河野太郎大臣「Twitterブロック騒動」専門家の意見は? 日米で違いも

自民党総裁選への出馬を10日にも表明すると見られる河野太郎行政改革・ワクチン担当大臣が、またもやTwitterの“ブロック”をめぐり物議を醸している。9月7日にはハッシュタグ「#河野さんにブロックされています」がTwitterのトレンドに入り、特定のアカウントに自らの投稿を表示させないようにするブロック行為に関して賛否両論の意見が多数寄せられた。
政治家の中でもトップクラスとなる230万人以上のTwitterフォロワー数を誇る河野大臣だが、これまでも自身に批判的なユーザーに対してブロック機能を頻繁に行使。ネット上では“ブロック太郎”と揶揄されてきた。ブロックされたアカウントからは河野大臣のツイートを見ることができず、批評のために引用リツイートすることもリプライで議論を交わすこともできなくなる。
実はアメリカでは、このような政治家によるブロック行為がたびたび訴訟沙汰になっている。2018年、当時の米大統領ドナルド・トランプ氏がTwitterでブロック機能を行使していたことに対して、ニューヨークの連邦地裁が「政治信条を理由にブロックすることは言論の自由の侵害にあたり違憲」だと判断。翌2019年には連邦高裁がトランプ氏側の控訴を棄却した。他にも、民主党左派のアレクサンドリア・オカシオ=コルテス下院議員が元ニューヨーク州議にブロック行為で提訴されたという事例もある。
最終的にトランプ氏のブロック問題は、今年4月に米連邦最高裁判所が下級審の判断を退ける結果となった。だがその背景には1月の政権交代および大統領退任2週間前にトランプ氏のTwitterアカウントが永久停止されていたことで、「争訟性を喪失している」、つまりもはや争う話ではなくなったという事情もあった。 こうしたアメリカの状況と比較すると、日本では訴訟問題が起きるどころか、たとえば河野大臣からブロックされたことで“箔が付く”と解釈するTwitter利用者もいる。一部のユーザーは「自分もブロックされたい」とさえ呟く。 日本とアメリカで、政治家によるブロック行為に関する議論がこうも異なっているのは何故なのか。公共政策と情報社会論が専門の西田亮介・東京工業大学准教授は「大きく2つの違いがある」と指摘する。「一つ目はメディアとしてのSNSの位置づけの違いです。新聞が読まれなくなっていたり、若い人ほどテレビの接触率が低下していたりしますが、やはり世界的にみれば日本はいまだにマスメディアの影響力がとても強い。見方を変えれば、(日本の)ネットメディアの社会的な地位が相対的に低いんですね。なのでSNSよりもマスメディアの情報の公式性、権威性が強くなってくる。 それに対してアメリカを含む諸外国では、権威主義国家などいくつか例外はあるものの、多くの人々が共通に見るメディアとしてはマスメディアがほとんど機能しておらず、むしろSNSが属性ごとに人々の共通項として機能しています。そのため海外ではSNSに情報が出ることの権威が強くなっている。 二つ目は表現の自由の位置づけの違いです。アメリカにおける表現の自由の位置づけはとても強力です。下級審でTwitterのブロックをめぐって違憲とする判断が出たことが象徴的で、アメリカでは合衆国憲法の修正第1条に表現の自由、報道の自由が書かれます。公人が前述のように権威ある媒体としてのSNSでブロック機能を使うことで、市民にとって言論の自由や政治の透明性、政治家が説明責任を果たすこと等々を毀損されている権利侵害だと広く捉えられたのではないでしょうか。 一方で日本における表現の自由は、日本国憲法第21条に書かれてはいますが、日常生活のなかで権利としてあまり意識されることがない印象です。そうであるからこそ、『公人も民間人もTwitterをどう使おうが個人の自由』という見方も相当程度支持されている。加えてSNSはメディアとしての公式性が弱いので、そこでどんな発言をしようが、ブロックをしようが、他に記者会見やマスメディアなど、より公式なチャンネルや場があるから別に構わないという感覚が日本では強いのではないでしょうか」(西田准教授)政治家のブロック行為は何が問題か ハッシュタグ「#河野さんにブロックされています」のトレンド入りを受けて、9月7日の記者会見で河野大臣は自らの考えをあらためて説明。「SNS上で誹謗中傷されて悩んでいる方は非常に多くいらっしゃる」「(ブロック機能を使うことは)問題ない」と述べた。9月8日の記者会見では加藤勝信官房長官も「個人の活動において個人として判断をされている。これに尽きる」とブロック騒動に言及し、問題視しない意向を示した。 Twitterにブロック機能が実装されている以上、誰もがその機能を活用することはできる。SNS上で悪質な誹謗中傷が飛び交っていることも事実だ。とはいえ広く市民の声に耳を傾けるべき立場にある政治家が、批判的意見を遮断するような行為に出ること自体、問題ではないかとの見方もある。その点について、西田准教授は「法的責任」と「道義的責任」に分けて考える必要があると語る。「法的責任の有無という観点から言うと、おそらく日本では政治家によるTwitterでのブロックが現行法に直接抵触するとは考えにくいのではないでしょうか。ただ、アメリカの訴訟の傾向や学説、判例が、将来日本に影響を及ぼすことはあり得ます。まず学界などで参照されて、その上で国内法にどう関係するか、参考にしたり実際に立法に落とし込んだりする可能性は否定できません。また日本でもマスメディアの退潮が著しいですが、SNSの権威性が高まれば位置づけも変化するかもしれません。 次に道義的責任の有無ですが、これは立場によって見方が分かれます。一方の立場からすると、政治家は徹底的に説明をするべきで、言葉を尽くして国民と対峙するべきだ、そうであるからこそ寛容に、ブロックなど使わず大物然としてドンと構えているべきだ、ということになるでしょう。それは確かにその通りなのですが、他方では河野大臣が言うように、政治家に限らずSNSで政治に関する発言をすると大量の罵詈雑言や誹謗中傷が寄せられるという現実もあるでしょう。女性議員に対する罵詈雑言や誹謗中傷などが問題になったこともありました。それらを防ぐためにブロックが所与の機能として実装されている以上、なぜ政治家だけ使用してはいけないのかということもいえそうです。 道義的責任の有無については、どちらの立場にもそれなりの言い分があるので、その中で比較して考えたり、世論がどう受け止めるかが影響するのだと思います。そう考えると、現状はやはり選挙における投票を通して民意を示していくしかない。選挙の時に考慮すべき要素はたくさんありますが、その中の一つの観点としてブロック使用も含むSNSの使い方も踏まえつつ、政治家に相応しい人物を選んでいく必要があるのではないでしょうか」(同前) 西田准教授によれば、現時点では政治家によるブロック行為は「止むを得ない」とのこと。ただし再度アメリカの判例に立ち戻るなら、「言論の自由の侵害」が問題視されたことはここ日本でも留意しておく必要があるだろう。 先に記した7日の会見で河野大臣は「ブロックされても、私のツイートを見ることはできる」とも語っていた。確かに、ブロックされたアカウントをログアウトすれば、河野大臣の主要なツイートを閲覧すること自体は可能だ。だがブロックによって、リプライや引用リツイートといった言論を発信する自由は奪われてしまうのである。 仮に河野大臣が自身に批判的な論調のアカウントだけを選んでブロックし続ければ、結果として、河野大臣のツイートには好意的な意見ばかり集まるようになっていく。単なる罵詈雑言は論外としても、ブロック行為によって批判的な意見が寄せられなくなれば、あたかも「SNS上で河野大臣は人気」であるかのように演出してしまうことも可能なわけだ。 Twitterにはブロック機能のほかに、特定のアカウントのツイートを自身のタイムラインで非表示にする“ミュート”という機能もある。もし、政治家がTwitterを政治活動の公式な舞台として用いるつもりがあるならば、ブロックではなくミュートを活用すべきではないか。そしてブロックは本当に悪質なアカウントにのみ行使するよう、慎重に判断していく必要があるのではないかと思う。◆取材・文/細田成嗣(HEW)
こうしたアメリカの状況と比較すると、日本では訴訟問題が起きるどころか、たとえば河野大臣からブロックされたことで“箔が付く”と解釈するTwitter利用者もいる。一部のユーザーは「自分もブロックされたい」とさえ呟く。 日本とアメリカで、政治家によるブロック行為に関する議論がこうも異なっているのは何故なのか。公共政策と情報社会論が専門の西田亮介・東京工業大学准教授は「大きく2つの違いがある」と指摘する。「一つ目はメディアとしてのSNSの位置づけの違いです。新聞が読まれなくなっていたり、若い人ほどテレビの接触率が低下していたりしますが、やはり世界的にみれば日本はいまだにマスメディアの影響力がとても強い。見方を変えれば、(日本の)ネットメディアの社会的な地位が相対的に低いんですね。なのでSNSよりもマスメディアの情報の公式性、権威性が強くなってくる。 それに対してアメリカを含む諸外国では、権威主義国家などいくつか例外はあるものの、多くの人々が共通に見るメディアとしてはマスメディアがほとんど機能しておらず、むしろSNSが属性ごとに人々の共通項として機能しています。そのため海外ではSNSに情報が出ることの権威が強くなっている。 二つ目は表現の自由の位置づけの違いです。アメリカにおける表現の自由の位置づけはとても強力です。下級審でTwitterのブロックをめぐって違憲とする判断が出たことが象徴的で、アメリカでは合衆国憲法の修正第1条に表現の自由、報道の自由が書かれます。公人が前述のように権威ある媒体としてのSNSでブロック機能を使うことで、市民にとって言論の自由や政治の透明性、政治家が説明責任を果たすこと等々を毀損されている権利侵害だと広く捉えられたのではないでしょうか。 一方で日本における表現の自由は、日本国憲法第21条に書かれてはいますが、日常生活のなかで権利としてあまり意識されることがない印象です。そうであるからこそ、『公人も民間人もTwitterをどう使おうが個人の自由』という見方も相当程度支持されている。加えてSNSはメディアとしての公式性が弱いので、そこでどんな発言をしようが、ブロックをしようが、他に記者会見やマスメディアなど、より公式なチャンネルや場があるから別に構わないという感覚が日本では強いのではないでしょうか」(西田准教授)政治家のブロック行為は何が問題か ハッシュタグ「#河野さんにブロックされています」のトレンド入りを受けて、9月7日の記者会見で河野大臣は自らの考えをあらためて説明。「SNS上で誹謗中傷されて悩んでいる方は非常に多くいらっしゃる」「(ブロック機能を使うことは)問題ない」と述べた。9月8日の記者会見では加藤勝信官房長官も「個人の活動において個人として判断をされている。これに尽きる」とブロック騒動に言及し、問題視しない意向を示した。 Twitterにブロック機能が実装されている以上、誰もがその機能を活用することはできる。SNS上で悪質な誹謗中傷が飛び交っていることも事実だ。とはいえ広く市民の声に耳を傾けるべき立場にある政治家が、批判的意見を遮断するような行為に出ること自体、問題ではないかとの見方もある。その点について、西田准教授は「法的責任」と「道義的責任」に分けて考える必要があると語る。「法的責任の有無という観点から言うと、おそらく日本では政治家によるTwitterでのブロックが現行法に直接抵触するとは考えにくいのではないでしょうか。ただ、アメリカの訴訟の傾向や学説、判例が、将来日本に影響を及ぼすことはあり得ます。まず学界などで参照されて、その上で国内法にどう関係するか、参考にしたり実際に立法に落とし込んだりする可能性は否定できません。また日本でもマスメディアの退潮が著しいですが、SNSの権威性が高まれば位置づけも変化するかもしれません。 次に道義的責任の有無ですが、これは立場によって見方が分かれます。一方の立場からすると、政治家は徹底的に説明をするべきで、言葉を尽くして国民と対峙するべきだ、そうであるからこそ寛容に、ブロックなど使わず大物然としてドンと構えているべきだ、ということになるでしょう。それは確かにその通りなのですが、他方では河野大臣が言うように、政治家に限らずSNSで政治に関する発言をすると大量の罵詈雑言や誹謗中傷が寄せられるという現実もあるでしょう。女性議員に対する罵詈雑言や誹謗中傷などが問題になったこともありました。それらを防ぐためにブロックが所与の機能として実装されている以上、なぜ政治家だけ使用してはいけないのかということもいえそうです。 道義的責任の有無については、どちらの立場にもそれなりの言い分があるので、その中で比較して考えたり、世論がどう受け止めるかが影響するのだと思います。そう考えると、現状はやはり選挙における投票を通して民意を示していくしかない。選挙の時に考慮すべき要素はたくさんありますが、その中の一つの観点としてブロック使用も含むSNSの使い方も踏まえつつ、政治家に相応しい人物を選んでいく必要があるのではないでしょうか」(同前) 西田准教授によれば、現時点では政治家によるブロック行為は「止むを得ない」とのこと。ただし再度アメリカの判例に立ち戻るなら、「言論の自由の侵害」が問題視されたことはここ日本でも留意しておく必要があるだろう。 先に記した7日の会見で河野大臣は「ブロックされても、私のツイートを見ることはできる」とも語っていた。確かに、ブロックされたアカウントをログアウトすれば、河野大臣の主要なツイートを閲覧すること自体は可能だ。だがブロックによって、リプライや引用リツイートといった言論を発信する自由は奪われてしまうのである。 仮に河野大臣が自身に批判的な論調のアカウントだけを選んでブロックし続ければ、結果として、河野大臣のツイートには好意的な意見ばかり集まるようになっていく。単なる罵詈雑言は論外としても、ブロック行為によって批判的な意見が寄せられなくなれば、あたかも「SNS上で河野大臣は人気」であるかのように演出してしまうことも可能なわけだ。 Twitterにはブロック機能のほかに、特定のアカウントのツイートを自身のタイムラインで非表示にする“ミュート”という機能もある。もし、政治家がTwitterを政治活動の公式な舞台として用いるつもりがあるならば、ブロックではなくミュートを活用すべきではないか。そしてブロックは本当に悪質なアカウントにのみ行使するよう、慎重に判断していく必要があるのではないかと思う。◆取材・文/細田成嗣(HEW)
日本とアメリカで、政治家によるブロック行為に関する議論がこうも異なっているのは何故なのか。公共政策と情報社会論が専門の西田亮介・東京工業大学准教授は「大きく2つの違いがある」と指摘する。「一つ目はメディアとしてのSNSの位置づけの違いです。新聞が読まれなくなっていたり、若い人ほどテレビの接触率が低下していたりしますが、やはり世界的にみれば日本はいまだにマスメディアの影響力がとても強い。見方を変えれば、(日本の)ネットメディアの社会的な地位が相対的に低いんですね。なのでSNSよりもマスメディアの情報の公式性、権威性が強くなってくる。 それに対してアメリカを含む諸外国では、権威主義国家などいくつか例外はあるものの、多くの人々が共通に見るメディアとしてはマスメディアがほとんど機能しておらず、むしろSNSが属性ごとに人々の共通項として機能しています。そのため海外ではSNSに情報が出ることの権威が強くなっている。 二つ目は表現の自由の位置づけの違いです。アメリカにおける表現の自由の位置づけはとても強力です。下級審でTwitterのブロックをめぐって違憲とする判断が出たことが象徴的で、アメリカでは合衆国憲法の修正第1条に表現の自由、報道の自由が書かれます。公人が前述のように権威ある媒体としてのSNSでブロック機能を使うことで、市民にとって言論の自由や政治の透明性、政治家が説明責任を果たすこと等々を毀損されている権利侵害だと広く捉えられたのではないでしょうか。 一方で日本における表現の自由は、日本国憲法第21条に書かれてはいますが、日常生活のなかで権利としてあまり意識されることがない印象です。そうであるからこそ、『公人も民間人もTwitterをどう使おうが個人の自由』という見方も相当程度支持されている。加えてSNSはメディアとしての公式性が弱いので、そこでどんな発言をしようが、ブロックをしようが、他に記者会見やマスメディアなど、より公式なチャンネルや場があるから別に構わないという感覚が日本では強いのではないでしょうか」(西田准教授)政治家のブロック行為は何が問題か ハッシュタグ「#河野さんにブロックされています」のトレンド入りを受けて、9月7日の記者会見で河野大臣は自らの考えをあらためて説明。「SNS上で誹謗中傷されて悩んでいる方は非常に多くいらっしゃる」「(ブロック機能を使うことは)問題ない」と述べた。9月8日の記者会見では加藤勝信官房長官も「個人の活動において個人として判断をされている。これに尽きる」とブロック騒動に言及し、問題視しない意向を示した。 Twitterにブロック機能が実装されている以上、誰もがその機能を活用することはできる。SNS上で悪質な誹謗中傷が飛び交っていることも事実だ。とはいえ広く市民の声に耳を傾けるべき立場にある政治家が、批判的意見を遮断するような行為に出ること自体、問題ではないかとの見方もある。その点について、西田准教授は「法的責任」と「道義的責任」に分けて考える必要があると語る。「法的責任の有無という観点から言うと、おそらく日本では政治家によるTwitterでのブロックが現行法に直接抵触するとは考えにくいのではないでしょうか。ただ、アメリカの訴訟の傾向や学説、判例が、将来日本に影響を及ぼすことはあり得ます。まず学界などで参照されて、その上で国内法にどう関係するか、参考にしたり実際に立法に落とし込んだりする可能性は否定できません。また日本でもマスメディアの退潮が著しいですが、SNSの権威性が高まれば位置づけも変化するかもしれません。 次に道義的責任の有無ですが、これは立場によって見方が分かれます。一方の立場からすると、政治家は徹底的に説明をするべきで、言葉を尽くして国民と対峙するべきだ、そうであるからこそ寛容に、ブロックなど使わず大物然としてドンと構えているべきだ、ということになるでしょう。それは確かにその通りなのですが、他方では河野大臣が言うように、政治家に限らずSNSで政治に関する発言をすると大量の罵詈雑言や誹謗中傷が寄せられるという現実もあるでしょう。女性議員に対する罵詈雑言や誹謗中傷などが問題になったこともありました。それらを防ぐためにブロックが所与の機能として実装されている以上、なぜ政治家だけ使用してはいけないのかということもいえそうです。 道義的責任の有無については、どちらの立場にもそれなりの言い分があるので、その中で比較して考えたり、世論がどう受け止めるかが影響するのだと思います。そう考えると、現状はやはり選挙における投票を通して民意を示していくしかない。選挙の時に考慮すべき要素はたくさんありますが、その中の一つの観点としてブロック使用も含むSNSの使い方も踏まえつつ、政治家に相応しい人物を選んでいく必要があるのではないでしょうか」(同前) 西田准教授によれば、現時点では政治家によるブロック行為は「止むを得ない」とのこと。ただし再度アメリカの判例に立ち戻るなら、「言論の自由の侵害」が問題視されたことはここ日本でも留意しておく必要があるだろう。 先に記した7日の会見で河野大臣は「ブロックされても、私のツイートを見ることはできる」とも語っていた。確かに、ブロックされたアカウントをログアウトすれば、河野大臣の主要なツイートを閲覧すること自体は可能だ。だがブロックによって、リプライや引用リツイートといった言論を発信する自由は奪われてしまうのである。 仮に河野大臣が自身に批判的な論調のアカウントだけを選んでブロックし続ければ、結果として、河野大臣のツイートには好意的な意見ばかり集まるようになっていく。単なる罵詈雑言は論外としても、ブロック行為によって批判的な意見が寄せられなくなれば、あたかも「SNS上で河野大臣は人気」であるかのように演出してしまうことも可能なわけだ。 Twitterにはブロック機能のほかに、特定のアカウントのツイートを自身のタイムラインで非表示にする“ミュート”という機能もある。もし、政治家がTwitterを政治活動の公式な舞台として用いるつもりがあるならば、ブロックではなくミュートを活用すべきではないか。そしてブロックは本当に悪質なアカウントにのみ行使するよう、慎重に判断していく必要があるのではないかと思う。◆取材・文/細田成嗣(HEW)
「一つ目はメディアとしてのSNSの位置づけの違いです。新聞が読まれなくなっていたり、若い人ほどテレビの接触率が低下していたりしますが、やはり世界的にみれば日本はいまだにマスメディアの影響力がとても強い。見方を変えれば、(日本の)ネットメディアの社会的な地位が相対的に低いんですね。なのでSNSよりもマスメディアの情報の公式性、権威性が強くなってくる。 それに対してアメリカを含む諸外国では、権威主義国家などいくつか例外はあるものの、多くの人々が共通に見るメディアとしてはマスメディアがほとんど機能しておらず、むしろSNSが属性ごとに人々の共通項として機能しています。そのため海外ではSNSに情報が出ることの権威が強くなっている。 二つ目は表現の自由の位置づけの違いです。アメリカにおける表現の自由の位置づけはとても強力です。下級審でTwitterのブロックをめぐって違憲とする判断が出たことが象徴的で、アメリカでは合衆国憲法の修正第1条に表現の自由、報道の自由が書かれます。公人が前述のように権威ある媒体としてのSNSでブロック機能を使うことで、市民にとって言論の自由や政治の透明性、政治家が説明責任を果たすこと等々を毀損されている権利侵害だと広く捉えられたのではないでしょうか。 一方で日本における表現の自由は、日本国憲法第21条に書かれてはいますが、日常生活のなかで権利としてあまり意識されることがない印象です。そうであるからこそ、『公人も民間人もTwitterをどう使おうが個人の自由』という見方も相当程度支持されている。加えてSNSはメディアとしての公式性が弱いので、そこでどんな発言をしようが、ブロックをしようが、他に記者会見やマスメディアなど、より公式なチャンネルや場があるから別に構わないという感覚が日本では強いのではないでしょうか」(西田准教授)政治家のブロック行為は何が問題か ハッシュタグ「#河野さんにブロックされています」のトレンド入りを受けて、9月7日の記者会見で河野大臣は自らの考えをあらためて説明。「SNS上で誹謗中傷されて悩んでいる方は非常に多くいらっしゃる」「(ブロック機能を使うことは)問題ない」と述べた。9月8日の記者会見では加藤勝信官房長官も「個人の活動において個人として判断をされている。これに尽きる」とブロック騒動に言及し、問題視しない意向を示した。 Twitterにブロック機能が実装されている以上、誰もがその機能を活用することはできる。SNS上で悪質な誹謗中傷が飛び交っていることも事実だ。とはいえ広く市民の声に耳を傾けるべき立場にある政治家が、批判的意見を遮断するような行為に出ること自体、問題ではないかとの見方もある。その点について、西田准教授は「法的責任」と「道義的責任」に分けて考える必要があると語る。「法的責任の有無という観点から言うと、おそらく日本では政治家によるTwitterでのブロックが現行法に直接抵触するとは考えにくいのではないでしょうか。ただ、アメリカの訴訟の傾向や学説、判例が、将来日本に影響を及ぼすことはあり得ます。まず学界などで参照されて、その上で国内法にどう関係するか、参考にしたり実際に立法に落とし込んだりする可能性は否定できません。また日本でもマスメディアの退潮が著しいですが、SNSの権威性が高まれば位置づけも変化するかもしれません。 次に道義的責任の有無ですが、これは立場によって見方が分かれます。一方の立場からすると、政治家は徹底的に説明をするべきで、言葉を尽くして国民と対峙するべきだ、そうであるからこそ寛容に、ブロックなど使わず大物然としてドンと構えているべきだ、ということになるでしょう。それは確かにその通りなのですが、他方では河野大臣が言うように、政治家に限らずSNSで政治に関する発言をすると大量の罵詈雑言や誹謗中傷が寄せられるという現実もあるでしょう。女性議員に対する罵詈雑言や誹謗中傷などが問題になったこともありました。それらを防ぐためにブロックが所与の機能として実装されている以上、なぜ政治家だけ使用してはいけないのかということもいえそうです。 道義的責任の有無については、どちらの立場にもそれなりの言い分があるので、その中で比較して考えたり、世論がどう受け止めるかが影響するのだと思います。そう考えると、現状はやはり選挙における投票を通して民意を示していくしかない。選挙の時に考慮すべき要素はたくさんありますが、その中の一つの観点としてブロック使用も含むSNSの使い方も踏まえつつ、政治家に相応しい人物を選んでいく必要があるのではないでしょうか」(同前) 西田准教授によれば、現時点では政治家によるブロック行為は「止むを得ない」とのこと。ただし再度アメリカの判例に立ち戻るなら、「言論の自由の侵害」が問題視されたことはここ日本でも留意しておく必要があるだろう。 先に記した7日の会見で河野大臣は「ブロックされても、私のツイートを見ることはできる」とも語っていた。確かに、ブロックされたアカウントをログアウトすれば、河野大臣の主要なツイートを閲覧すること自体は可能だ。だがブロックによって、リプライや引用リツイートといった言論を発信する自由は奪われてしまうのである。 仮に河野大臣が自身に批判的な論調のアカウントだけを選んでブロックし続ければ、結果として、河野大臣のツイートには好意的な意見ばかり集まるようになっていく。単なる罵詈雑言は論外としても、ブロック行為によって批判的な意見が寄せられなくなれば、あたかも「SNS上で河野大臣は人気」であるかのように演出してしまうことも可能なわけだ。 Twitterにはブロック機能のほかに、特定のアカウントのツイートを自身のタイムラインで非表示にする“ミュート”という機能もある。もし、政治家がTwitterを政治活動の公式な舞台として用いるつもりがあるならば、ブロックではなくミュートを活用すべきではないか。そしてブロックは本当に悪質なアカウントにのみ行使するよう、慎重に判断していく必要があるのではないかと思う。◆取材・文/細田成嗣(HEW)
それに対してアメリカを含む諸外国では、権威主義国家などいくつか例外はあるものの、多くの人々が共通に見るメディアとしてはマスメディアがほとんど機能しておらず、むしろSNSが属性ごとに人々の共通項として機能しています。そのため海外ではSNSに情報が出ることの権威が強くなっている。 二つ目は表現の自由の位置づけの違いです。アメリカにおける表現の自由の位置づけはとても強力です。下級審でTwitterのブロックをめぐって違憲とする判断が出たことが象徴的で、アメリカでは合衆国憲法の修正第1条に表現の自由、報道の自由が書かれます。公人が前述のように権威ある媒体としてのSNSでブロック機能を使うことで、市民にとって言論の自由や政治の透明性、政治家が説明責任を果たすこと等々を毀損されている権利侵害だと広く捉えられたのではないでしょうか。 一方で日本における表現の自由は、日本国憲法第21条に書かれてはいますが、日常生活のなかで権利としてあまり意識されることがない印象です。そうであるからこそ、『公人も民間人もTwitterをどう使おうが個人の自由』という見方も相当程度支持されている。加えてSNSはメディアとしての公式性が弱いので、そこでどんな発言をしようが、ブロックをしようが、他に記者会見やマスメディアなど、より公式なチャンネルや場があるから別に構わないという感覚が日本では強いのではないでしょうか」(西田准教授)政治家のブロック行為は何が問題か ハッシュタグ「#河野さんにブロックされています」のトレンド入りを受けて、9月7日の記者会見で河野大臣は自らの考えをあらためて説明。「SNS上で誹謗中傷されて悩んでいる方は非常に多くいらっしゃる」「(ブロック機能を使うことは)問題ない」と述べた。9月8日の記者会見では加藤勝信官房長官も「個人の活動において個人として判断をされている。これに尽きる」とブロック騒動に言及し、問題視しない意向を示した。 Twitterにブロック機能が実装されている以上、誰もがその機能を活用することはできる。SNS上で悪質な誹謗中傷が飛び交っていることも事実だ。とはいえ広く市民の声に耳を傾けるべき立場にある政治家が、批判的意見を遮断するような行為に出ること自体、問題ではないかとの見方もある。その点について、西田准教授は「法的責任」と「道義的責任」に分けて考える必要があると語る。「法的責任の有無という観点から言うと、おそらく日本では政治家によるTwitterでのブロックが現行法に直接抵触するとは考えにくいのではないでしょうか。ただ、アメリカの訴訟の傾向や学説、判例が、将来日本に影響を及ぼすことはあり得ます。まず学界などで参照されて、その上で国内法にどう関係するか、参考にしたり実際に立法に落とし込んだりする可能性は否定できません。また日本でもマスメディアの退潮が著しいですが、SNSの権威性が高まれば位置づけも変化するかもしれません。 次に道義的責任の有無ですが、これは立場によって見方が分かれます。一方の立場からすると、政治家は徹底的に説明をするべきで、言葉を尽くして国民と対峙するべきだ、そうであるからこそ寛容に、ブロックなど使わず大物然としてドンと構えているべきだ、ということになるでしょう。それは確かにその通りなのですが、他方では河野大臣が言うように、政治家に限らずSNSで政治に関する発言をすると大量の罵詈雑言や誹謗中傷が寄せられるという現実もあるでしょう。女性議員に対する罵詈雑言や誹謗中傷などが問題になったこともありました。それらを防ぐためにブロックが所与の機能として実装されている以上、なぜ政治家だけ使用してはいけないのかということもいえそうです。 道義的責任の有無については、どちらの立場にもそれなりの言い分があるので、その中で比較して考えたり、世論がどう受け止めるかが影響するのだと思います。そう考えると、現状はやはり選挙における投票を通して民意を示していくしかない。選挙の時に考慮すべき要素はたくさんありますが、その中の一つの観点としてブロック使用も含むSNSの使い方も踏まえつつ、政治家に相応しい人物を選んでいく必要があるのではないでしょうか」(同前) 西田准教授によれば、現時点では政治家によるブロック行為は「止むを得ない」とのこと。ただし再度アメリカの判例に立ち戻るなら、「言論の自由の侵害」が問題視されたことはここ日本でも留意しておく必要があるだろう。 先に記した7日の会見で河野大臣は「ブロックされても、私のツイートを見ることはできる」とも語っていた。確かに、ブロックされたアカウントをログアウトすれば、河野大臣の主要なツイートを閲覧すること自体は可能だ。だがブロックによって、リプライや引用リツイートといった言論を発信する自由は奪われてしまうのである。 仮に河野大臣が自身に批判的な論調のアカウントだけを選んでブロックし続ければ、結果として、河野大臣のツイートには好意的な意見ばかり集まるようになっていく。単なる罵詈雑言は論外としても、ブロック行為によって批判的な意見が寄せられなくなれば、あたかも「SNS上で河野大臣は人気」であるかのように演出してしまうことも可能なわけだ。 Twitterにはブロック機能のほかに、特定のアカウントのツイートを自身のタイムラインで非表示にする“ミュート”という機能もある。もし、政治家がTwitterを政治活動の公式な舞台として用いるつもりがあるならば、ブロックではなくミュートを活用すべきではないか。そしてブロックは本当に悪質なアカウントにのみ行使するよう、慎重に判断していく必要があるのではないかと思う。◆取材・文/細田成嗣(HEW)
二つ目は表現の自由の位置づけの違いです。アメリカにおける表現の自由の位置づけはとても強力です。下級審でTwitterのブロックをめぐって違憲とする判断が出たことが象徴的で、アメリカでは合衆国憲法の修正第1条に表現の自由、報道の自由が書かれます。公人が前述のように権威ある媒体としてのSNSでブロック機能を使うことで、市民にとって言論の自由や政治の透明性、政治家が説明責任を果たすこと等々を毀損されている権利侵害だと広く捉えられたのではないでしょうか。 一方で日本における表現の自由は、日本国憲法第21条に書かれてはいますが、日常生活のなかで権利としてあまり意識されることがない印象です。そうであるからこそ、『公人も民間人もTwitterをどう使おうが個人の自由』という見方も相当程度支持されている。加えてSNSはメディアとしての公式性が弱いので、そこでどんな発言をしようが、ブロックをしようが、他に記者会見やマスメディアなど、より公式なチャンネルや場があるから別に構わないという感覚が日本では強いのではないでしょうか」(西田准教授)政治家のブロック行為は何が問題か ハッシュタグ「#河野さんにブロックされています」のトレンド入りを受けて、9月7日の記者会見で河野大臣は自らの考えをあらためて説明。「SNS上で誹謗中傷されて悩んでいる方は非常に多くいらっしゃる」「(ブロック機能を使うことは)問題ない」と述べた。9月8日の記者会見では加藤勝信官房長官も「個人の活動において個人として判断をされている。これに尽きる」とブロック騒動に言及し、問題視しない意向を示した。 Twitterにブロック機能が実装されている以上、誰もがその機能を活用することはできる。SNS上で悪質な誹謗中傷が飛び交っていることも事実だ。とはいえ広く市民の声に耳を傾けるべき立場にある政治家が、批判的意見を遮断するような行為に出ること自体、問題ではないかとの見方もある。その点について、西田准教授は「法的責任」と「道義的責任」に分けて考える必要があると語る。「法的責任の有無という観点から言うと、おそらく日本では政治家によるTwitterでのブロックが現行法に直接抵触するとは考えにくいのではないでしょうか。ただ、アメリカの訴訟の傾向や学説、判例が、将来日本に影響を及ぼすことはあり得ます。まず学界などで参照されて、その上で国内法にどう関係するか、参考にしたり実際に立法に落とし込んだりする可能性は否定できません。また日本でもマスメディアの退潮が著しいですが、SNSの権威性が高まれば位置づけも変化するかもしれません。 次に道義的責任の有無ですが、これは立場によって見方が分かれます。一方の立場からすると、政治家は徹底的に説明をするべきで、言葉を尽くして国民と対峙するべきだ、そうであるからこそ寛容に、ブロックなど使わず大物然としてドンと構えているべきだ、ということになるでしょう。それは確かにその通りなのですが、他方では河野大臣が言うように、政治家に限らずSNSで政治に関する発言をすると大量の罵詈雑言や誹謗中傷が寄せられるという現実もあるでしょう。女性議員に対する罵詈雑言や誹謗中傷などが問題になったこともありました。それらを防ぐためにブロックが所与の機能として実装されている以上、なぜ政治家だけ使用してはいけないのかということもいえそうです。 道義的責任の有無については、どちらの立場にもそれなりの言い分があるので、その中で比較して考えたり、世論がどう受け止めるかが影響するのだと思います。そう考えると、現状はやはり選挙における投票を通して民意を示していくしかない。選挙の時に考慮すべき要素はたくさんありますが、その中の一つの観点としてブロック使用も含むSNSの使い方も踏まえつつ、政治家に相応しい人物を選んでいく必要があるのではないでしょうか」(同前) 西田准教授によれば、現時点では政治家によるブロック行為は「止むを得ない」とのこと。ただし再度アメリカの判例に立ち戻るなら、「言論の自由の侵害」が問題視されたことはここ日本でも留意しておく必要があるだろう。 先に記した7日の会見で河野大臣は「ブロックされても、私のツイートを見ることはできる」とも語っていた。確かに、ブロックされたアカウントをログアウトすれば、河野大臣の主要なツイートを閲覧すること自体は可能だ。だがブロックによって、リプライや引用リツイートといった言論を発信する自由は奪われてしまうのである。 仮に河野大臣が自身に批判的な論調のアカウントだけを選んでブロックし続ければ、結果として、河野大臣のツイートには好意的な意見ばかり集まるようになっていく。単なる罵詈雑言は論外としても、ブロック行為によって批判的な意見が寄せられなくなれば、あたかも「SNS上で河野大臣は人気」であるかのように演出してしまうことも可能なわけだ。 Twitterにはブロック機能のほかに、特定のアカウントのツイートを自身のタイムラインで非表示にする“ミュート”という機能もある。もし、政治家がTwitterを政治活動の公式な舞台として用いるつもりがあるならば、ブロックではなくミュートを活用すべきではないか。そしてブロックは本当に悪質なアカウントにのみ行使するよう、慎重に判断していく必要があるのではないかと思う。◆取材・文/細田成嗣(HEW)
一方で日本における表現の自由は、日本国憲法第21条に書かれてはいますが、日常生活のなかで権利としてあまり意識されることがない印象です。そうであるからこそ、『公人も民間人もTwitterをどう使おうが個人の自由』という見方も相当程度支持されている。加えてSNSはメディアとしての公式性が弱いので、そこでどんな発言をしようが、ブロックをしようが、他に記者会見やマスメディアなど、より公式なチャンネルや場があるから別に構わないという感覚が日本では強いのではないでしょうか」(西田准教授)政治家のブロック行為は何が問題か ハッシュタグ「#河野さんにブロックされています」のトレンド入りを受けて、9月7日の記者会見で河野大臣は自らの考えをあらためて説明。「SNS上で誹謗中傷されて悩んでいる方は非常に多くいらっしゃる」「(ブロック機能を使うことは)問題ない」と述べた。9月8日の記者会見では加藤勝信官房長官も「個人の活動において個人として判断をされている。これに尽きる」とブロック騒動に言及し、問題視しない意向を示した。 Twitterにブロック機能が実装されている以上、誰もがその機能を活用することはできる。SNS上で悪質な誹謗中傷が飛び交っていることも事実だ。とはいえ広く市民の声に耳を傾けるべき立場にある政治家が、批判的意見を遮断するような行為に出ること自体、問題ではないかとの見方もある。その点について、西田准教授は「法的責任」と「道義的責任」に分けて考える必要があると語る。「法的責任の有無という観点から言うと、おそらく日本では政治家によるTwitterでのブロックが現行法に直接抵触するとは考えにくいのではないでしょうか。ただ、アメリカの訴訟の傾向や学説、判例が、将来日本に影響を及ぼすことはあり得ます。まず学界などで参照されて、その上で国内法にどう関係するか、参考にしたり実際に立法に落とし込んだりする可能性は否定できません。また日本でもマスメディアの退潮が著しいですが、SNSの権威性が高まれば位置づけも変化するかもしれません。 次に道義的責任の有無ですが、これは立場によって見方が分かれます。一方の立場からすると、政治家は徹底的に説明をするべきで、言葉を尽くして国民と対峙するべきだ、そうであるからこそ寛容に、ブロックなど使わず大物然としてドンと構えているべきだ、ということになるでしょう。それは確かにその通りなのですが、他方では河野大臣が言うように、政治家に限らずSNSで政治に関する発言をすると大量の罵詈雑言や誹謗中傷が寄せられるという現実もあるでしょう。女性議員に対する罵詈雑言や誹謗中傷などが問題になったこともありました。それらを防ぐためにブロックが所与の機能として実装されている以上、なぜ政治家だけ使用してはいけないのかということもいえそうです。 道義的責任の有無については、どちらの立場にもそれなりの言い分があるので、その中で比較して考えたり、世論がどう受け止めるかが影響するのだと思います。そう考えると、現状はやはり選挙における投票を通して民意を示していくしかない。選挙の時に考慮すべき要素はたくさんありますが、その中の一つの観点としてブロック使用も含むSNSの使い方も踏まえつつ、政治家に相応しい人物を選んでいく必要があるのではないでしょうか」(同前) 西田准教授によれば、現時点では政治家によるブロック行為は「止むを得ない」とのこと。ただし再度アメリカの判例に立ち戻るなら、「言論の自由の侵害」が問題視されたことはここ日本でも留意しておく必要があるだろう。 先に記した7日の会見で河野大臣は「ブロックされても、私のツイートを見ることはできる」とも語っていた。確かに、ブロックされたアカウントをログアウトすれば、河野大臣の主要なツイートを閲覧すること自体は可能だ。だがブロックによって、リプライや引用リツイートといった言論を発信する自由は奪われてしまうのである。 仮に河野大臣が自身に批判的な論調のアカウントだけを選んでブロックし続ければ、結果として、河野大臣のツイートには好意的な意見ばかり集まるようになっていく。単なる罵詈雑言は論外としても、ブロック行為によって批判的な意見が寄せられなくなれば、あたかも「SNS上で河野大臣は人気」であるかのように演出してしまうことも可能なわけだ。 Twitterにはブロック機能のほかに、特定のアカウントのツイートを自身のタイムラインで非表示にする“ミュート”という機能もある。もし、政治家がTwitterを政治活動の公式な舞台として用いるつもりがあるならば、ブロックではなくミュートを活用すべきではないか。そしてブロックは本当に悪質なアカウントにのみ行使するよう、慎重に判断していく必要があるのではないかと思う。◆取材・文/細田成嗣(HEW)
ハッシュタグ「#河野さんにブロックされています」のトレンド入りを受けて、9月7日の記者会見で河野大臣は自らの考えをあらためて説明。「SNS上で誹謗中傷されて悩んでいる方は非常に多くいらっしゃる」「(ブロック機能を使うことは)問題ない」と述べた。9月8日の記者会見では加藤勝信官房長官も「個人の活動において個人として判断をされている。これに尽きる」とブロック騒動に言及し、問題視しない意向を示した。 Twitterにブロック機能が実装されている以上、誰もがその機能を活用することはできる。SNS上で悪質な誹謗中傷が飛び交っていることも事実だ。とはいえ広く市民の声に耳を傾けるべき立場にある政治家が、批判的意見を遮断するような行為に出ること自体、問題ではないかとの見方もある。その点について、西田准教授は「法的責任」と「道義的責任」に分けて考える必要があると語る。「法的責任の有無という観点から言うと、おそらく日本では政治家によるTwitterでのブロックが現行法に直接抵触するとは考えにくいのではないでしょうか。ただ、アメリカの訴訟の傾向や学説、判例が、将来日本に影響を及ぼすことはあり得ます。まず学界などで参照されて、その上で国内法にどう関係するか、参考にしたり実際に立法に落とし込んだりする可能性は否定できません。また日本でもマスメディアの退潮が著しいですが、SNSの権威性が高まれば位置づけも変化するかもしれません。 次に道義的責任の有無ですが、これは立場によって見方が分かれます。一方の立場からすると、政治家は徹底的に説明をするべきで、言葉を尽くして国民と対峙するべきだ、そうであるからこそ寛容に、ブロックなど使わず大物然としてドンと構えているべきだ、ということになるでしょう。それは確かにその通りなのですが、他方では河野大臣が言うように、政治家に限らずSNSで政治に関する発言をすると大量の罵詈雑言や誹謗中傷が寄せられるという現実もあるでしょう。女性議員に対する罵詈雑言や誹謗中傷などが問題になったこともありました。それらを防ぐためにブロックが所与の機能として実装されている以上、なぜ政治家だけ使用してはいけないのかということもいえそうです。 道義的責任の有無については、どちらの立場にもそれなりの言い分があるので、その中で比較して考えたり、世論がどう受け止めるかが影響するのだと思います。そう考えると、現状はやはり選挙における投票を通して民意を示していくしかない。選挙の時に考慮すべき要素はたくさんありますが、その中の一つの観点としてブロック使用も含むSNSの使い方も踏まえつつ、政治家に相応しい人物を選んでいく必要があるのではないでしょうか」(同前) 西田准教授によれば、現時点では政治家によるブロック行為は「止むを得ない」とのこと。ただし再度アメリカの判例に立ち戻るなら、「言論の自由の侵害」が問題視されたことはここ日本でも留意しておく必要があるだろう。 先に記した7日の会見で河野大臣は「ブロックされても、私のツイートを見ることはできる」とも語っていた。確かに、ブロックされたアカウントをログアウトすれば、河野大臣の主要なツイートを閲覧すること自体は可能だ。だがブロックによって、リプライや引用リツイートといった言論を発信する自由は奪われてしまうのである。 仮に河野大臣が自身に批判的な論調のアカウントだけを選んでブロックし続ければ、結果として、河野大臣のツイートには好意的な意見ばかり集まるようになっていく。単なる罵詈雑言は論外としても、ブロック行為によって批判的な意見が寄せられなくなれば、あたかも「SNS上で河野大臣は人気」であるかのように演出してしまうことも可能なわけだ。 Twitterにはブロック機能のほかに、特定のアカウントのツイートを自身のタイムラインで非表示にする“ミュート”という機能もある。もし、政治家がTwitterを政治活動の公式な舞台として用いるつもりがあるならば、ブロックではなくミュートを活用すべきではないか。そしてブロックは本当に悪質なアカウントにのみ行使するよう、慎重に判断していく必要があるのではないかと思う。◆取材・文/細田成嗣(HEW)
Twitterにブロック機能が実装されている以上、誰もがその機能を活用することはできる。SNS上で悪質な誹謗中傷が飛び交っていることも事実だ。とはいえ広く市民の声に耳を傾けるべき立場にある政治家が、批判的意見を遮断するような行為に出ること自体、問題ではないかとの見方もある。その点について、西田准教授は「法的責任」と「道義的責任」に分けて考える必要があると語る。「法的責任の有無という観点から言うと、おそらく日本では政治家によるTwitterでのブロックが現行法に直接抵触するとは考えにくいのではないでしょうか。ただ、アメリカの訴訟の傾向や学説、判例が、将来日本に影響を及ぼすことはあり得ます。まず学界などで参照されて、その上で国内法にどう関係するか、参考にしたり実際に立法に落とし込んだりする可能性は否定できません。また日本でもマスメディアの退潮が著しいですが、SNSの権威性が高まれば位置づけも変化するかもしれません。 次に道義的責任の有無ですが、これは立場によって見方が分かれます。一方の立場からすると、政治家は徹底的に説明をするべきで、言葉を尽くして国民と対峙するべきだ、そうであるからこそ寛容に、ブロックなど使わず大物然としてドンと構えているべきだ、ということになるでしょう。それは確かにその通りなのですが、他方では河野大臣が言うように、政治家に限らずSNSで政治に関する発言をすると大量の罵詈雑言や誹謗中傷が寄せられるという現実もあるでしょう。女性議員に対する罵詈雑言や誹謗中傷などが問題になったこともありました。それらを防ぐためにブロックが所与の機能として実装されている以上、なぜ政治家だけ使用してはいけないのかということもいえそうです。 道義的責任の有無については、どちらの立場にもそれなりの言い分があるので、その中で比較して考えたり、世論がどう受け止めるかが影響するのだと思います。そう考えると、現状はやはり選挙における投票を通して民意を示していくしかない。選挙の時に考慮すべき要素はたくさんありますが、その中の一つの観点としてブロック使用も含むSNSの使い方も踏まえつつ、政治家に相応しい人物を選んでいく必要があるのではないでしょうか」(同前) 西田准教授によれば、現時点では政治家によるブロック行為は「止むを得ない」とのこと。ただし再度アメリカの判例に立ち戻るなら、「言論の自由の侵害」が問題視されたことはここ日本でも留意しておく必要があるだろう。 先に記した7日の会見で河野大臣は「ブロックされても、私のツイートを見ることはできる」とも語っていた。確かに、ブロックされたアカウントをログアウトすれば、河野大臣の主要なツイートを閲覧すること自体は可能だ。だがブロックによって、リプライや引用リツイートといった言論を発信する自由は奪われてしまうのである。 仮に河野大臣が自身に批判的な論調のアカウントだけを選んでブロックし続ければ、結果として、河野大臣のツイートには好意的な意見ばかり集まるようになっていく。単なる罵詈雑言は論外としても、ブロック行為によって批判的な意見が寄せられなくなれば、あたかも「SNS上で河野大臣は人気」であるかのように演出してしまうことも可能なわけだ。 Twitterにはブロック機能のほかに、特定のアカウントのツイートを自身のタイムラインで非表示にする“ミュート”という機能もある。もし、政治家がTwitterを政治活動の公式な舞台として用いるつもりがあるならば、ブロックではなくミュートを活用すべきではないか。そしてブロックは本当に悪質なアカウントにのみ行使するよう、慎重に判断していく必要があるのではないかと思う。◆取材・文/細田成嗣(HEW)
「法的責任の有無という観点から言うと、おそらく日本では政治家によるTwitterでのブロックが現行法に直接抵触するとは考えにくいのではないでしょうか。ただ、アメリカの訴訟の傾向や学説、判例が、将来日本に影響を及ぼすことはあり得ます。まず学界などで参照されて、その上で国内法にどう関係するか、参考にしたり実際に立法に落とし込んだりする可能性は否定できません。また日本でもマスメディアの退潮が著しいですが、SNSの権威性が高まれば位置づけも変化するかもしれません。 次に道義的責任の有無ですが、これは立場によって見方が分かれます。一方の立場からすると、政治家は徹底的に説明をするべきで、言葉を尽くして国民と対峙するべきだ、そうであるからこそ寛容に、ブロックなど使わず大物然としてドンと構えているべきだ、ということになるでしょう。それは確かにその通りなのですが、他方では河野大臣が言うように、政治家に限らずSNSで政治に関する発言をすると大量の罵詈雑言や誹謗中傷が寄せられるという現実もあるでしょう。女性議員に対する罵詈雑言や誹謗中傷などが問題になったこともありました。それらを防ぐためにブロックが所与の機能として実装されている以上、なぜ政治家だけ使用してはいけないのかということもいえそうです。 道義的責任の有無については、どちらの立場にもそれなりの言い分があるので、その中で比較して考えたり、世論がどう受け止めるかが影響するのだと思います。そう考えると、現状はやはり選挙における投票を通して民意を示していくしかない。選挙の時に考慮すべき要素はたくさんありますが、その中の一つの観点としてブロック使用も含むSNSの使い方も踏まえつつ、政治家に相応しい人物を選んでいく必要があるのではないでしょうか」(同前) 西田准教授によれば、現時点では政治家によるブロック行為は「止むを得ない」とのこと。ただし再度アメリカの判例に立ち戻るなら、「言論の自由の侵害」が問題視されたことはここ日本でも留意しておく必要があるだろう。 先に記した7日の会見で河野大臣は「ブロックされても、私のツイートを見ることはできる」とも語っていた。確かに、ブロックされたアカウントをログアウトすれば、河野大臣の主要なツイートを閲覧すること自体は可能だ。だがブロックによって、リプライや引用リツイートといった言論を発信する自由は奪われてしまうのである。 仮に河野大臣が自身に批判的な論調のアカウントだけを選んでブロックし続ければ、結果として、河野大臣のツイートには好意的な意見ばかり集まるようになっていく。単なる罵詈雑言は論外としても、ブロック行為によって批判的な意見が寄せられなくなれば、あたかも「SNS上で河野大臣は人気」であるかのように演出してしまうことも可能なわけだ。 Twitterにはブロック機能のほかに、特定のアカウントのツイートを自身のタイムラインで非表示にする“ミュート”という機能もある。もし、政治家がTwitterを政治活動の公式な舞台として用いるつもりがあるならば、ブロックではなくミュートを活用すべきではないか。そしてブロックは本当に悪質なアカウントにのみ行使するよう、慎重に判断していく必要があるのではないかと思う。◆取材・文/細田成嗣(HEW)
次に道義的責任の有無ですが、これは立場によって見方が分かれます。一方の立場からすると、政治家は徹底的に説明をするべきで、言葉を尽くして国民と対峙するべきだ、そうであるからこそ寛容に、ブロックなど使わず大物然としてドンと構えているべきだ、ということになるでしょう。それは確かにその通りなのですが、他方では河野大臣が言うように、政治家に限らずSNSで政治に関する発言をすると大量の罵詈雑言や誹謗中傷が寄せられるという現実もあるでしょう。女性議員に対する罵詈雑言や誹謗中傷などが問題になったこともありました。それらを防ぐためにブロックが所与の機能として実装されている以上、なぜ政治家だけ使用してはいけないのかということもいえそうです。 道義的責任の有無については、どちらの立場にもそれなりの言い分があるので、その中で比較して考えたり、世論がどう受け止めるかが影響するのだと思います。そう考えると、現状はやはり選挙における投票を通して民意を示していくしかない。選挙の時に考慮すべき要素はたくさんありますが、その中の一つの観点としてブロック使用も含むSNSの使い方も踏まえつつ、政治家に相応しい人物を選んでいく必要があるのではないでしょうか」(同前) 西田准教授によれば、現時点では政治家によるブロック行為は「止むを得ない」とのこと。ただし再度アメリカの判例に立ち戻るなら、「言論の自由の侵害」が問題視されたことはここ日本でも留意しておく必要があるだろう。 先に記した7日の会見で河野大臣は「ブロックされても、私のツイートを見ることはできる」とも語っていた。確かに、ブロックされたアカウントをログアウトすれば、河野大臣の主要なツイートを閲覧すること自体は可能だ。だがブロックによって、リプライや引用リツイートといった言論を発信する自由は奪われてしまうのである。 仮に河野大臣が自身に批判的な論調のアカウントだけを選んでブロックし続ければ、結果として、河野大臣のツイートには好意的な意見ばかり集まるようになっていく。単なる罵詈雑言は論外としても、ブロック行為によって批判的な意見が寄せられなくなれば、あたかも「SNS上で河野大臣は人気」であるかのように演出してしまうことも可能なわけだ。 Twitterにはブロック機能のほかに、特定のアカウントのツイートを自身のタイムラインで非表示にする“ミュート”という機能もある。もし、政治家がTwitterを政治活動の公式な舞台として用いるつもりがあるならば、ブロックではなくミュートを活用すべきではないか。そしてブロックは本当に悪質なアカウントにのみ行使するよう、慎重に判断していく必要があるのではないかと思う。◆取材・文/細田成嗣(HEW)
道義的責任の有無については、どちらの立場にもそれなりの言い分があるので、その中で比較して考えたり、世論がどう受け止めるかが影響するのだと思います。そう考えると、現状はやはり選挙における投票を通して民意を示していくしかない。選挙の時に考慮すべき要素はたくさんありますが、その中の一つの観点としてブロック使用も含むSNSの使い方も踏まえつつ、政治家に相応しい人物を選んでいく必要があるのではないでしょうか」(同前) 西田准教授によれば、現時点では政治家によるブロック行為は「止むを得ない」とのこと。ただし再度アメリカの判例に立ち戻るなら、「言論の自由の侵害」が問題視されたことはここ日本でも留意しておく必要があるだろう。 先に記した7日の会見で河野大臣は「ブロックされても、私のツイートを見ることはできる」とも語っていた。確かに、ブロックされたアカウントをログアウトすれば、河野大臣の主要なツイートを閲覧すること自体は可能だ。だがブロックによって、リプライや引用リツイートといった言論を発信する自由は奪われてしまうのである。 仮に河野大臣が自身に批判的な論調のアカウントだけを選んでブロックし続ければ、結果として、河野大臣のツイートには好意的な意見ばかり集まるようになっていく。単なる罵詈雑言は論外としても、ブロック行為によって批判的な意見が寄せられなくなれば、あたかも「SNS上で河野大臣は人気」であるかのように演出してしまうことも可能なわけだ。 Twitterにはブロック機能のほかに、特定のアカウントのツイートを自身のタイムラインで非表示にする“ミュート”という機能もある。もし、政治家がTwitterを政治活動の公式な舞台として用いるつもりがあるならば、ブロックではなくミュートを活用すべきではないか。そしてブロックは本当に悪質なアカウントにのみ行使するよう、慎重に判断していく必要があるのではないかと思う。◆取材・文/細田成嗣(HEW)
西田准教授によれば、現時点では政治家によるブロック行為は「止むを得ない」とのこと。ただし再度アメリカの判例に立ち戻るなら、「言論の自由の侵害」が問題視されたことはここ日本でも留意しておく必要があるだろう。 先に記した7日の会見で河野大臣は「ブロックされても、私のツイートを見ることはできる」とも語っていた。確かに、ブロックされたアカウントをログアウトすれば、河野大臣の主要なツイートを閲覧すること自体は可能だ。だがブロックによって、リプライや引用リツイートといった言論を発信する自由は奪われてしまうのである。 仮に河野大臣が自身に批判的な論調のアカウントだけを選んでブロックし続ければ、結果として、河野大臣のツイートには好意的な意見ばかり集まるようになっていく。単なる罵詈雑言は論外としても、ブロック行為によって批判的な意見が寄せられなくなれば、あたかも「SNS上で河野大臣は人気」であるかのように演出してしまうことも可能なわけだ。 Twitterにはブロック機能のほかに、特定のアカウントのツイートを自身のタイムラインで非表示にする“ミュート”という機能もある。もし、政治家がTwitterを政治活動の公式な舞台として用いるつもりがあるならば、ブロックではなくミュートを活用すべきではないか。そしてブロックは本当に悪質なアカウントにのみ行使するよう、慎重に判断していく必要があるのではないかと思う。◆取材・文/細田成嗣(HEW)
先に記した7日の会見で河野大臣は「ブロックされても、私のツイートを見ることはできる」とも語っていた。確かに、ブロックされたアカウントをログアウトすれば、河野大臣の主要なツイートを閲覧すること自体は可能だ。だがブロックによって、リプライや引用リツイートといった言論を発信する自由は奪われてしまうのである。 仮に河野大臣が自身に批判的な論調のアカウントだけを選んでブロックし続ければ、結果として、河野大臣のツイートには好意的な意見ばかり集まるようになっていく。単なる罵詈雑言は論外としても、ブロック行為によって批判的な意見が寄せられなくなれば、あたかも「SNS上で河野大臣は人気」であるかのように演出してしまうことも可能なわけだ。 Twitterにはブロック機能のほかに、特定のアカウントのツイートを自身のタイムラインで非表示にする“ミュート”という機能もある。もし、政治家がTwitterを政治活動の公式な舞台として用いるつもりがあるならば、ブロックではなくミュートを活用すべきではないか。そしてブロックは本当に悪質なアカウントにのみ行使するよう、慎重に判断していく必要があるのではないかと思う。◆取材・文/細田成嗣(HEW)
仮に河野大臣が自身に批判的な論調のアカウントだけを選んでブロックし続ければ、結果として、河野大臣のツイートには好意的な意見ばかり集まるようになっていく。単なる罵詈雑言は論外としても、ブロック行為によって批判的な意見が寄せられなくなれば、あたかも「SNS上で河野大臣は人気」であるかのように演出してしまうことも可能なわけだ。 Twitterにはブロック機能のほかに、特定のアカウントのツイートを自身のタイムラインで非表示にする“ミュート”という機能もある。もし、政治家がTwitterを政治活動の公式な舞台として用いるつもりがあるならば、ブロックではなくミュートを活用すべきではないか。そしてブロックは本当に悪質なアカウントにのみ行使するよう、慎重に判断していく必要があるのではないかと思う。◆取材・文/細田成嗣(HEW)
Twitterにはブロック機能のほかに、特定のアカウントのツイートを自身のタイムラインで非表示にする“ミュート”という機能もある。もし、政治家がTwitterを政治活動の公式な舞台として用いるつもりがあるならば、ブロックではなくミュートを活用すべきではないか。そしてブロックは本当に悪質なアカウントにのみ行使するよう、慎重に判断していく必要があるのではないかと思う。◆取材・文/細田成嗣(HEW)
◆取材・文/細田成嗣(HEW)