマスコミが「無観客でもオリンピックを開催して欲しい」という「世論」づくりの先鋒になってきた。だが、「無観客なら延期か中止」こそが、本来の世論の姿であるはずだ。しかし世論調査では、そうした意見はするりとはぐらかされて、「開催するなら無観客もやむを得ない」が私たちの意見であるかのようにすり替えられてしまっている。筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
国民の多くが2年前、オリンピックチケットの争奪選に驚喜し、1人あたり1枚くらいのチケットを、しばしばプロスポーツ観戦以上のお金を払って購入していたはずである。せっかくの機会だからと思って買っておいたチケットが紙切れになり、テレビ観戦を強いられる。パブリックビューイングさえできない。緊急事態宣言下で、外で会食しながらの観戦もできない。世界中から選手や関係者が来て、すでに街にも繰り出しているようだ。東京ではやってもよいが感染覚悟の命がけだろう。しかも自宅のテレビで見るオリンピックは、決して私たちのこうした感情をふまえたものにはなるまい。オリンピックはたしかに見ているものを歓喜させるものである。それゆえそこには、本来、私たちがその場で見られるはずだった試合を間近にして感動の声をあげる解説者や、場合によってははしゃぐタレントたちの姿があるはずである。騒ぎ、有頂天になる彼・彼女ら。しかし私たちはその現場に行くことはできない。本当は自分たちが見られるはずだったものを自宅の映像で見て、私たちははたしてこの人たちと一緒に、「オリンピックは素敵だ」と心から楽しむことができるだろうか。オリンピックの横断幕を掲げている東京都庁[Photo by gettyimages] 私たちの多くがワクチン接種もすんでいない。海外ではワクチンで相当に感染抑止効果が出ているところもあるが、日本はオリンピック開催国なのに遅れてしまった。そのため、私たちが海外からきた人々にウイルスをうつしてはいけないからと、直接近くに行くことさえ制限されるわけだが、テレビの向こう側では、日本人選手や大会会関係者には優先的に感染予防が図られている。こちら側には現実に感染し、苦しむ人もいる。多くの人が1年間、肉親にさえ会っていない。まともな暮らしが1年以上もできていない。なのにその状況でテレビの放送を見て、「オリンピック最高!」などと思うことができるのだろうか。無観客で、オリンピックの「陰」に光が当たるそれどころか、その中継にはCMや広告が入り込むはずである。競技場そのものにもスポンサーの名をたくさん見るだろう。選手の身のまわりにまで。そこで私たちは気づくはずである。オリンピックを実現するために犠牲になっている国民の向こうで――その中には事業倒産の危機を背負っている人たちも大勢いる――巨大なカネが動き、利益を得ている人たちがいることに。そしてそれは実は、マスコミそのものであったことに。Photo by iStock 考えてみれば、国民の声を聞いて世論をつくるはずのマスコミが「無観客でもオリンピックを開催して欲しい」という「世論」づくりの先鋒になってきた。だが、「無観客なら延期か中止」こそが、本来の世論の姿であるはずだ。しかし世論調査では、そうした意見はするりとはぐらかされて、「開催するなら無観客もやむを得ない」が私たちの意見であるかのようにすり替えられてしまっている。筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
せっかくの機会だからと思って買っておいたチケットが紙切れになり、テレビ観戦を強いられる。パブリックビューイングさえできない。緊急事態宣言下で、外で会食しながらの観戦もできない。世界中から選手や関係者が来て、すでに街にも繰り出しているようだ。東京ではやってもよいが感染覚悟の命がけだろう。しかも自宅のテレビで見るオリンピックは、決して私たちのこうした感情をふまえたものにはなるまい。オリンピックはたしかに見ているものを歓喜させるものである。それゆえそこには、本来、私たちがその場で見られるはずだった試合を間近にして感動の声をあげる解説者や、場合によってははしゃぐタレントたちの姿があるはずである。騒ぎ、有頂天になる彼・彼女ら。しかし私たちはその現場に行くことはできない。本当は自分たちが見られるはずだったものを自宅の映像で見て、私たちははたしてこの人たちと一緒に、「オリンピックは素敵だ」と心から楽しむことができるだろうか。オリンピックの横断幕を掲げている東京都庁[Photo by gettyimages] 私たちの多くがワクチン接種もすんでいない。海外ではワクチンで相当に感染抑止効果が出ているところもあるが、日本はオリンピック開催国なのに遅れてしまった。そのため、私たちが海外からきた人々にウイルスをうつしてはいけないからと、直接近くに行くことさえ制限されるわけだが、テレビの向こう側では、日本人選手や大会会関係者には優先的に感染予防が図られている。こちら側には現実に感染し、苦しむ人もいる。多くの人が1年間、肉親にさえ会っていない。まともな暮らしが1年以上もできていない。なのにその状況でテレビの放送を見て、「オリンピック最高!」などと思うことができるのだろうか。無観客で、オリンピックの「陰」に光が当たるそれどころか、その中継にはCMや広告が入り込むはずである。競技場そのものにもスポンサーの名をたくさん見るだろう。選手の身のまわりにまで。そこで私たちは気づくはずである。オリンピックを実現するために犠牲になっている国民の向こうで――その中には事業倒産の危機を背負っている人たちも大勢いる――巨大なカネが動き、利益を得ている人たちがいることに。そしてそれは実は、マスコミそのものであったことに。Photo by iStock 考えてみれば、国民の声を聞いて世論をつくるはずのマスコミが「無観客でもオリンピックを開催して欲しい」という「世論」づくりの先鋒になってきた。だが、「無観客なら延期か中止」こそが、本来の世論の姿であるはずだ。しかし世論調査では、そうした意見はするりとはぐらかされて、「開催するなら無観客もやむを得ない」が私たちの意見であるかのようにすり替えられてしまっている。筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
パブリックビューイングさえできない。緊急事態宣言下で、外で会食しながらの観戦もできない。世界中から選手や関係者が来て、すでに街にも繰り出しているようだ。東京ではやってもよいが感染覚悟の命がけだろう。しかも自宅のテレビで見るオリンピックは、決して私たちのこうした感情をふまえたものにはなるまい。オリンピックはたしかに見ているものを歓喜させるものである。それゆえそこには、本来、私たちがその場で見られるはずだった試合を間近にして感動の声をあげる解説者や、場合によってははしゃぐタレントたちの姿があるはずである。騒ぎ、有頂天になる彼・彼女ら。しかし私たちはその現場に行くことはできない。本当は自分たちが見られるはずだったものを自宅の映像で見て、私たちははたしてこの人たちと一緒に、「オリンピックは素敵だ」と心から楽しむことができるだろうか。オリンピックの横断幕を掲げている東京都庁[Photo by gettyimages] 私たちの多くがワクチン接種もすんでいない。海外ではワクチンで相当に感染抑止効果が出ているところもあるが、日本はオリンピック開催国なのに遅れてしまった。そのため、私たちが海外からきた人々にウイルスをうつしてはいけないからと、直接近くに行くことさえ制限されるわけだが、テレビの向こう側では、日本人選手や大会会関係者には優先的に感染予防が図られている。こちら側には現実に感染し、苦しむ人もいる。多くの人が1年間、肉親にさえ会っていない。まともな暮らしが1年以上もできていない。なのにその状況でテレビの放送を見て、「オリンピック最高!」などと思うことができるのだろうか。無観客で、オリンピックの「陰」に光が当たるそれどころか、その中継にはCMや広告が入り込むはずである。競技場そのものにもスポンサーの名をたくさん見るだろう。選手の身のまわりにまで。そこで私たちは気づくはずである。オリンピックを実現するために犠牲になっている国民の向こうで――その中には事業倒産の危機を背負っている人たちも大勢いる――巨大なカネが動き、利益を得ている人たちがいることに。そしてそれは実は、マスコミそのものであったことに。Photo by iStock 考えてみれば、国民の声を聞いて世論をつくるはずのマスコミが「無観客でもオリンピックを開催して欲しい」という「世論」づくりの先鋒になってきた。だが、「無観客なら延期か中止」こそが、本来の世論の姿であるはずだ。しかし世論調査では、そうした意見はするりとはぐらかされて、「開催するなら無観客もやむを得ない」が私たちの意見であるかのようにすり替えられてしまっている。筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
緊急事態宣言下で、外で会食しながらの観戦もできない。世界中から選手や関係者が来て、すでに街にも繰り出しているようだ。東京ではやってもよいが感染覚悟の命がけだろう。しかも自宅のテレビで見るオリンピックは、決して私たちのこうした感情をふまえたものにはなるまい。オリンピックはたしかに見ているものを歓喜させるものである。それゆえそこには、本来、私たちがその場で見られるはずだった試合を間近にして感動の声をあげる解説者や、場合によってははしゃぐタレントたちの姿があるはずである。騒ぎ、有頂天になる彼・彼女ら。しかし私たちはその現場に行くことはできない。本当は自分たちが見られるはずだったものを自宅の映像で見て、私たちははたしてこの人たちと一緒に、「オリンピックは素敵だ」と心から楽しむことができるだろうか。オリンピックの横断幕を掲げている東京都庁[Photo by gettyimages] 私たちの多くがワクチン接種もすんでいない。海外ではワクチンで相当に感染抑止効果が出ているところもあるが、日本はオリンピック開催国なのに遅れてしまった。そのため、私たちが海外からきた人々にウイルスをうつしてはいけないからと、直接近くに行くことさえ制限されるわけだが、テレビの向こう側では、日本人選手や大会会関係者には優先的に感染予防が図られている。こちら側には現実に感染し、苦しむ人もいる。多くの人が1年間、肉親にさえ会っていない。まともな暮らしが1年以上もできていない。なのにその状況でテレビの放送を見て、「オリンピック最高!」などと思うことができるのだろうか。無観客で、オリンピックの「陰」に光が当たるそれどころか、その中継にはCMや広告が入り込むはずである。競技場そのものにもスポンサーの名をたくさん見るだろう。選手の身のまわりにまで。そこで私たちは気づくはずである。オリンピックを実現するために犠牲になっている国民の向こうで――その中には事業倒産の危機を背負っている人たちも大勢いる――巨大なカネが動き、利益を得ている人たちがいることに。そしてそれは実は、マスコミそのものであったことに。Photo by iStock 考えてみれば、国民の声を聞いて世論をつくるはずのマスコミが「無観客でもオリンピックを開催して欲しい」という「世論」づくりの先鋒になってきた。だが、「無観客なら延期か中止」こそが、本来の世論の姿であるはずだ。しかし世論調査では、そうした意見はするりとはぐらかされて、「開催するなら無観客もやむを得ない」が私たちの意見であるかのようにすり替えられてしまっている。筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
しかも自宅のテレビで見るオリンピックは、決して私たちのこうした感情をふまえたものにはなるまい。オリンピックはたしかに見ているものを歓喜させるものである。それゆえそこには、本来、私たちがその場で見られるはずだった試合を間近にして感動の声をあげる解説者や、場合によってははしゃぐタレントたちの姿があるはずである。騒ぎ、有頂天になる彼・彼女ら。しかし私たちはその現場に行くことはできない。本当は自分たちが見られるはずだったものを自宅の映像で見て、私たちははたしてこの人たちと一緒に、「オリンピックは素敵だ」と心から楽しむことができるだろうか。オリンピックの横断幕を掲げている東京都庁[Photo by gettyimages] 私たちの多くがワクチン接種もすんでいない。海外ではワクチンで相当に感染抑止効果が出ているところもあるが、日本はオリンピック開催国なのに遅れてしまった。そのため、私たちが海外からきた人々にウイルスをうつしてはいけないからと、直接近くに行くことさえ制限されるわけだが、テレビの向こう側では、日本人選手や大会会関係者には優先的に感染予防が図られている。こちら側には現実に感染し、苦しむ人もいる。多くの人が1年間、肉親にさえ会っていない。まともな暮らしが1年以上もできていない。なのにその状況でテレビの放送を見て、「オリンピック最高!」などと思うことができるのだろうか。無観客で、オリンピックの「陰」に光が当たるそれどころか、その中継にはCMや広告が入り込むはずである。競技場そのものにもスポンサーの名をたくさん見るだろう。選手の身のまわりにまで。そこで私たちは気づくはずである。オリンピックを実現するために犠牲になっている国民の向こうで――その中には事業倒産の危機を背負っている人たちも大勢いる――巨大なカネが動き、利益を得ている人たちがいることに。そしてそれは実は、マスコミそのものであったことに。Photo by iStock 考えてみれば、国民の声を聞いて世論をつくるはずのマスコミが「無観客でもオリンピックを開催して欲しい」という「世論」づくりの先鋒になってきた。だが、「無観客なら延期か中止」こそが、本来の世論の姿であるはずだ。しかし世論調査では、そうした意見はするりとはぐらかされて、「開催するなら無観客もやむを得ない」が私たちの意見であるかのようにすり替えられてしまっている。筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
オリンピックはたしかに見ているものを歓喜させるものである。それゆえそこには、本来、私たちがその場で見られるはずだった試合を間近にして感動の声をあげる解説者や、場合によってははしゃぐタレントたちの姿があるはずである。騒ぎ、有頂天になる彼・彼女ら。しかし私たちはその現場に行くことはできない。本当は自分たちが見られるはずだったものを自宅の映像で見て、私たちははたしてこの人たちと一緒に、「オリンピックは素敵だ」と心から楽しむことができるだろうか。オリンピックの横断幕を掲げている東京都庁[Photo by gettyimages] 私たちの多くがワクチン接種もすんでいない。海外ではワクチンで相当に感染抑止効果が出ているところもあるが、日本はオリンピック開催国なのに遅れてしまった。そのため、私たちが海外からきた人々にウイルスをうつしてはいけないからと、直接近くに行くことさえ制限されるわけだが、テレビの向こう側では、日本人選手や大会会関係者には優先的に感染予防が図られている。こちら側には現実に感染し、苦しむ人もいる。多くの人が1年間、肉親にさえ会っていない。まともな暮らしが1年以上もできていない。なのにその状況でテレビの放送を見て、「オリンピック最高!」などと思うことができるのだろうか。無観客で、オリンピックの「陰」に光が当たるそれどころか、その中継にはCMや広告が入り込むはずである。競技場そのものにもスポンサーの名をたくさん見るだろう。選手の身のまわりにまで。そこで私たちは気づくはずである。オリンピックを実現するために犠牲になっている国民の向こうで――その中には事業倒産の危機を背負っている人たちも大勢いる――巨大なカネが動き、利益を得ている人たちがいることに。そしてそれは実は、マスコミそのものであったことに。Photo by iStock 考えてみれば、国民の声を聞いて世論をつくるはずのマスコミが「無観客でもオリンピックを開催して欲しい」という「世論」づくりの先鋒になってきた。だが、「無観客なら延期か中止」こそが、本来の世論の姿であるはずだ。しかし世論調査では、そうした意見はするりとはぐらかされて、「開催するなら無観客もやむを得ない」が私たちの意見であるかのようにすり替えられてしまっている。筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
それゆえそこには、本来、私たちがその場で見られるはずだった試合を間近にして感動の声をあげる解説者や、場合によってははしゃぐタレントたちの姿があるはずである。騒ぎ、有頂天になる彼・彼女ら。しかし私たちはその現場に行くことはできない。本当は自分たちが見られるはずだったものを自宅の映像で見て、私たちははたしてこの人たちと一緒に、「オリンピックは素敵だ」と心から楽しむことができるだろうか。オリンピックの横断幕を掲げている東京都庁[Photo by gettyimages] 私たちの多くがワクチン接種もすんでいない。海外ではワクチンで相当に感染抑止効果が出ているところもあるが、日本はオリンピック開催国なのに遅れてしまった。そのため、私たちが海外からきた人々にウイルスをうつしてはいけないからと、直接近くに行くことさえ制限されるわけだが、テレビの向こう側では、日本人選手や大会会関係者には優先的に感染予防が図られている。こちら側には現実に感染し、苦しむ人もいる。多くの人が1年間、肉親にさえ会っていない。まともな暮らしが1年以上もできていない。なのにその状況でテレビの放送を見て、「オリンピック最高!」などと思うことができるのだろうか。無観客で、オリンピックの「陰」に光が当たるそれどころか、その中継にはCMや広告が入り込むはずである。競技場そのものにもスポンサーの名をたくさん見るだろう。選手の身のまわりにまで。そこで私たちは気づくはずである。オリンピックを実現するために犠牲になっている国民の向こうで――その中には事業倒産の危機を背負っている人たちも大勢いる――巨大なカネが動き、利益を得ている人たちがいることに。そしてそれは実は、マスコミそのものであったことに。Photo by iStock 考えてみれば、国民の声を聞いて世論をつくるはずのマスコミが「無観客でもオリンピックを開催して欲しい」という「世論」づくりの先鋒になってきた。だが、「無観客なら延期か中止」こそが、本来の世論の姿であるはずだ。しかし世論調査では、そうした意見はするりとはぐらかされて、「開催するなら無観客もやむを得ない」が私たちの意見であるかのようにすり替えられてしまっている。筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
本当は自分たちが見られるはずだったものを自宅の映像で見て、私たちははたしてこの人たちと一緒に、「オリンピックは素敵だ」と心から楽しむことができるだろうか。オリンピックの横断幕を掲げている東京都庁[Photo by gettyimages] 私たちの多くがワクチン接種もすんでいない。海外ではワクチンで相当に感染抑止効果が出ているところもあるが、日本はオリンピック開催国なのに遅れてしまった。そのため、私たちが海外からきた人々にウイルスをうつしてはいけないからと、直接近くに行くことさえ制限されるわけだが、テレビの向こう側では、日本人選手や大会会関係者には優先的に感染予防が図られている。こちら側には現実に感染し、苦しむ人もいる。多くの人が1年間、肉親にさえ会っていない。まともな暮らしが1年以上もできていない。なのにその状況でテレビの放送を見て、「オリンピック最高!」などと思うことができるのだろうか。無観客で、オリンピックの「陰」に光が当たるそれどころか、その中継にはCMや広告が入り込むはずである。競技場そのものにもスポンサーの名をたくさん見るだろう。選手の身のまわりにまで。そこで私たちは気づくはずである。オリンピックを実現するために犠牲になっている国民の向こうで――その中には事業倒産の危機を背負っている人たちも大勢いる――巨大なカネが動き、利益を得ている人たちがいることに。そしてそれは実は、マスコミそのものであったことに。Photo by iStock 考えてみれば、国民の声を聞いて世論をつくるはずのマスコミが「無観客でもオリンピックを開催して欲しい」という「世論」づくりの先鋒になってきた。だが、「無観客なら延期か中止」こそが、本来の世論の姿であるはずだ。しかし世論調査では、そうした意見はするりとはぐらかされて、「開催するなら無観客もやむを得ない」が私たちの意見であるかのようにすり替えられてしまっている。筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
オリンピックの横断幕を掲げている東京都庁[Photo by gettyimages] 私たちの多くがワクチン接種もすんでいない。海外ではワクチンで相当に感染抑止効果が出ているところもあるが、日本はオリンピック開催国なのに遅れてしまった。そのため、私たちが海外からきた人々にウイルスをうつしてはいけないからと、直接近くに行くことさえ制限されるわけだが、テレビの向こう側では、日本人選手や大会会関係者には優先的に感染予防が図られている。こちら側には現実に感染し、苦しむ人もいる。多くの人が1年間、肉親にさえ会っていない。まともな暮らしが1年以上もできていない。なのにその状況でテレビの放送を見て、「オリンピック最高!」などと思うことができるのだろうか。無観客で、オリンピックの「陰」に光が当たるそれどころか、その中継にはCMや広告が入り込むはずである。競技場そのものにもスポンサーの名をたくさん見るだろう。選手の身のまわりにまで。そこで私たちは気づくはずである。オリンピックを実現するために犠牲になっている国民の向こうで――その中には事業倒産の危機を背負っている人たちも大勢いる――巨大なカネが動き、利益を得ている人たちがいることに。そしてそれは実は、マスコミそのものであったことに。Photo by iStock 考えてみれば、国民の声を聞いて世論をつくるはずのマスコミが「無観客でもオリンピックを開催して欲しい」という「世論」づくりの先鋒になってきた。だが、「無観客なら延期か中止」こそが、本来の世論の姿であるはずだ。しかし世論調査では、そうした意見はするりとはぐらかされて、「開催するなら無観客もやむを得ない」が私たちの意見であるかのようにすり替えられてしまっている。筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
私たちの多くがワクチン接種もすんでいない。海外ではワクチンで相当に感染抑止効果が出ているところもあるが、日本はオリンピック開催国なのに遅れてしまった。そのため、私たちが海外からきた人々にウイルスをうつしてはいけないからと、直接近くに行くことさえ制限されるわけだが、テレビの向こう側では、日本人選手や大会会関係者には優先的に感染予防が図られている。こちら側には現実に感染し、苦しむ人もいる。多くの人が1年間、肉親にさえ会っていない。まともな暮らしが1年以上もできていない。なのにその状況でテレビの放送を見て、「オリンピック最高!」などと思うことができるのだろうか。無観客で、オリンピックの「陰」に光が当たるそれどころか、その中継にはCMや広告が入り込むはずである。競技場そのものにもスポンサーの名をたくさん見るだろう。選手の身のまわりにまで。そこで私たちは気づくはずである。オリンピックを実現するために犠牲になっている国民の向こうで――その中には事業倒産の危機を背負っている人たちも大勢いる――巨大なカネが動き、利益を得ている人たちがいることに。そしてそれは実は、マスコミそのものであったことに。Photo by iStock 考えてみれば、国民の声を聞いて世論をつくるはずのマスコミが「無観客でもオリンピックを開催して欲しい」という「世論」づくりの先鋒になってきた。だが、「無観客なら延期か中止」こそが、本来の世論の姿であるはずだ。しかし世論調査では、そうした意見はするりとはぐらかされて、「開催するなら無観客もやむを得ない」が私たちの意見であるかのようにすり替えられてしまっている。筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
私たちの多くがワクチン接種もすんでいない。海外ではワクチンで相当に感染抑止効果が出ているところもあるが、日本はオリンピック開催国なのに遅れてしまった。そのため、私たちが海外からきた人々にウイルスをうつしてはいけないからと、直接近くに行くことさえ制限されるわけだが、テレビの向こう側では、日本人選手や大会会関係者には優先的に感染予防が図られている。こちら側には現実に感染し、苦しむ人もいる。多くの人が1年間、肉親にさえ会っていない。まともな暮らしが1年以上もできていない。なのにその状況でテレビの放送を見て、「オリンピック最高!」などと思うことができるのだろうか。無観客で、オリンピックの「陰」に光が当たるそれどころか、その中継にはCMや広告が入り込むはずである。競技場そのものにもスポンサーの名をたくさん見るだろう。選手の身のまわりにまで。そこで私たちは気づくはずである。オリンピックを実現するために犠牲になっている国民の向こうで――その中には事業倒産の危機を背負っている人たちも大勢いる――巨大なカネが動き、利益を得ている人たちがいることに。そしてそれは実は、マスコミそのものであったことに。Photo by iStock 考えてみれば、国民の声を聞いて世論をつくるはずのマスコミが「無観客でもオリンピックを開催して欲しい」という「世論」づくりの先鋒になってきた。だが、「無観客なら延期か中止」こそが、本来の世論の姿であるはずだ。しかし世論調査では、そうした意見はするりとはぐらかされて、「開催するなら無観客もやむを得ない」が私たちの意見であるかのようにすり替えられてしまっている。筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
そのため、私たちが海外からきた人々にウイルスをうつしてはいけないからと、直接近くに行くことさえ制限されるわけだが、テレビの向こう側では、日本人選手や大会会関係者には優先的に感染予防が図られている。こちら側には現実に感染し、苦しむ人もいる。多くの人が1年間、肉親にさえ会っていない。まともな暮らしが1年以上もできていない。なのにその状況でテレビの放送を見て、「オリンピック最高!」などと思うことができるのだろうか。無観客で、オリンピックの「陰」に光が当たるそれどころか、その中継にはCMや広告が入り込むはずである。競技場そのものにもスポンサーの名をたくさん見るだろう。選手の身のまわりにまで。そこで私たちは気づくはずである。オリンピックを実現するために犠牲になっている国民の向こうで――その中には事業倒産の危機を背負っている人たちも大勢いる――巨大なカネが動き、利益を得ている人たちがいることに。そしてそれは実は、マスコミそのものであったことに。Photo by iStock 考えてみれば、国民の声を聞いて世論をつくるはずのマスコミが「無観客でもオリンピックを開催して欲しい」という「世論」づくりの先鋒になってきた。だが、「無観客なら延期か中止」こそが、本来の世論の姿であるはずだ。しかし世論調査では、そうした意見はするりとはぐらかされて、「開催するなら無観客もやむを得ない」が私たちの意見であるかのようにすり替えられてしまっている。筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
こちら側には現実に感染し、苦しむ人もいる。多くの人が1年間、肉親にさえ会っていない。まともな暮らしが1年以上もできていない。なのにその状況でテレビの放送を見て、「オリンピック最高!」などと思うことができるのだろうか。無観客で、オリンピックの「陰」に光が当たるそれどころか、その中継にはCMや広告が入り込むはずである。競技場そのものにもスポンサーの名をたくさん見るだろう。選手の身のまわりにまで。そこで私たちは気づくはずである。オリンピックを実現するために犠牲になっている国民の向こうで――その中には事業倒産の危機を背負っている人たちも大勢いる――巨大なカネが動き、利益を得ている人たちがいることに。そしてそれは実は、マスコミそのものであったことに。Photo by iStock 考えてみれば、国民の声を聞いて世論をつくるはずのマスコミが「無観客でもオリンピックを開催して欲しい」という「世論」づくりの先鋒になってきた。だが、「無観客なら延期か中止」こそが、本来の世論の姿であるはずだ。しかし世論調査では、そうした意見はするりとはぐらかされて、「開催するなら無観客もやむを得ない」が私たちの意見であるかのようにすり替えられてしまっている。筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
なのにその状況でテレビの放送を見て、「オリンピック最高!」などと思うことができるのだろうか。無観客で、オリンピックの「陰」に光が当たるそれどころか、その中継にはCMや広告が入り込むはずである。競技場そのものにもスポンサーの名をたくさん見るだろう。選手の身のまわりにまで。そこで私たちは気づくはずである。オリンピックを実現するために犠牲になっている国民の向こうで――その中には事業倒産の危機を背負っている人たちも大勢いる――巨大なカネが動き、利益を得ている人たちがいることに。そしてそれは実は、マスコミそのものであったことに。Photo by iStock 考えてみれば、国民の声を聞いて世論をつくるはずのマスコミが「無観客でもオリンピックを開催して欲しい」という「世論」づくりの先鋒になってきた。だが、「無観客なら延期か中止」こそが、本来の世論の姿であるはずだ。しかし世論調査では、そうした意見はするりとはぐらかされて、「開催するなら無観客もやむを得ない」が私たちの意見であるかのようにすり替えられてしまっている。筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
それどころか、その中継にはCMや広告が入り込むはずである。競技場そのものにもスポンサーの名をたくさん見るだろう。選手の身のまわりにまで。そこで私たちは気づくはずである。オリンピックを実現するために犠牲になっている国民の向こうで――その中には事業倒産の危機を背負っている人たちも大勢いる――巨大なカネが動き、利益を得ている人たちがいることに。そしてそれは実は、マスコミそのものであったことに。Photo by iStock 考えてみれば、国民の声を聞いて世論をつくるはずのマスコミが「無観客でもオリンピックを開催して欲しい」という「世論」づくりの先鋒になってきた。だが、「無観客なら延期か中止」こそが、本来の世論の姿であるはずだ。しかし世論調査では、そうした意見はするりとはぐらかされて、「開催するなら無観客もやむを得ない」が私たちの意見であるかのようにすり替えられてしまっている。筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
そこで私たちは気づくはずである。オリンピックを実現するために犠牲になっている国民の向こうで――その中には事業倒産の危機を背負っている人たちも大勢いる――巨大なカネが動き、利益を得ている人たちがいることに。そしてそれは実は、マスコミそのものであったことに。Photo by iStock 考えてみれば、国民の声を聞いて世論をつくるはずのマスコミが「無観客でもオリンピックを開催して欲しい」という「世論」づくりの先鋒になってきた。だが、「無観客なら延期か中止」こそが、本来の世論の姿であるはずだ。しかし世論調査では、そうした意見はするりとはぐらかされて、「開催するなら無観客もやむを得ない」が私たちの意見であるかのようにすり替えられてしまっている。筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
そしてそれは実は、マスコミそのものであったことに。Photo by iStock 考えてみれば、国民の声を聞いて世論をつくるはずのマスコミが「無観客でもオリンピックを開催して欲しい」という「世論」づくりの先鋒になってきた。だが、「無観客なら延期か中止」こそが、本来の世論の姿であるはずだ。しかし世論調査では、そうした意見はするりとはぐらかされて、「開催するなら無観客もやむを得ない」が私たちの意見であるかのようにすり替えられてしまっている。筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
Photo by iStock 考えてみれば、国民の声を聞いて世論をつくるはずのマスコミが「無観客でもオリンピックを開催して欲しい」という「世論」づくりの先鋒になってきた。だが、「無観客なら延期か中止」こそが、本来の世論の姿であるはずだ。しかし世論調査では、そうした意見はするりとはぐらかされて、「開催するなら無観客もやむを得ない」が私たちの意見であるかのようにすり替えられてしまっている。筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
考えてみれば、国民の声を聞いて世論をつくるはずのマスコミが「無観客でもオリンピックを開催して欲しい」という「世論」づくりの先鋒になってきた。だが、「無観客なら延期か中止」こそが、本来の世論の姿であるはずだ。しかし世論調査では、そうした意見はするりとはぐらかされて、「開催するなら無観客もやむを得ない」が私たちの意見であるかのようにすり替えられてしまっている。筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
考えてみれば、国民の声を聞いて世論をつくるはずのマスコミが「無観客でもオリンピックを開催して欲しい」という「世論」づくりの先鋒になってきた。だが、「無観客なら延期か中止」こそが、本来の世論の姿であるはずだ。しかし世論調査では、そうした意見はするりとはぐらかされて、「開催するなら無観客もやむを得ない」が私たちの意見であるかのようにすり替えられてしまっている。筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
だが、「無観客なら延期か中止」こそが、本来の世論の姿であるはずだ。しかし世論調査では、そうした意見はするりとはぐらかされて、「開催するなら無観客もやむを得ない」が私たちの意見であるかのようにすり替えられてしまっている。筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
しかし世論調査では、そうした意見はするりとはぐらかされて、「開催するなら無観客もやむを得ない」が私たちの意見であるかのようにすり替えられてしまっている。筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
筆者はこのところのメディアの動きをそう読み取る。実際、メディアにとってはそうせざるをえないのであろう。広告主たちがいるのだから。スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
スポンサーや広告、放映権をめぐる利権の存在は、オリンピックの暗黒面である。だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
だがそれでも競技が実際に始まれば、そこには多くの観客たちがいて、世界のアスリートたちはもちろん、世界中から集まったスポーツを愛する人たちとともに華やいだ光が溢れるので、オリンピックの陰の部分はつねに覆い隠されてきた。無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
無観客という場は、この観客という覆いが取り除かれ、その陰に光が当たる場になる。オリンピックの真実が、そこには映し出される。私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
私たちは見るだろう。無観客と言いながら、メディアだけではない、大会を運営するという名目で入り込んでいる多くの特別な人たちの姿を。そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
そうした明確な世界階級社会の現実の姿を露わに見て、私たちははたして、この1年以上耐え忍んできたやり場のない怒りを抑えることができるのだろうか。天皇陛下の御観戦が持つ意味無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
無観客であるはずの競技の場に見えてくる、特別待遇の観客たち。だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
だが、この嫌でも目に見えてしまう特権階級は、決してオリンピック関係者やマスメディアだけではない。国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
国民の誰もが直接見ることが許されないオリンピックを、その場で観戦する人たちが他にもいる。6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
6月末に、宮内庁長官が、天皇陛下が今回の感染拡大下でのオリンピック開催を懸念していると伝える異例の会見があった。この時、筆者は不思議な感じがしたが、何が起きているのかは正直言ってピンとこなかった。しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
しかしこうして無観客観戦が決まってしまうと、ここでいう懸念が何を指していたのかおぼろにわかってきた気がする。そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
そう。国民に無観客を強いる反面、逆に観戦を強いられる人がいる。天皇陛下である。オリンピックが開催されて、陛下が姿を現さないというのはどう考えてもありえない。天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
天皇陛下[Photo by gettyimages] だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
だとすると現実に起きることはこうなる。すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
すぐそばで開催されているオリンピックなのに国民は観戦できず、しかし天皇陛下は観戦している。国民はそれを許すには違いない。しかし天皇陛下の身になって考えてみれば、ご本人にとってそれはあまりにも違和感のある事態ではないだろうか。国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
国民と一体であることが皇室の前提である。国民の誰もいない中、自分たちだけが特別待遇で見ている。こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
こんなオリンピックは、陛下の思いとは全く違うものであるはずだ。それに気づいたからこその、先月の異例の宮内庁の談話だったのだろう。各国首脳と総理大臣や閣僚たちの姿だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
だが、もちろんそこにはもうひとかたの姿がある。天皇陛下のそばにいる一群の、特別待遇の人々の存在が。その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
その人たちの姿に、私たちはこれから本当に冷静でいられるだろうか。それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
それはこの国の首相、菅義偉氏と、もしかするとそのご家族の姿である。ひょっとすると安倍晋三元首相夫妻も姿を現すかもしれない。姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
姿を現さないわけにはいかない。なぜなら各国からの賓客もここには現れるからだ。すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
すでに韓国の文在寅大統領の来日も話題に上っている。来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
来日が取りざたされている韓国の文在寅大統領[Photo by gettyimages] 各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
各国から賓客が来て、首相らがテレビ観戦などということはあるまい。感染の心配のない特別席でこのオリンピックを見るはずだ。文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
文大統領らは来客だから特別扱いは当然としても、はたしてそこで出迎えるこの国の首脳たちの姿を、私たちは平常心で見ることができるだろうか。菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
菅首相が一時でもコロナ禍を忘れて笑うようなことがあったとき、わたしたちはオリンピックを観戦して面白かったではすまない、強烈な感情がはじけてしまう危険を感じる。緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
緊急事態宣言下の無観客開催では、それは避けられないものと筆者は考える。だが菅首相はもしかすると、この事態を全く想定していないのではないか。私たちは冷静でいられるかこの1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
この1年以上、国民はコロナ禍を耐えてきた。ただ耐えたのではない。事業者たちの中には耐えきれずへし折れた人々がたくさんいる。それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
それ以前に、感染で亡くなった方が大勢いることを忘れてはならない。そうした生死の境を、このオリンピック開催中もさまよう人がいて、それは私やあなかかもしれない。Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
Go Toキャンペーン、持続化給付金をめぐる一連の諸問題、ようやくPCR検査が普通にできるようになったが、ワクチン接種もなおままならないというずさんなコロナ対策。対策さえ万全なら、助かった命もあったのではないか。なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
なのに国会は早々に閉幕して、国民の前から政府は逃げてしまった。しかもその国会では、コロナ禍以前から出ていた疑惑がいまだ一切解明されておらず、森友加計問題も、桜を見る会も、検察庁長官任命をめぐる問題も、IR疑惑もなお黒い霧の向こうにある。そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
そして広島県での河合克行・案里両議員の選挙違反行為も、当人たちは罰せられながら、受領した人々ついてはお咎めなしとなっている。なお疑惑は解明されておらず、他にも問題の金を受け取った人は大勢いるはずで、ここにはもっと大きな暗黒の権力が関わっている気配がある。疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
疑惑のオンパレードとコロナ失政の連続の中で、国民のワクチンも確保できずに無観客を強いつつ、自分たちだけは観戦を楽しむ形で開催するオリンピック――。そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
そもそもこれは招致した当初は、景気浮揚のチャンスとして持ち込んだものだったのではなかったか。ならば本当にコロナ禍が終わったあとでの開催を実現するべきだろう。そこまで頑張ればと、今を耐えている事業者にとってはオリンピックが希望になったはずだ。だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
だがそうした国民の思いや苦しみは押しのけて、ただ開催だけを強行した政府。各地で熱心に準備してきた海外の人々との交流をもすべてとりやめて、ただIOCのため、一部の政治家の保身のためだけに無理な開催を強引に推し進めている。もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
もっともその現実に国民はまだ気付いていない。しかしオリンピックが開催され、テレビ中継を通じて真実が露わになったとき、国民の怒りはきっと噴出しよう。Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
Photo by iStock 国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
国民の怒りのマグマは、どこで噴出するかおそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
おそらく官邸はこの1年以上、事態をずっと読み間違っている。読み間違う理由もまた明らかだが、それはここではおいておこう。国民からの開催反対の声はそれほど強くないという読みも、もしかしたら官邸にはあるのかもしれない。だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
だがパンデミックそのものが、政治的対抗運動を阻害するものであり、他方で憤懣はたまるから、国民の声はある時に驚くべき仕方で、きわめて強い感情を伴って湧き上がることになるはずである。政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
政権のためにいうが、今からでも遅くはない、オリンピックの開催延期を決断すべきである。他方で、このオリンピックを経てもなお、国民の怒りが表れなかったとき、それはさらに強い負のマグマがたまったときである。次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
次の選挙が楽しみではある。だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
だがその前に、オリンピックで持ち込まれるウイルスとの戦いがまずは先決になり、そこでさらにマグマはたまるだろう。この夏休みまで私たちは返上せねばならぬようである。国民のためではない、誰かのためのオリンピックによって。いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。
いったいこの事態はいつまでつづくのだろうか。正常な政治という当たり前の状態を、あらためて懐かしく感じるところである。