【A4studio】「デブは恋愛対象外」見た目のコンプレックスを煽る「マンガ広告」の深刻な問題点 YouTubeでよく目にする理由

「すまん。デブは恋愛対象外なんだ」
「ハァ!? 浮気した理由? そんなの自分の体を鏡でよく見ればわかるでしょ!」
今、YouTubeでこうした文言で煽るマンガ形式の広告が爆増しているのをご存知だろうか。
こういった“外見軽視系マンガ広告”は、クリックすると健康食品や化粧品に誘導されるのがほとんどなのだが、視聴者のコンプレックスを煽るそのやり口に、ネット上では大きな批判が集まっている。
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署名サイト「change.org」では、こうした広告の表現見直しを求める署名に、昨年の6月の時点で約2万1000筆以上が集まるといった動きまであった。だが、それでもなお、2021年8月現在もこうした広告はYouTubeで氾濫しているのだ。
そこで今回は新聞社や出版社、ネット専業メディアなど900以上のウェブサイトをネットワーク化し、提携する広告代理店140社の広告出稿を仲介しているpopIn株式会社の取締役・西舘亜希子氏に、こういったコンプレックスを煽った広告について解説していただいた(以下、「」内は西舘氏のコメント)。
人を不快にさせるという倫理的な問題はひとまず置いておくとして、まずはこういった“外見軽視系マンガ広告”が法的に問題ないのかどうかを伺おう。「こうした広告は、総じて“コンプレックス広告”と呼ばれることが多いのですが、現状、薬機法や景表法など基本的な広告のルールさえ守っていれば、その表現手法(過剰なマンガなど)は違法ではありません。また、YouTubeを運営するGoogleも自社のGoogle広告のポリシーにきちんと準じているか審査し、それでOKとなっているから広告として流れているわけです。特に薬機法に関しては今年8月に改正されて、違反した場合課徴金が発生するようになったので、より厳格に審査されているでしょう」では本題でもある倫理的な観点からはどうなのだろうか。「こと倫理的な問題に対しては、弊社で言いますと実際に広告を掲載させていただくインターネットメディアのガイドラインや、広告の出稿を仲介させていただいている弊社のような存在が、どういったポリシーや広告掲載基準を掲げているのか、どこまで容認するか、また広告の配信ブロックを行う作業工数を、実務者が十分に確保できるかなどによって大きく変わってきてしまうのが実情です」 コンプレックス広告が蔓延する業界の構造西舘氏はこうした業界の現状に危機感を抱き、責任者を務めるpopIn Discoveryでは“コンプレックス広告”を撤廃するという決断をしたという。「弊社が提供するサービス『popIn Discovery』は、国内最大級のネイティブアドネットワークです。いわゆる記事型の広告配信手法で、本来であれば『今読んでいるコンテンツ』と近しい広告を配信させる技術です。広告も情報のコンテンツのひとつという考えのもとにWEBサイトをネットワーク化し、広告配信を実現させたものなのですが、本来の使い方からどんどんかけ離れていってしまっていることへの違和感も拭えず、広告審査基準を今年の5月25日に引き上げました。差別的な表現であったり、コンプレックスを過剰に煽ったりする内容の広告は配信を停止するようにしました。正直なところ、コンプレックス広告はシェア率も高いのでビジネス的には苦渋の選択ではありました。ただ、消費者にとって広告は“見させられているもの”であって、自ら望んで見ているものではないわけです。ただし、正しい情報接触ができれば、広告も情報コンテンツのひとつとしてできることがあるはずでした。しかしどんどん過剰になっていくことも含めて、見ていて不快に感じるという声も多く、またどこまでも過剰になっていくことがあってはならないと思いますし、まずは自社の倫理観向上のためにも決断しました」「ビジネス的に苦渋の決断」と語った西舘氏だが、こうした広告はやはり利益を大きくあげる側面もあるそうだ。「コンプレックス広告は『モテたい』『お金が欲しい』『自信のある体になりたい』など、社会に深く根付いたコンプレックスに訴えかけるものなので、過剰に煽る要素が高いんです。また、こうした広告は消費者の年齢層や性別、そこから類推される趣向を分析して配信する技術もありますし、本来社会をよくしていくための技術が、生活者を過剰に煽って購買行動に直結させるために使われるようになっています。それが収益性に直結していたこともあり、だからこそ広告主や広告代理店側はやめられず、また配信プラットフォーマーや配信先メディアもあくまで一部の方達の中では、周りがやっているんだからいいでしょ……という空気感が業界に蔓延しているのです。もちろん正しくモラルを守って運用していらっしゃる方も多いので、全てを一括して語れませんが、一部の要因として責任の所在のあいまいさ、いたちごっこになっているというのもこれらの問題の大きなポイントですね」“赤信号みんなで渡ればこわくない”。つまり、社会心理学でいうところの、普段は慎重な人も集団だと高リスクの判断をしてしまうリスキーシフトの状態ということか。Photo by iStock 根底にある「ルッキズム」という思想“外見軽視系マンガ広告”を見て、その商品を購入してしまう層が厚いことの背景には、ルッキズム思想が社会に深く根付いているからだと指摘する声も多い。「確かにそうだと思います。ルッキズムとは、簡単に言うと“外見に基づく差別”のことですが、美醜の意識を持つこと自体を指す言葉だと誤解されがちです。しかし美醜の意識自体は人それぞれの価値観ですので、他人が横からダメと言うべきではない要素でしょう。ではルッキズムの何が問題かというと、他人を判断するときに外見的美醜が偏重されて差別が起きてしまうことです。過剰に容姿を揶揄されて傷ついてしまう人や、過度なダイエットから摂食障害を引き起こすことなど、生きる上での権利さえないと思ってしまう人もいます。社会生活的な面で言うなら、世間的にきれいとされる人のほうが就職や出世で有利になる、などですね。いまはまだ、社会全体に『美しくあらねば生きているうえで不利益を被る』という風潮があるため、人は社会で生き抜くためにもっと美しくならなくては……と思考してしまいます。“外見軽視系マンガ広告”はそういったルッキズムを煽ることで、購買意欲を掻き立てたり、このままでは自分はダメな人間なのではないか、という思いを植え付けてしまう手法だと思います」ルッキズムがはびこってしまう一因には、現代の社会教育の未成熟さもあると西舘氏は指摘する。「自分から美しくあろうとする思考、それ自体に罪はないと思うのです。問題なのは、周囲からこう見られたら嫌だから美しくなろうという思考、そしてそう思わせる社会の風潮なのではないでしょうか。多感な未成年の子たちに対して、暴力やいじめはいけないことだよと教えていくのと同じぐらい、社会はルッキズムに関して大きな声で伝えていかなければいけないと感じますね」Photo by iStock 将来的には根絶できるのだろか?ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
「こうした広告は、総じて“コンプレックス広告”と呼ばれることが多いのですが、現状、薬機法や景表法など基本的な広告のルールさえ守っていれば、その表現手法(過剰なマンガなど)は違法ではありません。また、YouTubeを運営するGoogleも自社のGoogle広告のポリシーにきちんと準じているか審査し、それでOKとなっているから広告として流れているわけです。特に薬機法に関しては今年8月に改正されて、違反した場合課徴金が発生するようになったので、より厳格に審査されているでしょう」では本題でもある倫理的な観点からはどうなのだろうか。「こと倫理的な問題に対しては、弊社で言いますと実際に広告を掲載させていただくインターネットメディアのガイドラインや、広告の出稿を仲介させていただいている弊社のような存在が、どういったポリシーや広告掲載基準を掲げているのか、どこまで容認するか、また広告の配信ブロックを行う作業工数を、実務者が十分に確保できるかなどによって大きく変わってきてしまうのが実情です」 コンプレックス広告が蔓延する業界の構造西舘氏はこうした業界の現状に危機感を抱き、責任者を務めるpopIn Discoveryでは“コンプレックス広告”を撤廃するという決断をしたという。「弊社が提供するサービス『popIn Discovery』は、国内最大級のネイティブアドネットワークです。いわゆる記事型の広告配信手法で、本来であれば『今読んでいるコンテンツ』と近しい広告を配信させる技術です。広告も情報のコンテンツのひとつという考えのもとにWEBサイトをネットワーク化し、広告配信を実現させたものなのですが、本来の使い方からどんどんかけ離れていってしまっていることへの違和感も拭えず、広告審査基準を今年の5月25日に引き上げました。差別的な表現であったり、コンプレックスを過剰に煽ったりする内容の広告は配信を停止するようにしました。正直なところ、コンプレックス広告はシェア率も高いのでビジネス的には苦渋の選択ではありました。ただ、消費者にとって広告は“見させられているもの”であって、自ら望んで見ているものではないわけです。ただし、正しい情報接触ができれば、広告も情報コンテンツのひとつとしてできることがあるはずでした。しかしどんどん過剰になっていくことも含めて、見ていて不快に感じるという声も多く、またどこまでも過剰になっていくことがあってはならないと思いますし、まずは自社の倫理観向上のためにも決断しました」「ビジネス的に苦渋の決断」と語った西舘氏だが、こうした広告はやはり利益を大きくあげる側面もあるそうだ。「コンプレックス広告は『モテたい』『お金が欲しい』『自信のある体になりたい』など、社会に深く根付いたコンプレックスに訴えかけるものなので、過剰に煽る要素が高いんです。また、こうした広告は消費者の年齢層や性別、そこから類推される趣向を分析して配信する技術もありますし、本来社会をよくしていくための技術が、生活者を過剰に煽って購買行動に直結させるために使われるようになっています。それが収益性に直結していたこともあり、だからこそ広告主や広告代理店側はやめられず、また配信プラットフォーマーや配信先メディアもあくまで一部の方達の中では、周りがやっているんだからいいでしょ……という空気感が業界に蔓延しているのです。もちろん正しくモラルを守って運用していらっしゃる方も多いので、全てを一括して語れませんが、一部の要因として責任の所在のあいまいさ、いたちごっこになっているというのもこれらの問題の大きなポイントですね」“赤信号みんなで渡ればこわくない”。つまり、社会心理学でいうところの、普段は慎重な人も集団だと高リスクの判断をしてしまうリスキーシフトの状態ということか。Photo by iStock 根底にある「ルッキズム」という思想“外見軽視系マンガ広告”を見て、その商品を購入してしまう層が厚いことの背景には、ルッキズム思想が社会に深く根付いているからだと指摘する声も多い。「確かにそうだと思います。ルッキズムとは、簡単に言うと“外見に基づく差別”のことですが、美醜の意識を持つこと自体を指す言葉だと誤解されがちです。しかし美醜の意識自体は人それぞれの価値観ですので、他人が横からダメと言うべきではない要素でしょう。ではルッキズムの何が問題かというと、他人を判断するときに外見的美醜が偏重されて差別が起きてしまうことです。過剰に容姿を揶揄されて傷ついてしまう人や、過度なダイエットから摂食障害を引き起こすことなど、生きる上での権利さえないと思ってしまう人もいます。社会生活的な面で言うなら、世間的にきれいとされる人のほうが就職や出世で有利になる、などですね。いまはまだ、社会全体に『美しくあらねば生きているうえで不利益を被る』という風潮があるため、人は社会で生き抜くためにもっと美しくならなくては……と思考してしまいます。“外見軽視系マンガ広告”はそういったルッキズムを煽ることで、購買意欲を掻き立てたり、このままでは自分はダメな人間なのではないか、という思いを植え付けてしまう手法だと思います」ルッキズムがはびこってしまう一因には、現代の社会教育の未成熟さもあると西舘氏は指摘する。「自分から美しくあろうとする思考、それ自体に罪はないと思うのです。問題なのは、周囲からこう見られたら嫌だから美しくなろうという思考、そしてそう思わせる社会の風潮なのではないでしょうか。多感な未成年の子たちに対して、暴力やいじめはいけないことだよと教えていくのと同じぐらい、社会はルッキズムに関して大きな声で伝えていかなければいけないと感じますね」Photo by iStock 将来的には根絶できるのだろか?ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
また、YouTubeを運営するGoogleも自社のGoogle広告のポリシーにきちんと準じているか審査し、それでOKとなっているから広告として流れているわけです。特に薬機法に関しては今年8月に改正されて、違反した場合課徴金が発生するようになったので、より厳格に審査されているでしょう」では本題でもある倫理的な観点からはどうなのだろうか。「こと倫理的な問題に対しては、弊社で言いますと実際に広告を掲載させていただくインターネットメディアのガイドラインや、広告の出稿を仲介させていただいている弊社のような存在が、どういったポリシーや広告掲載基準を掲げているのか、どこまで容認するか、また広告の配信ブロックを行う作業工数を、実務者が十分に確保できるかなどによって大きく変わってきてしまうのが実情です」 コンプレックス広告が蔓延する業界の構造西舘氏はこうした業界の現状に危機感を抱き、責任者を務めるpopIn Discoveryでは“コンプレックス広告”を撤廃するという決断をしたという。「弊社が提供するサービス『popIn Discovery』は、国内最大級のネイティブアドネットワークです。いわゆる記事型の広告配信手法で、本来であれば『今読んでいるコンテンツ』と近しい広告を配信させる技術です。広告も情報のコンテンツのひとつという考えのもとにWEBサイトをネットワーク化し、広告配信を実現させたものなのですが、本来の使い方からどんどんかけ離れていってしまっていることへの違和感も拭えず、広告審査基準を今年の5月25日に引き上げました。差別的な表現であったり、コンプレックスを過剰に煽ったりする内容の広告は配信を停止するようにしました。正直なところ、コンプレックス広告はシェア率も高いのでビジネス的には苦渋の選択ではありました。ただ、消費者にとって広告は“見させられているもの”であって、自ら望んで見ているものではないわけです。ただし、正しい情報接触ができれば、広告も情報コンテンツのひとつとしてできることがあるはずでした。しかしどんどん過剰になっていくことも含めて、見ていて不快に感じるという声も多く、またどこまでも過剰になっていくことがあってはならないと思いますし、まずは自社の倫理観向上のためにも決断しました」「ビジネス的に苦渋の決断」と語った西舘氏だが、こうした広告はやはり利益を大きくあげる側面もあるそうだ。「コンプレックス広告は『モテたい』『お金が欲しい』『自信のある体になりたい』など、社会に深く根付いたコンプレックスに訴えかけるものなので、過剰に煽る要素が高いんです。また、こうした広告は消費者の年齢層や性別、そこから類推される趣向を分析して配信する技術もありますし、本来社会をよくしていくための技術が、生活者を過剰に煽って購買行動に直結させるために使われるようになっています。それが収益性に直結していたこともあり、だからこそ広告主や広告代理店側はやめられず、また配信プラットフォーマーや配信先メディアもあくまで一部の方達の中では、周りがやっているんだからいいでしょ……という空気感が業界に蔓延しているのです。もちろん正しくモラルを守って運用していらっしゃる方も多いので、全てを一括して語れませんが、一部の要因として責任の所在のあいまいさ、いたちごっこになっているというのもこれらの問題の大きなポイントですね」“赤信号みんなで渡ればこわくない”。つまり、社会心理学でいうところの、普段は慎重な人も集団だと高リスクの判断をしてしまうリスキーシフトの状態ということか。Photo by iStock 根底にある「ルッキズム」という思想“外見軽視系マンガ広告”を見て、その商品を購入してしまう層が厚いことの背景には、ルッキズム思想が社会に深く根付いているからだと指摘する声も多い。「確かにそうだと思います。ルッキズムとは、簡単に言うと“外見に基づく差別”のことですが、美醜の意識を持つこと自体を指す言葉だと誤解されがちです。しかし美醜の意識自体は人それぞれの価値観ですので、他人が横からダメと言うべきではない要素でしょう。ではルッキズムの何が問題かというと、他人を判断するときに外見的美醜が偏重されて差別が起きてしまうことです。過剰に容姿を揶揄されて傷ついてしまう人や、過度なダイエットから摂食障害を引き起こすことなど、生きる上での権利さえないと思ってしまう人もいます。社会生活的な面で言うなら、世間的にきれいとされる人のほうが就職や出世で有利になる、などですね。いまはまだ、社会全体に『美しくあらねば生きているうえで不利益を被る』という風潮があるため、人は社会で生き抜くためにもっと美しくならなくては……と思考してしまいます。“外見軽視系マンガ広告”はそういったルッキズムを煽ることで、購買意欲を掻き立てたり、このままでは自分はダメな人間なのではないか、という思いを植え付けてしまう手法だと思います」ルッキズムがはびこってしまう一因には、現代の社会教育の未成熟さもあると西舘氏は指摘する。「自分から美しくあろうとする思考、それ自体に罪はないと思うのです。問題なのは、周囲からこう見られたら嫌だから美しくなろうという思考、そしてそう思わせる社会の風潮なのではないでしょうか。多感な未成年の子たちに対して、暴力やいじめはいけないことだよと教えていくのと同じぐらい、社会はルッキズムに関して大きな声で伝えていかなければいけないと感じますね」Photo by iStock 将来的には根絶できるのだろか?ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
では本題でもある倫理的な観点からはどうなのだろうか。「こと倫理的な問題に対しては、弊社で言いますと実際に広告を掲載させていただくインターネットメディアのガイドラインや、広告の出稿を仲介させていただいている弊社のような存在が、どういったポリシーや広告掲載基準を掲げているのか、どこまで容認するか、また広告の配信ブロックを行う作業工数を、実務者が十分に確保できるかなどによって大きく変わってきてしまうのが実情です」 コンプレックス広告が蔓延する業界の構造西舘氏はこうした業界の現状に危機感を抱き、責任者を務めるpopIn Discoveryでは“コンプレックス広告”を撤廃するという決断をしたという。「弊社が提供するサービス『popIn Discovery』は、国内最大級のネイティブアドネットワークです。いわゆる記事型の広告配信手法で、本来であれば『今読んでいるコンテンツ』と近しい広告を配信させる技術です。広告も情報のコンテンツのひとつという考えのもとにWEBサイトをネットワーク化し、広告配信を実現させたものなのですが、本来の使い方からどんどんかけ離れていってしまっていることへの違和感も拭えず、広告審査基準を今年の5月25日に引き上げました。差別的な表現であったり、コンプレックスを過剰に煽ったりする内容の広告は配信を停止するようにしました。正直なところ、コンプレックス広告はシェア率も高いのでビジネス的には苦渋の選択ではありました。ただ、消費者にとって広告は“見させられているもの”であって、自ら望んで見ているものではないわけです。ただし、正しい情報接触ができれば、広告も情報コンテンツのひとつとしてできることがあるはずでした。しかしどんどん過剰になっていくことも含めて、見ていて不快に感じるという声も多く、またどこまでも過剰になっていくことがあってはならないと思いますし、まずは自社の倫理観向上のためにも決断しました」「ビジネス的に苦渋の決断」と語った西舘氏だが、こうした広告はやはり利益を大きくあげる側面もあるそうだ。「コンプレックス広告は『モテたい』『お金が欲しい』『自信のある体になりたい』など、社会に深く根付いたコンプレックスに訴えかけるものなので、過剰に煽る要素が高いんです。また、こうした広告は消費者の年齢層や性別、そこから類推される趣向を分析して配信する技術もありますし、本来社会をよくしていくための技術が、生活者を過剰に煽って購買行動に直結させるために使われるようになっています。それが収益性に直結していたこともあり、だからこそ広告主や広告代理店側はやめられず、また配信プラットフォーマーや配信先メディアもあくまで一部の方達の中では、周りがやっているんだからいいでしょ……という空気感が業界に蔓延しているのです。もちろん正しくモラルを守って運用していらっしゃる方も多いので、全てを一括して語れませんが、一部の要因として責任の所在のあいまいさ、いたちごっこになっているというのもこれらの問題の大きなポイントですね」“赤信号みんなで渡ればこわくない”。つまり、社会心理学でいうところの、普段は慎重な人も集団だと高リスクの判断をしてしまうリスキーシフトの状態ということか。Photo by iStock 根底にある「ルッキズム」という思想“外見軽視系マンガ広告”を見て、その商品を購入してしまう層が厚いことの背景には、ルッキズム思想が社会に深く根付いているからだと指摘する声も多い。「確かにそうだと思います。ルッキズムとは、簡単に言うと“外見に基づく差別”のことですが、美醜の意識を持つこと自体を指す言葉だと誤解されがちです。しかし美醜の意識自体は人それぞれの価値観ですので、他人が横からダメと言うべきではない要素でしょう。ではルッキズムの何が問題かというと、他人を判断するときに外見的美醜が偏重されて差別が起きてしまうことです。過剰に容姿を揶揄されて傷ついてしまう人や、過度なダイエットから摂食障害を引き起こすことなど、生きる上での権利さえないと思ってしまう人もいます。社会生活的な面で言うなら、世間的にきれいとされる人のほうが就職や出世で有利になる、などですね。いまはまだ、社会全体に『美しくあらねば生きているうえで不利益を被る』という風潮があるため、人は社会で生き抜くためにもっと美しくならなくては……と思考してしまいます。“外見軽視系マンガ広告”はそういったルッキズムを煽ることで、購買意欲を掻き立てたり、このままでは自分はダメな人間なのではないか、という思いを植え付けてしまう手法だと思います」ルッキズムがはびこってしまう一因には、現代の社会教育の未成熟さもあると西舘氏は指摘する。「自分から美しくあろうとする思考、それ自体に罪はないと思うのです。問題なのは、周囲からこう見られたら嫌だから美しくなろうという思考、そしてそう思わせる社会の風潮なのではないでしょうか。多感な未成年の子たちに対して、暴力やいじめはいけないことだよと教えていくのと同じぐらい、社会はルッキズムに関して大きな声で伝えていかなければいけないと感じますね」Photo by iStock 将来的には根絶できるのだろか?ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
「こと倫理的な問題に対しては、弊社で言いますと実際に広告を掲載させていただくインターネットメディアのガイドラインや、広告の出稿を仲介させていただいている弊社のような存在が、どういったポリシーや広告掲載基準を掲げているのか、どこまで容認するか、また広告の配信ブロックを行う作業工数を、実務者が十分に確保できるかなどによって大きく変わってきてしまうのが実情です」 コンプレックス広告が蔓延する業界の構造西舘氏はこうした業界の現状に危機感を抱き、責任者を務めるpopIn Discoveryでは“コンプレックス広告”を撤廃するという決断をしたという。「弊社が提供するサービス『popIn Discovery』は、国内最大級のネイティブアドネットワークです。いわゆる記事型の広告配信手法で、本来であれば『今読んでいるコンテンツ』と近しい広告を配信させる技術です。広告も情報のコンテンツのひとつという考えのもとにWEBサイトをネットワーク化し、広告配信を実現させたものなのですが、本来の使い方からどんどんかけ離れていってしまっていることへの違和感も拭えず、広告審査基準を今年の5月25日に引き上げました。差別的な表現であったり、コンプレックスを過剰に煽ったりする内容の広告は配信を停止するようにしました。正直なところ、コンプレックス広告はシェア率も高いのでビジネス的には苦渋の選択ではありました。ただ、消費者にとって広告は“見させられているもの”であって、自ら望んで見ているものではないわけです。ただし、正しい情報接触ができれば、広告も情報コンテンツのひとつとしてできることがあるはずでした。しかしどんどん過剰になっていくことも含めて、見ていて不快に感じるという声も多く、またどこまでも過剰になっていくことがあってはならないと思いますし、まずは自社の倫理観向上のためにも決断しました」「ビジネス的に苦渋の決断」と語った西舘氏だが、こうした広告はやはり利益を大きくあげる側面もあるそうだ。「コンプレックス広告は『モテたい』『お金が欲しい』『自信のある体になりたい』など、社会に深く根付いたコンプレックスに訴えかけるものなので、過剰に煽る要素が高いんです。また、こうした広告は消費者の年齢層や性別、そこから類推される趣向を分析して配信する技術もありますし、本来社会をよくしていくための技術が、生活者を過剰に煽って購買行動に直結させるために使われるようになっています。それが収益性に直結していたこともあり、だからこそ広告主や広告代理店側はやめられず、また配信プラットフォーマーや配信先メディアもあくまで一部の方達の中では、周りがやっているんだからいいでしょ……という空気感が業界に蔓延しているのです。もちろん正しくモラルを守って運用していらっしゃる方も多いので、全てを一括して語れませんが、一部の要因として責任の所在のあいまいさ、いたちごっこになっているというのもこれらの問題の大きなポイントですね」“赤信号みんなで渡ればこわくない”。つまり、社会心理学でいうところの、普段は慎重な人も集団だと高リスクの判断をしてしまうリスキーシフトの状態ということか。Photo by iStock 根底にある「ルッキズム」という思想“外見軽視系マンガ広告”を見て、その商品を購入してしまう層が厚いことの背景には、ルッキズム思想が社会に深く根付いているからだと指摘する声も多い。「確かにそうだと思います。ルッキズムとは、簡単に言うと“外見に基づく差別”のことですが、美醜の意識を持つこと自体を指す言葉だと誤解されがちです。しかし美醜の意識自体は人それぞれの価値観ですので、他人が横からダメと言うべきではない要素でしょう。ではルッキズムの何が問題かというと、他人を判断するときに外見的美醜が偏重されて差別が起きてしまうことです。過剰に容姿を揶揄されて傷ついてしまう人や、過度なダイエットから摂食障害を引き起こすことなど、生きる上での権利さえないと思ってしまう人もいます。社会生活的な面で言うなら、世間的にきれいとされる人のほうが就職や出世で有利になる、などですね。いまはまだ、社会全体に『美しくあらねば生きているうえで不利益を被る』という風潮があるため、人は社会で生き抜くためにもっと美しくならなくては……と思考してしまいます。“外見軽視系マンガ広告”はそういったルッキズムを煽ることで、購買意欲を掻き立てたり、このままでは自分はダメな人間なのではないか、という思いを植え付けてしまう手法だと思います」ルッキズムがはびこってしまう一因には、現代の社会教育の未成熟さもあると西舘氏は指摘する。「自分から美しくあろうとする思考、それ自体に罪はないと思うのです。問題なのは、周囲からこう見られたら嫌だから美しくなろうという思考、そしてそう思わせる社会の風潮なのではないでしょうか。多感な未成年の子たちに対して、暴力やいじめはいけないことだよと教えていくのと同じぐらい、社会はルッキズムに関して大きな声で伝えていかなければいけないと感じますね」Photo by iStock 将来的には根絶できるのだろか?ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
コンプレックス広告が蔓延する業界の構造西舘氏はこうした業界の現状に危機感を抱き、責任者を務めるpopIn Discoveryでは“コンプレックス広告”を撤廃するという決断をしたという。「弊社が提供するサービス『popIn Discovery』は、国内最大級のネイティブアドネットワークです。いわゆる記事型の広告配信手法で、本来であれば『今読んでいるコンテンツ』と近しい広告を配信させる技術です。広告も情報のコンテンツのひとつという考えのもとにWEBサイトをネットワーク化し、広告配信を実現させたものなのですが、本来の使い方からどんどんかけ離れていってしまっていることへの違和感も拭えず、広告審査基準を今年の5月25日に引き上げました。差別的な表現であったり、コンプレックスを過剰に煽ったりする内容の広告は配信を停止するようにしました。正直なところ、コンプレックス広告はシェア率も高いのでビジネス的には苦渋の選択ではありました。ただ、消費者にとって広告は“見させられているもの”であって、自ら望んで見ているものではないわけです。ただし、正しい情報接触ができれば、広告も情報コンテンツのひとつとしてできることがあるはずでした。しかしどんどん過剰になっていくことも含めて、見ていて不快に感じるという声も多く、またどこまでも過剰になっていくことがあってはならないと思いますし、まずは自社の倫理観向上のためにも決断しました」「ビジネス的に苦渋の決断」と語った西舘氏だが、こうした広告はやはり利益を大きくあげる側面もあるそうだ。「コンプレックス広告は『モテたい』『お金が欲しい』『自信のある体になりたい』など、社会に深く根付いたコンプレックスに訴えかけるものなので、過剰に煽る要素が高いんです。また、こうした広告は消費者の年齢層や性別、そこから類推される趣向を分析して配信する技術もありますし、本来社会をよくしていくための技術が、生活者を過剰に煽って購買行動に直結させるために使われるようになっています。それが収益性に直結していたこともあり、だからこそ広告主や広告代理店側はやめられず、また配信プラットフォーマーや配信先メディアもあくまで一部の方達の中では、周りがやっているんだからいいでしょ……という空気感が業界に蔓延しているのです。もちろん正しくモラルを守って運用していらっしゃる方も多いので、全てを一括して語れませんが、一部の要因として責任の所在のあいまいさ、いたちごっこになっているというのもこれらの問題の大きなポイントですね」“赤信号みんなで渡ればこわくない”。つまり、社会心理学でいうところの、普段は慎重な人も集団だと高リスクの判断をしてしまうリスキーシフトの状態ということか。Photo by iStock 根底にある「ルッキズム」という思想“外見軽視系マンガ広告”を見て、その商品を購入してしまう層が厚いことの背景には、ルッキズム思想が社会に深く根付いているからだと指摘する声も多い。「確かにそうだと思います。ルッキズムとは、簡単に言うと“外見に基づく差別”のことですが、美醜の意識を持つこと自体を指す言葉だと誤解されがちです。しかし美醜の意識自体は人それぞれの価値観ですので、他人が横からダメと言うべきではない要素でしょう。ではルッキズムの何が問題かというと、他人を判断するときに外見的美醜が偏重されて差別が起きてしまうことです。過剰に容姿を揶揄されて傷ついてしまう人や、過度なダイエットから摂食障害を引き起こすことなど、生きる上での権利さえないと思ってしまう人もいます。社会生活的な面で言うなら、世間的にきれいとされる人のほうが就職や出世で有利になる、などですね。いまはまだ、社会全体に『美しくあらねば生きているうえで不利益を被る』という風潮があるため、人は社会で生き抜くためにもっと美しくならなくては……と思考してしまいます。“外見軽視系マンガ広告”はそういったルッキズムを煽ることで、購買意欲を掻き立てたり、このままでは自分はダメな人間なのではないか、という思いを植え付けてしまう手法だと思います」ルッキズムがはびこってしまう一因には、現代の社会教育の未成熟さもあると西舘氏は指摘する。「自分から美しくあろうとする思考、それ自体に罪はないと思うのです。問題なのは、周囲からこう見られたら嫌だから美しくなろうという思考、そしてそう思わせる社会の風潮なのではないでしょうか。多感な未成年の子たちに対して、暴力やいじめはいけないことだよと教えていくのと同じぐらい、社会はルッキズムに関して大きな声で伝えていかなければいけないと感じますね」Photo by iStock 将来的には根絶できるのだろか?ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
西舘氏はこうした業界の現状に危機感を抱き、責任者を務めるpopIn Discoveryでは“コンプレックス広告”を撤廃するという決断をしたという。「弊社が提供するサービス『popIn Discovery』は、国内最大級のネイティブアドネットワークです。いわゆる記事型の広告配信手法で、本来であれば『今読んでいるコンテンツ』と近しい広告を配信させる技術です。広告も情報のコンテンツのひとつという考えのもとにWEBサイトをネットワーク化し、広告配信を実現させたものなのですが、本来の使い方からどんどんかけ離れていってしまっていることへの違和感も拭えず、広告審査基準を今年の5月25日に引き上げました。差別的な表現であったり、コンプレックスを過剰に煽ったりする内容の広告は配信を停止するようにしました。正直なところ、コンプレックス広告はシェア率も高いのでビジネス的には苦渋の選択ではありました。ただ、消費者にとって広告は“見させられているもの”であって、自ら望んで見ているものではないわけです。ただし、正しい情報接触ができれば、広告も情報コンテンツのひとつとしてできることがあるはずでした。しかしどんどん過剰になっていくことも含めて、見ていて不快に感じるという声も多く、またどこまでも過剰になっていくことがあってはならないと思いますし、まずは自社の倫理観向上のためにも決断しました」「ビジネス的に苦渋の決断」と語った西舘氏だが、こうした広告はやはり利益を大きくあげる側面もあるそうだ。「コンプレックス広告は『モテたい』『お金が欲しい』『自信のある体になりたい』など、社会に深く根付いたコンプレックスに訴えかけるものなので、過剰に煽る要素が高いんです。また、こうした広告は消費者の年齢層や性別、そこから類推される趣向を分析して配信する技術もありますし、本来社会をよくしていくための技術が、生活者を過剰に煽って購買行動に直結させるために使われるようになっています。それが収益性に直結していたこともあり、だからこそ広告主や広告代理店側はやめられず、また配信プラットフォーマーや配信先メディアもあくまで一部の方達の中では、周りがやっているんだからいいでしょ……という空気感が業界に蔓延しているのです。もちろん正しくモラルを守って運用していらっしゃる方も多いので、全てを一括して語れませんが、一部の要因として責任の所在のあいまいさ、いたちごっこになっているというのもこれらの問題の大きなポイントですね」“赤信号みんなで渡ればこわくない”。つまり、社会心理学でいうところの、普段は慎重な人も集団だと高リスクの判断をしてしまうリスキーシフトの状態ということか。Photo by iStock 根底にある「ルッキズム」という思想“外見軽視系マンガ広告”を見て、その商品を購入してしまう層が厚いことの背景には、ルッキズム思想が社会に深く根付いているからだと指摘する声も多い。「確かにそうだと思います。ルッキズムとは、簡単に言うと“外見に基づく差別”のことですが、美醜の意識を持つこと自体を指す言葉だと誤解されがちです。しかし美醜の意識自体は人それぞれの価値観ですので、他人が横からダメと言うべきではない要素でしょう。ではルッキズムの何が問題かというと、他人を判断するときに外見的美醜が偏重されて差別が起きてしまうことです。過剰に容姿を揶揄されて傷ついてしまう人や、過度なダイエットから摂食障害を引き起こすことなど、生きる上での権利さえないと思ってしまう人もいます。社会生活的な面で言うなら、世間的にきれいとされる人のほうが就職や出世で有利になる、などですね。いまはまだ、社会全体に『美しくあらねば生きているうえで不利益を被る』という風潮があるため、人は社会で生き抜くためにもっと美しくならなくては……と思考してしまいます。“外見軽視系マンガ広告”はそういったルッキズムを煽ることで、購買意欲を掻き立てたり、このままでは自分はダメな人間なのではないか、という思いを植え付けてしまう手法だと思います」ルッキズムがはびこってしまう一因には、現代の社会教育の未成熟さもあると西舘氏は指摘する。「自分から美しくあろうとする思考、それ自体に罪はないと思うのです。問題なのは、周囲からこう見られたら嫌だから美しくなろうという思考、そしてそう思わせる社会の風潮なのではないでしょうか。多感な未成年の子たちに対して、暴力やいじめはいけないことだよと教えていくのと同じぐらい、社会はルッキズムに関して大きな声で伝えていかなければいけないと感じますね」Photo by iStock 将来的には根絶できるのだろか?ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
「弊社が提供するサービス『popIn Discovery』は、国内最大級のネイティブアドネットワークです。いわゆる記事型の広告配信手法で、本来であれば『今読んでいるコンテンツ』と近しい広告を配信させる技術です。広告も情報のコンテンツのひとつという考えのもとにWEBサイトをネットワーク化し、広告配信を実現させたものなのですが、本来の使い方からどんどんかけ離れていってしまっていることへの違和感も拭えず、広告審査基準を今年の5月25日に引き上げました。差別的な表現であったり、コンプレックスを過剰に煽ったりする内容の広告は配信を停止するようにしました。正直なところ、コンプレックス広告はシェア率も高いのでビジネス的には苦渋の選択ではありました。ただ、消費者にとって広告は“見させられているもの”であって、自ら望んで見ているものではないわけです。ただし、正しい情報接触ができれば、広告も情報コンテンツのひとつとしてできることがあるはずでした。しかしどんどん過剰になっていくことも含めて、見ていて不快に感じるという声も多く、またどこまでも過剰になっていくことがあってはならないと思いますし、まずは自社の倫理観向上のためにも決断しました」「ビジネス的に苦渋の決断」と語った西舘氏だが、こうした広告はやはり利益を大きくあげる側面もあるそうだ。「コンプレックス広告は『モテたい』『お金が欲しい』『自信のある体になりたい』など、社会に深く根付いたコンプレックスに訴えかけるものなので、過剰に煽る要素が高いんです。また、こうした広告は消費者の年齢層や性別、そこから類推される趣向を分析して配信する技術もありますし、本来社会をよくしていくための技術が、生活者を過剰に煽って購買行動に直結させるために使われるようになっています。それが収益性に直結していたこともあり、だからこそ広告主や広告代理店側はやめられず、また配信プラットフォーマーや配信先メディアもあくまで一部の方達の中では、周りがやっているんだからいいでしょ……という空気感が業界に蔓延しているのです。もちろん正しくモラルを守って運用していらっしゃる方も多いので、全てを一括して語れませんが、一部の要因として責任の所在のあいまいさ、いたちごっこになっているというのもこれらの問題の大きなポイントですね」“赤信号みんなで渡ればこわくない”。つまり、社会心理学でいうところの、普段は慎重な人も集団だと高リスクの判断をしてしまうリスキーシフトの状態ということか。Photo by iStock 根底にある「ルッキズム」という思想“外見軽視系マンガ広告”を見て、その商品を購入してしまう層が厚いことの背景には、ルッキズム思想が社会に深く根付いているからだと指摘する声も多い。「確かにそうだと思います。ルッキズムとは、簡単に言うと“外見に基づく差別”のことですが、美醜の意識を持つこと自体を指す言葉だと誤解されがちです。しかし美醜の意識自体は人それぞれの価値観ですので、他人が横からダメと言うべきではない要素でしょう。ではルッキズムの何が問題かというと、他人を判断するときに外見的美醜が偏重されて差別が起きてしまうことです。過剰に容姿を揶揄されて傷ついてしまう人や、過度なダイエットから摂食障害を引き起こすことなど、生きる上での権利さえないと思ってしまう人もいます。社会生活的な面で言うなら、世間的にきれいとされる人のほうが就職や出世で有利になる、などですね。いまはまだ、社会全体に『美しくあらねば生きているうえで不利益を被る』という風潮があるため、人は社会で生き抜くためにもっと美しくならなくては……と思考してしまいます。“外見軽視系マンガ広告”はそういったルッキズムを煽ることで、購買意欲を掻き立てたり、このままでは自分はダメな人間なのではないか、という思いを植え付けてしまう手法だと思います」ルッキズムがはびこってしまう一因には、現代の社会教育の未成熟さもあると西舘氏は指摘する。「自分から美しくあろうとする思考、それ自体に罪はないと思うのです。問題なのは、周囲からこう見られたら嫌だから美しくなろうという思考、そしてそう思わせる社会の風潮なのではないでしょうか。多感な未成年の子たちに対して、暴力やいじめはいけないことだよと教えていくのと同じぐらい、社会はルッキズムに関して大きな声で伝えていかなければいけないと感じますね」Photo by iStock 将来的には根絶できるのだろか?ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
広告も情報のコンテンツのひとつという考えのもとにWEBサイトをネットワーク化し、広告配信を実現させたものなのですが、本来の使い方からどんどんかけ離れていってしまっていることへの違和感も拭えず、広告審査基準を今年の5月25日に引き上げました。差別的な表現であったり、コンプレックスを過剰に煽ったりする内容の広告は配信を停止するようにしました。正直なところ、コンプレックス広告はシェア率も高いのでビジネス的には苦渋の選択ではありました。ただ、消費者にとって広告は“見させられているもの”であって、自ら望んで見ているものではないわけです。ただし、正しい情報接触ができれば、広告も情報コンテンツのひとつとしてできることがあるはずでした。しかしどんどん過剰になっていくことも含めて、見ていて不快に感じるという声も多く、またどこまでも過剰になっていくことがあってはならないと思いますし、まずは自社の倫理観向上のためにも決断しました」「ビジネス的に苦渋の決断」と語った西舘氏だが、こうした広告はやはり利益を大きくあげる側面もあるそうだ。「コンプレックス広告は『モテたい』『お金が欲しい』『自信のある体になりたい』など、社会に深く根付いたコンプレックスに訴えかけるものなので、過剰に煽る要素が高いんです。また、こうした広告は消費者の年齢層や性別、そこから類推される趣向を分析して配信する技術もありますし、本来社会をよくしていくための技術が、生活者を過剰に煽って購買行動に直結させるために使われるようになっています。それが収益性に直結していたこともあり、だからこそ広告主や広告代理店側はやめられず、また配信プラットフォーマーや配信先メディアもあくまで一部の方達の中では、周りがやっているんだからいいでしょ……という空気感が業界に蔓延しているのです。もちろん正しくモラルを守って運用していらっしゃる方も多いので、全てを一括して語れませんが、一部の要因として責任の所在のあいまいさ、いたちごっこになっているというのもこれらの問題の大きなポイントですね」“赤信号みんなで渡ればこわくない”。つまり、社会心理学でいうところの、普段は慎重な人も集団だと高リスクの判断をしてしまうリスキーシフトの状態ということか。Photo by iStock 根底にある「ルッキズム」という思想“外見軽視系マンガ広告”を見て、その商品を購入してしまう層が厚いことの背景には、ルッキズム思想が社会に深く根付いているからだと指摘する声も多い。「確かにそうだと思います。ルッキズムとは、簡単に言うと“外見に基づく差別”のことですが、美醜の意識を持つこと自体を指す言葉だと誤解されがちです。しかし美醜の意識自体は人それぞれの価値観ですので、他人が横からダメと言うべきではない要素でしょう。ではルッキズムの何が問題かというと、他人を判断するときに外見的美醜が偏重されて差別が起きてしまうことです。過剰に容姿を揶揄されて傷ついてしまう人や、過度なダイエットから摂食障害を引き起こすことなど、生きる上での権利さえないと思ってしまう人もいます。社会生活的な面で言うなら、世間的にきれいとされる人のほうが就職や出世で有利になる、などですね。いまはまだ、社会全体に『美しくあらねば生きているうえで不利益を被る』という風潮があるため、人は社会で生き抜くためにもっと美しくならなくては……と思考してしまいます。“外見軽視系マンガ広告”はそういったルッキズムを煽ることで、購買意欲を掻き立てたり、このままでは自分はダメな人間なのではないか、という思いを植え付けてしまう手法だと思います」ルッキズムがはびこってしまう一因には、現代の社会教育の未成熟さもあると西舘氏は指摘する。「自分から美しくあろうとする思考、それ自体に罪はないと思うのです。問題なのは、周囲からこう見られたら嫌だから美しくなろうという思考、そしてそう思わせる社会の風潮なのではないでしょうか。多感な未成年の子たちに対して、暴力やいじめはいけないことだよと教えていくのと同じぐらい、社会はルッキズムに関して大きな声で伝えていかなければいけないと感じますね」Photo by iStock 将来的には根絶できるのだろか?ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
正直なところ、コンプレックス広告はシェア率も高いのでビジネス的には苦渋の選択ではありました。ただ、消費者にとって広告は“見させられているもの”であって、自ら望んで見ているものではないわけです。ただし、正しい情報接触ができれば、広告も情報コンテンツのひとつとしてできることがあるはずでした。しかしどんどん過剰になっていくことも含めて、見ていて不快に感じるという声も多く、またどこまでも過剰になっていくことがあってはならないと思いますし、まずは自社の倫理観向上のためにも決断しました」「ビジネス的に苦渋の決断」と語った西舘氏だが、こうした広告はやはり利益を大きくあげる側面もあるそうだ。「コンプレックス広告は『モテたい』『お金が欲しい』『自信のある体になりたい』など、社会に深く根付いたコンプレックスに訴えかけるものなので、過剰に煽る要素が高いんです。また、こうした広告は消費者の年齢層や性別、そこから類推される趣向を分析して配信する技術もありますし、本来社会をよくしていくための技術が、生活者を過剰に煽って購買行動に直結させるために使われるようになっています。それが収益性に直結していたこともあり、だからこそ広告主や広告代理店側はやめられず、また配信プラットフォーマーや配信先メディアもあくまで一部の方達の中では、周りがやっているんだからいいでしょ……という空気感が業界に蔓延しているのです。もちろん正しくモラルを守って運用していらっしゃる方も多いので、全てを一括して語れませんが、一部の要因として責任の所在のあいまいさ、いたちごっこになっているというのもこれらの問題の大きなポイントですね」“赤信号みんなで渡ればこわくない”。つまり、社会心理学でいうところの、普段は慎重な人も集団だと高リスクの判断をしてしまうリスキーシフトの状態ということか。Photo by iStock 根底にある「ルッキズム」という思想“外見軽視系マンガ広告”を見て、その商品を購入してしまう層が厚いことの背景には、ルッキズム思想が社会に深く根付いているからだと指摘する声も多い。「確かにそうだと思います。ルッキズムとは、簡単に言うと“外見に基づく差別”のことですが、美醜の意識を持つこと自体を指す言葉だと誤解されがちです。しかし美醜の意識自体は人それぞれの価値観ですので、他人が横からダメと言うべきではない要素でしょう。ではルッキズムの何が問題かというと、他人を判断するときに外見的美醜が偏重されて差別が起きてしまうことです。過剰に容姿を揶揄されて傷ついてしまう人や、過度なダイエットから摂食障害を引き起こすことなど、生きる上での権利さえないと思ってしまう人もいます。社会生活的な面で言うなら、世間的にきれいとされる人のほうが就職や出世で有利になる、などですね。いまはまだ、社会全体に『美しくあらねば生きているうえで不利益を被る』という風潮があるため、人は社会で生き抜くためにもっと美しくならなくては……と思考してしまいます。“外見軽視系マンガ広告”はそういったルッキズムを煽ることで、購買意欲を掻き立てたり、このままでは自分はダメな人間なのではないか、という思いを植え付けてしまう手法だと思います」ルッキズムがはびこってしまう一因には、現代の社会教育の未成熟さもあると西舘氏は指摘する。「自分から美しくあろうとする思考、それ自体に罪はないと思うのです。問題なのは、周囲からこう見られたら嫌だから美しくなろうという思考、そしてそう思わせる社会の風潮なのではないでしょうか。多感な未成年の子たちに対して、暴力やいじめはいけないことだよと教えていくのと同じぐらい、社会はルッキズムに関して大きな声で伝えていかなければいけないと感じますね」Photo by iStock 将来的には根絶できるのだろか?ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
しかしどんどん過剰になっていくことも含めて、見ていて不快に感じるという声も多く、またどこまでも過剰になっていくことがあってはならないと思いますし、まずは自社の倫理観向上のためにも決断しました」「ビジネス的に苦渋の決断」と語った西舘氏だが、こうした広告はやはり利益を大きくあげる側面もあるそうだ。「コンプレックス広告は『モテたい』『お金が欲しい』『自信のある体になりたい』など、社会に深く根付いたコンプレックスに訴えかけるものなので、過剰に煽る要素が高いんです。また、こうした広告は消費者の年齢層や性別、そこから類推される趣向を分析して配信する技術もありますし、本来社会をよくしていくための技術が、生活者を過剰に煽って購買行動に直結させるために使われるようになっています。それが収益性に直結していたこともあり、だからこそ広告主や広告代理店側はやめられず、また配信プラットフォーマーや配信先メディアもあくまで一部の方達の中では、周りがやっているんだからいいでしょ……という空気感が業界に蔓延しているのです。もちろん正しくモラルを守って運用していらっしゃる方も多いので、全てを一括して語れませんが、一部の要因として責任の所在のあいまいさ、いたちごっこになっているというのもこれらの問題の大きなポイントですね」“赤信号みんなで渡ればこわくない”。つまり、社会心理学でいうところの、普段は慎重な人も集団だと高リスクの判断をしてしまうリスキーシフトの状態ということか。Photo by iStock 根底にある「ルッキズム」という思想“外見軽視系マンガ広告”を見て、その商品を購入してしまう層が厚いことの背景には、ルッキズム思想が社会に深く根付いているからだと指摘する声も多い。「確かにそうだと思います。ルッキズムとは、簡単に言うと“外見に基づく差別”のことですが、美醜の意識を持つこと自体を指す言葉だと誤解されがちです。しかし美醜の意識自体は人それぞれの価値観ですので、他人が横からダメと言うべきではない要素でしょう。ではルッキズムの何が問題かというと、他人を判断するときに外見的美醜が偏重されて差別が起きてしまうことです。過剰に容姿を揶揄されて傷ついてしまう人や、過度なダイエットから摂食障害を引き起こすことなど、生きる上での権利さえないと思ってしまう人もいます。社会生活的な面で言うなら、世間的にきれいとされる人のほうが就職や出世で有利になる、などですね。いまはまだ、社会全体に『美しくあらねば生きているうえで不利益を被る』という風潮があるため、人は社会で生き抜くためにもっと美しくならなくては……と思考してしまいます。“外見軽視系マンガ広告”はそういったルッキズムを煽ることで、購買意欲を掻き立てたり、このままでは自分はダメな人間なのではないか、という思いを植え付けてしまう手法だと思います」ルッキズムがはびこってしまう一因には、現代の社会教育の未成熟さもあると西舘氏は指摘する。「自分から美しくあろうとする思考、それ自体に罪はないと思うのです。問題なのは、周囲からこう見られたら嫌だから美しくなろうという思考、そしてそう思わせる社会の風潮なのではないでしょうか。多感な未成年の子たちに対して、暴力やいじめはいけないことだよと教えていくのと同じぐらい、社会はルッキズムに関して大きな声で伝えていかなければいけないと感じますね」Photo by iStock 将来的には根絶できるのだろか?ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
「ビジネス的に苦渋の決断」と語った西舘氏だが、こうした広告はやはり利益を大きくあげる側面もあるそうだ。「コンプレックス広告は『モテたい』『お金が欲しい』『自信のある体になりたい』など、社会に深く根付いたコンプレックスに訴えかけるものなので、過剰に煽る要素が高いんです。また、こうした広告は消費者の年齢層や性別、そこから類推される趣向を分析して配信する技術もありますし、本来社会をよくしていくための技術が、生活者を過剰に煽って購買行動に直結させるために使われるようになっています。それが収益性に直結していたこともあり、だからこそ広告主や広告代理店側はやめられず、また配信プラットフォーマーや配信先メディアもあくまで一部の方達の中では、周りがやっているんだからいいでしょ……という空気感が業界に蔓延しているのです。もちろん正しくモラルを守って運用していらっしゃる方も多いので、全てを一括して語れませんが、一部の要因として責任の所在のあいまいさ、いたちごっこになっているというのもこれらの問題の大きなポイントですね」“赤信号みんなで渡ればこわくない”。つまり、社会心理学でいうところの、普段は慎重な人も集団だと高リスクの判断をしてしまうリスキーシフトの状態ということか。Photo by iStock 根底にある「ルッキズム」という思想“外見軽視系マンガ広告”を見て、その商品を購入してしまう層が厚いことの背景には、ルッキズム思想が社会に深く根付いているからだと指摘する声も多い。「確かにそうだと思います。ルッキズムとは、簡単に言うと“外見に基づく差別”のことですが、美醜の意識を持つこと自体を指す言葉だと誤解されがちです。しかし美醜の意識自体は人それぞれの価値観ですので、他人が横からダメと言うべきではない要素でしょう。ではルッキズムの何が問題かというと、他人を判断するときに外見的美醜が偏重されて差別が起きてしまうことです。過剰に容姿を揶揄されて傷ついてしまう人や、過度なダイエットから摂食障害を引き起こすことなど、生きる上での権利さえないと思ってしまう人もいます。社会生活的な面で言うなら、世間的にきれいとされる人のほうが就職や出世で有利になる、などですね。いまはまだ、社会全体に『美しくあらねば生きているうえで不利益を被る』という風潮があるため、人は社会で生き抜くためにもっと美しくならなくては……と思考してしまいます。“外見軽視系マンガ広告”はそういったルッキズムを煽ることで、購買意欲を掻き立てたり、このままでは自分はダメな人間なのではないか、という思いを植え付けてしまう手法だと思います」ルッキズムがはびこってしまう一因には、現代の社会教育の未成熟さもあると西舘氏は指摘する。「自分から美しくあろうとする思考、それ自体に罪はないと思うのです。問題なのは、周囲からこう見られたら嫌だから美しくなろうという思考、そしてそう思わせる社会の風潮なのではないでしょうか。多感な未成年の子たちに対して、暴力やいじめはいけないことだよと教えていくのと同じぐらい、社会はルッキズムに関して大きな声で伝えていかなければいけないと感じますね」Photo by iStock 将来的には根絶できるのだろか?ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
「コンプレックス広告は『モテたい』『お金が欲しい』『自信のある体になりたい』など、社会に深く根付いたコンプレックスに訴えかけるものなので、過剰に煽る要素が高いんです。また、こうした広告は消費者の年齢層や性別、そこから類推される趣向を分析して配信する技術もありますし、本来社会をよくしていくための技術が、生活者を過剰に煽って購買行動に直結させるために使われるようになっています。それが収益性に直結していたこともあり、だからこそ広告主や広告代理店側はやめられず、また配信プラットフォーマーや配信先メディアもあくまで一部の方達の中では、周りがやっているんだからいいでしょ……という空気感が業界に蔓延しているのです。もちろん正しくモラルを守って運用していらっしゃる方も多いので、全てを一括して語れませんが、一部の要因として責任の所在のあいまいさ、いたちごっこになっているというのもこれらの問題の大きなポイントですね」“赤信号みんなで渡ればこわくない”。つまり、社会心理学でいうところの、普段は慎重な人も集団だと高リスクの判断をしてしまうリスキーシフトの状態ということか。Photo by iStock 根底にある「ルッキズム」という思想“外見軽視系マンガ広告”を見て、その商品を購入してしまう層が厚いことの背景には、ルッキズム思想が社会に深く根付いているからだと指摘する声も多い。「確かにそうだと思います。ルッキズムとは、簡単に言うと“外見に基づく差別”のことですが、美醜の意識を持つこと自体を指す言葉だと誤解されがちです。しかし美醜の意識自体は人それぞれの価値観ですので、他人が横からダメと言うべきではない要素でしょう。ではルッキズムの何が問題かというと、他人を判断するときに外見的美醜が偏重されて差別が起きてしまうことです。過剰に容姿を揶揄されて傷ついてしまう人や、過度なダイエットから摂食障害を引き起こすことなど、生きる上での権利さえないと思ってしまう人もいます。社会生活的な面で言うなら、世間的にきれいとされる人のほうが就職や出世で有利になる、などですね。いまはまだ、社会全体に『美しくあらねば生きているうえで不利益を被る』という風潮があるため、人は社会で生き抜くためにもっと美しくならなくては……と思考してしまいます。“外見軽視系マンガ広告”はそういったルッキズムを煽ることで、購買意欲を掻き立てたり、このままでは自分はダメな人間なのではないか、という思いを植え付けてしまう手法だと思います」ルッキズムがはびこってしまう一因には、現代の社会教育の未成熟さもあると西舘氏は指摘する。「自分から美しくあろうとする思考、それ自体に罪はないと思うのです。問題なのは、周囲からこう見られたら嫌だから美しくなろうという思考、そしてそう思わせる社会の風潮なのではないでしょうか。多感な未成年の子たちに対して、暴力やいじめはいけないことだよと教えていくのと同じぐらい、社会はルッキズムに関して大きな声で伝えていかなければいけないと感じますね」Photo by iStock 将来的には根絶できるのだろか?ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
それが収益性に直結していたこともあり、だからこそ広告主や広告代理店側はやめられず、また配信プラットフォーマーや配信先メディアもあくまで一部の方達の中では、周りがやっているんだからいいでしょ……という空気感が業界に蔓延しているのです。もちろん正しくモラルを守って運用していらっしゃる方も多いので、全てを一括して語れませんが、一部の要因として責任の所在のあいまいさ、いたちごっこになっているというのもこれらの問題の大きなポイントですね」“赤信号みんなで渡ればこわくない”。つまり、社会心理学でいうところの、普段は慎重な人も集団だと高リスクの判断をしてしまうリスキーシフトの状態ということか。Photo by iStock 根底にある「ルッキズム」という思想“外見軽視系マンガ広告”を見て、その商品を購入してしまう層が厚いことの背景には、ルッキズム思想が社会に深く根付いているからだと指摘する声も多い。「確かにそうだと思います。ルッキズムとは、簡単に言うと“外見に基づく差別”のことですが、美醜の意識を持つこと自体を指す言葉だと誤解されがちです。しかし美醜の意識自体は人それぞれの価値観ですので、他人が横からダメと言うべきではない要素でしょう。ではルッキズムの何が問題かというと、他人を判断するときに外見的美醜が偏重されて差別が起きてしまうことです。過剰に容姿を揶揄されて傷ついてしまう人や、過度なダイエットから摂食障害を引き起こすことなど、生きる上での権利さえないと思ってしまう人もいます。社会生活的な面で言うなら、世間的にきれいとされる人のほうが就職や出世で有利になる、などですね。いまはまだ、社会全体に『美しくあらねば生きているうえで不利益を被る』という風潮があるため、人は社会で生き抜くためにもっと美しくならなくては……と思考してしまいます。“外見軽視系マンガ広告”はそういったルッキズムを煽ることで、購買意欲を掻き立てたり、このままでは自分はダメな人間なのではないか、という思いを植え付けてしまう手法だと思います」ルッキズムがはびこってしまう一因には、現代の社会教育の未成熟さもあると西舘氏は指摘する。「自分から美しくあろうとする思考、それ自体に罪はないと思うのです。問題なのは、周囲からこう見られたら嫌だから美しくなろうという思考、そしてそう思わせる社会の風潮なのではないでしょうか。多感な未成年の子たちに対して、暴力やいじめはいけないことだよと教えていくのと同じぐらい、社会はルッキズムに関して大きな声で伝えていかなければいけないと感じますね」Photo by iStock 将来的には根絶できるのだろか?ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
もちろん正しくモラルを守って運用していらっしゃる方も多いので、全てを一括して語れませんが、一部の要因として責任の所在のあいまいさ、いたちごっこになっているというのもこれらの問題の大きなポイントですね」“赤信号みんなで渡ればこわくない”。つまり、社会心理学でいうところの、普段は慎重な人も集団だと高リスクの判断をしてしまうリスキーシフトの状態ということか。Photo by iStock 根底にある「ルッキズム」という思想“外見軽視系マンガ広告”を見て、その商品を購入してしまう層が厚いことの背景には、ルッキズム思想が社会に深く根付いているからだと指摘する声も多い。「確かにそうだと思います。ルッキズムとは、簡単に言うと“外見に基づく差別”のことですが、美醜の意識を持つこと自体を指す言葉だと誤解されがちです。しかし美醜の意識自体は人それぞれの価値観ですので、他人が横からダメと言うべきではない要素でしょう。ではルッキズムの何が問題かというと、他人を判断するときに外見的美醜が偏重されて差別が起きてしまうことです。過剰に容姿を揶揄されて傷ついてしまう人や、過度なダイエットから摂食障害を引き起こすことなど、生きる上での権利さえないと思ってしまう人もいます。社会生活的な面で言うなら、世間的にきれいとされる人のほうが就職や出世で有利になる、などですね。いまはまだ、社会全体に『美しくあらねば生きているうえで不利益を被る』という風潮があるため、人は社会で生き抜くためにもっと美しくならなくては……と思考してしまいます。“外見軽視系マンガ広告”はそういったルッキズムを煽ることで、購買意欲を掻き立てたり、このままでは自分はダメな人間なのではないか、という思いを植え付けてしまう手法だと思います」ルッキズムがはびこってしまう一因には、現代の社会教育の未成熟さもあると西舘氏は指摘する。「自分から美しくあろうとする思考、それ自体に罪はないと思うのです。問題なのは、周囲からこう見られたら嫌だから美しくなろうという思考、そしてそう思わせる社会の風潮なのではないでしょうか。多感な未成年の子たちに対して、暴力やいじめはいけないことだよと教えていくのと同じぐらい、社会はルッキズムに関して大きな声で伝えていかなければいけないと感じますね」Photo by iStock 将来的には根絶できるのだろか?ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
“赤信号みんなで渡ればこわくない”。つまり、社会心理学でいうところの、普段は慎重な人も集団だと高リスクの判断をしてしまうリスキーシフトの状態ということか。Photo by iStock 根底にある「ルッキズム」という思想“外見軽視系マンガ広告”を見て、その商品を購入してしまう層が厚いことの背景には、ルッキズム思想が社会に深く根付いているからだと指摘する声も多い。「確かにそうだと思います。ルッキズムとは、簡単に言うと“外見に基づく差別”のことですが、美醜の意識を持つこと自体を指す言葉だと誤解されがちです。しかし美醜の意識自体は人それぞれの価値観ですので、他人が横からダメと言うべきではない要素でしょう。ではルッキズムの何が問題かというと、他人を判断するときに外見的美醜が偏重されて差別が起きてしまうことです。過剰に容姿を揶揄されて傷ついてしまう人や、過度なダイエットから摂食障害を引き起こすことなど、生きる上での権利さえないと思ってしまう人もいます。社会生活的な面で言うなら、世間的にきれいとされる人のほうが就職や出世で有利になる、などですね。いまはまだ、社会全体に『美しくあらねば生きているうえで不利益を被る』という風潮があるため、人は社会で生き抜くためにもっと美しくならなくては……と思考してしまいます。“外見軽視系マンガ広告”はそういったルッキズムを煽ることで、購買意欲を掻き立てたり、このままでは自分はダメな人間なのではないか、という思いを植え付けてしまう手法だと思います」ルッキズムがはびこってしまう一因には、現代の社会教育の未成熟さもあると西舘氏は指摘する。「自分から美しくあろうとする思考、それ自体に罪はないと思うのです。問題なのは、周囲からこう見られたら嫌だから美しくなろうという思考、そしてそう思わせる社会の風潮なのではないでしょうか。多感な未成年の子たちに対して、暴力やいじめはいけないことだよと教えていくのと同じぐらい、社会はルッキズムに関して大きな声で伝えていかなければいけないと感じますね」Photo by iStock 将来的には根絶できるのだろか?ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
Photo by iStock 根底にある「ルッキズム」という思想“外見軽視系マンガ広告”を見て、その商品を購入してしまう層が厚いことの背景には、ルッキズム思想が社会に深く根付いているからだと指摘する声も多い。「確かにそうだと思います。ルッキズムとは、簡単に言うと“外見に基づく差別”のことですが、美醜の意識を持つこと自体を指す言葉だと誤解されがちです。しかし美醜の意識自体は人それぞれの価値観ですので、他人が横からダメと言うべきではない要素でしょう。ではルッキズムの何が問題かというと、他人を判断するときに外見的美醜が偏重されて差別が起きてしまうことです。過剰に容姿を揶揄されて傷ついてしまう人や、過度なダイエットから摂食障害を引き起こすことなど、生きる上での権利さえないと思ってしまう人もいます。社会生活的な面で言うなら、世間的にきれいとされる人のほうが就職や出世で有利になる、などですね。いまはまだ、社会全体に『美しくあらねば生きているうえで不利益を被る』という風潮があるため、人は社会で生き抜くためにもっと美しくならなくては……と思考してしまいます。“外見軽視系マンガ広告”はそういったルッキズムを煽ることで、購買意欲を掻き立てたり、このままでは自分はダメな人間なのではないか、という思いを植え付けてしまう手法だと思います」ルッキズムがはびこってしまう一因には、現代の社会教育の未成熟さもあると西舘氏は指摘する。「自分から美しくあろうとする思考、それ自体に罪はないと思うのです。問題なのは、周囲からこう見られたら嫌だから美しくなろうという思考、そしてそう思わせる社会の風潮なのではないでしょうか。多感な未成年の子たちに対して、暴力やいじめはいけないことだよと教えていくのと同じぐらい、社会はルッキズムに関して大きな声で伝えていかなければいけないと感じますね」Photo by iStock 将来的には根絶できるのだろか?ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
根底にある「ルッキズム」という思想“外見軽視系マンガ広告”を見て、その商品を購入してしまう層が厚いことの背景には、ルッキズム思想が社会に深く根付いているからだと指摘する声も多い。「確かにそうだと思います。ルッキズムとは、簡単に言うと“外見に基づく差別”のことですが、美醜の意識を持つこと自体を指す言葉だと誤解されがちです。しかし美醜の意識自体は人それぞれの価値観ですので、他人が横からダメと言うべきではない要素でしょう。ではルッキズムの何が問題かというと、他人を判断するときに外見的美醜が偏重されて差別が起きてしまうことです。過剰に容姿を揶揄されて傷ついてしまう人や、過度なダイエットから摂食障害を引き起こすことなど、生きる上での権利さえないと思ってしまう人もいます。社会生活的な面で言うなら、世間的にきれいとされる人のほうが就職や出世で有利になる、などですね。いまはまだ、社会全体に『美しくあらねば生きているうえで不利益を被る』という風潮があるため、人は社会で生き抜くためにもっと美しくならなくては……と思考してしまいます。“外見軽視系マンガ広告”はそういったルッキズムを煽ることで、購買意欲を掻き立てたり、このままでは自分はダメな人間なのではないか、という思いを植え付けてしまう手法だと思います」ルッキズムがはびこってしまう一因には、現代の社会教育の未成熟さもあると西舘氏は指摘する。「自分から美しくあろうとする思考、それ自体に罪はないと思うのです。問題なのは、周囲からこう見られたら嫌だから美しくなろうという思考、そしてそう思わせる社会の風潮なのではないでしょうか。多感な未成年の子たちに対して、暴力やいじめはいけないことだよと教えていくのと同じぐらい、社会はルッキズムに関して大きな声で伝えていかなければいけないと感じますね」Photo by iStock 将来的には根絶できるのだろか?ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
“外見軽視系マンガ広告”を見て、その商品を購入してしまう層が厚いことの背景には、ルッキズム思想が社会に深く根付いているからだと指摘する声も多い。「確かにそうだと思います。ルッキズムとは、簡単に言うと“外見に基づく差別”のことですが、美醜の意識を持つこと自体を指す言葉だと誤解されがちです。しかし美醜の意識自体は人それぞれの価値観ですので、他人が横からダメと言うべきではない要素でしょう。ではルッキズムの何が問題かというと、他人を判断するときに外見的美醜が偏重されて差別が起きてしまうことです。過剰に容姿を揶揄されて傷ついてしまう人や、過度なダイエットから摂食障害を引き起こすことなど、生きる上での権利さえないと思ってしまう人もいます。社会生活的な面で言うなら、世間的にきれいとされる人のほうが就職や出世で有利になる、などですね。いまはまだ、社会全体に『美しくあらねば生きているうえで不利益を被る』という風潮があるため、人は社会で生き抜くためにもっと美しくならなくては……と思考してしまいます。“外見軽視系マンガ広告”はそういったルッキズムを煽ることで、購買意欲を掻き立てたり、このままでは自分はダメな人間なのではないか、という思いを植え付けてしまう手法だと思います」ルッキズムがはびこってしまう一因には、現代の社会教育の未成熟さもあると西舘氏は指摘する。「自分から美しくあろうとする思考、それ自体に罪はないと思うのです。問題なのは、周囲からこう見られたら嫌だから美しくなろうという思考、そしてそう思わせる社会の風潮なのではないでしょうか。多感な未成年の子たちに対して、暴力やいじめはいけないことだよと教えていくのと同じぐらい、社会はルッキズムに関して大きな声で伝えていかなければいけないと感じますね」Photo by iStock 将来的には根絶できるのだろか?ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
「確かにそうだと思います。ルッキズムとは、簡単に言うと“外見に基づく差別”のことですが、美醜の意識を持つこと自体を指す言葉だと誤解されがちです。しかし美醜の意識自体は人それぞれの価値観ですので、他人が横からダメと言うべきではない要素でしょう。ではルッキズムの何が問題かというと、他人を判断するときに外見的美醜が偏重されて差別が起きてしまうことです。過剰に容姿を揶揄されて傷ついてしまう人や、過度なダイエットから摂食障害を引き起こすことなど、生きる上での権利さえないと思ってしまう人もいます。社会生活的な面で言うなら、世間的にきれいとされる人のほうが就職や出世で有利になる、などですね。いまはまだ、社会全体に『美しくあらねば生きているうえで不利益を被る』という風潮があるため、人は社会で生き抜くためにもっと美しくならなくては……と思考してしまいます。“外見軽視系マンガ広告”はそういったルッキズムを煽ることで、購買意欲を掻き立てたり、このままでは自分はダメな人間なのではないか、という思いを植え付けてしまう手法だと思います」ルッキズムがはびこってしまう一因には、現代の社会教育の未成熟さもあると西舘氏は指摘する。「自分から美しくあろうとする思考、それ自体に罪はないと思うのです。問題なのは、周囲からこう見られたら嫌だから美しくなろうという思考、そしてそう思わせる社会の風潮なのではないでしょうか。多感な未成年の子たちに対して、暴力やいじめはいけないことだよと教えていくのと同じぐらい、社会はルッキズムに関して大きな声で伝えていかなければいけないと感じますね」Photo by iStock 将来的には根絶できるのだろか?ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
ではルッキズムの何が問題かというと、他人を判断するときに外見的美醜が偏重されて差別が起きてしまうことです。過剰に容姿を揶揄されて傷ついてしまう人や、過度なダイエットから摂食障害を引き起こすことなど、生きる上での権利さえないと思ってしまう人もいます。社会生活的な面で言うなら、世間的にきれいとされる人のほうが就職や出世で有利になる、などですね。いまはまだ、社会全体に『美しくあらねば生きているうえで不利益を被る』という風潮があるため、人は社会で生き抜くためにもっと美しくならなくては……と思考してしまいます。“外見軽視系マンガ広告”はそういったルッキズムを煽ることで、購買意欲を掻き立てたり、このままでは自分はダメな人間なのではないか、という思いを植え付けてしまう手法だと思います」ルッキズムがはびこってしまう一因には、現代の社会教育の未成熟さもあると西舘氏は指摘する。「自分から美しくあろうとする思考、それ自体に罪はないと思うのです。問題なのは、周囲からこう見られたら嫌だから美しくなろうという思考、そしてそう思わせる社会の風潮なのではないでしょうか。多感な未成年の子たちに対して、暴力やいじめはいけないことだよと教えていくのと同じぐらい、社会はルッキズムに関して大きな声で伝えていかなければいけないと感じますね」Photo by iStock 将来的には根絶できるのだろか?ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
社会生活的な面で言うなら、世間的にきれいとされる人のほうが就職や出世で有利になる、などですね。いまはまだ、社会全体に『美しくあらねば生きているうえで不利益を被る』という風潮があるため、人は社会で生き抜くためにもっと美しくならなくては……と思考してしまいます。“外見軽視系マンガ広告”はそういったルッキズムを煽ることで、購買意欲を掻き立てたり、このままでは自分はダメな人間なのではないか、という思いを植え付けてしまう手法だと思います」ルッキズムがはびこってしまう一因には、現代の社会教育の未成熟さもあると西舘氏は指摘する。「自分から美しくあろうとする思考、それ自体に罪はないと思うのです。問題なのは、周囲からこう見られたら嫌だから美しくなろうという思考、そしてそう思わせる社会の風潮なのではないでしょうか。多感な未成年の子たちに対して、暴力やいじめはいけないことだよと教えていくのと同じぐらい、社会はルッキズムに関して大きな声で伝えていかなければいけないと感じますね」Photo by iStock 将来的には根絶できるのだろか?ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
“外見軽視系マンガ広告”はそういったルッキズムを煽ることで、購買意欲を掻き立てたり、このままでは自分はダメな人間なのではないか、という思いを植え付けてしまう手法だと思います」ルッキズムがはびこってしまう一因には、現代の社会教育の未成熟さもあると西舘氏は指摘する。「自分から美しくあろうとする思考、それ自体に罪はないと思うのです。問題なのは、周囲からこう見られたら嫌だから美しくなろうという思考、そしてそう思わせる社会の風潮なのではないでしょうか。多感な未成年の子たちに対して、暴力やいじめはいけないことだよと教えていくのと同じぐらい、社会はルッキズムに関して大きな声で伝えていかなければいけないと感じますね」Photo by iStock 将来的には根絶できるのだろか?ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
ルッキズムがはびこってしまう一因には、現代の社会教育の未成熟さもあると西舘氏は指摘する。「自分から美しくあろうとする思考、それ自体に罪はないと思うのです。問題なのは、周囲からこう見られたら嫌だから美しくなろうという思考、そしてそう思わせる社会の風潮なのではないでしょうか。多感な未成年の子たちに対して、暴力やいじめはいけないことだよと教えていくのと同じぐらい、社会はルッキズムに関して大きな声で伝えていかなければいけないと感じますね」Photo by iStock 将来的には根絶できるのだろか?ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
「自分から美しくあろうとする思考、それ自体に罪はないと思うのです。問題なのは、周囲からこう見られたら嫌だから美しくなろうという思考、そしてそう思わせる社会の風潮なのではないでしょうか。多感な未成年の子たちに対して、暴力やいじめはいけないことだよと教えていくのと同じぐらい、社会はルッキズムに関して大きな声で伝えていかなければいけないと感じますね」Photo by iStock 将来的には根絶できるのだろか?ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
Photo by iStock 将来的には根絶できるのだろか?ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
将来的には根絶できるのだろか?ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
ではルッキズムへの問題意識について、日本と海外の広告業界で違いはあるのだろうか。「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
「海外の広告はこうした問題意識に対して自覚的になるのが早かったと思いますし、人権感覚の違いも大きいと考えています。また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
また、アメリカでは社会的な美の基準に翻弄されず、自分を愛する『ボディ・ポジティブ』という理念の発信が早かったのも大きいでしょう。もともとの起源は1960年代頃の肥満体型や障害を持った方の権利問題からでしたが、一般的に広まっている『ありのままの自分の身体や精神を愛す、自己肯定感を保つためのもの』という考えは2012年頃から、と考えています。この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
この理念にファッションブランド『H&M』やファッション誌『VOGUE』が賛同し、いち早く広告に取り入れたという背景があります。一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
一方の日本も、大手企業は数年前から急速に、美しくあらねばダメといった価値観を煽る広告から脱却していこうとしている印象があります。これはSNSの普及もあり、海外の広告メッセージを受け取り、日本の広告メッセージとの違いが可視化しやすくなっているという要素も大きいでしょう。ただ、比較的に国内ではまだそういった動きは鈍く、日本は人権感覚に対して未成熟なのかもしれません」 最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
最後に、西舘氏は「時代の風潮としては“露悪的なもの”より、“コンプライアンス意識の高いもの”が若者には好まれるようになってきた印象がある」と語ってくれた。「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
「マーケティングを専門とする企業が、全国の中学生、高校生、大学生に実施したアンケートでは、“SNSの広告を見て不愉快に感じたことがある”と答えた人が、91%にも及んだそうです。幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
幼少期からスマホなどのツールに触れ、倫理的な事柄に対して比較する嗅覚を持って育ったいわゆるZ世代が、今後“外見軽視系マンガ広告”に対して明確に『NO』と表明するようになれば、次第になくなっていくのかもしれませんし、若い世代の言葉を待つ前に、大人達が変えていけるような自覚を持つということも大事だと思います」価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
価値観は時代とともに移り変わっていくもの、そして広告はそんな時代を映す鏡とも言えるものだろう。“外見軽視系マンガ広告”がこの先も氾濫し続けるのか、衰退していくのか、注視していきたい。(文=TND幽介/A4studio)
(文=TND幽介/A4studio)