「大人のADHD」安易な診断、薬物治療は禁物? 先天的以外の原因は

「あれっ、ない!」「えっ、もう過ぎてます?」。物忘れに遅刻、自分はもしかしたら病気なのだろうか……。近年、「大人のADHD」が注目されている。だが、安易な診断は禁物だ。原因を見誤ると我が子にも影響が。
***
【写真3枚】この記事の写真を見る
片付けができない。
忘れっぽい。
なくし物が多い。
よく遅刻してしまう……。
すでに立派な「いい大人」であるのに、まるで小学生のように「生活の基本」がなかなか守れない。
あなたの職場にこのような同僚はいませんか? あるいは、もしかしたらあなた自身が、会社の机を整理できず、会議にしょっちゅう遅れてしまうことに悩んでいませんか?
近年、こうした大人たちをこうカテゴライズする機会が増えています。
「あの人は発達障害だから」――。
ADHD(注意欠如・多動症)やASD(自閉スペクトラム症)などの症状で知られる発達障害の診断に関して、臨床医である私は最近、異変が起きていると感じています。
「ADHDと診断され、薬も処方されているのに良くならない」 こう訴え、私のところにセカンドオピニオンを求めてくる「大人」が急激に増えたのです。 この現象に、私は「違和感」を覚えています。 従来、ADHDは遺伝や妊娠中の飲酒・喫煙などの周産期のトラブル等、生まれ持った生物学的要因による神経発達障害とされてきました。その結果、多動や不注意、衝動性などの症状が出る。 このような障害が子どもの発達段階で起きるものと考えられていたわけですが、それが今では多動や不注意で悩む大人にも広がり、ADHDと診断されることが増えているのです。「大人のADHD」です。 この状況は、あたかも「発達障害診断バブル」「ADHD診断インフレ」とでも呼ぶべき状況です。しかし、ここは冷静になって考えてみる必要があります。 多動や不注意。つまり、うっかり忘れ物をしたり、つい遅刻してしまう――。 これらは、程度の差はあれ、誰にでも起きることでもあります。 一体、どれくらいの頻度で忘れ物をするとADHDと言えるのか、月に何回遅刻したらADHDなのか。客観的な診断の基準はなく、しかも、診断の決め手になる検査も存在しないため、「忘れ物がひどくて困っています」という主観的な訴えで、事実上診断が行われているのです。 そして、ADHDと診断された人に投薬治療が行われるケースが少なくありません。生まれつきの神経障害なのだから薬物で改善できると。 果たしてそうなのでしょうか。「客観的」な基準を脇に置き、「主観的」によく忘れ物をするあなたは本当にADHDなのでしょうか。〈「岡田クリニック」(大阪府枚方市)院長の岡田尊司氏は、京都大学などでの研究の傍ら、京都医療少年院等にも勤務し、精神科医として「現場」と向き合ってきた。そして現在、自身のクリニックで臨床の場に立ち続けている。 そんな岡田氏が感じたという異変。実際、2006年と19年の人数を比べると、通級におけるADHDの児童生徒数は15・1倍に増加し、それと並行するように「大人のADHD」も注目を集めている。しかし、「安易」な発達障害診断は、先に触れたように「不要」な薬物治療という弊害を誘発しかねない。「ブーム」となっている感がある発達障害。我が子、そして自身がADHDではないかと悩む人が増えるなか、必ずしも世間の理解は進んでいるとは言えないようだ。〉「特性」が「障害」に ADHDの特性のひとつである不注意は、言い換えれば「うっかりミス」です。日々の生活や仕事の中で、誰もがミスをすることがあるわけですが、不注意の要因とは何でしょうか。 例えば睡眠不足。OECD(経済協力開発機構)の調査によると、日本人の平均睡眠時間は7時間22分で、ワーストワンでした。睡眠時間が短ければ当然、集中力は落ち、不注意は起きやすくなります。また、継続的にストレスに晒され、長時間IT機器に触れることでも集中力は低下する。さらに、現代人はさまざまな形で脳を酷使していますから、必然的にイライラしやすくなり、衝動性も高まります。 こうした状況で、成人の半分以上が不注意に悩んでいるというデータもあります。では、成人の半分以上がADHDなのかと言われれば、もちろんそんなことはありません。 つまり、それほどの頻度ではない不注意や衝動性に悩み、精神科医のところに駆け込んでADHDの診断を受けるケースが増えていることになります。 そもそも、遺伝要因等から起きる「本来のADHD」は、忘れ物が激しく、毎日遅刻するのに本人は悩んでいないというケースが多い。症状はあるのに深刻に捉えていないことが特徴とも言えるのです。 他方、「大人のADHD」はこの逆です。あくまで「主観的な生きづらさ」によってADHDと診断され、場合によっては薬物が投与される。ADHDでよく投与されるのは「コンサータ」という薬ですが、これは、謂(い)わば、ゆっくり効く覚醒剤で、短期的には脳の覚醒度を上げ、中枢の認知度を高める効果が期待できるものの、中長期的には神経が過敏になり過ぎ、抑うつ症状や、不安障害といった弊害を起こすリスクも想定される。したがって、私は安易に投薬治療を行ってはいけないと考えます。 たまにミスや忘れ物をしてしまう人を「普通の人」と捉えたとします。しかし、本人はその頻度をもっと少なくしたいと悩んでいる。身長で言うと、170センチのごく平均的な「普通の人」が、もっと背が高くなりたいと成長ホルモンを打ってもらうようなもの。「大人のADHD」への安易な投薬は、これと似ていると言えます。私には、この状況が適切なものとは思い難い。 では、なぜ「大人のADHD」の概念が広がったのか。それには「勉強至上主義」が影響していると思います。昔であれば、中卒で仕事をする人も少なくありませんでしたが、昨今では高校はもちろん、多くの人が大学まで進学します。つまり、学校の勉強ができることが重視され、それが苦手なことは人としてのひとつの「特性」に過ぎないのに、「障害」扱いされるようになってしまった。「学校の勉強に集中できない子=ADHDあるいはLD(学習障害)」という構図です。これが大人にも敷衍(ふえん)され、「不注意な大人=大人のADHD」、「片付けができない大人はADHD」となっていったのです。そして、脳の「障害」なのだから薬を飲めば治せるという認識も広がってしまった。米国では離婚率が急増し… そもそも遺伝要因の「本来のADHD」は、小学校までに多動、不注意といった症状が明らかに見られ、生活に支障を来している場合を言います。そうでなければ、ADHDとは言えません。 したがって、大人になってから「ADHD的」な症状が現れるようになったケースは、発達障害ではなく、他の要因を考えなければなりません。うつや不安障害、さらには何らかの依存症によってADHD的な症状が出ることもありますが、それ以外の大きな要因と言われているのが「愛着障害」です。 例えば虐待を受けたり、親に見捨てられたりと、子どもの頃に親との関係が不安定だった経験がある人は、何年か経ってからADHDと似た症状を発症する場合があるのです。こうした後天的なケースが、「大人のADHD」として近年、目立つようになっている。「本来のADHD」は、実は18歳になる頃までに、7割強の人で症状が軽快します。一方、愛着障害による「大人のADHD」では、逆に年齢が上がるにつれ症状が強まっていく。また、先にも述べたように「本来のADHD」の人はあまり症状を気にしません。他方、「大人のADHD」では、症状は軽くても異様に気にして悩む傾向が強い。これらの点が、両者を見分けるポイントと言えます。〈「先天的」な発達障害かと思っていたら、実は「後天的」な愛着障害だった……。薬の濫用の無意味さが、改めて浮かび上がってくる。〉 愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
こう訴え、私のところにセカンドオピニオンを求めてくる「大人」が急激に増えたのです。 この現象に、私は「違和感」を覚えています。 従来、ADHDは遺伝や妊娠中の飲酒・喫煙などの周産期のトラブル等、生まれ持った生物学的要因による神経発達障害とされてきました。その結果、多動や不注意、衝動性などの症状が出る。 このような障害が子どもの発達段階で起きるものと考えられていたわけですが、それが今では多動や不注意で悩む大人にも広がり、ADHDと診断されることが増えているのです。「大人のADHD」です。 この状況は、あたかも「発達障害診断バブル」「ADHD診断インフレ」とでも呼ぶべき状況です。しかし、ここは冷静になって考えてみる必要があります。 多動や不注意。つまり、うっかり忘れ物をしたり、つい遅刻してしまう――。 これらは、程度の差はあれ、誰にでも起きることでもあります。 一体、どれくらいの頻度で忘れ物をするとADHDと言えるのか、月に何回遅刻したらADHDなのか。客観的な診断の基準はなく、しかも、診断の決め手になる検査も存在しないため、「忘れ物がひどくて困っています」という主観的な訴えで、事実上診断が行われているのです。 そして、ADHDと診断された人に投薬治療が行われるケースが少なくありません。生まれつきの神経障害なのだから薬物で改善できると。 果たしてそうなのでしょうか。「客観的」な基準を脇に置き、「主観的」によく忘れ物をするあなたは本当にADHDなのでしょうか。〈「岡田クリニック」(大阪府枚方市)院長の岡田尊司氏は、京都大学などでの研究の傍ら、京都医療少年院等にも勤務し、精神科医として「現場」と向き合ってきた。そして現在、自身のクリニックで臨床の場に立ち続けている。 そんな岡田氏が感じたという異変。実際、2006年と19年の人数を比べると、通級におけるADHDの児童生徒数は15・1倍に増加し、それと並行するように「大人のADHD」も注目を集めている。しかし、「安易」な発達障害診断は、先に触れたように「不要」な薬物治療という弊害を誘発しかねない。「ブーム」となっている感がある発達障害。我が子、そして自身がADHDではないかと悩む人が増えるなか、必ずしも世間の理解は進んでいるとは言えないようだ。〉「特性」が「障害」に ADHDの特性のひとつである不注意は、言い換えれば「うっかりミス」です。日々の生活や仕事の中で、誰もがミスをすることがあるわけですが、不注意の要因とは何でしょうか。 例えば睡眠不足。OECD(経済協力開発機構)の調査によると、日本人の平均睡眠時間は7時間22分で、ワーストワンでした。睡眠時間が短ければ当然、集中力は落ち、不注意は起きやすくなります。また、継続的にストレスに晒され、長時間IT機器に触れることでも集中力は低下する。さらに、現代人はさまざまな形で脳を酷使していますから、必然的にイライラしやすくなり、衝動性も高まります。 こうした状況で、成人の半分以上が不注意に悩んでいるというデータもあります。では、成人の半分以上がADHDなのかと言われれば、もちろんそんなことはありません。 つまり、それほどの頻度ではない不注意や衝動性に悩み、精神科医のところに駆け込んでADHDの診断を受けるケースが増えていることになります。 そもそも、遺伝要因等から起きる「本来のADHD」は、忘れ物が激しく、毎日遅刻するのに本人は悩んでいないというケースが多い。症状はあるのに深刻に捉えていないことが特徴とも言えるのです。 他方、「大人のADHD」はこの逆です。あくまで「主観的な生きづらさ」によってADHDと診断され、場合によっては薬物が投与される。ADHDでよく投与されるのは「コンサータ」という薬ですが、これは、謂(い)わば、ゆっくり効く覚醒剤で、短期的には脳の覚醒度を上げ、中枢の認知度を高める効果が期待できるものの、中長期的には神経が過敏になり過ぎ、抑うつ症状や、不安障害といった弊害を起こすリスクも想定される。したがって、私は安易に投薬治療を行ってはいけないと考えます。 たまにミスや忘れ物をしてしまう人を「普通の人」と捉えたとします。しかし、本人はその頻度をもっと少なくしたいと悩んでいる。身長で言うと、170センチのごく平均的な「普通の人」が、もっと背が高くなりたいと成長ホルモンを打ってもらうようなもの。「大人のADHD」への安易な投薬は、これと似ていると言えます。私には、この状況が適切なものとは思い難い。 では、なぜ「大人のADHD」の概念が広がったのか。それには「勉強至上主義」が影響していると思います。昔であれば、中卒で仕事をする人も少なくありませんでしたが、昨今では高校はもちろん、多くの人が大学まで進学します。つまり、学校の勉強ができることが重視され、それが苦手なことは人としてのひとつの「特性」に過ぎないのに、「障害」扱いされるようになってしまった。「学校の勉強に集中できない子=ADHDあるいはLD(学習障害)」という構図です。これが大人にも敷衍(ふえん)され、「不注意な大人=大人のADHD」、「片付けができない大人はADHD」となっていったのです。そして、脳の「障害」なのだから薬を飲めば治せるという認識も広がってしまった。米国では離婚率が急増し… そもそも遺伝要因の「本来のADHD」は、小学校までに多動、不注意といった症状が明らかに見られ、生活に支障を来している場合を言います。そうでなければ、ADHDとは言えません。 したがって、大人になってから「ADHD的」な症状が現れるようになったケースは、発達障害ではなく、他の要因を考えなければなりません。うつや不安障害、さらには何らかの依存症によってADHD的な症状が出ることもありますが、それ以外の大きな要因と言われているのが「愛着障害」です。 例えば虐待を受けたり、親に見捨てられたりと、子どもの頃に親との関係が不安定だった経験がある人は、何年か経ってからADHDと似た症状を発症する場合があるのです。こうした後天的なケースが、「大人のADHD」として近年、目立つようになっている。「本来のADHD」は、実は18歳になる頃までに、7割強の人で症状が軽快します。一方、愛着障害による「大人のADHD」では、逆に年齢が上がるにつれ症状が強まっていく。また、先にも述べたように「本来のADHD」の人はあまり症状を気にしません。他方、「大人のADHD」では、症状は軽くても異様に気にして悩む傾向が強い。これらの点が、両者を見分けるポイントと言えます。〈「先天的」な発達障害かと思っていたら、実は「後天的」な愛着障害だった……。薬の濫用の無意味さが、改めて浮かび上がってくる。〉 愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
この現象に、私は「違和感」を覚えています。 従来、ADHDは遺伝や妊娠中の飲酒・喫煙などの周産期のトラブル等、生まれ持った生物学的要因による神経発達障害とされてきました。その結果、多動や不注意、衝動性などの症状が出る。 このような障害が子どもの発達段階で起きるものと考えられていたわけですが、それが今では多動や不注意で悩む大人にも広がり、ADHDと診断されることが増えているのです。「大人のADHD」です。 この状況は、あたかも「発達障害診断バブル」「ADHD診断インフレ」とでも呼ぶべき状況です。しかし、ここは冷静になって考えてみる必要があります。 多動や不注意。つまり、うっかり忘れ物をしたり、つい遅刻してしまう――。 これらは、程度の差はあれ、誰にでも起きることでもあります。 一体、どれくらいの頻度で忘れ物をするとADHDと言えるのか、月に何回遅刻したらADHDなのか。客観的な診断の基準はなく、しかも、診断の決め手になる検査も存在しないため、「忘れ物がひどくて困っています」という主観的な訴えで、事実上診断が行われているのです。 そして、ADHDと診断された人に投薬治療が行われるケースが少なくありません。生まれつきの神経障害なのだから薬物で改善できると。 果たしてそうなのでしょうか。「客観的」な基準を脇に置き、「主観的」によく忘れ物をするあなたは本当にADHDなのでしょうか。〈「岡田クリニック」(大阪府枚方市)院長の岡田尊司氏は、京都大学などでの研究の傍ら、京都医療少年院等にも勤務し、精神科医として「現場」と向き合ってきた。そして現在、自身のクリニックで臨床の場に立ち続けている。 そんな岡田氏が感じたという異変。実際、2006年と19年の人数を比べると、通級におけるADHDの児童生徒数は15・1倍に増加し、それと並行するように「大人のADHD」も注目を集めている。しかし、「安易」な発達障害診断は、先に触れたように「不要」な薬物治療という弊害を誘発しかねない。「ブーム」となっている感がある発達障害。我が子、そして自身がADHDではないかと悩む人が増えるなか、必ずしも世間の理解は進んでいるとは言えないようだ。〉「特性」が「障害」に ADHDの特性のひとつである不注意は、言い換えれば「うっかりミス」です。日々の生活や仕事の中で、誰もがミスをすることがあるわけですが、不注意の要因とは何でしょうか。 例えば睡眠不足。OECD(経済協力開発機構)の調査によると、日本人の平均睡眠時間は7時間22分で、ワーストワンでした。睡眠時間が短ければ当然、集中力は落ち、不注意は起きやすくなります。また、継続的にストレスに晒され、長時間IT機器に触れることでも集中力は低下する。さらに、現代人はさまざまな形で脳を酷使していますから、必然的にイライラしやすくなり、衝動性も高まります。 こうした状況で、成人の半分以上が不注意に悩んでいるというデータもあります。では、成人の半分以上がADHDなのかと言われれば、もちろんそんなことはありません。 つまり、それほどの頻度ではない不注意や衝動性に悩み、精神科医のところに駆け込んでADHDの診断を受けるケースが増えていることになります。 そもそも、遺伝要因等から起きる「本来のADHD」は、忘れ物が激しく、毎日遅刻するのに本人は悩んでいないというケースが多い。症状はあるのに深刻に捉えていないことが特徴とも言えるのです。 他方、「大人のADHD」はこの逆です。あくまで「主観的な生きづらさ」によってADHDと診断され、場合によっては薬物が投与される。ADHDでよく投与されるのは「コンサータ」という薬ですが、これは、謂(い)わば、ゆっくり効く覚醒剤で、短期的には脳の覚醒度を上げ、中枢の認知度を高める効果が期待できるものの、中長期的には神経が過敏になり過ぎ、抑うつ症状や、不安障害といった弊害を起こすリスクも想定される。したがって、私は安易に投薬治療を行ってはいけないと考えます。 たまにミスや忘れ物をしてしまう人を「普通の人」と捉えたとします。しかし、本人はその頻度をもっと少なくしたいと悩んでいる。身長で言うと、170センチのごく平均的な「普通の人」が、もっと背が高くなりたいと成長ホルモンを打ってもらうようなもの。「大人のADHD」への安易な投薬は、これと似ていると言えます。私には、この状況が適切なものとは思い難い。 では、なぜ「大人のADHD」の概念が広がったのか。それには「勉強至上主義」が影響していると思います。昔であれば、中卒で仕事をする人も少なくありませんでしたが、昨今では高校はもちろん、多くの人が大学まで進学します。つまり、学校の勉強ができることが重視され、それが苦手なことは人としてのひとつの「特性」に過ぎないのに、「障害」扱いされるようになってしまった。「学校の勉強に集中できない子=ADHDあるいはLD(学習障害)」という構図です。これが大人にも敷衍(ふえん)され、「不注意な大人=大人のADHD」、「片付けができない大人はADHD」となっていったのです。そして、脳の「障害」なのだから薬を飲めば治せるという認識も広がってしまった。米国では離婚率が急増し… そもそも遺伝要因の「本来のADHD」は、小学校までに多動、不注意といった症状が明らかに見られ、生活に支障を来している場合を言います。そうでなければ、ADHDとは言えません。 したがって、大人になってから「ADHD的」な症状が現れるようになったケースは、発達障害ではなく、他の要因を考えなければなりません。うつや不安障害、さらには何らかの依存症によってADHD的な症状が出ることもありますが、それ以外の大きな要因と言われているのが「愛着障害」です。 例えば虐待を受けたり、親に見捨てられたりと、子どもの頃に親との関係が不安定だった経験がある人は、何年か経ってからADHDと似た症状を発症する場合があるのです。こうした後天的なケースが、「大人のADHD」として近年、目立つようになっている。「本来のADHD」は、実は18歳になる頃までに、7割強の人で症状が軽快します。一方、愛着障害による「大人のADHD」では、逆に年齢が上がるにつれ症状が強まっていく。また、先にも述べたように「本来のADHD」の人はあまり症状を気にしません。他方、「大人のADHD」では、症状は軽くても異様に気にして悩む傾向が強い。これらの点が、両者を見分けるポイントと言えます。〈「先天的」な発達障害かと思っていたら、実は「後天的」な愛着障害だった……。薬の濫用の無意味さが、改めて浮かび上がってくる。〉 愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
従来、ADHDは遺伝や妊娠中の飲酒・喫煙などの周産期のトラブル等、生まれ持った生物学的要因による神経発達障害とされてきました。その結果、多動や不注意、衝動性などの症状が出る。 このような障害が子どもの発達段階で起きるものと考えられていたわけですが、それが今では多動や不注意で悩む大人にも広がり、ADHDと診断されることが増えているのです。「大人のADHD」です。 この状況は、あたかも「発達障害診断バブル」「ADHD診断インフレ」とでも呼ぶべき状況です。しかし、ここは冷静になって考えてみる必要があります。 多動や不注意。つまり、うっかり忘れ物をしたり、つい遅刻してしまう――。 これらは、程度の差はあれ、誰にでも起きることでもあります。 一体、どれくらいの頻度で忘れ物をするとADHDと言えるのか、月に何回遅刻したらADHDなのか。客観的な診断の基準はなく、しかも、診断の決め手になる検査も存在しないため、「忘れ物がひどくて困っています」という主観的な訴えで、事実上診断が行われているのです。 そして、ADHDと診断された人に投薬治療が行われるケースが少なくありません。生まれつきの神経障害なのだから薬物で改善できると。 果たしてそうなのでしょうか。「客観的」な基準を脇に置き、「主観的」によく忘れ物をするあなたは本当にADHDなのでしょうか。〈「岡田クリニック」(大阪府枚方市)院長の岡田尊司氏は、京都大学などでの研究の傍ら、京都医療少年院等にも勤務し、精神科医として「現場」と向き合ってきた。そして現在、自身のクリニックで臨床の場に立ち続けている。 そんな岡田氏が感じたという異変。実際、2006年と19年の人数を比べると、通級におけるADHDの児童生徒数は15・1倍に増加し、それと並行するように「大人のADHD」も注目を集めている。しかし、「安易」な発達障害診断は、先に触れたように「不要」な薬物治療という弊害を誘発しかねない。「ブーム」となっている感がある発達障害。我が子、そして自身がADHDではないかと悩む人が増えるなか、必ずしも世間の理解は進んでいるとは言えないようだ。〉「特性」が「障害」に ADHDの特性のひとつである不注意は、言い換えれば「うっかりミス」です。日々の生活や仕事の中で、誰もがミスをすることがあるわけですが、不注意の要因とは何でしょうか。 例えば睡眠不足。OECD(経済協力開発機構)の調査によると、日本人の平均睡眠時間は7時間22分で、ワーストワンでした。睡眠時間が短ければ当然、集中力は落ち、不注意は起きやすくなります。また、継続的にストレスに晒され、長時間IT機器に触れることでも集中力は低下する。さらに、現代人はさまざまな形で脳を酷使していますから、必然的にイライラしやすくなり、衝動性も高まります。 こうした状況で、成人の半分以上が不注意に悩んでいるというデータもあります。では、成人の半分以上がADHDなのかと言われれば、もちろんそんなことはありません。 つまり、それほどの頻度ではない不注意や衝動性に悩み、精神科医のところに駆け込んでADHDの診断を受けるケースが増えていることになります。 そもそも、遺伝要因等から起きる「本来のADHD」は、忘れ物が激しく、毎日遅刻するのに本人は悩んでいないというケースが多い。症状はあるのに深刻に捉えていないことが特徴とも言えるのです。 他方、「大人のADHD」はこの逆です。あくまで「主観的な生きづらさ」によってADHDと診断され、場合によっては薬物が投与される。ADHDでよく投与されるのは「コンサータ」という薬ですが、これは、謂(い)わば、ゆっくり効く覚醒剤で、短期的には脳の覚醒度を上げ、中枢の認知度を高める効果が期待できるものの、中長期的には神経が過敏になり過ぎ、抑うつ症状や、不安障害といった弊害を起こすリスクも想定される。したがって、私は安易に投薬治療を行ってはいけないと考えます。 たまにミスや忘れ物をしてしまう人を「普通の人」と捉えたとします。しかし、本人はその頻度をもっと少なくしたいと悩んでいる。身長で言うと、170センチのごく平均的な「普通の人」が、もっと背が高くなりたいと成長ホルモンを打ってもらうようなもの。「大人のADHD」への安易な投薬は、これと似ていると言えます。私には、この状況が適切なものとは思い難い。 では、なぜ「大人のADHD」の概念が広がったのか。それには「勉強至上主義」が影響していると思います。昔であれば、中卒で仕事をする人も少なくありませんでしたが、昨今では高校はもちろん、多くの人が大学まで進学します。つまり、学校の勉強ができることが重視され、それが苦手なことは人としてのひとつの「特性」に過ぎないのに、「障害」扱いされるようになってしまった。「学校の勉強に集中できない子=ADHDあるいはLD(学習障害)」という構図です。これが大人にも敷衍(ふえん)され、「不注意な大人=大人のADHD」、「片付けができない大人はADHD」となっていったのです。そして、脳の「障害」なのだから薬を飲めば治せるという認識も広がってしまった。米国では離婚率が急増し… そもそも遺伝要因の「本来のADHD」は、小学校までに多動、不注意といった症状が明らかに見られ、生活に支障を来している場合を言います。そうでなければ、ADHDとは言えません。 したがって、大人になってから「ADHD的」な症状が現れるようになったケースは、発達障害ではなく、他の要因を考えなければなりません。うつや不安障害、さらには何らかの依存症によってADHD的な症状が出ることもありますが、それ以外の大きな要因と言われているのが「愛着障害」です。 例えば虐待を受けたり、親に見捨てられたりと、子どもの頃に親との関係が不安定だった経験がある人は、何年か経ってからADHDと似た症状を発症する場合があるのです。こうした後天的なケースが、「大人のADHD」として近年、目立つようになっている。「本来のADHD」は、実は18歳になる頃までに、7割強の人で症状が軽快します。一方、愛着障害による「大人のADHD」では、逆に年齢が上がるにつれ症状が強まっていく。また、先にも述べたように「本来のADHD」の人はあまり症状を気にしません。他方、「大人のADHD」では、症状は軽くても異様に気にして悩む傾向が強い。これらの点が、両者を見分けるポイントと言えます。〈「先天的」な発達障害かと思っていたら、実は「後天的」な愛着障害だった……。薬の濫用の無意味さが、改めて浮かび上がってくる。〉 愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
このような障害が子どもの発達段階で起きるものと考えられていたわけですが、それが今では多動や不注意で悩む大人にも広がり、ADHDと診断されることが増えているのです。「大人のADHD」です。 この状況は、あたかも「発達障害診断バブル」「ADHD診断インフレ」とでも呼ぶべき状況です。しかし、ここは冷静になって考えてみる必要があります。 多動や不注意。つまり、うっかり忘れ物をしたり、つい遅刻してしまう――。 これらは、程度の差はあれ、誰にでも起きることでもあります。 一体、どれくらいの頻度で忘れ物をするとADHDと言えるのか、月に何回遅刻したらADHDなのか。客観的な診断の基準はなく、しかも、診断の決め手になる検査も存在しないため、「忘れ物がひどくて困っています」という主観的な訴えで、事実上診断が行われているのです。 そして、ADHDと診断された人に投薬治療が行われるケースが少なくありません。生まれつきの神経障害なのだから薬物で改善できると。 果たしてそうなのでしょうか。「客観的」な基準を脇に置き、「主観的」によく忘れ物をするあなたは本当にADHDなのでしょうか。〈「岡田クリニック」(大阪府枚方市)院長の岡田尊司氏は、京都大学などでの研究の傍ら、京都医療少年院等にも勤務し、精神科医として「現場」と向き合ってきた。そして現在、自身のクリニックで臨床の場に立ち続けている。 そんな岡田氏が感じたという異変。実際、2006年と19年の人数を比べると、通級におけるADHDの児童生徒数は15・1倍に増加し、それと並行するように「大人のADHD」も注目を集めている。しかし、「安易」な発達障害診断は、先に触れたように「不要」な薬物治療という弊害を誘発しかねない。「ブーム」となっている感がある発達障害。我が子、そして自身がADHDではないかと悩む人が増えるなか、必ずしも世間の理解は進んでいるとは言えないようだ。〉「特性」が「障害」に ADHDの特性のひとつである不注意は、言い換えれば「うっかりミス」です。日々の生活や仕事の中で、誰もがミスをすることがあるわけですが、不注意の要因とは何でしょうか。 例えば睡眠不足。OECD(経済協力開発機構)の調査によると、日本人の平均睡眠時間は7時間22分で、ワーストワンでした。睡眠時間が短ければ当然、集中力は落ち、不注意は起きやすくなります。また、継続的にストレスに晒され、長時間IT機器に触れることでも集中力は低下する。さらに、現代人はさまざまな形で脳を酷使していますから、必然的にイライラしやすくなり、衝動性も高まります。 こうした状況で、成人の半分以上が不注意に悩んでいるというデータもあります。では、成人の半分以上がADHDなのかと言われれば、もちろんそんなことはありません。 つまり、それほどの頻度ではない不注意や衝動性に悩み、精神科医のところに駆け込んでADHDの診断を受けるケースが増えていることになります。 そもそも、遺伝要因等から起きる「本来のADHD」は、忘れ物が激しく、毎日遅刻するのに本人は悩んでいないというケースが多い。症状はあるのに深刻に捉えていないことが特徴とも言えるのです。 他方、「大人のADHD」はこの逆です。あくまで「主観的な生きづらさ」によってADHDと診断され、場合によっては薬物が投与される。ADHDでよく投与されるのは「コンサータ」という薬ですが、これは、謂(い)わば、ゆっくり効く覚醒剤で、短期的には脳の覚醒度を上げ、中枢の認知度を高める効果が期待できるものの、中長期的には神経が過敏になり過ぎ、抑うつ症状や、不安障害といった弊害を起こすリスクも想定される。したがって、私は安易に投薬治療を行ってはいけないと考えます。 たまにミスや忘れ物をしてしまう人を「普通の人」と捉えたとします。しかし、本人はその頻度をもっと少なくしたいと悩んでいる。身長で言うと、170センチのごく平均的な「普通の人」が、もっと背が高くなりたいと成長ホルモンを打ってもらうようなもの。「大人のADHD」への安易な投薬は、これと似ていると言えます。私には、この状況が適切なものとは思い難い。 では、なぜ「大人のADHD」の概念が広がったのか。それには「勉強至上主義」が影響していると思います。昔であれば、中卒で仕事をする人も少なくありませんでしたが、昨今では高校はもちろん、多くの人が大学まで進学します。つまり、学校の勉強ができることが重視され、それが苦手なことは人としてのひとつの「特性」に過ぎないのに、「障害」扱いされるようになってしまった。「学校の勉強に集中できない子=ADHDあるいはLD(学習障害)」という構図です。これが大人にも敷衍(ふえん)され、「不注意な大人=大人のADHD」、「片付けができない大人はADHD」となっていったのです。そして、脳の「障害」なのだから薬を飲めば治せるという認識も広がってしまった。米国では離婚率が急増し… そもそも遺伝要因の「本来のADHD」は、小学校までに多動、不注意といった症状が明らかに見られ、生活に支障を来している場合を言います。そうでなければ、ADHDとは言えません。 したがって、大人になってから「ADHD的」な症状が現れるようになったケースは、発達障害ではなく、他の要因を考えなければなりません。うつや不安障害、さらには何らかの依存症によってADHD的な症状が出ることもありますが、それ以外の大きな要因と言われているのが「愛着障害」です。 例えば虐待を受けたり、親に見捨てられたりと、子どもの頃に親との関係が不安定だった経験がある人は、何年か経ってからADHDと似た症状を発症する場合があるのです。こうした後天的なケースが、「大人のADHD」として近年、目立つようになっている。「本来のADHD」は、実は18歳になる頃までに、7割強の人で症状が軽快します。一方、愛着障害による「大人のADHD」では、逆に年齢が上がるにつれ症状が強まっていく。また、先にも述べたように「本来のADHD」の人はあまり症状を気にしません。他方、「大人のADHD」では、症状は軽くても異様に気にして悩む傾向が強い。これらの点が、両者を見分けるポイントと言えます。〈「先天的」な発達障害かと思っていたら、実は「後天的」な愛着障害だった……。薬の濫用の無意味さが、改めて浮かび上がってくる。〉 愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
この状況は、あたかも「発達障害診断バブル」「ADHD診断インフレ」とでも呼ぶべき状況です。しかし、ここは冷静になって考えてみる必要があります。 多動や不注意。つまり、うっかり忘れ物をしたり、つい遅刻してしまう――。 これらは、程度の差はあれ、誰にでも起きることでもあります。 一体、どれくらいの頻度で忘れ物をするとADHDと言えるのか、月に何回遅刻したらADHDなのか。客観的な診断の基準はなく、しかも、診断の決め手になる検査も存在しないため、「忘れ物がひどくて困っています」という主観的な訴えで、事実上診断が行われているのです。 そして、ADHDと診断された人に投薬治療が行われるケースが少なくありません。生まれつきの神経障害なのだから薬物で改善できると。 果たしてそうなのでしょうか。「客観的」な基準を脇に置き、「主観的」によく忘れ物をするあなたは本当にADHDなのでしょうか。〈「岡田クリニック」(大阪府枚方市)院長の岡田尊司氏は、京都大学などでの研究の傍ら、京都医療少年院等にも勤務し、精神科医として「現場」と向き合ってきた。そして現在、自身のクリニックで臨床の場に立ち続けている。 そんな岡田氏が感じたという異変。実際、2006年と19年の人数を比べると、通級におけるADHDの児童生徒数は15・1倍に増加し、それと並行するように「大人のADHD」も注目を集めている。しかし、「安易」な発達障害診断は、先に触れたように「不要」な薬物治療という弊害を誘発しかねない。「ブーム」となっている感がある発達障害。我が子、そして自身がADHDではないかと悩む人が増えるなか、必ずしも世間の理解は進んでいるとは言えないようだ。〉「特性」が「障害」に ADHDの特性のひとつである不注意は、言い換えれば「うっかりミス」です。日々の生活や仕事の中で、誰もがミスをすることがあるわけですが、不注意の要因とは何でしょうか。 例えば睡眠不足。OECD(経済協力開発機構)の調査によると、日本人の平均睡眠時間は7時間22分で、ワーストワンでした。睡眠時間が短ければ当然、集中力は落ち、不注意は起きやすくなります。また、継続的にストレスに晒され、長時間IT機器に触れることでも集中力は低下する。さらに、現代人はさまざまな形で脳を酷使していますから、必然的にイライラしやすくなり、衝動性も高まります。 こうした状況で、成人の半分以上が不注意に悩んでいるというデータもあります。では、成人の半分以上がADHDなのかと言われれば、もちろんそんなことはありません。 つまり、それほどの頻度ではない不注意や衝動性に悩み、精神科医のところに駆け込んでADHDの診断を受けるケースが増えていることになります。 そもそも、遺伝要因等から起きる「本来のADHD」は、忘れ物が激しく、毎日遅刻するのに本人は悩んでいないというケースが多い。症状はあるのに深刻に捉えていないことが特徴とも言えるのです。 他方、「大人のADHD」はこの逆です。あくまで「主観的な生きづらさ」によってADHDと診断され、場合によっては薬物が投与される。ADHDでよく投与されるのは「コンサータ」という薬ですが、これは、謂(い)わば、ゆっくり効く覚醒剤で、短期的には脳の覚醒度を上げ、中枢の認知度を高める効果が期待できるものの、中長期的には神経が過敏になり過ぎ、抑うつ症状や、不安障害といった弊害を起こすリスクも想定される。したがって、私は安易に投薬治療を行ってはいけないと考えます。 たまにミスや忘れ物をしてしまう人を「普通の人」と捉えたとします。しかし、本人はその頻度をもっと少なくしたいと悩んでいる。身長で言うと、170センチのごく平均的な「普通の人」が、もっと背が高くなりたいと成長ホルモンを打ってもらうようなもの。「大人のADHD」への安易な投薬は、これと似ていると言えます。私には、この状況が適切なものとは思い難い。 では、なぜ「大人のADHD」の概念が広がったのか。それには「勉強至上主義」が影響していると思います。昔であれば、中卒で仕事をする人も少なくありませんでしたが、昨今では高校はもちろん、多くの人が大学まで進学します。つまり、学校の勉強ができることが重視され、それが苦手なことは人としてのひとつの「特性」に過ぎないのに、「障害」扱いされるようになってしまった。「学校の勉強に集中できない子=ADHDあるいはLD(学習障害)」という構図です。これが大人にも敷衍(ふえん)され、「不注意な大人=大人のADHD」、「片付けができない大人はADHD」となっていったのです。そして、脳の「障害」なのだから薬を飲めば治せるという認識も広がってしまった。米国では離婚率が急増し… そもそも遺伝要因の「本来のADHD」は、小学校までに多動、不注意といった症状が明らかに見られ、生活に支障を来している場合を言います。そうでなければ、ADHDとは言えません。 したがって、大人になってから「ADHD的」な症状が現れるようになったケースは、発達障害ではなく、他の要因を考えなければなりません。うつや不安障害、さらには何らかの依存症によってADHD的な症状が出ることもありますが、それ以外の大きな要因と言われているのが「愛着障害」です。 例えば虐待を受けたり、親に見捨てられたりと、子どもの頃に親との関係が不安定だった経験がある人は、何年か経ってからADHDと似た症状を発症する場合があるのです。こうした後天的なケースが、「大人のADHD」として近年、目立つようになっている。「本来のADHD」は、実は18歳になる頃までに、7割強の人で症状が軽快します。一方、愛着障害による「大人のADHD」では、逆に年齢が上がるにつれ症状が強まっていく。また、先にも述べたように「本来のADHD」の人はあまり症状を気にしません。他方、「大人のADHD」では、症状は軽くても異様に気にして悩む傾向が強い。これらの点が、両者を見分けるポイントと言えます。〈「先天的」な発達障害かと思っていたら、実は「後天的」な愛着障害だった……。薬の濫用の無意味さが、改めて浮かび上がってくる。〉 愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
多動や不注意。つまり、うっかり忘れ物をしたり、つい遅刻してしまう――。 これらは、程度の差はあれ、誰にでも起きることでもあります。 一体、どれくらいの頻度で忘れ物をするとADHDと言えるのか、月に何回遅刻したらADHDなのか。客観的な診断の基準はなく、しかも、診断の決め手になる検査も存在しないため、「忘れ物がひどくて困っています」という主観的な訴えで、事実上診断が行われているのです。 そして、ADHDと診断された人に投薬治療が行われるケースが少なくありません。生まれつきの神経障害なのだから薬物で改善できると。 果たしてそうなのでしょうか。「客観的」な基準を脇に置き、「主観的」によく忘れ物をするあなたは本当にADHDなのでしょうか。〈「岡田クリニック」(大阪府枚方市)院長の岡田尊司氏は、京都大学などでの研究の傍ら、京都医療少年院等にも勤務し、精神科医として「現場」と向き合ってきた。そして現在、自身のクリニックで臨床の場に立ち続けている。 そんな岡田氏が感じたという異変。実際、2006年と19年の人数を比べると、通級におけるADHDの児童生徒数は15・1倍に増加し、それと並行するように「大人のADHD」も注目を集めている。しかし、「安易」な発達障害診断は、先に触れたように「不要」な薬物治療という弊害を誘発しかねない。「ブーム」となっている感がある発達障害。我が子、そして自身がADHDではないかと悩む人が増えるなか、必ずしも世間の理解は進んでいるとは言えないようだ。〉「特性」が「障害」に ADHDの特性のひとつである不注意は、言い換えれば「うっかりミス」です。日々の生活や仕事の中で、誰もがミスをすることがあるわけですが、不注意の要因とは何でしょうか。 例えば睡眠不足。OECD(経済協力開発機構)の調査によると、日本人の平均睡眠時間は7時間22分で、ワーストワンでした。睡眠時間が短ければ当然、集中力は落ち、不注意は起きやすくなります。また、継続的にストレスに晒され、長時間IT機器に触れることでも集中力は低下する。さらに、現代人はさまざまな形で脳を酷使していますから、必然的にイライラしやすくなり、衝動性も高まります。 こうした状況で、成人の半分以上が不注意に悩んでいるというデータもあります。では、成人の半分以上がADHDなのかと言われれば、もちろんそんなことはありません。 つまり、それほどの頻度ではない不注意や衝動性に悩み、精神科医のところに駆け込んでADHDの診断を受けるケースが増えていることになります。 そもそも、遺伝要因等から起きる「本来のADHD」は、忘れ物が激しく、毎日遅刻するのに本人は悩んでいないというケースが多い。症状はあるのに深刻に捉えていないことが特徴とも言えるのです。 他方、「大人のADHD」はこの逆です。あくまで「主観的な生きづらさ」によってADHDと診断され、場合によっては薬物が投与される。ADHDでよく投与されるのは「コンサータ」という薬ですが、これは、謂(い)わば、ゆっくり効く覚醒剤で、短期的には脳の覚醒度を上げ、中枢の認知度を高める効果が期待できるものの、中長期的には神経が過敏になり過ぎ、抑うつ症状や、不安障害といった弊害を起こすリスクも想定される。したがって、私は安易に投薬治療を行ってはいけないと考えます。 たまにミスや忘れ物をしてしまう人を「普通の人」と捉えたとします。しかし、本人はその頻度をもっと少なくしたいと悩んでいる。身長で言うと、170センチのごく平均的な「普通の人」が、もっと背が高くなりたいと成長ホルモンを打ってもらうようなもの。「大人のADHD」への安易な投薬は、これと似ていると言えます。私には、この状況が適切なものとは思い難い。 では、なぜ「大人のADHD」の概念が広がったのか。それには「勉強至上主義」が影響していると思います。昔であれば、中卒で仕事をする人も少なくありませんでしたが、昨今では高校はもちろん、多くの人が大学まで進学します。つまり、学校の勉強ができることが重視され、それが苦手なことは人としてのひとつの「特性」に過ぎないのに、「障害」扱いされるようになってしまった。「学校の勉強に集中できない子=ADHDあるいはLD(学習障害)」という構図です。これが大人にも敷衍(ふえん)され、「不注意な大人=大人のADHD」、「片付けができない大人はADHD」となっていったのです。そして、脳の「障害」なのだから薬を飲めば治せるという認識も広がってしまった。米国では離婚率が急増し… そもそも遺伝要因の「本来のADHD」は、小学校までに多動、不注意といった症状が明らかに見られ、生活に支障を来している場合を言います。そうでなければ、ADHDとは言えません。 したがって、大人になってから「ADHD的」な症状が現れるようになったケースは、発達障害ではなく、他の要因を考えなければなりません。うつや不安障害、さらには何らかの依存症によってADHD的な症状が出ることもありますが、それ以外の大きな要因と言われているのが「愛着障害」です。 例えば虐待を受けたり、親に見捨てられたりと、子どもの頃に親との関係が不安定だった経験がある人は、何年か経ってからADHDと似た症状を発症する場合があるのです。こうした後天的なケースが、「大人のADHD」として近年、目立つようになっている。「本来のADHD」は、実は18歳になる頃までに、7割強の人で症状が軽快します。一方、愛着障害による「大人のADHD」では、逆に年齢が上がるにつれ症状が強まっていく。また、先にも述べたように「本来のADHD」の人はあまり症状を気にしません。他方、「大人のADHD」では、症状は軽くても異様に気にして悩む傾向が強い。これらの点が、両者を見分けるポイントと言えます。〈「先天的」な発達障害かと思っていたら、実は「後天的」な愛着障害だった……。薬の濫用の無意味さが、改めて浮かび上がってくる。〉 愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
これらは、程度の差はあれ、誰にでも起きることでもあります。 一体、どれくらいの頻度で忘れ物をするとADHDと言えるのか、月に何回遅刻したらADHDなのか。客観的な診断の基準はなく、しかも、診断の決め手になる検査も存在しないため、「忘れ物がひどくて困っています」という主観的な訴えで、事実上診断が行われているのです。 そして、ADHDと診断された人に投薬治療が行われるケースが少なくありません。生まれつきの神経障害なのだから薬物で改善できると。 果たしてそうなのでしょうか。「客観的」な基準を脇に置き、「主観的」によく忘れ物をするあなたは本当にADHDなのでしょうか。〈「岡田クリニック」(大阪府枚方市)院長の岡田尊司氏は、京都大学などでの研究の傍ら、京都医療少年院等にも勤務し、精神科医として「現場」と向き合ってきた。そして現在、自身のクリニックで臨床の場に立ち続けている。 そんな岡田氏が感じたという異変。実際、2006年と19年の人数を比べると、通級におけるADHDの児童生徒数は15・1倍に増加し、それと並行するように「大人のADHD」も注目を集めている。しかし、「安易」な発達障害診断は、先に触れたように「不要」な薬物治療という弊害を誘発しかねない。「ブーム」となっている感がある発達障害。我が子、そして自身がADHDではないかと悩む人が増えるなか、必ずしも世間の理解は進んでいるとは言えないようだ。〉「特性」が「障害」に ADHDの特性のひとつである不注意は、言い換えれば「うっかりミス」です。日々の生活や仕事の中で、誰もがミスをすることがあるわけですが、不注意の要因とは何でしょうか。 例えば睡眠不足。OECD(経済協力開発機構)の調査によると、日本人の平均睡眠時間は7時間22分で、ワーストワンでした。睡眠時間が短ければ当然、集中力は落ち、不注意は起きやすくなります。また、継続的にストレスに晒され、長時間IT機器に触れることでも集中力は低下する。さらに、現代人はさまざまな形で脳を酷使していますから、必然的にイライラしやすくなり、衝動性も高まります。 こうした状況で、成人の半分以上が不注意に悩んでいるというデータもあります。では、成人の半分以上がADHDなのかと言われれば、もちろんそんなことはありません。 つまり、それほどの頻度ではない不注意や衝動性に悩み、精神科医のところに駆け込んでADHDの診断を受けるケースが増えていることになります。 そもそも、遺伝要因等から起きる「本来のADHD」は、忘れ物が激しく、毎日遅刻するのに本人は悩んでいないというケースが多い。症状はあるのに深刻に捉えていないことが特徴とも言えるのです。 他方、「大人のADHD」はこの逆です。あくまで「主観的な生きづらさ」によってADHDと診断され、場合によっては薬物が投与される。ADHDでよく投与されるのは「コンサータ」という薬ですが、これは、謂(い)わば、ゆっくり効く覚醒剤で、短期的には脳の覚醒度を上げ、中枢の認知度を高める効果が期待できるものの、中長期的には神経が過敏になり過ぎ、抑うつ症状や、不安障害といった弊害を起こすリスクも想定される。したがって、私は安易に投薬治療を行ってはいけないと考えます。 たまにミスや忘れ物をしてしまう人を「普通の人」と捉えたとします。しかし、本人はその頻度をもっと少なくしたいと悩んでいる。身長で言うと、170センチのごく平均的な「普通の人」が、もっと背が高くなりたいと成長ホルモンを打ってもらうようなもの。「大人のADHD」への安易な投薬は、これと似ていると言えます。私には、この状況が適切なものとは思い難い。 では、なぜ「大人のADHD」の概念が広がったのか。それには「勉強至上主義」が影響していると思います。昔であれば、中卒で仕事をする人も少なくありませんでしたが、昨今では高校はもちろん、多くの人が大学まで進学します。つまり、学校の勉強ができることが重視され、それが苦手なことは人としてのひとつの「特性」に過ぎないのに、「障害」扱いされるようになってしまった。「学校の勉強に集中できない子=ADHDあるいはLD(学習障害)」という構図です。これが大人にも敷衍(ふえん)され、「不注意な大人=大人のADHD」、「片付けができない大人はADHD」となっていったのです。そして、脳の「障害」なのだから薬を飲めば治せるという認識も広がってしまった。米国では離婚率が急増し… そもそも遺伝要因の「本来のADHD」は、小学校までに多動、不注意といった症状が明らかに見られ、生活に支障を来している場合を言います。そうでなければ、ADHDとは言えません。 したがって、大人になってから「ADHD的」な症状が現れるようになったケースは、発達障害ではなく、他の要因を考えなければなりません。うつや不安障害、さらには何らかの依存症によってADHD的な症状が出ることもありますが、それ以外の大きな要因と言われているのが「愛着障害」です。 例えば虐待を受けたり、親に見捨てられたりと、子どもの頃に親との関係が不安定だった経験がある人は、何年か経ってからADHDと似た症状を発症する場合があるのです。こうした後天的なケースが、「大人のADHD」として近年、目立つようになっている。「本来のADHD」は、実は18歳になる頃までに、7割強の人で症状が軽快します。一方、愛着障害による「大人のADHD」では、逆に年齢が上がるにつれ症状が強まっていく。また、先にも述べたように「本来のADHD」の人はあまり症状を気にしません。他方、「大人のADHD」では、症状は軽くても異様に気にして悩む傾向が強い。これらの点が、両者を見分けるポイントと言えます。〈「先天的」な発達障害かと思っていたら、実は「後天的」な愛着障害だった……。薬の濫用の無意味さが、改めて浮かび上がってくる。〉 愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
一体、どれくらいの頻度で忘れ物をするとADHDと言えるのか、月に何回遅刻したらADHDなのか。客観的な診断の基準はなく、しかも、診断の決め手になる検査も存在しないため、「忘れ物がひどくて困っています」という主観的な訴えで、事実上診断が行われているのです。 そして、ADHDと診断された人に投薬治療が行われるケースが少なくありません。生まれつきの神経障害なのだから薬物で改善できると。 果たしてそうなのでしょうか。「客観的」な基準を脇に置き、「主観的」によく忘れ物をするあなたは本当にADHDなのでしょうか。〈「岡田クリニック」(大阪府枚方市)院長の岡田尊司氏は、京都大学などでの研究の傍ら、京都医療少年院等にも勤務し、精神科医として「現場」と向き合ってきた。そして現在、自身のクリニックで臨床の場に立ち続けている。 そんな岡田氏が感じたという異変。実際、2006年と19年の人数を比べると、通級におけるADHDの児童生徒数は15・1倍に増加し、それと並行するように「大人のADHD」も注目を集めている。しかし、「安易」な発達障害診断は、先に触れたように「不要」な薬物治療という弊害を誘発しかねない。「ブーム」となっている感がある発達障害。我が子、そして自身がADHDではないかと悩む人が増えるなか、必ずしも世間の理解は進んでいるとは言えないようだ。〉「特性」が「障害」に ADHDの特性のひとつである不注意は、言い換えれば「うっかりミス」です。日々の生活や仕事の中で、誰もがミスをすることがあるわけですが、不注意の要因とは何でしょうか。 例えば睡眠不足。OECD(経済協力開発機構)の調査によると、日本人の平均睡眠時間は7時間22分で、ワーストワンでした。睡眠時間が短ければ当然、集中力は落ち、不注意は起きやすくなります。また、継続的にストレスに晒され、長時間IT機器に触れることでも集中力は低下する。さらに、現代人はさまざまな形で脳を酷使していますから、必然的にイライラしやすくなり、衝動性も高まります。 こうした状況で、成人の半分以上が不注意に悩んでいるというデータもあります。では、成人の半分以上がADHDなのかと言われれば、もちろんそんなことはありません。 つまり、それほどの頻度ではない不注意や衝動性に悩み、精神科医のところに駆け込んでADHDの診断を受けるケースが増えていることになります。 そもそも、遺伝要因等から起きる「本来のADHD」は、忘れ物が激しく、毎日遅刻するのに本人は悩んでいないというケースが多い。症状はあるのに深刻に捉えていないことが特徴とも言えるのです。 他方、「大人のADHD」はこの逆です。あくまで「主観的な生きづらさ」によってADHDと診断され、場合によっては薬物が投与される。ADHDでよく投与されるのは「コンサータ」という薬ですが、これは、謂(い)わば、ゆっくり効く覚醒剤で、短期的には脳の覚醒度を上げ、中枢の認知度を高める効果が期待できるものの、中長期的には神経が過敏になり過ぎ、抑うつ症状や、不安障害といった弊害を起こすリスクも想定される。したがって、私は安易に投薬治療を行ってはいけないと考えます。 たまにミスや忘れ物をしてしまう人を「普通の人」と捉えたとします。しかし、本人はその頻度をもっと少なくしたいと悩んでいる。身長で言うと、170センチのごく平均的な「普通の人」が、もっと背が高くなりたいと成長ホルモンを打ってもらうようなもの。「大人のADHD」への安易な投薬は、これと似ていると言えます。私には、この状況が適切なものとは思い難い。 では、なぜ「大人のADHD」の概念が広がったのか。それには「勉強至上主義」が影響していると思います。昔であれば、中卒で仕事をする人も少なくありませんでしたが、昨今では高校はもちろん、多くの人が大学まで進学します。つまり、学校の勉強ができることが重視され、それが苦手なことは人としてのひとつの「特性」に過ぎないのに、「障害」扱いされるようになってしまった。「学校の勉強に集中できない子=ADHDあるいはLD(学習障害)」という構図です。これが大人にも敷衍(ふえん)され、「不注意な大人=大人のADHD」、「片付けができない大人はADHD」となっていったのです。そして、脳の「障害」なのだから薬を飲めば治せるという認識も広がってしまった。米国では離婚率が急増し… そもそも遺伝要因の「本来のADHD」は、小学校までに多動、不注意といった症状が明らかに見られ、生活に支障を来している場合を言います。そうでなければ、ADHDとは言えません。 したがって、大人になってから「ADHD的」な症状が現れるようになったケースは、発達障害ではなく、他の要因を考えなければなりません。うつや不安障害、さらには何らかの依存症によってADHD的な症状が出ることもありますが、それ以外の大きな要因と言われているのが「愛着障害」です。 例えば虐待を受けたり、親に見捨てられたりと、子どもの頃に親との関係が不安定だった経験がある人は、何年か経ってからADHDと似た症状を発症する場合があるのです。こうした後天的なケースが、「大人のADHD」として近年、目立つようになっている。「本来のADHD」は、実は18歳になる頃までに、7割強の人で症状が軽快します。一方、愛着障害による「大人のADHD」では、逆に年齢が上がるにつれ症状が強まっていく。また、先にも述べたように「本来のADHD」の人はあまり症状を気にしません。他方、「大人のADHD」では、症状は軽くても異様に気にして悩む傾向が強い。これらの点が、両者を見分けるポイントと言えます。〈「先天的」な発達障害かと思っていたら、実は「後天的」な愛着障害だった……。薬の濫用の無意味さが、改めて浮かび上がってくる。〉 愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
そして、ADHDと診断された人に投薬治療が行われるケースが少なくありません。生まれつきの神経障害なのだから薬物で改善できると。 果たしてそうなのでしょうか。「客観的」な基準を脇に置き、「主観的」によく忘れ物をするあなたは本当にADHDなのでしょうか。〈「岡田クリニック」(大阪府枚方市)院長の岡田尊司氏は、京都大学などでの研究の傍ら、京都医療少年院等にも勤務し、精神科医として「現場」と向き合ってきた。そして現在、自身のクリニックで臨床の場に立ち続けている。 そんな岡田氏が感じたという異変。実際、2006年と19年の人数を比べると、通級におけるADHDの児童生徒数は15・1倍に増加し、それと並行するように「大人のADHD」も注目を集めている。しかし、「安易」な発達障害診断は、先に触れたように「不要」な薬物治療という弊害を誘発しかねない。「ブーム」となっている感がある発達障害。我が子、そして自身がADHDではないかと悩む人が増えるなか、必ずしも世間の理解は進んでいるとは言えないようだ。〉「特性」が「障害」に ADHDの特性のひとつである不注意は、言い換えれば「うっかりミス」です。日々の生活や仕事の中で、誰もがミスをすることがあるわけですが、不注意の要因とは何でしょうか。 例えば睡眠不足。OECD(経済協力開発機構)の調査によると、日本人の平均睡眠時間は7時間22分で、ワーストワンでした。睡眠時間が短ければ当然、集中力は落ち、不注意は起きやすくなります。また、継続的にストレスに晒され、長時間IT機器に触れることでも集中力は低下する。さらに、現代人はさまざまな形で脳を酷使していますから、必然的にイライラしやすくなり、衝動性も高まります。 こうした状況で、成人の半分以上が不注意に悩んでいるというデータもあります。では、成人の半分以上がADHDなのかと言われれば、もちろんそんなことはありません。 つまり、それほどの頻度ではない不注意や衝動性に悩み、精神科医のところに駆け込んでADHDの診断を受けるケースが増えていることになります。 そもそも、遺伝要因等から起きる「本来のADHD」は、忘れ物が激しく、毎日遅刻するのに本人は悩んでいないというケースが多い。症状はあるのに深刻に捉えていないことが特徴とも言えるのです。 他方、「大人のADHD」はこの逆です。あくまで「主観的な生きづらさ」によってADHDと診断され、場合によっては薬物が投与される。ADHDでよく投与されるのは「コンサータ」という薬ですが、これは、謂(い)わば、ゆっくり効く覚醒剤で、短期的には脳の覚醒度を上げ、中枢の認知度を高める効果が期待できるものの、中長期的には神経が過敏になり過ぎ、抑うつ症状や、不安障害といった弊害を起こすリスクも想定される。したがって、私は安易に投薬治療を行ってはいけないと考えます。 たまにミスや忘れ物をしてしまう人を「普通の人」と捉えたとします。しかし、本人はその頻度をもっと少なくしたいと悩んでいる。身長で言うと、170センチのごく平均的な「普通の人」が、もっと背が高くなりたいと成長ホルモンを打ってもらうようなもの。「大人のADHD」への安易な投薬は、これと似ていると言えます。私には、この状況が適切なものとは思い難い。 では、なぜ「大人のADHD」の概念が広がったのか。それには「勉強至上主義」が影響していると思います。昔であれば、中卒で仕事をする人も少なくありませんでしたが、昨今では高校はもちろん、多くの人が大学まで進学します。つまり、学校の勉強ができることが重視され、それが苦手なことは人としてのひとつの「特性」に過ぎないのに、「障害」扱いされるようになってしまった。「学校の勉強に集中できない子=ADHDあるいはLD(学習障害)」という構図です。これが大人にも敷衍(ふえん)され、「不注意な大人=大人のADHD」、「片付けができない大人はADHD」となっていったのです。そして、脳の「障害」なのだから薬を飲めば治せるという認識も広がってしまった。米国では離婚率が急増し… そもそも遺伝要因の「本来のADHD」は、小学校までに多動、不注意といった症状が明らかに見られ、生活に支障を来している場合を言います。そうでなければ、ADHDとは言えません。 したがって、大人になってから「ADHD的」な症状が現れるようになったケースは、発達障害ではなく、他の要因を考えなければなりません。うつや不安障害、さらには何らかの依存症によってADHD的な症状が出ることもありますが、それ以外の大きな要因と言われているのが「愛着障害」です。 例えば虐待を受けたり、親に見捨てられたりと、子どもの頃に親との関係が不安定だった経験がある人は、何年か経ってからADHDと似た症状を発症する場合があるのです。こうした後天的なケースが、「大人のADHD」として近年、目立つようになっている。「本来のADHD」は、実は18歳になる頃までに、7割強の人で症状が軽快します。一方、愛着障害による「大人のADHD」では、逆に年齢が上がるにつれ症状が強まっていく。また、先にも述べたように「本来のADHD」の人はあまり症状を気にしません。他方、「大人のADHD」では、症状は軽くても異様に気にして悩む傾向が強い。これらの点が、両者を見分けるポイントと言えます。〈「先天的」な発達障害かと思っていたら、実は「後天的」な愛着障害だった……。薬の濫用の無意味さが、改めて浮かび上がってくる。〉 愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
果たしてそうなのでしょうか。「客観的」な基準を脇に置き、「主観的」によく忘れ物をするあなたは本当にADHDなのでしょうか。〈「岡田クリニック」(大阪府枚方市)院長の岡田尊司氏は、京都大学などでの研究の傍ら、京都医療少年院等にも勤務し、精神科医として「現場」と向き合ってきた。そして現在、自身のクリニックで臨床の場に立ち続けている。 そんな岡田氏が感じたという異変。実際、2006年と19年の人数を比べると、通級におけるADHDの児童生徒数は15・1倍に増加し、それと並行するように「大人のADHD」も注目を集めている。しかし、「安易」な発達障害診断は、先に触れたように「不要」な薬物治療という弊害を誘発しかねない。「ブーム」となっている感がある発達障害。我が子、そして自身がADHDではないかと悩む人が増えるなか、必ずしも世間の理解は進んでいるとは言えないようだ。〉「特性」が「障害」に ADHDの特性のひとつである不注意は、言い換えれば「うっかりミス」です。日々の生活や仕事の中で、誰もがミスをすることがあるわけですが、不注意の要因とは何でしょうか。 例えば睡眠不足。OECD(経済協力開発機構)の調査によると、日本人の平均睡眠時間は7時間22分で、ワーストワンでした。睡眠時間が短ければ当然、集中力は落ち、不注意は起きやすくなります。また、継続的にストレスに晒され、長時間IT機器に触れることでも集中力は低下する。さらに、現代人はさまざまな形で脳を酷使していますから、必然的にイライラしやすくなり、衝動性も高まります。 こうした状況で、成人の半分以上が不注意に悩んでいるというデータもあります。では、成人の半分以上がADHDなのかと言われれば、もちろんそんなことはありません。 つまり、それほどの頻度ではない不注意や衝動性に悩み、精神科医のところに駆け込んでADHDの診断を受けるケースが増えていることになります。 そもそも、遺伝要因等から起きる「本来のADHD」は、忘れ物が激しく、毎日遅刻するのに本人は悩んでいないというケースが多い。症状はあるのに深刻に捉えていないことが特徴とも言えるのです。 他方、「大人のADHD」はこの逆です。あくまで「主観的な生きづらさ」によってADHDと診断され、場合によっては薬物が投与される。ADHDでよく投与されるのは「コンサータ」という薬ですが、これは、謂(い)わば、ゆっくり効く覚醒剤で、短期的には脳の覚醒度を上げ、中枢の認知度を高める効果が期待できるものの、中長期的には神経が過敏になり過ぎ、抑うつ症状や、不安障害といった弊害を起こすリスクも想定される。したがって、私は安易に投薬治療を行ってはいけないと考えます。 たまにミスや忘れ物をしてしまう人を「普通の人」と捉えたとします。しかし、本人はその頻度をもっと少なくしたいと悩んでいる。身長で言うと、170センチのごく平均的な「普通の人」が、もっと背が高くなりたいと成長ホルモンを打ってもらうようなもの。「大人のADHD」への安易な投薬は、これと似ていると言えます。私には、この状況が適切なものとは思い難い。 では、なぜ「大人のADHD」の概念が広がったのか。それには「勉強至上主義」が影響していると思います。昔であれば、中卒で仕事をする人も少なくありませんでしたが、昨今では高校はもちろん、多くの人が大学まで進学します。つまり、学校の勉強ができることが重視され、それが苦手なことは人としてのひとつの「特性」に過ぎないのに、「障害」扱いされるようになってしまった。「学校の勉強に集中できない子=ADHDあるいはLD(学習障害)」という構図です。これが大人にも敷衍(ふえん)され、「不注意な大人=大人のADHD」、「片付けができない大人はADHD」となっていったのです。そして、脳の「障害」なのだから薬を飲めば治せるという認識も広がってしまった。米国では離婚率が急増し… そもそも遺伝要因の「本来のADHD」は、小学校までに多動、不注意といった症状が明らかに見られ、生活に支障を来している場合を言います。そうでなければ、ADHDとは言えません。 したがって、大人になってから「ADHD的」な症状が現れるようになったケースは、発達障害ではなく、他の要因を考えなければなりません。うつや不安障害、さらには何らかの依存症によってADHD的な症状が出ることもありますが、それ以外の大きな要因と言われているのが「愛着障害」です。 例えば虐待を受けたり、親に見捨てられたりと、子どもの頃に親との関係が不安定だった経験がある人は、何年か経ってからADHDと似た症状を発症する場合があるのです。こうした後天的なケースが、「大人のADHD」として近年、目立つようになっている。「本来のADHD」は、実は18歳になる頃までに、7割強の人で症状が軽快します。一方、愛着障害による「大人のADHD」では、逆に年齢が上がるにつれ症状が強まっていく。また、先にも述べたように「本来のADHD」の人はあまり症状を気にしません。他方、「大人のADHD」では、症状は軽くても異様に気にして悩む傾向が強い。これらの点が、両者を見分けるポイントと言えます。〈「先天的」な発達障害かと思っていたら、実は「後天的」な愛着障害だった……。薬の濫用の無意味さが、改めて浮かび上がってくる。〉 愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
〈「岡田クリニック」(大阪府枚方市)院長の岡田尊司氏は、京都大学などでの研究の傍ら、京都医療少年院等にも勤務し、精神科医として「現場」と向き合ってきた。そして現在、自身のクリニックで臨床の場に立ち続けている。 そんな岡田氏が感じたという異変。実際、2006年と19年の人数を比べると、通級におけるADHDの児童生徒数は15・1倍に増加し、それと並行するように「大人のADHD」も注目を集めている。しかし、「安易」な発達障害診断は、先に触れたように「不要」な薬物治療という弊害を誘発しかねない。「ブーム」となっている感がある発達障害。我が子、そして自身がADHDではないかと悩む人が増えるなか、必ずしも世間の理解は進んでいるとは言えないようだ。〉「特性」が「障害」に ADHDの特性のひとつである不注意は、言い換えれば「うっかりミス」です。日々の生活や仕事の中で、誰もがミスをすることがあるわけですが、不注意の要因とは何でしょうか。 例えば睡眠不足。OECD(経済協力開発機構)の調査によると、日本人の平均睡眠時間は7時間22分で、ワーストワンでした。睡眠時間が短ければ当然、集中力は落ち、不注意は起きやすくなります。また、継続的にストレスに晒され、長時間IT機器に触れることでも集中力は低下する。さらに、現代人はさまざまな形で脳を酷使していますから、必然的にイライラしやすくなり、衝動性も高まります。 こうした状況で、成人の半分以上が不注意に悩んでいるというデータもあります。では、成人の半分以上がADHDなのかと言われれば、もちろんそんなことはありません。 つまり、それほどの頻度ではない不注意や衝動性に悩み、精神科医のところに駆け込んでADHDの診断を受けるケースが増えていることになります。 そもそも、遺伝要因等から起きる「本来のADHD」は、忘れ物が激しく、毎日遅刻するのに本人は悩んでいないというケースが多い。症状はあるのに深刻に捉えていないことが特徴とも言えるのです。 他方、「大人のADHD」はこの逆です。あくまで「主観的な生きづらさ」によってADHDと診断され、場合によっては薬物が投与される。ADHDでよく投与されるのは「コンサータ」という薬ですが、これは、謂(い)わば、ゆっくり効く覚醒剤で、短期的には脳の覚醒度を上げ、中枢の認知度を高める効果が期待できるものの、中長期的には神経が過敏になり過ぎ、抑うつ症状や、不安障害といった弊害を起こすリスクも想定される。したがって、私は安易に投薬治療を行ってはいけないと考えます。 たまにミスや忘れ物をしてしまう人を「普通の人」と捉えたとします。しかし、本人はその頻度をもっと少なくしたいと悩んでいる。身長で言うと、170センチのごく平均的な「普通の人」が、もっと背が高くなりたいと成長ホルモンを打ってもらうようなもの。「大人のADHD」への安易な投薬は、これと似ていると言えます。私には、この状況が適切なものとは思い難い。 では、なぜ「大人のADHD」の概念が広がったのか。それには「勉強至上主義」が影響していると思います。昔であれば、中卒で仕事をする人も少なくありませんでしたが、昨今では高校はもちろん、多くの人が大学まで進学します。つまり、学校の勉強ができることが重視され、それが苦手なことは人としてのひとつの「特性」に過ぎないのに、「障害」扱いされるようになってしまった。「学校の勉強に集中できない子=ADHDあるいはLD(学習障害)」という構図です。これが大人にも敷衍(ふえん)され、「不注意な大人=大人のADHD」、「片付けができない大人はADHD」となっていったのです。そして、脳の「障害」なのだから薬を飲めば治せるという認識も広がってしまった。米国では離婚率が急増し… そもそも遺伝要因の「本来のADHD」は、小学校までに多動、不注意といった症状が明らかに見られ、生活に支障を来している場合を言います。そうでなければ、ADHDとは言えません。 したがって、大人になってから「ADHD的」な症状が現れるようになったケースは、発達障害ではなく、他の要因を考えなければなりません。うつや不安障害、さらには何らかの依存症によってADHD的な症状が出ることもありますが、それ以外の大きな要因と言われているのが「愛着障害」です。 例えば虐待を受けたり、親に見捨てられたりと、子どもの頃に親との関係が不安定だった経験がある人は、何年か経ってからADHDと似た症状を発症する場合があるのです。こうした後天的なケースが、「大人のADHD」として近年、目立つようになっている。「本来のADHD」は、実は18歳になる頃までに、7割強の人で症状が軽快します。一方、愛着障害による「大人のADHD」では、逆に年齢が上がるにつれ症状が強まっていく。また、先にも述べたように「本来のADHD」の人はあまり症状を気にしません。他方、「大人のADHD」では、症状は軽くても異様に気にして悩む傾向が強い。これらの点が、両者を見分けるポイントと言えます。〈「先天的」な発達障害かと思っていたら、実は「後天的」な愛着障害だった……。薬の濫用の無意味さが、改めて浮かび上がってくる。〉 愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
そんな岡田氏が感じたという異変。実際、2006年と19年の人数を比べると、通級におけるADHDの児童生徒数は15・1倍に増加し、それと並行するように「大人のADHD」も注目を集めている。しかし、「安易」な発達障害診断は、先に触れたように「不要」な薬物治療という弊害を誘発しかねない。「ブーム」となっている感がある発達障害。我が子、そして自身がADHDではないかと悩む人が増えるなか、必ずしも世間の理解は進んでいるとは言えないようだ。〉「特性」が「障害」に ADHDの特性のひとつである不注意は、言い換えれば「うっかりミス」です。日々の生活や仕事の中で、誰もがミスをすることがあるわけですが、不注意の要因とは何でしょうか。 例えば睡眠不足。OECD(経済協力開発機構)の調査によると、日本人の平均睡眠時間は7時間22分で、ワーストワンでした。睡眠時間が短ければ当然、集中力は落ち、不注意は起きやすくなります。また、継続的にストレスに晒され、長時間IT機器に触れることでも集中力は低下する。さらに、現代人はさまざまな形で脳を酷使していますから、必然的にイライラしやすくなり、衝動性も高まります。 こうした状況で、成人の半分以上が不注意に悩んでいるというデータもあります。では、成人の半分以上がADHDなのかと言われれば、もちろんそんなことはありません。 つまり、それほどの頻度ではない不注意や衝動性に悩み、精神科医のところに駆け込んでADHDの診断を受けるケースが増えていることになります。 そもそも、遺伝要因等から起きる「本来のADHD」は、忘れ物が激しく、毎日遅刻するのに本人は悩んでいないというケースが多い。症状はあるのに深刻に捉えていないことが特徴とも言えるのです。 他方、「大人のADHD」はこの逆です。あくまで「主観的な生きづらさ」によってADHDと診断され、場合によっては薬物が投与される。ADHDでよく投与されるのは「コンサータ」という薬ですが、これは、謂(い)わば、ゆっくり効く覚醒剤で、短期的には脳の覚醒度を上げ、中枢の認知度を高める効果が期待できるものの、中長期的には神経が過敏になり過ぎ、抑うつ症状や、不安障害といった弊害を起こすリスクも想定される。したがって、私は安易に投薬治療を行ってはいけないと考えます。 たまにミスや忘れ物をしてしまう人を「普通の人」と捉えたとします。しかし、本人はその頻度をもっと少なくしたいと悩んでいる。身長で言うと、170センチのごく平均的な「普通の人」が、もっと背が高くなりたいと成長ホルモンを打ってもらうようなもの。「大人のADHD」への安易な投薬は、これと似ていると言えます。私には、この状況が適切なものとは思い難い。 では、なぜ「大人のADHD」の概念が広がったのか。それには「勉強至上主義」が影響していると思います。昔であれば、中卒で仕事をする人も少なくありませんでしたが、昨今では高校はもちろん、多くの人が大学まで進学します。つまり、学校の勉強ができることが重視され、それが苦手なことは人としてのひとつの「特性」に過ぎないのに、「障害」扱いされるようになってしまった。「学校の勉強に集中できない子=ADHDあるいはLD(学習障害)」という構図です。これが大人にも敷衍(ふえん)され、「不注意な大人=大人のADHD」、「片付けができない大人はADHD」となっていったのです。そして、脳の「障害」なのだから薬を飲めば治せるという認識も広がってしまった。米国では離婚率が急増し… そもそも遺伝要因の「本来のADHD」は、小学校までに多動、不注意といった症状が明らかに見られ、生活に支障を来している場合を言います。そうでなければ、ADHDとは言えません。 したがって、大人になってから「ADHD的」な症状が現れるようになったケースは、発達障害ではなく、他の要因を考えなければなりません。うつや不安障害、さらには何らかの依存症によってADHD的な症状が出ることもありますが、それ以外の大きな要因と言われているのが「愛着障害」です。 例えば虐待を受けたり、親に見捨てられたりと、子どもの頃に親との関係が不安定だった経験がある人は、何年か経ってからADHDと似た症状を発症する場合があるのです。こうした後天的なケースが、「大人のADHD」として近年、目立つようになっている。「本来のADHD」は、実は18歳になる頃までに、7割強の人で症状が軽快します。一方、愛着障害による「大人のADHD」では、逆に年齢が上がるにつれ症状が強まっていく。また、先にも述べたように「本来のADHD」の人はあまり症状を気にしません。他方、「大人のADHD」では、症状は軽くても異様に気にして悩む傾向が強い。これらの点が、両者を見分けるポイントと言えます。〈「先天的」な発達障害かと思っていたら、実は「後天的」な愛着障害だった……。薬の濫用の無意味さが、改めて浮かび上がってくる。〉 愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
「ブーム」となっている感がある発達障害。我が子、そして自身がADHDではないかと悩む人が増えるなか、必ずしも世間の理解は進んでいるとは言えないようだ。〉「特性」が「障害」に ADHDの特性のひとつである不注意は、言い換えれば「うっかりミス」です。日々の生活や仕事の中で、誰もがミスをすることがあるわけですが、不注意の要因とは何でしょうか。 例えば睡眠不足。OECD(経済協力開発機構)の調査によると、日本人の平均睡眠時間は7時間22分で、ワーストワンでした。睡眠時間が短ければ当然、集中力は落ち、不注意は起きやすくなります。また、継続的にストレスに晒され、長時間IT機器に触れることでも集中力は低下する。さらに、現代人はさまざまな形で脳を酷使していますから、必然的にイライラしやすくなり、衝動性も高まります。 こうした状況で、成人の半分以上が不注意に悩んでいるというデータもあります。では、成人の半分以上がADHDなのかと言われれば、もちろんそんなことはありません。 つまり、それほどの頻度ではない不注意や衝動性に悩み、精神科医のところに駆け込んでADHDの診断を受けるケースが増えていることになります。 そもそも、遺伝要因等から起きる「本来のADHD」は、忘れ物が激しく、毎日遅刻するのに本人は悩んでいないというケースが多い。症状はあるのに深刻に捉えていないことが特徴とも言えるのです。 他方、「大人のADHD」はこの逆です。あくまで「主観的な生きづらさ」によってADHDと診断され、場合によっては薬物が投与される。ADHDでよく投与されるのは「コンサータ」という薬ですが、これは、謂(い)わば、ゆっくり効く覚醒剤で、短期的には脳の覚醒度を上げ、中枢の認知度を高める効果が期待できるものの、中長期的には神経が過敏になり過ぎ、抑うつ症状や、不安障害といった弊害を起こすリスクも想定される。したがって、私は安易に投薬治療を行ってはいけないと考えます。 たまにミスや忘れ物をしてしまう人を「普通の人」と捉えたとします。しかし、本人はその頻度をもっと少なくしたいと悩んでいる。身長で言うと、170センチのごく平均的な「普通の人」が、もっと背が高くなりたいと成長ホルモンを打ってもらうようなもの。「大人のADHD」への安易な投薬は、これと似ていると言えます。私には、この状況が適切なものとは思い難い。 では、なぜ「大人のADHD」の概念が広がったのか。それには「勉強至上主義」が影響していると思います。昔であれば、中卒で仕事をする人も少なくありませんでしたが、昨今では高校はもちろん、多くの人が大学まで進学します。つまり、学校の勉強ができることが重視され、それが苦手なことは人としてのひとつの「特性」に過ぎないのに、「障害」扱いされるようになってしまった。「学校の勉強に集中できない子=ADHDあるいはLD(学習障害)」という構図です。これが大人にも敷衍(ふえん)され、「不注意な大人=大人のADHD」、「片付けができない大人はADHD」となっていったのです。そして、脳の「障害」なのだから薬を飲めば治せるという認識も広がってしまった。米国では離婚率が急増し… そもそも遺伝要因の「本来のADHD」は、小学校までに多動、不注意といった症状が明らかに見られ、生活に支障を来している場合を言います。そうでなければ、ADHDとは言えません。 したがって、大人になってから「ADHD的」な症状が現れるようになったケースは、発達障害ではなく、他の要因を考えなければなりません。うつや不安障害、さらには何らかの依存症によってADHD的な症状が出ることもありますが、それ以外の大きな要因と言われているのが「愛着障害」です。 例えば虐待を受けたり、親に見捨てられたりと、子どもの頃に親との関係が不安定だった経験がある人は、何年か経ってからADHDと似た症状を発症する場合があるのです。こうした後天的なケースが、「大人のADHD」として近年、目立つようになっている。「本来のADHD」は、実は18歳になる頃までに、7割強の人で症状が軽快します。一方、愛着障害による「大人のADHD」では、逆に年齢が上がるにつれ症状が強まっていく。また、先にも述べたように「本来のADHD」の人はあまり症状を気にしません。他方、「大人のADHD」では、症状は軽くても異様に気にして悩む傾向が強い。これらの点が、両者を見分けるポイントと言えます。〈「先天的」な発達障害かと思っていたら、実は「後天的」な愛着障害だった……。薬の濫用の無意味さが、改めて浮かび上がってくる。〉 愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
ADHDの特性のひとつである不注意は、言い換えれば「うっかりミス」です。日々の生活や仕事の中で、誰もがミスをすることがあるわけですが、不注意の要因とは何でしょうか。 例えば睡眠不足。OECD(経済協力開発機構)の調査によると、日本人の平均睡眠時間は7時間22分で、ワーストワンでした。睡眠時間が短ければ当然、集中力は落ち、不注意は起きやすくなります。また、継続的にストレスに晒され、長時間IT機器に触れることでも集中力は低下する。さらに、現代人はさまざまな形で脳を酷使していますから、必然的にイライラしやすくなり、衝動性も高まります。 こうした状況で、成人の半分以上が不注意に悩んでいるというデータもあります。では、成人の半分以上がADHDなのかと言われれば、もちろんそんなことはありません。 つまり、それほどの頻度ではない不注意や衝動性に悩み、精神科医のところに駆け込んでADHDの診断を受けるケースが増えていることになります。 そもそも、遺伝要因等から起きる「本来のADHD」は、忘れ物が激しく、毎日遅刻するのに本人は悩んでいないというケースが多い。症状はあるのに深刻に捉えていないことが特徴とも言えるのです。 他方、「大人のADHD」はこの逆です。あくまで「主観的な生きづらさ」によってADHDと診断され、場合によっては薬物が投与される。ADHDでよく投与されるのは「コンサータ」という薬ですが、これは、謂(い)わば、ゆっくり効く覚醒剤で、短期的には脳の覚醒度を上げ、中枢の認知度を高める効果が期待できるものの、中長期的には神経が過敏になり過ぎ、抑うつ症状や、不安障害といった弊害を起こすリスクも想定される。したがって、私は安易に投薬治療を行ってはいけないと考えます。 たまにミスや忘れ物をしてしまう人を「普通の人」と捉えたとします。しかし、本人はその頻度をもっと少なくしたいと悩んでいる。身長で言うと、170センチのごく平均的な「普通の人」が、もっと背が高くなりたいと成長ホルモンを打ってもらうようなもの。「大人のADHD」への安易な投薬は、これと似ていると言えます。私には、この状況が適切なものとは思い難い。 では、なぜ「大人のADHD」の概念が広がったのか。それには「勉強至上主義」が影響していると思います。昔であれば、中卒で仕事をする人も少なくありませんでしたが、昨今では高校はもちろん、多くの人が大学まで進学します。つまり、学校の勉強ができることが重視され、それが苦手なことは人としてのひとつの「特性」に過ぎないのに、「障害」扱いされるようになってしまった。「学校の勉強に集中できない子=ADHDあるいはLD(学習障害)」という構図です。これが大人にも敷衍(ふえん)され、「不注意な大人=大人のADHD」、「片付けができない大人はADHD」となっていったのです。そして、脳の「障害」なのだから薬を飲めば治せるという認識も広がってしまった。米国では離婚率が急増し… そもそも遺伝要因の「本来のADHD」は、小学校までに多動、不注意といった症状が明らかに見られ、生活に支障を来している場合を言います。そうでなければ、ADHDとは言えません。 したがって、大人になってから「ADHD的」な症状が現れるようになったケースは、発達障害ではなく、他の要因を考えなければなりません。うつや不安障害、さらには何らかの依存症によってADHD的な症状が出ることもありますが、それ以外の大きな要因と言われているのが「愛着障害」です。 例えば虐待を受けたり、親に見捨てられたりと、子どもの頃に親との関係が不安定だった経験がある人は、何年か経ってからADHDと似た症状を発症する場合があるのです。こうした後天的なケースが、「大人のADHD」として近年、目立つようになっている。「本来のADHD」は、実は18歳になる頃までに、7割強の人で症状が軽快します。一方、愛着障害による「大人のADHD」では、逆に年齢が上がるにつれ症状が強まっていく。また、先にも述べたように「本来のADHD」の人はあまり症状を気にしません。他方、「大人のADHD」では、症状は軽くても異様に気にして悩む傾向が強い。これらの点が、両者を見分けるポイントと言えます。〈「先天的」な発達障害かと思っていたら、実は「後天的」な愛着障害だった……。薬の濫用の無意味さが、改めて浮かび上がってくる。〉 愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
例えば睡眠不足。OECD(経済協力開発機構)の調査によると、日本人の平均睡眠時間は7時間22分で、ワーストワンでした。睡眠時間が短ければ当然、集中力は落ち、不注意は起きやすくなります。また、継続的にストレスに晒され、長時間IT機器に触れることでも集中力は低下する。さらに、現代人はさまざまな形で脳を酷使していますから、必然的にイライラしやすくなり、衝動性も高まります。 こうした状況で、成人の半分以上が不注意に悩んでいるというデータもあります。では、成人の半分以上がADHDなのかと言われれば、もちろんそんなことはありません。 つまり、それほどの頻度ではない不注意や衝動性に悩み、精神科医のところに駆け込んでADHDの診断を受けるケースが増えていることになります。 そもそも、遺伝要因等から起きる「本来のADHD」は、忘れ物が激しく、毎日遅刻するのに本人は悩んでいないというケースが多い。症状はあるのに深刻に捉えていないことが特徴とも言えるのです。 他方、「大人のADHD」はこの逆です。あくまで「主観的な生きづらさ」によってADHDと診断され、場合によっては薬物が投与される。ADHDでよく投与されるのは「コンサータ」という薬ですが、これは、謂(い)わば、ゆっくり効く覚醒剤で、短期的には脳の覚醒度を上げ、中枢の認知度を高める効果が期待できるものの、中長期的には神経が過敏になり過ぎ、抑うつ症状や、不安障害といった弊害を起こすリスクも想定される。したがって、私は安易に投薬治療を行ってはいけないと考えます。 たまにミスや忘れ物をしてしまう人を「普通の人」と捉えたとします。しかし、本人はその頻度をもっと少なくしたいと悩んでいる。身長で言うと、170センチのごく平均的な「普通の人」が、もっと背が高くなりたいと成長ホルモンを打ってもらうようなもの。「大人のADHD」への安易な投薬は、これと似ていると言えます。私には、この状況が適切なものとは思い難い。 では、なぜ「大人のADHD」の概念が広がったのか。それには「勉強至上主義」が影響していると思います。昔であれば、中卒で仕事をする人も少なくありませんでしたが、昨今では高校はもちろん、多くの人が大学まで進学します。つまり、学校の勉強ができることが重視され、それが苦手なことは人としてのひとつの「特性」に過ぎないのに、「障害」扱いされるようになってしまった。「学校の勉強に集中できない子=ADHDあるいはLD(学習障害)」という構図です。これが大人にも敷衍(ふえん)され、「不注意な大人=大人のADHD」、「片付けができない大人はADHD」となっていったのです。そして、脳の「障害」なのだから薬を飲めば治せるという認識も広がってしまった。米国では離婚率が急増し… そもそも遺伝要因の「本来のADHD」は、小学校までに多動、不注意といった症状が明らかに見られ、生活に支障を来している場合を言います。そうでなければ、ADHDとは言えません。 したがって、大人になってから「ADHD的」な症状が現れるようになったケースは、発達障害ではなく、他の要因を考えなければなりません。うつや不安障害、さらには何らかの依存症によってADHD的な症状が出ることもありますが、それ以外の大きな要因と言われているのが「愛着障害」です。 例えば虐待を受けたり、親に見捨てられたりと、子どもの頃に親との関係が不安定だった経験がある人は、何年か経ってからADHDと似た症状を発症する場合があるのです。こうした後天的なケースが、「大人のADHD」として近年、目立つようになっている。「本来のADHD」は、実は18歳になる頃までに、7割強の人で症状が軽快します。一方、愛着障害による「大人のADHD」では、逆に年齢が上がるにつれ症状が強まっていく。また、先にも述べたように「本来のADHD」の人はあまり症状を気にしません。他方、「大人のADHD」では、症状は軽くても異様に気にして悩む傾向が強い。これらの点が、両者を見分けるポイントと言えます。〈「先天的」な発達障害かと思っていたら、実は「後天的」な愛着障害だった……。薬の濫用の無意味さが、改めて浮かび上がってくる。〉 愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
こうした状況で、成人の半分以上が不注意に悩んでいるというデータもあります。では、成人の半分以上がADHDなのかと言われれば、もちろんそんなことはありません。 つまり、それほどの頻度ではない不注意や衝動性に悩み、精神科医のところに駆け込んでADHDの診断を受けるケースが増えていることになります。 そもそも、遺伝要因等から起きる「本来のADHD」は、忘れ物が激しく、毎日遅刻するのに本人は悩んでいないというケースが多い。症状はあるのに深刻に捉えていないことが特徴とも言えるのです。 他方、「大人のADHD」はこの逆です。あくまで「主観的な生きづらさ」によってADHDと診断され、場合によっては薬物が投与される。ADHDでよく投与されるのは「コンサータ」という薬ですが、これは、謂(い)わば、ゆっくり効く覚醒剤で、短期的には脳の覚醒度を上げ、中枢の認知度を高める効果が期待できるものの、中長期的には神経が過敏になり過ぎ、抑うつ症状や、不安障害といった弊害を起こすリスクも想定される。したがって、私は安易に投薬治療を行ってはいけないと考えます。 たまにミスや忘れ物をしてしまう人を「普通の人」と捉えたとします。しかし、本人はその頻度をもっと少なくしたいと悩んでいる。身長で言うと、170センチのごく平均的な「普通の人」が、もっと背が高くなりたいと成長ホルモンを打ってもらうようなもの。「大人のADHD」への安易な投薬は、これと似ていると言えます。私には、この状況が適切なものとは思い難い。 では、なぜ「大人のADHD」の概念が広がったのか。それには「勉強至上主義」が影響していると思います。昔であれば、中卒で仕事をする人も少なくありませんでしたが、昨今では高校はもちろん、多くの人が大学まで進学します。つまり、学校の勉強ができることが重視され、それが苦手なことは人としてのひとつの「特性」に過ぎないのに、「障害」扱いされるようになってしまった。「学校の勉強に集中できない子=ADHDあるいはLD(学習障害)」という構図です。これが大人にも敷衍(ふえん)され、「不注意な大人=大人のADHD」、「片付けができない大人はADHD」となっていったのです。そして、脳の「障害」なのだから薬を飲めば治せるという認識も広がってしまった。米国では離婚率が急増し… そもそも遺伝要因の「本来のADHD」は、小学校までに多動、不注意といった症状が明らかに見られ、生活に支障を来している場合を言います。そうでなければ、ADHDとは言えません。 したがって、大人になってから「ADHD的」な症状が現れるようになったケースは、発達障害ではなく、他の要因を考えなければなりません。うつや不安障害、さらには何らかの依存症によってADHD的な症状が出ることもありますが、それ以外の大きな要因と言われているのが「愛着障害」です。 例えば虐待を受けたり、親に見捨てられたりと、子どもの頃に親との関係が不安定だった経験がある人は、何年か経ってからADHDと似た症状を発症する場合があるのです。こうした後天的なケースが、「大人のADHD」として近年、目立つようになっている。「本来のADHD」は、実は18歳になる頃までに、7割強の人で症状が軽快します。一方、愛着障害による「大人のADHD」では、逆に年齢が上がるにつれ症状が強まっていく。また、先にも述べたように「本来のADHD」の人はあまり症状を気にしません。他方、「大人のADHD」では、症状は軽くても異様に気にして悩む傾向が強い。これらの点が、両者を見分けるポイントと言えます。〈「先天的」な発達障害かと思っていたら、実は「後天的」な愛着障害だった……。薬の濫用の無意味さが、改めて浮かび上がってくる。〉 愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
つまり、それほどの頻度ではない不注意や衝動性に悩み、精神科医のところに駆け込んでADHDの診断を受けるケースが増えていることになります。 そもそも、遺伝要因等から起きる「本来のADHD」は、忘れ物が激しく、毎日遅刻するのに本人は悩んでいないというケースが多い。症状はあるのに深刻に捉えていないことが特徴とも言えるのです。 他方、「大人のADHD」はこの逆です。あくまで「主観的な生きづらさ」によってADHDと診断され、場合によっては薬物が投与される。ADHDでよく投与されるのは「コンサータ」という薬ですが、これは、謂(い)わば、ゆっくり効く覚醒剤で、短期的には脳の覚醒度を上げ、中枢の認知度を高める効果が期待できるものの、中長期的には神経が過敏になり過ぎ、抑うつ症状や、不安障害といった弊害を起こすリスクも想定される。したがって、私は安易に投薬治療を行ってはいけないと考えます。 たまにミスや忘れ物をしてしまう人を「普通の人」と捉えたとします。しかし、本人はその頻度をもっと少なくしたいと悩んでいる。身長で言うと、170センチのごく平均的な「普通の人」が、もっと背が高くなりたいと成長ホルモンを打ってもらうようなもの。「大人のADHD」への安易な投薬は、これと似ていると言えます。私には、この状況が適切なものとは思い難い。 では、なぜ「大人のADHD」の概念が広がったのか。それには「勉強至上主義」が影響していると思います。昔であれば、中卒で仕事をする人も少なくありませんでしたが、昨今では高校はもちろん、多くの人が大学まで進学します。つまり、学校の勉強ができることが重視され、それが苦手なことは人としてのひとつの「特性」に過ぎないのに、「障害」扱いされるようになってしまった。「学校の勉強に集中できない子=ADHDあるいはLD(学習障害)」という構図です。これが大人にも敷衍(ふえん)され、「不注意な大人=大人のADHD」、「片付けができない大人はADHD」となっていったのです。そして、脳の「障害」なのだから薬を飲めば治せるという認識も広がってしまった。米国では離婚率が急増し… そもそも遺伝要因の「本来のADHD」は、小学校までに多動、不注意といった症状が明らかに見られ、生活に支障を来している場合を言います。そうでなければ、ADHDとは言えません。 したがって、大人になってから「ADHD的」な症状が現れるようになったケースは、発達障害ではなく、他の要因を考えなければなりません。うつや不安障害、さらには何らかの依存症によってADHD的な症状が出ることもありますが、それ以外の大きな要因と言われているのが「愛着障害」です。 例えば虐待を受けたり、親に見捨てられたりと、子どもの頃に親との関係が不安定だった経験がある人は、何年か経ってからADHDと似た症状を発症する場合があるのです。こうした後天的なケースが、「大人のADHD」として近年、目立つようになっている。「本来のADHD」は、実は18歳になる頃までに、7割強の人で症状が軽快します。一方、愛着障害による「大人のADHD」では、逆に年齢が上がるにつれ症状が強まっていく。また、先にも述べたように「本来のADHD」の人はあまり症状を気にしません。他方、「大人のADHD」では、症状は軽くても異様に気にして悩む傾向が強い。これらの点が、両者を見分けるポイントと言えます。〈「先天的」な発達障害かと思っていたら、実は「後天的」な愛着障害だった……。薬の濫用の無意味さが、改めて浮かび上がってくる。〉 愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
そもそも、遺伝要因等から起きる「本来のADHD」は、忘れ物が激しく、毎日遅刻するのに本人は悩んでいないというケースが多い。症状はあるのに深刻に捉えていないことが特徴とも言えるのです。 他方、「大人のADHD」はこの逆です。あくまで「主観的な生きづらさ」によってADHDと診断され、場合によっては薬物が投与される。ADHDでよく投与されるのは「コンサータ」という薬ですが、これは、謂(い)わば、ゆっくり効く覚醒剤で、短期的には脳の覚醒度を上げ、中枢の認知度を高める効果が期待できるものの、中長期的には神経が過敏になり過ぎ、抑うつ症状や、不安障害といった弊害を起こすリスクも想定される。したがって、私は安易に投薬治療を行ってはいけないと考えます。 たまにミスや忘れ物をしてしまう人を「普通の人」と捉えたとします。しかし、本人はその頻度をもっと少なくしたいと悩んでいる。身長で言うと、170センチのごく平均的な「普通の人」が、もっと背が高くなりたいと成長ホルモンを打ってもらうようなもの。「大人のADHD」への安易な投薬は、これと似ていると言えます。私には、この状況が適切なものとは思い難い。 では、なぜ「大人のADHD」の概念が広がったのか。それには「勉強至上主義」が影響していると思います。昔であれば、中卒で仕事をする人も少なくありませんでしたが、昨今では高校はもちろん、多くの人が大学まで進学します。つまり、学校の勉強ができることが重視され、それが苦手なことは人としてのひとつの「特性」に過ぎないのに、「障害」扱いされるようになってしまった。「学校の勉強に集中できない子=ADHDあるいはLD(学習障害)」という構図です。これが大人にも敷衍(ふえん)され、「不注意な大人=大人のADHD」、「片付けができない大人はADHD」となっていったのです。そして、脳の「障害」なのだから薬を飲めば治せるという認識も広がってしまった。米国では離婚率が急増し… そもそも遺伝要因の「本来のADHD」は、小学校までに多動、不注意といった症状が明らかに見られ、生活に支障を来している場合を言います。そうでなければ、ADHDとは言えません。 したがって、大人になってから「ADHD的」な症状が現れるようになったケースは、発達障害ではなく、他の要因を考えなければなりません。うつや不安障害、さらには何らかの依存症によってADHD的な症状が出ることもありますが、それ以外の大きな要因と言われているのが「愛着障害」です。 例えば虐待を受けたり、親に見捨てられたりと、子どもの頃に親との関係が不安定だった経験がある人は、何年か経ってからADHDと似た症状を発症する場合があるのです。こうした後天的なケースが、「大人のADHD」として近年、目立つようになっている。「本来のADHD」は、実は18歳になる頃までに、7割強の人で症状が軽快します。一方、愛着障害による「大人のADHD」では、逆に年齢が上がるにつれ症状が強まっていく。また、先にも述べたように「本来のADHD」の人はあまり症状を気にしません。他方、「大人のADHD」では、症状は軽くても異様に気にして悩む傾向が強い。これらの点が、両者を見分けるポイントと言えます。〈「先天的」な発達障害かと思っていたら、実は「後天的」な愛着障害だった……。薬の濫用の無意味さが、改めて浮かび上がってくる。〉 愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
他方、「大人のADHD」はこの逆です。あくまで「主観的な生きづらさ」によってADHDと診断され、場合によっては薬物が投与される。ADHDでよく投与されるのは「コンサータ」という薬ですが、これは、謂(い)わば、ゆっくり効く覚醒剤で、短期的には脳の覚醒度を上げ、中枢の認知度を高める効果が期待できるものの、中長期的には神経が過敏になり過ぎ、抑うつ症状や、不安障害といった弊害を起こすリスクも想定される。したがって、私は安易に投薬治療を行ってはいけないと考えます。 たまにミスや忘れ物をしてしまう人を「普通の人」と捉えたとします。しかし、本人はその頻度をもっと少なくしたいと悩んでいる。身長で言うと、170センチのごく平均的な「普通の人」が、もっと背が高くなりたいと成長ホルモンを打ってもらうようなもの。「大人のADHD」への安易な投薬は、これと似ていると言えます。私には、この状況が適切なものとは思い難い。 では、なぜ「大人のADHD」の概念が広がったのか。それには「勉強至上主義」が影響していると思います。昔であれば、中卒で仕事をする人も少なくありませんでしたが、昨今では高校はもちろん、多くの人が大学まで進学します。つまり、学校の勉強ができることが重視され、それが苦手なことは人としてのひとつの「特性」に過ぎないのに、「障害」扱いされるようになってしまった。「学校の勉強に集中できない子=ADHDあるいはLD(学習障害)」という構図です。これが大人にも敷衍(ふえん)され、「不注意な大人=大人のADHD」、「片付けができない大人はADHD」となっていったのです。そして、脳の「障害」なのだから薬を飲めば治せるという認識も広がってしまった。米国では離婚率が急増し… そもそも遺伝要因の「本来のADHD」は、小学校までに多動、不注意といった症状が明らかに見られ、生活に支障を来している場合を言います。そうでなければ、ADHDとは言えません。 したがって、大人になってから「ADHD的」な症状が現れるようになったケースは、発達障害ではなく、他の要因を考えなければなりません。うつや不安障害、さらには何らかの依存症によってADHD的な症状が出ることもありますが、それ以外の大きな要因と言われているのが「愛着障害」です。 例えば虐待を受けたり、親に見捨てられたりと、子どもの頃に親との関係が不安定だった経験がある人は、何年か経ってからADHDと似た症状を発症する場合があるのです。こうした後天的なケースが、「大人のADHD」として近年、目立つようになっている。「本来のADHD」は、実は18歳になる頃までに、7割強の人で症状が軽快します。一方、愛着障害による「大人のADHD」では、逆に年齢が上がるにつれ症状が強まっていく。また、先にも述べたように「本来のADHD」の人はあまり症状を気にしません。他方、「大人のADHD」では、症状は軽くても異様に気にして悩む傾向が強い。これらの点が、両者を見分けるポイントと言えます。〈「先天的」な発達障害かと思っていたら、実は「後天的」な愛着障害だった……。薬の濫用の無意味さが、改めて浮かび上がってくる。〉 愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
たまにミスや忘れ物をしてしまう人を「普通の人」と捉えたとします。しかし、本人はその頻度をもっと少なくしたいと悩んでいる。身長で言うと、170センチのごく平均的な「普通の人」が、もっと背が高くなりたいと成長ホルモンを打ってもらうようなもの。「大人のADHD」への安易な投薬は、これと似ていると言えます。私には、この状況が適切なものとは思い難い。 では、なぜ「大人のADHD」の概念が広がったのか。それには「勉強至上主義」が影響していると思います。昔であれば、中卒で仕事をする人も少なくありませんでしたが、昨今では高校はもちろん、多くの人が大学まで進学します。つまり、学校の勉強ができることが重視され、それが苦手なことは人としてのひとつの「特性」に過ぎないのに、「障害」扱いされるようになってしまった。「学校の勉強に集中できない子=ADHDあるいはLD(学習障害)」という構図です。これが大人にも敷衍(ふえん)され、「不注意な大人=大人のADHD」、「片付けができない大人はADHD」となっていったのです。そして、脳の「障害」なのだから薬を飲めば治せるという認識も広がってしまった。米国では離婚率が急増し… そもそも遺伝要因の「本来のADHD」は、小学校までに多動、不注意といった症状が明らかに見られ、生活に支障を来している場合を言います。そうでなければ、ADHDとは言えません。 したがって、大人になってから「ADHD的」な症状が現れるようになったケースは、発達障害ではなく、他の要因を考えなければなりません。うつや不安障害、さらには何らかの依存症によってADHD的な症状が出ることもありますが、それ以外の大きな要因と言われているのが「愛着障害」です。 例えば虐待を受けたり、親に見捨てられたりと、子どもの頃に親との関係が不安定だった経験がある人は、何年か経ってからADHDと似た症状を発症する場合があるのです。こうした後天的なケースが、「大人のADHD」として近年、目立つようになっている。「本来のADHD」は、実は18歳になる頃までに、7割強の人で症状が軽快します。一方、愛着障害による「大人のADHD」では、逆に年齢が上がるにつれ症状が強まっていく。また、先にも述べたように「本来のADHD」の人はあまり症状を気にしません。他方、「大人のADHD」では、症状は軽くても異様に気にして悩む傾向が強い。これらの点が、両者を見分けるポイントと言えます。〈「先天的」な発達障害かと思っていたら、実は「後天的」な愛着障害だった……。薬の濫用の無意味さが、改めて浮かび上がってくる。〉 愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
では、なぜ「大人のADHD」の概念が広がったのか。それには「勉強至上主義」が影響していると思います。昔であれば、中卒で仕事をする人も少なくありませんでしたが、昨今では高校はもちろん、多くの人が大学まで進学します。つまり、学校の勉強ができることが重視され、それが苦手なことは人としてのひとつの「特性」に過ぎないのに、「障害」扱いされるようになってしまった。「学校の勉強に集中できない子=ADHDあるいはLD(学習障害)」という構図です。これが大人にも敷衍(ふえん)され、「不注意な大人=大人のADHD」、「片付けができない大人はADHD」となっていったのです。そして、脳の「障害」なのだから薬を飲めば治せるという認識も広がってしまった。米国では離婚率が急増し… そもそも遺伝要因の「本来のADHD」は、小学校までに多動、不注意といった症状が明らかに見られ、生活に支障を来している場合を言います。そうでなければ、ADHDとは言えません。 したがって、大人になってから「ADHD的」な症状が現れるようになったケースは、発達障害ではなく、他の要因を考えなければなりません。うつや不安障害、さらには何らかの依存症によってADHD的な症状が出ることもありますが、それ以外の大きな要因と言われているのが「愛着障害」です。 例えば虐待を受けたり、親に見捨てられたりと、子どもの頃に親との関係が不安定だった経験がある人は、何年か経ってからADHDと似た症状を発症する場合があるのです。こうした後天的なケースが、「大人のADHD」として近年、目立つようになっている。「本来のADHD」は、実は18歳になる頃までに、7割強の人で症状が軽快します。一方、愛着障害による「大人のADHD」では、逆に年齢が上がるにつれ症状が強まっていく。また、先にも述べたように「本来のADHD」の人はあまり症状を気にしません。他方、「大人のADHD」では、症状は軽くても異様に気にして悩む傾向が強い。これらの点が、両者を見分けるポイントと言えます。〈「先天的」な発達障害かと思っていたら、実は「後天的」な愛着障害だった……。薬の濫用の無意味さが、改めて浮かび上がってくる。〉 愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
そもそも遺伝要因の「本来のADHD」は、小学校までに多動、不注意といった症状が明らかに見られ、生活に支障を来している場合を言います。そうでなければ、ADHDとは言えません。 したがって、大人になってから「ADHD的」な症状が現れるようになったケースは、発達障害ではなく、他の要因を考えなければなりません。うつや不安障害、さらには何らかの依存症によってADHD的な症状が出ることもありますが、それ以外の大きな要因と言われているのが「愛着障害」です。 例えば虐待を受けたり、親に見捨てられたりと、子どもの頃に親との関係が不安定だった経験がある人は、何年か経ってからADHDと似た症状を発症する場合があるのです。こうした後天的なケースが、「大人のADHD」として近年、目立つようになっている。「本来のADHD」は、実は18歳になる頃までに、7割強の人で症状が軽快します。一方、愛着障害による「大人のADHD」では、逆に年齢が上がるにつれ症状が強まっていく。また、先にも述べたように「本来のADHD」の人はあまり症状を気にしません。他方、「大人のADHD」では、症状は軽くても異様に気にして悩む傾向が強い。これらの点が、両者を見分けるポイントと言えます。〈「先天的」な発達障害かと思っていたら、実は「後天的」な愛着障害だった……。薬の濫用の無意味さが、改めて浮かび上がってくる。〉 愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
したがって、大人になってから「ADHD的」な症状が現れるようになったケースは、発達障害ではなく、他の要因を考えなければなりません。うつや不安障害、さらには何らかの依存症によってADHD的な症状が出ることもありますが、それ以外の大きな要因と言われているのが「愛着障害」です。 例えば虐待を受けたり、親に見捨てられたりと、子どもの頃に親との関係が不安定だった経験がある人は、何年か経ってからADHDと似た症状を発症する場合があるのです。こうした後天的なケースが、「大人のADHD」として近年、目立つようになっている。「本来のADHD」は、実は18歳になる頃までに、7割強の人で症状が軽快します。一方、愛着障害による「大人のADHD」では、逆に年齢が上がるにつれ症状が強まっていく。また、先にも述べたように「本来のADHD」の人はあまり症状を気にしません。他方、「大人のADHD」では、症状は軽くても異様に気にして悩む傾向が強い。これらの点が、両者を見分けるポイントと言えます。〈「先天的」な発達障害かと思っていたら、実は「後天的」な愛着障害だった……。薬の濫用の無意味さが、改めて浮かび上がってくる。〉 愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
例えば虐待を受けたり、親に見捨てられたりと、子どもの頃に親との関係が不安定だった経験がある人は、何年か経ってからADHDと似た症状を発症する場合があるのです。こうした後天的なケースが、「大人のADHD」として近年、目立つようになっている。「本来のADHD」は、実は18歳になる頃までに、7割強の人で症状が軽快します。一方、愛着障害による「大人のADHD」では、逆に年齢が上がるにつれ症状が強まっていく。また、先にも述べたように「本来のADHD」の人はあまり症状を気にしません。他方、「大人のADHD」では、症状は軽くても異様に気にして悩む傾向が強い。これらの点が、両者を見分けるポイントと言えます。〈「先天的」な発達障害かと思っていたら、実は「後天的」な愛着障害だった……。薬の濫用の無意味さが、改めて浮かび上がってくる。〉 愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
「本来のADHD」は、実は18歳になる頃までに、7割強の人で症状が軽快します。一方、愛着障害による「大人のADHD」では、逆に年齢が上がるにつれ症状が強まっていく。また、先にも述べたように「本来のADHD」の人はあまり症状を気にしません。他方、「大人のADHD」では、症状は軽くても異様に気にして悩む傾向が強い。これらの点が、両者を見分けるポイントと言えます。〈「先天的」な発達障害かと思っていたら、実は「後天的」な愛着障害だった……。薬の濫用の無意味さが、改めて浮かび上がってくる。〉 愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
〈「先天的」な発達障害かと思っていたら、実は「後天的」な愛着障害だった……。薬の濫用の無意味さが、改めて浮かび上がってくる。〉 愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
愛着障害とは、虐待やネグレクト、養育者の交代などの養育要因によって愛着形成が破綻し、対人関係や情緒面、社会的発達に問題が生じる状態を言います。例えば離婚です。「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
「ADHD大国」と言える米国では、1960年代から70年代にかけて離婚率が急増し、その頃から虐待も増え続けている。離婚や虐待の増加に伴い、愛着障害由来の「大人のADHD」も増えました。 また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
また、児童における「本来のADHD」では男子の割合が高いのに対し、「大人のADHD」では差がないか女性の方が多い。これは、女性の方が男性より、愛着面で傷を受けやすく、引きずりやすい傾向があるためと考えられ、愛着障害のひとつの特徴と言えます。 ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
ADHDと見誤られるケースが多い愛着障害の種類として、近年、脱抑制型愛着障害(DAD)が注目されています。これは、誰にでも見境なく甘えようとするタイプの愛着障害です。親からの愛着が不安定だったために、自分が本来頼っていい相手とそうでない相手の見分けがつけられず、そのため次のような特徴的な症状が見られます。 親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
親しい人と初対面の人の区別なく、馴れ馴れしく振る舞う。 ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
ブレーキが弱く、気持ちや欲求のままに行動してしまう。 気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
気を引こうとする行動を取る。『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
『赤毛のアン』や『アルプスの少女ハイジ』の主人公にも、DADの特徴を見て取ることができます。彼女たちは相手を疑うことなく懐(なつ)き、気持ちのままにおしゃべりしたり会話するところが魅力的なのですが、アンもハイジも、実の親とは別の養育者に育てられており、こうした養育環境で育った子どもにDADは高頻度で認められます。 そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
そしてDADゆえの行動が、多動や衝動性として現れ、「大人のADHD」と診断されてしまうことがあるのです。〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
〈根深き「愛着」の問題。これは、今後この「親子問題」シリーズで扱う別のテーマとも深く関わってくるため要注目だが、では安定した愛着を築く上で、親子の接し方としてどのようなことに気をつけるべきなのか。〉 母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
母親から子どもへの愛着は、産後48時間が重要だとのデータが存在します。授乳などで、とにかくこの時間に母子が密に接することが大切になります。 逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
逆に子どもから母親への愛着は、生後半年から1歳半までの間に形成されると言われています。したがって、その期間はできるだけ母親と子どもが一緒にいる時間を作ることが大切です。「症状」と「病気」 一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
一方、この時期の愛着形成が充分ではなかったとしても、後から修復することも可能だとされています。そこで大事なのは、子どもの安全性を脅かさない「安全基地」になること、そして「応答性」です。子どもが求めてきたら応じる。逆に、子どもが求めていないのに口出しすることは慎む。求めれば応じてくれる。このことが安定した親子関係、愛着形成に役立つのです。 親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
親が都合の良い時だけ子どもに関わり、子どもが求めている時には気づかなかったり、無視してしまう。これは親中心の押しつけに過ぎず、子どもとの安定した愛着は形成されません。そうならないためには、常に細心の注意を払って子どもを見守る必要があります。親子関係というものは、常に真剣勝負なのです。 こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
こうして安定した愛着が形成できないと、愛着障害を抱えたまま成長し、「ADHD的」な症状だけでなく、生きづらさを抱えやすい。子どもの頃に自分のペースを尊重してもらえなかった人は、周囲の人、そして自分の子どもに対しても一方的な関わりをしてしまいがちです。自分が尊重してもらった経験がないので、どうすれば一方的ではない関わりができるのか、その思考回路を充分に持ち合わせていないためです。 この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
この場合、専門的な訓練が必要となってきますが、一番幸運なのは、安全基地となる恋人や伴侶との関わりの中で、愛着が安定し、症状も改善していくことです。残念ながら、身勝手なパートナーに出会ってしまうと、傷つけられてその逆も起きてしまいますが。 こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
こうした丁寧な理解と支えが必要な愛着障害の人が、ADHDと安易に診断されてしまっているのが現状なのです。症状が似ているので「ADHD」という概念で一緒くたにされてしまうわけです。愛着障害が素通りされてしまっては、いくらADHD用の薬を投与しても問題は改善しません。症状をもたらす肝心の原因が誤っているのですから。 今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
今日の医学教育の礎を築いた内科医ウィリアム・オスラー(1849~1919)は、「症状ではなく、病気を治せ」と説きました。 不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
不注意だけでなく生きづらさで悩んでいるとしたら、「症状」はADHDであっても、「病気」は愛着障害なのかもしれないのです。 そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
そして、あなたが発達障害であろうとなかろうと、子育ての仕方次第では、我が子を愛着障害や「大人のADHD」にしてしまう危険があることを知って、関わり方を変えていく必要があると思います。 それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
それは、専門家の間でも疑問が高まっている「ADHD診断インフレ」から我が身を、そして家族を守る術でもあるのです。岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
岡田尊司(おかだたかし)精神科医。1960年生まれ。香川県出身。東京大学文学部哲学科で学んだ後に、京都大学医学部へ。同大大学院精神医学教室などで研究をしながら、京都医療少年院に勤務。2013年、岡田クリニックを開院する。『ADHDの正体 その診断は正しいのか』(新潮社)など著書多数。「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載
「週刊新潮」2021年7月15日号 掲載