男子校と女子校の出身者は「別学に行ったこと」をどう思ってる? 調査から見えたこと

近年、男女別学(いわゆる「男子校」「女子校」)とホモソーシャル(同性間の関係性)への注目が高まっている。例えば朝日新聞では、エリート男子校・女子校の文化がホモソーシャルの源とする記事や、共学・別学の間でジェンダー平等の受け入れ方に違いが見られるといった記事が立て続けに掲載された。
また、フェミニストの上野千鶴子氏が自身の研究で男女別学・共学でのジェンダー意識調査に言及したり、開成・麻布・武蔵のいわゆる私立男子校「御三家」の校長への「いま男子校教育を行う意味とはなにか」を尋ねるアンケート結果をふまえた記事が公開されたりと、男女別学・共学の是非や意義が問われている。
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日本において男女共学・別学は、教育における男女平等の問題として扱われてきた。戦後の日本では、戦後民主化の一環で「男女共学化」が進められてきたが、これは、女性差別撤廃条約や男女雇用機会均等法、男女共同参画社会基本法をふまえての流れで、現在も進行している。
共学化の理由として「男女共同参画」をふまえた「時代の流れや社会の要請」といった趣旨の学校側のコメントがしばしば見受けられ、男女共学はジェンダー平等に関して正当性のある学校形態とみなされていると考えられる。
しかし、本当に、共学にしたからといってジェンダー平等が進むのだろうか。じつは、共学がジェンダー平等に寄与するとは限らないというのが、日本のジェンダー平等をめぐる現状だ。都立高校の男女別学定員制が、女子生徒の教育機会や進路の自由・平等などを損なうと批判されたのは記憶に新しい。また高等教育の文脈では、2020年度の入学者からトランスジェンダーの学生の受け入れを発表したお茶の水女子大学での質疑応答で、「ご存じのように、女性が社会で男性と同等に暮らせる現状ではない。いわゆるアンコンシャスバイアス(無意識の偏見)から解放されるのは、女子大でと考えている」という回答が見られるなど、必ずしも共学化が社会におけるジェンダー平等を推進していないとする主張が散見される。このように、男女別学・共学については賛否両論なのが現状だ。では、実際に男女別学校に通った人たちは、男子校・女子校での経験をどのように捉えているのだろうか。筆者はこれまで、男子校や女子校での経験が彼らの人生にとってどのような意味を持つのかという問題関心に基づき、男女別学の高校の同窓会に所属する人々にインタビュー調査をおこなってきた。彼ら彼女らに話を聞いて見えてきたのは、学校歴や職業キャリアを通じて社会でさまざまな地位につく、いわゆる〈社会達成〉が男女別学での経験への評価と深く結びついていたことだ。この記事では、社会達成と男女別学での経験への評価が、彼ら彼女らのホモソーシャルとどのように関わるのか、具体的なインタビューでの語りをふまえて検討してみたい。以下は、北関東にあるA高校(男子校)とB女子高校という公立別学高校の同窓会役員たちの語りである。ともにいわゆる「偏差値の高い」進学校なのだが、同じ進学校の別学校でも、男子校と女子校ではどのような点が経験として共通し、どこが異なるのかを見ていこう。 A高校の場合A高校同窓会役員たちにとって、高校時代で重要なのは、高校生活における面白さや熱中の経験だ。彼らへのインタビューでは、部活動や学校行事への熱中や、学外での活動や遊びの面白おかしいエピソードが数多く語られた。例えば、修学旅行時にバリカンで就寝中の友人の髪を刈り回った結果、その後の修学旅行でバリカンの持ち込みが禁止になったエピソードを「大事件になって面白かった」と回想したOBがいたように、彼らの語り口は自分たちの高校時代がいかに何事かに熱中し、面白いエピソードに彩られているかを競うようだ。そして、こうした高校生活での熱中の経験や面白さが、A高出身者としてのまとまりや一体感を醸成していた。こうした行事への熱中などを通じて結びつきを深める傾向は、現在の生徒の方が強いという。あるOBは、自身の在学時代と違い、現在は「入ってA高の(行事などが多数取り入れられた)システムに身を置いていけば、卒業までには(心身ともに鍛えられ)かなりなレベルまでもってってくれるんじゃないか」と語った。では、彼らにとって、高校生活における面白さや熱中の経験はどのように実現されたのだろうか。あるOBは「A高は(数々の学校行事など)勉強以外のメニューが多い。(こうした行事や部活、各々の課外活動で)遊んでばっかりいる。人生、色んなことあって、それ乗り越えながら成長していくわけですから、そういった意味では、自由な、勉強以外のメニューが多いのは、私は良いんじゃないかなと思います」と語っている。まとめるならば、勉強以外の多様な経験を自由に積むことによる成長が重要なのだ。ただし、インタビューを進めていくと、こうした高校時代の経験は必ずしもその後の人生と連続性を持っては語られていない。A高校同窓会役員へのインタビューでは、学校歴や職業キャリアを通じた社会達成に語りが収斂していた。高校時代の思い出は、彼ら同士を「A高校出身者」としてつなぐための同窓生意識をかき立てるエピソードとして扱われていた。 B女子高校の場合一方、女子校の場合はどうだろうか。B女子高校OGの語りでは、(旧)学区内の伝統ある公立トップ校という共通認識はありつつも、彼女たちを取り巻く時代・世代の状況に合わせた異なる経験が見出された。生徒急増期である1960年代~1970年代前半に入学した世代(以下、年長世代)では、旧制教育を受けた教員や良妻賢母主義が残る指導を経験していた。他方、1970年代後半~1980年代に入学した世代(以下、若手世代)では、高校進学時から大学やその先の就業を意識する状況になっていた。年長世代の高校生活の語りは、学業やリーダーシップ、友人関係が充実していればポジティブに回想されうる一方、家庭での幸せばかりが強調され、仕事を通じた社会を見る目が養われないとする「社会性の眠り」という表現のような、良妻賢母主義的な学校への批判的ともとれるネガティブな評価も下されていた。ある年長世代のOGは、「先生をからかったりとか、授業で態度悪かったり」する授業妨害や、良妻賢母的な「時代の教育」への反抗を楽しんでいた。教員たちの生活指導での「凝り固まってる考え方が嫌だった」からだという。また、別のOGは、「B女自体、社会性を教えてはいなかったような気がする」と評する。彼女がいう「社会性」とは、「社会はどうなってんだろうって、そういうのを考える」上での「客観的なものの見方」や「ものの発想」を指している。要するに、良妻賢母主義的だったB女子高校での生活は、後年の彼女にとって、自分が女性として社会に置かれた位置を自覚させてくれるものでなかったのだ。〔PHOTO〕iStock 若い世代の語りは年長世代と比べて、女子校における女性のみの環境を、自立性の涵養にとってポジティブだと評価していた。ある若いOGは、「解決できることはやっちゃっていいんだというか、誰かにお伺いを立てなきゃいけないっていうことを思わなくなった」と、男性がいないことで自身の意思や考えに基づいて行動することができるようになったという。女性同士の関係性の中で、彼女たちの思考や行動は、女性 対 男性という関係性による規範から解放されたのだ。年長世代でも、文化祭の準備などの「力仕事」「大工仕事」、生徒会長といった、男性的とされる仕事を女性自らおこなうことが象徴的に語られていた。そして、こうした経験は高校生活にとどまらず、その後の人生におけるエンパワーメントとして彼女たちに評価されていた。男女雇用機会均等法前後の時期には、女性だけの環境だからこその、より直接的なエンパワーメントも見られた。1980年代に入学したあるOGは、結婚しない生き方の選択など、「女性ならではのこととか悩みとか生き方のことを保健体育でやる」若い女性教諭の授業が鮮烈な印象を残したと語っている。この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
じつは、共学がジェンダー平等に寄与するとは限らないというのが、日本のジェンダー平等をめぐる現状だ。都立高校の男女別学定員制が、女子生徒の教育機会や進路の自由・平等などを損なうと批判されたのは記憶に新しい。また高等教育の文脈では、2020年度の入学者からトランスジェンダーの学生の受け入れを発表したお茶の水女子大学での質疑応答で、「ご存じのように、女性が社会で男性と同等に暮らせる現状ではない。いわゆるアンコンシャスバイアス(無意識の偏見)から解放されるのは、女子大でと考えている」という回答が見られるなど、必ずしも共学化が社会におけるジェンダー平等を推進していないとする主張が散見される。このように、男女別学・共学については賛否両論なのが現状だ。では、実際に男女別学校に通った人たちは、男子校・女子校での経験をどのように捉えているのだろうか。筆者はこれまで、男子校や女子校での経験が彼らの人生にとってどのような意味を持つのかという問題関心に基づき、男女別学の高校の同窓会に所属する人々にインタビュー調査をおこなってきた。彼ら彼女らに話を聞いて見えてきたのは、学校歴や職業キャリアを通じて社会でさまざまな地位につく、いわゆる〈社会達成〉が男女別学での経験への評価と深く結びついていたことだ。この記事では、社会達成と男女別学での経験への評価が、彼ら彼女らのホモソーシャルとどのように関わるのか、具体的なインタビューでの語りをふまえて検討してみたい。以下は、北関東にあるA高校(男子校)とB女子高校という公立別学高校の同窓会役員たちの語りである。ともにいわゆる「偏差値の高い」進学校なのだが、同じ進学校の別学校でも、男子校と女子校ではどのような点が経験として共通し、どこが異なるのかを見ていこう。 A高校の場合A高校同窓会役員たちにとって、高校時代で重要なのは、高校生活における面白さや熱中の経験だ。彼らへのインタビューでは、部活動や学校行事への熱中や、学外での活動や遊びの面白おかしいエピソードが数多く語られた。例えば、修学旅行時にバリカンで就寝中の友人の髪を刈り回った結果、その後の修学旅行でバリカンの持ち込みが禁止になったエピソードを「大事件になって面白かった」と回想したOBがいたように、彼らの語り口は自分たちの高校時代がいかに何事かに熱中し、面白いエピソードに彩られているかを競うようだ。そして、こうした高校生活での熱中の経験や面白さが、A高出身者としてのまとまりや一体感を醸成していた。こうした行事への熱中などを通じて結びつきを深める傾向は、現在の生徒の方が強いという。あるOBは、自身の在学時代と違い、現在は「入ってA高の(行事などが多数取り入れられた)システムに身を置いていけば、卒業までには(心身ともに鍛えられ)かなりなレベルまでもってってくれるんじゃないか」と語った。では、彼らにとって、高校生活における面白さや熱中の経験はどのように実現されたのだろうか。あるOBは「A高は(数々の学校行事など)勉強以外のメニューが多い。(こうした行事や部活、各々の課外活動で)遊んでばっかりいる。人生、色んなことあって、それ乗り越えながら成長していくわけですから、そういった意味では、自由な、勉強以外のメニューが多いのは、私は良いんじゃないかなと思います」と語っている。まとめるならば、勉強以外の多様な経験を自由に積むことによる成長が重要なのだ。ただし、インタビューを進めていくと、こうした高校時代の経験は必ずしもその後の人生と連続性を持っては語られていない。A高校同窓会役員へのインタビューでは、学校歴や職業キャリアを通じた社会達成に語りが収斂していた。高校時代の思い出は、彼ら同士を「A高校出身者」としてつなぐための同窓生意識をかき立てるエピソードとして扱われていた。 B女子高校の場合一方、女子校の場合はどうだろうか。B女子高校OGの語りでは、(旧)学区内の伝統ある公立トップ校という共通認識はありつつも、彼女たちを取り巻く時代・世代の状況に合わせた異なる経験が見出された。生徒急増期である1960年代~1970年代前半に入学した世代(以下、年長世代)では、旧制教育を受けた教員や良妻賢母主義が残る指導を経験していた。他方、1970年代後半~1980年代に入学した世代(以下、若手世代)では、高校進学時から大学やその先の就業を意識する状況になっていた。年長世代の高校生活の語りは、学業やリーダーシップ、友人関係が充実していればポジティブに回想されうる一方、家庭での幸せばかりが強調され、仕事を通じた社会を見る目が養われないとする「社会性の眠り」という表現のような、良妻賢母主義的な学校への批判的ともとれるネガティブな評価も下されていた。ある年長世代のOGは、「先生をからかったりとか、授業で態度悪かったり」する授業妨害や、良妻賢母的な「時代の教育」への反抗を楽しんでいた。教員たちの生活指導での「凝り固まってる考え方が嫌だった」からだという。また、別のOGは、「B女自体、社会性を教えてはいなかったような気がする」と評する。彼女がいう「社会性」とは、「社会はどうなってんだろうって、そういうのを考える」上での「客観的なものの見方」や「ものの発想」を指している。要するに、良妻賢母主義的だったB女子高校での生活は、後年の彼女にとって、自分が女性として社会に置かれた位置を自覚させてくれるものでなかったのだ。〔PHOTO〕iStock 若い世代の語りは年長世代と比べて、女子校における女性のみの環境を、自立性の涵養にとってポジティブだと評価していた。ある若いOGは、「解決できることはやっちゃっていいんだというか、誰かにお伺いを立てなきゃいけないっていうことを思わなくなった」と、男性がいないことで自身の意思や考えに基づいて行動することができるようになったという。女性同士の関係性の中で、彼女たちの思考や行動は、女性 対 男性という関係性による規範から解放されたのだ。年長世代でも、文化祭の準備などの「力仕事」「大工仕事」、生徒会長といった、男性的とされる仕事を女性自らおこなうことが象徴的に語られていた。そして、こうした経験は高校生活にとどまらず、その後の人生におけるエンパワーメントとして彼女たちに評価されていた。男女雇用機会均等法前後の時期には、女性だけの環境だからこその、より直接的なエンパワーメントも見られた。1980年代に入学したあるOGは、結婚しない生き方の選択など、「女性ならではのこととか悩みとか生き方のことを保健体育でやる」若い女性教諭の授業が鮮烈な印象を残したと語っている。この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
いわゆるアンコンシャスバイアス(無意識の偏見)から解放されるのは、女子大でと考えている」という回答が見られるなど、必ずしも共学化が社会におけるジェンダー平等を推進していないとする主張が散見される。このように、男女別学・共学については賛否両論なのが現状だ。では、実際に男女別学校に通った人たちは、男子校・女子校での経験をどのように捉えているのだろうか。筆者はこれまで、男子校や女子校での経験が彼らの人生にとってどのような意味を持つのかという問題関心に基づき、男女別学の高校の同窓会に所属する人々にインタビュー調査をおこなってきた。彼ら彼女らに話を聞いて見えてきたのは、学校歴や職業キャリアを通じて社会でさまざまな地位につく、いわゆる〈社会達成〉が男女別学での経験への評価と深く結びついていたことだ。この記事では、社会達成と男女別学での経験への評価が、彼ら彼女らのホモソーシャルとどのように関わるのか、具体的なインタビューでの語りをふまえて検討してみたい。以下は、北関東にあるA高校(男子校)とB女子高校という公立別学高校の同窓会役員たちの語りである。ともにいわゆる「偏差値の高い」進学校なのだが、同じ進学校の別学校でも、男子校と女子校ではどのような点が経験として共通し、どこが異なるのかを見ていこう。 A高校の場合A高校同窓会役員たちにとって、高校時代で重要なのは、高校生活における面白さや熱中の経験だ。彼らへのインタビューでは、部活動や学校行事への熱中や、学外での活動や遊びの面白おかしいエピソードが数多く語られた。例えば、修学旅行時にバリカンで就寝中の友人の髪を刈り回った結果、その後の修学旅行でバリカンの持ち込みが禁止になったエピソードを「大事件になって面白かった」と回想したOBがいたように、彼らの語り口は自分たちの高校時代がいかに何事かに熱中し、面白いエピソードに彩られているかを競うようだ。そして、こうした高校生活での熱中の経験や面白さが、A高出身者としてのまとまりや一体感を醸成していた。こうした行事への熱中などを通じて結びつきを深める傾向は、現在の生徒の方が強いという。あるOBは、自身の在学時代と違い、現在は「入ってA高の(行事などが多数取り入れられた)システムに身を置いていけば、卒業までには(心身ともに鍛えられ)かなりなレベルまでもってってくれるんじゃないか」と語った。では、彼らにとって、高校生活における面白さや熱中の経験はどのように実現されたのだろうか。あるOBは「A高は(数々の学校行事など)勉強以外のメニューが多い。(こうした行事や部活、各々の課外活動で)遊んでばっかりいる。人生、色んなことあって、それ乗り越えながら成長していくわけですから、そういった意味では、自由な、勉強以外のメニューが多いのは、私は良いんじゃないかなと思います」と語っている。まとめるならば、勉強以外の多様な経験を自由に積むことによる成長が重要なのだ。ただし、インタビューを進めていくと、こうした高校時代の経験は必ずしもその後の人生と連続性を持っては語られていない。A高校同窓会役員へのインタビューでは、学校歴や職業キャリアを通じた社会達成に語りが収斂していた。高校時代の思い出は、彼ら同士を「A高校出身者」としてつなぐための同窓生意識をかき立てるエピソードとして扱われていた。 B女子高校の場合一方、女子校の場合はどうだろうか。B女子高校OGの語りでは、(旧)学区内の伝統ある公立トップ校という共通認識はありつつも、彼女たちを取り巻く時代・世代の状況に合わせた異なる経験が見出された。生徒急増期である1960年代~1970年代前半に入学した世代(以下、年長世代)では、旧制教育を受けた教員や良妻賢母主義が残る指導を経験していた。他方、1970年代後半~1980年代に入学した世代(以下、若手世代)では、高校進学時から大学やその先の就業を意識する状況になっていた。年長世代の高校生活の語りは、学業やリーダーシップ、友人関係が充実していればポジティブに回想されうる一方、家庭での幸せばかりが強調され、仕事を通じた社会を見る目が養われないとする「社会性の眠り」という表現のような、良妻賢母主義的な学校への批判的ともとれるネガティブな評価も下されていた。ある年長世代のOGは、「先生をからかったりとか、授業で態度悪かったり」する授業妨害や、良妻賢母的な「時代の教育」への反抗を楽しんでいた。教員たちの生活指導での「凝り固まってる考え方が嫌だった」からだという。また、別のOGは、「B女自体、社会性を教えてはいなかったような気がする」と評する。彼女がいう「社会性」とは、「社会はどうなってんだろうって、そういうのを考える」上での「客観的なものの見方」や「ものの発想」を指している。要するに、良妻賢母主義的だったB女子高校での生活は、後年の彼女にとって、自分が女性として社会に置かれた位置を自覚させてくれるものでなかったのだ。〔PHOTO〕iStock 若い世代の語りは年長世代と比べて、女子校における女性のみの環境を、自立性の涵養にとってポジティブだと評価していた。ある若いOGは、「解決できることはやっちゃっていいんだというか、誰かにお伺いを立てなきゃいけないっていうことを思わなくなった」と、男性がいないことで自身の意思や考えに基づいて行動することができるようになったという。女性同士の関係性の中で、彼女たちの思考や行動は、女性 対 男性という関係性による規範から解放されたのだ。年長世代でも、文化祭の準備などの「力仕事」「大工仕事」、生徒会長といった、男性的とされる仕事を女性自らおこなうことが象徴的に語られていた。そして、こうした経験は高校生活にとどまらず、その後の人生におけるエンパワーメントとして彼女たちに評価されていた。男女雇用機会均等法前後の時期には、女性だけの環境だからこその、より直接的なエンパワーメントも見られた。1980年代に入学したあるOGは、結婚しない生き方の選択など、「女性ならではのこととか悩みとか生き方のことを保健体育でやる」若い女性教諭の授業が鮮烈な印象を残したと語っている。この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
このように、男女別学・共学については賛否両論なのが現状だ。では、実際に男女別学校に通った人たちは、男子校・女子校での経験をどのように捉えているのだろうか。筆者はこれまで、男子校や女子校での経験が彼らの人生にとってどのような意味を持つのかという問題関心に基づき、男女別学の高校の同窓会に所属する人々にインタビュー調査をおこなってきた。彼ら彼女らに話を聞いて見えてきたのは、学校歴や職業キャリアを通じて社会でさまざまな地位につく、いわゆる〈社会達成〉が男女別学での経験への評価と深く結びついていたことだ。この記事では、社会達成と男女別学での経験への評価が、彼ら彼女らのホモソーシャルとどのように関わるのか、具体的なインタビューでの語りをふまえて検討してみたい。以下は、北関東にあるA高校(男子校)とB女子高校という公立別学高校の同窓会役員たちの語りである。ともにいわゆる「偏差値の高い」進学校なのだが、同じ進学校の別学校でも、男子校と女子校ではどのような点が経験として共通し、どこが異なるのかを見ていこう。 A高校の場合A高校同窓会役員たちにとって、高校時代で重要なのは、高校生活における面白さや熱中の経験だ。彼らへのインタビューでは、部活動や学校行事への熱中や、学外での活動や遊びの面白おかしいエピソードが数多く語られた。例えば、修学旅行時にバリカンで就寝中の友人の髪を刈り回った結果、その後の修学旅行でバリカンの持ち込みが禁止になったエピソードを「大事件になって面白かった」と回想したOBがいたように、彼らの語り口は自分たちの高校時代がいかに何事かに熱中し、面白いエピソードに彩られているかを競うようだ。そして、こうした高校生活での熱中の経験や面白さが、A高出身者としてのまとまりや一体感を醸成していた。こうした行事への熱中などを通じて結びつきを深める傾向は、現在の生徒の方が強いという。あるOBは、自身の在学時代と違い、現在は「入ってA高の(行事などが多数取り入れられた)システムに身を置いていけば、卒業までには(心身ともに鍛えられ)かなりなレベルまでもってってくれるんじゃないか」と語った。では、彼らにとって、高校生活における面白さや熱中の経験はどのように実現されたのだろうか。あるOBは「A高は(数々の学校行事など)勉強以外のメニューが多い。(こうした行事や部活、各々の課外活動で)遊んでばっかりいる。人生、色んなことあって、それ乗り越えながら成長していくわけですから、そういった意味では、自由な、勉強以外のメニューが多いのは、私は良いんじゃないかなと思います」と語っている。まとめるならば、勉強以外の多様な経験を自由に積むことによる成長が重要なのだ。ただし、インタビューを進めていくと、こうした高校時代の経験は必ずしもその後の人生と連続性を持っては語られていない。A高校同窓会役員へのインタビューでは、学校歴や職業キャリアを通じた社会達成に語りが収斂していた。高校時代の思い出は、彼ら同士を「A高校出身者」としてつなぐための同窓生意識をかき立てるエピソードとして扱われていた。 B女子高校の場合一方、女子校の場合はどうだろうか。B女子高校OGの語りでは、(旧)学区内の伝統ある公立トップ校という共通認識はありつつも、彼女たちを取り巻く時代・世代の状況に合わせた異なる経験が見出された。生徒急増期である1960年代~1970年代前半に入学した世代(以下、年長世代)では、旧制教育を受けた教員や良妻賢母主義が残る指導を経験していた。他方、1970年代後半~1980年代に入学した世代(以下、若手世代)では、高校進学時から大学やその先の就業を意識する状況になっていた。年長世代の高校生活の語りは、学業やリーダーシップ、友人関係が充実していればポジティブに回想されうる一方、家庭での幸せばかりが強調され、仕事を通じた社会を見る目が養われないとする「社会性の眠り」という表現のような、良妻賢母主義的な学校への批判的ともとれるネガティブな評価も下されていた。ある年長世代のOGは、「先生をからかったりとか、授業で態度悪かったり」する授業妨害や、良妻賢母的な「時代の教育」への反抗を楽しんでいた。教員たちの生活指導での「凝り固まってる考え方が嫌だった」からだという。また、別のOGは、「B女自体、社会性を教えてはいなかったような気がする」と評する。彼女がいう「社会性」とは、「社会はどうなってんだろうって、そういうのを考える」上での「客観的なものの見方」や「ものの発想」を指している。要するに、良妻賢母主義的だったB女子高校での生活は、後年の彼女にとって、自分が女性として社会に置かれた位置を自覚させてくれるものでなかったのだ。〔PHOTO〕iStock 若い世代の語りは年長世代と比べて、女子校における女性のみの環境を、自立性の涵養にとってポジティブだと評価していた。ある若いOGは、「解決できることはやっちゃっていいんだというか、誰かにお伺いを立てなきゃいけないっていうことを思わなくなった」と、男性がいないことで自身の意思や考えに基づいて行動することができるようになったという。女性同士の関係性の中で、彼女たちの思考や行動は、女性 対 男性という関係性による規範から解放されたのだ。年長世代でも、文化祭の準備などの「力仕事」「大工仕事」、生徒会長といった、男性的とされる仕事を女性自らおこなうことが象徴的に語られていた。そして、こうした経験は高校生活にとどまらず、その後の人生におけるエンパワーメントとして彼女たちに評価されていた。男女雇用機会均等法前後の時期には、女性だけの環境だからこその、より直接的なエンパワーメントも見られた。1980年代に入学したあるOGは、結婚しない生き方の選択など、「女性ならではのこととか悩みとか生き方のことを保健体育でやる」若い女性教諭の授業が鮮烈な印象を残したと語っている。この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
では、実際に男女別学校に通った人たちは、男子校・女子校での経験をどのように捉えているのだろうか。筆者はこれまで、男子校や女子校での経験が彼らの人生にとってどのような意味を持つのかという問題関心に基づき、男女別学の高校の同窓会に所属する人々にインタビュー調査をおこなってきた。彼ら彼女らに話を聞いて見えてきたのは、学校歴や職業キャリアを通じて社会でさまざまな地位につく、いわゆる〈社会達成〉が男女別学での経験への評価と深く結びついていたことだ。この記事では、社会達成と男女別学での経験への評価が、彼ら彼女らのホモソーシャルとどのように関わるのか、具体的なインタビューでの語りをふまえて検討してみたい。以下は、北関東にあるA高校(男子校)とB女子高校という公立別学高校の同窓会役員たちの語りである。ともにいわゆる「偏差値の高い」進学校なのだが、同じ進学校の別学校でも、男子校と女子校ではどのような点が経験として共通し、どこが異なるのかを見ていこう。 A高校の場合A高校同窓会役員たちにとって、高校時代で重要なのは、高校生活における面白さや熱中の経験だ。彼らへのインタビューでは、部活動や学校行事への熱中や、学外での活動や遊びの面白おかしいエピソードが数多く語られた。例えば、修学旅行時にバリカンで就寝中の友人の髪を刈り回った結果、その後の修学旅行でバリカンの持ち込みが禁止になったエピソードを「大事件になって面白かった」と回想したOBがいたように、彼らの語り口は自分たちの高校時代がいかに何事かに熱中し、面白いエピソードに彩られているかを競うようだ。そして、こうした高校生活での熱中の経験や面白さが、A高出身者としてのまとまりや一体感を醸成していた。こうした行事への熱中などを通じて結びつきを深める傾向は、現在の生徒の方が強いという。あるOBは、自身の在学時代と違い、現在は「入ってA高の(行事などが多数取り入れられた)システムに身を置いていけば、卒業までには(心身ともに鍛えられ)かなりなレベルまでもってってくれるんじゃないか」と語った。では、彼らにとって、高校生活における面白さや熱中の経験はどのように実現されたのだろうか。あるOBは「A高は(数々の学校行事など)勉強以外のメニューが多い。(こうした行事や部活、各々の課外活動で)遊んでばっかりいる。人生、色んなことあって、それ乗り越えながら成長していくわけですから、そういった意味では、自由な、勉強以外のメニューが多いのは、私は良いんじゃないかなと思います」と語っている。まとめるならば、勉強以外の多様な経験を自由に積むことによる成長が重要なのだ。ただし、インタビューを進めていくと、こうした高校時代の経験は必ずしもその後の人生と連続性を持っては語られていない。A高校同窓会役員へのインタビューでは、学校歴や職業キャリアを通じた社会達成に語りが収斂していた。高校時代の思い出は、彼ら同士を「A高校出身者」としてつなぐための同窓生意識をかき立てるエピソードとして扱われていた。 B女子高校の場合一方、女子校の場合はどうだろうか。B女子高校OGの語りでは、(旧)学区内の伝統ある公立トップ校という共通認識はありつつも、彼女たちを取り巻く時代・世代の状況に合わせた異なる経験が見出された。生徒急増期である1960年代~1970年代前半に入学した世代(以下、年長世代)では、旧制教育を受けた教員や良妻賢母主義が残る指導を経験していた。他方、1970年代後半~1980年代に入学した世代(以下、若手世代)では、高校進学時から大学やその先の就業を意識する状況になっていた。年長世代の高校生活の語りは、学業やリーダーシップ、友人関係が充実していればポジティブに回想されうる一方、家庭での幸せばかりが強調され、仕事を通じた社会を見る目が養われないとする「社会性の眠り」という表現のような、良妻賢母主義的な学校への批判的ともとれるネガティブな評価も下されていた。ある年長世代のOGは、「先生をからかったりとか、授業で態度悪かったり」する授業妨害や、良妻賢母的な「時代の教育」への反抗を楽しんでいた。教員たちの生活指導での「凝り固まってる考え方が嫌だった」からだという。また、別のOGは、「B女自体、社会性を教えてはいなかったような気がする」と評する。彼女がいう「社会性」とは、「社会はどうなってんだろうって、そういうのを考える」上での「客観的なものの見方」や「ものの発想」を指している。要するに、良妻賢母主義的だったB女子高校での生活は、後年の彼女にとって、自分が女性として社会に置かれた位置を自覚させてくれるものでなかったのだ。〔PHOTO〕iStock 若い世代の語りは年長世代と比べて、女子校における女性のみの環境を、自立性の涵養にとってポジティブだと評価していた。ある若いOGは、「解決できることはやっちゃっていいんだというか、誰かにお伺いを立てなきゃいけないっていうことを思わなくなった」と、男性がいないことで自身の意思や考えに基づいて行動することができるようになったという。女性同士の関係性の中で、彼女たちの思考や行動は、女性 対 男性という関係性による規範から解放されたのだ。年長世代でも、文化祭の準備などの「力仕事」「大工仕事」、生徒会長といった、男性的とされる仕事を女性自らおこなうことが象徴的に語られていた。そして、こうした経験は高校生活にとどまらず、その後の人生におけるエンパワーメントとして彼女たちに評価されていた。男女雇用機会均等法前後の時期には、女性だけの環境だからこその、より直接的なエンパワーメントも見られた。1980年代に入学したあるOGは、結婚しない生き方の選択など、「女性ならではのこととか悩みとか生き方のことを保健体育でやる」若い女性教諭の授業が鮮烈な印象を残したと語っている。この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
筆者はこれまで、男子校や女子校での経験が彼らの人生にとってどのような意味を持つのかという問題関心に基づき、男女別学の高校の同窓会に所属する人々にインタビュー調査をおこなってきた。彼ら彼女らに話を聞いて見えてきたのは、学校歴や職業キャリアを通じて社会でさまざまな地位につく、いわゆる〈社会達成〉が男女別学での経験への評価と深く結びついていたことだ。この記事では、社会達成と男女別学での経験への評価が、彼ら彼女らのホモソーシャルとどのように関わるのか、具体的なインタビューでの語りをふまえて検討してみたい。以下は、北関東にあるA高校(男子校)とB女子高校という公立別学高校の同窓会役員たちの語りである。ともにいわゆる「偏差値の高い」進学校なのだが、同じ進学校の別学校でも、男子校と女子校ではどのような点が経験として共通し、どこが異なるのかを見ていこう。 A高校の場合A高校同窓会役員たちにとって、高校時代で重要なのは、高校生活における面白さや熱中の経験だ。彼らへのインタビューでは、部活動や学校行事への熱中や、学外での活動や遊びの面白おかしいエピソードが数多く語られた。例えば、修学旅行時にバリカンで就寝中の友人の髪を刈り回った結果、その後の修学旅行でバリカンの持ち込みが禁止になったエピソードを「大事件になって面白かった」と回想したOBがいたように、彼らの語り口は自分たちの高校時代がいかに何事かに熱中し、面白いエピソードに彩られているかを競うようだ。そして、こうした高校生活での熱中の経験や面白さが、A高出身者としてのまとまりや一体感を醸成していた。こうした行事への熱中などを通じて結びつきを深める傾向は、現在の生徒の方が強いという。あるOBは、自身の在学時代と違い、現在は「入ってA高の(行事などが多数取り入れられた)システムに身を置いていけば、卒業までには(心身ともに鍛えられ)かなりなレベルまでもってってくれるんじゃないか」と語った。では、彼らにとって、高校生活における面白さや熱中の経験はどのように実現されたのだろうか。あるOBは「A高は(数々の学校行事など)勉強以外のメニューが多い。(こうした行事や部活、各々の課外活動で)遊んでばっかりいる。人生、色んなことあって、それ乗り越えながら成長していくわけですから、そういった意味では、自由な、勉強以外のメニューが多いのは、私は良いんじゃないかなと思います」と語っている。まとめるならば、勉強以外の多様な経験を自由に積むことによる成長が重要なのだ。ただし、インタビューを進めていくと、こうした高校時代の経験は必ずしもその後の人生と連続性を持っては語られていない。A高校同窓会役員へのインタビューでは、学校歴や職業キャリアを通じた社会達成に語りが収斂していた。高校時代の思い出は、彼ら同士を「A高校出身者」としてつなぐための同窓生意識をかき立てるエピソードとして扱われていた。 B女子高校の場合一方、女子校の場合はどうだろうか。B女子高校OGの語りでは、(旧)学区内の伝統ある公立トップ校という共通認識はありつつも、彼女たちを取り巻く時代・世代の状況に合わせた異なる経験が見出された。生徒急増期である1960年代~1970年代前半に入学した世代(以下、年長世代)では、旧制教育を受けた教員や良妻賢母主義が残る指導を経験していた。他方、1970年代後半~1980年代に入学した世代(以下、若手世代)では、高校進学時から大学やその先の就業を意識する状況になっていた。年長世代の高校生活の語りは、学業やリーダーシップ、友人関係が充実していればポジティブに回想されうる一方、家庭での幸せばかりが強調され、仕事を通じた社会を見る目が養われないとする「社会性の眠り」という表現のような、良妻賢母主義的な学校への批判的ともとれるネガティブな評価も下されていた。ある年長世代のOGは、「先生をからかったりとか、授業で態度悪かったり」する授業妨害や、良妻賢母的な「時代の教育」への反抗を楽しんでいた。教員たちの生活指導での「凝り固まってる考え方が嫌だった」からだという。また、別のOGは、「B女自体、社会性を教えてはいなかったような気がする」と評する。彼女がいう「社会性」とは、「社会はどうなってんだろうって、そういうのを考える」上での「客観的なものの見方」や「ものの発想」を指している。要するに、良妻賢母主義的だったB女子高校での生活は、後年の彼女にとって、自分が女性として社会に置かれた位置を自覚させてくれるものでなかったのだ。〔PHOTO〕iStock 若い世代の語りは年長世代と比べて、女子校における女性のみの環境を、自立性の涵養にとってポジティブだと評価していた。ある若いOGは、「解決できることはやっちゃっていいんだというか、誰かにお伺いを立てなきゃいけないっていうことを思わなくなった」と、男性がいないことで自身の意思や考えに基づいて行動することができるようになったという。女性同士の関係性の中で、彼女たちの思考や行動は、女性 対 男性という関係性による規範から解放されたのだ。年長世代でも、文化祭の準備などの「力仕事」「大工仕事」、生徒会長といった、男性的とされる仕事を女性自らおこなうことが象徴的に語られていた。そして、こうした経験は高校生活にとどまらず、その後の人生におけるエンパワーメントとして彼女たちに評価されていた。男女雇用機会均等法前後の時期には、女性だけの環境だからこその、より直接的なエンパワーメントも見られた。1980年代に入学したあるOGは、結婚しない生き方の選択など、「女性ならではのこととか悩みとか生き方のことを保健体育でやる」若い女性教諭の授業が鮮烈な印象を残したと語っている。この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
この記事では、社会達成と男女別学での経験への評価が、彼ら彼女らのホモソーシャルとどのように関わるのか、具体的なインタビューでの語りをふまえて検討してみたい。以下は、北関東にあるA高校(男子校)とB女子高校という公立別学高校の同窓会役員たちの語りである。ともにいわゆる「偏差値の高い」進学校なのだが、同じ進学校の別学校でも、男子校と女子校ではどのような点が経験として共通し、どこが異なるのかを見ていこう。 A高校の場合A高校同窓会役員たちにとって、高校時代で重要なのは、高校生活における面白さや熱中の経験だ。彼らへのインタビューでは、部活動や学校行事への熱中や、学外での活動や遊びの面白おかしいエピソードが数多く語られた。例えば、修学旅行時にバリカンで就寝中の友人の髪を刈り回った結果、その後の修学旅行でバリカンの持ち込みが禁止になったエピソードを「大事件になって面白かった」と回想したOBがいたように、彼らの語り口は自分たちの高校時代がいかに何事かに熱中し、面白いエピソードに彩られているかを競うようだ。そして、こうした高校生活での熱中の経験や面白さが、A高出身者としてのまとまりや一体感を醸成していた。こうした行事への熱中などを通じて結びつきを深める傾向は、現在の生徒の方が強いという。あるOBは、自身の在学時代と違い、現在は「入ってA高の(行事などが多数取り入れられた)システムに身を置いていけば、卒業までには(心身ともに鍛えられ)かなりなレベルまでもってってくれるんじゃないか」と語った。では、彼らにとって、高校生活における面白さや熱中の経験はどのように実現されたのだろうか。あるOBは「A高は(数々の学校行事など)勉強以外のメニューが多い。(こうした行事や部活、各々の課外活動で)遊んでばっかりいる。人生、色んなことあって、それ乗り越えながら成長していくわけですから、そういった意味では、自由な、勉強以外のメニューが多いのは、私は良いんじゃないかなと思います」と語っている。まとめるならば、勉強以外の多様な経験を自由に積むことによる成長が重要なのだ。ただし、インタビューを進めていくと、こうした高校時代の経験は必ずしもその後の人生と連続性を持っては語られていない。A高校同窓会役員へのインタビューでは、学校歴や職業キャリアを通じた社会達成に語りが収斂していた。高校時代の思い出は、彼ら同士を「A高校出身者」としてつなぐための同窓生意識をかき立てるエピソードとして扱われていた。 B女子高校の場合一方、女子校の場合はどうだろうか。B女子高校OGの語りでは、(旧)学区内の伝統ある公立トップ校という共通認識はありつつも、彼女たちを取り巻く時代・世代の状況に合わせた異なる経験が見出された。生徒急増期である1960年代~1970年代前半に入学した世代(以下、年長世代)では、旧制教育を受けた教員や良妻賢母主義が残る指導を経験していた。他方、1970年代後半~1980年代に入学した世代(以下、若手世代)では、高校進学時から大学やその先の就業を意識する状況になっていた。年長世代の高校生活の語りは、学業やリーダーシップ、友人関係が充実していればポジティブに回想されうる一方、家庭での幸せばかりが強調され、仕事を通じた社会を見る目が養われないとする「社会性の眠り」という表現のような、良妻賢母主義的な学校への批判的ともとれるネガティブな評価も下されていた。ある年長世代のOGは、「先生をからかったりとか、授業で態度悪かったり」する授業妨害や、良妻賢母的な「時代の教育」への反抗を楽しんでいた。教員たちの生活指導での「凝り固まってる考え方が嫌だった」からだという。また、別のOGは、「B女自体、社会性を教えてはいなかったような気がする」と評する。彼女がいう「社会性」とは、「社会はどうなってんだろうって、そういうのを考える」上での「客観的なものの見方」や「ものの発想」を指している。要するに、良妻賢母主義的だったB女子高校での生活は、後年の彼女にとって、自分が女性として社会に置かれた位置を自覚させてくれるものでなかったのだ。〔PHOTO〕iStock 若い世代の語りは年長世代と比べて、女子校における女性のみの環境を、自立性の涵養にとってポジティブだと評価していた。ある若いOGは、「解決できることはやっちゃっていいんだというか、誰かにお伺いを立てなきゃいけないっていうことを思わなくなった」と、男性がいないことで自身の意思や考えに基づいて行動することができるようになったという。女性同士の関係性の中で、彼女たちの思考や行動は、女性 対 男性という関係性による規範から解放されたのだ。年長世代でも、文化祭の準備などの「力仕事」「大工仕事」、生徒会長といった、男性的とされる仕事を女性自らおこなうことが象徴的に語られていた。そして、こうした経験は高校生活にとどまらず、その後の人生におけるエンパワーメントとして彼女たちに評価されていた。男女雇用機会均等法前後の時期には、女性だけの環境だからこその、より直接的なエンパワーメントも見られた。1980年代に入学したあるOGは、結婚しない生き方の選択など、「女性ならではのこととか悩みとか生き方のことを保健体育でやる」若い女性教諭の授業が鮮烈な印象を残したと語っている。この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
以下は、北関東にあるA高校(男子校)とB女子高校という公立別学高校の同窓会役員たちの語りである。ともにいわゆる「偏差値の高い」進学校なのだが、同じ進学校の別学校でも、男子校と女子校ではどのような点が経験として共通し、どこが異なるのかを見ていこう。 A高校の場合A高校同窓会役員たちにとって、高校時代で重要なのは、高校生活における面白さや熱中の経験だ。彼らへのインタビューでは、部活動や学校行事への熱中や、学外での活動や遊びの面白おかしいエピソードが数多く語られた。例えば、修学旅行時にバリカンで就寝中の友人の髪を刈り回った結果、その後の修学旅行でバリカンの持ち込みが禁止になったエピソードを「大事件になって面白かった」と回想したOBがいたように、彼らの語り口は自分たちの高校時代がいかに何事かに熱中し、面白いエピソードに彩られているかを競うようだ。そして、こうした高校生活での熱中の経験や面白さが、A高出身者としてのまとまりや一体感を醸成していた。こうした行事への熱中などを通じて結びつきを深める傾向は、現在の生徒の方が強いという。あるOBは、自身の在学時代と違い、現在は「入ってA高の(行事などが多数取り入れられた)システムに身を置いていけば、卒業までには(心身ともに鍛えられ)かなりなレベルまでもってってくれるんじゃないか」と語った。では、彼らにとって、高校生活における面白さや熱中の経験はどのように実現されたのだろうか。あるOBは「A高は(数々の学校行事など)勉強以外のメニューが多い。(こうした行事や部活、各々の課外活動で)遊んでばっかりいる。人生、色んなことあって、それ乗り越えながら成長していくわけですから、そういった意味では、自由な、勉強以外のメニューが多いのは、私は良いんじゃないかなと思います」と語っている。まとめるならば、勉強以外の多様な経験を自由に積むことによる成長が重要なのだ。ただし、インタビューを進めていくと、こうした高校時代の経験は必ずしもその後の人生と連続性を持っては語られていない。A高校同窓会役員へのインタビューでは、学校歴や職業キャリアを通じた社会達成に語りが収斂していた。高校時代の思い出は、彼ら同士を「A高校出身者」としてつなぐための同窓生意識をかき立てるエピソードとして扱われていた。 B女子高校の場合一方、女子校の場合はどうだろうか。B女子高校OGの語りでは、(旧)学区内の伝統ある公立トップ校という共通認識はありつつも、彼女たちを取り巻く時代・世代の状況に合わせた異なる経験が見出された。生徒急増期である1960年代~1970年代前半に入学した世代(以下、年長世代)では、旧制教育を受けた教員や良妻賢母主義が残る指導を経験していた。他方、1970年代後半~1980年代に入学した世代(以下、若手世代)では、高校進学時から大学やその先の就業を意識する状況になっていた。年長世代の高校生活の語りは、学業やリーダーシップ、友人関係が充実していればポジティブに回想されうる一方、家庭での幸せばかりが強調され、仕事を通じた社会を見る目が養われないとする「社会性の眠り」という表現のような、良妻賢母主義的な学校への批判的ともとれるネガティブな評価も下されていた。ある年長世代のOGは、「先生をからかったりとか、授業で態度悪かったり」する授業妨害や、良妻賢母的な「時代の教育」への反抗を楽しんでいた。教員たちの生活指導での「凝り固まってる考え方が嫌だった」からだという。また、別のOGは、「B女自体、社会性を教えてはいなかったような気がする」と評する。彼女がいう「社会性」とは、「社会はどうなってんだろうって、そういうのを考える」上での「客観的なものの見方」や「ものの発想」を指している。要するに、良妻賢母主義的だったB女子高校での生活は、後年の彼女にとって、自分が女性として社会に置かれた位置を自覚させてくれるものでなかったのだ。〔PHOTO〕iStock 若い世代の語りは年長世代と比べて、女子校における女性のみの環境を、自立性の涵養にとってポジティブだと評価していた。ある若いOGは、「解決できることはやっちゃっていいんだというか、誰かにお伺いを立てなきゃいけないっていうことを思わなくなった」と、男性がいないことで自身の意思や考えに基づいて行動することができるようになったという。女性同士の関係性の中で、彼女たちの思考や行動は、女性 対 男性という関係性による規範から解放されたのだ。年長世代でも、文化祭の準備などの「力仕事」「大工仕事」、生徒会長といった、男性的とされる仕事を女性自らおこなうことが象徴的に語られていた。そして、こうした経験は高校生活にとどまらず、その後の人生におけるエンパワーメントとして彼女たちに評価されていた。男女雇用機会均等法前後の時期には、女性だけの環境だからこその、より直接的なエンパワーメントも見られた。1980年代に入学したあるOGは、結婚しない生き方の選択など、「女性ならではのこととか悩みとか生き方のことを保健体育でやる」若い女性教諭の授業が鮮烈な印象を残したと語っている。この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
A高校の場合A高校同窓会役員たちにとって、高校時代で重要なのは、高校生活における面白さや熱中の経験だ。彼らへのインタビューでは、部活動や学校行事への熱中や、学外での活動や遊びの面白おかしいエピソードが数多く語られた。例えば、修学旅行時にバリカンで就寝中の友人の髪を刈り回った結果、その後の修学旅行でバリカンの持ち込みが禁止になったエピソードを「大事件になって面白かった」と回想したOBがいたように、彼らの語り口は自分たちの高校時代がいかに何事かに熱中し、面白いエピソードに彩られているかを競うようだ。そして、こうした高校生活での熱中の経験や面白さが、A高出身者としてのまとまりや一体感を醸成していた。こうした行事への熱中などを通じて結びつきを深める傾向は、現在の生徒の方が強いという。あるOBは、自身の在学時代と違い、現在は「入ってA高の(行事などが多数取り入れられた)システムに身を置いていけば、卒業までには(心身ともに鍛えられ)かなりなレベルまでもってってくれるんじゃないか」と語った。では、彼らにとって、高校生活における面白さや熱中の経験はどのように実現されたのだろうか。あるOBは「A高は(数々の学校行事など)勉強以外のメニューが多い。(こうした行事や部活、各々の課外活動で)遊んでばっかりいる。人生、色んなことあって、それ乗り越えながら成長していくわけですから、そういった意味では、自由な、勉強以外のメニューが多いのは、私は良いんじゃないかなと思います」と語っている。まとめるならば、勉強以外の多様な経験を自由に積むことによる成長が重要なのだ。ただし、インタビューを進めていくと、こうした高校時代の経験は必ずしもその後の人生と連続性を持っては語られていない。A高校同窓会役員へのインタビューでは、学校歴や職業キャリアを通じた社会達成に語りが収斂していた。高校時代の思い出は、彼ら同士を「A高校出身者」としてつなぐための同窓生意識をかき立てるエピソードとして扱われていた。 B女子高校の場合一方、女子校の場合はどうだろうか。B女子高校OGの語りでは、(旧)学区内の伝統ある公立トップ校という共通認識はありつつも、彼女たちを取り巻く時代・世代の状況に合わせた異なる経験が見出された。生徒急増期である1960年代~1970年代前半に入学した世代(以下、年長世代)では、旧制教育を受けた教員や良妻賢母主義が残る指導を経験していた。他方、1970年代後半~1980年代に入学した世代(以下、若手世代)では、高校進学時から大学やその先の就業を意識する状況になっていた。年長世代の高校生活の語りは、学業やリーダーシップ、友人関係が充実していればポジティブに回想されうる一方、家庭での幸せばかりが強調され、仕事を通じた社会を見る目が養われないとする「社会性の眠り」という表現のような、良妻賢母主義的な学校への批判的ともとれるネガティブな評価も下されていた。ある年長世代のOGは、「先生をからかったりとか、授業で態度悪かったり」する授業妨害や、良妻賢母的な「時代の教育」への反抗を楽しんでいた。教員たちの生活指導での「凝り固まってる考え方が嫌だった」からだという。また、別のOGは、「B女自体、社会性を教えてはいなかったような気がする」と評する。彼女がいう「社会性」とは、「社会はどうなってんだろうって、そういうのを考える」上での「客観的なものの見方」や「ものの発想」を指している。要するに、良妻賢母主義的だったB女子高校での生活は、後年の彼女にとって、自分が女性として社会に置かれた位置を自覚させてくれるものでなかったのだ。〔PHOTO〕iStock 若い世代の語りは年長世代と比べて、女子校における女性のみの環境を、自立性の涵養にとってポジティブだと評価していた。ある若いOGは、「解決できることはやっちゃっていいんだというか、誰かにお伺いを立てなきゃいけないっていうことを思わなくなった」と、男性がいないことで自身の意思や考えに基づいて行動することができるようになったという。女性同士の関係性の中で、彼女たちの思考や行動は、女性 対 男性という関係性による規範から解放されたのだ。年長世代でも、文化祭の準備などの「力仕事」「大工仕事」、生徒会長といった、男性的とされる仕事を女性自らおこなうことが象徴的に語られていた。そして、こうした経験は高校生活にとどまらず、その後の人生におけるエンパワーメントとして彼女たちに評価されていた。男女雇用機会均等法前後の時期には、女性だけの環境だからこその、より直接的なエンパワーメントも見られた。1980年代に入学したあるOGは、結婚しない生き方の選択など、「女性ならではのこととか悩みとか生き方のことを保健体育でやる」若い女性教諭の授業が鮮烈な印象を残したと語っている。この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
A高校同窓会役員たちにとって、高校時代で重要なのは、高校生活における面白さや熱中の経験だ。彼らへのインタビューでは、部活動や学校行事への熱中や、学外での活動や遊びの面白おかしいエピソードが数多く語られた。例えば、修学旅行時にバリカンで就寝中の友人の髪を刈り回った結果、その後の修学旅行でバリカンの持ち込みが禁止になったエピソードを「大事件になって面白かった」と回想したOBがいたように、彼らの語り口は自分たちの高校時代がいかに何事かに熱中し、面白いエピソードに彩られているかを競うようだ。そして、こうした高校生活での熱中の経験や面白さが、A高出身者としてのまとまりや一体感を醸成していた。こうした行事への熱中などを通じて結びつきを深める傾向は、現在の生徒の方が強いという。あるOBは、自身の在学時代と違い、現在は「入ってA高の(行事などが多数取り入れられた)システムに身を置いていけば、卒業までには(心身ともに鍛えられ)かなりなレベルまでもってってくれるんじゃないか」と語った。では、彼らにとって、高校生活における面白さや熱中の経験はどのように実現されたのだろうか。あるOBは「A高は(数々の学校行事など)勉強以外のメニューが多い。(こうした行事や部活、各々の課外活動で)遊んでばっかりいる。人生、色んなことあって、それ乗り越えながら成長していくわけですから、そういった意味では、自由な、勉強以外のメニューが多いのは、私は良いんじゃないかなと思います」と語っている。まとめるならば、勉強以外の多様な経験を自由に積むことによる成長が重要なのだ。ただし、インタビューを進めていくと、こうした高校時代の経験は必ずしもその後の人生と連続性を持っては語られていない。A高校同窓会役員へのインタビューでは、学校歴や職業キャリアを通じた社会達成に語りが収斂していた。高校時代の思い出は、彼ら同士を「A高校出身者」としてつなぐための同窓生意識をかき立てるエピソードとして扱われていた。 B女子高校の場合一方、女子校の場合はどうだろうか。B女子高校OGの語りでは、(旧)学区内の伝統ある公立トップ校という共通認識はありつつも、彼女たちを取り巻く時代・世代の状況に合わせた異なる経験が見出された。生徒急増期である1960年代~1970年代前半に入学した世代(以下、年長世代)では、旧制教育を受けた教員や良妻賢母主義が残る指導を経験していた。他方、1970年代後半~1980年代に入学した世代(以下、若手世代)では、高校進学時から大学やその先の就業を意識する状況になっていた。年長世代の高校生活の語りは、学業やリーダーシップ、友人関係が充実していればポジティブに回想されうる一方、家庭での幸せばかりが強調され、仕事を通じた社会を見る目が養われないとする「社会性の眠り」という表現のような、良妻賢母主義的な学校への批判的ともとれるネガティブな評価も下されていた。ある年長世代のOGは、「先生をからかったりとか、授業で態度悪かったり」する授業妨害や、良妻賢母的な「時代の教育」への反抗を楽しんでいた。教員たちの生活指導での「凝り固まってる考え方が嫌だった」からだという。また、別のOGは、「B女自体、社会性を教えてはいなかったような気がする」と評する。彼女がいう「社会性」とは、「社会はどうなってんだろうって、そういうのを考える」上での「客観的なものの見方」や「ものの発想」を指している。要するに、良妻賢母主義的だったB女子高校での生活は、後年の彼女にとって、自分が女性として社会に置かれた位置を自覚させてくれるものでなかったのだ。〔PHOTO〕iStock 若い世代の語りは年長世代と比べて、女子校における女性のみの環境を、自立性の涵養にとってポジティブだと評価していた。ある若いOGは、「解決できることはやっちゃっていいんだというか、誰かにお伺いを立てなきゃいけないっていうことを思わなくなった」と、男性がいないことで自身の意思や考えに基づいて行動することができるようになったという。女性同士の関係性の中で、彼女たちの思考や行動は、女性 対 男性という関係性による規範から解放されたのだ。年長世代でも、文化祭の準備などの「力仕事」「大工仕事」、生徒会長といった、男性的とされる仕事を女性自らおこなうことが象徴的に語られていた。そして、こうした経験は高校生活にとどまらず、その後の人生におけるエンパワーメントとして彼女たちに評価されていた。男女雇用機会均等法前後の時期には、女性だけの環境だからこその、より直接的なエンパワーメントも見られた。1980年代に入学したあるOGは、結婚しない生き方の選択など、「女性ならではのこととか悩みとか生き方のことを保健体育でやる」若い女性教諭の授業が鮮烈な印象を残したと語っている。この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
例えば、修学旅行時にバリカンで就寝中の友人の髪を刈り回った結果、その後の修学旅行でバリカンの持ち込みが禁止になったエピソードを「大事件になって面白かった」と回想したOBがいたように、彼らの語り口は自分たちの高校時代がいかに何事かに熱中し、面白いエピソードに彩られているかを競うようだ。そして、こうした高校生活での熱中の経験や面白さが、A高出身者としてのまとまりや一体感を醸成していた。こうした行事への熱中などを通じて結びつきを深める傾向は、現在の生徒の方が強いという。あるOBは、自身の在学時代と違い、現在は「入ってA高の(行事などが多数取り入れられた)システムに身を置いていけば、卒業までには(心身ともに鍛えられ)かなりなレベルまでもってってくれるんじゃないか」と語った。では、彼らにとって、高校生活における面白さや熱中の経験はどのように実現されたのだろうか。あるOBは「A高は(数々の学校行事など)勉強以外のメニューが多い。(こうした行事や部活、各々の課外活動で)遊んでばっかりいる。人生、色んなことあって、それ乗り越えながら成長していくわけですから、そういった意味では、自由な、勉強以外のメニューが多いのは、私は良いんじゃないかなと思います」と語っている。まとめるならば、勉強以外の多様な経験を自由に積むことによる成長が重要なのだ。ただし、インタビューを進めていくと、こうした高校時代の経験は必ずしもその後の人生と連続性を持っては語られていない。A高校同窓会役員へのインタビューでは、学校歴や職業キャリアを通じた社会達成に語りが収斂していた。高校時代の思い出は、彼ら同士を「A高校出身者」としてつなぐための同窓生意識をかき立てるエピソードとして扱われていた。 B女子高校の場合一方、女子校の場合はどうだろうか。B女子高校OGの語りでは、(旧)学区内の伝統ある公立トップ校という共通認識はありつつも、彼女たちを取り巻く時代・世代の状況に合わせた異なる経験が見出された。生徒急増期である1960年代~1970年代前半に入学した世代(以下、年長世代)では、旧制教育を受けた教員や良妻賢母主義が残る指導を経験していた。他方、1970年代後半~1980年代に入学した世代(以下、若手世代)では、高校進学時から大学やその先の就業を意識する状況になっていた。年長世代の高校生活の語りは、学業やリーダーシップ、友人関係が充実していればポジティブに回想されうる一方、家庭での幸せばかりが強調され、仕事を通じた社会を見る目が養われないとする「社会性の眠り」という表現のような、良妻賢母主義的な学校への批判的ともとれるネガティブな評価も下されていた。ある年長世代のOGは、「先生をからかったりとか、授業で態度悪かったり」する授業妨害や、良妻賢母的な「時代の教育」への反抗を楽しんでいた。教員たちの生活指導での「凝り固まってる考え方が嫌だった」からだという。また、別のOGは、「B女自体、社会性を教えてはいなかったような気がする」と評する。彼女がいう「社会性」とは、「社会はどうなってんだろうって、そういうのを考える」上での「客観的なものの見方」や「ものの発想」を指している。要するに、良妻賢母主義的だったB女子高校での生活は、後年の彼女にとって、自分が女性として社会に置かれた位置を自覚させてくれるものでなかったのだ。〔PHOTO〕iStock 若い世代の語りは年長世代と比べて、女子校における女性のみの環境を、自立性の涵養にとってポジティブだと評価していた。ある若いOGは、「解決できることはやっちゃっていいんだというか、誰かにお伺いを立てなきゃいけないっていうことを思わなくなった」と、男性がいないことで自身の意思や考えに基づいて行動することができるようになったという。女性同士の関係性の中で、彼女たちの思考や行動は、女性 対 男性という関係性による規範から解放されたのだ。年長世代でも、文化祭の準備などの「力仕事」「大工仕事」、生徒会長といった、男性的とされる仕事を女性自らおこなうことが象徴的に語られていた。そして、こうした経験は高校生活にとどまらず、その後の人生におけるエンパワーメントとして彼女たちに評価されていた。男女雇用機会均等法前後の時期には、女性だけの環境だからこその、より直接的なエンパワーメントも見られた。1980年代に入学したあるOGは、結婚しない生き方の選択など、「女性ならではのこととか悩みとか生き方のことを保健体育でやる」若い女性教諭の授業が鮮烈な印象を残したと語っている。この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
こうした行事への熱中などを通じて結びつきを深める傾向は、現在の生徒の方が強いという。あるOBは、自身の在学時代と違い、現在は「入ってA高の(行事などが多数取り入れられた)システムに身を置いていけば、卒業までには(心身ともに鍛えられ)かなりなレベルまでもってってくれるんじゃないか」と語った。では、彼らにとって、高校生活における面白さや熱中の経験はどのように実現されたのだろうか。あるOBは「A高は(数々の学校行事など)勉強以外のメニューが多い。(こうした行事や部活、各々の課外活動で)遊んでばっかりいる。人生、色んなことあって、それ乗り越えながら成長していくわけですから、そういった意味では、自由な、勉強以外のメニューが多いのは、私は良いんじゃないかなと思います」と語っている。まとめるならば、勉強以外の多様な経験を自由に積むことによる成長が重要なのだ。ただし、インタビューを進めていくと、こうした高校時代の経験は必ずしもその後の人生と連続性を持っては語られていない。A高校同窓会役員へのインタビューでは、学校歴や職業キャリアを通じた社会達成に語りが収斂していた。高校時代の思い出は、彼ら同士を「A高校出身者」としてつなぐための同窓生意識をかき立てるエピソードとして扱われていた。 B女子高校の場合一方、女子校の場合はどうだろうか。B女子高校OGの語りでは、(旧)学区内の伝統ある公立トップ校という共通認識はありつつも、彼女たちを取り巻く時代・世代の状況に合わせた異なる経験が見出された。生徒急増期である1960年代~1970年代前半に入学した世代(以下、年長世代)では、旧制教育を受けた教員や良妻賢母主義が残る指導を経験していた。他方、1970年代後半~1980年代に入学した世代(以下、若手世代)では、高校進学時から大学やその先の就業を意識する状況になっていた。年長世代の高校生活の語りは、学業やリーダーシップ、友人関係が充実していればポジティブに回想されうる一方、家庭での幸せばかりが強調され、仕事を通じた社会を見る目が養われないとする「社会性の眠り」という表現のような、良妻賢母主義的な学校への批判的ともとれるネガティブな評価も下されていた。ある年長世代のOGは、「先生をからかったりとか、授業で態度悪かったり」する授業妨害や、良妻賢母的な「時代の教育」への反抗を楽しんでいた。教員たちの生活指導での「凝り固まってる考え方が嫌だった」からだという。また、別のOGは、「B女自体、社会性を教えてはいなかったような気がする」と評する。彼女がいう「社会性」とは、「社会はどうなってんだろうって、そういうのを考える」上での「客観的なものの見方」や「ものの発想」を指している。要するに、良妻賢母主義的だったB女子高校での生活は、後年の彼女にとって、自分が女性として社会に置かれた位置を自覚させてくれるものでなかったのだ。〔PHOTO〕iStock 若い世代の語りは年長世代と比べて、女子校における女性のみの環境を、自立性の涵養にとってポジティブだと評価していた。ある若いOGは、「解決できることはやっちゃっていいんだというか、誰かにお伺いを立てなきゃいけないっていうことを思わなくなった」と、男性がいないことで自身の意思や考えに基づいて行動することができるようになったという。女性同士の関係性の中で、彼女たちの思考や行動は、女性 対 男性という関係性による規範から解放されたのだ。年長世代でも、文化祭の準備などの「力仕事」「大工仕事」、生徒会長といった、男性的とされる仕事を女性自らおこなうことが象徴的に語られていた。そして、こうした経験は高校生活にとどまらず、その後の人生におけるエンパワーメントとして彼女たちに評価されていた。男女雇用機会均等法前後の時期には、女性だけの環境だからこその、より直接的なエンパワーメントも見られた。1980年代に入学したあるOGは、結婚しない生き方の選択など、「女性ならではのこととか悩みとか生き方のことを保健体育でやる」若い女性教諭の授業が鮮烈な印象を残したと語っている。この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
では、彼らにとって、高校生活における面白さや熱中の経験はどのように実現されたのだろうか。あるOBは「A高は(数々の学校行事など)勉強以外のメニューが多い。(こうした行事や部活、各々の課外活動で)遊んでばっかりいる。人生、色んなことあって、それ乗り越えながら成長していくわけですから、そういった意味では、自由な、勉強以外のメニューが多いのは、私は良いんじゃないかなと思います」と語っている。まとめるならば、勉強以外の多様な経験を自由に積むことによる成長が重要なのだ。ただし、インタビューを進めていくと、こうした高校時代の経験は必ずしもその後の人生と連続性を持っては語られていない。A高校同窓会役員へのインタビューでは、学校歴や職業キャリアを通じた社会達成に語りが収斂していた。高校時代の思い出は、彼ら同士を「A高校出身者」としてつなぐための同窓生意識をかき立てるエピソードとして扱われていた。 B女子高校の場合一方、女子校の場合はどうだろうか。B女子高校OGの語りでは、(旧)学区内の伝統ある公立トップ校という共通認識はありつつも、彼女たちを取り巻く時代・世代の状況に合わせた異なる経験が見出された。生徒急増期である1960年代~1970年代前半に入学した世代(以下、年長世代)では、旧制教育を受けた教員や良妻賢母主義が残る指導を経験していた。他方、1970年代後半~1980年代に入学した世代(以下、若手世代)では、高校進学時から大学やその先の就業を意識する状況になっていた。年長世代の高校生活の語りは、学業やリーダーシップ、友人関係が充実していればポジティブに回想されうる一方、家庭での幸せばかりが強調され、仕事を通じた社会を見る目が養われないとする「社会性の眠り」という表現のような、良妻賢母主義的な学校への批判的ともとれるネガティブな評価も下されていた。ある年長世代のOGは、「先生をからかったりとか、授業で態度悪かったり」する授業妨害や、良妻賢母的な「時代の教育」への反抗を楽しんでいた。教員たちの生活指導での「凝り固まってる考え方が嫌だった」からだという。また、別のOGは、「B女自体、社会性を教えてはいなかったような気がする」と評する。彼女がいう「社会性」とは、「社会はどうなってんだろうって、そういうのを考える」上での「客観的なものの見方」や「ものの発想」を指している。要するに、良妻賢母主義的だったB女子高校での生活は、後年の彼女にとって、自分が女性として社会に置かれた位置を自覚させてくれるものでなかったのだ。〔PHOTO〕iStock 若い世代の語りは年長世代と比べて、女子校における女性のみの環境を、自立性の涵養にとってポジティブだと評価していた。ある若いOGは、「解決できることはやっちゃっていいんだというか、誰かにお伺いを立てなきゃいけないっていうことを思わなくなった」と、男性がいないことで自身の意思や考えに基づいて行動することができるようになったという。女性同士の関係性の中で、彼女たちの思考や行動は、女性 対 男性という関係性による規範から解放されたのだ。年長世代でも、文化祭の準備などの「力仕事」「大工仕事」、生徒会長といった、男性的とされる仕事を女性自らおこなうことが象徴的に語られていた。そして、こうした経験は高校生活にとどまらず、その後の人生におけるエンパワーメントとして彼女たちに評価されていた。男女雇用機会均等法前後の時期には、女性だけの環境だからこその、より直接的なエンパワーメントも見られた。1980年代に入学したあるOGは、結婚しない生き方の選択など、「女性ならではのこととか悩みとか生き方のことを保健体育でやる」若い女性教諭の授業が鮮烈な印象を残したと語っている。この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
「A高は(数々の学校行事など)勉強以外のメニューが多い。(こうした行事や部活、各々の課外活動で)遊んでばっかりいる。人生、色んなことあって、それ乗り越えながら成長していくわけですから、そういった意味では、自由な、勉強以外のメニューが多いのは、私は良いんじゃないかなと思います」と語っている。まとめるならば、勉強以外の多様な経験を自由に積むことによる成長が重要なのだ。ただし、インタビューを進めていくと、こうした高校時代の経験は必ずしもその後の人生と連続性を持っては語られていない。A高校同窓会役員へのインタビューでは、学校歴や職業キャリアを通じた社会達成に語りが収斂していた。高校時代の思い出は、彼ら同士を「A高校出身者」としてつなぐための同窓生意識をかき立てるエピソードとして扱われていた。 B女子高校の場合一方、女子校の場合はどうだろうか。B女子高校OGの語りでは、(旧)学区内の伝統ある公立トップ校という共通認識はありつつも、彼女たちを取り巻く時代・世代の状況に合わせた異なる経験が見出された。生徒急増期である1960年代~1970年代前半に入学した世代(以下、年長世代)では、旧制教育を受けた教員や良妻賢母主義が残る指導を経験していた。他方、1970年代後半~1980年代に入学した世代(以下、若手世代)では、高校進学時から大学やその先の就業を意識する状況になっていた。年長世代の高校生活の語りは、学業やリーダーシップ、友人関係が充実していればポジティブに回想されうる一方、家庭での幸せばかりが強調され、仕事を通じた社会を見る目が養われないとする「社会性の眠り」という表現のような、良妻賢母主義的な学校への批判的ともとれるネガティブな評価も下されていた。ある年長世代のOGは、「先生をからかったりとか、授業で態度悪かったり」する授業妨害や、良妻賢母的な「時代の教育」への反抗を楽しんでいた。教員たちの生活指導での「凝り固まってる考え方が嫌だった」からだという。また、別のOGは、「B女自体、社会性を教えてはいなかったような気がする」と評する。彼女がいう「社会性」とは、「社会はどうなってんだろうって、そういうのを考える」上での「客観的なものの見方」や「ものの発想」を指している。要するに、良妻賢母主義的だったB女子高校での生活は、後年の彼女にとって、自分が女性として社会に置かれた位置を自覚させてくれるものでなかったのだ。〔PHOTO〕iStock 若い世代の語りは年長世代と比べて、女子校における女性のみの環境を、自立性の涵養にとってポジティブだと評価していた。ある若いOGは、「解決できることはやっちゃっていいんだというか、誰かにお伺いを立てなきゃいけないっていうことを思わなくなった」と、男性がいないことで自身の意思や考えに基づいて行動することができるようになったという。女性同士の関係性の中で、彼女たちの思考や行動は、女性 対 男性という関係性による規範から解放されたのだ。年長世代でも、文化祭の準備などの「力仕事」「大工仕事」、生徒会長といった、男性的とされる仕事を女性自らおこなうことが象徴的に語られていた。そして、こうした経験は高校生活にとどまらず、その後の人生におけるエンパワーメントとして彼女たちに評価されていた。男女雇用機会均等法前後の時期には、女性だけの環境だからこその、より直接的なエンパワーメントも見られた。1980年代に入学したあるOGは、結婚しない生き方の選択など、「女性ならではのこととか悩みとか生き方のことを保健体育でやる」若い女性教諭の授業が鮮烈な印象を残したと語っている。この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
と語っている。まとめるならば、勉強以外の多様な経験を自由に積むことによる成長が重要なのだ。ただし、インタビューを進めていくと、こうした高校時代の経験は必ずしもその後の人生と連続性を持っては語られていない。A高校同窓会役員へのインタビューでは、学校歴や職業キャリアを通じた社会達成に語りが収斂していた。高校時代の思い出は、彼ら同士を「A高校出身者」としてつなぐための同窓生意識をかき立てるエピソードとして扱われていた。 B女子高校の場合一方、女子校の場合はどうだろうか。B女子高校OGの語りでは、(旧)学区内の伝統ある公立トップ校という共通認識はありつつも、彼女たちを取り巻く時代・世代の状況に合わせた異なる経験が見出された。生徒急増期である1960年代~1970年代前半に入学した世代(以下、年長世代)では、旧制教育を受けた教員や良妻賢母主義が残る指導を経験していた。他方、1970年代後半~1980年代に入学した世代(以下、若手世代)では、高校進学時から大学やその先の就業を意識する状況になっていた。年長世代の高校生活の語りは、学業やリーダーシップ、友人関係が充実していればポジティブに回想されうる一方、家庭での幸せばかりが強調され、仕事を通じた社会を見る目が養われないとする「社会性の眠り」という表現のような、良妻賢母主義的な学校への批判的ともとれるネガティブな評価も下されていた。ある年長世代のOGは、「先生をからかったりとか、授業で態度悪かったり」する授業妨害や、良妻賢母的な「時代の教育」への反抗を楽しんでいた。教員たちの生活指導での「凝り固まってる考え方が嫌だった」からだという。また、別のOGは、「B女自体、社会性を教えてはいなかったような気がする」と評する。彼女がいう「社会性」とは、「社会はどうなってんだろうって、そういうのを考える」上での「客観的なものの見方」や「ものの発想」を指している。要するに、良妻賢母主義的だったB女子高校での生活は、後年の彼女にとって、自分が女性として社会に置かれた位置を自覚させてくれるものでなかったのだ。〔PHOTO〕iStock 若い世代の語りは年長世代と比べて、女子校における女性のみの環境を、自立性の涵養にとってポジティブだと評価していた。ある若いOGは、「解決できることはやっちゃっていいんだというか、誰かにお伺いを立てなきゃいけないっていうことを思わなくなった」と、男性がいないことで自身の意思や考えに基づいて行動することができるようになったという。女性同士の関係性の中で、彼女たちの思考や行動は、女性 対 男性という関係性による規範から解放されたのだ。年長世代でも、文化祭の準備などの「力仕事」「大工仕事」、生徒会長といった、男性的とされる仕事を女性自らおこなうことが象徴的に語られていた。そして、こうした経験は高校生活にとどまらず、その後の人生におけるエンパワーメントとして彼女たちに評価されていた。男女雇用機会均等法前後の時期には、女性だけの環境だからこその、より直接的なエンパワーメントも見られた。1980年代に入学したあるOGは、結婚しない生き方の選択など、「女性ならではのこととか悩みとか生き方のことを保健体育でやる」若い女性教諭の授業が鮮烈な印象を残したと語っている。この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
ただし、インタビューを進めていくと、こうした高校時代の経験は必ずしもその後の人生と連続性を持っては語られていない。A高校同窓会役員へのインタビューでは、学校歴や職業キャリアを通じた社会達成に語りが収斂していた。高校時代の思い出は、彼ら同士を「A高校出身者」としてつなぐための同窓生意識をかき立てるエピソードとして扱われていた。 B女子高校の場合一方、女子校の場合はどうだろうか。B女子高校OGの語りでは、(旧)学区内の伝統ある公立トップ校という共通認識はありつつも、彼女たちを取り巻く時代・世代の状況に合わせた異なる経験が見出された。生徒急増期である1960年代~1970年代前半に入学した世代(以下、年長世代)では、旧制教育を受けた教員や良妻賢母主義が残る指導を経験していた。他方、1970年代後半~1980年代に入学した世代(以下、若手世代)では、高校進学時から大学やその先の就業を意識する状況になっていた。年長世代の高校生活の語りは、学業やリーダーシップ、友人関係が充実していればポジティブに回想されうる一方、家庭での幸せばかりが強調され、仕事を通じた社会を見る目が養われないとする「社会性の眠り」という表現のような、良妻賢母主義的な学校への批判的ともとれるネガティブな評価も下されていた。ある年長世代のOGは、「先生をからかったりとか、授業で態度悪かったり」する授業妨害や、良妻賢母的な「時代の教育」への反抗を楽しんでいた。教員たちの生活指導での「凝り固まってる考え方が嫌だった」からだという。また、別のOGは、「B女自体、社会性を教えてはいなかったような気がする」と評する。彼女がいう「社会性」とは、「社会はどうなってんだろうって、そういうのを考える」上での「客観的なものの見方」や「ものの発想」を指している。要するに、良妻賢母主義的だったB女子高校での生活は、後年の彼女にとって、自分が女性として社会に置かれた位置を自覚させてくれるものでなかったのだ。〔PHOTO〕iStock 若い世代の語りは年長世代と比べて、女子校における女性のみの環境を、自立性の涵養にとってポジティブだと評価していた。ある若いOGは、「解決できることはやっちゃっていいんだというか、誰かにお伺いを立てなきゃいけないっていうことを思わなくなった」と、男性がいないことで自身の意思や考えに基づいて行動することができるようになったという。女性同士の関係性の中で、彼女たちの思考や行動は、女性 対 男性という関係性による規範から解放されたのだ。年長世代でも、文化祭の準備などの「力仕事」「大工仕事」、生徒会長といった、男性的とされる仕事を女性自らおこなうことが象徴的に語られていた。そして、こうした経験は高校生活にとどまらず、その後の人生におけるエンパワーメントとして彼女たちに評価されていた。男女雇用機会均等法前後の時期には、女性だけの環境だからこその、より直接的なエンパワーメントも見られた。1980年代に入学したあるOGは、結婚しない生き方の選択など、「女性ならではのこととか悩みとか生き方のことを保健体育でやる」若い女性教諭の授業が鮮烈な印象を残したと語っている。この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
B女子高校の場合一方、女子校の場合はどうだろうか。B女子高校OGの語りでは、(旧)学区内の伝統ある公立トップ校という共通認識はありつつも、彼女たちを取り巻く時代・世代の状況に合わせた異なる経験が見出された。生徒急増期である1960年代~1970年代前半に入学した世代(以下、年長世代)では、旧制教育を受けた教員や良妻賢母主義が残る指導を経験していた。他方、1970年代後半~1980年代に入学した世代(以下、若手世代)では、高校進学時から大学やその先の就業を意識する状況になっていた。年長世代の高校生活の語りは、学業やリーダーシップ、友人関係が充実していればポジティブに回想されうる一方、家庭での幸せばかりが強調され、仕事を通じた社会を見る目が養われないとする「社会性の眠り」という表現のような、良妻賢母主義的な学校への批判的ともとれるネガティブな評価も下されていた。ある年長世代のOGは、「先生をからかったりとか、授業で態度悪かったり」する授業妨害や、良妻賢母的な「時代の教育」への反抗を楽しんでいた。教員たちの生活指導での「凝り固まってる考え方が嫌だった」からだという。また、別のOGは、「B女自体、社会性を教えてはいなかったような気がする」と評する。彼女がいう「社会性」とは、「社会はどうなってんだろうって、そういうのを考える」上での「客観的なものの見方」や「ものの発想」を指している。要するに、良妻賢母主義的だったB女子高校での生活は、後年の彼女にとって、自分が女性として社会に置かれた位置を自覚させてくれるものでなかったのだ。〔PHOTO〕iStock 若い世代の語りは年長世代と比べて、女子校における女性のみの環境を、自立性の涵養にとってポジティブだと評価していた。ある若いOGは、「解決できることはやっちゃっていいんだというか、誰かにお伺いを立てなきゃいけないっていうことを思わなくなった」と、男性がいないことで自身の意思や考えに基づいて行動することができるようになったという。女性同士の関係性の中で、彼女たちの思考や行動は、女性 対 男性という関係性による規範から解放されたのだ。年長世代でも、文化祭の準備などの「力仕事」「大工仕事」、生徒会長といった、男性的とされる仕事を女性自らおこなうことが象徴的に語られていた。そして、こうした経験は高校生活にとどまらず、その後の人生におけるエンパワーメントとして彼女たちに評価されていた。男女雇用機会均等法前後の時期には、女性だけの環境だからこその、より直接的なエンパワーメントも見られた。1980年代に入学したあるOGは、結婚しない生き方の選択など、「女性ならではのこととか悩みとか生き方のことを保健体育でやる」若い女性教諭の授業が鮮烈な印象を残したと語っている。この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
一方、女子校の場合はどうだろうか。B女子高校OGの語りでは、(旧)学区内の伝統ある公立トップ校という共通認識はありつつも、彼女たちを取り巻く時代・世代の状況に合わせた異なる経験が見出された。生徒急増期である1960年代~1970年代前半に入学した世代(以下、年長世代)では、旧制教育を受けた教員や良妻賢母主義が残る指導を経験していた。他方、1970年代後半~1980年代に入学した世代(以下、若手世代)では、高校進学時から大学やその先の就業を意識する状況になっていた。年長世代の高校生活の語りは、学業やリーダーシップ、友人関係が充実していればポジティブに回想されうる一方、家庭での幸せばかりが強調され、仕事を通じた社会を見る目が養われないとする「社会性の眠り」という表現のような、良妻賢母主義的な学校への批判的ともとれるネガティブな評価も下されていた。ある年長世代のOGは、「先生をからかったりとか、授業で態度悪かったり」する授業妨害や、良妻賢母的な「時代の教育」への反抗を楽しんでいた。教員たちの生活指導での「凝り固まってる考え方が嫌だった」からだという。また、別のOGは、「B女自体、社会性を教えてはいなかったような気がする」と評する。彼女がいう「社会性」とは、「社会はどうなってんだろうって、そういうのを考える」上での「客観的なものの見方」や「ものの発想」を指している。要するに、良妻賢母主義的だったB女子高校での生活は、後年の彼女にとって、自分が女性として社会に置かれた位置を自覚させてくれるものでなかったのだ。〔PHOTO〕iStock 若い世代の語りは年長世代と比べて、女子校における女性のみの環境を、自立性の涵養にとってポジティブだと評価していた。ある若いOGは、「解決できることはやっちゃっていいんだというか、誰かにお伺いを立てなきゃいけないっていうことを思わなくなった」と、男性がいないことで自身の意思や考えに基づいて行動することができるようになったという。女性同士の関係性の中で、彼女たちの思考や行動は、女性 対 男性という関係性による規範から解放されたのだ。年長世代でも、文化祭の準備などの「力仕事」「大工仕事」、生徒会長といった、男性的とされる仕事を女性自らおこなうことが象徴的に語られていた。そして、こうした経験は高校生活にとどまらず、その後の人生におけるエンパワーメントとして彼女たちに評価されていた。男女雇用機会均等法前後の時期には、女性だけの環境だからこその、より直接的なエンパワーメントも見られた。1980年代に入学したあるOGは、結婚しない生き方の選択など、「女性ならではのこととか悩みとか生き方のことを保健体育でやる」若い女性教諭の授業が鮮烈な印象を残したと語っている。この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
B女子高校OGの語りでは、(旧)学区内の伝統ある公立トップ校という共通認識はありつつも、彼女たちを取り巻く時代・世代の状況に合わせた異なる経験が見出された。生徒急増期である1960年代~1970年代前半に入学した世代(以下、年長世代)では、旧制教育を受けた教員や良妻賢母主義が残る指導を経験していた。他方、1970年代後半~1980年代に入学した世代(以下、若手世代)では、高校進学時から大学やその先の就業を意識する状況になっていた。年長世代の高校生活の語りは、学業やリーダーシップ、友人関係が充実していればポジティブに回想されうる一方、家庭での幸せばかりが強調され、仕事を通じた社会を見る目が養われないとする「社会性の眠り」という表現のような、良妻賢母主義的な学校への批判的ともとれるネガティブな評価も下されていた。ある年長世代のOGは、「先生をからかったりとか、授業で態度悪かったり」する授業妨害や、良妻賢母的な「時代の教育」への反抗を楽しんでいた。教員たちの生活指導での「凝り固まってる考え方が嫌だった」からだという。また、別のOGは、「B女自体、社会性を教えてはいなかったような気がする」と評する。彼女がいう「社会性」とは、「社会はどうなってんだろうって、そういうのを考える」上での「客観的なものの見方」や「ものの発想」を指している。要するに、良妻賢母主義的だったB女子高校での生活は、後年の彼女にとって、自分が女性として社会に置かれた位置を自覚させてくれるものでなかったのだ。〔PHOTO〕iStock 若い世代の語りは年長世代と比べて、女子校における女性のみの環境を、自立性の涵養にとってポジティブだと評価していた。ある若いOGは、「解決できることはやっちゃっていいんだというか、誰かにお伺いを立てなきゃいけないっていうことを思わなくなった」と、男性がいないことで自身の意思や考えに基づいて行動することができるようになったという。女性同士の関係性の中で、彼女たちの思考や行動は、女性 対 男性という関係性による規範から解放されたのだ。年長世代でも、文化祭の準備などの「力仕事」「大工仕事」、生徒会長といった、男性的とされる仕事を女性自らおこなうことが象徴的に語られていた。そして、こうした経験は高校生活にとどまらず、その後の人生におけるエンパワーメントとして彼女たちに評価されていた。男女雇用機会均等法前後の時期には、女性だけの環境だからこその、より直接的なエンパワーメントも見られた。1980年代に入学したあるOGは、結婚しない生き方の選択など、「女性ならではのこととか悩みとか生き方のことを保健体育でやる」若い女性教諭の授業が鮮烈な印象を残したと語っている。この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
年長世代の高校生活の語りは、学業やリーダーシップ、友人関係が充実していればポジティブに回想されうる一方、家庭での幸せばかりが強調され、仕事を通じた社会を見る目が養われないとする「社会性の眠り」という表現のような、良妻賢母主義的な学校への批判的ともとれるネガティブな評価も下されていた。ある年長世代のOGは、「先生をからかったりとか、授業で態度悪かったり」する授業妨害や、良妻賢母的な「時代の教育」への反抗を楽しんでいた。教員たちの生活指導での「凝り固まってる考え方が嫌だった」からだという。また、別のOGは、「B女自体、社会性を教えてはいなかったような気がする」と評する。彼女がいう「社会性」とは、「社会はどうなってんだろうって、そういうのを考える」上での「客観的なものの見方」や「ものの発想」を指している。要するに、良妻賢母主義的だったB女子高校での生活は、後年の彼女にとって、自分が女性として社会に置かれた位置を自覚させてくれるものでなかったのだ。〔PHOTO〕iStock 若い世代の語りは年長世代と比べて、女子校における女性のみの環境を、自立性の涵養にとってポジティブだと評価していた。ある若いOGは、「解決できることはやっちゃっていいんだというか、誰かにお伺いを立てなきゃいけないっていうことを思わなくなった」と、男性がいないことで自身の意思や考えに基づいて行動することができるようになったという。女性同士の関係性の中で、彼女たちの思考や行動は、女性 対 男性という関係性による規範から解放されたのだ。年長世代でも、文化祭の準備などの「力仕事」「大工仕事」、生徒会長といった、男性的とされる仕事を女性自らおこなうことが象徴的に語られていた。そして、こうした経験は高校生活にとどまらず、その後の人生におけるエンパワーメントとして彼女たちに評価されていた。男女雇用機会均等法前後の時期には、女性だけの環境だからこその、より直接的なエンパワーメントも見られた。1980年代に入学したあるOGは、結婚しない生き方の選択など、「女性ならではのこととか悩みとか生き方のことを保健体育でやる」若い女性教諭の授業が鮮烈な印象を残したと語っている。この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
ある年長世代のOGは、「先生をからかったりとか、授業で態度悪かったり」する授業妨害や、良妻賢母的な「時代の教育」への反抗を楽しんでいた。教員たちの生活指導での「凝り固まってる考え方が嫌だった」からだという。また、別のOGは、「B女自体、社会性を教えてはいなかったような気がする」と評する。彼女がいう「社会性」とは、「社会はどうなってんだろうって、そういうのを考える」上での「客観的なものの見方」や「ものの発想」を指している。要するに、良妻賢母主義的だったB女子高校での生活は、後年の彼女にとって、自分が女性として社会に置かれた位置を自覚させてくれるものでなかったのだ。〔PHOTO〕iStock 若い世代の語りは年長世代と比べて、女子校における女性のみの環境を、自立性の涵養にとってポジティブだと評価していた。ある若いOGは、「解決できることはやっちゃっていいんだというか、誰かにお伺いを立てなきゃいけないっていうことを思わなくなった」と、男性がいないことで自身の意思や考えに基づいて行動することができるようになったという。女性同士の関係性の中で、彼女たちの思考や行動は、女性 対 男性という関係性による規範から解放されたのだ。年長世代でも、文化祭の準備などの「力仕事」「大工仕事」、生徒会長といった、男性的とされる仕事を女性自らおこなうことが象徴的に語られていた。そして、こうした経験は高校生活にとどまらず、その後の人生におけるエンパワーメントとして彼女たちに評価されていた。男女雇用機会均等法前後の時期には、女性だけの環境だからこその、より直接的なエンパワーメントも見られた。1980年代に入学したあるOGは、結婚しない生き方の選択など、「女性ならではのこととか悩みとか生き方のことを保健体育でやる」若い女性教諭の授業が鮮烈な印象を残したと語っている。この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
また、別のOGは、「B女自体、社会性を教えてはいなかったような気がする」と評する。彼女がいう「社会性」とは、「社会はどうなってんだろうって、そういうのを考える」上での「客観的なものの見方」や「ものの発想」を指している。要するに、良妻賢母主義的だったB女子高校での生活は、後年の彼女にとって、自分が女性として社会に置かれた位置を自覚させてくれるものでなかったのだ。〔PHOTO〕iStock 若い世代の語りは年長世代と比べて、女子校における女性のみの環境を、自立性の涵養にとってポジティブだと評価していた。ある若いOGは、「解決できることはやっちゃっていいんだというか、誰かにお伺いを立てなきゃいけないっていうことを思わなくなった」と、男性がいないことで自身の意思や考えに基づいて行動することができるようになったという。女性同士の関係性の中で、彼女たちの思考や行動は、女性 対 男性という関係性による規範から解放されたのだ。年長世代でも、文化祭の準備などの「力仕事」「大工仕事」、生徒会長といった、男性的とされる仕事を女性自らおこなうことが象徴的に語られていた。そして、こうした経験は高校生活にとどまらず、その後の人生におけるエンパワーメントとして彼女たちに評価されていた。男女雇用機会均等法前後の時期には、女性だけの環境だからこその、より直接的なエンパワーメントも見られた。1980年代に入学したあるOGは、結婚しない生き方の選択など、「女性ならではのこととか悩みとか生き方のことを保健体育でやる」若い女性教諭の授業が鮮烈な印象を残したと語っている。この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
〔PHOTO〕iStock 若い世代の語りは年長世代と比べて、女子校における女性のみの環境を、自立性の涵養にとってポジティブだと評価していた。ある若いOGは、「解決できることはやっちゃっていいんだというか、誰かにお伺いを立てなきゃいけないっていうことを思わなくなった」と、男性がいないことで自身の意思や考えに基づいて行動することができるようになったという。女性同士の関係性の中で、彼女たちの思考や行動は、女性 対 男性という関係性による規範から解放されたのだ。年長世代でも、文化祭の準備などの「力仕事」「大工仕事」、生徒会長といった、男性的とされる仕事を女性自らおこなうことが象徴的に語られていた。そして、こうした経験は高校生活にとどまらず、その後の人生におけるエンパワーメントとして彼女たちに評価されていた。男女雇用機会均等法前後の時期には、女性だけの環境だからこその、より直接的なエンパワーメントも見られた。1980年代に入学したあるOGは、結婚しない生き方の選択など、「女性ならではのこととか悩みとか生き方のことを保健体育でやる」若い女性教諭の授業が鮮烈な印象を残したと語っている。この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
若い世代の語りは年長世代と比べて、女子校における女性のみの環境を、自立性の涵養にとってポジティブだと評価していた。ある若いOGは、「解決できることはやっちゃっていいんだというか、誰かにお伺いを立てなきゃいけないっていうことを思わなくなった」と、男性がいないことで自身の意思や考えに基づいて行動することができるようになったという。女性同士の関係性の中で、彼女たちの思考や行動は、女性 対 男性という関係性による規範から解放されたのだ。年長世代でも、文化祭の準備などの「力仕事」「大工仕事」、生徒会長といった、男性的とされる仕事を女性自らおこなうことが象徴的に語られていた。そして、こうした経験は高校生活にとどまらず、その後の人生におけるエンパワーメントとして彼女たちに評価されていた。男女雇用機会均等法前後の時期には、女性だけの環境だからこその、より直接的なエンパワーメントも見られた。1980年代に入学したあるOGは、結婚しない生き方の選択など、「女性ならではのこととか悩みとか生き方のことを保健体育でやる」若い女性教諭の授業が鮮烈な印象を残したと語っている。この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
若い世代の語りは年長世代と比べて、女子校における女性のみの環境を、自立性の涵養にとってポジティブだと評価していた。ある若いOGは、「解決できることはやっちゃっていいんだというか、誰かにお伺いを立てなきゃいけないっていうことを思わなくなった」と、男性がいないことで自身の意思や考えに基づいて行動することができるようになったという。女性同士の関係性の中で、彼女たちの思考や行動は、女性 対 男性という関係性による規範から解放されたのだ。年長世代でも、文化祭の準備などの「力仕事」「大工仕事」、生徒会長といった、男性的とされる仕事を女性自らおこなうことが象徴的に語られていた。そして、こうした経験は高校生活にとどまらず、その後の人生におけるエンパワーメントとして彼女たちに評価されていた。男女雇用機会均等法前後の時期には、女性だけの環境だからこその、より直接的なエンパワーメントも見られた。1980年代に入学したあるOGは、結婚しない生き方の選択など、「女性ならではのこととか悩みとか生き方のことを保健体育でやる」若い女性教諭の授業が鮮烈な印象を残したと語っている。この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
年長世代でも、文化祭の準備などの「力仕事」「大工仕事」、生徒会長といった、男性的とされる仕事を女性自らおこなうことが象徴的に語られていた。そして、こうした経験は高校生活にとどまらず、その後の人生におけるエンパワーメントとして彼女たちに評価されていた。男女雇用機会均等法前後の時期には、女性だけの環境だからこその、より直接的なエンパワーメントも見られた。1980年代に入学したあるOGは、結婚しない生き方の選択など、「女性ならではのこととか悩みとか生き方のことを保健体育でやる」若い女性教諭の授業が鮮烈な印象を残したと語っている。この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
男女雇用機会均等法前後の時期には、女性だけの環境だからこその、より直接的なエンパワーメントも見られた。1980年代に入学したあるOGは、結婚しない生き方の選択など、「女性ならではのこととか悩みとか生き方のことを保健体育でやる」若い女性教諭の授業が鮮烈な印象を残したと語っている。この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
この教員は、女性の自立にとって「経済と生活と精神の自立が必要」と語っており、当該OGの人生のロールモデルとなっている。他方で、「「女性の幸せとは」って教室をぐるぐる回って「結婚することなんだよ」」と語る年配の女性教諭も同時期におり、良妻賢母主義と女性のキャリア形成をめぐる当時の過渡的な状況がうかがわれる。女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
女子校における異性愛主義的な恋愛に限らない関係性の存在も、ポジティブに評価されていた。あるOGは「多分他に男性がいないから」という理由から、先輩や同級生に対して「ああいう風にかっこよくなりたいっていう、憧れ」を抱いた経験があるという。こうした同性への憧れやかっこよさは、青春時代を「宝塚、ベルばらの世界で生きてた」と語るOGや、別のOGによる「先輩とかも生徒会も当たり前だけど女だし、すごいかっこいい先輩とかいるんですよ」といった言葉にも表れている。注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
注目すべきは、女子校という環境あるいは女性のジェンダーにまつわる評価が、年長世代では良妻賢母主義のような学校側の旧来的な女性(性)規範への批判として現れるのに対し、若手役員では自立性の涵養という学校側の環境を評価する形で現れる点だ。B女子高校の教育方針や進路は世代が下るにつれて変化しているが、女子校という環境も、旧来的な女性(性)規範を象徴するネガティブなものから女性の自立を促すポジティブなものへと、世代が下る中で評価が変化しているのである。 男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
男女別学での経験とホモソーシャルここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
ここまで、男女別学出身者の語りについて概観してきた。では、彼ら彼女らの別学経験はホモソーシャルとどのように関わっているのだろうか。結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
結論から言えば、別学で過ごした経験を評価するなかで〈社会達成のあり方〉がどう位置付けているかが、彼ら彼女らのホモソーシャルな関係のあり方を規定していると考えられる。A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
A高校(男子校)では、選挙応援や企業間・地域内のつながりのような実益と、高校時代をポジティブに振り返る際の母校愛が強く結びついている。なぜなら、同窓生としてのつながりに加え、職域・地域でのつながりが織り合わされることで、彼らの男同士の絆はより強固になるからだ。また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
また、当人にA高校への思い入れが希薄であっても、社会達成を果たしていれば同窓会活動へ組み込まれたり、その活躍を喧伝されたりすることで、他の「A高校出身者」たちの同窓生意識をかき立てる。具体的なロールモデルの存在が、「社会の各分野で目覚しい活躍」すべしというA高校の男性(性)規範(=こうあるべきとされる男性像)をより強固にするのだ。彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
彼らの語りの焦点は、社会達成を通じて男性(性)ヒエラルキーの上位を目指すべしとする規範にある。自分が同校の伝統的な男性(性)規範に沿う「優秀な」OBであれ、A高校出身者としての肩書きの「おこぼれを頂戴」するOBであれ、男子校経験はあくまで同じA高校の男同士の絆に属していることを示す点で重要なのだ。〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
〔PHOTO〕iStock では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
では、上で見たような女性(性)規範の変化がある中、B女子高校のOGたちの絆は、どこにその基盤があるのだろうか。筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
筆者は、OGたちの女子校経験再評価のパターンの類似性が重要だと考えている。B女子高校同窓会役員の語りには、〈女子校経験に対する再評価〉という共通点を持つ、2種類のストーリーのパターンがある。在学中の女子校経験を仕事や家庭などを通じた社会達成の直接的な理由とするパターンと、卒業後に社会達成できたことで必ずしも重要視していなかった女子校経験をポジティブに捉え返すパターンだ。どちらのパターンでも、彼女たちにとって女子校経験と社会達成は深く結びついている。もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
もともと年長世代の役員たちにあっては、旧市街地出身の「商家」などの子女同士での地縁の一環としてB女子高校の学縁を位置づけることができた。しかし、世代が下るにつれて出身地が多様化し、こうした地縁への依拠は難しくなりつつある。実際、若手役員からは、かつてのB女子高校で同窓会やPTAの中心を占めていたとされる旧市街地出身の「お嬢様」「奥様」と、自分たちを区別する語りも聞かれた。加えて、大学進学率の上昇で、女性にとって高校が学歴上の通過点になりつつあるという認識も共有されていた。そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
そこでより幅広い世代での紐帯を担保するのが、B女子高校在学中ないし卒業後の経験を通じた社会的達成だ。仕事やPTA会長などを通じて、「社会性」「社会を見る目」を身につけた経験の中で、「中堅どころの(学校出身の)子」「お飾りのお人形みたいな女子」「普通の主婦」「パートタイマー」などを彼女たちと異なる存在として対置する。また、在校時の力仕事や生徒会などのリーダーシップ経験、職業経験やPTA会長をめぐっては、男性や「男性社会」が対置される。ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
ここまで見たような、個々人の在学中ないし卒業後の経験は、共学校出身者でも経験しうるものであり、また社会達成の語りも男子校・女子校としての要素よりも、進学校としてのエリート性が重要ではないかと反論しうるだろう。しかし重要なのは、男女別学出身者の語りにおいて、社会達成と男女別学での経験とが結びつけられ、彼ら彼女らに肯定的な再評価をもたらしている点である。こうした評価こそが、男女別学とホモソーシャルを媒介していると考えられる。 ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。
ただし、男子校と女子校では社会達成が指す内容が異なる点には注意が必要だ。A高校ではあくまでも学歴や職業的なキャリア達成を通じた社会達成を指している一方、B女子高校では就職や力仕事、リーダーシップ経験などを通じて「自立した女性となること」を指している。こうした社会達成の内実の男女差は、男女それぞれのホモソーシャルの性質を異なるものにしていると言えるだろう。同じホモソーシャルの問題を扱う上で、男女のこうした違いは十分に留意しなければならない。