信長と光秀の子孫、遺恨超え法要 比叡山焼き打ちから450年

織田信長による「比叡山焼き打ち」から450年を迎えた12日、比叡山延暦寺で犠牲者らの法要が営まれ、信長と明智光秀の子孫が初めて招かれた。今年は延暦寺を開いた天台宗の開祖・最澄(767~822年)の千二百回忌で、敵味方を区別しない仏教の「怨親(おんしん)平等」の精神を改めて示した。
天皇、秀吉…古文書194点、清水寺で見つかる
信長の子孫、織田茂和さんと焼き打ちに関わった光秀の子孫、明智憲三郎さんが参列。導師を務めた水尾寂芳(じゃくほう)・代表役員執行(しぎょう)は法要で、最澄の「怨(うら)みをもって怨みに報ぜば怨み止(や)まず、徳をもって怨みに報ぜば怨み即(すなわ)ち尽(つ)く」の教えを引用し、「鎮魂の思いには何の区別もない」と述べた。
両家の子孫らは阿弥陀堂での法要後、犠牲者らを慰霊する「元亀兵乱殉難者鎮魂塚」で焼香、祈りをささげた。
水尾さんは報道陣の取材に対し、「区切りの年に織田家、明智家の方に参列いただけたことは意義がある。(比叡山を)襲った方々も戦の中で亡くなり、その歴史の上にわれわれは立っている。今後、新しい関係が始まったらいいと思う」と語った。
比叡山焼き打ちは1571(元亀2)年9月12日に起きた。信長らは「浅井・朝倉軍」が支援する延暦寺を大軍で攻め、多くの犠牲者が出た。【庭田学】