森永卓郎が陥った〈相続地獄〉。父の金融資産はどこに? 同居生活で犯した2つの失敗

経済の専門家としてメディアで活躍する森永卓郎さん。実の父が亡くなった時、遺産相続で大変な苦労を経験したそうです(構成=村瀬素子)【写真】終活中の畑仕事が楽しみ。軍手に帽子で笑顔の森永さん* * * * * * *父の死後、貸金庫を開けて呆然大正生まれの父は昔気質の男で、家のことはすべて母任せ。靴下さえ母にはかせてもらっていました。そんな父を遺して、2000年に母が74歳で急逝。生活能力がない父を放っておくわけにはいきませんでした。弟と相談した末、埼玉県所沢市のわが家で引き取ることに。ふり返るとこの同居が、その後に続く介護と相続地獄の始まりでした。

父が所有する都内のマンションはそのまま残していたので、父は私たちと同居後も時々そちらに帰って気ままに暮らしていたんです。しかし、06年に脳出血で倒れて左半身不随に。わが家での介護が始まり、私の妻がつきっきりで世話をしました。私はといえば、テレビ出演や講演などで忙しく、平日は都心の事務所に寝泊まり。介護の苦労を語る資格はありません。その後、父はがんを患い、最終的には介護施設に入居して、11年に85歳で亡くなりました。わが家に引っ越してきてからの父の生活費はすべて私が払っていました。介護施設の費用は当初は父の口座から引き落としていたものの、毎月30万円以上はしますからすぐに底をついた。父に「ほかに預金はないの?」と聞いたところ、たくさんあるけど、銀行名も通帳のありかも「わからねぇ」と。父は、頭はしっかりしていた。恐らく、通帳などの管理は母任せで関心がなかったのでしょう。あげく、「卓郎、おまえ稼いでんだから、とりあえず払っといてくれ」と。たしかにその頃、私は著書が売れていたため、介護施設の費用を払い続けることができた。でも、これが大きな間違いでした。もう1つの失敗は貸金庫。父は銀行の貸金庫を利用していたので、半身不随になってから息子の私が代理で金庫を開けられるように手続きをしたのです。このとき中身を確認しなかったのが痛恨のミス。通帳や印鑑、証券など財産に関するものはすべてそこに入っていると私は信じ込んでいたのです。ところが父の死後、貸金庫を開けて呆然としました。中にあったのは、大学の卒業証書や記念写真など思い出の品ばかり。金目のものは戦時中の軍人国債のみでした。特攻隊員だった父にとっては大事なものだったのでしょう。父の金融資産はいったいどこにいくらあるのか? 貸金庫に手がかりとなるものはなく、私は自力で探さなければならなくなったのです。相続税の申告は「相続の開始があったことを知った日の翌日から10ヵ月以内」と法律で定められています。期限内に申告しないと脱税で立件される可能性がある。経済アナリストという立場上、それだけは避けたかった。タイムリミットまでに何としても父の財産を調べ上げなければと、相続に向けて怒濤の日々が始まりました。銀行口座開示に落とし穴が通帳類は実家を探しても出てこなかった。それで、紙袋にまとめておいた父宛の郵便物の中から手がかりを探りました。金融機関や勤め先からの通知を1つずつ開封し、父が取引していた金融機関を調べたのです。その結果、どうやら銀行口座が9つ、証券会社の口座が2つあることがわかりました。しかし、銀行に行って父の口座があるはずだから確認してほしいと頼んだところ、「お父さんが生まれてから亡くなるまでのすべての居住地で戸籍謄本を取り寄せてください」と言われたのです。新聞記者だった父は転勤で全国のあちこちに住んでいた。そのすべての役所に出向くのは大変! 各自治体に電話で問い合わせたら、役所に申請書を出せば郵送してくれるとのこと。とはいえ郵便でやりとりしていると時間がかかってしまうので、近郊の役所にはできる限り足を運びました。ところが、最後に思わぬ壁にぶつかります。東京都文京区の役所は戦時中に空襲で焼けたため、父の戸籍謄本が残っていなかったのです。銀行で説明すると、「戸籍謄本を焼失したという証明書を提出してください」と。戸籍謄本焼失証明書なんて聞いたこともない。区役所に相談に行ったら、案の定、「そんな証明書はない」と言われて。最終的には作成してくれましたけど、その間に何度も交渉。1つの銀行口座を開示してもらうのに、どれだけの労力と時間を費やしたことか! それなのに、残高がたった700円という口座もありました。もしかしたら、探し当てることができなかった口座がほかにもあったかもしれません。11年当時は、銀行の支店名まで把握していないと、そこに口座があるかどうかを教えてもらえませんでしたから。ちなみに現在はルールが変わって、同じ銀行内であれば本支店すべての口座を検索できる「全店照会」というサービスを利用できます。それにしても、私にとって相続の手続きは地獄の作業でした。もう二度とやりたくないですよ。父の言葉どおり、預貯金はたくさんあり、全部で数千万円。父の所有していたマンションと駐車場の評価額の算定や書類作成は税理士にお願いし、結果、父の財産は総額約1億円に上りました。法廷相続人は私と弟の2人でしたから、当時の法律では基礎控除は7000万円。超過分の相続税を納め、ようやくすべての手続きを終えたわけです。親にかかる介護費は親の貯金から払ってもらうべき父の生前から対策をしていれば、恐らく相続税を払わずにすんだと思います。父を引き取ってからの11年間にかかった費用は、介護した妻の人件費も合わせると5000万円ぐらいでしょうか。ただ、それを証明するものは何もなく、はっきりした数字は出せません。父には十分な貯金があったのだから、介護費用を父が支払っていれば、そのぶん相続財産が減り、基礎控除内に収まったはずです。私の反省をもとにみなさんにお伝えしたいのは、大原則として、親にかかる生活費や介護費は親の貯金や年金から払ってもらうべきだということ。自分が立て替えた場合は記録しておき、精算する。うちの親はそんなにお金を持っていないから関係ないと思うかもしれませんが、15年に相続税の基礎控除が4割引き下げられ、課税対象が大きく広がりました。相続人が2人の例でいうと、以前は7000万円だった基礎控除が4200万円に。持ち家で、老後資金を2000万円ぐらい準備している人なら超えてしまう金額です。もう1つ、相続で地獄を見るのが遺産分割。うちの場合、法律上は私と弟で2分の1ずつです。弟は、それでいいと言ってきました。でも、私と妻、そして息子たちは、父の世話をしたし、お金も使った。「それで折半はおかしいよね?」と私は反論。弟も私の言い分をわかっているのですが、「いいじゃん、兄貴は稼いでいるんだから」と(笑)。父を介護した妻も、釈然としない様子ではありましたが、もともとお金には興味がない人なので報酬を要求しなかったし、弟と私はもともと仲がよく、揉めたくなかったので折半で合意しました。ただし、これは森永家の場合です。遺産分割をめぐって親族が争うケースは少なくありません。介護をした証拠を残すためにも、介護にかかった諸経費や介護の行動記録をノートなどに記し、領収書を貼っておくことをおすすめします。相続放棄という選択肢もなお、18年に法律が改正され、19年7月以降開始の相続からは、私の妻のように義理の親を介護した場合、「特別の寄与」が認められて法定相続人にお金を請求できるようになりました。幸いうちの父はプラスの財産でしたが、借金が残されていたら、本当の意味で地獄を見ることになったでしょう。その場合は相続放棄という選択肢があります。実は私も相続放棄の経験が。佐賀県にある父方の本家の相続権が私にもあったのですが、権利を放棄したのです。埼玉と佐賀を往復するだけで交通費が10万円近くかかり、家を相続したら固定資産税など維持費も発生する。自分が住むつもりがない家を持っていてもトクにならないというのが私の持論です。ですから父のマンションも弟に譲りました。転勤族の弟はいずれ東京に戻ったら住むつもりだったものの、結局東京への転勤は叶わず、仕方なく5年後に売却することに。その間の固定資産税はまるまる損失となりました。父の死から相続までの日々で痛感したのは、とにかく現金がいる、ということ。亡くなるとすぐに通夜、葬儀のお金を用意しなければならない。さらに相続税も原則キャッシュです。期日までに支払わないと、2ヵ月までは年利7.3%、それ以降は14.6%というサラ金なみの利息がつく。遺産の多くが不動産というケースでは、すぐ売って利益を得ることは難しく、現金がないと相続税を払うためにローンを組むしかない。すぐに引き出せるお金の準備は必要です。\森永卓郎さん相続での3つの教訓/1.親の生活費、介護費の立て替えは記録しておくべし2.相続対象となる親の財産を把握しておくべし3.すぐに引き出せる現金を用意しておくべし金融資産リストのデータを保存して今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
経済の専門家としてメディアで活躍する森永卓郎さん。実の父が亡くなった時、遺産相続で大変な苦労を経験したそうです(構成=村瀬素子)
【写真】終活中の畑仕事が楽しみ。軍手に帽子で笑顔の森永さん
* * * * * * *
大正生まれの父は昔気質の男で、家のことはすべて母任せ。靴下さえ母にはかせてもらっていました。そんな父を遺して、2000年に母が74歳で急逝。生活能力がない父を放っておくわけにはいきませんでした。弟と相談した末、埼玉県所沢市のわが家で引き取ることに。ふり返るとこの同居が、その後に続く介護と相続地獄の始まりでした。
父が所有する都内のマンションはそのまま残していたので、父は私たちと同居後も時々そちらに帰って気ままに暮らしていたんです。しかし、06年に脳出血で倒れて左半身不随に。わが家での介護が始まり、私の妻がつきっきりで世話をしました。
私はといえば、テレビ出演や講演などで忙しく、平日は都心の事務所に寝泊まり。介護の苦労を語る資格はありません。その後、父はがんを患い、最終的には介護施設に入居して、11年に85歳で亡くなりました。
わが家に引っ越してきてからの父の生活費はすべて私が払っていました。介護施設の費用は当初は父の口座から引き落としていたものの、毎月30万円以上はしますからすぐに底をついた。父に「ほかに預金はないの?」と聞いたところ、たくさんあるけど、銀行名も通帳のありかも「わからねぇ」と。父は、頭はしっかりしていた。恐らく、通帳などの管理は母任せで関心がなかったのでしょう。あげく、「卓郎、おまえ稼いでんだから、とりあえず払っといてくれ」と。たしかにその頃、私は著書が売れていたため、介護施設の費用を払い続けることができた。でも、これが大きな間違いでした。もう1つの失敗は貸金庫。父は銀行の貸金庫を利用していたので、半身不随になってから息子の私が代理で金庫を開けられるように手続きをしたのです。このとき中身を確認しなかったのが痛恨のミス。通帳や印鑑、証券など財産に関するものはすべてそこに入っていると私は信じ込んでいたのです。ところが父の死後、貸金庫を開けて呆然としました。中にあったのは、大学の卒業証書や記念写真など思い出の品ばかり。金目のものは戦時中の軍人国債のみでした。特攻隊員だった父にとっては大事なものだったのでしょう。父の金融資産はいったいどこにいくらあるのか? 貸金庫に手がかりとなるものはなく、私は自力で探さなければならなくなったのです。相続税の申告は「相続の開始があったことを知った日の翌日から10ヵ月以内」と法律で定められています。期限内に申告しないと脱税で立件される可能性がある。経済アナリストという立場上、それだけは避けたかった。タイムリミットまでに何としても父の財産を調べ上げなければと、相続に向けて怒濤の日々が始まりました。銀行口座開示に落とし穴が通帳類は実家を探しても出てこなかった。それで、紙袋にまとめておいた父宛の郵便物の中から手がかりを探りました。金融機関や勤め先からの通知を1つずつ開封し、父が取引していた金融機関を調べたのです。その結果、どうやら銀行口座が9つ、証券会社の口座が2つあることがわかりました。しかし、銀行に行って父の口座があるはずだから確認してほしいと頼んだところ、「お父さんが生まれてから亡くなるまでのすべての居住地で戸籍謄本を取り寄せてください」と言われたのです。新聞記者だった父は転勤で全国のあちこちに住んでいた。そのすべての役所に出向くのは大変! 各自治体に電話で問い合わせたら、役所に申請書を出せば郵送してくれるとのこと。とはいえ郵便でやりとりしていると時間がかかってしまうので、近郊の役所にはできる限り足を運びました。ところが、最後に思わぬ壁にぶつかります。東京都文京区の役所は戦時中に空襲で焼けたため、父の戸籍謄本が残っていなかったのです。銀行で説明すると、「戸籍謄本を焼失したという証明書を提出してください」と。戸籍謄本焼失証明書なんて聞いたこともない。区役所に相談に行ったら、案の定、「そんな証明書はない」と言われて。最終的には作成してくれましたけど、その間に何度も交渉。1つの銀行口座を開示してもらうのに、どれだけの労力と時間を費やしたことか! それなのに、残高がたった700円という口座もありました。もしかしたら、探し当てることができなかった口座がほかにもあったかもしれません。11年当時は、銀行の支店名まで把握していないと、そこに口座があるかどうかを教えてもらえませんでしたから。ちなみに現在はルールが変わって、同じ銀行内であれば本支店すべての口座を検索できる「全店照会」というサービスを利用できます。それにしても、私にとって相続の手続きは地獄の作業でした。もう二度とやりたくないですよ。父の言葉どおり、預貯金はたくさんあり、全部で数千万円。父の所有していたマンションと駐車場の評価額の算定や書類作成は税理士にお願いし、結果、父の財産は総額約1億円に上りました。法廷相続人は私と弟の2人でしたから、当時の法律では基礎控除は7000万円。超過分の相続税を納め、ようやくすべての手続きを終えたわけです。親にかかる介護費は親の貯金から払ってもらうべき父の生前から対策をしていれば、恐らく相続税を払わずにすんだと思います。父を引き取ってからの11年間にかかった費用は、介護した妻の人件費も合わせると5000万円ぐらいでしょうか。ただ、それを証明するものは何もなく、はっきりした数字は出せません。父には十分な貯金があったのだから、介護費用を父が支払っていれば、そのぶん相続財産が減り、基礎控除内に収まったはずです。私の反省をもとにみなさんにお伝えしたいのは、大原則として、親にかかる生活費や介護費は親の貯金や年金から払ってもらうべきだということ。自分が立て替えた場合は記録しておき、精算する。うちの親はそんなにお金を持っていないから関係ないと思うかもしれませんが、15年に相続税の基礎控除が4割引き下げられ、課税対象が大きく広がりました。相続人が2人の例でいうと、以前は7000万円だった基礎控除が4200万円に。持ち家で、老後資金を2000万円ぐらい準備している人なら超えてしまう金額です。もう1つ、相続で地獄を見るのが遺産分割。うちの場合、法律上は私と弟で2分の1ずつです。弟は、それでいいと言ってきました。でも、私と妻、そして息子たちは、父の世話をしたし、お金も使った。「それで折半はおかしいよね?」と私は反論。弟も私の言い分をわかっているのですが、「いいじゃん、兄貴は稼いでいるんだから」と(笑)。父を介護した妻も、釈然としない様子ではありましたが、もともとお金には興味がない人なので報酬を要求しなかったし、弟と私はもともと仲がよく、揉めたくなかったので折半で合意しました。ただし、これは森永家の場合です。遺産分割をめぐって親族が争うケースは少なくありません。介護をした証拠を残すためにも、介護にかかった諸経費や介護の行動記録をノートなどに記し、領収書を貼っておくことをおすすめします。相続放棄という選択肢もなお、18年に法律が改正され、19年7月以降開始の相続からは、私の妻のように義理の親を介護した場合、「特別の寄与」が認められて法定相続人にお金を請求できるようになりました。幸いうちの父はプラスの財産でしたが、借金が残されていたら、本当の意味で地獄を見ることになったでしょう。その場合は相続放棄という選択肢があります。実は私も相続放棄の経験が。佐賀県にある父方の本家の相続権が私にもあったのですが、権利を放棄したのです。埼玉と佐賀を往復するだけで交通費が10万円近くかかり、家を相続したら固定資産税など維持費も発生する。自分が住むつもりがない家を持っていてもトクにならないというのが私の持論です。ですから父のマンションも弟に譲りました。転勤族の弟はいずれ東京に戻ったら住むつもりだったものの、結局東京への転勤は叶わず、仕方なく5年後に売却することに。その間の固定資産税はまるまる損失となりました。父の死から相続までの日々で痛感したのは、とにかく現金がいる、ということ。亡くなるとすぐに通夜、葬儀のお金を用意しなければならない。さらに相続税も原則キャッシュです。期日までに支払わないと、2ヵ月までは年利7.3%、それ以降は14.6%というサラ金なみの利息がつく。遺産の多くが不動産というケースでは、すぐ売って利益を得ることは難しく、現金がないと相続税を払うためにローンを組むしかない。すぐに引き出せるお金の準備は必要です。\森永卓郎さん相続での3つの教訓/1.親の生活費、介護費の立て替えは記録しておくべし2.相続対象となる親の財産を把握しておくべし3.すぐに引き出せる現金を用意しておくべし金融資産リストのデータを保存して今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
父は、頭はしっかりしていた。恐らく、通帳などの管理は母任せで関心がなかったのでしょう。あげく、「卓郎、おまえ稼いでんだから、とりあえず払っといてくれ」と。たしかにその頃、私は著書が売れていたため、介護施設の費用を払い続けることができた。でも、これが大きな間違いでした。もう1つの失敗は貸金庫。父は銀行の貸金庫を利用していたので、半身不随になってから息子の私が代理で金庫を開けられるように手続きをしたのです。このとき中身を確認しなかったのが痛恨のミス。通帳や印鑑、証券など財産に関するものはすべてそこに入っていると私は信じ込んでいたのです。ところが父の死後、貸金庫を開けて呆然としました。中にあったのは、大学の卒業証書や記念写真など思い出の品ばかり。金目のものは戦時中の軍人国債のみでした。特攻隊員だった父にとっては大事なものだったのでしょう。父の金融資産はいったいどこにいくらあるのか? 貸金庫に手がかりとなるものはなく、私は自力で探さなければならなくなったのです。相続税の申告は「相続の開始があったことを知った日の翌日から10ヵ月以内」と法律で定められています。期限内に申告しないと脱税で立件される可能性がある。経済アナリストという立場上、それだけは避けたかった。タイムリミットまでに何としても父の財産を調べ上げなければと、相続に向けて怒濤の日々が始まりました。銀行口座開示に落とし穴が通帳類は実家を探しても出てこなかった。それで、紙袋にまとめておいた父宛の郵便物の中から手がかりを探りました。金融機関や勤め先からの通知を1つずつ開封し、父が取引していた金融機関を調べたのです。その結果、どうやら銀行口座が9つ、証券会社の口座が2つあることがわかりました。しかし、銀行に行って父の口座があるはずだから確認してほしいと頼んだところ、「お父さんが生まれてから亡くなるまでのすべての居住地で戸籍謄本を取り寄せてください」と言われたのです。新聞記者だった父は転勤で全国のあちこちに住んでいた。そのすべての役所に出向くのは大変! 各自治体に電話で問い合わせたら、役所に申請書を出せば郵送してくれるとのこと。とはいえ郵便でやりとりしていると時間がかかってしまうので、近郊の役所にはできる限り足を運びました。ところが、最後に思わぬ壁にぶつかります。東京都文京区の役所は戦時中に空襲で焼けたため、父の戸籍謄本が残っていなかったのです。銀行で説明すると、「戸籍謄本を焼失したという証明書を提出してください」と。戸籍謄本焼失証明書なんて聞いたこともない。区役所に相談に行ったら、案の定、「そんな証明書はない」と言われて。最終的には作成してくれましたけど、その間に何度も交渉。1つの銀行口座を開示してもらうのに、どれだけの労力と時間を費やしたことか! それなのに、残高がたった700円という口座もありました。もしかしたら、探し当てることができなかった口座がほかにもあったかもしれません。11年当時は、銀行の支店名まで把握していないと、そこに口座があるかどうかを教えてもらえませんでしたから。ちなみに現在はルールが変わって、同じ銀行内であれば本支店すべての口座を検索できる「全店照会」というサービスを利用できます。それにしても、私にとって相続の手続きは地獄の作業でした。もう二度とやりたくないですよ。父の言葉どおり、預貯金はたくさんあり、全部で数千万円。父の所有していたマンションと駐車場の評価額の算定や書類作成は税理士にお願いし、結果、父の財産は総額約1億円に上りました。法廷相続人は私と弟の2人でしたから、当時の法律では基礎控除は7000万円。超過分の相続税を納め、ようやくすべての手続きを終えたわけです。親にかかる介護費は親の貯金から払ってもらうべき父の生前から対策をしていれば、恐らく相続税を払わずにすんだと思います。父を引き取ってからの11年間にかかった費用は、介護した妻の人件費も合わせると5000万円ぐらいでしょうか。ただ、それを証明するものは何もなく、はっきりした数字は出せません。父には十分な貯金があったのだから、介護費用を父が支払っていれば、そのぶん相続財産が減り、基礎控除内に収まったはずです。私の反省をもとにみなさんにお伝えしたいのは、大原則として、親にかかる生活費や介護費は親の貯金や年金から払ってもらうべきだということ。自分が立て替えた場合は記録しておき、精算する。うちの親はそんなにお金を持っていないから関係ないと思うかもしれませんが、15年に相続税の基礎控除が4割引き下げられ、課税対象が大きく広がりました。相続人が2人の例でいうと、以前は7000万円だった基礎控除が4200万円に。持ち家で、老後資金を2000万円ぐらい準備している人なら超えてしまう金額です。もう1つ、相続で地獄を見るのが遺産分割。うちの場合、法律上は私と弟で2分の1ずつです。弟は、それでいいと言ってきました。でも、私と妻、そして息子たちは、父の世話をしたし、お金も使った。「それで折半はおかしいよね?」と私は反論。弟も私の言い分をわかっているのですが、「いいじゃん、兄貴は稼いでいるんだから」と(笑)。父を介護した妻も、釈然としない様子ではありましたが、もともとお金には興味がない人なので報酬を要求しなかったし、弟と私はもともと仲がよく、揉めたくなかったので折半で合意しました。ただし、これは森永家の場合です。遺産分割をめぐって親族が争うケースは少なくありません。介護をした証拠を残すためにも、介護にかかった諸経費や介護の行動記録をノートなどに記し、領収書を貼っておくことをおすすめします。相続放棄という選択肢もなお、18年に法律が改正され、19年7月以降開始の相続からは、私の妻のように義理の親を介護した場合、「特別の寄与」が認められて法定相続人にお金を請求できるようになりました。幸いうちの父はプラスの財産でしたが、借金が残されていたら、本当の意味で地獄を見ることになったでしょう。その場合は相続放棄という選択肢があります。実は私も相続放棄の経験が。佐賀県にある父方の本家の相続権が私にもあったのですが、権利を放棄したのです。埼玉と佐賀を往復するだけで交通費が10万円近くかかり、家を相続したら固定資産税など維持費も発生する。自分が住むつもりがない家を持っていてもトクにならないというのが私の持論です。ですから父のマンションも弟に譲りました。転勤族の弟はいずれ東京に戻ったら住むつもりだったものの、結局東京への転勤は叶わず、仕方なく5年後に売却することに。その間の固定資産税はまるまる損失となりました。父の死から相続までの日々で痛感したのは、とにかく現金がいる、ということ。亡くなるとすぐに通夜、葬儀のお金を用意しなければならない。さらに相続税も原則キャッシュです。期日までに支払わないと、2ヵ月までは年利7.3%、それ以降は14.6%というサラ金なみの利息がつく。遺産の多くが不動産というケースでは、すぐ売って利益を得ることは難しく、現金がないと相続税を払うためにローンを組むしかない。すぐに引き出せるお金の準備は必要です。\森永卓郎さん相続での3つの教訓/1.親の生活費、介護費の立て替えは記録しておくべし2.相続対象となる親の財産を把握しておくべし3.すぐに引き出せる現金を用意しておくべし金融資産リストのデータを保存して今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
もう1つの失敗は貸金庫。父は銀行の貸金庫を利用していたので、半身不随になってから息子の私が代理で金庫を開けられるように手続きをしたのです。このとき中身を確認しなかったのが痛恨のミス。通帳や印鑑、証券など財産に関するものはすべてそこに入っていると私は信じ込んでいたのです。ところが父の死後、貸金庫を開けて呆然としました。中にあったのは、大学の卒業証書や記念写真など思い出の品ばかり。金目のものは戦時中の軍人国債のみでした。特攻隊員だった父にとっては大事なものだったのでしょう。父の金融資産はいったいどこにいくらあるのか? 貸金庫に手がかりとなるものはなく、私は自力で探さなければならなくなったのです。相続税の申告は「相続の開始があったことを知った日の翌日から10ヵ月以内」と法律で定められています。期限内に申告しないと脱税で立件される可能性がある。経済アナリストという立場上、それだけは避けたかった。タイムリミットまでに何としても父の財産を調べ上げなければと、相続に向けて怒濤の日々が始まりました。銀行口座開示に落とし穴が通帳類は実家を探しても出てこなかった。それで、紙袋にまとめておいた父宛の郵便物の中から手がかりを探りました。金融機関や勤め先からの通知を1つずつ開封し、父が取引していた金融機関を調べたのです。その結果、どうやら銀行口座が9つ、証券会社の口座が2つあることがわかりました。しかし、銀行に行って父の口座があるはずだから確認してほしいと頼んだところ、「お父さんが生まれてから亡くなるまでのすべての居住地で戸籍謄本を取り寄せてください」と言われたのです。新聞記者だった父は転勤で全国のあちこちに住んでいた。そのすべての役所に出向くのは大変! 各自治体に電話で問い合わせたら、役所に申請書を出せば郵送してくれるとのこと。とはいえ郵便でやりとりしていると時間がかかってしまうので、近郊の役所にはできる限り足を運びました。ところが、最後に思わぬ壁にぶつかります。東京都文京区の役所は戦時中に空襲で焼けたため、父の戸籍謄本が残っていなかったのです。銀行で説明すると、「戸籍謄本を焼失したという証明書を提出してください」と。戸籍謄本焼失証明書なんて聞いたこともない。区役所に相談に行ったら、案の定、「そんな証明書はない」と言われて。最終的には作成してくれましたけど、その間に何度も交渉。1つの銀行口座を開示してもらうのに、どれだけの労力と時間を費やしたことか! それなのに、残高がたった700円という口座もありました。もしかしたら、探し当てることができなかった口座がほかにもあったかもしれません。11年当時は、銀行の支店名まで把握していないと、そこに口座があるかどうかを教えてもらえませんでしたから。ちなみに現在はルールが変わって、同じ銀行内であれば本支店すべての口座を検索できる「全店照会」というサービスを利用できます。それにしても、私にとって相続の手続きは地獄の作業でした。もう二度とやりたくないですよ。父の言葉どおり、預貯金はたくさんあり、全部で数千万円。父の所有していたマンションと駐車場の評価額の算定や書類作成は税理士にお願いし、結果、父の財産は総額約1億円に上りました。法廷相続人は私と弟の2人でしたから、当時の法律では基礎控除は7000万円。超過分の相続税を納め、ようやくすべての手続きを終えたわけです。親にかかる介護費は親の貯金から払ってもらうべき父の生前から対策をしていれば、恐らく相続税を払わずにすんだと思います。父を引き取ってからの11年間にかかった費用は、介護した妻の人件費も合わせると5000万円ぐらいでしょうか。ただ、それを証明するものは何もなく、はっきりした数字は出せません。父には十分な貯金があったのだから、介護費用を父が支払っていれば、そのぶん相続財産が減り、基礎控除内に収まったはずです。私の反省をもとにみなさんにお伝えしたいのは、大原則として、親にかかる生活費や介護費は親の貯金や年金から払ってもらうべきだということ。自分が立て替えた場合は記録しておき、精算する。うちの親はそんなにお金を持っていないから関係ないと思うかもしれませんが、15年に相続税の基礎控除が4割引き下げられ、課税対象が大きく広がりました。相続人が2人の例でいうと、以前は7000万円だった基礎控除が4200万円に。持ち家で、老後資金を2000万円ぐらい準備している人なら超えてしまう金額です。もう1つ、相続で地獄を見るのが遺産分割。うちの場合、法律上は私と弟で2分の1ずつです。弟は、それでいいと言ってきました。でも、私と妻、そして息子たちは、父の世話をしたし、お金も使った。「それで折半はおかしいよね?」と私は反論。弟も私の言い分をわかっているのですが、「いいじゃん、兄貴は稼いでいるんだから」と(笑)。父を介護した妻も、釈然としない様子ではありましたが、もともとお金には興味がない人なので報酬を要求しなかったし、弟と私はもともと仲がよく、揉めたくなかったので折半で合意しました。ただし、これは森永家の場合です。遺産分割をめぐって親族が争うケースは少なくありません。介護をした証拠を残すためにも、介護にかかった諸経費や介護の行動記録をノートなどに記し、領収書を貼っておくことをおすすめします。相続放棄という選択肢もなお、18年に法律が改正され、19年7月以降開始の相続からは、私の妻のように義理の親を介護した場合、「特別の寄与」が認められて法定相続人にお金を請求できるようになりました。幸いうちの父はプラスの財産でしたが、借金が残されていたら、本当の意味で地獄を見ることになったでしょう。その場合は相続放棄という選択肢があります。実は私も相続放棄の経験が。佐賀県にある父方の本家の相続権が私にもあったのですが、権利を放棄したのです。埼玉と佐賀を往復するだけで交通費が10万円近くかかり、家を相続したら固定資産税など維持費も発生する。自分が住むつもりがない家を持っていてもトクにならないというのが私の持論です。ですから父のマンションも弟に譲りました。転勤族の弟はいずれ東京に戻ったら住むつもりだったものの、結局東京への転勤は叶わず、仕方なく5年後に売却することに。その間の固定資産税はまるまる損失となりました。父の死から相続までの日々で痛感したのは、とにかく現金がいる、ということ。亡くなるとすぐに通夜、葬儀のお金を用意しなければならない。さらに相続税も原則キャッシュです。期日までに支払わないと、2ヵ月までは年利7.3%、それ以降は14.6%というサラ金なみの利息がつく。遺産の多くが不動産というケースでは、すぐ売って利益を得ることは難しく、現金がないと相続税を払うためにローンを組むしかない。すぐに引き出せるお金の準備は必要です。\森永卓郎さん相続での3つの教訓/1.親の生活費、介護費の立て替えは記録しておくべし2.相続対象となる親の財産を把握しておくべし3.すぐに引き出せる現金を用意しておくべし金融資産リストのデータを保存して今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
ところが父の死後、貸金庫を開けて呆然としました。中にあったのは、大学の卒業証書や記念写真など思い出の品ばかり。金目のものは戦時中の軍人国債のみでした。特攻隊員だった父にとっては大事なものだったのでしょう。父の金融資産はいったいどこにいくらあるのか? 貸金庫に手がかりとなるものはなく、私は自力で探さなければならなくなったのです。相続税の申告は「相続の開始があったことを知った日の翌日から10ヵ月以内」と法律で定められています。期限内に申告しないと脱税で立件される可能性がある。経済アナリストという立場上、それだけは避けたかった。タイムリミットまでに何としても父の財産を調べ上げなければと、相続に向けて怒濤の日々が始まりました。銀行口座開示に落とし穴が通帳類は実家を探しても出てこなかった。それで、紙袋にまとめておいた父宛の郵便物の中から手がかりを探りました。金融機関や勤め先からの通知を1つずつ開封し、父が取引していた金融機関を調べたのです。その結果、どうやら銀行口座が9つ、証券会社の口座が2つあることがわかりました。しかし、銀行に行って父の口座があるはずだから確認してほしいと頼んだところ、「お父さんが生まれてから亡くなるまでのすべての居住地で戸籍謄本を取り寄せてください」と言われたのです。新聞記者だった父は転勤で全国のあちこちに住んでいた。そのすべての役所に出向くのは大変! 各自治体に電話で問い合わせたら、役所に申請書を出せば郵送してくれるとのこと。とはいえ郵便でやりとりしていると時間がかかってしまうので、近郊の役所にはできる限り足を運びました。ところが、最後に思わぬ壁にぶつかります。東京都文京区の役所は戦時中に空襲で焼けたため、父の戸籍謄本が残っていなかったのです。銀行で説明すると、「戸籍謄本を焼失したという証明書を提出してください」と。戸籍謄本焼失証明書なんて聞いたこともない。区役所に相談に行ったら、案の定、「そんな証明書はない」と言われて。最終的には作成してくれましたけど、その間に何度も交渉。1つの銀行口座を開示してもらうのに、どれだけの労力と時間を費やしたことか! それなのに、残高がたった700円という口座もありました。もしかしたら、探し当てることができなかった口座がほかにもあったかもしれません。11年当時は、銀行の支店名まで把握していないと、そこに口座があるかどうかを教えてもらえませんでしたから。ちなみに現在はルールが変わって、同じ銀行内であれば本支店すべての口座を検索できる「全店照会」というサービスを利用できます。それにしても、私にとって相続の手続きは地獄の作業でした。もう二度とやりたくないですよ。父の言葉どおり、預貯金はたくさんあり、全部で数千万円。父の所有していたマンションと駐車場の評価額の算定や書類作成は税理士にお願いし、結果、父の財産は総額約1億円に上りました。法廷相続人は私と弟の2人でしたから、当時の法律では基礎控除は7000万円。超過分の相続税を納め、ようやくすべての手続きを終えたわけです。親にかかる介護費は親の貯金から払ってもらうべき父の生前から対策をしていれば、恐らく相続税を払わずにすんだと思います。父を引き取ってからの11年間にかかった費用は、介護した妻の人件費も合わせると5000万円ぐらいでしょうか。ただ、それを証明するものは何もなく、はっきりした数字は出せません。父には十分な貯金があったのだから、介護費用を父が支払っていれば、そのぶん相続財産が減り、基礎控除内に収まったはずです。私の反省をもとにみなさんにお伝えしたいのは、大原則として、親にかかる生活費や介護費は親の貯金や年金から払ってもらうべきだということ。自分が立て替えた場合は記録しておき、精算する。うちの親はそんなにお金を持っていないから関係ないと思うかもしれませんが、15年に相続税の基礎控除が4割引き下げられ、課税対象が大きく広がりました。相続人が2人の例でいうと、以前は7000万円だった基礎控除が4200万円に。持ち家で、老後資金を2000万円ぐらい準備している人なら超えてしまう金額です。もう1つ、相続で地獄を見るのが遺産分割。うちの場合、法律上は私と弟で2分の1ずつです。弟は、それでいいと言ってきました。でも、私と妻、そして息子たちは、父の世話をしたし、お金も使った。「それで折半はおかしいよね?」と私は反論。弟も私の言い分をわかっているのですが、「いいじゃん、兄貴は稼いでいるんだから」と(笑)。父を介護した妻も、釈然としない様子ではありましたが、もともとお金には興味がない人なので報酬を要求しなかったし、弟と私はもともと仲がよく、揉めたくなかったので折半で合意しました。ただし、これは森永家の場合です。遺産分割をめぐって親族が争うケースは少なくありません。介護をした証拠を残すためにも、介護にかかった諸経費や介護の行動記録をノートなどに記し、領収書を貼っておくことをおすすめします。相続放棄という選択肢もなお、18年に法律が改正され、19年7月以降開始の相続からは、私の妻のように義理の親を介護した場合、「特別の寄与」が認められて法定相続人にお金を請求できるようになりました。幸いうちの父はプラスの財産でしたが、借金が残されていたら、本当の意味で地獄を見ることになったでしょう。その場合は相続放棄という選択肢があります。実は私も相続放棄の経験が。佐賀県にある父方の本家の相続権が私にもあったのですが、権利を放棄したのです。埼玉と佐賀を往復するだけで交通費が10万円近くかかり、家を相続したら固定資産税など維持費も発生する。自分が住むつもりがない家を持っていてもトクにならないというのが私の持論です。ですから父のマンションも弟に譲りました。転勤族の弟はいずれ東京に戻ったら住むつもりだったものの、結局東京への転勤は叶わず、仕方なく5年後に売却することに。その間の固定資産税はまるまる損失となりました。父の死から相続までの日々で痛感したのは、とにかく現金がいる、ということ。亡くなるとすぐに通夜、葬儀のお金を用意しなければならない。さらに相続税も原則キャッシュです。期日までに支払わないと、2ヵ月までは年利7.3%、それ以降は14.6%というサラ金なみの利息がつく。遺産の多くが不動産というケースでは、すぐ売って利益を得ることは難しく、現金がないと相続税を払うためにローンを組むしかない。すぐに引き出せるお金の準備は必要です。\森永卓郎さん相続での3つの教訓/1.親の生活費、介護費の立て替えは記録しておくべし2.相続対象となる親の財産を把握しておくべし3.すぐに引き出せる現金を用意しておくべし金融資産リストのデータを保存して今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
父の金融資産はいったいどこにいくらあるのか? 貸金庫に手がかりとなるものはなく、私は自力で探さなければならなくなったのです。相続税の申告は「相続の開始があったことを知った日の翌日から10ヵ月以内」と法律で定められています。期限内に申告しないと脱税で立件される可能性がある。経済アナリストという立場上、それだけは避けたかった。タイムリミットまでに何としても父の財産を調べ上げなければと、相続に向けて怒濤の日々が始まりました。銀行口座開示に落とし穴が通帳類は実家を探しても出てこなかった。それで、紙袋にまとめておいた父宛の郵便物の中から手がかりを探りました。金融機関や勤め先からの通知を1つずつ開封し、父が取引していた金融機関を調べたのです。その結果、どうやら銀行口座が9つ、証券会社の口座が2つあることがわかりました。しかし、銀行に行って父の口座があるはずだから確認してほしいと頼んだところ、「お父さんが生まれてから亡くなるまでのすべての居住地で戸籍謄本を取り寄せてください」と言われたのです。新聞記者だった父は転勤で全国のあちこちに住んでいた。そのすべての役所に出向くのは大変! 各自治体に電話で問い合わせたら、役所に申請書を出せば郵送してくれるとのこと。とはいえ郵便でやりとりしていると時間がかかってしまうので、近郊の役所にはできる限り足を運びました。ところが、最後に思わぬ壁にぶつかります。東京都文京区の役所は戦時中に空襲で焼けたため、父の戸籍謄本が残っていなかったのです。銀行で説明すると、「戸籍謄本を焼失したという証明書を提出してください」と。戸籍謄本焼失証明書なんて聞いたこともない。区役所に相談に行ったら、案の定、「そんな証明書はない」と言われて。最終的には作成してくれましたけど、その間に何度も交渉。1つの銀行口座を開示してもらうのに、どれだけの労力と時間を費やしたことか! それなのに、残高がたった700円という口座もありました。もしかしたら、探し当てることができなかった口座がほかにもあったかもしれません。11年当時は、銀行の支店名まで把握していないと、そこに口座があるかどうかを教えてもらえませんでしたから。ちなみに現在はルールが変わって、同じ銀行内であれば本支店すべての口座を検索できる「全店照会」というサービスを利用できます。それにしても、私にとって相続の手続きは地獄の作業でした。もう二度とやりたくないですよ。父の言葉どおり、預貯金はたくさんあり、全部で数千万円。父の所有していたマンションと駐車場の評価額の算定や書類作成は税理士にお願いし、結果、父の財産は総額約1億円に上りました。法廷相続人は私と弟の2人でしたから、当時の法律では基礎控除は7000万円。超過分の相続税を納め、ようやくすべての手続きを終えたわけです。親にかかる介護費は親の貯金から払ってもらうべき父の生前から対策をしていれば、恐らく相続税を払わずにすんだと思います。父を引き取ってからの11年間にかかった費用は、介護した妻の人件費も合わせると5000万円ぐらいでしょうか。ただ、それを証明するものは何もなく、はっきりした数字は出せません。父には十分な貯金があったのだから、介護費用を父が支払っていれば、そのぶん相続財産が減り、基礎控除内に収まったはずです。私の反省をもとにみなさんにお伝えしたいのは、大原則として、親にかかる生活費や介護費は親の貯金や年金から払ってもらうべきだということ。自分が立て替えた場合は記録しておき、精算する。うちの親はそんなにお金を持っていないから関係ないと思うかもしれませんが、15年に相続税の基礎控除が4割引き下げられ、課税対象が大きく広がりました。相続人が2人の例でいうと、以前は7000万円だった基礎控除が4200万円に。持ち家で、老後資金を2000万円ぐらい準備している人なら超えてしまう金額です。もう1つ、相続で地獄を見るのが遺産分割。うちの場合、法律上は私と弟で2分の1ずつです。弟は、それでいいと言ってきました。でも、私と妻、そして息子たちは、父の世話をしたし、お金も使った。「それで折半はおかしいよね?」と私は反論。弟も私の言い分をわかっているのですが、「いいじゃん、兄貴は稼いでいるんだから」と(笑)。父を介護した妻も、釈然としない様子ではありましたが、もともとお金には興味がない人なので報酬を要求しなかったし、弟と私はもともと仲がよく、揉めたくなかったので折半で合意しました。ただし、これは森永家の場合です。遺産分割をめぐって親族が争うケースは少なくありません。介護をした証拠を残すためにも、介護にかかった諸経費や介護の行動記録をノートなどに記し、領収書を貼っておくことをおすすめします。相続放棄という選択肢もなお、18年に法律が改正され、19年7月以降開始の相続からは、私の妻のように義理の親を介護した場合、「特別の寄与」が認められて法定相続人にお金を請求できるようになりました。幸いうちの父はプラスの財産でしたが、借金が残されていたら、本当の意味で地獄を見ることになったでしょう。その場合は相続放棄という選択肢があります。実は私も相続放棄の経験が。佐賀県にある父方の本家の相続権が私にもあったのですが、権利を放棄したのです。埼玉と佐賀を往復するだけで交通費が10万円近くかかり、家を相続したら固定資産税など維持費も発生する。自分が住むつもりがない家を持っていてもトクにならないというのが私の持論です。ですから父のマンションも弟に譲りました。転勤族の弟はいずれ東京に戻ったら住むつもりだったものの、結局東京への転勤は叶わず、仕方なく5年後に売却することに。その間の固定資産税はまるまる損失となりました。父の死から相続までの日々で痛感したのは、とにかく現金がいる、ということ。亡くなるとすぐに通夜、葬儀のお金を用意しなければならない。さらに相続税も原則キャッシュです。期日までに支払わないと、2ヵ月までは年利7.3%、それ以降は14.6%というサラ金なみの利息がつく。遺産の多くが不動産というケースでは、すぐ売って利益を得ることは難しく、現金がないと相続税を払うためにローンを組むしかない。すぐに引き出せるお金の準備は必要です。\森永卓郎さん相続での3つの教訓/1.親の生活費、介護費の立て替えは記録しておくべし2.相続対象となる親の財産を把握しておくべし3.すぐに引き出せる現金を用意しておくべし金融資産リストのデータを保存して今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
期限内に申告しないと脱税で立件される可能性がある。経済アナリストという立場上、それだけは避けたかった。タイムリミットまでに何としても父の財産を調べ上げなければと、相続に向けて怒濤の日々が始まりました。銀行口座開示に落とし穴が通帳類は実家を探しても出てこなかった。それで、紙袋にまとめておいた父宛の郵便物の中から手がかりを探りました。金融機関や勤め先からの通知を1つずつ開封し、父が取引していた金融機関を調べたのです。その結果、どうやら銀行口座が9つ、証券会社の口座が2つあることがわかりました。しかし、銀行に行って父の口座があるはずだから確認してほしいと頼んだところ、「お父さんが生まれてから亡くなるまでのすべての居住地で戸籍謄本を取り寄せてください」と言われたのです。新聞記者だった父は転勤で全国のあちこちに住んでいた。そのすべての役所に出向くのは大変! 各自治体に電話で問い合わせたら、役所に申請書を出せば郵送してくれるとのこと。とはいえ郵便でやりとりしていると時間がかかってしまうので、近郊の役所にはできる限り足を運びました。ところが、最後に思わぬ壁にぶつかります。東京都文京区の役所は戦時中に空襲で焼けたため、父の戸籍謄本が残っていなかったのです。銀行で説明すると、「戸籍謄本を焼失したという証明書を提出してください」と。戸籍謄本焼失証明書なんて聞いたこともない。区役所に相談に行ったら、案の定、「そんな証明書はない」と言われて。最終的には作成してくれましたけど、その間に何度も交渉。1つの銀行口座を開示してもらうのに、どれだけの労力と時間を費やしたことか! それなのに、残高がたった700円という口座もありました。もしかしたら、探し当てることができなかった口座がほかにもあったかもしれません。11年当時は、銀行の支店名まで把握していないと、そこに口座があるかどうかを教えてもらえませんでしたから。ちなみに現在はルールが変わって、同じ銀行内であれば本支店すべての口座を検索できる「全店照会」というサービスを利用できます。それにしても、私にとって相続の手続きは地獄の作業でした。もう二度とやりたくないですよ。父の言葉どおり、預貯金はたくさんあり、全部で数千万円。父の所有していたマンションと駐車場の評価額の算定や書類作成は税理士にお願いし、結果、父の財産は総額約1億円に上りました。法廷相続人は私と弟の2人でしたから、当時の法律では基礎控除は7000万円。超過分の相続税を納め、ようやくすべての手続きを終えたわけです。親にかかる介護費は親の貯金から払ってもらうべき父の生前から対策をしていれば、恐らく相続税を払わずにすんだと思います。父を引き取ってからの11年間にかかった費用は、介護した妻の人件費も合わせると5000万円ぐらいでしょうか。ただ、それを証明するものは何もなく、はっきりした数字は出せません。父には十分な貯金があったのだから、介護費用を父が支払っていれば、そのぶん相続財産が減り、基礎控除内に収まったはずです。私の反省をもとにみなさんにお伝えしたいのは、大原則として、親にかかる生活費や介護費は親の貯金や年金から払ってもらうべきだということ。自分が立て替えた場合は記録しておき、精算する。うちの親はそんなにお金を持っていないから関係ないと思うかもしれませんが、15年に相続税の基礎控除が4割引き下げられ、課税対象が大きく広がりました。相続人が2人の例でいうと、以前は7000万円だった基礎控除が4200万円に。持ち家で、老後資金を2000万円ぐらい準備している人なら超えてしまう金額です。もう1つ、相続で地獄を見るのが遺産分割。うちの場合、法律上は私と弟で2分の1ずつです。弟は、それでいいと言ってきました。でも、私と妻、そして息子たちは、父の世話をしたし、お金も使った。「それで折半はおかしいよね?」と私は反論。弟も私の言い分をわかっているのですが、「いいじゃん、兄貴は稼いでいるんだから」と(笑)。父を介護した妻も、釈然としない様子ではありましたが、もともとお金には興味がない人なので報酬を要求しなかったし、弟と私はもともと仲がよく、揉めたくなかったので折半で合意しました。ただし、これは森永家の場合です。遺産分割をめぐって親族が争うケースは少なくありません。介護をした証拠を残すためにも、介護にかかった諸経費や介護の行動記録をノートなどに記し、領収書を貼っておくことをおすすめします。相続放棄という選択肢もなお、18年に法律が改正され、19年7月以降開始の相続からは、私の妻のように義理の親を介護した場合、「特別の寄与」が認められて法定相続人にお金を請求できるようになりました。幸いうちの父はプラスの財産でしたが、借金が残されていたら、本当の意味で地獄を見ることになったでしょう。その場合は相続放棄という選択肢があります。実は私も相続放棄の経験が。佐賀県にある父方の本家の相続権が私にもあったのですが、権利を放棄したのです。埼玉と佐賀を往復するだけで交通費が10万円近くかかり、家を相続したら固定資産税など維持費も発生する。自分が住むつもりがない家を持っていてもトクにならないというのが私の持論です。ですから父のマンションも弟に譲りました。転勤族の弟はいずれ東京に戻ったら住むつもりだったものの、結局東京への転勤は叶わず、仕方なく5年後に売却することに。その間の固定資産税はまるまる損失となりました。父の死から相続までの日々で痛感したのは、とにかく現金がいる、ということ。亡くなるとすぐに通夜、葬儀のお金を用意しなければならない。さらに相続税も原則キャッシュです。期日までに支払わないと、2ヵ月までは年利7.3%、それ以降は14.6%というサラ金なみの利息がつく。遺産の多くが不動産というケースでは、すぐ売って利益を得ることは難しく、現金がないと相続税を払うためにローンを組むしかない。すぐに引き出せるお金の準備は必要です。\森永卓郎さん相続での3つの教訓/1.親の生活費、介護費の立て替えは記録しておくべし2.相続対象となる親の財産を把握しておくべし3.すぐに引き出せる現金を用意しておくべし金融資産リストのデータを保存して今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
通帳類は実家を探しても出てこなかった。それで、紙袋にまとめておいた父宛の郵便物の中から手がかりを探りました。金融機関や勤め先からの通知を1つずつ開封し、父が取引していた金融機関を調べたのです。その結果、どうやら銀行口座が9つ、証券会社の口座が2つあることがわかりました。しかし、銀行に行って父の口座があるはずだから確認してほしいと頼んだところ、「お父さんが生まれてから亡くなるまでのすべての居住地で戸籍謄本を取り寄せてください」と言われたのです。新聞記者だった父は転勤で全国のあちこちに住んでいた。そのすべての役所に出向くのは大変! 各自治体に電話で問い合わせたら、役所に申請書を出せば郵送してくれるとのこと。とはいえ郵便でやりとりしていると時間がかかってしまうので、近郊の役所にはできる限り足を運びました。ところが、最後に思わぬ壁にぶつかります。東京都文京区の役所は戦時中に空襲で焼けたため、父の戸籍謄本が残っていなかったのです。銀行で説明すると、「戸籍謄本を焼失したという証明書を提出してください」と。戸籍謄本焼失証明書なんて聞いたこともない。区役所に相談に行ったら、案の定、「そんな証明書はない」と言われて。最終的には作成してくれましたけど、その間に何度も交渉。1つの銀行口座を開示してもらうのに、どれだけの労力と時間を費やしたことか! それなのに、残高がたった700円という口座もありました。もしかしたら、探し当てることができなかった口座がほかにもあったかもしれません。11年当時は、銀行の支店名まで把握していないと、そこに口座があるかどうかを教えてもらえませんでしたから。ちなみに現在はルールが変わって、同じ銀行内であれば本支店すべての口座を検索できる「全店照会」というサービスを利用できます。それにしても、私にとって相続の手続きは地獄の作業でした。もう二度とやりたくないですよ。父の言葉どおり、預貯金はたくさんあり、全部で数千万円。父の所有していたマンションと駐車場の評価額の算定や書類作成は税理士にお願いし、結果、父の財産は総額約1億円に上りました。法廷相続人は私と弟の2人でしたから、当時の法律では基礎控除は7000万円。超過分の相続税を納め、ようやくすべての手続きを終えたわけです。親にかかる介護費は親の貯金から払ってもらうべき父の生前から対策をしていれば、恐らく相続税を払わずにすんだと思います。父を引き取ってからの11年間にかかった費用は、介護した妻の人件費も合わせると5000万円ぐらいでしょうか。ただ、それを証明するものは何もなく、はっきりした数字は出せません。父には十分な貯金があったのだから、介護費用を父が支払っていれば、そのぶん相続財産が減り、基礎控除内に収まったはずです。私の反省をもとにみなさんにお伝えしたいのは、大原則として、親にかかる生活費や介護費は親の貯金や年金から払ってもらうべきだということ。自分が立て替えた場合は記録しておき、精算する。うちの親はそんなにお金を持っていないから関係ないと思うかもしれませんが、15年に相続税の基礎控除が4割引き下げられ、課税対象が大きく広がりました。相続人が2人の例でいうと、以前は7000万円だった基礎控除が4200万円に。持ち家で、老後資金を2000万円ぐらい準備している人なら超えてしまう金額です。もう1つ、相続で地獄を見るのが遺産分割。うちの場合、法律上は私と弟で2分の1ずつです。弟は、それでいいと言ってきました。でも、私と妻、そして息子たちは、父の世話をしたし、お金も使った。「それで折半はおかしいよね?」と私は反論。弟も私の言い分をわかっているのですが、「いいじゃん、兄貴は稼いでいるんだから」と(笑)。父を介護した妻も、釈然としない様子ではありましたが、もともとお金には興味がない人なので報酬を要求しなかったし、弟と私はもともと仲がよく、揉めたくなかったので折半で合意しました。ただし、これは森永家の場合です。遺産分割をめぐって親族が争うケースは少なくありません。介護をした証拠を残すためにも、介護にかかった諸経費や介護の行動記録をノートなどに記し、領収書を貼っておくことをおすすめします。相続放棄という選択肢もなお、18年に法律が改正され、19年7月以降開始の相続からは、私の妻のように義理の親を介護した場合、「特別の寄与」が認められて法定相続人にお金を請求できるようになりました。幸いうちの父はプラスの財産でしたが、借金が残されていたら、本当の意味で地獄を見ることになったでしょう。その場合は相続放棄という選択肢があります。実は私も相続放棄の経験が。佐賀県にある父方の本家の相続権が私にもあったのですが、権利を放棄したのです。埼玉と佐賀を往復するだけで交通費が10万円近くかかり、家を相続したら固定資産税など維持費も発生する。自分が住むつもりがない家を持っていてもトクにならないというのが私の持論です。ですから父のマンションも弟に譲りました。転勤族の弟はいずれ東京に戻ったら住むつもりだったものの、結局東京への転勤は叶わず、仕方なく5年後に売却することに。その間の固定資産税はまるまる損失となりました。父の死から相続までの日々で痛感したのは、とにかく現金がいる、ということ。亡くなるとすぐに通夜、葬儀のお金を用意しなければならない。さらに相続税も原則キャッシュです。期日までに支払わないと、2ヵ月までは年利7.3%、それ以降は14.6%というサラ金なみの利息がつく。遺産の多くが不動産というケースでは、すぐ売って利益を得ることは難しく、現金がないと相続税を払うためにローンを組むしかない。すぐに引き出せるお金の準備は必要です。\森永卓郎さん相続での3つの教訓/1.親の生活費、介護費の立て替えは記録しておくべし2.相続対象となる親の財産を把握しておくべし3.すぐに引き出せる現金を用意しておくべし金融資産リストのデータを保存して今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
しかし、銀行に行って父の口座があるはずだから確認してほしいと頼んだところ、「お父さんが生まれてから亡くなるまでのすべての居住地で戸籍謄本を取り寄せてください」と言われたのです。新聞記者だった父は転勤で全国のあちこちに住んでいた。そのすべての役所に出向くのは大変! 各自治体に電話で問い合わせたら、役所に申請書を出せば郵送してくれるとのこと。とはいえ郵便でやりとりしていると時間がかかってしまうので、近郊の役所にはできる限り足を運びました。ところが、最後に思わぬ壁にぶつかります。東京都文京区の役所は戦時中に空襲で焼けたため、父の戸籍謄本が残っていなかったのです。銀行で説明すると、「戸籍謄本を焼失したという証明書を提出してください」と。戸籍謄本焼失証明書なんて聞いたこともない。区役所に相談に行ったら、案の定、「そんな証明書はない」と言われて。最終的には作成してくれましたけど、その間に何度も交渉。1つの銀行口座を開示してもらうのに、どれだけの労力と時間を費やしたことか! それなのに、残高がたった700円という口座もありました。もしかしたら、探し当てることができなかった口座がほかにもあったかもしれません。11年当時は、銀行の支店名まで把握していないと、そこに口座があるかどうかを教えてもらえませんでしたから。ちなみに現在はルールが変わって、同じ銀行内であれば本支店すべての口座を検索できる「全店照会」というサービスを利用できます。それにしても、私にとって相続の手続きは地獄の作業でした。もう二度とやりたくないですよ。父の言葉どおり、預貯金はたくさんあり、全部で数千万円。父の所有していたマンションと駐車場の評価額の算定や書類作成は税理士にお願いし、結果、父の財産は総額約1億円に上りました。法廷相続人は私と弟の2人でしたから、当時の法律では基礎控除は7000万円。超過分の相続税を納め、ようやくすべての手続きを終えたわけです。親にかかる介護費は親の貯金から払ってもらうべき父の生前から対策をしていれば、恐らく相続税を払わずにすんだと思います。父を引き取ってからの11年間にかかった費用は、介護した妻の人件費も合わせると5000万円ぐらいでしょうか。ただ、それを証明するものは何もなく、はっきりした数字は出せません。父には十分な貯金があったのだから、介護費用を父が支払っていれば、そのぶん相続財産が減り、基礎控除内に収まったはずです。私の反省をもとにみなさんにお伝えしたいのは、大原則として、親にかかる生活費や介護費は親の貯金や年金から払ってもらうべきだということ。自分が立て替えた場合は記録しておき、精算する。うちの親はそんなにお金を持っていないから関係ないと思うかもしれませんが、15年に相続税の基礎控除が4割引き下げられ、課税対象が大きく広がりました。相続人が2人の例でいうと、以前は7000万円だった基礎控除が4200万円に。持ち家で、老後資金を2000万円ぐらい準備している人なら超えてしまう金額です。もう1つ、相続で地獄を見るのが遺産分割。うちの場合、法律上は私と弟で2分の1ずつです。弟は、それでいいと言ってきました。でも、私と妻、そして息子たちは、父の世話をしたし、お金も使った。「それで折半はおかしいよね?」と私は反論。弟も私の言い分をわかっているのですが、「いいじゃん、兄貴は稼いでいるんだから」と(笑)。父を介護した妻も、釈然としない様子ではありましたが、もともとお金には興味がない人なので報酬を要求しなかったし、弟と私はもともと仲がよく、揉めたくなかったので折半で合意しました。ただし、これは森永家の場合です。遺産分割をめぐって親族が争うケースは少なくありません。介護をした証拠を残すためにも、介護にかかった諸経費や介護の行動記録をノートなどに記し、領収書を貼っておくことをおすすめします。相続放棄という選択肢もなお、18年に法律が改正され、19年7月以降開始の相続からは、私の妻のように義理の親を介護した場合、「特別の寄与」が認められて法定相続人にお金を請求できるようになりました。幸いうちの父はプラスの財産でしたが、借金が残されていたら、本当の意味で地獄を見ることになったでしょう。その場合は相続放棄という選択肢があります。実は私も相続放棄の経験が。佐賀県にある父方の本家の相続権が私にもあったのですが、権利を放棄したのです。埼玉と佐賀を往復するだけで交通費が10万円近くかかり、家を相続したら固定資産税など維持費も発生する。自分が住むつもりがない家を持っていてもトクにならないというのが私の持論です。ですから父のマンションも弟に譲りました。転勤族の弟はいずれ東京に戻ったら住むつもりだったものの、結局東京への転勤は叶わず、仕方なく5年後に売却することに。その間の固定資産税はまるまる損失となりました。父の死から相続までの日々で痛感したのは、とにかく現金がいる、ということ。亡くなるとすぐに通夜、葬儀のお金を用意しなければならない。さらに相続税も原則キャッシュです。期日までに支払わないと、2ヵ月までは年利7.3%、それ以降は14.6%というサラ金なみの利息がつく。遺産の多くが不動産というケースでは、すぐ売って利益を得ることは難しく、現金がないと相続税を払うためにローンを組むしかない。すぐに引き出せるお金の準備は必要です。\森永卓郎さん相続での3つの教訓/1.親の生活費、介護費の立て替えは記録しておくべし2.相続対象となる親の財産を把握しておくべし3.すぐに引き出せる現金を用意しておくべし金融資産リストのデータを保存して今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
ところが、最後に思わぬ壁にぶつかります。東京都文京区の役所は戦時中に空襲で焼けたため、父の戸籍謄本が残っていなかったのです。銀行で説明すると、「戸籍謄本を焼失したという証明書を提出してください」と。戸籍謄本焼失証明書なんて聞いたこともない。区役所に相談に行ったら、案の定、「そんな証明書はない」と言われて。最終的には作成してくれましたけど、その間に何度も交渉。1つの銀行口座を開示してもらうのに、どれだけの労力と時間を費やしたことか! それなのに、残高がたった700円という口座もありました。もしかしたら、探し当てることができなかった口座がほかにもあったかもしれません。11年当時は、銀行の支店名まで把握していないと、そこに口座があるかどうかを教えてもらえませんでしたから。ちなみに現在はルールが変わって、同じ銀行内であれば本支店すべての口座を検索できる「全店照会」というサービスを利用できます。それにしても、私にとって相続の手続きは地獄の作業でした。もう二度とやりたくないですよ。父の言葉どおり、預貯金はたくさんあり、全部で数千万円。父の所有していたマンションと駐車場の評価額の算定や書類作成は税理士にお願いし、結果、父の財産は総額約1億円に上りました。法廷相続人は私と弟の2人でしたから、当時の法律では基礎控除は7000万円。超過分の相続税を納め、ようやくすべての手続きを終えたわけです。親にかかる介護費は親の貯金から払ってもらうべき父の生前から対策をしていれば、恐らく相続税を払わずにすんだと思います。父を引き取ってからの11年間にかかった費用は、介護した妻の人件費も合わせると5000万円ぐらいでしょうか。ただ、それを証明するものは何もなく、はっきりした数字は出せません。父には十分な貯金があったのだから、介護費用を父が支払っていれば、そのぶん相続財産が減り、基礎控除内に収まったはずです。私の反省をもとにみなさんにお伝えしたいのは、大原則として、親にかかる生活費や介護費は親の貯金や年金から払ってもらうべきだということ。自分が立て替えた場合は記録しておき、精算する。うちの親はそんなにお金を持っていないから関係ないと思うかもしれませんが、15年に相続税の基礎控除が4割引き下げられ、課税対象が大きく広がりました。相続人が2人の例でいうと、以前は7000万円だった基礎控除が4200万円に。持ち家で、老後資金を2000万円ぐらい準備している人なら超えてしまう金額です。もう1つ、相続で地獄を見るのが遺産分割。うちの場合、法律上は私と弟で2分の1ずつです。弟は、それでいいと言ってきました。でも、私と妻、そして息子たちは、父の世話をしたし、お金も使った。「それで折半はおかしいよね?」と私は反論。弟も私の言い分をわかっているのですが、「いいじゃん、兄貴は稼いでいるんだから」と(笑)。父を介護した妻も、釈然としない様子ではありましたが、もともとお金には興味がない人なので報酬を要求しなかったし、弟と私はもともと仲がよく、揉めたくなかったので折半で合意しました。ただし、これは森永家の場合です。遺産分割をめぐって親族が争うケースは少なくありません。介護をした証拠を残すためにも、介護にかかった諸経費や介護の行動記録をノートなどに記し、領収書を貼っておくことをおすすめします。相続放棄という選択肢もなお、18年に法律が改正され、19年7月以降開始の相続からは、私の妻のように義理の親を介護した場合、「特別の寄与」が認められて法定相続人にお金を請求できるようになりました。幸いうちの父はプラスの財産でしたが、借金が残されていたら、本当の意味で地獄を見ることになったでしょう。その場合は相続放棄という選択肢があります。実は私も相続放棄の経験が。佐賀県にある父方の本家の相続権が私にもあったのですが、権利を放棄したのです。埼玉と佐賀を往復するだけで交通費が10万円近くかかり、家を相続したら固定資産税など維持費も発生する。自分が住むつもりがない家を持っていてもトクにならないというのが私の持論です。ですから父のマンションも弟に譲りました。転勤族の弟はいずれ東京に戻ったら住むつもりだったものの、結局東京への転勤は叶わず、仕方なく5年後に売却することに。その間の固定資産税はまるまる損失となりました。父の死から相続までの日々で痛感したのは、とにかく現金がいる、ということ。亡くなるとすぐに通夜、葬儀のお金を用意しなければならない。さらに相続税も原則キャッシュです。期日までに支払わないと、2ヵ月までは年利7.3%、それ以降は14.6%というサラ金なみの利息がつく。遺産の多くが不動産というケースでは、すぐ売って利益を得ることは難しく、現金がないと相続税を払うためにローンを組むしかない。すぐに引き出せるお金の準備は必要です。\森永卓郎さん相続での3つの教訓/1.親の生活費、介護費の立て替えは記録しておくべし2.相続対象となる親の財産を把握しておくべし3.すぐに引き出せる現金を用意しておくべし金融資産リストのデータを保存して今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
区役所に相談に行ったら、案の定、「そんな証明書はない」と言われて。最終的には作成してくれましたけど、その間に何度も交渉。1つの銀行口座を開示してもらうのに、どれだけの労力と時間を費やしたことか! それなのに、残高がたった700円という口座もありました。もしかしたら、探し当てることができなかった口座がほかにもあったかもしれません。11年当時は、銀行の支店名まで把握していないと、そこに口座があるかどうかを教えてもらえませんでしたから。ちなみに現在はルールが変わって、同じ銀行内であれば本支店すべての口座を検索できる「全店照会」というサービスを利用できます。それにしても、私にとって相続の手続きは地獄の作業でした。もう二度とやりたくないですよ。父の言葉どおり、預貯金はたくさんあり、全部で数千万円。父の所有していたマンションと駐車場の評価額の算定や書類作成は税理士にお願いし、結果、父の財産は総額約1億円に上りました。法廷相続人は私と弟の2人でしたから、当時の法律では基礎控除は7000万円。超過分の相続税を納め、ようやくすべての手続きを終えたわけです。親にかかる介護費は親の貯金から払ってもらうべき父の生前から対策をしていれば、恐らく相続税を払わずにすんだと思います。父を引き取ってからの11年間にかかった費用は、介護した妻の人件費も合わせると5000万円ぐらいでしょうか。ただ、それを証明するものは何もなく、はっきりした数字は出せません。父には十分な貯金があったのだから、介護費用を父が支払っていれば、そのぶん相続財産が減り、基礎控除内に収まったはずです。私の反省をもとにみなさんにお伝えしたいのは、大原則として、親にかかる生活費や介護費は親の貯金や年金から払ってもらうべきだということ。自分が立て替えた場合は記録しておき、精算する。うちの親はそんなにお金を持っていないから関係ないと思うかもしれませんが、15年に相続税の基礎控除が4割引き下げられ、課税対象が大きく広がりました。相続人が2人の例でいうと、以前は7000万円だった基礎控除が4200万円に。持ち家で、老後資金を2000万円ぐらい準備している人なら超えてしまう金額です。もう1つ、相続で地獄を見るのが遺産分割。うちの場合、法律上は私と弟で2分の1ずつです。弟は、それでいいと言ってきました。でも、私と妻、そして息子たちは、父の世話をしたし、お金も使った。「それで折半はおかしいよね?」と私は反論。弟も私の言い分をわかっているのですが、「いいじゃん、兄貴は稼いでいるんだから」と(笑)。父を介護した妻も、釈然としない様子ではありましたが、もともとお金には興味がない人なので報酬を要求しなかったし、弟と私はもともと仲がよく、揉めたくなかったので折半で合意しました。ただし、これは森永家の場合です。遺産分割をめぐって親族が争うケースは少なくありません。介護をした証拠を残すためにも、介護にかかった諸経費や介護の行動記録をノートなどに記し、領収書を貼っておくことをおすすめします。相続放棄という選択肢もなお、18年に法律が改正され、19年7月以降開始の相続からは、私の妻のように義理の親を介護した場合、「特別の寄与」が認められて法定相続人にお金を請求できるようになりました。幸いうちの父はプラスの財産でしたが、借金が残されていたら、本当の意味で地獄を見ることになったでしょう。その場合は相続放棄という選択肢があります。実は私も相続放棄の経験が。佐賀県にある父方の本家の相続権が私にもあったのですが、権利を放棄したのです。埼玉と佐賀を往復するだけで交通費が10万円近くかかり、家を相続したら固定資産税など維持費も発生する。自分が住むつもりがない家を持っていてもトクにならないというのが私の持論です。ですから父のマンションも弟に譲りました。転勤族の弟はいずれ東京に戻ったら住むつもりだったものの、結局東京への転勤は叶わず、仕方なく5年後に売却することに。その間の固定資産税はまるまる損失となりました。父の死から相続までの日々で痛感したのは、とにかく現金がいる、ということ。亡くなるとすぐに通夜、葬儀のお金を用意しなければならない。さらに相続税も原則キャッシュです。期日までに支払わないと、2ヵ月までは年利7.3%、それ以降は14.6%というサラ金なみの利息がつく。遺産の多くが不動産というケースでは、すぐ売って利益を得ることは難しく、現金がないと相続税を払うためにローンを組むしかない。すぐに引き出せるお金の準備は必要です。\森永卓郎さん相続での3つの教訓/1.親の生活費、介護費の立て替えは記録しておくべし2.相続対象となる親の財産を把握しておくべし3.すぐに引き出せる現金を用意しておくべし金融資産リストのデータを保存して今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
もしかしたら、探し当てることができなかった口座がほかにもあったかもしれません。11年当時は、銀行の支店名まで把握していないと、そこに口座があるかどうかを教えてもらえませんでしたから。ちなみに現在はルールが変わって、同じ銀行内であれば本支店すべての口座を検索できる「全店照会」というサービスを利用できます。それにしても、私にとって相続の手続きは地獄の作業でした。もう二度とやりたくないですよ。父の言葉どおり、預貯金はたくさんあり、全部で数千万円。父の所有していたマンションと駐車場の評価額の算定や書類作成は税理士にお願いし、結果、父の財産は総額約1億円に上りました。法廷相続人は私と弟の2人でしたから、当時の法律では基礎控除は7000万円。超過分の相続税を納め、ようやくすべての手続きを終えたわけです。親にかかる介護費は親の貯金から払ってもらうべき父の生前から対策をしていれば、恐らく相続税を払わずにすんだと思います。父を引き取ってからの11年間にかかった費用は、介護した妻の人件費も合わせると5000万円ぐらいでしょうか。ただ、それを証明するものは何もなく、はっきりした数字は出せません。父には十分な貯金があったのだから、介護費用を父が支払っていれば、そのぶん相続財産が減り、基礎控除内に収まったはずです。私の反省をもとにみなさんにお伝えしたいのは、大原則として、親にかかる生活費や介護費は親の貯金や年金から払ってもらうべきだということ。自分が立て替えた場合は記録しておき、精算する。うちの親はそんなにお金を持っていないから関係ないと思うかもしれませんが、15年に相続税の基礎控除が4割引き下げられ、課税対象が大きく広がりました。相続人が2人の例でいうと、以前は7000万円だった基礎控除が4200万円に。持ち家で、老後資金を2000万円ぐらい準備している人なら超えてしまう金額です。もう1つ、相続で地獄を見るのが遺産分割。うちの場合、法律上は私と弟で2分の1ずつです。弟は、それでいいと言ってきました。でも、私と妻、そして息子たちは、父の世話をしたし、お金も使った。「それで折半はおかしいよね?」と私は反論。弟も私の言い分をわかっているのですが、「いいじゃん、兄貴は稼いでいるんだから」と(笑)。父を介護した妻も、釈然としない様子ではありましたが、もともとお金には興味がない人なので報酬を要求しなかったし、弟と私はもともと仲がよく、揉めたくなかったので折半で合意しました。ただし、これは森永家の場合です。遺産分割をめぐって親族が争うケースは少なくありません。介護をした証拠を残すためにも、介護にかかった諸経費や介護の行動記録をノートなどに記し、領収書を貼っておくことをおすすめします。相続放棄という選択肢もなお、18年に法律が改正され、19年7月以降開始の相続からは、私の妻のように義理の親を介護した場合、「特別の寄与」が認められて法定相続人にお金を請求できるようになりました。幸いうちの父はプラスの財産でしたが、借金が残されていたら、本当の意味で地獄を見ることになったでしょう。その場合は相続放棄という選択肢があります。実は私も相続放棄の経験が。佐賀県にある父方の本家の相続権が私にもあったのですが、権利を放棄したのです。埼玉と佐賀を往復するだけで交通費が10万円近くかかり、家を相続したら固定資産税など維持費も発生する。自分が住むつもりがない家を持っていてもトクにならないというのが私の持論です。ですから父のマンションも弟に譲りました。転勤族の弟はいずれ東京に戻ったら住むつもりだったものの、結局東京への転勤は叶わず、仕方なく5年後に売却することに。その間の固定資産税はまるまる損失となりました。父の死から相続までの日々で痛感したのは、とにかく現金がいる、ということ。亡くなるとすぐに通夜、葬儀のお金を用意しなければならない。さらに相続税も原則キャッシュです。期日までに支払わないと、2ヵ月までは年利7.3%、それ以降は14.6%というサラ金なみの利息がつく。遺産の多くが不動産というケースでは、すぐ売って利益を得ることは難しく、現金がないと相続税を払うためにローンを組むしかない。すぐに引き出せるお金の準備は必要です。\森永卓郎さん相続での3つの教訓/1.親の生活費、介護費の立て替えは記録しておくべし2.相続対象となる親の財産を把握しておくべし3.すぐに引き出せる現金を用意しておくべし金融資産リストのデータを保存して今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
それにしても、私にとって相続の手続きは地獄の作業でした。もう二度とやりたくないですよ。父の言葉どおり、預貯金はたくさんあり、全部で数千万円。父の所有していたマンションと駐車場の評価額の算定や書類作成は税理士にお願いし、結果、父の財産は総額約1億円に上りました。法廷相続人は私と弟の2人でしたから、当時の法律では基礎控除は7000万円。超過分の相続税を納め、ようやくすべての手続きを終えたわけです。親にかかる介護費は親の貯金から払ってもらうべき父の生前から対策をしていれば、恐らく相続税を払わずにすんだと思います。父を引き取ってからの11年間にかかった費用は、介護した妻の人件費も合わせると5000万円ぐらいでしょうか。ただ、それを証明するものは何もなく、はっきりした数字は出せません。父には十分な貯金があったのだから、介護費用を父が支払っていれば、そのぶん相続財産が減り、基礎控除内に収まったはずです。私の反省をもとにみなさんにお伝えしたいのは、大原則として、親にかかる生活費や介護費は親の貯金や年金から払ってもらうべきだということ。自分が立て替えた場合は記録しておき、精算する。うちの親はそんなにお金を持っていないから関係ないと思うかもしれませんが、15年に相続税の基礎控除が4割引き下げられ、課税対象が大きく広がりました。相続人が2人の例でいうと、以前は7000万円だった基礎控除が4200万円に。持ち家で、老後資金を2000万円ぐらい準備している人なら超えてしまう金額です。もう1つ、相続で地獄を見るのが遺産分割。うちの場合、法律上は私と弟で2分の1ずつです。弟は、それでいいと言ってきました。でも、私と妻、そして息子たちは、父の世話をしたし、お金も使った。「それで折半はおかしいよね?」と私は反論。弟も私の言い分をわかっているのですが、「いいじゃん、兄貴は稼いでいるんだから」と(笑)。父を介護した妻も、釈然としない様子ではありましたが、もともとお金には興味がない人なので報酬を要求しなかったし、弟と私はもともと仲がよく、揉めたくなかったので折半で合意しました。ただし、これは森永家の場合です。遺産分割をめぐって親族が争うケースは少なくありません。介護をした証拠を残すためにも、介護にかかった諸経費や介護の行動記録をノートなどに記し、領収書を貼っておくことをおすすめします。相続放棄という選択肢もなお、18年に法律が改正され、19年7月以降開始の相続からは、私の妻のように義理の親を介護した場合、「特別の寄与」が認められて法定相続人にお金を請求できるようになりました。幸いうちの父はプラスの財産でしたが、借金が残されていたら、本当の意味で地獄を見ることになったでしょう。その場合は相続放棄という選択肢があります。実は私も相続放棄の経験が。佐賀県にある父方の本家の相続権が私にもあったのですが、権利を放棄したのです。埼玉と佐賀を往復するだけで交通費が10万円近くかかり、家を相続したら固定資産税など維持費も発生する。自分が住むつもりがない家を持っていてもトクにならないというのが私の持論です。ですから父のマンションも弟に譲りました。転勤族の弟はいずれ東京に戻ったら住むつもりだったものの、結局東京への転勤は叶わず、仕方なく5年後に売却することに。その間の固定資産税はまるまる損失となりました。父の死から相続までの日々で痛感したのは、とにかく現金がいる、ということ。亡くなるとすぐに通夜、葬儀のお金を用意しなければならない。さらに相続税も原則キャッシュです。期日までに支払わないと、2ヵ月までは年利7.3%、それ以降は14.6%というサラ金なみの利息がつく。遺産の多くが不動産というケースでは、すぐ売って利益を得ることは難しく、現金がないと相続税を払うためにローンを組むしかない。すぐに引き出せるお金の準備は必要です。\森永卓郎さん相続での3つの教訓/1.親の生活費、介護費の立て替えは記録しておくべし2.相続対象となる親の財産を把握しておくべし3.すぐに引き出せる現金を用意しておくべし金融資産リストのデータを保存して今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
父の言葉どおり、預貯金はたくさんあり、全部で数千万円。父の所有していたマンションと駐車場の評価額の算定や書類作成は税理士にお願いし、結果、父の財産は総額約1億円に上りました。法廷相続人は私と弟の2人でしたから、当時の法律では基礎控除は7000万円。超過分の相続税を納め、ようやくすべての手続きを終えたわけです。親にかかる介護費は親の貯金から払ってもらうべき父の生前から対策をしていれば、恐らく相続税を払わずにすんだと思います。父を引き取ってからの11年間にかかった費用は、介護した妻の人件費も合わせると5000万円ぐらいでしょうか。ただ、それを証明するものは何もなく、はっきりした数字は出せません。父には十分な貯金があったのだから、介護費用を父が支払っていれば、そのぶん相続財産が減り、基礎控除内に収まったはずです。私の反省をもとにみなさんにお伝えしたいのは、大原則として、親にかかる生活費や介護費は親の貯金や年金から払ってもらうべきだということ。自分が立て替えた場合は記録しておき、精算する。うちの親はそんなにお金を持っていないから関係ないと思うかもしれませんが、15年に相続税の基礎控除が4割引き下げられ、課税対象が大きく広がりました。相続人が2人の例でいうと、以前は7000万円だった基礎控除が4200万円に。持ち家で、老後資金を2000万円ぐらい準備している人なら超えてしまう金額です。もう1つ、相続で地獄を見るのが遺産分割。うちの場合、法律上は私と弟で2分の1ずつです。弟は、それでいいと言ってきました。でも、私と妻、そして息子たちは、父の世話をしたし、お金も使った。「それで折半はおかしいよね?」と私は反論。弟も私の言い分をわかっているのですが、「いいじゃん、兄貴は稼いでいるんだから」と(笑)。父を介護した妻も、釈然としない様子ではありましたが、もともとお金には興味がない人なので報酬を要求しなかったし、弟と私はもともと仲がよく、揉めたくなかったので折半で合意しました。ただし、これは森永家の場合です。遺産分割をめぐって親族が争うケースは少なくありません。介護をした証拠を残すためにも、介護にかかった諸経費や介護の行動記録をノートなどに記し、領収書を貼っておくことをおすすめします。相続放棄という選択肢もなお、18年に法律が改正され、19年7月以降開始の相続からは、私の妻のように義理の親を介護した場合、「特別の寄与」が認められて法定相続人にお金を請求できるようになりました。幸いうちの父はプラスの財産でしたが、借金が残されていたら、本当の意味で地獄を見ることになったでしょう。その場合は相続放棄という選択肢があります。実は私も相続放棄の経験が。佐賀県にある父方の本家の相続権が私にもあったのですが、権利を放棄したのです。埼玉と佐賀を往復するだけで交通費が10万円近くかかり、家を相続したら固定資産税など維持費も発生する。自分が住むつもりがない家を持っていてもトクにならないというのが私の持論です。ですから父のマンションも弟に譲りました。転勤族の弟はいずれ東京に戻ったら住むつもりだったものの、結局東京への転勤は叶わず、仕方なく5年後に売却することに。その間の固定資産税はまるまる損失となりました。父の死から相続までの日々で痛感したのは、とにかく現金がいる、ということ。亡くなるとすぐに通夜、葬儀のお金を用意しなければならない。さらに相続税も原則キャッシュです。期日までに支払わないと、2ヵ月までは年利7.3%、それ以降は14.6%というサラ金なみの利息がつく。遺産の多くが不動産というケースでは、すぐ売って利益を得ることは難しく、現金がないと相続税を払うためにローンを組むしかない。すぐに引き出せるお金の準備は必要です。\森永卓郎さん相続での3つの教訓/1.親の生活費、介護費の立て替えは記録しておくべし2.相続対象となる親の財産を把握しておくべし3.すぐに引き出せる現金を用意しておくべし金融資産リストのデータを保存して今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
父の生前から対策をしていれば、恐らく相続税を払わずにすんだと思います。父を引き取ってからの11年間にかかった費用は、介護した妻の人件費も合わせると5000万円ぐらいでしょうか。ただ、それを証明するものは何もなく、はっきりした数字は出せません。父には十分な貯金があったのだから、介護費用を父が支払っていれば、そのぶん相続財産が減り、基礎控除内に収まったはずです。私の反省をもとにみなさんにお伝えしたいのは、大原則として、親にかかる生活費や介護費は親の貯金や年金から払ってもらうべきだということ。自分が立て替えた場合は記録しておき、精算する。うちの親はそんなにお金を持っていないから関係ないと思うかもしれませんが、15年に相続税の基礎控除が4割引き下げられ、課税対象が大きく広がりました。相続人が2人の例でいうと、以前は7000万円だった基礎控除が4200万円に。持ち家で、老後資金を2000万円ぐらい準備している人なら超えてしまう金額です。もう1つ、相続で地獄を見るのが遺産分割。うちの場合、法律上は私と弟で2分の1ずつです。弟は、それでいいと言ってきました。でも、私と妻、そして息子たちは、父の世話をしたし、お金も使った。「それで折半はおかしいよね?」と私は反論。弟も私の言い分をわかっているのですが、「いいじゃん、兄貴は稼いでいるんだから」と(笑)。父を介護した妻も、釈然としない様子ではありましたが、もともとお金には興味がない人なので報酬を要求しなかったし、弟と私はもともと仲がよく、揉めたくなかったので折半で合意しました。ただし、これは森永家の場合です。遺産分割をめぐって親族が争うケースは少なくありません。介護をした証拠を残すためにも、介護にかかった諸経費や介護の行動記録をノートなどに記し、領収書を貼っておくことをおすすめします。相続放棄という選択肢もなお、18年に法律が改正され、19年7月以降開始の相続からは、私の妻のように義理の親を介護した場合、「特別の寄与」が認められて法定相続人にお金を請求できるようになりました。幸いうちの父はプラスの財産でしたが、借金が残されていたら、本当の意味で地獄を見ることになったでしょう。その場合は相続放棄という選択肢があります。実は私も相続放棄の経験が。佐賀県にある父方の本家の相続権が私にもあったのですが、権利を放棄したのです。埼玉と佐賀を往復するだけで交通費が10万円近くかかり、家を相続したら固定資産税など維持費も発生する。自分が住むつもりがない家を持っていてもトクにならないというのが私の持論です。ですから父のマンションも弟に譲りました。転勤族の弟はいずれ東京に戻ったら住むつもりだったものの、結局東京への転勤は叶わず、仕方なく5年後に売却することに。その間の固定資産税はまるまる損失となりました。父の死から相続までの日々で痛感したのは、とにかく現金がいる、ということ。亡くなるとすぐに通夜、葬儀のお金を用意しなければならない。さらに相続税も原則キャッシュです。期日までに支払わないと、2ヵ月までは年利7.3%、それ以降は14.6%というサラ金なみの利息がつく。遺産の多くが不動産というケースでは、すぐ売って利益を得ることは難しく、現金がないと相続税を払うためにローンを組むしかない。すぐに引き出せるお金の準備は必要です。\森永卓郎さん相続での3つの教訓/1.親の生活費、介護費の立て替えは記録しておくべし2.相続対象となる親の財産を把握しておくべし3.すぐに引き出せる現金を用意しておくべし金融資産リストのデータを保存して今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
私の反省をもとにみなさんにお伝えしたいのは、大原則として、親にかかる生活費や介護費は親の貯金や年金から払ってもらうべきだということ。自分が立て替えた場合は記録しておき、精算する。うちの親はそんなにお金を持っていないから関係ないと思うかもしれませんが、15年に相続税の基礎控除が4割引き下げられ、課税対象が大きく広がりました。相続人が2人の例でいうと、以前は7000万円だった基礎控除が4200万円に。持ち家で、老後資金を2000万円ぐらい準備している人なら超えてしまう金額です。もう1つ、相続で地獄を見るのが遺産分割。うちの場合、法律上は私と弟で2分の1ずつです。弟は、それでいいと言ってきました。でも、私と妻、そして息子たちは、父の世話をしたし、お金も使った。「それで折半はおかしいよね?」と私は反論。弟も私の言い分をわかっているのですが、「いいじゃん、兄貴は稼いでいるんだから」と(笑)。父を介護した妻も、釈然としない様子ではありましたが、もともとお金には興味がない人なので報酬を要求しなかったし、弟と私はもともと仲がよく、揉めたくなかったので折半で合意しました。ただし、これは森永家の場合です。遺産分割をめぐって親族が争うケースは少なくありません。介護をした証拠を残すためにも、介護にかかった諸経費や介護の行動記録をノートなどに記し、領収書を貼っておくことをおすすめします。相続放棄という選択肢もなお、18年に法律が改正され、19年7月以降開始の相続からは、私の妻のように義理の親を介護した場合、「特別の寄与」が認められて法定相続人にお金を請求できるようになりました。幸いうちの父はプラスの財産でしたが、借金が残されていたら、本当の意味で地獄を見ることになったでしょう。その場合は相続放棄という選択肢があります。実は私も相続放棄の経験が。佐賀県にある父方の本家の相続権が私にもあったのですが、権利を放棄したのです。埼玉と佐賀を往復するだけで交通費が10万円近くかかり、家を相続したら固定資産税など維持費も発生する。自分が住むつもりがない家を持っていてもトクにならないというのが私の持論です。ですから父のマンションも弟に譲りました。転勤族の弟はいずれ東京に戻ったら住むつもりだったものの、結局東京への転勤は叶わず、仕方なく5年後に売却することに。その間の固定資産税はまるまる損失となりました。父の死から相続までの日々で痛感したのは、とにかく現金がいる、ということ。亡くなるとすぐに通夜、葬儀のお金を用意しなければならない。さらに相続税も原則キャッシュです。期日までに支払わないと、2ヵ月までは年利7.3%、それ以降は14.6%というサラ金なみの利息がつく。遺産の多くが不動産というケースでは、すぐ売って利益を得ることは難しく、現金がないと相続税を払うためにローンを組むしかない。すぐに引き出せるお金の準備は必要です。\森永卓郎さん相続での3つの教訓/1.親の生活費、介護費の立て替えは記録しておくべし2.相続対象となる親の財産を把握しておくべし3.すぐに引き出せる現金を用意しておくべし金融資産リストのデータを保存して今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
うちの親はそんなにお金を持っていないから関係ないと思うかもしれませんが、15年に相続税の基礎控除が4割引き下げられ、課税対象が大きく広がりました。相続人が2人の例でいうと、以前は7000万円だった基礎控除が4200万円に。持ち家で、老後資金を2000万円ぐらい準備している人なら超えてしまう金額です。もう1つ、相続で地獄を見るのが遺産分割。うちの場合、法律上は私と弟で2分の1ずつです。弟は、それでいいと言ってきました。でも、私と妻、そして息子たちは、父の世話をしたし、お金も使った。「それで折半はおかしいよね?」と私は反論。弟も私の言い分をわかっているのですが、「いいじゃん、兄貴は稼いでいるんだから」と(笑)。父を介護した妻も、釈然としない様子ではありましたが、もともとお金には興味がない人なので報酬を要求しなかったし、弟と私はもともと仲がよく、揉めたくなかったので折半で合意しました。ただし、これは森永家の場合です。遺産分割をめぐって親族が争うケースは少なくありません。介護をした証拠を残すためにも、介護にかかった諸経費や介護の行動記録をノートなどに記し、領収書を貼っておくことをおすすめします。相続放棄という選択肢もなお、18年に法律が改正され、19年7月以降開始の相続からは、私の妻のように義理の親を介護した場合、「特別の寄与」が認められて法定相続人にお金を請求できるようになりました。幸いうちの父はプラスの財産でしたが、借金が残されていたら、本当の意味で地獄を見ることになったでしょう。その場合は相続放棄という選択肢があります。実は私も相続放棄の経験が。佐賀県にある父方の本家の相続権が私にもあったのですが、権利を放棄したのです。埼玉と佐賀を往復するだけで交通費が10万円近くかかり、家を相続したら固定資産税など維持費も発生する。自分が住むつもりがない家を持っていてもトクにならないというのが私の持論です。ですから父のマンションも弟に譲りました。転勤族の弟はいずれ東京に戻ったら住むつもりだったものの、結局東京への転勤は叶わず、仕方なく5年後に売却することに。その間の固定資産税はまるまる損失となりました。父の死から相続までの日々で痛感したのは、とにかく現金がいる、ということ。亡くなるとすぐに通夜、葬儀のお金を用意しなければならない。さらに相続税も原則キャッシュです。期日までに支払わないと、2ヵ月までは年利7.3%、それ以降は14.6%というサラ金なみの利息がつく。遺産の多くが不動産というケースでは、すぐ売って利益を得ることは難しく、現金がないと相続税を払うためにローンを組むしかない。すぐに引き出せるお金の準備は必要です。\森永卓郎さん相続での3つの教訓/1.親の生活費、介護費の立て替えは記録しておくべし2.相続対象となる親の財産を把握しておくべし3.すぐに引き出せる現金を用意しておくべし金融資産リストのデータを保存して今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
もう1つ、相続で地獄を見るのが遺産分割。うちの場合、法律上は私と弟で2分の1ずつです。弟は、それでいいと言ってきました。でも、私と妻、そして息子たちは、父の世話をしたし、お金も使った。「それで折半はおかしいよね?」と私は反論。弟も私の言い分をわかっているのですが、「いいじゃん、兄貴は稼いでいるんだから」と(笑)。父を介護した妻も、釈然としない様子ではありましたが、もともとお金には興味がない人なので報酬を要求しなかったし、弟と私はもともと仲がよく、揉めたくなかったので折半で合意しました。ただし、これは森永家の場合です。遺産分割をめぐって親族が争うケースは少なくありません。介護をした証拠を残すためにも、介護にかかった諸経費や介護の行動記録をノートなどに記し、領収書を貼っておくことをおすすめします。相続放棄という選択肢もなお、18年に法律が改正され、19年7月以降開始の相続からは、私の妻のように義理の親を介護した場合、「特別の寄与」が認められて法定相続人にお金を請求できるようになりました。幸いうちの父はプラスの財産でしたが、借金が残されていたら、本当の意味で地獄を見ることになったでしょう。その場合は相続放棄という選択肢があります。実は私も相続放棄の経験が。佐賀県にある父方の本家の相続権が私にもあったのですが、権利を放棄したのです。埼玉と佐賀を往復するだけで交通費が10万円近くかかり、家を相続したら固定資産税など維持費も発生する。自分が住むつもりがない家を持っていてもトクにならないというのが私の持論です。ですから父のマンションも弟に譲りました。転勤族の弟はいずれ東京に戻ったら住むつもりだったものの、結局東京への転勤は叶わず、仕方なく5年後に売却することに。その間の固定資産税はまるまる損失となりました。父の死から相続までの日々で痛感したのは、とにかく現金がいる、ということ。亡くなるとすぐに通夜、葬儀のお金を用意しなければならない。さらに相続税も原則キャッシュです。期日までに支払わないと、2ヵ月までは年利7.3%、それ以降は14.6%というサラ金なみの利息がつく。遺産の多くが不動産というケースでは、すぐ売って利益を得ることは難しく、現金がないと相続税を払うためにローンを組むしかない。すぐに引き出せるお金の準備は必要です。\森永卓郎さん相続での3つの教訓/1.親の生活費、介護費の立て替えは記録しておくべし2.相続対象となる親の財産を把握しておくべし3.すぐに引き出せる現金を用意しておくべし金融資産リストのデータを保存して今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
でも、私と妻、そして息子たちは、父の世話をしたし、お金も使った。「それで折半はおかしいよね?」と私は反論。弟も私の言い分をわかっているのですが、「いいじゃん、兄貴は稼いでいるんだから」と(笑)。父を介護した妻も、釈然としない様子ではありましたが、もともとお金には興味がない人なので報酬を要求しなかったし、弟と私はもともと仲がよく、揉めたくなかったので折半で合意しました。ただし、これは森永家の場合です。遺産分割をめぐって親族が争うケースは少なくありません。介護をした証拠を残すためにも、介護にかかった諸経費や介護の行動記録をノートなどに記し、領収書を貼っておくことをおすすめします。相続放棄という選択肢もなお、18年に法律が改正され、19年7月以降開始の相続からは、私の妻のように義理の親を介護した場合、「特別の寄与」が認められて法定相続人にお金を請求できるようになりました。幸いうちの父はプラスの財産でしたが、借金が残されていたら、本当の意味で地獄を見ることになったでしょう。その場合は相続放棄という選択肢があります。実は私も相続放棄の経験が。佐賀県にある父方の本家の相続権が私にもあったのですが、権利を放棄したのです。埼玉と佐賀を往復するだけで交通費が10万円近くかかり、家を相続したら固定資産税など維持費も発生する。自分が住むつもりがない家を持っていてもトクにならないというのが私の持論です。ですから父のマンションも弟に譲りました。転勤族の弟はいずれ東京に戻ったら住むつもりだったものの、結局東京への転勤は叶わず、仕方なく5年後に売却することに。その間の固定資産税はまるまる損失となりました。父の死から相続までの日々で痛感したのは、とにかく現金がいる、ということ。亡くなるとすぐに通夜、葬儀のお金を用意しなければならない。さらに相続税も原則キャッシュです。期日までに支払わないと、2ヵ月までは年利7.3%、それ以降は14.6%というサラ金なみの利息がつく。遺産の多くが不動産というケースでは、すぐ売って利益を得ることは難しく、現金がないと相続税を払うためにローンを組むしかない。すぐに引き出せるお金の準備は必要です。\森永卓郎さん相続での3つの教訓/1.親の生活費、介護費の立て替えは記録しておくべし2.相続対象となる親の財産を把握しておくべし3.すぐに引き出せる現金を用意しておくべし金融資産リストのデータを保存して今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
ただし、これは森永家の場合です。遺産分割をめぐって親族が争うケースは少なくありません。介護をした証拠を残すためにも、介護にかかった諸経費や介護の行動記録をノートなどに記し、領収書を貼っておくことをおすすめします。相続放棄という選択肢もなお、18年に法律が改正され、19年7月以降開始の相続からは、私の妻のように義理の親を介護した場合、「特別の寄与」が認められて法定相続人にお金を請求できるようになりました。幸いうちの父はプラスの財産でしたが、借金が残されていたら、本当の意味で地獄を見ることになったでしょう。その場合は相続放棄という選択肢があります。実は私も相続放棄の経験が。佐賀県にある父方の本家の相続権が私にもあったのですが、権利を放棄したのです。埼玉と佐賀を往復するだけで交通費が10万円近くかかり、家を相続したら固定資産税など維持費も発生する。自分が住むつもりがない家を持っていてもトクにならないというのが私の持論です。ですから父のマンションも弟に譲りました。転勤族の弟はいずれ東京に戻ったら住むつもりだったものの、結局東京への転勤は叶わず、仕方なく5年後に売却することに。その間の固定資産税はまるまる損失となりました。父の死から相続までの日々で痛感したのは、とにかく現金がいる、ということ。亡くなるとすぐに通夜、葬儀のお金を用意しなければならない。さらに相続税も原則キャッシュです。期日までに支払わないと、2ヵ月までは年利7.3%、それ以降は14.6%というサラ金なみの利息がつく。遺産の多くが不動産というケースでは、すぐ売って利益を得ることは難しく、現金がないと相続税を払うためにローンを組むしかない。すぐに引き出せるお金の準備は必要です。\森永卓郎さん相続での3つの教訓/1.親の生活費、介護費の立て替えは記録しておくべし2.相続対象となる親の財産を把握しておくべし3.すぐに引き出せる現金を用意しておくべし金融資産リストのデータを保存して今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
なお、18年に法律が改正され、19年7月以降開始の相続からは、私の妻のように義理の親を介護した場合、「特別の寄与」が認められて法定相続人にお金を請求できるようになりました。幸いうちの父はプラスの財産でしたが、借金が残されていたら、本当の意味で地獄を見ることになったでしょう。その場合は相続放棄という選択肢があります。実は私も相続放棄の経験が。佐賀県にある父方の本家の相続権が私にもあったのですが、権利を放棄したのです。埼玉と佐賀を往復するだけで交通費が10万円近くかかり、家を相続したら固定資産税など維持費も発生する。自分が住むつもりがない家を持っていてもトクにならないというのが私の持論です。ですから父のマンションも弟に譲りました。転勤族の弟はいずれ東京に戻ったら住むつもりだったものの、結局東京への転勤は叶わず、仕方なく5年後に売却することに。その間の固定資産税はまるまる損失となりました。父の死から相続までの日々で痛感したのは、とにかく現金がいる、ということ。亡くなるとすぐに通夜、葬儀のお金を用意しなければならない。さらに相続税も原則キャッシュです。期日までに支払わないと、2ヵ月までは年利7.3%、それ以降は14.6%というサラ金なみの利息がつく。遺産の多くが不動産というケースでは、すぐ売って利益を得ることは難しく、現金がないと相続税を払うためにローンを組むしかない。すぐに引き出せるお金の準備は必要です。\森永卓郎さん相続での3つの教訓/1.親の生活費、介護費の立て替えは記録しておくべし2.相続対象となる親の財産を把握しておくべし3.すぐに引き出せる現金を用意しておくべし金融資産リストのデータを保存して今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
幸いうちの父はプラスの財産でしたが、借金が残されていたら、本当の意味で地獄を見ることになったでしょう。その場合は相続放棄という選択肢があります。実は私も相続放棄の経験が。佐賀県にある父方の本家の相続権が私にもあったのですが、権利を放棄したのです。埼玉と佐賀を往復するだけで交通費が10万円近くかかり、家を相続したら固定資産税など維持費も発生する。自分が住むつもりがない家を持っていてもトクにならないというのが私の持論です。ですから父のマンションも弟に譲りました。転勤族の弟はいずれ東京に戻ったら住むつもりだったものの、結局東京への転勤は叶わず、仕方なく5年後に売却することに。その間の固定資産税はまるまる損失となりました。父の死から相続までの日々で痛感したのは、とにかく現金がいる、ということ。亡くなるとすぐに通夜、葬儀のお金を用意しなければならない。さらに相続税も原則キャッシュです。期日までに支払わないと、2ヵ月までは年利7.3%、それ以降は14.6%というサラ金なみの利息がつく。遺産の多くが不動産というケースでは、すぐ売って利益を得ることは難しく、現金がないと相続税を払うためにローンを組むしかない。すぐに引き出せるお金の準備は必要です。\森永卓郎さん相続での3つの教訓/1.親の生活費、介護費の立て替えは記録しておくべし2.相続対象となる親の財産を把握しておくべし3.すぐに引き出せる現金を用意しておくべし金融資産リストのデータを保存して今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
ですから父のマンションも弟に譲りました。転勤族の弟はいずれ東京に戻ったら住むつもりだったものの、結局東京への転勤は叶わず、仕方なく5年後に売却することに。その間の固定資産税はまるまる損失となりました。父の死から相続までの日々で痛感したのは、とにかく現金がいる、ということ。亡くなるとすぐに通夜、葬儀のお金を用意しなければならない。さらに相続税も原則キャッシュです。期日までに支払わないと、2ヵ月までは年利7.3%、それ以降は14.6%というサラ金なみの利息がつく。遺産の多くが不動産というケースでは、すぐ売って利益を得ることは難しく、現金がないと相続税を払うためにローンを組むしかない。すぐに引き出せるお金の準備は必要です。\森永卓郎さん相続での3つの教訓/1.親の生活費、介護費の立て替えは記録しておくべし2.相続対象となる親の財産を把握しておくべし3.すぐに引き出せる現金を用意しておくべし金融資産リストのデータを保存して今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
父の死から相続までの日々で痛感したのは、とにかく現金がいる、ということ。亡くなるとすぐに通夜、葬儀のお金を用意しなければならない。さらに相続税も原則キャッシュです。期日までに支払わないと、2ヵ月までは年利7.3%、それ以降は14.6%というサラ金なみの利息がつく。遺産の多くが不動産というケースでは、すぐ売って利益を得ることは難しく、現金がないと相続税を払うためにローンを組むしかない。すぐに引き出せるお金の準備は必要です。\森永卓郎さん相続での3つの教訓/1.親の生活費、介護費の立て替えは記録しておくべし2.相続対象となる親の財産を把握しておくべし3.すぐに引き出せる現金を用意しておくべし金融資産リストのデータを保存して今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
遺産の多くが不動産というケースでは、すぐ売って利益を得ることは難しく、現金がないと相続税を払うためにローンを組むしかない。すぐに引き出せるお金の準備は必要です。\森永卓郎さん相続での3つの教訓/1.親の生活費、介護費の立て替えは記録しておくべし2.相続対象となる親の財産を把握しておくべし3.すぐに引き出せる現金を用意しておくべし金融資産リストのデータを保存して今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
1.親の生活費、介護費の立て替えは記録しておくべし2.相続対象となる親の財産を把握しておくべし3.すぐに引き出せる現金を用意しておくべし金融資産リストのデータを保存して今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
2.相続対象となる親の財産を把握しておくべし3.すぐに引き出せる現金を用意しておくべし金融資産リストのデータを保存して今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
今は、私自身が子どもたちに迷惑をかけないように終活の準備を始めています。父の相続で私が一番困ったのは、財産のありかが不明だったこと。だから、どこの金融機関にいくらあるのかがひと目でわかるように、財産リストを作りました。今はまだ彼らに見せていませんが、パソコンで打ち込んで妻と共有し、データをメモリーカードに保存しています。あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
あとは、資産の中の不動産の比率を高めないように気をつけて……なんて、偉そうなことを言っていますが、実は私にはマイナスの財産があるんです。ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
ご存じかもしれませんが、私は自他ともに認めるオタク。幼い頃から集めに集めたミニカー、お菓子のおまけ、コーラの空き缶などのコレクションは12万点を超えます。それらを展示するための「B宝館」という私設博物館を、私財を投じて所沢に建設したのです。40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
40代から50代にかけて、私はテレビ番組のレギュラーに新聞や雑誌の連載、大学の教授職も務め、1日20時間ぐらい働いていた。忙しすぎてお金を使う暇がなく、預金が増えていきました。総工費1億8000万円をキャッシュで払い、借金はありません。「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
「B宝館」でしか見られないお宝も多く、世界遺産クラスのコレクションだと自負していますが、鑑定士によると、コレクションの経済的な価値はなく(笑)、相続税の心配はないそう。それどころか、来館者が少ないので、採算的には大赤字。固定資産税や光熱費、スタッフの人件費などコストがかかり、年間数百万円のマイナスです。私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
私が働いているうちは収入で補できるけれど、収入が途絶えると困る。そこで、数年前に太陽光発電の設備を造り、売電の利益で固定資産税ぐらいは払える仕組みを作りました。できれば私の死後も引き継いでほしいので、同じオタク気質の次男に説得を試みているところです。60代で出合った自給自足の楽しみもう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
もう1つの私の生きがいが農業。自分と家族が食べる分の食料は自給自足したいと思い、3年前から無農薬で野菜を作っているのですが、楽しくてね。ようやく芽が出たのに虫や鳥に食べられるし、ハプニングがしょっちゅう起こるので、知恵を絞って工夫するんです。そういうのを考えるのが面白い。手をかけて育てた野菜は美味しいですしね。大地の味がします。私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
私は50代の頃、睡眠不足と暴飲暴食の生活がたたって重い糖尿病と診断され、余命6ヵ月と宣告されました。それでテレビ番組の企画でダイエットに挑戦。医師の指導のもと糖質制限と筋トレに取り組み、体重を20キロ落とすことができ、体調も改善しました。農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
農作業ってかなりの運動量。草むしりは屈伸運動だし、鍬で土を掘りおこすと背筋が鍛えられます。おかげでその後も健康をキープできています。余命宣告されたときは自分でも「死ぬのかなー」と思ったけれど、今はまったく死ぬ気がしない。(笑)それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
それに所沢で畑を耕して暮らしていると、畑仲間と野菜の物々交換をして食材を買う必要がなく、お金がかからないのです。数年前に老後2000万円問題が物議を醸したけれど、あれは都会の人の発想ですよ。田舎にいたら少ない年金でも暮らせます。コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
コロナのような災害が起きて、物資の供給が途絶えたりすると、都会の人は不安になる。でも私は、いざというときは畑でイモを掘って食いつなげばいいと思っています。その安心感は大きいですよ。人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
人生の仕上げの時期をどこでどう暮らすかというのを考えるのも終活の1つだと思います。私の場合、大学の教員はおそらく73歳まで続けるでしょう。そして、もし将来要介護になったら近所のホームに入るつもり。夫婦2人が10年以上ホームで暮らせる貯金はあるので、子どもたちに相続で迷惑をかけることはなさそうです。こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。
こうして人生のしまい支度が整ってしまえば、「B宝館」の運営と農作業という好きなことにも打ち込め、今は毎日が楽しくて仕方ありません。