「元気に生きています」助けられた男児、20歳に 亡き恩人に報告

兵庫県明石市の歩道橋で群衆雪崩が起き、花火大会の見物客11人が死亡した事故から21日で20年を迎えた。事故で、居合わせた女性に助けられ、奇跡的に生還した男児は今年、20歳になった。救ってくれた後、人波にのまれ死亡した女性への「感謝」を胸に人生を歩んでいる。
7歳で逝ったあなたへ 20年贈り続けるチョコ
2001年7月21日夜、明石市の大蔵海岸で開かれた花火大会。当時生後1カ月だった山下翔馬さん(20)はベビーカーに乗り、母佳奈さん(38)に連れられ現場を訪れていた。
午後7時ごろ、2人は海岸に直結するJR朝霧駅の歩道橋にさしかかった。花火の打ち上げが始まったが、人混みで前に進めない。1時間以上歩道橋で足止めされる中、混雑は増した。
佳奈さんは、傍らで泣き声を上げる翔馬さんを案じるも、人に押され身動きできず、抱き上げられない。ベビーカーに人が乗って来たが、翔馬さんの頭を手で覆うのが精いっぱいだった。
幅3~6メートルの歩道橋には約6400人が滞留していたとされる。午後8時45分ごろ。重なり合って倒れる人の波に巻き込まれ、佳奈さんの手からベビーカーが離れ、2人は散り散りになった。
その直後。近くにいた草替(くさかえ)律子さん(当時71歳)が「赤ちゃんが死んでしまう」と叫びながら翔馬さんをベビーカーから抱え上げた。翔馬さんは人から人に手渡される形で助けられたという。 草替さんは翔馬さんを助けた後、命を落とした。事故では他にも10人が亡くなり、約250人が負傷した。翔馬さんの腹部には、足で踏まれたあざができていた。救急搬送された病院で異常がないことが分かり、2~3日後に退院した。「草替さんがいなかったら……。助かったのは奇跡」。佳奈さんはそう振り返る。 翔馬さんは、当時の状況や草替さんの生前の姿を覚えていない。ただ、「自分のおばあちゃんが亡くなったように思っている。感謝の気持ちは忘れない」と話す。毎年、事故があった7月21日に現場を訪れ手を合わせる。 草替さんの夫与一郎さんの家を何度も訪ねた。「大きくなったなぁ」。与一郎さんは15年に88歳で亡くなるまで、会う度にそう言って孫のようにかわいがってくれた。 翔馬さんは今年6月、大工として働き始めた。今はまだ見習い期間。一人前の大工になることが目標だ。7月、現場にある慰霊碑を訪ね、草替さんに報告した。「自分は元気に生きています」「申し訳ない気持ち変わらない」 事故で業務上過失致死傷罪に問われ、禁錮2年6月、執行猶予5年の有罪が確定した明石市商工観光課長だった男性(69)が事故から20年を前に、毎日新聞の取材に応じた。「亡くなった方、ご遺族、けがをされた方に申し訳ない気持ちは変わらない」と話す。一方で、「なぜ、担当者の個人責任として罪に問われるのか」と、複雑な思いも抱いている。 男性は「警察や警備会社と協議を重ね、あらゆることを想定したが、事故は予見できなかった」と振り返る。2004年12月の神戸地裁判決について、「市職員は『だめな人間ばかり』との評価をされ、違うと思った。たくさんの仲間に協力してもらっており、納得できなかった」と控訴した理由を明かした。 07年4月の大阪高裁判決では弁護士から上告を勧められたが、「市職員が危険回避のためにとった行動は正当に評価された」。そのうえで、主催者として重大な結果を招いた責任は免れないとの判決内容について「指摘はうなずかざるをえなかった」。ただ、「組織として仕事をしていた。なぜ市長や副市長の責任は問われず、担当者個人の刑事責任になるのか」と感じているという。 JR朝霧駅と花火会場だった大蔵海岸を結ぶ幅6メートルの歩道橋は海岸側で直角に曲がり、階段は幅が3メートルしかない。現場を改めて見た記者は「群衆が押し寄せた場合は危険になると思わなかったのか」と尋ねた。男性は「事務方は決定した会場で仕事を進めるしかない。会場へ向かう道は歩道橋のほかにも西側の別ルートもあった。歩道橋の駅側は警備会社が人を配置した。対応できると考えた」と話した。 事故当日は、会場の本部テントに詰めていた男性は、花火が終わったころ、異変を知り、歩道橋の下まで行った。現場の惨状は分からず、負傷者が次々と運ばれてきて、事の重大さに気付いた。けがをした2人に人工呼吸と心臓マッサージを施したという。【巽賢司、大川泰弘】
草替さんは翔馬さんを助けた後、命を落とした。事故では他にも10人が亡くなり、約250人が負傷した。翔馬さんの腹部には、足で踏まれたあざができていた。救急搬送された病院で異常がないことが分かり、2~3日後に退院した。「草替さんがいなかったら……。助かったのは奇跡」。佳奈さんはそう振り返る。 翔馬さんは、当時の状況や草替さんの生前の姿を覚えていない。ただ、「自分のおばあちゃんが亡くなったように思っている。感謝の気持ちは忘れない」と話す。毎年、事故があった7月21日に現場を訪れ手を合わせる。 草替さんの夫与一郎さんの家を何度も訪ねた。「大きくなったなぁ」。与一郎さんは15年に88歳で亡くなるまで、会う度にそう言って孫のようにかわいがってくれた。 翔馬さんは今年6月、大工として働き始めた。今はまだ見習い期間。一人前の大工になることが目標だ。7月、現場にある慰霊碑を訪ね、草替さんに報告した。「自分は元気に生きています」「申し訳ない気持ち変わらない」 事故で業務上過失致死傷罪に問われ、禁錮2年6月、執行猶予5年の有罪が確定した明石市商工観光課長だった男性(69)が事故から20年を前に、毎日新聞の取材に応じた。「亡くなった方、ご遺族、けがをされた方に申し訳ない気持ちは変わらない」と話す。一方で、「なぜ、担当者の個人責任として罪に問われるのか」と、複雑な思いも抱いている。 男性は「警察や警備会社と協議を重ね、あらゆることを想定したが、事故は予見できなかった」と振り返る。2004年12月の神戸地裁判決について、「市職員は『だめな人間ばかり』との評価をされ、違うと思った。たくさんの仲間に協力してもらっており、納得できなかった」と控訴した理由を明かした。 07年4月の大阪高裁判決では弁護士から上告を勧められたが、「市職員が危険回避のためにとった行動は正当に評価された」。そのうえで、主催者として重大な結果を招いた責任は免れないとの判決内容について「指摘はうなずかざるをえなかった」。ただ、「組織として仕事をしていた。なぜ市長や副市長の責任は問われず、担当者個人の刑事責任になるのか」と感じているという。 JR朝霧駅と花火会場だった大蔵海岸を結ぶ幅6メートルの歩道橋は海岸側で直角に曲がり、階段は幅が3メートルしかない。現場を改めて見た記者は「群衆が押し寄せた場合は危険になると思わなかったのか」と尋ねた。男性は「事務方は決定した会場で仕事を進めるしかない。会場へ向かう道は歩道橋のほかにも西側の別ルートもあった。歩道橋の駅側は警備会社が人を配置した。対応できると考えた」と話した。 事故当日は、会場の本部テントに詰めていた男性は、花火が終わったころ、異変を知り、歩道橋の下まで行った。現場の惨状は分からず、負傷者が次々と運ばれてきて、事の重大さに気付いた。けがをした2人に人工呼吸と心臓マッサージを施したという。【巽賢司、大川泰弘】
翔馬さんは、当時の状況や草替さんの生前の姿を覚えていない。ただ、「自分のおばあちゃんが亡くなったように思っている。感謝の気持ちは忘れない」と話す。毎年、事故があった7月21日に現場を訪れ手を合わせる。 草替さんの夫与一郎さんの家を何度も訪ねた。「大きくなったなぁ」。与一郎さんは15年に88歳で亡くなるまで、会う度にそう言って孫のようにかわいがってくれた。 翔馬さんは今年6月、大工として働き始めた。今はまだ見習い期間。一人前の大工になることが目標だ。7月、現場にある慰霊碑を訪ね、草替さんに報告した。「自分は元気に生きています」「申し訳ない気持ち変わらない」 事故で業務上過失致死傷罪に問われ、禁錮2年6月、執行猶予5年の有罪が確定した明石市商工観光課長だった男性(69)が事故から20年を前に、毎日新聞の取材に応じた。「亡くなった方、ご遺族、けがをされた方に申し訳ない気持ちは変わらない」と話す。一方で、「なぜ、担当者の個人責任として罪に問われるのか」と、複雑な思いも抱いている。 男性は「警察や警備会社と協議を重ね、あらゆることを想定したが、事故は予見できなかった」と振り返る。2004年12月の神戸地裁判決について、「市職員は『だめな人間ばかり』との評価をされ、違うと思った。たくさんの仲間に協力してもらっており、納得できなかった」と控訴した理由を明かした。 07年4月の大阪高裁判決では弁護士から上告を勧められたが、「市職員が危険回避のためにとった行動は正当に評価された」。そのうえで、主催者として重大な結果を招いた責任は免れないとの判決内容について「指摘はうなずかざるをえなかった」。ただ、「組織として仕事をしていた。なぜ市長や副市長の責任は問われず、担当者個人の刑事責任になるのか」と感じているという。 JR朝霧駅と花火会場だった大蔵海岸を結ぶ幅6メートルの歩道橋は海岸側で直角に曲がり、階段は幅が3メートルしかない。現場を改めて見た記者は「群衆が押し寄せた場合は危険になると思わなかったのか」と尋ねた。男性は「事務方は決定した会場で仕事を進めるしかない。会場へ向かう道は歩道橋のほかにも西側の別ルートもあった。歩道橋の駅側は警備会社が人を配置した。対応できると考えた」と話した。 事故当日は、会場の本部テントに詰めていた男性は、花火が終わったころ、異変を知り、歩道橋の下まで行った。現場の惨状は分からず、負傷者が次々と運ばれてきて、事の重大さに気付いた。けがをした2人に人工呼吸と心臓マッサージを施したという。【巽賢司、大川泰弘】
草替さんの夫与一郎さんの家を何度も訪ねた。「大きくなったなぁ」。与一郎さんは15年に88歳で亡くなるまで、会う度にそう言って孫のようにかわいがってくれた。 翔馬さんは今年6月、大工として働き始めた。今はまだ見習い期間。一人前の大工になることが目標だ。7月、現場にある慰霊碑を訪ね、草替さんに報告した。「自分は元気に生きています」「申し訳ない気持ち変わらない」 事故で業務上過失致死傷罪に問われ、禁錮2年6月、執行猶予5年の有罪が確定した明石市商工観光課長だった男性(69)が事故から20年を前に、毎日新聞の取材に応じた。「亡くなった方、ご遺族、けがをされた方に申し訳ない気持ちは変わらない」と話す。一方で、「なぜ、担当者の個人責任として罪に問われるのか」と、複雑な思いも抱いている。 男性は「警察や警備会社と協議を重ね、あらゆることを想定したが、事故は予見できなかった」と振り返る。2004年12月の神戸地裁判決について、「市職員は『だめな人間ばかり』との評価をされ、違うと思った。たくさんの仲間に協力してもらっており、納得できなかった」と控訴した理由を明かした。 07年4月の大阪高裁判決では弁護士から上告を勧められたが、「市職員が危険回避のためにとった行動は正当に評価された」。そのうえで、主催者として重大な結果を招いた責任は免れないとの判決内容について「指摘はうなずかざるをえなかった」。ただ、「組織として仕事をしていた。なぜ市長や副市長の責任は問われず、担当者個人の刑事責任になるのか」と感じているという。 JR朝霧駅と花火会場だった大蔵海岸を結ぶ幅6メートルの歩道橋は海岸側で直角に曲がり、階段は幅が3メートルしかない。現場を改めて見た記者は「群衆が押し寄せた場合は危険になると思わなかったのか」と尋ねた。男性は「事務方は決定した会場で仕事を進めるしかない。会場へ向かう道は歩道橋のほかにも西側の別ルートもあった。歩道橋の駅側は警備会社が人を配置した。対応できると考えた」と話した。 事故当日は、会場の本部テントに詰めていた男性は、花火が終わったころ、異変を知り、歩道橋の下まで行った。現場の惨状は分からず、負傷者が次々と運ばれてきて、事の重大さに気付いた。けがをした2人に人工呼吸と心臓マッサージを施したという。【巽賢司、大川泰弘】
翔馬さんは今年6月、大工として働き始めた。今はまだ見習い期間。一人前の大工になることが目標だ。7月、現場にある慰霊碑を訪ね、草替さんに報告した。「自分は元気に生きています」「申し訳ない気持ち変わらない」 事故で業務上過失致死傷罪に問われ、禁錮2年6月、執行猶予5年の有罪が確定した明石市商工観光課長だった男性(69)が事故から20年を前に、毎日新聞の取材に応じた。「亡くなった方、ご遺族、けがをされた方に申し訳ない気持ちは変わらない」と話す。一方で、「なぜ、担当者の個人責任として罪に問われるのか」と、複雑な思いも抱いている。 男性は「警察や警備会社と協議を重ね、あらゆることを想定したが、事故は予見できなかった」と振り返る。2004年12月の神戸地裁判決について、「市職員は『だめな人間ばかり』との評価をされ、違うと思った。たくさんの仲間に協力してもらっており、納得できなかった」と控訴した理由を明かした。 07年4月の大阪高裁判決では弁護士から上告を勧められたが、「市職員が危険回避のためにとった行動は正当に評価された」。そのうえで、主催者として重大な結果を招いた責任は免れないとの判決内容について「指摘はうなずかざるをえなかった」。ただ、「組織として仕事をしていた。なぜ市長や副市長の責任は問われず、担当者個人の刑事責任になるのか」と感じているという。 JR朝霧駅と花火会場だった大蔵海岸を結ぶ幅6メートルの歩道橋は海岸側で直角に曲がり、階段は幅が3メートルしかない。現場を改めて見た記者は「群衆が押し寄せた場合は危険になると思わなかったのか」と尋ねた。男性は「事務方は決定した会場で仕事を進めるしかない。会場へ向かう道は歩道橋のほかにも西側の別ルートもあった。歩道橋の駅側は警備会社が人を配置した。対応できると考えた」と話した。 事故当日は、会場の本部テントに詰めていた男性は、花火が終わったころ、異変を知り、歩道橋の下まで行った。現場の惨状は分からず、負傷者が次々と運ばれてきて、事の重大さに気付いた。けがをした2人に人工呼吸と心臓マッサージを施したという。【巽賢司、大川泰弘】
「申し訳ない気持ち変わらない」 事故で業務上過失致死傷罪に問われ、禁錮2年6月、執行猶予5年の有罪が確定した明石市商工観光課長だった男性(69)が事故から20年を前に、毎日新聞の取材に応じた。「亡くなった方、ご遺族、けがをされた方に申し訳ない気持ちは変わらない」と話す。一方で、「なぜ、担当者の個人責任として罪に問われるのか」と、複雑な思いも抱いている。 男性は「警察や警備会社と協議を重ね、あらゆることを想定したが、事故は予見できなかった」と振り返る。2004年12月の神戸地裁判決について、「市職員は『だめな人間ばかり』との評価をされ、違うと思った。たくさんの仲間に協力してもらっており、納得できなかった」と控訴した理由を明かした。 07年4月の大阪高裁判決では弁護士から上告を勧められたが、「市職員が危険回避のためにとった行動は正当に評価された」。そのうえで、主催者として重大な結果を招いた責任は免れないとの判決内容について「指摘はうなずかざるをえなかった」。ただ、「組織として仕事をしていた。なぜ市長や副市長の責任は問われず、担当者個人の刑事責任になるのか」と感じているという。 JR朝霧駅と花火会場だった大蔵海岸を結ぶ幅6メートルの歩道橋は海岸側で直角に曲がり、階段は幅が3メートルしかない。現場を改めて見た記者は「群衆が押し寄せた場合は危険になると思わなかったのか」と尋ねた。男性は「事務方は決定した会場で仕事を進めるしかない。会場へ向かう道は歩道橋のほかにも西側の別ルートもあった。歩道橋の駅側は警備会社が人を配置した。対応できると考えた」と話した。 事故当日は、会場の本部テントに詰めていた男性は、花火が終わったころ、異変を知り、歩道橋の下まで行った。現場の惨状は分からず、負傷者が次々と運ばれてきて、事の重大さに気付いた。けがをした2人に人工呼吸と心臓マッサージを施したという。【巽賢司、大川泰弘】
事故で業務上過失致死傷罪に問われ、禁錮2年6月、執行猶予5年の有罪が確定した明石市商工観光課長だった男性(69)が事故から20年を前に、毎日新聞の取材に応じた。「亡くなった方、ご遺族、けがをされた方に申し訳ない気持ちは変わらない」と話す。一方で、「なぜ、担当者の個人責任として罪に問われるのか」と、複雑な思いも抱いている。 男性は「警察や警備会社と協議を重ね、あらゆることを想定したが、事故は予見できなかった」と振り返る。2004年12月の神戸地裁判決について、「市職員は『だめな人間ばかり』との評価をされ、違うと思った。たくさんの仲間に協力してもらっており、納得できなかった」と控訴した理由を明かした。 07年4月の大阪高裁判決では弁護士から上告を勧められたが、「市職員が危険回避のためにとった行動は正当に評価された」。そのうえで、主催者として重大な結果を招いた責任は免れないとの判決内容について「指摘はうなずかざるをえなかった」。ただ、「組織として仕事をしていた。なぜ市長や副市長の責任は問われず、担当者個人の刑事責任になるのか」と感じているという。 JR朝霧駅と花火会場だった大蔵海岸を結ぶ幅6メートルの歩道橋は海岸側で直角に曲がり、階段は幅が3メートルしかない。現場を改めて見た記者は「群衆が押し寄せた場合は危険になると思わなかったのか」と尋ねた。男性は「事務方は決定した会場で仕事を進めるしかない。会場へ向かう道は歩道橋のほかにも西側の別ルートもあった。歩道橋の駅側は警備会社が人を配置した。対応できると考えた」と話した。 事故当日は、会場の本部テントに詰めていた男性は、花火が終わったころ、異変を知り、歩道橋の下まで行った。現場の惨状は分からず、負傷者が次々と運ばれてきて、事の重大さに気付いた。けがをした2人に人工呼吸と心臓マッサージを施したという。【巽賢司、大川泰弘】
男性は「警察や警備会社と協議を重ね、あらゆることを想定したが、事故は予見できなかった」と振り返る。2004年12月の神戸地裁判決について、「市職員は『だめな人間ばかり』との評価をされ、違うと思った。たくさんの仲間に協力してもらっており、納得できなかった」と控訴した理由を明かした。 07年4月の大阪高裁判決では弁護士から上告を勧められたが、「市職員が危険回避のためにとった行動は正当に評価された」。そのうえで、主催者として重大な結果を招いた責任は免れないとの判決内容について「指摘はうなずかざるをえなかった」。ただ、「組織として仕事をしていた。なぜ市長や副市長の責任は問われず、担当者個人の刑事責任になるのか」と感じているという。 JR朝霧駅と花火会場だった大蔵海岸を結ぶ幅6メートルの歩道橋は海岸側で直角に曲がり、階段は幅が3メートルしかない。現場を改めて見た記者は「群衆が押し寄せた場合は危険になると思わなかったのか」と尋ねた。男性は「事務方は決定した会場で仕事を進めるしかない。会場へ向かう道は歩道橋のほかにも西側の別ルートもあった。歩道橋の駅側は警備会社が人を配置した。対応できると考えた」と話した。 事故当日は、会場の本部テントに詰めていた男性は、花火が終わったころ、異変を知り、歩道橋の下まで行った。現場の惨状は分からず、負傷者が次々と運ばれてきて、事の重大さに気付いた。けがをした2人に人工呼吸と心臓マッサージを施したという。【巽賢司、大川泰弘】
07年4月の大阪高裁判決では弁護士から上告を勧められたが、「市職員が危険回避のためにとった行動は正当に評価された」。そのうえで、主催者として重大な結果を招いた責任は免れないとの判決内容について「指摘はうなずかざるをえなかった」。ただ、「組織として仕事をしていた。なぜ市長や副市長の責任は問われず、担当者個人の刑事責任になるのか」と感じているという。 JR朝霧駅と花火会場だった大蔵海岸を結ぶ幅6メートルの歩道橋は海岸側で直角に曲がり、階段は幅が3メートルしかない。現場を改めて見た記者は「群衆が押し寄せた場合は危険になると思わなかったのか」と尋ねた。男性は「事務方は決定した会場で仕事を進めるしかない。会場へ向かう道は歩道橋のほかにも西側の別ルートもあった。歩道橋の駅側は警備会社が人を配置した。対応できると考えた」と話した。 事故当日は、会場の本部テントに詰めていた男性は、花火が終わったころ、異変を知り、歩道橋の下まで行った。現場の惨状は分からず、負傷者が次々と運ばれてきて、事の重大さに気付いた。けがをした2人に人工呼吸と心臓マッサージを施したという。【巽賢司、大川泰弘】
JR朝霧駅と花火会場だった大蔵海岸を結ぶ幅6メートルの歩道橋は海岸側で直角に曲がり、階段は幅が3メートルしかない。現場を改めて見た記者は「群衆が押し寄せた場合は危険になると思わなかったのか」と尋ねた。男性は「事務方は決定した会場で仕事を進めるしかない。会場へ向かう道は歩道橋のほかにも西側の別ルートもあった。歩道橋の駅側は警備会社が人を配置した。対応できると考えた」と話した。 事故当日は、会場の本部テントに詰めていた男性は、花火が終わったころ、異変を知り、歩道橋の下まで行った。現場の惨状は分からず、負傷者が次々と運ばれてきて、事の重大さに気付いた。けがをした2人に人工呼吸と心臓マッサージを施したという。【巽賢司、大川泰弘】
事故当日は、会場の本部テントに詰めていた男性は、花火が終わったころ、異変を知り、歩道橋の下まで行った。現場の惨状は分からず、負傷者が次々と運ばれてきて、事の重大さに気付いた。けがをした2人に人工呼吸と心臓マッサージを施したという。【巽賢司、大川泰弘】