《旭川少女イジメ凍死事件》「ウソの調書を書かないでください!」遺族が明かす“警察への不信感”「初動捜査にも“疑問”が…」

《旭川14歳少女イジメ凍死》“遺族の手記”全文公開「お母さん、死にたい」爽彩さんは2度母親に訴えた から続く
今年3月、北海道旭川市の公園で凍った状態で発見された廣瀬爽彩(さあや)さんの遺族の代理人が8月18日、市内で記者会見を開き、遺族の手記を公開した。
【画像】爽彩さんは裸の画像をいじめグループによって拡散された
文春オンラインでは、これまで、爽彩さんが凄惨なイジメを受けていたこと、失踪直前までそのイジメによるPTSDに悩まされていた事実などを報じてきた。これらの報道を受け、今年4月、旭川市はイジメが実際にあったかどうか再調査を開始した。遺族は今回公表した手記の中で、「爽彩に何があったのか、真相を明らかにして欲しいと願っています」と改めて訴えた。
北海道警察旭川方面本部 文藝春秋
しかし、その2日後の8月20日には新たに爽彩さんの死体検案書について、誤った病名が記載されていたことがわかった。全国紙社会部記者が明かす。
「死体検案書の死亡原因欄に実際はかかっていなかった『統合失調症』の病名が記入されていたのです。遺族側が解剖した病院に確認すると『服用していたPTSDの薬から道警が病名を推測して伝えたものを、医師がそのまま書いた』と答えたそうです。死体検案書はその後遺族の指摘を受け、訂正されました」
厚生労働省は死体検案書について、客観的事実の正確な記入を求めている。「なぜ、警察は“推測”で間違った病名を伝え、病院もまた警察の言葉を鵜呑みにしてしまったのか」と、遺族は疑問に思ったという。 実はこうした捜査機関への“疑問”を、遺族は爽彩さんが失踪した今年2月13日直後から何度も抱いてきた。爽彩さんの捜索にも携わった親族が明かす。「爽彩が失踪した当日、母親は駆けつけた旭川東署の警察官から『些細なことでもいいので、何かなかったですか?』と聞かれたそうです。母親はお昼頃に仕事で爽彩のパソコンを使ったときに、データがデスクトップに保存されていて重くなっていたので、『全部デスクトップに保存しているから、しないほうがいいよ』と軽く注意したという話を思い出し、警察に告げたそうです。なぜか調書で、母と爽彩さんが「大ゲンカした」ことに その日は、親族や知人らも集まり、必死で爽彩を探しましたが足取りは掴めず、翌日になってしまいました。午前中に母親が旭川東署に呼ばれました。母親が署に到着すると、1階にある会議室に通され、警察が作成した『爽彩失踪についての調書』を読み上げられたそうです。 ところが、その調書には、なぜか13日の失踪直前に母親と爽彩が大ゲンカしたことになっており、それが原因で爽彩は家を出て行ったと書かれていたのです。母親が『ケンカなんてしていません』と話しても、警察は『申し送りでそうなっています』と答えるのみ。なんでこんなことに……と母親は考えた結果、思い至ったのは前日に警察に話した『パソコンの出来事』でした。しかし、あの時、爽彩の機嫌が悪くなったり、泣いたりということはなく、普通に元気なままだったそうです。「を書かないでください」と泣きながら警察に抗議 母親が改めてそう警察に話し、『どうしてケンカにしたいんですか? 嘘を書かないでください』と泣きながら警察に抗議をして、ようやく警察は調書を書き直したそうです」 爽彩さんがどこへ行ったか手掛かりを掴めないまま、警察による大掛かりな捜索は失踪から2日目で打ち切られた。それからも爽彩さんの親族や協力者は彼女の写真と特徴を記したビラを札幌まで行って配るなど必死の捜索を続けた。極寒の旭川の夜に財布も持たず、パーカー1枚で出て行った爽彩さんを心配する母親を見かねた知人は、それから3週間後、縋る思いで地元のメディア「あさひかわ新聞」で情報提供を呼びかけた。同紙2021年3月9日号の事件・事故欄には爽彩さんの写真とともに「行方不明になりました 情報をお願いします」という見出しで以下の記事が掲載された。〈二月十三日午後六時半から八時ころに、自宅を出たまま行方が分からなくなりました。名前は、廣瀬爽彩(ひろせさあや)。二〇〇六年九月五日生まれ。十四歳。身長百六十センチくらい、中肉の体型。血液型はB型です。髪型は、写真よりも少し長め。真面目な性格で、少し臆病です。家族から捜索願が出され、警察犬がまで追跡しました。パワーズで目撃したとの情報が最後です。小さな情報でも構いません。旭川東警察署(―)までお知らせください。〉 記事掲載直後、母親の携帯電話に警察から連絡が入った。「『なぜ探しているという情報を勝手に載せたのか。載せるなら警察の許可を取ってください』と、厳しく注意を受けたそうです。確かに、警察署の電話番号まで載せる以上は、相談する必要があったかもしれません。しかし、一人娘が行方不明となっていて親が何もしないでじっと家にいるなんてできませんよ。失踪から2、3週間が経ち、僅かな情報でもほしい、もし爽彩が誰かと一緒にいるなら懸賞金を出せば情報をくれるんじゃないかという思いで、母親はその注意を受けた電話のあとで『お金はこちらで用意するので、有益な情報を提供してくれた人に謝礼金を出せないか』と警察に相談しました。「爽彩さんが発見されても、警察は見つけた人の情報は教えない」 しかし、警察はそれを認めてくれず、『そもそも警察署に目撃情報が寄せられて、仮に爽彩さんが発見されたとしても、その見つけた人の情報は教えません。どうやって謝礼金を払うんですか』と言われたそうです。そこで、母親は自分たちで独自に作成したビラに新たに『謝礼金を出す』旨を明記して配ることにしました。警察にも配慮して、『謝礼金に関しては警察は関係ないため、事前に親族へご連絡ください』などと注意書きも加えました。 そのビラを街頭で配り始めたところ、また旭川東署から連絡が入りまして。『許可を出していません。一個一個チェックしますから一度ビラ配りを止めてください』と言われました。母親が『道警本部からは何も言われていませんが』と返すと、旭川東署の男性警察官は『僕の個人の意見です』と語った後電話を切った。なぜこんなことをするんだろうと母親は不審に思ったそうです」(同前)初動捜査では周辺の防犯カメラ映像を重視していなかった 娘の身を案じ、不安な日々を過ごす母親と警察の温度差は明白だった。さらに母親や親族が警察への“疑問”を深めたのは、目撃情報に対する警察の発言と行動だった。「最初は警察も爽彩が家出をしてすぐ帰ってくると思っていたのか、初動捜査で自宅周辺の防犯カメラを重要視していなかったようです。失踪後に爽彩をショッピングモールや近所のコンビニで見たという情報提供が親族の元へ数件あったんです。実際にお店に問い合わせてみたところ、『警察が来てくれたら防犯カメラの映像を提供します』と協力姿勢を示してくれたのですが、警察は何日間も防犯カメラの確認に来ていなかったようです。母親は警察に防犯カメラの映像を見に行ったか何度も確認しましたが、『(防犯カメラの映像を)見に行くかどうかはこちらの会議で決めます』と答えるのみだった。実際に映像を確認したのは失踪から1週間経った後だったと思います。 その後も、母親のSNSには『警察に防犯カメラの映像を情報提供しました』『警察は動いてくれましたか?』などメッセージが多く届きました。それで警察に確認の連絡をしたところ『情報が入っていたとしても教える義務はないです』という返事があるのみ。それでも食い下がって、些細な情報でも教えてほしいとお願いしても、『服やリュックなどの持ち物すべてが一致しないと(防犯カメラなどを)見に行くことはありません。あくまで有力な情報だとこちらで判断したものだけ捜しにいきます。それ以外のことに関してはお母さんには連絡しません』と断られたそうです」(同前)失踪から19日が経って、ようやく公開捜査に踏み切った 親族は爽彩さんの失踪直後から公開捜査も希望していたが、実際に公開捜査に警察が踏み切ったのは3月4日のこと。爽彩さんの失踪からは既に19日が経っていた。この点にも遺族は“疑問”を持ったという。前出の親族が続ける。「失踪当日に警察からは『公開捜査にしてもいいですか?』と聞かれたので、母親もその方が情報がより多く集まると考えて承諾していました。しかし、なかなか公開捜査にならなかった。別の親族が2月中旬に地元のメディアに爽彩の行方不明のことを記事にしてほしいと連絡しても、『公開捜査になっていないので記事は書けない』と断られてしまった。そこで再度、警察に確認すると『生きて帰ってくることを考えたら、(ネットの行方不明者情報に名前を)載せるべきではない。SNSもお薦めはしない』『爽彩ちゃんが生きて帰ってきたときのことを考えてください』と言われたそうです。しかし、当時の家族の思いとしては爽彩が見つかることが最優先でした。今でもその判断が正しかったと思っています。どうも警察には、失踪当初から『これは家庭の問題がこじれた結果、家出しただけだ』という思い込みがあったように感じました」 取材班は旭川東警察署に公開捜査に踏み切ったのが失踪から19日後になった経緯などについて問い合わせた。すると、管轄する北海道警察旭川方面本部から以下の回答があった。「行方不明者のプライバシーに関する内容についてはお答えを差し控えます。行方不明者の情報の公開につきましては、ご家族が準備を整えられてから警察において速やかに対応したところです」 爽彩さんの行方の情報を提供した人物への謝礼金に関するトラブルについては「一般に行方不明者発見に掛かる懸賞金については警察が自ら運用するものではなく、許可、不許可とする立場にありません」とあくまで「一般論」を述べるだけで具体的な回答はなかった。もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば…… 前出の遺族が肩を落とす。「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
実はこうした捜査機関への“疑問”を、遺族は爽彩さんが失踪した今年2月13日直後から何度も抱いてきた。爽彩さんの捜索にも携わった親族が明かす。「爽彩が失踪した当日、母親は駆けつけた旭川東署の警察官から『些細なことでもいいので、何かなかったですか?』と聞かれたそうです。母親はお昼頃に仕事で爽彩のパソコンを使ったときに、データがデスクトップに保存されていて重くなっていたので、『全部デスクトップに保存しているから、しないほうがいいよ』と軽く注意したという話を思い出し、警察に告げたそうです。なぜか調書で、母と爽彩さんが「大ゲンカした」ことに その日は、親族や知人らも集まり、必死で爽彩を探しましたが足取りは掴めず、翌日になってしまいました。午前中に母親が旭川東署に呼ばれました。母親が署に到着すると、1階にある会議室に通され、警察が作成した『爽彩失踪についての調書』を読み上げられたそうです。 ところが、その調書には、なぜか13日の失踪直前に母親と爽彩が大ゲンカしたことになっており、それが原因で爽彩は家を出て行ったと書かれていたのです。母親が『ケンカなんてしていません』と話しても、警察は『申し送りでそうなっています』と答えるのみ。なんでこんなことに……と母親は考えた結果、思い至ったのは前日に警察に話した『パソコンの出来事』でした。しかし、あの時、爽彩の機嫌が悪くなったり、泣いたりということはなく、普通に元気なままだったそうです。「を書かないでください」と泣きながら警察に抗議 母親が改めてそう警察に話し、『どうしてケンカにしたいんですか? 嘘を書かないでください』と泣きながら警察に抗議をして、ようやく警察は調書を書き直したそうです」 爽彩さんがどこへ行ったか手掛かりを掴めないまま、警察による大掛かりな捜索は失踪から2日目で打ち切られた。それからも爽彩さんの親族や協力者は彼女の写真と特徴を記したビラを札幌まで行って配るなど必死の捜索を続けた。極寒の旭川の夜に財布も持たず、パーカー1枚で出て行った爽彩さんを心配する母親を見かねた知人は、それから3週間後、縋る思いで地元のメディア「あさひかわ新聞」で情報提供を呼びかけた。同紙2021年3月9日号の事件・事故欄には爽彩さんの写真とともに「行方不明になりました 情報をお願いします」という見出しで以下の記事が掲載された。〈二月十三日午後六時半から八時ころに、自宅を出たまま行方が分からなくなりました。名前は、廣瀬爽彩(ひろせさあや)。二〇〇六年九月五日生まれ。十四歳。身長百六十センチくらい、中肉の体型。血液型はB型です。髪型は、写真よりも少し長め。真面目な性格で、少し臆病です。家族から捜索願が出され、警察犬がまで追跡しました。パワーズで目撃したとの情報が最後です。小さな情報でも構いません。旭川東警察署(―)までお知らせください。〉 記事掲載直後、母親の携帯電話に警察から連絡が入った。「『なぜ探しているという情報を勝手に載せたのか。載せるなら警察の許可を取ってください』と、厳しく注意を受けたそうです。確かに、警察署の電話番号まで載せる以上は、相談する必要があったかもしれません。しかし、一人娘が行方不明となっていて親が何もしないでじっと家にいるなんてできませんよ。失踪から2、3週間が経ち、僅かな情報でもほしい、もし爽彩が誰かと一緒にいるなら懸賞金を出せば情報をくれるんじゃないかという思いで、母親はその注意を受けた電話のあとで『お金はこちらで用意するので、有益な情報を提供してくれた人に謝礼金を出せないか』と警察に相談しました。「爽彩さんが発見されても、警察は見つけた人の情報は教えない」 しかし、警察はそれを認めてくれず、『そもそも警察署に目撃情報が寄せられて、仮に爽彩さんが発見されたとしても、その見つけた人の情報は教えません。どうやって謝礼金を払うんですか』と言われたそうです。そこで、母親は自分たちで独自に作成したビラに新たに『謝礼金を出す』旨を明記して配ることにしました。警察にも配慮して、『謝礼金に関しては警察は関係ないため、事前に親族へご連絡ください』などと注意書きも加えました。 そのビラを街頭で配り始めたところ、また旭川東署から連絡が入りまして。『許可を出していません。一個一個チェックしますから一度ビラ配りを止めてください』と言われました。母親が『道警本部からは何も言われていませんが』と返すと、旭川東署の男性警察官は『僕の個人の意見です』と語った後電話を切った。なぜこんなことをするんだろうと母親は不審に思ったそうです」(同前)初動捜査では周辺の防犯カメラ映像を重視していなかった 娘の身を案じ、不安な日々を過ごす母親と警察の温度差は明白だった。さらに母親や親族が警察への“疑問”を深めたのは、目撃情報に対する警察の発言と行動だった。「最初は警察も爽彩が家出をしてすぐ帰ってくると思っていたのか、初動捜査で自宅周辺の防犯カメラを重要視していなかったようです。失踪後に爽彩をショッピングモールや近所のコンビニで見たという情報提供が親族の元へ数件あったんです。実際にお店に問い合わせてみたところ、『警察が来てくれたら防犯カメラの映像を提供します』と協力姿勢を示してくれたのですが、警察は何日間も防犯カメラの確認に来ていなかったようです。母親は警察に防犯カメラの映像を見に行ったか何度も確認しましたが、『(防犯カメラの映像を)見に行くかどうかはこちらの会議で決めます』と答えるのみだった。実際に映像を確認したのは失踪から1週間経った後だったと思います。 その後も、母親のSNSには『警察に防犯カメラの映像を情報提供しました』『警察は動いてくれましたか?』などメッセージが多く届きました。それで警察に確認の連絡をしたところ『情報が入っていたとしても教える義務はないです』という返事があるのみ。それでも食い下がって、些細な情報でも教えてほしいとお願いしても、『服やリュックなどの持ち物すべてが一致しないと(防犯カメラなどを)見に行くことはありません。あくまで有力な情報だとこちらで判断したものだけ捜しにいきます。それ以外のことに関してはお母さんには連絡しません』と断られたそうです」(同前)失踪から19日が経って、ようやく公開捜査に踏み切った 親族は爽彩さんの失踪直後から公開捜査も希望していたが、実際に公開捜査に警察が踏み切ったのは3月4日のこと。爽彩さんの失踪からは既に19日が経っていた。この点にも遺族は“疑問”を持ったという。前出の親族が続ける。「失踪当日に警察からは『公開捜査にしてもいいですか?』と聞かれたので、母親もその方が情報がより多く集まると考えて承諾していました。しかし、なかなか公開捜査にならなかった。別の親族が2月中旬に地元のメディアに爽彩の行方不明のことを記事にしてほしいと連絡しても、『公開捜査になっていないので記事は書けない』と断られてしまった。そこで再度、警察に確認すると『生きて帰ってくることを考えたら、(ネットの行方不明者情報に名前を)載せるべきではない。SNSもお薦めはしない』『爽彩ちゃんが生きて帰ってきたときのことを考えてください』と言われたそうです。しかし、当時の家族の思いとしては爽彩が見つかることが最優先でした。今でもその判断が正しかったと思っています。どうも警察には、失踪当初から『これは家庭の問題がこじれた結果、家出しただけだ』という思い込みがあったように感じました」 取材班は旭川東警察署に公開捜査に踏み切ったのが失踪から19日後になった経緯などについて問い合わせた。すると、管轄する北海道警察旭川方面本部から以下の回答があった。「行方不明者のプライバシーに関する内容についてはお答えを差し控えます。行方不明者の情報の公開につきましては、ご家族が準備を整えられてから警察において速やかに対応したところです」 爽彩さんの行方の情報を提供した人物への謝礼金に関するトラブルについては「一般に行方不明者発見に掛かる懸賞金については警察が自ら運用するものではなく、許可、不許可とする立場にありません」とあくまで「一般論」を述べるだけで具体的な回答はなかった。もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば…… 前出の遺族が肩を落とす。「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
実はこうした捜査機関への“疑問”を、遺族は爽彩さんが失踪した今年2月13日直後から何度も抱いてきた。爽彩さんの捜索にも携わった親族が明かす。「爽彩が失踪した当日、母親は駆けつけた旭川東署の警察官から『些細なことでもいいので、何かなかったですか?』と聞かれたそうです。母親はお昼頃に仕事で爽彩のパソコンを使ったときに、データがデスクトップに保存されていて重くなっていたので、『全部デスクトップに保存しているから、しないほうがいいよ』と軽く注意したという話を思い出し、警察に告げたそうです。なぜか調書で、母と爽彩さんが「大ゲンカした」ことに その日は、親族や知人らも集まり、必死で爽彩を探しましたが足取りは掴めず、翌日になってしまいました。午前中に母親が旭川東署に呼ばれました。母親が署に到着すると、1階にある会議室に通され、警察が作成した『爽彩失踪についての調書』を読み上げられたそうです。 ところが、その調書には、なぜか13日の失踪直前に母親と爽彩が大ゲンカしたことになっており、それが原因で爽彩は家を出て行ったと書かれていたのです。母親が『ケンカなんてしていません』と話しても、警察は『申し送りでそうなっています』と答えるのみ。なんでこんなことに……と母親は考えた結果、思い至ったのは前日に警察に話した『パソコンの出来事』でした。しかし、あの時、爽彩の機嫌が悪くなったり、泣いたりということはなく、普通に元気なままだったそうです。「を書かないでください」と泣きながら警察に抗議 母親が改めてそう警察に話し、『どうしてケンカにしたいんですか? 嘘を書かないでください』と泣きながら警察に抗議をして、ようやく警察は調書を書き直したそうです」 爽彩さんがどこへ行ったか手掛かりを掴めないまま、警察による大掛かりな捜索は失踪から2日目で打ち切られた。それからも爽彩さんの親族や協力者は彼女の写真と特徴を記したビラを札幌まで行って配るなど必死の捜索を続けた。極寒の旭川の夜に財布も持たず、パーカー1枚で出て行った爽彩さんを心配する母親を見かねた知人は、それから3週間後、縋る思いで地元のメディア「あさひかわ新聞」で情報提供を呼びかけた。同紙2021年3月9日号の事件・事故欄には爽彩さんの写真とともに「行方不明になりました 情報をお願いします」という見出しで以下の記事が掲載された。〈二月十三日午後六時半から八時ころに、自宅を出たまま行方が分からなくなりました。名前は、廣瀬爽彩(ひろせさあや)。二〇〇六年九月五日生まれ。十四歳。身長百六十センチくらい、中肉の体型。血液型はB型です。髪型は、写真よりも少し長め。真面目な性格で、少し臆病です。家族から捜索願が出され、警察犬がまで追跡しました。パワーズで目撃したとの情報が最後です。小さな情報でも構いません。旭川東警察署(―)までお知らせください。〉 記事掲載直後、母親の携帯電話に警察から連絡が入った。「『なぜ探しているという情報を勝手に載せたのか。載せるなら警察の許可を取ってください』と、厳しく注意を受けたそうです。確かに、警察署の電話番号まで載せる以上は、相談する必要があったかもしれません。しかし、一人娘が行方不明となっていて親が何もしないでじっと家にいるなんてできませんよ。失踪から2、3週間が経ち、僅かな情報でもほしい、もし爽彩が誰かと一緒にいるなら懸賞金を出せば情報をくれるんじゃないかという思いで、母親はその注意を受けた電話のあとで『お金はこちらで用意するので、有益な情報を提供してくれた人に謝礼金を出せないか』と警察に相談しました。「爽彩さんが発見されても、警察は見つけた人の情報は教えない」 しかし、警察はそれを認めてくれず、『そもそも警察署に目撃情報が寄せられて、仮に爽彩さんが発見されたとしても、その見つけた人の情報は教えません。どうやって謝礼金を払うんですか』と言われたそうです。そこで、母親は自分たちで独自に作成したビラに新たに『謝礼金を出す』旨を明記して配ることにしました。警察にも配慮して、『謝礼金に関しては警察は関係ないため、事前に親族へご連絡ください』などと注意書きも加えました。 そのビラを街頭で配り始めたところ、また旭川東署から連絡が入りまして。『許可を出していません。一個一個チェックしますから一度ビラ配りを止めてください』と言われました。母親が『道警本部からは何も言われていませんが』と返すと、旭川東署の男性警察官は『僕の個人の意見です』と語った後電話を切った。なぜこんなことをするんだろうと母親は不審に思ったそうです」(同前)初動捜査では周辺の防犯カメラ映像を重視していなかった 娘の身を案じ、不安な日々を過ごす母親と警察の温度差は明白だった。さらに母親や親族が警察への“疑問”を深めたのは、目撃情報に対する警察の発言と行動だった。「最初は警察も爽彩が家出をしてすぐ帰ってくると思っていたのか、初動捜査で自宅周辺の防犯カメラを重要視していなかったようです。失踪後に爽彩をショッピングモールや近所のコンビニで見たという情報提供が親族の元へ数件あったんです。実際にお店に問い合わせてみたところ、『警察が来てくれたら防犯カメラの映像を提供します』と協力姿勢を示してくれたのですが、警察は何日間も防犯カメラの確認に来ていなかったようです。母親は警察に防犯カメラの映像を見に行ったか何度も確認しましたが、『(防犯カメラの映像を)見に行くかどうかはこちらの会議で決めます』と答えるのみだった。実際に映像を確認したのは失踪から1週間経った後だったと思います。 その後も、母親のSNSには『警察に防犯カメラの映像を情報提供しました』『警察は動いてくれましたか?』などメッセージが多く届きました。それで警察に確認の連絡をしたところ『情報が入っていたとしても教える義務はないです』という返事があるのみ。それでも食い下がって、些細な情報でも教えてほしいとお願いしても、『服やリュックなどの持ち物すべてが一致しないと(防犯カメラなどを)見に行くことはありません。あくまで有力な情報だとこちらで判断したものだけ捜しにいきます。それ以外のことに関してはお母さんには連絡しません』と断られたそうです」(同前)失踪から19日が経って、ようやく公開捜査に踏み切った 親族は爽彩さんの失踪直後から公開捜査も希望していたが、実際に公開捜査に警察が踏み切ったのは3月4日のこと。爽彩さんの失踪からは既に19日が経っていた。この点にも遺族は“疑問”を持ったという。前出の親族が続ける。「失踪当日に警察からは『公開捜査にしてもいいですか?』と聞かれたので、母親もその方が情報がより多く集まると考えて承諾していました。しかし、なかなか公開捜査にならなかった。別の親族が2月中旬に地元のメディアに爽彩の行方不明のことを記事にしてほしいと連絡しても、『公開捜査になっていないので記事は書けない』と断られてしまった。そこで再度、警察に確認すると『生きて帰ってくることを考えたら、(ネットの行方不明者情報に名前を)載せるべきではない。SNSもお薦めはしない』『爽彩ちゃんが生きて帰ってきたときのことを考えてください』と言われたそうです。しかし、当時の家族の思いとしては爽彩が見つかることが最優先でした。今でもその判断が正しかったと思っています。どうも警察には、失踪当初から『これは家庭の問題がこじれた結果、家出しただけだ』という思い込みがあったように感じました」 取材班は旭川東警察署に公開捜査に踏み切ったのが失踪から19日後になった経緯などについて問い合わせた。すると、管轄する北海道警察旭川方面本部から以下の回答があった。「行方不明者のプライバシーに関する内容についてはお答えを差し控えます。行方不明者の情報の公開につきましては、ご家族が準備を整えられてから警察において速やかに対応したところです」 爽彩さんの行方の情報を提供した人物への謝礼金に関するトラブルについては「一般に行方不明者発見に掛かる懸賞金については警察が自ら運用するものではなく、許可、不許可とする立場にありません」とあくまで「一般論」を述べるだけで具体的な回答はなかった。もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば…… 前出の遺族が肩を落とす。「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
「爽彩が失踪した当日、母親は駆けつけた旭川東署の警察官から『些細なことでもいいので、何かなかったですか?』と聞かれたそうです。母親はお昼頃に仕事で爽彩のパソコンを使ったときに、データがデスクトップに保存されていて重くなっていたので、『全部デスクトップに保存しているから、しないほうがいいよ』と軽く注意したという話を思い出し、警察に告げたそうです。なぜか調書で、母と爽彩さんが「大ゲンカした」ことに その日は、親族や知人らも集まり、必死で爽彩を探しましたが足取りは掴めず、翌日になってしまいました。午前中に母親が旭川東署に呼ばれました。母親が署に到着すると、1階にある会議室に通され、警察が作成した『爽彩失踪についての調書』を読み上げられたそうです。 ところが、その調書には、なぜか13日の失踪直前に母親と爽彩が大ゲンカしたことになっており、それが原因で爽彩は家を出て行ったと書かれていたのです。母親が『ケンカなんてしていません』と話しても、警察は『申し送りでそうなっています』と答えるのみ。なんでこんなことに……と母親は考えた結果、思い至ったのは前日に警察に話した『パソコンの出来事』でした。しかし、あの時、爽彩の機嫌が悪くなったり、泣いたりということはなく、普通に元気なままだったそうです。「を書かないでください」と泣きながら警察に抗議 母親が改めてそう警察に話し、『どうしてケンカにしたいんですか? 嘘を書かないでください』と泣きながら警察に抗議をして、ようやく警察は調書を書き直したそうです」 爽彩さんがどこへ行ったか手掛かりを掴めないまま、警察による大掛かりな捜索は失踪から2日目で打ち切られた。それからも爽彩さんの親族や協力者は彼女の写真と特徴を記したビラを札幌まで行って配るなど必死の捜索を続けた。極寒の旭川の夜に財布も持たず、パーカー1枚で出て行った爽彩さんを心配する母親を見かねた知人は、それから3週間後、縋る思いで地元のメディア「あさひかわ新聞」で情報提供を呼びかけた。同紙2021年3月9日号の事件・事故欄には爽彩さんの写真とともに「行方不明になりました 情報をお願いします」という見出しで以下の記事が掲載された。〈二月十三日午後六時半から八時ころに、自宅を出たまま行方が分からなくなりました。名前は、廣瀬爽彩(ひろせさあや)。二〇〇六年九月五日生まれ。十四歳。身長百六十センチくらい、中肉の体型。血液型はB型です。髪型は、写真よりも少し長め。真面目な性格で、少し臆病です。家族から捜索願が出され、警察犬がまで追跡しました。パワーズで目撃したとの情報が最後です。小さな情報でも構いません。旭川東警察署(―)までお知らせください。〉 記事掲載直後、母親の携帯電話に警察から連絡が入った。「『なぜ探しているという情報を勝手に載せたのか。載せるなら警察の許可を取ってください』と、厳しく注意を受けたそうです。確かに、警察署の電話番号まで載せる以上は、相談する必要があったかもしれません。しかし、一人娘が行方不明となっていて親が何もしないでじっと家にいるなんてできませんよ。失踪から2、3週間が経ち、僅かな情報でもほしい、もし爽彩が誰かと一緒にいるなら懸賞金を出せば情報をくれるんじゃないかという思いで、母親はその注意を受けた電話のあとで『お金はこちらで用意するので、有益な情報を提供してくれた人に謝礼金を出せないか』と警察に相談しました。「爽彩さんが発見されても、警察は見つけた人の情報は教えない」 しかし、警察はそれを認めてくれず、『そもそも警察署に目撃情報が寄せられて、仮に爽彩さんが発見されたとしても、その見つけた人の情報は教えません。どうやって謝礼金を払うんですか』と言われたそうです。そこで、母親は自分たちで独自に作成したビラに新たに『謝礼金を出す』旨を明記して配ることにしました。警察にも配慮して、『謝礼金に関しては警察は関係ないため、事前に親族へご連絡ください』などと注意書きも加えました。 そのビラを街頭で配り始めたところ、また旭川東署から連絡が入りまして。『許可を出していません。一個一個チェックしますから一度ビラ配りを止めてください』と言われました。母親が『道警本部からは何も言われていませんが』と返すと、旭川東署の男性警察官は『僕の個人の意見です』と語った後電話を切った。なぜこんなことをするんだろうと母親は不審に思ったそうです」(同前)初動捜査では周辺の防犯カメラ映像を重視していなかった 娘の身を案じ、不安な日々を過ごす母親と警察の温度差は明白だった。さらに母親や親族が警察への“疑問”を深めたのは、目撃情報に対する警察の発言と行動だった。「最初は警察も爽彩が家出をしてすぐ帰ってくると思っていたのか、初動捜査で自宅周辺の防犯カメラを重要視していなかったようです。失踪後に爽彩をショッピングモールや近所のコンビニで見たという情報提供が親族の元へ数件あったんです。実際にお店に問い合わせてみたところ、『警察が来てくれたら防犯カメラの映像を提供します』と協力姿勢を示してくれたのですが、警察は何日間も防犯カメラの確認に来ていなかったようです。母親は警察に防犯カメラの映像を見に行ったか何度も確認しましたが、『(防犯カメラの映像を)見に行くかどうかはこちらの会議で決めます』と答えるのみだった。実際に映像を確認したのは失踪から1週間経った後だったと思います。 その後も、母親のSNSには『警察に防犯カメラの映像を情報提供しました』『警察は動いてくれましたか?』などメッセージが多く届きました。それで警察に確認の連絡をしたところ『情報が入っていたとしても教える義務はないです』という返事があるのみ。それでも食い下がって、些細な情報でも教えてほしいとお願いしても、『服やリュックなどの持ち物すべてが一致しないと(防犯カメラなどを)見に行くことはありません。あくまで有力な情報だとこちらで判断したものだけ捜しにいきます。それ以外のことに関してはお母さんには連絡しません』と断られたそうです」(同前)失踪から19日が経って、ようやく公開捜査に踏み切った 親族は爽彩さんの失踪直後から公開捜査も希望していたが、実際に公開捜査に警察が踏み切ったのは3月4日のこと。爽彩さんの失踪からは既に19日が経っていた。この点にも遺族は“疑問”を持ったという。前出の親族が続ける。「失踪当日に警察からは『公開捜査にしてもいいですか?』と聞かれたので、母親もその方が情報がより多く集まると考えて承諾していました。しかし、なかなか公開捜査にならなかった。別の親族が2月中旬に地元のメディアに爽彩の行方不明のことを記事にしてほしいと連絡しても、『公開捜査になっていないので記事は書けない』と断られてしまった。そこで再度、警察に確認すると『生きて帰ってくることを考えたら、(ネットの行方不明者情報に名前を)載せるべきではない。SNSもお薦めはしない』『爽彩ちゃんが生きて帰ってきたときのことを考えてください』と言われたそうです。しかし、当時の家族の思いとしては爽彩が見つかることが最優先でした。今でもその判断が正しかったと思っています。どうも警察には、失踪当初から『これは家庭の問題がこじれた結果、家出しただけだ』という思い込みがあったように感じました」 取材班は旭川東警察署に公開捜査に踏み切ったのが失踪から19日後になった経緯などについて問い合わせた。すると、管轄する北海道警察旭川方面本部から以下の回答があった。「行方不明者のプライバシーに関する内容についてはお答えを差し控えます。行方不明者の情報の公開につきましては、ご家族が準備を整えられてから警察において速やかに対応したところです」 爽彩さんの行方の情報を提供した人物への謝礼金に関するトラブルについては「一般に行方不明者発見に掛かる懸賞金については警察が自ら運用するものではなく、許可、不許可とする立場にありません」とあくまで「一般論」を述べるだけで具体的な回答はなかった。もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば…… 前出の遺族が肩を落とす。「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
その日は、親族や知人らも集まり、必死で爽彩を探しましたが足取りは掴めず、翌日になってしまいました。午前中に母親が旭川東署に呼ばれました。母親が署に到着すると、1階にある会議室に通され、警察が作成した『爽彩失踪についての調書』を読み上げられたそうです。 ところが、その調書には、なぜか13日の失踪直前に母親と爽彩が大ゲンカしたことになっており、それが原因で爽彩は家を出て行ったと書かれていたのです。母親が『ケンカなんてしていません』と話しても、警察は『申し送りでそうなっています』と答えるのみ。なんでこんなことに……と母親は考えた結果、思い至ったのは前日に警察に話した『パソコンの出来事』でした。しかし、あの時、爽彩の機嫌が悪くなったり、泣いたりということはなく、普通に元気なままだったそうです。「を書かないでください」と泣きながら警察に抗議 母親が改めてそう警察に話し、『どうしてケンカにしたいんですか? 嘘を書かないでください』と泣きながら警察に抗議をして、ようやく警察は調書を書き直したそうです」 爽彩さんがどこへ行ったか手掛かりを掴めないまま、警察による大掛かりな捜索は失踪から2日目で打ち切られた。それからも爽彩さんの親族や協力者は彼女の写真と特徴を記したビラを札幌まで行って配るなど必死の捜索を続けた。極寒の旭川の夜に財布も持たず、パーカー1枚で出て行った爽彩さんを心配する母親を見かねた知人は、それから3週間後、縋る思いで地元のメディア「あさひかわ新聞」で情報提供を呼びかけた。同紙2021年3月9日号の事件・事故欄には爽彩さんの写真とともに「行方不明になりました 情報をお願いします」という見出しで以下の記事が掲載された。〈二月十三日午後六時半から八時ころに、自宅を出たまま行方が分からなくなりました。名前は、廣瀬爽彩(ひろせさあや)。二〇〇六年九月五日生まれ。十四歳。身長百六十センチくらい、中肉の体型。血液型はB型です。髪型は、写真よりも少し長め。真面目な性格で、少し臆病です。家族から捜索願が出され、警察犬がまで追跡しました。パワーズで目撃したとの情報が最後です。小さな情報でも構いません。旭川東警察署(―)までお知らせください。〉 記事掲載直後、母親の携帯電話に警察から連絡が入った。「『なぜ探しているという情報を勝手に載せたのか。載せるなら警察の許可を取ってください』と、厳しく注意を受けたそうです。確かに、警察署の電話番号まで載せる以上は、相談する必要があったかもしれません。しかし、一人娘が行方不明となっていて親が何もしないでじっと家にいるなんてできませんよ。失踪から2、3週間が経ち、僅かな情報でもほしい、もし爽彩が誰かと一緒にいるなら懸賞金を出せば情報をくれるんじゃないかという思いで、母親はその注意を受けた電話のあとで『お金はこちらで用意するので、有益な情報を提供してくれた人に謝礼金を出せないか』と警察に相談しました。「爽彩さんが発見されても、警察は見つけた人の情報は教えない」 しかし、警察はそれを認めてくれず、『そもそも警察署に目撃情報が寄せられて、仮に爽彩さんが発見されたとしても、その見つけた人の情報は教えません。どうやって謝礼金を払うんですか』と言われたそうです。そこで、母親は自分たちで独自に作成したビラに新たに『謝礼金を出す』旨を明記して配ることにしました。警察にも配慮して、『謝礼金に関しては警察は関係ないため、事前に親族へご連絡ください』などと注意書きも加えました。 そのビラを街頭で配り始めたところ、また旭川東署から連絡が入りまして。『許可を出していません。一個一個チェックしますから一度ビラ配りを止めてください』と言われました。母親が『道警本部からは何も言われていませんが』と返すと、旭川東署の男性警察官は『僕の個人の意見です』と語った後電話を切った。なぜこんなことをするんだろうと母親は不審に思ったそうです」(同前)初動捜査では周辺の防犯カメラ映像を重視していなかった 娘の身を案じ、不安な日々を過ごす母親と警察の温度差は明白だった。さらに母親や親族が警察への“疑問”を深めたのは、目撃情報に対する警察の発言と行動だった。「最初は警察も爽彩が家出をしてすぐ帰ってくると思っていたのか、初動捜査で自宅周辺の防犯カメラを重要視していなかったようです。失踪後に爽彩をショッピングモールや近所のコンビニで見たという情報提供が親族の元へ数件あったんです。実際にお店に問い合わせてみたところ、『警察が来てくれたら防犯カメラの映像を提供します』と協力姿勢を示してくれたのですが、警察は何日間も防犯カメラの確認に来ていなかったようです。母親は警察に防犯カメラの映像を見に行ったか何度も確認しましたが、『(防犯カメラの映像を)見に行くかどうかはこちらの会議で決めます』と答えるのみだった。実際に映像を確認したのは失踪から1週間経った後だったと思います。 その後も、母親のSNSには『警察に防犯カメラの映像を情報提供しました』『警察は動いてくれましたか?』などメッセージが多く届きました。それで警察に確認の連絡をしたところ『情報が入っていたとしても教える義務はないです』という返事があるのみ。それでも食い下がって、些細な情報でも教えてほしいとお願いしても、『服やリュックなどの持ち物すべてが一致しないと(防犯カメラなどを)見に行くことはありません。あくまで有力な情報だとこちらで判断したものだけ捜しにいきます。それ以外のことに関してはお母さんには連絡しません』と断られたそうです」(同前)失踪から19日が経って、ようやく公開捜査に踏み切った 親族は爽彩さんの失踪直後から公開捜査も希望していたが、実際に公開捜査に警察が踏み切ったのは3月4日のこと。爽彩さんの失踪からは既に19日が経っていた。この点にも遺族は“疑問”を持ったという。前出の親族が続ける。「失踪当日に警察からは『公開捜査にしてもいいですか?』と聞かれたので、母親もその方が情報がより多く集まると考えて承諾していました。しかし、なかなか公開捜査にならなかった。別の親族が2月中旬に地元のメディアに爽彩の行方不明のことを記事にしてほしいと連絡しても、『公開捜査になっていないので記事は書けない』と断られてしまった。そこで再度、警察に確認すると『生きて帰ってくることを考えたら、(ネットの行方不明者情報に名前を)載せるべきではない。SNSもお薦めはしない』『爽彩ちゃんが生きて帰ってきたときのことを考えてください』と言われたそうです。しかし、当時の家族の思いとしては爽彩が見つかることが最優先でした。今でもその判断が正しかったと思っています。どうも警察には、失踪当初から『これは家庭の問題がこじれた結果、家出しただけだ』という思い込みがあったように感じました」 取材班は旭川東警察署に公開捜査に踏み切ったのが失踪から19日後になった経緯などについて問い合わせた。すると、管轄する北海道警察旭川方面本部から以下の回答があった。「行方不明者のプライバシーに関する内容についてはお答えを差し控えます。行方不明者の情報の公開につきましては、ご家族が準備を整えられてから警察において速やかに対応したところです」 爽彩さんの行方の情報を提供した人物への謝礼金に関するトラブルについては「一般に行方不明者発見に掛かる懸賞金については警察が自ら運用するものではなく、許可、不許可とする立場にありません」とあくまで「一般論」を述べるだけで具体的な回答はなかった。もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば…… 前出の遺族が肩を落とす。「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
ところが、その調書には、なぜか13日の失踪直前に母親と爽彩が大ゲンカしたことになっており、それが原因で爽彩は家を出て行ったと書かれていたのです。母親が『ケンカなんてしていません』と話しても、警察は『申し送りでそうなっています』と答えるのみ。なんでこんなことに……と母親は考えた結果、思い至ったのは前日に警察に話した『パソコンの出来事』でした。しかし、あの時、爽彩の機嫌が悪くなったり、泣いたりということはなく、普通に元気なままだったそうです。「を書かないでください」と泣きながら警察に抗議 母親が改めてそう警察に話し、『どうしてケンカにしたいんですか? 嘘を書かないでください』と泣きながら警察に抗議をして、ようやく警察は調書を書き直したそうです」 爽彩さんがどこへ行ったか手掛かりを掴めないまま、警察による大掛かりな捜索は失踪から2日目で打ち切られた。それからも爽彩さんの親族や協力者は彼女の写真と特徴を記したビラを札幌まで行って配るなど必死の捜索を続けた。極寒の旭川の夜に財布も持たず、パーカー1枚で出て行った爽彩さんを心配する母親を見かねた知人は、それから3週間後、縋る思いで地元のメディア「あさひかわ新聞」で情報提供を呼びかけた。同紙2021年3月9日号の事件・事故欄には爽彩さんの写真とともに「行方不明になりました 情報をお願いします」という見出しで以下の記事が掲載された。〈二月十三日午後六時半から八時ころに、自宅を出たまま行方が分からなくなりました。名前は、廣瀬爽彩(ひろせさあや)。二〇〇六年九月五日生まれ。十四歳。身長百六十センチくらい、中肉の体型。血液型はB型です。髪型は、写真よりも少し長め。真面目な性格で、少し臆病です。家族から捜索願が出され、警察犬がまで追跡しました。パワーズで目撃したとの情報が最後です。小さな情報でも構いません。旭川東警察署(―)までお知らせください。〉 記事掲載直後、母親の携帯電話に警察から連絡が入った。「『なぜ探しているという情報を勝手に載せたのか。載せるなら警察の許可を取ってください』と、厳しく注意を受けたそうです。確かに、警察署の電話番号まで載せる以上は、相談する必要があったかもしれません。しかし、一人娘が行方不明となっていて親が何もしないでじっと家にいるなんてできませんよ。失踪から2、3週間が経ち、僅かな情報でもほしい、もし爽彩が誰かと一緒にいるなら懸賞金を出せば情報をくれるんじゃないかという思いで、母親はその注意を受けた電話のあとで『お金はこちらで用意するので、有益な情報を提供してくれた人に謝礼金を出せないか』と警察に相談しました。「爽彩さんが発見されても、警察は見つけた人の情報は教えない」 しかし、警察はそれを認めてくれず、『そもそも警察署に目撃情報が寄せられて、仮に爽彩さんが発見されたとしても、その見つけた人の情報は教えません。どうやって謝礼金を払うんですか』と言われたそうです。そこで、母親は自分たちで独自に作成したビラに新たに『謝礼金を出す』旨を明記して配ることにしました。警察にも配慮して、『謝礼金に関しては警察は関係ないため、事前に親族へご連絡ください』などと注意書きも加えました。 そのビラを街頭で配り始めたところ、また旭川東署から連絡が入りまして。『許可を出していません。一個一個チェックしますから一度ビラ配りを止めてください』と言われました。母親が『道警本部からは何も言われていませんが』と返すと、旭川東署の男性警察官は『僕の個人の意見です』と語った後電話を切った。なぜこんなことをするんだろうと母親は不審に思ったそうです」(同前)初動捜査では周辺の防犯カメラ映像を重視していなかった 娘の身を案じ、不安な日々を過ごす母親と警察の温度差は明白だった。さらに母親や親族が警察への“疑問”を深めたのは、目撃情報に対する警察の発言と行動だった。「最初は警察も爽彩が家出をしてすぐ帰ってくると思っていたのか、初動捜査で自宅周辺の防犯カメラを重要視していなかったようです。失踪後に爽彩をショッピングモールや近所のコンビニで見たという情報提供が親族の元へ数件あったんです。実際にお店に問い合わせてみたところ、『警察が来てくれたら防犯カメラの映像を提供します』と協力姿勢を示してくれたのですが、警察は何日間も防犯カメラの確認に来ていなかったようです。母親は警察に防犯カメラの映像を見に行ったか何度も確認しましたが、『(防犯カメラの映像を)見に行くかどうかはこちらの会議で決めます』と答えるのみだった。実際に映像を確認したのは失踪から1週間経った後だったと思います。 その後も、母親のSNSには『警察に防犯カメラの映像を情報提供しました』『警察は動いてくれましたか?』などメッセージが多く届きました。それで警察に確認の連絡をしたところ『情報が入っていたとしても教える義務はないです』という返事があるのみ。それでも食い下がって、些細な情報でも教えてほしいとお願いしても、『服やリュックなどの持ち物すべてが一致しないと(防犯カメラなどを)見に行くことはありません。あくまで有力な情報だとこちらで判断したものだけ捜しにいきます。それ以外のことに関してはお母さんには連絡しません』と断られたそうです」(同前)失踪から19日が経って、ようやく公開捜査に踏み切った 親族は爽彩さんの失踪直後から公開捜査も希望していたが、実際に公開捜査に警察が踏み切ったのは3月4日のこと。爽彩さんの失踪からは既に19日が経っていた。この点にも遺族は“疑問”を持ったという。前出の親族が続ける。「失踪当日に警察からは『公開捜査にしてもいいですか?』と聞かれたので、母親もその方が情報がより多く集まると考えて承諾していました。しかし、なかなか公開捜査にならなかった。別の親族が2月中旬に地元のメディアに爽彩の行方不明のことを記事にしてほしいと連絡しても、『公開捜査になっていないので記事は書けない』と断られてしまった。そこで再度、警察に確認すると『生きて帰ってくることを考えたら、(ネットの行方不明者情報に名前を)載せるべきではない。SNSもお薦めはしない』『爽彩ちゃんが生きて帰ってきたときのことを考えてください』と言われたそうです。しかし、当時の家族の思いとしては爽彩が見つかることが最優先でした。今でもその判断が正しかったと思っています。どうも警察には、失踪当初から『これは家庭の問題がこじれた結果、家出しただけだ』という思い込みがあったように感じました」 取材班は旭川東警察署に公開捜査に踏み切ったのが失踪から19日後になった経緯などについて問い合わせた。すると、管轄する北海道警察旭川方面本部から以下の回答があった。「行方不明者のプライバシーに関する内容についてはお答えを差し控えます。行方不明者の情報の公開につきましては、ご家族が準備を整えられてから警察において速やかに対応したところです」 爽彩さんの行方の情報を提供した人物への謝礼金に関するトラブルについては「一般に行方不明者発見に掛かる懸賞金については警察が自ら運用するものではなく、許可、不許可とする立場にありません」とあくまで「一般論」を述べるだけで具体的な回答はなかった。もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば…… 前出の遺族が肩を落とす。「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
母親が改めてそう警察に話し、『どうしてケンカにしたいんですか? 嘘を書かないでください』と泣きながら警察に抗議をして、ようやく警察は調書を書き直したそうです」 爽彩さんがどこへ行ったか手掛かりを掴めないまま、警察による大掛かりな捜索は失踪から2日目で打ち切られた。それからも爽彩さんの親族や協力者は彼女の写真と特徴を記したビラを札幌まで行って配るなど必死の捜索を続けた。極寒の旭川の夜に財布も持たず、パーカー1枚で出て行った爽彩さんを心配する母親を見かねた知人は、それから3週間後、縋る思いで地元のメディア「あさひかわ新聞」で情報提供を呼びかけた。同紙2021年3月9日号の事件・事故欄には爽彩さんの写真とともに「行方不明になりました 情報をお願いします」という見出しで以下の記事が掲載された。〈二月十三日午後六時半から八時ころに、自宅を出たまま行方が分からなくなりました。名前は、廣瀬爽彩(ひろせさあや)。二〇〇六年九月五日生まれ。十四歳。身長百六十センチくらい、中肉の体型。血液型はB型です。髪型は、写真よりも少し長め。真面目な性格で、少し臆病です。家族から捜索願が出され、警察犬がまで追跡しました。パワーズで目撃したとの情報が最後です。小さな情報でも構いません。旭川東警察署(―)までお知らせください。〉 記事掲載直後、母親の携帯電話に警察から連絡が入った。「『なぜ探しているという情報を勝手に載せたのか。載せるなら警察の許可を取ってください』と、厳しく注意を受けたそうです。確かに、警察署の電話番号まで載せる以上は、相談する必要があったかもしれません。しかし、一人娘が行方不明となっていて親が何もしないでじっと家にいるなんてできませんよ。失踪から2、3週間が経ち、僅かな情報でもほしい、もし爽彩が誰かと一緒にいるなら懸賞金を出せば情報をくれるんじゃないかという思いで、母親はその注意を受けた電話のあとで『お金はこちらで用意するので、有益な情報を提供してくれた人に謝礼金を出せないか』と警察に相談しました。「爽彩さんが発見されても、警察は見つけた人の情報は教えない」 しかし、警察はそれを認めてくれず、『そもそも警察署に目撃情報が寄せられて、仮に爽彩さんが発見されたとしても、その見つけた人の情報は教えません。どうやって謝礼金を払うんですか』と言われたそうです。そこで、母親は自分たちで独自に作成したビラに新たに『謝礼金を出す』旨を明記して配ることにしました。警察にも配慮して、『謝礼金に関しては警察は関係ないため、事前に親族へご連絡ください』などと注意書きも加えました。 そのビラを街頭で配り始めたところ、また旭川東署から連絡が入りまして。『許可を出していません。一個一個チェックしますから一度ビラ配りを止めてください』と言われました。母親が『道警本部からは何も言われていませんが』と返すと、旭川東署の男性警察官は『僕の個人の意見です』と語った後電話を切った。なぜこんなことをするんだろうと母親は不審に思ったそうです」(同前)初動捜査では周辺の防犯カメラ映像を重視していなかった 娘の身を案じ、不安な日々を過ごす母親と警察の温度差は明白だった。さらに母親や親族が警察への“疑問”を深めたのは、目撃情報に対する警察の発言と行動だった。「最初は警察も爽彩が家出をしてすぐ帰ってくると思っていたのか、初動捜査で自宅周辺の防犯カメラを重要視していなかったようです。失踪後に爽彩をショッピングモールや近所のコンビニで見たという情報提供が親族の元へ数件あったんです。実際にお店に問い合わせてみたところ、『警察が来てくれたら防犯カメラの映像を提供します』と協力姿勢を示してくれたのですが、警察は何日間も防犯カメラの確認に来ていなかったようです。母親は警察に防犯カメラの映像を見に行ったか何度も確認しましたが、『(防犯カメラの映像を)見に行くかどうかはこちらの会議で決めます』と答えるのみだった。実際に映像を確認したのは失踪から1週間経った後だったと思います。 その後も、母親のSNSには『警察に防犯カメラの映像を情報提供しました』『警察は動いてくれましたか?』などメッセージが多く届きました。それで警察に確認の連絡をしたところ『情報が入っていたとしても教える義務はないです』という返事があるのみ。それでも食い下がって、些細な情報でも教えてほしいとお願いしても、『服やリュックなどの持ち物すべてが一致しないと(防犯カメラなどを)見に行くことはありません。あくまで有力な情報だとこちらで判断したものだけ捜しにいきます。それ以外のことに関してはお母さんには連絡しません』と断られたそうです」(同前)失踪から19日が経って、ようやく公開捜査に踏み切った 親族は爽彩さんの失踪直後から公開捜査も希望していたが、実際に公開捜査に警察が踏み切ったのは3月4日のこと。爽彩さんの失踪からは既に19日が経っていた。この点にも遺族は“疑問”を持ったという。前出の親族が続ける。「失踪当日に警察からは『公開捜査にしてもいいですか?』と聞かれたので、母親もその方が情報がより多く集まると考えて承諾していました。しかし、なかなか公開捜査にならなかった。別の親族が2月中旬に地元のメディアに爽彩の行方不明のことを記事にしてほしいと連絡しても、『公開捜査になっていないので記事は書けない』と断られてしまった。そこで再度、警察に確認すると『生きて帰ってくることを考えたら、(ネットの行方不明者情報に名前を)載せるべきではない。SNSもお薦めはしない』『爽彩ちゃんが生きて帰ってきたときのことを考えてください』と言われたそうです。しかし、当時の家族の思いとしては爽彩が見つかることが最優先でした。今でもその判断が正しかったと思っています。どうも警察には、失踪当初から『これは家庭の問題がこじれた結果、家出しただけだ』という思い込みがあったように感じました」 取材班は旭川東警察署に公開捜査に踏み切ったのが失踪から19日後になった経緯などについて問い合わせた。すると、管轄する北海道警察旭川方面本部から以下の回答があった。「行方不明者のプライバシーに関する内容についてはお答えを差し控えます。行方不明者の情報の公開につきましては、ご家族が準備を整えられてから警察において速やかに対応したところです」 爽彩さんの行方の情報を提供した人物への謝礼金に関するトラブルについては「一般に行方不明者発見に掛かる懸賞金については警察が自ら運用するものではなく、許可、不許可とする立場にありません」とあくまで「一般論」を述べるだけで具体的な回答はなかった。もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば…… 前出の遺族が肩を落とす。「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
爽彩さんがどこへ行ったか手掛かりを掴めないまま、警察による大掛かりな捜索は失踪から2日目で打ち切られた。それからも爽彩さんの親族や協力者は彼女の写真と特徴を記したビラを札幌まで行って配るなど必死の捜索を続けた。極寒の旭川の夜に財布も持たず、パーカー1枚で出て行った爽彩さんを心配する母親を見かねた知人は、それから3週間後、縋る思いで地元のメディア「あさひかわ新聞」で情報提供を呼びかけた。同紙2021年3月9日号の事件・事故欄には爽彩さんの写真とともに「行方不明になりました 情報をお願いします」という見出しで以下の記事が掲載された。〈二月十三日午後六時半から八時ころに、自宅を出たまま行方が分からなくなりました。名前は、廣瀬爽彩(ひろせさあや)。二〇〇六年九月五日生まれ。十四歳。身長百六十センチくらい、中肉の体型。血液型はB型です。髪型は、写真よりも少し長め。真面目な性格で、少し臆病です。家族から捜索願が出され、警察犬がまで追跡しました。パワーズで目撃したとの情報が最後です。小さな情報でも構いません。旭川東警察署(―)までお知らせください。〉 記事掲載直後、母親の携帯電話に警察から連絡が入った。「『なぜ探しているという情報を勝手に載せたのか。載せるなら警察の許可を取ってください』と、厳しく注意を受けたそうです。確かに、警察署の電話番号まで載せる以上は、相談する必要があったかもしれません。しかし、一人娘が行方不明となっていて親が何もしないでじっと家にいるなんてできませんよ。失踪から2、3週間が経ち、僅かな情報でもほしい、もし爽彩が誰かと一緒にいるなら懸賞金を出せば情報をくれるんじゃないかという思いで、母親はその注意を受けた電話のあとで『お金はこちらで用意するので、有益な情報を提供してくれた人に謝礼金を出せないか』と警察に相談しました。「爽彩さんが発見されても、警察は見つけた人の情報は教えない」 しかし、警察はそれを認めてくれず、『そもそも警察署に目撃情報が寄せられて、仮に爽彩さんが発見されたとしても、その見つけた人の情報は教えません。どうやって謝礼金を払うんですか』と言われたそうです。そこで、母親は自分たちで独自に作成したビラに新たに『謝礼金を出す』旨を明記して配ることにしました。警察にも配慮して、『謝礼金に関しては警察は関係ないため、事前に親族へご連絡ください』などと注意書きも加えました。 そのビラを街頭で配り始めたところ、また旭川東署から連絡が入りまして。『許可を出していません。一個一個チェックしますから一度ビラ配りを止めてください』と言われました。母親が『道警本部からは何も言われていませんが』と返すと、旭川東署の男性警察官は『僕の個人の意見です』と語った後電話を切った。なぜこんなことをするんだろうと母親は不審に思ったそうです」(同前)初動捜査では周辺の防犯カメラ映像を重視していなかった 娘の身を案じ、不安な日々を過ごす母親と警察の温度差は明白だった。さらに母親や親族が警察への“疑問”を深めたのは、目撃情報に対する警察の発言と行動だった。「最初は警察も爽彩が家出をしてすぐ帰ってくると思っていたのか、初動捜査で自宅周辺の防犯カメラを重要視していなかったようです。失踪後に爽彩をショッピングモールや近所のコンビニで見たという情報提供が親族の元へ数件あったんです。実際にお店に問い合わせてみたところ、『警察が来てくれたら防犯カメラの映像を提供します』と協力姿勢を示してくれたのですが、警察は何日間も防犯カメラの確認に来ていなかったようです。母親は警察に防犯カメラの映像を見に行ったか何度も確認しましたが、『(防犯カメラの映像を)見に行くかどうかはこちらの会議で決めます』と答えるのみだった。実際に映像を確認したのは失踪から1週間経った後だったと思います。 その後も、母親のSNSには『警察に防犯カメラの映像を情報提供しました』『警察は動いてくれましたか?』などメッセージが多く届きました。それで警察に確認の連絡をしたところ『情報が入っていたとしても教える義務はないです』という返事があるのみ。それでも食い下がって、些細な情報でも教えてほしいとお願いしても、『服やリュックなどの持ち物すべてが一致しないと(防犯カメラなどを)見に行くことはありません。あくまで有力な情報だとこちらで判断したものだけ捜しにいきます。それ以外のことに関してはお母さんには連絡しません』と断られたそうです」(同前)失踪から19日が経って、ようやく公開捜査に踏み切った 親族は爽彩さんの失踪直後から公開捜査も希望していたが、実際に公開捜査に警察が踏み切ったのは3月4日のこと。爽彩さんの失踪からは既に19日が経っていた。この点にも遺族は“疑問”を持ったという。前出の親族が続ける。「失踪当日に警察からは『公開捜査にしてもいいですか?』と聞かれたので、母親もその方が情報がより多く集まると考えて承諾していました。しかし、なかなか公開捜査にならなかった。別の親族が2月中旬に地元のメディアに爽彩の行方不明のことを記事にしてほしいと連絡しても、『公開捜査になっていないので記事は書けない』と断られてしまった。そこで再度、警察に確認すると『生きて帰ってくることを考えたら、(ネットの行方不明者情報に名前を)載せるべきではない。SNSもお薦めはしない』『爽彩ちゃんが生きて帰ってきたときのことを考えてください』と言われたそうです。しかし、当時の家族の思いとしては爽彩が見つかることが最優先でした。今でもその判断が正しかったと思っています。どうも警察には、失踪当初から『これは家庭の問題がこじれた結果、家出しただけだ』という思い込みがあったように感じました」 取材班は旭川東警察署に公開捜査に踏み切ったのが失踪から19日後になった経緯などについて問い合わせた。すると、管轄する北海道警察旭川方面本部から以下の回答があった。「行方不明者のプライバシーに関する内容についてはお答えを差し控えます。行方不明者の情報の公開につきましては、ご家族が準備を整えられてから警察において速やかに対応したところです」 爽彩さんの行方の情報を提供した人物への謝礼金に関するトラブルについては「一般に行方不明者発見に掛かる懸賞金については警察が自ら運用するものではなく、許可、不許可とする立場にありません」とあくまで「一般論」を述べるだけで具体的な回答はなかった。もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば…… 前出の遺族が肩を落とす。「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
〈二月十三日午後六時半から八時ころに、自宅を出たまま行方が分からなくなりました。名前は、廣瀬爽彩(ひろせさあや)。二〇〇六年九月五日生まれ。十四歳。身長百六十センチくらい、中肉の体型。血液型はB型です。髪型は、写真よりも少し長め。真面目な性格で、少し臆病です。家族から捜索願が出され、警察犬がまで追跡しました。パワーズで目撃したとの情報が最後です。小さな情報でも構いません。旭川東警察署(―)までお知らせください。〉
記事掲載直後、母親の携帯電話に警察から連絡が入った。「『なぜ探しているという情報を勝手に載せたのか。載せるなら警察の許可を取ってください』と、厳しく注意を受けたそうです。確かに、警察署の電話番号まで載せる以上は、相談する必要があったかもしれません。しかし、一人娘が行方不明となっていて親が何もしないでじっと家にいるなんてできませんよ。失踪から2、3週間が経ち、僅かな情報でもほしい、もし爽彩が誰かと一緒にいるなら懸賞金を出せば情報をくれるんじゃないかという思いで、母親はその注意を受けた電話のあとで『お金はこちらで用意するので、有益な情報を提供してくれた人に謝礼金を出せないか』と警察に相談しました。「爽彩さんが発見されても、警察は見つけた人の情報は教えない」 しかし、警察はそれを認めてくれず、『そもそも警察署に目撃情報が寄せられて、仮に爽彩さんが発見されたとしても、その見つけた人の情報は教えません。どうやって謝礼金を払うんですか』と言われたそうです。そこで、母親は自分たちで独自に作成したビラに新たに『謝礼金を出す』旨を明記して配ることにしました。警察にも配慮して、『謝礼金に関しては警察は関係ないため、事前に親族へご連絡ください』などと注意書きも加えました。 そのビラを街頭で配り始めたところ、また旭川東署から連絡が入りまして。『許可を出していません。一個一個チェックしますから一度ビラ配りを止めてください』と言われました。母親が『道警本部からは何も言われていませんが』と返すと、旭川東署の男性警察官は『僕の個人の意見です』と語った後電話を切った。なぜこんなことをするんだろうと母親は不審に思ったそうです」(同前)初動捜査では周辺の防犯カメラ映像を重視していなかった 娘の身を案じ、不安な日々を過ごす母親と警察の温度差は明白だった。さらに母親や親族が警察への“疑問”を深めたのは、目撃情報に対する警察の発言と行動だった。「最初は警察も爽彩が家出をしてすぐ帰ってくると思っていたのか、初動捜査で自宅周辺の防犯カメラを重要視していなかったようです。失踪後に爽彩をショッピングモールや近所のコンビニで見たという情報提供が親族の元へ数件あったんです。実際にお店に問い合わせてみたところ、『警察が来てくれたら防犯カメラの映像を提供します』と協力姿勢を示してくれたのですが、警察は何日間も防犯カメラの確認に来ていなかったようです。母親は警察に防犯カメラの映像を見に行ったか何度も確認しましたが、『(防犯カメラの映像を)見に行くかどうかはこちらの会議で決めます』と答えるのみだった。実際に映像を確認したのは失踪から1週間経った後だったと思います。 その後も、母親のSNSには『警察に防犯カメラの映像を情報提供しました』『警察は動いてくれましたか?』などメッセージが多く届きました。それで警察に確認の連絡をしたところ『情報が入っていたとしても教える義務はないです』という返事があるのみ。それでも食い下がって、些細な情報でも教えてほしいとお願いしても、『服やリュックなどの持ち物すべてが一致しないと(防犯カメラなどを)見に行くことはありません。あくまで有力な情報だとこちらで判断したものだけ捜しにいきます。それ以外のことに関してはお母さんには連絡しません』と断られたそうです」(同前)失踪から19日が経って、ようやく公開捜査に踏み切った 親族は爽彩さんの失踪直後から公開捜査も希望していたが、実際に公開捜査に警察が踏み切ったのは3月4日のこと。爽彩さんの失踪からは既に19日が経っていた。この点にも遺族は“疑問”を持ったという。前出の親族が続ける。「失踪当日に警察からは『公開捜査にしてもいいですか?』と聞かれたので、母親もその方が情報がより多く集まると考えて承諾していました。しかし、なかなか公開捜査にならなかった。別の親族が2月中旬に地元のメディアに爽彩の行方不明のことを記事にしてほしいと連絡しても、『公開捜査になっていないので記事は書けない』と断られてしまった。そこで再度、警察に確認すると『生きて帰ってくることを考えたら、(ネットの行方不明者情報に名前を)載せるべきではない。SNSもお薦めはしない』『爽彩ちゃんが生きて帰ってきたときのことを考えてください』と言われたそうです。しかし、当時の家族の思いとしては爽彩が見つかることが最優先でした。今でもその判断が正しかったと思っています。どうも警察には、失踪当初から『これは家庭の問題がこじれた結果、家出しただけだ』という思い込みがあったように感じました」 取材班は旭川東警察署に公開捜査に踏み切ったのが失踪から19日後になった経緯などについて問い合わせた。すると、管轄する北海道警察旭川方面本部から以下の回答があった。「行方不明者のプライバシーに関する内容についてはお答えを差し控えます。行方不明者の情報の公開につきましては、ご家族が準備を整えられてから警察において速やかに対応したところです」 爽彩さんの行方の情報を提供した人物への謝礼金に関するトラブルについては「一般に行方不明者発見に掛かる懸賞金については警察が自ら運用するものではなく、許可、不許可とする立場にありません」とあくまで「一般論」を述べるだけで具体的な回答はなかった。もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば…… 前出の遺族が肩を落とす。「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
記事掲載直後、母親の携帯電話に警察から連絡が入った。「『なぜ探しているという情報を勝手に載せたのか。載せるなら警察の許可を取ってください』と、厳しく注意を受けたそうです。確かに、警察署の電話番号まで載せる以上は、相談する必要があったかもしれません。しかし、一人娘が行方不明となっていて親が何もしないでじっと家にいるなんてできませんよ。失踪から2、3週間が経ち、僅かな情報でもほしい、もし爽彩が誰かと一緒にいるなら懸賞金を出せば情報をくれるんじゃないかという思いで、母親はその注意を受けた電話のあとで『お金はこちらで用意するので、有益な情報を提供してくれた人に謝礼金を出せないか』と警察に相談しました。「爽彩さんが発見されても、警察は見つけた人の情報は教えない」 しかし、警察はそれを認めてくれず、『そもそも警察署に目撃情報が寄せられて、仮に爽彩さんが発見されたとしても、その見つけた人の情報は教えません。どうやって謝礼金を払うんですか』と言われたそうです。そこで、母親は自分たちで独自に作成したビラに新たに『謝礼金を出す』旨を明記して配ることにしました。警察にも配慮して、『謝礼金に関しては警察は関係ないため、事前に親族へご連絡ください』などと注意書きも加えました。 そのビラを街頭で配り始めたところ、また旭川東署から連絡が入りまして。『許可を出していません。一個一個チェックしますから一度ビラ配りを止めてください』と言われました。母親が『道警本部からは何も言われていませんが』と返すと、旭川東署の男性警察官は『僕の個人の意見です』と語った後電話を切った。なぜこんなことをするんだろうと母親は不審に思ったそうです」(同前)初動捜査では周辺の防犯カメラ映像を重視していなかった 娘の身を案じ、不安な日々を過ごす母親と警察の温度差は明白だった。さらに母親や親族が警察への“疑問”を深めたのは、目撃情報に対する警察の発言と行動だった。「最初は警察も爽彩が家出をしてすぐ帰ってくると思っていたのか、初動捜査で自宅周辺の防犯カメラを重要視していなかったようです。失踪後に爽彩をショッピングモールや近所のコンビニで見たという情報提供が親族の元へ数件あったんです。実際にお店に問い合わせてみたところ、『警察が来てくれたら防犯カメラの映像を提供します』と協力姿勢を示してくれたのですが、警察は何日間も防犯カメラの確認に来ていなかったようです。母親は警察に防犯カメラの映像を見に行ったか何度も確認しましたが、『(防犯カメラの映像を)見に行くかどうかはこちらの会議で決めます』と答えるのみだった。実際に映像を確認したのは失踪から1週間経った後だったと思います。 その後も、母親のSNSには『警察に防犯カメラの映像を情報提供しました』『警察は動いてくれましたか?』などメッセージが多く届きました。それで警察に確認の連絡をしたところ『情報が入っていたとしても教える義務はないです』という返事があるのみ。それでも食い下がって、些細な情報でも教えてほしいとお願いしても、『服やリュックなどの持ち物すべてが一致しないと(防犯カメラなどを)見に行くことはありません。あくまで有力な情報だとこちらで判断したものだけ捜しにいきます。それ以外のことに関してはお母さんには連絡しません』と断られたそうです」(同前)失踪から19日が経って、ようやく公開捜査に踏み切った 親族は爽彩さんの失踪直後から公開捜査も希望していたが、実際に公開捜査に警察が踏み切ったのは3月4日のこと。爽彩さんの失踪からは既に19日が経っていた。この点にも遺族は“疑問”を持ったという。前出の親族が続ける。「失踪当日に警察からは『公開捜査にしてもいいですか?』と聞かれたので、母親もその方が情報がより多く集まると考えて承諾していました。しかし、なかなか公開捜査にならなかった。別の親族が2月中旬に地元のメディアに爽彩の行方不明のことを記事にしてほしいと連絡しても、『公開捜査になっていないので記事は書けない』と断られてしまった。そこで再度、警察に確認すると『生きて帰ってくることを考えたら、(ネットの行方不明者情報に名前を)載せるべきではない。SNSもお薦めはしない』『爽彩ちゃんが生きて帰ってきたときのことを考えてください』と言われたそうです。しかし、当時の家族の思いとしては爽彩が見つかることが最優先でした。今でもその判断が正しかったと思っています。どうも警察には、失踪当初から『これは家庭の問題がこじれた結果、家出しただけだ』という思い込みがあったように感じました」 取材班は旭川東警察署に公開捜査に踏み切ったのが失踪から19日後になった経緯などについて問い合わせた。すると、管轄する北海道警察旭川方面本部から以下の回答があった。「行方不明者のプライバシーに関する内容についてはお答えを差し控えます。行方不明者の情報の公開につきましては、ご家族が準備を整えられてから警察において速やかに対応したところです」 爽彩さんの行方の情報を提供した人物への謝礼金に関するトラブルについては「一般に行方不明者発見に掛かる懸賞金については警察が自ら運用するものではなく、許可、不許可とする立場にありません」とあくまで「一般論」を述べるだけで具体的な回答はなかった。もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば…… 前出の遺族が肩を落とす。「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
「『なぜ探しているという情報を勝手に載せたのか。載せるなら警察の許可を取ってください』と、厳しく注意を受けたそうです。確かに、警察署の電話番号まで載せる以上は、相談する必要があったかもしれません。しかし、一人娘が行方不明となっていて親が何もしないでじっと家にいるなんてできませんよ。失踪から2、3週間が経ち、僅かな情報でもほしい、もし爽彩が誰かと一緒にいるなら懸賞金を出せば情報をくれるんじゃないかという思いで、母親はその注意を受けた電話のあとで『お金はこちらで用意するので、有益な情報を提供してくれた人に謝礼金を出せないか』と警察に相談しました。「爽彩さんが発見されても、警察は見つけた人の情報は教えない」 しかし、警察はそれを認めてくれず、『そもそも警察署に目撃情報が寄せられて、仮に爽彩さんが発見されたとしても、その見つけた人の情報は教えません。どうやって謝礼金を払うんですか』と言われたそうです。そこで、母親は自分たちで独自に作成したビラに新たに『謝礼金を出す』旨を明記して配ることにしました。警察にも配慮して、『謝礼金に関しては警察は関係ないため、事前に親族へご連絡ください』などと注意書きも加えました。 そのビラを街頭で配り始めたところ、また旭川東署から連絡が入りまして。『許可を出していません。一個一個チェックしますから一度ビラ配りを止めてください』と言われました。母親が『道警本部からは何も言われていませんが』と返すと、旭川東署の男性警察官は『僕の個人の意見です』と語った後電話を切った。なぜこんなことをするんだろうと母親は不審に思ったそうです」(同前)初動捜査では周辺の防犯カメラ映像を重視していなかった 娘の身を案じ、不安な日々を過ごす母親と警察の温度差は明白だった。さらに母親や親族が警察への“疑問”を深めたのは、目撃情報に対する警察の発言と行動だった。「最初は警察も爽彩が家出をしてすぐ帰ってくると思っていたのか、初動捜査で自宅周辺の防犯カメラを重要視していなかったようです。失踪後に爽彩をショッピングモールや近所のコンビニで見たという情報提供が親族の元へ数件あったんです。実際にお店に問い合わせてみたところ、『警察が来てくれたら防犯カメラの映像を提供します』と協力姿勢を示してくれたのですが、警察は何日間も防犯カメラの確認に来ていなかったようです。母親は警察に防犯カメラの映像を見に行ったか何度も確認しましたが、『(防犯カメラの映像を)見に行くかどうかはこちらの会議で決めます』と答えるのみだった。実際に映像を確認したのは失踪から1週間経った後だったと思います。 その後も、母親のSNSには『警察に防犯カメラの映像を情報提供しました』『警察は動いてくれましたか?』などメッセージが多く届きました。それで警察に確認の連絡をしたところ『情報が入っていたとしても教える義務はないです』という返事があるのみ。それでも食い下がって、些細な情報でも教えてほしいとお願いしても、『服やリュックなどの持ち物すべてが一致しないと(防犯カメラなどを)見に行くことはありません。あくまで有力な情報だとこちらで判断したものだけ捜しにいきます。それ以外のことに関してはお母さんには連絡しません』と断られたそうです」(同前)失踪から19日が経って、ようやく公開捜査に踏み切った 親族は爽彩さんの失踪直後から公開捜査も希望していたが、実際に公開捜査に警察が踏み切ったのは3月4日のこと。爽彩さんの失踪からは既に19日が経っていた。この点にも遺族は“疑問”を持ったという。前出の親族が続ける。「失踪当日に警察からは『公開捜査にしてもいいですか?』と聞かれたので、母親もその方が情報がより多く集まると考えて承諾していました。しかし、なかなか公開捜査にならなかった。別の親族が2月中旬に地元のメディアに爽彩の行方不明のことを記事にしてほしいと連絡しても、『公開捜査になっていないので記事は書けない』と断られてしまった。そこで再度、警察に確認すると『生きて帰ってくることを考えたら、(ネットの行方不明者情報に名前を)載せるべきではない。SNSもお薦めはしない』『爽彩ちゃんが生きて帰ってきたときのことを考えてください』と言われたそうです。しかし、当時の家族の思いとしては爽彩が見つかることが最優先でした。今でもその判断が正しかったと思っています。どうも警察には、失踪当初から『これは家庭の問題がこじれた結果、家出しただけだ』という思い込みがあったように感じました」 取材班は旭川東警察署に公開捜査に踏み切ったのが失踪から19日後になった経緯などについて問い合わせた。すると、管轄する北海道警察旭川方面本部から以下の回答があった。「行方不明者のプライバシーに関する内容についてはお答えを差し控えます。行方不明者の情報の公開につきましては、ご家族が準備を整えられてから警察において速やかに対応したところです」 爽彩さんの行方の情報を提供した人物への謝礼金に関するトラブルについては「一般に行方不明者発見に掛かる懸賞金については警察が自ら運用するものではなく、許可、不許可とする立場にありません」とあくまで「一般論」を述べるだけで具体的な回答はなかった。もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば…… 前出の遺族が肩を落とす。「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
しかし、警察はそれを認めてくれず、『そもそも警察署に目撃情報が寄せられて、仮に爽彩さんが発見されたとしても、その見つけた人の情報は教えません。どうやって謝礼金を払うんですか』と言われたそうです。そこで、母親は自分たちで独自に作成したビラに新たに『謝礼金を出す』旨を明記して配ることにしました。警察にも配慮して、『謝礼金に関しては警察は関係ないため、事前に親族へご連絡ください』などと注意書きも加えました。 そのビラを街頭で配り始めたところ、また旭川東署から連絡が入りまして。『許可を出していません。一個一個チェックしますから一度ビラ配りを止めてください』と言われました。母親が『道警本部からは何も言われていませんが』と返すと、旭川東署の男性警察官は『僕の個人の意見です』と語った後電話を切った。なぜこんなことをするんだろうと母親は不審に思ったそうです」(同前)初動捜査では周辺の防犯カメラ映像を重視していなかった 娘の身を案じ、不安な日々を過ごす母親と警察の温度差は明白だった。さらに母親や親族が警察への“疑問”を深めたのは、目撃情報に対する警察の発言と行動だった。「最初は警察も爽彩が家出をしてすぐ帰ってくると思っていたのか、初動捜査で自宅周辺の防犯カメラを重要視していなかったようです。失踪後に爽彩をショッピングモールや近所のコンビニで見たという情報提供が親族の元へ数件あったんです。実際にお店に問い合わせてみたところ、『警察が来てくれたら防犯カメラの映像を提供します』と協力姿勢を示してくれたのですが、警察は何日間も防犯カメラの確認に来ていなかったようです。母親は警察に防犯カメラの映像を見に行ったか何度も確認しましたが、『(防犯カメラの映像を)見に行くかどうかはこちらの会議で決めます』と答えるのみだった。実際に映像を確認したのは失踪から1週間経った後だったと思います。 その後も、母親のSNSには『警察に防犯カメラの映像を情報提供しました』『警察は動いてくれましたか?』などメッセージが多く届きました。それで警察に確認の連絡をしたところ『情報が入っていたとしても教える義務はないです』という返事があるのみ。それでも食い下がって、些細な情報でも教えてほしいとお願いしても、『服やリュックなどの持ち物すべてが一致しないと(防犯カメラなどを)見に行くことはありません。あくまで有力な情報だとこちらで判断したものだけ捜しにいきます。それ以外のことに関してはお母さんには連絡しません』と断られたそうです」(同前)失踪から19日が経って、ようやく公開捜査に踏み切った 親族は爽彩さんの失踪直後から公開捜査も希望していたが、実際に公開捜査に警察が踏み切ったのは3月4日のこと。爽彩さんの失踪からは既に19日が経っていた。この点にも遺族は“疑問”を持ったという。前出の親族が続ける。「失踪当日に警察からは『公開捜査にしてもいいですか?』と聞かれたので、母親もその方が情報がより多く集まると考えて承諾していました。しかし、なかなか公開捜査にならなかった。別の親族が2月中旬に地元のメディアに爽彩の行方不明のことを記事にしてほしいと連絡しても、『公開捜査になっていないので記事は書けない』と断られてしまった。そこで再度、警察に確認すると『生きて帰ってくることを考えたら、(ネットの行方不明者情報に名前を)載せるべきではない。SNSもお薦めはしない』『爽彩ちゃんが生きて帰ってきたときのことを考えてください』と言われたそうです。しかし、当時の家族の思いとしては爽彩が見つかることが最優先でした。今でもその判断が正しかったと思っています。どうも警察には、失踪当初から『これは家庭の問題がこじれた結果、家出しただけだ』という思い込みがあったように感じました」 取材班は旭川東警察署に公開捜査に踏み切ったのが失踪から19日後になった経緯などについて問い合わせた。すると、管轄する北海道警察旭川方面本部から以下の回答があった。「行方不明者のプライバシーに関する内容についてはお答えを差し控えます。行方不明者の情報の公開につきましては、ご家族が準備を整えられてから警察において速やかに対応したところです」 爽彩さんの行方の情報を提供した人物への謝礼金に関するトラブルについては「一般に行方不明者発見に掛かる懸賞金については警察が自ら運用するものではなく、許可、不許可とする立場にありません」とあくまで「一般論」を述べるだけで具体的な回答はなかった。もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば…… 前出の遺族が肩を落とす。「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
そのビラを街頭で配り始めたところ、また旭川東署から連絡が入りまして。『許可を出していません。一個一個チェックしますから一度ビラ配りを止めてください』と言われました。母親が『道警本部からは何も言われていませんが』と返すと、旭川東署の男性警察官は『僕の個人の意見です』と語った後電話を切った。なぜこんなことをするんだろうと母親は不審に思ったそうです」(同前)初動捜査では周辺の防犯カメラ映像を重視していなかった 娘の身を案じ、不安な日々を過ごす母親と警察の温度差は明白だった。さらに母親や親族が警察への“疑問”を深めたのは、目撃情報に対する警察の発言と行動だった。「最初は警察も爽彩が家出をしてすぐ帰ってくると思っていたのか、初動捜査で自宅周辺の防犯カメラを重要視していなかったようです。失踪後に爽彩をショッピングモールや近所のコンビニで見たという情報提供が親族の元へ数件あったんです。実際にお店に問い合わせてみたところ、『警察が来てくれたら防犯カメラの映像を提供します』と協力姿勢を示してくれたのですが、警察は何日間も防犯カメラの確認に来ていなかったようです。母親は警察に防犯カメラの映像を見に行ったか何度も確認しましたが、『(防犯カメラの映像を)見に行くかどうかはこちらの会議で決めます』と答えるのみだった。実際に映像を確認したのは失踪から1週間経った後だったと思います。 その後も、母親のSNSには『警察に防犯カメラの映像を情報提供しました』『警察は動いてくれましたか?』などメッセージが多く届きました。それで警察に確認の連絡をしたところ『情報が入っていたとしても教える義務はないです』という返事があるのみ。それでも食い下がって、些細な情報でも教えてほしいとお願いしても、『服やリュックなどの持ち物すべてが一致しないと(防犯カメラなどを)見に行くことはありません。あくまで有力な情報だとこちらで判断したものだけ捜しにいきます。それ以外のことに関してはお母さんには連絡しません』と断られたそうです」(同前)失踪から19日が経って、ようやく公開捜査に踏み切った 親族は爽彩さんの失踪直後から公開捜査も希望していたが、実際に公開捜査に警察が踏み切ったのは3月4日のこと。爽彩さんの失踪からは既に19日が経っていた。この点にも遺族は“疑問”を持ったという。前出の親族が続ける。「失踪当日に警察からは『公開捜査にしてもいいですか?』と聞かれたので、母親もその方が情報がより多く集まると考えて承諾していました。しかし、なかなか公開捜査にならなかった。別の親族が2月中旬に地元のメディアに爽彩の行方不明のことを記事にしてほしいと連絡しても、『公開捜査になっていないので記事は書けない』と断られてしまった。そこで再度、警察に確認すると『生きて帰ってくることを考えたら、(ネットの行方不明者情報に名前を)載せるべきではない。SNSもお薦めはしない』『爽彩ちゃんが生きて帰ってきたときのことを考えてください』と言われたそうです。しかし、当時の家族の思いとしては爽彩が見つかることが最優先でした。今でもその判断が正しかったと思っています。どうも警察には、失踪当初から『これは家庭の問題がこじれた結果、家出しただけだ』という思い込みがあったように感じました」 取材班は旭川東警察署に公開捜査に踏み切ったのが失踪から19日後になった経緯などについて問い合わせた。すると、管轄する北海道警察旭川方面本部から以下の回答があった。「行方不明者のプライバシーに関する内容についてはお答えを差し控えます。行方不明者の情報の公開につきましては、ご家族が準備を整えられてから警察において速やかに対応したところです」 爽彩さんの行方の情報を提供した人物への謝礼金に関するトラブルについては「一般に行方不明者発見に掛かる懸賞金については警察が自ら運用するものではなく、許可、不許可とする立場にありません」とあくまで「一般論」を述べるだけで具体的な回答はなかった。もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば…… 前出の遺族が肩を落とす。「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
そのビラを街頭で配り始めたところ、また旭川東署から連絡が入りまして。『許可を出していません。一個一個チェックしますから一度ビラ配りを止めてください』と言われました。母親が『道警本部からは何も言われていませんが』と返すと、旭川東署の男性警察官は『僕の個人の意見です』と語った後電話を切った。なぜこんなことをするんだろうと母親は不審に思ったそうです」(同前)初動捜査では周辺の防犯カメラ映像を重視していなかった 娘の身を案じ、不安な日々を過ごす母親と警察の温度差は明白だった。さらに母親や親族が警察への“疑問”を深めたのは、目撃情報に対する警察の発言と行動だった。「最初は警察も爽彩が家出をしてすぐ帰ってくると思っていたのか、初動捜査で自宅周辺の防犯カメラを重要視していなかったようです。失踪後に爽彩をショッピングモールや近所のコンビニで見たという情報提供が親族の元へ数件あったんです。実際にお店に問い合わせてみたところ、『警察が来てくれたら防犯カメラの映像を提供します』と協力姿勢を示してくれたのですが、警察は何日間も防犯カメラの確認に来ていなかったようです。母親は警察に防犯カメラの映像を見に行ったか何度も確認しましたが、『(防犯カメラの映像を)見に行くかどうかはこちらの会議で決めます』と答えるのみだった。実際に映像を確認したのは失踪から1週間経った後だったと思います。 その後も、母親のSNSには『警察に防犯カメラの映像を情報提供しました』『警察は動いてくれましたか?』などメッセージが多く届きました。それで警察に確認の連絡をしたところ『情報が入っていたとしても教える義務はないです』という返事があるのみ。それでも食い下がって、些細な情報でも教えてほしいとお願いしても、『服やリュックなどの持ち物すべてが一致しないと(防犯カメラなどを)見に行くことはありません。あくまで有力な情報だとこちらで判断したものだけ捜しにいきます。それ以外のことに関してはお母さんには連絡しません』と断られたそうです」(同前)失踪から19日が経って、ようやく公開捜査に踏み切った 親族は爽彩さんの失踪直後から公開捜査も希望していたが、実際に公開捜査に警察が踏み切ったのは3月4日のこと。爽彩さんの失踪からは既に19日が経っていた。この点にも遺族は“疑問”を持ったという。前出の親族が続ける。「失踪当日に警察からは『公開捜査にしてもいいですか?』と聞かれたので、母親もその方が情報がより多く集まると考えて承諾していました。しかし、なかなか公開捜査にならなかった。別の親族が2月中旬に地元のメディアに爽彩の行方不明のことを記事にしてほしいと連絡しても、『公開捜査になっていないので記事は書けない』と断られてしまった。そこで再度、警察に確認すると『生きて帰ってくることを考えたら、(ネットの行方不明者情報に名前を)載せるべきではない。SNSもお薦めはしない』『爽彩ちゃんが生きて帰ってきたときのことを考えてください』と言われたそうです。しかし、当時の家族の思いとしては爽彩が見つかることが最優先でした。今でもその判断が正しかったと思っています。どうも警察には、失踪当初から『これは家庭の問題がこじれた結果、家出しただけだ』という思い込みがあったように感じました」 取材班は旭川東警察署に公開捜査に踏み切ったのが失踪から19日後になった経緯などについて問い合わせた。すると、管轄する北海道警察旭川方面本部から以下の回答があった。「行方不明者のプライバシーに関する内容についてはお答えを差し控えます。行方不明者の情報の公開につきましては、ご家族が準備を整えられてから警察において速やかに対応したところです」 爽彩さんの行方の情報を提供した人物への謝礼金に関するトラブルについては「一般に行方不明者発見に掛かる懸賞金については警察が自ら運用するものではなく、許可、不許可とする立場にありません」とあくまで「一般論」を述べるだけで具体的な回答はなかった。もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば…… 前出の遺族が肩を落とす。「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
初動捜査では周辺の防犯カメラ映像を重視していなかった 娘の身を案じ、不安な日々を過ごす母親と警察の温度差は明白だった。さらに母親や親族が警察への“疑問”を深めたのは、目撃情報に対する警察の発言と行動だった。「最初は警察も爽彩が家出をしてすぐ帰ってくると思っていたのか、初動捜査で自宅周辺の防犯カメラを重要視していなかったようです。失踪後に爽彩をショッピングモールや近所のコンビニで見たという情報提供が親族の元へ数件あったんです。実際にお店に問い合わせてみたところ、『警察が来てくれたら防犯カメラの映像を提供します』と協力姿勢を示してくれたのですが、警察は何日間も防犯カメラの確認に来ていなかったようです。母親は警察に防犯カメラの映像を見に行ったか何度も確認しましたが、『(防犯カメラの映像を)見に行くかどうかはこちらの会議で決めます』と答えるのみだった。実際に映像を確認したのは失踪から1週間経った後だったと思います。 その後も、母親のSNSには『警察に防犯カメラの映像を情報提供しました』『警察は動いてくれましたか?』などメッセージが多く届きました。それで警察に確認の連絡をしたところ『情報が入っていたとしても教える義務はないです』という返事があるのみ。それでも食い下がって、些細な情報でも教えてほしいとお願いしても、『服やリュックなどの持ち物すべてが一致しないと(防犯カメラなどを)見に行くことはありません。あくまで有力な情報だとこちらで判断したものだけ捜しにいきます。それ以外のことに関してはお母さんには連絡しません』と断られたそうです」(同前)失踪から19日が経って、ようやく公開捜査に踏み切った 親族は爽彩さんの失踪直後から公開捜査も希望していたが、実際に公開捜査に警察が踏み切ったのは3月4日のこと。爽彩さんの失踪からは既に19日が経っていた。この点にも遺族は“疑問”を持ったという。前出の親族が続ける。「失踪当日に警察からは『公開捜査にしてもいいですか?』と聞かれたので、母親もその方が情報がより多く集まると考えて承諾していました。しかし、なかなか公開捜査にならなかった。別の親族が2月中旬に地元のメディアに爽彩の行方不明のことを記事にしてほしいと連絡しても、『公開捜査になっていないので記事は書けない』と断られてしまった。そこで再度、警察に確認すると『生きて帰ってくることを考えたら、(ネットの行方不明者情報に名前を)載せるべきではない。SNSもお薦めはしない』『爽彩ちゃんが生きて帰ってきたときのことを考えてください』と言われたそうです。しかし、当時の家族の思いとしては爽彩が見つかることが最優先でした。今でもその判断が正しかったと思っています。どうも警察には、失踪当初から『これは家庭の問題がこじれた結果、家出しただけだ』という思い込みがあったように感じました」 取材班は旭川東警察署に公開捜査に踏み切ったのが失踪から19日後になった経緯などについて問い合わせた。すると、管轄する北海道警察旭川方面本部から以下の回答があった。「行方不明者のプライバシーに関する内容についてはお答えを差し控えます。行方不明者の情報の公開につきましては、ご家族が準備を整えられてから警察において速やかに対応したところです」 爽彩さんの行方の情報を提供した人物への謝礼金に関するトラブルについては「一般に行方不明者発見に掛かる懸賞金については警察が自ら運用するものではなく、許可、不許可とする立場にありません」とあくまで「一般論」を述べるだけで具体的な回答はなかった。もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば…… 前出の遺族が肩を落とす。「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
娘の身を案じ、不安な日々を過ごす母親と警察の温度差は明白だった。さらに母親や親族が警察への“疑問”を深めたのは、目撃情報に対する警察の発言と行動だった。「最初は警察も爽彩が家出をしてすぐ帰ってくると思っていたのか、初動捜査で自宅周辺の防犯カメラを重要視していなかったようです。失踪後に爽彩をショッピングモールや近所のコンビニで見たという情報提供が親族の元へ数件あったんです。実際にお店に問い合わせてみたところ、『警察が来てくれたら防犯カメラの映像を提供します』と協力姿勢を示してくれたのですが、警察は何日間も防犯カメラの確認に来ていなかったようです。母親は警察に防犯カメラの映像を見に行ったか何度も確認しましたが、『(防犯カメラの映像を)見に行くかどうかはこちらの会議で決めます』と答えるのみだった。実際に映像を確認したのは失踪から1週間経った後だったと思います。 その後も、母親のSNSには『警察に防犯カメラの映像を情報提供しました』『警察は動いてくれましたか?』などメッセージが多く届きました。それで警察に確認の連絡をしたところ『情報が入っていたとしても教える義務はないです』という返事があるのみ。それでも食い下がって、些細な情報でも教えてほしいとお願いしても、『服やリュックなどの持ち物すべてが一致しないと(防犯カメラなどを)見に行くことはありません。あくまで有力な情報だとこちらで判断したものだけ捜しにいきます。それ以外のことに関してはお母さんには連絡しません』と断られたそうです」(同前)失踪から19日が経って、ようやく公開捜査に踏み切った 親族は爽彩さんの失踪直後から公開捜査も希望していたが、実際に公開捜査に警察が踏み切ったのは3月4日のこと。爽彩さんの失踪からは既に19日が経っていた。この点にも遺族は“疑問”を持ったという。前出の親族が続ける。「失踪当日に警察からは『公開捜査にしてもいいですか?』と聞かれたので、母親もその方が情報がより多く集まると考えて承諾していました。しかし、なかなか公開捜査にならなかった。別の親族が2月中旬に地元のメディアに爽彩の行方不明のことを記事にしてほしいと連絡しても、『公開捜査になっていないので記事は書けない』と断られてしまった。そこで再度、警察に確認すると『生きて帰ってくることを考えたら、(ネットの行方不明者情報に名前を)載せるべきではない。SNSもお薦めはしない』『爽彩ちゃんが生きて帰ってきたときのことを考えてください』と言われたそうです。しかし、当時の家族の思いとしては爽彩が見つかることが最優先でした。今でもその判断が正しかったと思っています。どうも警察には、失踪当初から『これは家庭の問題がこじれた結果、家出しただけだ』という思い込みがあったように感じました」 取材班は旭川東警察署に公開捜査に踏み切ったのが失踪から19日後になった経緯などについて問い合わせた。すると、管轄する北海道警察旭川方面本部から以下の回答があった。「行方不明者のプライバシーに関する内容についてはお答えを差し控えます。行方不明者の情報の公開につきましては、ご家族が準備を整えられてから警察において速やかに対応したところです」 爽彩さんの行方の情報を提供した人物への謝礼金に関するトラブルについては「一般に行方不明者発見に掛かる懸賞金については警察が自ら運用するものではなく、許可、不許可とする立場にありません」とあくまで「一般論」を述べるだけで具体的な回答はなかった。もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば…… 前出の遺族が肩を落とす。「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
「最初は警察も爽彩が家出をしてすぐ帰ってくると思っていたのか、初動捜査で自宅周辺の防犯カメラを重要視していなかったようです。失踪後に爽彩をショッピングモールや近所のコンビニで見たという情報提供が親族の元へ数件あったんです。実際にお店に問い合わせてみたところ、『警察が来てくれたら防犯カメラの映像を提供します』と協力姿勢を示してくれたのですが、警察は何日間も防犯カメラの確認に来ていなかったようです。母親は警察に防犯カメラの映像を見に行ったか何度も確認しましたが、『(防犯カメラの映像を)見に行くかどうかはこちらの会議で決めます』と答えるのみだった。実際に映像を確認したのは失踪から1週間経った後だったと思います。 その後も、母親のSNSには『警察に防犯カメラの映像を情報提供しました』『警察は動いてくれましたか?』などメッセージが多く届きました。それで警察に確認の連絡をしたところ『情報が入っていたとしても教える義務はないです』という返事があるのみ。それでも食い下がって、些細な情報でも教えてほしいとお願いしても、『服やリュックなどの持ち物すべてが一致しないと(防犯カメラなどを)見に行くことはありません。あくまで有力な情報だとこちらで判断したものだけ捜しにいきます。それ以外のことに関してはお母さんには連絡しません』と断られたそうです」(同前)失踪から19日が経って、ようやく公開捜査に踏み切った 親族は爽彩さんの失踪直後から公開捜査も希望していたが、実際に公開捜査に警察が踏み切ったのは3月4日のこと。爽彩さんの失踪からは既に19日が経っていた。この点にも遺族は“疑問”を持ったという。前出の親族が続ける。「失踪当日に警察からは『公開捜査にしてもいいですか?』と聞かれたので、母親もその方が情報がより多く集まると考えて承諾していました。しかし、なかなか公開捜査にならなかった。別の親族が2月中旬に地元のメディアに爽彩の行方不明のことを記事にしてほしいと連絡しても、『公開捜査になっていないので記事は書けない』と断られてしまった。そこで再度、警察に確認すると『生きて帰ってくることを考えたら、(ネットの行方不明者情報に名前を)載せるべきではない。SNSもお薦めはしない』『爽彩ちゃんが生きて帰ってきたときのことを考えてください』と言われたそうです。しかし、当時の家族の思いとしては爽彩が見つかることが最優先でした。今でもその判断が正しかったと思っています。どうも警察には、失踪当初から『これは家庭の問題がこじれた結果、家出しただけだ』という思い込みがあったように感じました」 取材班は旭川東警察署に公開捜査に踏み切ったのが失踪から19日後になった経緯などについて問い合わせた。すると、管轄する北海道警察旭川方面本部から以下の回答があった。「行方不明者のプライバシーに関する内容についてはお答えを差し控えます。行方不明者の情報の公開につきましては、ご家族が準備を整えられてから警察において速やかに対応したところです」 爽彩さんの行方の情報を提供した人物への謝礼金に関するトラブルについては「一般に行方不明者発見に掛かる懸賞金については警察が自ら運用するものではなく、許可、不許可とする立場にありません」とあくまで「一般論」を述べるだけで具体的な回答はなかった。もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば…… 前出の遺族が肩を落とす。「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
その後も、母親のSNSには『警察に防犯カメラの映像を情報提供しました』『警察は動いてくれましたか?』などメッセージが多く届きました。それで警察に確認の連絡をしたところ『情報が入っていたとしても教える義務はないです』という返事があるのみ。それでも食い下がって、些細な情報でも教えてほしいとお願いしても、『服やリュックなどの持ち物すべてが一致しないと(防犯カメラなどを)見に行くことはありません。あくまで有力な情報だとこちらで判断したものだけ捜しにいきます。それ以外のことに関してはお母さんには連絡しません』と断られたそうです」(同前)失踪から19日が経って、ようやく公開捜査に踏み切った 親族は爽彩さんの失踪直後から公開捜査も希望していたが、実際に公開捜査に警察が踏み切ったのは3月4日のこと。爽彩さんの失踪からは既に19日が経っていた。この点にも遺族は“疑問”を持ったという。前出の親族が続ける。「失踪当日に警察からは『公開捜査にしてもいいですか?』と聞かれたので、母親もその方が情報がより多く集まると考えて承諾していました。しかし、なかなか公開捜査にならなかった。別の親族が2月中旬に地元のメディアに爽彩の行方不明のことを記事にしてほしいと連絡しても、『公開捜査になっていないので記事は書けない』と断られてしまった。そこで再度、警察に確認すると『生きて帰ってくることを考えたら、(ネットの行方不明者情報に名前を)載せるべきではない。SNSもお薦めはしない』『爽彩ちゃんが生きて帰ってきたときのことを考えてください』と言われたそうです。しかし、当時の家族の思いとしては爽彩が見つかることが最優先でした。今でもその判断が正しかったと思っています。どうも警察には、失踪当初から『これは家庭の問題がこじれた結果、家出しただけだ』という思い込みがあったように感じました」 取材班は旭川東警察署に公開捜査に踏み切ったのが失踪から19日後になった経緯などについて問い合わせた。すると、管轄する北海道警察旭川方面本部から以下の回答があった。「行方不明者のプライバシーに関する内容についてはお答えを差し控えます。行方不明者の情報の公開につきましては、ご家族が準備を整えられてから警察において速やかに対応したところです」 爽彩さんの行方の情報を提供した人物への謝礼金に関するトラブルについては「一般に行方不明者発見に掛かる懸賞金については警察が自ら運用するものではなく、許可、不許可とする立場にありません」とあくまで「一般論」を述べるだけで具体的な回答はなかった。もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば…… 前出の遺族が肩を落とす。「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
親族は爽彩さんの失踪直後から公開捜査も希望していたが、実際に公開捜査に警察が踏み切ったのは3月4日のこと。爽彩さんの失踪からは既に19日が経っていた。この点にも遺族は“疑問”を持ったという。前出の親族が続ける。「失踪当日に警察からは『公開捜査にしてもいいですか?』と聞かれたので、母親もその方が情報がより多く集まると考えて承諾していました。しかし、なかなか公開捜査にならなかった。別の親族が2月中旬に地元のメディアに爽彩の行方不明のことを記事にしてほしいと連絡しても、『公開捜査になっていないので記事は書けない』と断られてしまった。そこで再度、警察に確認すると『生きて帰ってくることを考えたら、(ネットの行方不明者情報に名前を)載せるべきではない。SNSもお薦めはしない』『爽彩ちゃんが生きて帰ってきたときのことを考えてください』と言われたそうです。しかし、当時の家族の思いとしては爽彩が見つかることが最優先でした。今でもその判断が正しかったと思っています。どうも警察には、失踪当初から『これは家庭の問題がこじれた結果、家出しただけだ』という思い込みがあったように感じました」 取材班は旭川東警察署に公開捜査に踏み切ったのが失踪から19日後になった経緯などについて問い合わせた。すると、管轄する北海道警察旭川方面本部から以下の回答があった。「行方不明者のプライバシーに関する内容についてはお答えを差し控えます。行方不明者の情報の公開につきましては、ご家族が準備を整えられてから警察において速やかに対応したところです」 爽彩さんの行方の情報を提供した人物への謝礼金に関するトラブルについては「一般に行方不明者発見に掛かる懸賞金については警察が自ら運用するものではなく、許可、不許可とする立場にありません」とあくまで「一般論」を述べるだけで具体的な回答はなかった。もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば…… 前出の遺族が肩を落とす。「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
「失踪当日に警察からは『公開捜査にしてもいいですか?』と聞かれたので、母親もその方が情報がより多く集まると考えて承諾していました。しかし、なかなか公開捜査にならなかった。別の親族が2月中旬に地元のメディアに爽彩の行方不明のことを記事にしてほしいと連絡しても、『公開捜査になっていないので記事は書けない』と断られてしまった。そこで再度、警察に確認すると『生きて帰ってくることを考えたら、(ネットの行方不明者情報に名前を)載せるべきではない。SNSもお薦めはしない』『爽彩ちゃんが生きて帰ってきたときのことを考えてください』と言われたそうです。しかし、当時の家族の思いとしては爽彩が見つかることが最優先でした。今でもその判断が正しかったと思っています。どうも警察には、失踪当初から『これは家庭の問題がこじれた結果、家出しただけだ』という思い込みがあったように感じました」 取材班は旭川東警察署に公開捜査に踏み切ったのが失踪から19日後になった経緯などについて問い合わせた。すると、管轄する北海道警察旭川方面本部から以下の回答があった。「行方不明者のプライバシーに関する内容についてはお答えを差し控えます。行方不明者の情報の公開につきましては、ご家族が準備を整えられてから警察において速やかに対応したところです」 爽彩さんの行方の情報を提供した人物への謝礼金に関するトラブルについては「一般に行方不明者発見に掛かる懸賞金については警察が自ら運用するものではなく、許可、不許可とする立場にありません」とあくまで「一般論」を述べるだけで具体的な回答はなかった。もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば…… 前出の遺族が肩を落とす。「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
「失踪当日に警察からは『公開捜査にしてもいいですか?』と聞かれたので、母親もその方が情報がより多く集まると考えて承諾していました。しかし、なかなか公開捜査にならなかった。別の親族が2月中旬に地元のメディアに爽彩の行方不明のことを記事にしてほしいと連絡しても、『公開捜査になっていないので記事は書けない』と断られてしまった。そこで再度、警察に確認すると『生きて帰ってくることを考えたら、(ネットの行方不明者情報に名前を)載せるべきではない。SNSもお薦めはしない』『爽彩ちゃんが生きて帰ってきたときのことを考えてください』と言われたそうです。しかし、当時の家族の思いとしては爽彩が見つかることが最優先でした。今でもその判断が正しかったと思っています。どうも警察には、失踪当初から『これは家庭の問題がこじれた結果、家出しただけだ』という思い込みがあったように感じました」 取材班は旭川東警察署に公開捜査に踏み切ったのが失踪から19日後になった経緯などについて問い合わせた。すると、管轄する北海道警察旭川方面本部から以下の回答があった。「行方不明者のプライバシーに関する内容についてはお答えを差し控えます。行方不明者の情報の公開につきましては、ご家族が準備を整えられてから警察において速やかに対応したところです」 爽彩さんの行方の情報を提供した人物への謝礼金に関するトラブルについては「一般に行方不明者発見に掛かる懸賞金については警察が自ら運用するものではなく、許可、不許可とする立場にありません」とあくまで「一般論」を述べるだけで具体的な回答はなかった。もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば…… 前出の遺族が肩を落とす。「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
取材班は旭川東警察署に公開捜査に踏み切ったのが失踪から19日後になった経緯などについて問い合わせた。すると、管轄する北海道警察旭川方面本部から以下の回答があった。「行方不明者のプライバシーに関する内容についてはお答えを差し控えます。行方不明者の情報の公開につきましては、ご家族が準備を整えられてから警察において速やかに対応したところです」 爽彩さんの行方の情報を提供した人物への謝礼金に関するトラブルについては「一般に行方不明者発見に掛かる懸賞金については警察が自ら運用するものではなく、許可、不許可とする立場にありません」とあくまで「一般論」を述べるだけで具体的な回答はなかった。もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば…… 前出の遺族が肩を落とす。「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
「行方不明者のプライバシーに関する内容についてはお答えを差し控えます。行方不明者の情報の公開につきましては、ご家族が準備を整えられてから警察において速やかに対応したところです」 爽彩さんの行方の情報を提供した人物への謝礼金に関するトラブルについては「一般に行方不明者発見に掛かる懸賞金については警察が自ら運用するものではなく、許可、不許可とする立場にありません」とあくまで「一般論」を述べるだけで具体的な回答はなかった。もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば…… 前出の遺族が肩を落とす。「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
爽彩さんの行方の情報を提供した人物への謝礼金に関するトラブルについては「一般に行方不明者発見に掛かる懸賞金については警察が自ら運用するものではなく、許可、不許可とする立場にありません」とあくまで「一般論」を述べるだけで具体的な回答はなかった。もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば…… 前出の遺族が肩を落とす。「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば…… 前出の遺族が肩を落とす。「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
前出の遺族が肩を落とす。「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
「結局、爽彩は3月23日に旭川市内の公園で雪に埋もれて凍死した状態で発見されました。警察によると、極寒の夜に薄着で公園にいたのでは、数時間で低体温症によって、死に至ったのではないかと言われました。つまり、爽彩は失踪当日には死亡した可能性が高いということです。結果だけを見れば、警察がいくら公開捜査を早く決断してくれたり、謝礼金を認めてくれていたとしても、爽彩が生きて帰ってくることはなかった。それはわかります。でも、もっと私たちの声にも耳を傾けてもらえれば、爽彩をあんな冷たい公園に1カ月以上も放置せず、見つけてやることができたのではないか。そう思うと無念でならないんです……」 爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
爽彩さんが失踪した日から半年以上経った8月下旬。旭川市は連日30度を超える短い夏の盛りを迎えていた。爽彩さんの遺体が見つかった公園を再び訪れると、鮮やかなヒマワリをはじめ、たくさんの花束が供えられていた。生きていればまもなく15歳の誕生日を迎えるはずだった。◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
◆ ◆ ◆ 中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
中学2年の少女を死に追いやったのは、誰か? 凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
凄惨なイジメの実態、不可解な学校の対応――。遺族・加害者・関係者に徹底取材した文春オンラインの報道は全国的な反響を呼び、ついに第三者委員会の再調査が決定。北の大地を揺るがした同時進行ドキュメントが「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」として書籍化されます。母の手記「爽彩へ」を収録。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))