「散々、痛い目を見たけど忘れられない」1日200万負けてもハマり続ける「闇スロット」の沼

闇スロットの店が開くのは夜21時である。開店早々、店に入ってきたのは在京人気野球球団の投手Aだった。若手選手だがギャンブル狂で有名な選手である。
【画像】闇スロが購入しているスロット台の値段表
Aは精悍な表情で場内を物色すると手早く1台のスロット台を確保した。財布から2万円を取り出しメダルを購入する。レバーを引いてゲームスタート。眩い光が点滅し、電子音が響き渡る。Aの目はギラギラと輝いていた。
やがて彼は他のスロット台も物色し始め、何台もスロットをキープし同時並行で遊び始めた。スロットに次々と飲み込まれていくメダル、その額は数百万円にも膨れ上がって行った――。
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闇カジノの世界への入門編と呼ばれるのが、闇スロット(以下・闇スロ)である。バカラは一勝負で1000万円という金額が飛び交う大勝負であり、そのヒリヒリ感とアドレナリンが大量に放出される空気感をVIP客は好む。
一方で闇スロの場合はサラリーマンから有名人まで、その客層は幅広い。バカラほどの高額ギャンブルではないものの、闇スロはより敷居の低いギャンブルとしても知られている。
なぜ闇スロを気軽に遊ぶ人間が多いのか。 元闇カジノ店のオーナーで、業界に精通している漆原康之氏は、闇スロが一般人も通いやすい違法ギャンブルとなっているのは「パチンコと深い関わりがあるからだ」と語る。闇スロ“誕生”のきっかけは社会規制 闇スロが本格的に普及し始めたのが2006年くらいのこと。漆原氏も当時、いくつかの闇スロ店開設に深く関わっていた。 パチンコ・パチスロ市場はピークであった1995年ごろには30兆円産業とされていた。しかし95年を頂点に市場は縮小していく。理由は04年以降、市場拡大の牽引車だった射幸性の高い遊技機が法規制で撤去されたためだった。 ギャンブル中毒となった客が多重債務者となるケースが続出し、自殺者なども出たことにより社会問題となったのだ。新たに規制がかかり特にパチスロ愛好家のなかでは人気の高かった射幸性の高い「4号機」と呼ばれる台は、パチンコホールから姿を消すこととなった。(*パチスロ機は規則改正などにより代替わりしてきた。現在は6号機が主流となっている)「06年に闇スロ店をやろうという企画は、ある都内パチンコ店オーナーから持ち込まれたものでした。彼らの発想としてこうです。自分たちの土俵で仕事がしやすいもの、さらに稼げるものは何かとなったときに『闇スロ店』というアイデアが出てきた。 パチンコだと機械割とか釘とかいじらなきゃいけないから手間がかかる。スロットなら簡単に始められるという考えでした。私自身もスロット愛好者だったので、みなで楽しめるだろうと考え闇スロ店を始めました。パチンコ店オーナーはもともと闇カジノなどのアングラビジネスにお金を出している人間だから、アングラな闇スロ店をやることに対しては抵抗がないわけです」「痛い目を見たけど忘れられない」 闇スロ店の主力スロットは今でも「4号機」である。闇スロに流れてくる客は、現在の表のパチスロ台の主流である“安く遊べるけど出ない”マシンに飽き足らない人たちなのだという。もともとパチンコ店で遊んでいたスロット台だけに触りやすいし敷居も低いことも、闇スロに普通の人が流れやすい一因なのである。「4号機に散々、痛い目を見たけど、あの射幸性の高さが忘れられないというファンがいるんですね。だからパチンコホールと同じで並んででも来る。しかも闇スロ店ではドリンクとかタバコとかが無料で提供されるので居心地は更にいい。 闇スロ店の客の多くは、闇カジノ業界でいうところの『小者』です。(*小物(コシャ)は5万~10万円ぐらいしか使わないが、ある程度遊ぶ客を指す) でも、小者は闇スロでは結構いい客と見られる。例えば10万とか20万とかでも、30台ぐらいのマシンが埋まってお客さんが長く遊んでくれていれば闇スロ店としては儲けになるからです」パチンコ業界との「持ちつ持たれつ」 闇スロ店とパチンコ業界のグレーな関わりを示唆しているのが、その営業時間帯である。闇スロ店の営業時間は基本的に21時~翌朝10時である。24時間オープンしている店もある闇カジノと比較するとその営業時間帯は短い。 それには大きな理由があるのだという。「06年に闇スロ店をオープンした時に、他の闇スロ店が摘発されたみたいな話をよく聞いたんですね。金主であるパチンコ店オーナーに聞くと『商売敵になるのでパチンコ店が警察に圧力をかけて摘発させている』というのです。 それでパチンコ店の営業の邪魔にならないよう、闇スロ店は21時~翌朝10時を営業時間とするようになった。パチンコ店は東京では10時~23時まで営業していますが最終の客が入るのが21時くらい。だから闇スロが21時オープンでも許容してもらえるのです。客を取り合わないように、徐々に持ちつ持たれつの関係になって行ったのです。 パチスロも闇スロもギャンブルの仕組みは同じ。レートが違うだけで、表と裏で共存していく形なんですね。お客さんもパチンコ店から闇スロに流れてくる人も多いし、逆に闇スロで朝まで遊んでその後にパチンコ店に行くという人もいる」すべての客が1日に投入する金額は… パチスロのメダルは1枚20円が相場。06年に漆原氏が始めた闇スロ店はメダルは倍の40円に設定されていた。現在の闇スロでは25円、40円、100円、500円と台によって様々なレートが設定されているという。漆原氏の店では、全客が一日に闇スロに投入する金額の総計は650万~800万ほどで、うち店の売上が10~15%(約65万~120万円)だった。これは後述するイカサマがない場合の売上である。 闇スロ店の客は前述したように様々な人種がいる。サラリーマン、大手広告代理店社員、不動産会社社長、半グレ、詐欺師、そして芸能人やスポーツ選手である。 冒頭の野球選手Aが闇スロ店に足しげく通っていたのは2015年ごろ。漆原氏が当時、都内で経営していた店にも彼は姿を見せていた。Aを連れてきたのは元チームメイトのBだった。Bは、当時は引退していたものの一軍でバリバリ活躍していた元有名選手である。 Bは漆原氏に「Aは横浜の闇カジノに出入りしているギャンブル狂いです。どうせAは負けるんだから漆原さんの店で回収しましょう」と持ち掛けてきたという。 友人のように振舞っている客でも、一枚皮をめくれば“騙し騙され”の関係にあるというのが、闇カジノ界の業の深さだといえよう。「彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ…」「Bは小金を稼ごうとする利に聡いタイプでしたね。Aはうちの店でもドハマりして週5回は来ていました。“沖スロ”と呼ばれる沖縄のハイビスカスとかがモチーフとなっている台を好んでいましたね。1日に40万~50万円負けていきながら、たまに30万円くらい勝って戻してというペースで遊んでいた。多い時には200万円近くも負けて慌ててBにお金を借りたりしていたこともありました。チャラになりそうなところでも引かず、また50万負けるというように、もはや“負けるために遊んでいるのか”という雰囲気でした。『オカマを掘られる』、というのですが、自分が台を離れたあとに誰かそこに座って勝つのを見たくないという心理が働いていたようです。 でも、私もスロット好きだったので、彼が毎日来るうちにいろいろ話すようになって、気も合いかなり仲良くなりました。彼が事業を始めるということで、開設資金200万円を貸したこともあります。でも、それもAはギャンブルで溶かしてしまったそうです。他のカジノで相当やられていたようです。 でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
元闇カジノ店のオーナーで、業界に精通している漆原康之氏は、闇スロが一般人も通いやすい違法ギャンブルとなっているのは「パチンコと深い関わりがあるからだ」と語る。闇スロ“誕生”のきっかけは社会規制 闇スロが本格的に普及し始めたのが2006年くらいのこと。漆原氏も当時、いくつかの闇スロ店開設に深く関わっていた。 パチンコ・パチスロ市場はピークであった1995年ごろには30兆円産業とされていた。しかし95年を頂点に市場は縮小していく。理由は04年以降、市場拡大の牽引車だった射幸性の高い遊技機が法規制で撤去されたためだった。 ギャンブル中毒となった客が多重債務者となるケースが続出し、自殺者なども出たことにより社会問題となったのだ。新たに規制がかかり特にパチスロ愛好家のなかでは人気の高かった射幸性の高い「4号機」と呼ばれる台は、パチンコホールから姿を消すこととなった。(*パチスロ機は規則改正などにより代替わりしてきた。現在は6号機が主流となっている)「06年に闇スロ店をやろうという企画は、ある都内パチンコ店オーナーから持ち込まれたものでした。彼らの発想としてこうです。自分たちの土俵で仕事がしやすいもの、さらに稼げるものは何かとなったときに『闇スロ店』というアイデアが出てきた。 パチンコだと機械割とか釘とかいじらなきゃいけないから手間がかかる。スロットなら簡単に始められるという考えでした。私自身もスロット愛好者だったので、みなで楽しめるだろうと考え闇スロ店を始めました。パチンコ店オーナーはもともと闇カジノなどのアングラビジネスにお金を出している人間だから、アングラな闇スロ店をやることに対しては抵抗がないわけです」「痛い目を見たけど忘れられない」 闇スロ店の主力スロットは今でも「4号機」である。闇スロに流れてくる客は、現在の表のパチスロ台の主流である“安く遊べるけど出ない”マシンに飽き足らない人たちなのだという。もともとパチンコ店で遊んでいたスロット台だけに触りやすいし敷居も低いことも、闇スロに普通の人が流れやすい一因なのである。「4号機に散々、痛い目を見たけど、あの射幸性の高さが忘れられないというファンがいるんですね。だからパチンコホールと同じで並んででも来る。しかも闇スロ店ではドリンクとかタバコとかが無料で提供されるので居心地は更にいい。 闇スロ店の客の多くは、闇カジノ業界でいうところの『小者』です。(*小物(コシャ)は5万~10万円ぐらいしか使わないが、ある程度遊ぶ客を指す) でも、小者は闇スロでは結構いい客と見られる。例えば10万とか20万とかでも、30台ぐらいのマシンが埋まってお客さんが長く遊んでくれていれば闇スロ店としては儲けになるからです」パチンコ業界との「持ちつ持たれつ」 闇スロ店とパチンコ業界のグレーな関わりを示唆しているのが、その営業時間帯である。闇スロ店の営業時間は基本的に21時~翌朝10時である。24時間オープンしている店もある闇カジノと比較するとその営業時間帯は短い。 それには大きな理由があるのだという。「06年に闇スロ店をオープンした時に、他の闇スロ店が摘発されたみたいな話をよく聞いたんですね。金主であるパチンコ店オーナーに聞くと『商売敵になるのでパチンコ店が警察に圧力をかけて摘発させている』というのです。 それでパチンコ店の営業の邪魔にならないよう、闇スロ店は21時~翌朝10時を営業時間とするようになった。パチンコ店は東京では10時~23時まで営業していますが最終の客が入るのが21時くらい。だから闇スロが21時オープンでも許容してもらえるのです。客を取り合わないように、徐々に持ちつ持たれつの関係になって行ったのです。 パチスロも闇スロもギャンブルの仕組みは同じ。レートが違うだけで、表と裏で共存していく形なんですね。お客さんもパチンコ店から闇スロに流れてくる人も多いし、逆に闇スロで朝まで遊んでその後にパチンコ店に行くという人もいる」すべての客が1日に投入する金額は… パチスロのメダルは1枚20円が相場。06年に漆原氏が始めた闇スロ店はメダルは倍の40円に設定されていた。現在の闇スロでは25円、40円、100円、500円と台によって様々なレートが設定されているという。漆原氏の店では、全客が一日に闇スロに投入する金額の総計は650万~800万ほどで、うち店の売上が10~15%(約65万~120万円)だった。これは後述するイカサマがない場合の売上である。 闇スロ店の客は前述したように様々な人種がいる。サラリーマン、大手広告代理店社員、不動産会社社長、半グレ、詐欺師、そして芸能人やスポーツ選手である。 冒頭の野球選手Aが闇スロ店に足しげく通っていたのは2015年ごろ。漆原氏が当時、都内で経営していた店にも彼は姿を見せていた。Aを連れてきたのは元チームメイトのBだった。Bは、当時は引退していたものの一軍でバリバリ活躍していた元有名選手である。 Bは漆原氏に「Aは横浜の闇カジノに出入りしているギャンブル狂いです。どうせAは負けるんだから漆原さんの店で回収しましょう」と持ち掛けてきたという。 友人のように振舞っている客でも、一枚皮をめくれば“騙し騙され”の関係にあるというのが、闇カジノ界の業の深さだといえよう。「彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ…」「Bは小金を稼ごうとする利に聡いタイプでしたね。Aはうちの店でもドハマりして週5回は来ていました。“沖スロ”と呼ばれる沖縄のハイビスカスとかがモチーフとなっている台を好んでいましたね。1日に40万~50万円負けていきながら、たまに30万円くらい勝って戻してというペースで遊んでいた。多い時には200万円近くも負けて慌ててBにお金を借りたりしていたこともありました。チャラになりそうなところでも引かず、また50万負けるというように、もはや“負けるために遊んでいるのか”という雰囲気でした。『オカマを掘られる』、というのですが、自分が台を離れたあとに誰かそこに座って勝つのを見たくないという心理が働いていたようです。 でも、私もスロット好きだったので、彼が毎日来るうちにいろいろ話すようになって、気も合いかなり仲良くなりました。彼が事業を始めるということで、開設資金200万円を貸したこともあります。でも、それもAはギャンブルで溶かしてしまったそうです。他のカジノで相当やられていたようです。 でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
闇スロが本格的に普及し始めたのが2006年くらいのこと。漆原氏も当時、いくつかの闇スロ店開設に深く関わっていた。 パチンコ・パチスロ市場はピークであった1995年ごろには30兆円産業とされていた。しかし95年を頂点に市場は縮小していく。理由は04年以降、市場拡大の牽引車だった射幸性の高い遊技機が法規制で撤去されたためだった。 ギャンブル中毒となった客が多重債務者となるケースが続出し、自殺者なども出たことにより社会問題となったのだ。新たに規制がかかり特にパチスロ愛好家のなかでは人気の高かった射幸性の高い「4号機」と呼ばれる台は、パチンコホールから姿を消すこととなった。(*パチスロ機は規則改正などにより代替わりしてきた。現在は6号機が主流となっている)「06年に闇スロ店をやろうという企画は、ある都内パチンコ店オーナーから持ち込まれたものでした。彼らの発想としてこうです。自分たちの土俵で仕事がしやすいもの、さらに稼げるものは何かとなったときに『闇スロ店』というアイデアが出てきた。 パチンコだと機械割とか釘とかいじらなきゃいけないから手間がかかる。スロットなら簡単に始められるという考えでした。私自身もスロット愛好者だったので、みなで楽しめるだろうと考え闇スロ店を始めました。パチンコ店オーナーはもともと闇カジノなどのアングラビジネスにお金を出している人間だから、アングラな闇スロ店をやることに対しては抵抗がないわけです」「痛い目を見たけど忘れられない」 闇スロ店の主力スロットは今でも「4号機」である。闇スロに流れてくる客は、現在の表のパチスロ台の主流である“安く遊べるけど出ない”マシンに飽き足らない人たちなのだという。もともとパチンコ店で遊んでいたスロット台だけに触りやすいし敷居も低いことも、闇スロに普通の人が流れやすい一因なのである。「4号機に散々、痛い目を見たけど、あの射幸性の高さが忘れられないというファンがいるんですね。だからパチンコホールと同じで並んででも来る。しかも闇スロ店ではドリンクとかタバコとかが無料で提供されるので居心地は更にいい。 闇スロ店の客の多くは、闇カジノ業界でいうところの『小者』です。(*小物(コシャ)は5万~10万円ぐらいしか使わないが、ある程度遊ぶ客を指す) でも、小者は闇スロでは結構いい客と見られる。例えば10万とか20万とかでも、30台ぐらいのマシンが埋まってお客さんが長く遊んでくれていれば闇スロ店としては儲けになるからです」パチンコ業界との「持ちつ持たれつ」 闇スロ店とパチンコ業界のグレーな関わりを示唆しているのが、その営業時間帯である。闇スロ店の営業時間は基本的に21時~翌朝10時である。24時間オープンしている店もある闇カジノと比較するとその営業時間帯は短い。 それには大きな理由があるのだという。「06年に闇スロ店をオープンした時に、他の闇スロ店が摘発されたみたいな話をよく聞いたんですね。金主であるパチンコ店オーナーに聞くと『商売敵になるのでパチンコ店が警察に圧力をかけて摘発させている』というのです。 それでパチンコ店の営業の邪魔にならないよう、闇スロ店は21時~翌朝10時を営業時間とするようになった。パチンコ店は東京では10時~23時まで営業していますが最終の客が入るのが21時くらい。だから闇スロが21時オープンでも許容してもらえるのです。客を取り合わないように、徐々に持ちつ持たれつの関係になって行ったのです。 パチスロも闇スロもギャンブルの仕組みは同じ。レートが違うだけで、表と裏で共存していく形なんですね。お客さんもパチンコ店から闇スロに流れてくる人も多いし、逆に闇スロで朝まで遊んでその後にパチンコ店に行くという人もいる」すべての客が1日に投入する金額は… パチスロのメダルは1枚20円が相場。06年に漆原氏が始めた闇スロ店はメダルは倍の40円に設定されていた。現在の闇スロでは25円、40円、100円、500円と台によって様々なレートが設定されているという。漆原氏の店では、全客が一日に闇スロに投入する金額の総計は650万~800万ほどで、うち店の売上が10~15%(約65万~120万円)だった。これは後述するイカサマがない場合の売上である。 闇スロ店の客は前述したように様々な人種がいる。サラリーマン、大手広告代理店社員、不動産会社社長、半グレ、詐欺師、そして芸能人やスポーツ選手である。 冒頭の野球選手Aが闇スロ店に足しげく通っていたのは2015年ごろ。漆原氏が当時、都内で経営していた店にも彼は姿を見せていた。Aを連れてきたのは元チームメイトのBだった。Bは、当時は引退していたものの一軍でバリバリ活躍していた元有名選手である。 Bは漆原氏に「Aは横浜の闇カジノに出入りしているギャンブル狂いです。どうせAは負けるんだから漆原さんの店で回収しましょう」と持ち掛けてきたという。 友人のように振舞っている客でも、一枚皮をめくれば“騙し騙され”の関係にあるというのが、闇カジノ界の業の深さだといえよう。「彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ…」「Bは小金を稼ごうとする利に聡いタイプでしたね。Aはうちの店でもドハマりして週5回は来ていました。“沖スロ”と呼ばれる沖縄のハイビスカスとかがモチーフとなっている台を好んでいましたね。1日に40万~50万円負けていきながら、たまに30万円くらい勝って戻してというペースで遊んでいた。多い時には200万円近くも負けて慌ててBにお金を借りたりしていたこともありました。チャラになりそうなところでも引かず、また50万負けるというように、もはや“負けるために遊んでいるのか”という雰囲気でした。『オカマを掘られる』、というのですが、自分が台を離れたあとに誰かそこに座って勝つのを見たくないという心理が働いていたようです。 でも、私もスロット好きだったので、彼が毎日来るうちにいろいろ話すようになって、気も合いかなり仲良くなりました。彼が事業を始めるということで、開設資金200万円を貸したこともあります。でも、それもAはギャンブルで溶かしてしまったそうです。他のカジノで相当やられていたようです。 でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
パチンコ・パチスロ市場はピークであった1995年ごろには30兆円産業とされていた。しかし95年を頂点に市場は縮小していく。理由は04年以降、市場拡大の牽引車だった射幸性の高い遊技機が法規制で撤去されたためだった。 ギャンブル中毒となった客が多重債務者となるケースが続出し、自殺者なども出たことにより社会問題となったのだ。新たに規制がかかり特にパチスロ愛好家のなかでは人気の高かった射幸性の高い「4号機」と呼ばれる台は、パチンコホールから姿を消すこととなった。(*パチスロ機は規則改正などにより代替わりしてきた。現在は6号機が主流となっている)「06年に闇スロ店をやろうという企画は、ある都内パチンコ店オーナーから持ち込まれたものでした。彼らの発想としてこうです。自分たちの土俵で仕事がしやすいもの、さらに稼げるものは何かとなったときに『闇スロ店』というアイデアが出てきた。 パチンコだと機械割とか釘とかいじらなきゃいけないから手間がかかる。スロットなら簡単に始められるという考えでした。私自身もスロット愛好者だったので、みなで楽しめるだろうと考え闇スロ店を始めました。パチンコ店オーナーはもともと闇カジノなどのアングラビジネスにお金を出している人間だから、アングラな闇スロ店をやることに対しては抵抗がないわけです」「痛い目を見たけど忘れられない」 闇スロ店の主力スロットは今でも「4号機」である。闇スロに流れてくる客は、現在の表のパチスロ台の主流である“安く遊べるけど出ない”マシンに飽き足らない人たちなのだという。もともとパチンコ店で遊んでいたスロット台だけに触りやすいし敷居も低いことも、闇スロに普通の人が流れやすい一因なのである。「4号機に散々、痛い目を見たけど、あの射幸性の高さが忘れられないというファンがいるんですね。だからパチンコホールと同じで並んででも来る。しかも闇スロ店ではドリンクとかタバコとかが無料で提供されるので居心地は更にいい。 闇スロ店の客の多くは、闇カジノ業界でいうところの『小者』です。(*小物(コシャ)は5万~10万円ぐらいしか使わないが、ある程度遊ぶ客を指す) でも、小者は闇スロでは結構いい客と見られる。例えば10万とか20万とかでも、30台ぐらいのマシンが埋まってお客さんが長く遊んでくれていれば闇スロ店としては儲けになるからです」パチンコ業界との「持ちつ持たれつ」 闇スロ店とパチンコ業界のグレーな関わりを示唆しているのが、その営業時間帯である。闇スロ店の営業時間は基本的に21時~翌朝10時である。24時間オープンしている店もある闇カジノと比較するとその営業時間帯は短い。 それには大きな理由があるのだという。「06年に闇スロ店をオープンした時に、他の闇スロ店が摘発されたみたいな話をよく聞いたんですね。金主であるパチンコ店オーナーに聞くと『商売敵になるのでパチンコ店が警察に圧力をかけて摘発させている』というのです。 それでパチンコ店の営業の邪魔にならないよう、闇スロ店は21時~翌朝10時を営業時間とするようになった。パチンコ店は東京では10時~23時まで営業していますが最終の客が入るのが21時くらい。だから闇スロが21時オープンでも許容してもらえるのです。客を取り合わないように、徐々に持ちつ持たれつの関係になって行ったのです。 パチスロも闇スロもギャンブルの仕組みは同じ。レートが違うだけで、表と裏で共存していく形なんですね。お客さんもパチンコ店から闇スロに流れてくる人も多いし、逆に闇スロで朝まで遊んでその後にパチンコ店に行くという人もいる」すべての客が1日に投入する金額は… パチスロのメダルは1枚20円が相場。06年に漆原氏が始めた闇スロ店はメダルは倍の40円に設定されていた。現在の闇スロでは25円、40円、100円、500円と台によって様々なレートが設定されているという。漆原氏の店では、全客が一日に闇スロに投入する金額の総計は650万~800万ほどで、うち店の売上が10~15%(約65万~120万円)だった。これは後述するイカサマがない場合の売上である。 闇スロ店の客は前述したように様々な人種がいる。サラリーマン、大手広告代理店社員、不動産会社社長、半グレ、詐欺師、そして芸能人やスポーツ選手である。 冒頭の野球選手Aが闇スロ店に足しげく通っていたのは2015年ごろ。漆原氏が当時、都内で経営していた店にも彼は姿を見せていた。Aを連れてきたのは元チームメイトのBだった。Bは、当時は引退していたものの一軍でバリバリ活躍していた元有名選手である。 Bは漆原氏に「Aは横浜の闇カジノに出入りしているギャンブル狂いです。どうせAは負けるんだから漆原さんの店で回収しましょう」と持ち掛けてきたという。 友人のように振舞っている客でも、一枚皮をめくれば“騙し騙され”の関係にあるというのが、闇カジノ界の業の深さだといえよう。「彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ…」「Bは小金を稼ごうとする利に聡いタイプでしたね。Aはうちの店でもドハマりして週5回は来ていました。“沖スロ”と呼ばれる沖縄のハイビスカスとかがモチーフとなっている台を好んでいましたね。1日に40万~50万円負けていきながら、たまに30万円くらい勝って戻してというペースで遊んでいた。多い時には200万円近くも負けて慌ててBにお金を借りたりしていたこともありました。チャラになりそうなところでも引かず、また50万負けるというように、もはや“負けるために遊んでいるのか”という雰囲気でした。『オカマを掘られる』、というのですが、自分が台を離れたあとに誰かそこに座って勝つのを見たくないという心理が働いていたようです。 でも、私もスロット好きだったので、彼が毎日来るうちにいろいろ話すようになって、気も合いかなり仲良くなりました。彼が事業を始めるということで、開設資金200万円を貸したこともあります。でも、それもAはギャンブルで溶かしてしまったそうです。他のカジノで相当やられていたようです。 でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
ギャンブル中毒となった客が多重債務者となるケースが続出し、自殺者なども出たことにより社会問題となったのだ。新たに規制がかかり特にパチスロ愛好家のなかでは人気の高かった射幸性の高い「4号機」と呼ばれる台は、パチンコホールから姿を消すこととなった。(*パチスロ機は規則改正などにより代替わりしてきた。現在は6号機が主流となっている)「06年に闇スロ店をやろうという企画は、ある都内パチンコ店オーナーから持ち込まれたものでした。彼らの発想としてこうです。自分たちの土俵で仕事がしやすいもの、さらに稼げるものは何かとなったときに『闇スロ店』というアイデアが出てきた。 パチンコだと機械割とか釘とかいじらなきゃいけないから手間がかかる。スロットなら簡単に始められるという考えでした。私自身もスロット愛好者だったので、みなで楽しめるだろうと考え闇スロ店を始めました。パチンコ店オーナーはもともと闇カジノなどのアングラビジネスにお金を出している人間だから、アングラな闇スロ店をやることに対しては抵抗がないわけです」「痛い目を見たけど忘れられない」 闇スロ店の主力スロットは今でも「4号機」である。闇スロに流れてくる客は、現在の表のパチスロ台の主流である“安く遊べるけど出ない”マシンに飽き足らない人たちなのだという。もともとパチンコ店で遊んでいたスロット台だけに触りやすいし敷居も低いことも、闇スロに普通の人が流れやすい一因なのである。「4号機に散々、痛い目を見たけど、あの射幸性の高さが忘れられないというファンがいるんですね。だからパチンコホールと同じで並んででも来る。しかも闇スロ店ではドリンクとかタバコとかが無料で提供されるので居心地は更にいい。 闇スロ店の客の多くは、闇カジノ業界でいうところの『小者』です。(*小物(コシャ)は5万~10万円ぐらいしか使わないが、ある程度遊ぶ客を指す) でも、小者は闇スロでは結構いい客と見られる。例えば10万とか20万とかでも、30台ぐらいのマシンが埋まってお客さんが長く遊んでくれていれば闇スロ店としては儲けになるからです」パチンコ業界との「持ちつ持たれつ」 闇スロ店とパチンコ業界のグレーな関わりを示唆しているのが、その営業時間帯である。闇スロ店の営業時間は基本的に21時~翌朝10時である。24時間オープンしている店もある闇カジノと比較するとその営業時間帯は短い。 それには大きな理由があるのだという。「06年に闇スロ店をオープンした時に、他の闇スロ店が摘発されたみたいな話をよく聞いたんですね。金主であるパチンコ店オーナーに聞くと『商売敵になるのでパチンコ店が警察に圧力をかけて摘発させている』というのです。 それでパチンコ店の営業の邪魔にならないよう、闇スロ店は21時~翌朝10時を営業時間とするようになった。パチンコ店は東京では10時~23時まで営業していますが最終の客が入るのが21時くらい。だから闇スロが21時オープンでも許容してもらえるのです。客を取り合わないように、徐々に持ちつ持たれつの関係になって行ったのです。 パチスロも闇スロもギャンブルの仕組みは同じ。レートが違うだけで、表と裏で共存していく形なんですね。お客さんもパチンコ店から闇スロに流れてくる人も多いし、逆に闇スロで朝まで遊んでその後にパチンコ店に行くという人もいる」すべての客が1日に投入する金額は… パチスロのメダルは1枚20円が相場。06年に漆原氏が始めた闇スロ店はメダルは倍の40円に設定されていた。現在の闇スロでは25円、40円、100円、500円と台によって様々なレートが設定されているという。漆原氏の店では、全客が一日に闇スロに投入する金額の総計は650万~800万ほどで、うち店の売上が10~15%(約65万~120万円)だった。これは後述するイカサマがない場合の売上である。 闇スロ店の客は前述したように様々な人種がいる。サラリーマン、大手広告代理店社員、不動産会社社長、半グレ、詐欺師、そして芸能人やスポーツ選手である。 冒頭の野球選手Aが闇スロ店に足しげく通っていたのは2015年ごろ。漆原氏が当時、都内で経営していた店にも彼は姿を見せていた。Aを連れてきたのは元チームメイトのBだった。Bは、当時は引退していたものの一軍でバリバリ活躍していた元有名選手である。 Bは漆原氏に「Aは横浜の闇カジノに出入りしているギャンブル狂いです。どうせAは負けるんだから漆原さんの店で回収しましょう」と持ち掛けてきたという。 友人のように振舞っている客でも、一枚皮をめくれば“騙し騙され”の関係にあるというのが、闇カジノ界の業の深さだといえよう。「彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ…」「Bは小金を稼ごうとする利に聡いタイプでしたね。Aはうちの店でもドハマりして週5回は来ていました。“沖スロ”と呼ばれる沖縄のハイビスカスとかがモチーフとなっている台を好んでいましたね。1日に40万~50万円負けていきながら、たまに30万円くらい勝って戻してというペースで遊んでいた。多い時には200万円近くも負けて慌ててBにお金を借りたりしていたこともありました。チャラになりそうなところでも引かず、また50万負けるというように、もはや“負けるために遊んでいるのか”という雰囲気でした。『オカマを掘られる』、というのですが、自分が台を離れたあとに誰かそこに座って勝つのを見たくないという心理が働いていたようです。 でも、私もスロット好きだったので、彼が毎日来るうちにいろいろ話すようになって、気も合いかなり仲良くなりました。彼が事業を始めるということで、開設資金200万円を貸したこともあります。でも、それもAはギャンブルで溶かしてしまったそうです。他のカジノで相当やられていたようです。 でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
「06年に闇スロ店をやろうという企画は、ある都内パチンコ店オーナーから持ち込まれたものでした。彼らの発想としてこうです。自分たちの土俵で仕事がしやすいもの、さらに稼げるものは何かとなったときに『闇スロ店』というアイデアが出てきた。 パチンコだと機械割とか釘とかいじらなきゃいけないから手間がかかる。スロットなら簡単に始められるという考えでした。私自身もスロット愛好者だったので、みなで楽しめるだろうと考え闇スロ店を始めました。パチンコ店オーナーはもともと闇カジノなどのアングラビジネスにお金を出している人間だから、アングラな闇スロ店をやることに対しては抵抗がないわけです」「痛い目を見たけど忘れられない」 闇スロ店の主力スロットは今でも「4号機」である。闇スロに流れてくる客は、現在の表のパチスロ台の主流である“安く遊べるけど出ない”マシンに飽き足らない人たちなのだという。もともとパチンコ店で遊んでいたスロット台だけに触りやすいし敷居も低いことも、闇スロに普通の人が流れやすい一因なのである。「4号機に散々、痛い目を見たけど、あの射幸性の高さが忘れられないというファンがいるんですね。だからパチンコホールと同じで並んででも来る。しかも闇スロ店ではドリンクとかタバコとかが無料で提供されるので居心地は更にいい。 闇スロ店の客の多くは、闇カジノ業界でいうところの『小者』です。(*小物(コシャ)は5万~10万円ぐらいしか使わないが、ある程度遊ぶ客を指す) でも、小者は闇スロでは結構いい客と見られる。例えば10万とか20万とかでも、30台ぐらいのマシンが埋まってお客さんが長く遊んでくれていれば闇スロ店としては儲けになるからです」パチンコ業界との「持ちつ持たれつ」 闇スロ店とパチンコ業界のグレーな関わりを示唆しているのが、その営業時間帯である。闇スロ店の営業時間は基本的に21時~翌朝10時である。24時間オープンしている店もある闇カジノと比較するとその営業時間帯は短い。 それには大きな理由があるのだという。「06年に闇スロ店をオープンした時に、他の闇スロ店が摘発されたみたいな話をよく聞いたんですね。金主であるパチンコ店オーナーに聞くと『商売敵になるのでパチンコ店が警察に圧力をかけて摘発させている』というのです。 それでパチンコ店の営業の邪魔にならないよう、闇スロ店は21時~翌朝10時を営業時間とするようになった。パチンコ店は東京では10時~23時まで営業していますが最終の客が入るのが21時くらい。だから闇スロが21時オープンでも許容してもらえるのです。客を取り合わないように、徐々に持ちつ持たれつの関係になって行ったのです。 パチスロも闇スロもギャンブルの仕組みは同じ。レートが違うだけで、表と裏で共存していく形なんですね。お客さんもパチンコ店から闇スロに流れてくる人も多いし、逆に闇スロで朝まで遊んでその後にパチンコ店に行くという人もいる」すべての客が1日に投入する金額は… パチスロのメダルは1枚20円が相場。06年に漆原氏が始めた闇スロ店はメダルは倍の40円に設定されていた。現在の闇スロでは25円、40円、100円、500円と台によって様々なレートが設定されているという。漆原氏の店では、全客が一日に闇スロに投入する金額の総計は650万~800万ほどで、うち店の売上が10~15%(約65万~120万円)だった。これは後述するイカサマがない場合の売上である。 闇スロ店の客は前述したように様々な人種がいる。サラリーマン、大手広告代理店社員、不動産会社社長、半グレ、詐欺師、そして芸能人やスポーツ選手である。 冒頭の野球選手Aが闇スロ店に足しげく通っていたのは2015年ごろ。漆原氏が当時、都内で経営していた店にも彼は姿を見せていた。Aを連れてきたのは元チームメイトのBだった。Bは、当時は引退していたものの一軍でバリバリ活躍していた元有名選手である。 Bは漆原氏に「Aは横浜の闇カジノに出入りしているギャンブル狂いです。どうせAは負けるんだから漆原さんの店で回収しましょう」と持ち掛けてきたという。 友人のように振舞っている客でも、一枚皮をめくれば“騙し騙され”の関係にあるというのが、闇カジノ界の業の深さだといえよう。「彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ…」「Bは小金を稼ごうとする利に聡いタイプでしたね。Aはうちの店でもドハマりして週5回は来ていました。“沖スロ”と呼ばれる沖縄のハイビスカスとかがモチーフとなっている台を好んでいましたね。1日に40万~50万円負けていきながら、たまに30万円くらい勝って戻してというペースで遊んでいた。多い時には200万円近くも負けて慌ててBにお金を借りたりしていたこともありました。チャラになりそうなところでも引かず、また50万負けるというように、もはや“負けるために遊んでいるのか”という雰囲気でした。『オカマを掘られる』、というのですが、自分が台を離れたあとに誰かそこに座って勝つのを見たくないという心理が働いていたようです。 でも、私もスロット好きだったので、彼が毎日来るうちにいろいろ話すようになって、気も合いかなり仲良くなりました。彼が事業を始めるということで、開設資金200万円を貸したこともあります。でも、それもAはギャンブルで溶かしてしまったそうです。他のカジノで相当やられていたようです。 でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
「06年に闇スロ店をやろうという企画は、ある都内パチンコ店オーナーから持ち込まれたものでした。彼らの発想としてこうです。自分たちの土俵で仕事がしやすいもの、さらに稼げるものは何かとなったときに『闇スロ店』というアイデアが出てきた。 パチンコだと機械割とか釘とかいじらなきゃいけないから手間がかかる。スロットなら簡単に始められるという考えでした。私自身もスロット愛好者だったので、みなで楽しめるだろうと考え闇スロ店を始めました。パチンコ店オーナーはもともと闇カジノなどのアングラビジネスにお金を出している人間だから、アングラな闇スロ店をやることに対しては抵抗がないわけです」「痛い目を見たけど忘れられない」 闇スロ店の主力スロットは今でも「4号機」である。闇スロに流れてくる客は、現在の表のパチスロ台の主流である“安く遊べるけど出ない”マシンに飽き足らない人たちなのだという。もともとパチンコ店で遊んでいたスロット台だけに触りやすいし敷居も低いことも、闇スロに普通の人が流れやすい一因なのである。「4号機に散々、痛い目を見たけど、あの射幸性の高さが忘れられないというファンがいるんですね。だからパチンコホールと同じで並んででも来る。しかも闇スロ店ではドリンクとかタバコとかが無料で提供されるので居心地は更にいい。 闇スロ店の客の多くは、闇カジノ業界でいうところの『小者』です。(*小物(コシャ)は5万~10万円ぐらいしか使わないが、ある程度遊ぶ客を指す) でも、小者は闇スロでは結構いい客と見られる。例えば10万とか20万とかでも、30台ぐらいのマシンが埋まってお客さんが長く遊んでくれていれば闇スロ店としては儲けになるからです」パチンコ業界との「持ちつ持たれつ」 闇スロ店とパチンコ業界のグレーな関わりを示唆しているのが、その営業時間帯である。闇スロ店の営業時間は基本的に21時~翌朝10時である。24時間オープンしている店もある闇カジノと比較するとその営業時間帯は短い。 それには大きな理由があるのだという。「06年に闇スロ店をオープンした時に、他の闇スロ店が摘発されたみたいな話をよく聞いたんですね。金主であるパチンコ店オーナーに聞くと『商売敵になるのでパチンコ店が警察に圧力をかけて摘発させている』というのです。 それでパチンコ店の営業の邪魔にならないよう、闇スロ店は21時~翌朝10時を営業時間とするようになった。パチンコ店は東京では10時~23時まで営業していますが最終の客が入るのが21時くらい。だから闇スロが21時オープンでも許容してもらえるのです。客を取り合わないように、徐々に持ちつ持たれつの関係になって行ったのです。 パチスロも闇スロもギャンブルの仕組みは同じ。レートが違うだけで、表と裏で共存していく形なんですね。お客さんもパチンコ店から闇スロに流れてくる人も多いし、逆に闇スロで朝まで遊んでその後にパチンコ店に行くという人もいる」すべての客が1日に投入する金額は… パチスロのメダルは1枚20円が相場。06年に漆原氏が始めた闇スロ店はメダルは倍の40円に設定されていた。現在の闇スロでは25円、40円、100円、500円と台によって様々なレートが設定されているという。漆原氏の店では、全客が一日に闇スロに投入する金額の総計は650万~800万ほどで、うち店の売上が10~15%(約65万~120万円)だった。これは後述するイカサマがない場合の売上である。 闇スロ店の客は前述したように様々な人種がいる。サラリーマン、大手広告代理店社員、不動産会社社長、半グレ、詐欺師、そして芸能人やスポーツ選手である。 冒頭の野球選手Aが闇スロ店に足しげく通っていたのは2015年ごろ。漆原氏が当時、都内で経営していた店にも彼は姿を見せていた。Aを連れてきたのは元チームメイトのBだった。Bは、当時は引退していたものの一軍でバリバリ活躍していた元有名選手である。 Bは漆原氏に「Aは横浜の闇カジノに出入りしているギャンブル狂いです。どうせAは負けるんだから漆原さんの店で回収しましょう」と持ち掛けてきたという。 友人のように振舞っている客でも、一枚皮をめくれば“騙し騙され”の関係にあるというのが、闇カジノ界の業の深さだといえよう。「彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ…」「Bは小金を稼ごうとする利に聡いタイプでしたね。Aはうちの店でもドハマりして週5回は来ていました。“沖スロ”と呼ばれる沖縄のハイビスカスとかがモチーフとなっている台を好んでいましたね。1日に40万~50万円負けていきながら、たまに30万円くらい勝って戻してというペースで遊んでいた。多い時には200万円近くも負けて慌ててBにお金を借りたりしていたこともありました。チャラになりそうなところでも引かず、また50万負けるというように、もはや“負けるために遊んでいるのか”という雰囲気でした。『オカマを掘られる』、というのですが、自分が台を離れたあとに誰かそこに座って勝つのを見たくないという心理が働いていたようです。 でも、私もスロット好きだったので、彼が毎日来るうちにいろいろ話すようになって、気も合いかなり仲良くなりました。彼が事業を始めるということで、開設資金200万円を貸したこともあります。でも、それもAはギャンブルで溶かしてしまったそうです。他のカジノで相当やられていたようです。 でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
パチンコだと機械割とか釘とかいじらなきゃいけないから手間がかかる。スロットなら簡単に始められるという考えでした。私自身もスロット愛好者だったので、みなで楽しめるだろうと考え闇スロ店を始めました。パチンコ店オーナーはもともと闇カジノなどのアングラビジネスにお金を出している人間だから、アングラな闇スロ店をやることに対しては抵抗がないわけです」「痛い目を見たけど忘れられない」 闇スロ店の主力スロットは今でも「4号機」である。闇スロに流れてくる客は、現在の表のパチスロ台の主流である“安く遊べるけど出ない”マシンに飽き足らない人たちなのだという。もともとパチンコ店で遊んでいたスロット台だけに触りやすいし敷居も低いことも、闇スロに普通の人が流れやすい一因なのである。「4号機に散々、痛い目を見たけど、あの射幸性の高さが忘れられないというファンがいるんですね。だからパチンコホールと同じで並んででも来る。しかも闇スロ店ではドリンクとかタバコとかが無料で提供されるので居心地は更にいい。 闇スロ店の客の多くは、闇カジノ業界でいうところの『小者』です。(*小物(コシャ)は5万~10万円ぐらいしか使わないが、ある程度遊ぶ客を指す) でも、小者は闇スロでは結構いい客と見られる。例えば10万とか20万とかでも、30台ぐらいのマシンが埋まってお客さんが長く遊んでくれていれば闇スロ店としては儲けになるからです」パチンコ業界との「持ちつ持たれつ」 闇スロ店とパチンコ業界のグレーな関わりを示唆しているのが、その営業時間帯である。闇スロ店の営業時間は基本的に21時~翌朝10時である。24時間オープンしている店もある闇カジノと比較するとその営業時間帯は短い。 それには大きな理由があるのだという。「06年に闇スロ店をオープンした時に、他の闇スロ店が摘発されたみたいな話をよく聞いたんですね。金主であるパチンコ店オーナーに聞くと『商売敵になるのでパチンコ店が警察に圧力をかけて摘発させている』というのです。 それでパチンコ店の営業の邪魔にならないよう、闇スロ店は21時~翌朝10時を営業時間とするようになった。パチンコ店は東京では10時~23時まで営業していますが最終の客が入るのが21時くらい。だから闇スロが21時オープンでも許容してもらえるのです。客を取り合わないように、徐々に持ちつ持たれつの関係になって行ったのです。 パチスロも闇スロもギャンブルの仕組みは同じ。レートが違うだけで、表と裏で共存していく形なんですね。お客さんもパチンコ店から闇スロに流れてくる人も多いし、逆に闇スロで朝まで遊んでその後にパチンコ店に行くという人もいる」すべての客が1日に投入する金額は… パチスロのメダルは1枚20円が相場。06年に漆原氏が始めた闇スロ店はメダルは倍の40円に設定されていた。現在の闇スロでは25円、40円、100円、500円と台によって様々なレートが設定されているという。漆原氏の店では、全客が一日に闇スロに投入する金額の総計は650万~800万ほどで、うち店の売上が10~15%(約65万~120万円)だった。これは後述するイカサマがない場合の売上である。 闇スロ店の客は前述したように様々な人種がいる。サラリーマン、大手広告代理店社員、不動産会社社長、半グレ、詐欺師、そして芸能人やスポーツ選手である。 冒頭の野球選手Aが闇スロ店に足しげく通っていたのは2015年ごろ。漆原氏が当時、都内で経営していた店にも彼は姿を見せていた。Aを連れてきたのは元チームメイトのBだった。Bは、当時は引退していたものの一軍でバリバリ活躍していた元有名選手である。 Bは漆原氏に「Aは横浜の闇カジノに出入りしているギャンブル狂いです。どうせAは負けるんだから漆原さんの店で回収しましょう」と持ち掛けてきたという。 友人のように振舞っている客でも、一枚皮をめくれば“騙し騙され”の関係にあるというのが、闇カジノ界の業の深さだといえよう。「彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ…」「Bは小金を稼ごうとする利に聡いタイプでしたね。Aはうちの店でもドハマりして週5回は来ていました。“沖スロ”と呼ばれる沖縄のハイビスカスとかがモチーフとなっている台を好んでいましたね。1日に40万~50万円負けていきながら、たまに30万円くらい勝って戻してというペースで遊んでいた。多い時には200万円近くも負けて慌ててBにお金を借りたりしていたこともありました。チャラになりそうなところでも引かず、また50万負けるというように、もはや“負けるために遊んでいるのか”という雰囲気でした。『オカマを掘られる』、というのですが、自分が台を離れたあとに誰かそこに座って勝つのを見たくないという心理が働いていたようです。 でも、私もスロット好きだったので、彼が毎日来るうちにいろいろ話すようになって、気も合いかなり仲良くなりました。彼が事業を始めるということで、開設資金200万円を貸したこともあります。でも、それもAはギャンブルで溶かしてしまったそうです。他のカジノで相当やられていたようです。 でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
闇スロ店の主力スロットは今でも「4号機」である。闇スロに流れてくる客は、現在の表のパチスロ台の主流である“安く遊べるけど出ない”マシンに飽き足らない人たちなのだという。もともとパチンコ店で遊んでいたスロット台だけに触りやすいし敷居も低いことも、闇スロに普通の人が流れやすい一因なのである。「4号機に散々、痛い目を見たけど、あの射幸性の高さが忘れられないというファンがいるんですね。だからパチンコホールと同じで並んででも来る。しかも闇スロ店ではドリンクとかタバコとかが無料で提供されるので居心地は更にいい。 闇スロ店の客の多くは、闇カジノ業界でいうところの『小者』です。(*小物(コシャ)は5万~10万円ぐらいしか使わないが、ある程度遊ぶ客を指す) でも、小者は闇スロでは結構いい客と見られる。例えば10万とか20万とかでも、30台ぐらいのマシンが埋まってお客さんが長く遊んでくれていれば闇スロ店としては儲けになるからです」パチンコ業界との「持ちつ持たれつ」 闇スロ店とパチンコ業界のグレーな関わりを示唆しているのが、その営業時間帯である。闇スロ店の営業時間は基本的に21時~翌朝10時である。24時間オープンしている店もある闇カジノと比較するとその営業時間帯は短い。 それには大きな理由があるのだという。「06年に闇スロ店をオープンした時に、他の闇スロ店が摘発されたみたいな話をよく聞いたんですね。金主であるパチンコ店オーナーに聞くと『商売敵になるのでパチンコ店が警察に圧力をかけて摘発させている』というのです。 それでパチンコ店の営業の邪魔にならないよう、闇スロ店は21時~翌朝10時を営業時間とするようになった。パチンコ店は東京では10時~23時まで営業していますが最終の客が入るのが21時くらい。だから闇スロが21時オープンでも許容してもらえるのです。客を取り合わないように、徐々に持ちつ持たれつの関係になって行ったのです。 パチスロも闇スロもギャンブルの仕組みは同じ。レートが違うだけで、表と裏で共存していく形なんですね。お客さんもパチンコ店から闇スロに流れてくる人も多いし、逆に闇スロで朝まで遊んでその後にパチンコ店に行くという人もいる」すべての客が1日に投入する金額は… パチスロのメダルは1枚20円が相場。06年に漆原氏が始めた闇スロ店はメダルは倍の40円に設定されていた。現在の闇スロでは25円、40円、100円、500円と台によって様々なレートが設定されているという。漆原氏の店では、全客が一日に闇スロに投入する金額の総計は650万~800万ほどで、うち店の売上が10~15%(約65万~120万円)だった。これは後述するイカサマがない場合の売上である。 闇スロ店の客は前述したように様々な人種がいる。サラリーマン、大手広告代理店社員、不動産会社社長、半グレ、詐欺師、そして芸能人やスポーツ選手である。 冒頭の野球選手Aが闇スロ店に足しげく通っていたのは2015年ごろ。漆原氏が当時、都内で経営していた店にも彼は姿を見せていた。Aを連れてきたのは元チームメイトのBだった。Bは、当時は引退していたものの一軍でバリバリ活躍していた元有名選手である。 Bは漆原氏に「Aは横浜の闇カジノに出入りしているギャンブル狂いです。どうせAは負けるんだから漆原さんの店で回収しましょう」と持ち掛けてきたという。 友人のように振舞っている客でも、一枚皮をめくれば“騙し騙され”の関係にあるというのが、闇カジノ界の業の深さだといえよう。「彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ…」「Bは小金を稼ごうとする利に聡いタイプでしたね。Aはうちの店でもドハマりして週5回は来ていました。“沖スロ”と呼ばれる沖縄のハイビスカスとかがモチーフとなっている台を好んでいましたね。1日に40万~50万円負けていきながら、たまに30万円くらい勝って戻してというペースで遊んでいた。多い時には200万円近くも負けて慌ててBにお金を借りたりしていたこともありました。チャラになりそうなところでも引かず、また50万負けるというように、もはや“負けるために遊んでいるのか”という雰囲気でした。『オカマを掘られる』、というのですが、自分が台を離れたあとに誰かそこに座って勝つのを見たくないという心理が働いていたようです。 でも、私もスロット好きだったので、彼が毎日来るうちにいろいろ話すようになって、気も合いかなり仲良くなりました。彼が事業を始めるということで、開設資金200万円を貸したこともあります。でも、それもAはギャンブルで溶かしてしまったそうです。他のカジノで相当やられていたようです。 でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
「4号機に散々、痛い目を見たけど、あの射幸性の高さが忘れられないというファンがいるんですね。だからパチンコホールと同じで並んででも来る。しかも闇スロ店ではドリンクとかタバコとかが無料で提供されるので居心地は更にいい。 闇スロ店の客の多くは、闇カジノ業界でいうところの『小者』です。(*小物(コシャ)は5万~10万円ぐらいしか使わないが、ある程度遊ぶ客を指す) でも、小者は闇スロでは結構いい客と見られる。例えば10万とか20万とかでも、30台ぐらいのマシンが埋まってお客さんが長く遊んでくれていれば闇スロ店としては儲けになるからです」パチンコ業界との「持ちつ持たれつ」 闇スロ店とパチンコ業界のグレーな関わりを示唆しているのが、その営業時間帯である。闇スロ店の営業時間は基本的に21時~翌朝10時である。24時間オープンしている店もある闇カジノと比較するとその営業時間帯は短い。 それには大きな理由があるのだという。「06年に闇スロ店をオープンした時に、他の闇スロ店が摘発されたみたいな話をよく聞いたんですね。金主であるパチンコ店オーナーに聞くと『商売敵になるのでパチンコ店が警察に圧力をかけて摘発させている』というのです。 それでパチンコ店の営業の邪魔にならないよう、闇スロ店は21時~翌朝10時を営業時間とするようになった。パチンコ店は東京では10時~23時まで営業していますが最終の客が入るのが21時くらい。だから闇スロが21時オープンでも許容してもらえるのです。客を取り合わないように、徐々に持ちつ持たれつの関係になって行ったのです。 パチスロも闇スロもギャンブルの仕組みは同じ。レートが違うだけで、表と裏で共存していく形なんですね。お客さんもパチンコ店から闇スロに流れてくる人も多いし、逆に闇スロで朝まで遊んでその後にパチンコ店に行くという人もいる」すべての客が1日に投入する金額は… パチスロのメダルは1枚20円が相場。06年に漆原氏が始めた闇スロ店はメダルは倍の40円に設定されていた。現在の闇スロでは25円、40円、100円、500円と台によって様々なレートが設定されているという。漆原氏の店では、全客が一日に闇スロに投入する金額の総計は650万~800万ほどで、うち店の売上が10~15%(約65万~120万円)だった。これは後述するイカサマがない場合の売上である。 闇スロ店の客は前述したように様々な人種がいる。サラリーマン、大手広告代理店社員、不動産会社社長、半グレ、詐欺師、そして芸能人やスポーツ選手である。 冒頭の野球選手Aが闇スロ店に足しげく通っていたのは2015年ごろ。漆原氏が当時、都内で経営していた店にも彼は姿を見せていた。Aを連れてきたのは元チームメイトのBだった。Bは、当時は引退していたものの一軍でバリバリ活躍していた元有名選手である。 Bは漆原氏に「Aは横浜の闇カジノに出入りしているギャンブル狂いです。どうせAは負けるんだから漆原さんの店で回収しましょう」と持ち掛けてきたという。 友人のように振舞っている客でも、一枚皮をめくれば“騙し騙され”の関係にあるというのが、闇カジノ界の業の深さだといえよう。「彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ…」「Bは小金を稼ごうとする利に聡いタイプでしたね。Aはうちの店でもドハマりして週5回は来ていました。“沖スロ”と呼ばれる沖縄のハイビスカスとかがモチーフとなっている台を好んでいましたね。1日に40万~50万円負けていきながら、たまに30万円くらい勝って戻してというペースで遊んでいた。多い時には200万円近くも負けて慌ててBにお金を借りたりしていたこともありました。チャラになりそうなところでも引かず、また50万負けるというように、もはや“負けるために遊んでいるのか”という雰囲気でした。『オカマを掘られる』、というのですが、自分が台を離れたあとに誰かそこに座って勝つのを見たくないという心理が働いていたようです。 でも、私もスロット好きだったので、彼が毎日来るうちにいろいろ話すようになって、気も合いかなり仲良くなりました。彼が事業を始めるということで、開設資金200万円を貸したこともあります。でも、それもAはギャンブルで溶かしてしまったそうです。他のカジノで相当やられていたようです。 でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
闇スロ店の客の多くは、闇カジノ業界でいうところの『小者』です。(*小物(コシャ)は5万~10万円ぐらいしか使わないが、ある程度遊ぶ客を指す) でも、小者は闇スロでは結構いい客と見られる。例えば10万とか20万とかでも、30台ぐらいのマシンが埋まってお客さんが長く遊んでくれていれば闇スロ店としては儲けになるからです」パチンコ業界との「持ちつ持たれつ」 闇スロ店とパチンコ業界のグレーな関わりを示唆しているのが、その営業時間帯である。闇スロ店の営業時間は基本的に21時~翌朝10時である。24時間オープンしている店もある闇カジノと比較するとその営業時間帯は短い。 それには大きな理由があるのだという。「06年に闇スロ店をオープンした時に、他の闇スロ店が摘発されたみたいな話をよく聞いたんですね。金主であるパチンコ店オーナーに聞くと『商売敵になるのでパチンコ店が警察に圧力をかけて摘発させている』というのです。 それでパチンコ店の営業の邪魔にならないよう、闇スロ店は21時~翌朝10時を営業時間とするようになった。パチンコ店は東京では10時~23時まで営業していますが最終の客が入るのが21時くらい。だから闇スロが21時オープンでも許容してもらえるのです。客を取り合わないように、徐々に持ちつ持たれつの関係になって行ったのです。 パチスロも闇スロもギャンブルの仕組みは同じ。レートが違うだけで、表と裏で共存していく形なんですね。お客さんもパチンコ店から闇スロに流れてくる人も多いし、逆に闇スロで朝まで遊んでその後にパチンコ店に行くという人もいる」すべての客が1日に投入する金額は… パチスロのメダルは1枚20円が相場。06年に漆原氏が始めた闇スロ店はメダルは倍の40円に設定されていた。現在の闇スロでは25円、40円、100円、500円と台によって様々なレートが設定されているという。漆原氏の店では、全客が一日に闇スロに投入する金額の総計は650万~800万ほどで、うち店の売上が10~15%(約65万~120万円)だった。これは後述するイカサマがない場合の売上である。 闇スロ店の客は前述したように様々な人種がいる。サラリーマン、大手広告代理店社員、不動産会社社長、半グレ、詐欺師、そして芸能人やスポーツ選手である。 冒頭の野球選手Aが闇スロ店に足しげく通っていたのは2015年ごろ。漆原氏が当時、都内で経営していた店にも彼は姿を見せていた。Aを連れてきたのは元チームメイトのBだった。Bは、当時は引退していたものの一軍でバリバリ活躍していた元有名選手である。 Bは漆原氏に「Aは横浜の闇カジノに出入りしているギャンブル狂いです。どうせAは負けるんだから漆原さんの店で回収しましょう」と持ち掛けてきたという。 友人のように振舞っている客でも、一枚皮をめくれば“騙し騙され”の関係にあるというのが、闇カジノ界の業の深さだといえよう。「彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ…」「Bは小金を稼ごうとする利に聡いタイプでしたね。Aはうちの店でもドハマりして週5回は来ていました。“沖スロ”と呼ばれる沖縄のハイビスカスとかがモチーフとなっている台を好んでいましたね。1日に40万~50万円負けていきながら、たまに30万円くらい勝って戻してというペースで遊んでいた。多い時には200万円近くも負けて慌ててBにお金を借りたりしていたこともありました。チャラになりそうなところでも引かず、また50万負けるというように、もはや“負けるために遊んでいるのか”という雰囲気でした。『オカマを掘られる』、というのですが、自分が台を離れたあとに誰かそこに座って勝つのを見たくないという心理が働いていたようです。 でも、私もスロット好きだったので、彼が毎日来るうちにいろいろ話すようになって、気も合いかなり仲良くなりました。彼が事業を始めるということで、開設資金200万円を貸したこともあります。でも、それもAはギャンブルで溶かしてしまったそうです。他のカジノで相当やられていたようです。 でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
でも、小者は闇スロでは結構いい客と見られる。例えば10万とか20万とかでも、30台ぐらいのマシンが埋まってお客さんが長く遊んでくれていれば闇スロ店としては儲けになるからです」パチンコ業界との「持ちつ持たれつ」 闇スロ店とパチンコ業界のグレーな関わりを示唆しているのが、その営業時間帯である。闇スロ店の営業時間は基本的に21時~翌朝10時である。24時間オープンしている店もある闇カジノと比較するとその営業時間帯は短い。 それには大きな理由があるのだという。「06年に闇スロ店をオープンした時に、他の闇スロ店が摘発されたみたいな話をよく聞いたんですね。金主であるパチンコ店オーナーに聞くと『商売敵になるのでパチンコ店が警察に圧力をかけて摘発させている』というのです。 それでパチンコ店の営業の邪魔にならないよう、闇スロ店は21時~翌朝10時を営業時間とするようになった。パチンコ店は東京では10時~23時まで営業していますが最終の客が入るのが21時くらい。だから闇スロが21時オープンでも許容してもらえるのです。客を取り合わないように、徐々に持ちつ持たれつの関係になって行ったのです。 パチスロも闇スロもギャンブルの仕組みは同じ。レートが違うだけで、表と裏で共存していく形なんですね。お客さんもパチンコ店から闇スロに流れてくる人も多いし、逆に闇スロで朝まで遊んでその後にパチンコ店に行くという人もいる」すべての客が1日に投入する金額は… パチスロのメダルは1枚20円が相場。06年に漆原氏が始めた闇スロ店はメダルは倍の40円に設定されていた。現在の闇スロでは25円、40円、100円、500円と台によって様々なレートが設定されているという。漆原氏の店では、全客が一日に闇スロに投入する金額の総計は650万~800万ほどで、うち店の売上が10~15%(約65万~120万円)だった。これは後述するイカサマがない場合の売上である。 闇スロ店の客は前述したように様々な人種がいる。サラリーマン、大手広告代理店社員、不動産会社社長、半グレ、詐欺師、そして芸能人やスポーツ選手である。 冒頭の野球選手Aが闇スロ店に足しげく通っていたのは2015年ごろ。漆原氏が当時、都内で経営していた店にも彼は姿を見せていた。Aを連れてきたのは元チームメイトのBだった。Bは、当時は引退していたものの一軍でバリバリ活躍していた元有名選手である。 Bは漆原氏に「Aは横浜の闇カジノに出入りしているギャンブル狂いです。どうせAは負けるんだから漆原さんの店で回収しましょう」と持ち掛けてきたという。 友人のように振舞っている客でも、一枚皮をめくれば“騙し騙され”の関係にあるというのが、闇カジノ界の業の深さだといえよう。「彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ…」「Bは小金を稼ごうとする利に聡いタイプでしたね。Aはうちの店でもドハマりして週5回は来ていました。“沖スロ”と呼ばれる沖縄のハイビスカスとかがモチーフとなっている台を好んでいましたね。1日に40万~50万円負けていきながら、たまに30万円くらい勝って戻してというペースで遊んでいた。多い時には200万円近くも負けて慌ててBにお金を借りたりしていたこともありました。チャラになりそうなところでも引かず、また50万負けるというように、もはや“負けるために遊んでいるのか”という雰囲気でした。『オカマを掘られる』、というのですが、自分が台を離れたあとに誰かそこに座って勝つのを見たくないという心理が働いていたようです。 でも、私もスロット好きだったので、彼が毎日来るうちにいろいろ話すようになって、気も合いかなり仲良くなりました。彼が事業を始めるということで、開設資金200万円を貸したこともあります。でも、それもAはギャンブルで溶かしてしまったそうです。他のカジノで相当やられていたようです。 でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
パチンコ業界との「持ちつ持たれつ」 闇スロ店とパチンコ業界のグレーな関わりを示唆しているのが、その営業時間帯である。闇スロ店の営業時間は基本的に21時~翌朝10時である。24時間オープンしている店もある闇カジノと比較するとその営業時間帯は短い。 それには大きな理由があるのだという。「06年に闇スロ店をオープンした時に、他の闇スロ店が摘発されたみたいな話をよく聞いたんですね。金主であるパチンコ店オーナーに聞くと『商売敵になるのでパチンコ店が警察に圧力をかけて摘発させている』というのです。 それでパチンコ店の営業の邪魔にならないよう、闇スロ店は21時~翌朝10時を営業時間とするようになった。パチンコ店は東京では10時~23時まで営業していますが最終の客が入るのが21時くらい。だから闇スロが21時オープンでも許容してもらえるのです。客を取り合わないように、徐々に持ちつ持たれつの関係になって行ったのです。 パチスロも闇スロもギャンブルの仕組みは同じ。レートが違うだけで、表と裏で共存していく形なんですね。お客さんもパチンコ店から闇スロに流れてくる人も多いし、逆に闇スロで朝まで遊んでその後にパチンコ店に行くという人もいる」すべての客が1日に投入する金額は… パチスロのメダルは1枚20円が相場。06年に漆原氏が始めた闇スロ店はメダルは倍の40円に設定されていた。現在の闇スロでは25円、40円、100円、500円と台によって様々なレートが設定されているという。漆原氏の店では、全客が一日に闇スロに投入する金額の総計は650万~800万ほどで、うち店の売上が10~15%(約65万~120万円)だった。これは後述するイカサマがない場合の売上である。 闇スロ店の客は前述したように様々な人種がいる。サラリーマン、大手広告代理店社員、不動産会社社長、半グレ、詐欺師、そして芸能人やスポーツ選手である。 冒頭の野球選手Aが闇スロ店に足しげく通っていたのは2015年ごろ。漆原氏が当時、都内で経営していた店にも彼は姿を見せていた。Aを連れてきたのは元チームメイトのBだった。Bは、当時は引退していたものの一軍でバリバリ活躍していた元有名選手である。 Bは漆原氏に「Aは横浜の闇カジノに出入りしているギャンブル狂いです。どうせAは負けるんだから漆原さんの店で回収しましょう」と持ち掛けてきたという。 友人のように振舞っている客でも、一枚皮をめくれば“騙し騙され”の関係にあるというのが、闇カジノ界の業の深さだといえよう。「彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ…」「Bは小金を稼ごうとする利に聡いタイプでしたね。Aはうちの店でもドハマりして週5回は来ていました。“沖スロ”と呼ばれる沖縄のハイビスカスとかがモチーフとなっている台を好んでいましたね。1日に40万~50万円負けていきながら、たまに30万円くらい勝って戻してというペースで遊んでいた。多い時には200万円近くも負けて慌ててBにお金を借りたりしていたこともありました。チャラになりそうなところでも引かず、また50万負けるというように、もはや“負けるために遊んでいるのか”という雰囲気でした。『オカマを掘られる』、というのですが、自分が台を離れたあとに誰かそこに座って勝つのを見たくないという心理が働いていたようです。 でも、私もスロット好きだったので、彼が毎日来るうちにいろいろ話すようになって、気も合いかなり仲良くなりました。彼が事業を始めるということで、開設資金200万円を貸したこともあります。でも、それもAはギャンブルで溶かしてしまったそうです。他のカジノで相当やられていたようです。 でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
闇スロ店とパチンコ業界のグレーな関わりを示唆しているのが、その営業時間帯である。闇スロ店の営業時間は基本的に21時~翌朝10時である。24時間オープンしている店もある闇カジノと比較するとその営業時間帯は短い。 それには大きな理由があるのだという。「06年に闇スロ店をオープンした時に、他の闇スロ店が摘発されたみたいな話をよく聞いたんですね。金主であるパチンコ店オーナーに聞くと『商売敵になるのでパチンコ店が警察に圧力をかけて摘発させている』というのです。 それでパチンコ店の営業の邪魔にならないよう、闇スロ店は21時~翌朝10時を営業時間とするようになった。パチンコ店は東京では10時~23時まで営業していますが最終の客が入るのが21時くらい。だから闇スロが21時オープンでも許容してもらえるのです。客を取り合わないように、徐々に持ちつ持たれつの関係になって行ったのです。 パチスロも闇スロもギャンブルの仕組みは同じ。レートが違うだけで、表と裏で共存していく形なんですね。お客さんもパチンコ店から闇スロに流れてくる人も多いし、逆に闇スロで朝まで遊んでその後にパチンコ店に行くという人もいる」すべての客が1日に投入する金額は… パチスロのメダルは1枚20円が相場。06年に漆原氏が始めた闇スロ店はメダルは倍の40円に設定されていた。現在の闇スロでは25円、40円、100円、500円と台によって様々なレートが設定されているという。漆原氏の店では、全客が一日に闇スロに投入する金額の総計は650万~800万ほどで、うち店の売上が10~15%(約65万~120万円)だった。これは後述するイカサマがない場合の売上である。 闇スロ店の客は前述したように様々な人種がいる。サラリーマン、大手広告代理店社員、不動産会社社長、半グレ、詐欺師、そして芸能人やスポーツ選手である。 冒頭の野球選手Aが闇スロ店に足しげく通っていたのは2015年ごろ。漆原氏が当時、都内で経営していた店にも彼は姿を見せていた。Aを連れてきたのは元チームメイトのBだった。Bは、当時は引退していたものの一軍でバリバリ活躍していた元有名選手である。 Bは漆原氏に「Aは横浜の闇カジノに出入りしているギャンブル狂いです。どうせAは負けるんだから漆原さんの店で回収しましょう」と持ち掛けてきたという。 友人のように振舞っている客でも、一枚皮をめくれば“騙し騙され”の関係にあるというのが、闇カジノ界の業の深さだといえよう。「彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ…」「Bは小金を稼ごうとする利に聡いタイプでしたね。Aはうちの店でもドハマりして週5回は来ていました。“沖スロ”と呼ばれる沖縄のハイビスカスとかがモチーフとなっている台を好んでいましたね。1日に40万~50万円負けていきながら、たまに30万円くらい勝って戻してというペースで遊んでいた。多い時には200万円近くも負けて慌ててBにお金を借りたりしていたこともありました。チャラになりそうなところでも引かず、また50万負けるというように、もはや“負けるために遊んでいるのか”という雰囲気でした。『オカマを掘られる』、というのですが、自分が台を離れたあとに誰かそこに座って勝つのを見たくないという心理が働いていたようです。 でも、私もスロット好きだったので、彼が毎日来るうちにいろいろ話すようになって、気も合いかなり仲良くなりました。彼が事業を始めるということで、開設資金200万円を貸したこともあります。でも、それもAはギャンブルで溶かしてしまったそうです。他のカジノで相当やられていたようです。 でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
それには大きな理由があるのだという。「06年に闇スロ店をオープンした時に、他の闇スロ店が摘発されたみたいな話をよく聞いたんですね。金主であるパチンコ店オーナーに聞くと『商売敵になるのでパチンコ店が警察に圧力をかけて摘発させている』というのです。 それでパチンコ店の営業の邪魔にならないよう、闇スロ店は21時~翌朝10時を営業時間とするようになった。パチンコ店は東京では10時~23時まで営業していますが最終の客が入るのが21時くらい。だから闇スロが21時オープンでも許容してもらえるのです。客を取り合わないように、徐々に持ちつ持たれつの関係になって行ったのです。 パチスロも闇スロもギャンブルの仕組みは同じ。レートが違うだけで、表と裏で共存していく形なんですね。お客さんもパチンコ店から闇スロに流れてくる人も多いし、逆に闇スロで朝まで遊んでその後にパチンコ店に行くという人もいる」すべての客が1日に投入する金額は… パチスロのメダルは1枚20円が相場。06年に漆原氏が始めた闇スロ店はメダルは倍の40円に設定されていた。現在の闇スロでは25円、40円、100円、500円と台によって様々なレートが設定されているという。漆原氏の店では、全客が一日に闇スロに投入する金額の総計は650万~800万ほどで、うち店の売上が10~15%(約65万~120万円)だった。これは後述するイカサマがない場合の売上である。 闇スロ店の客は前述したように様々な人種がいる。サラリーマン、大手広告代理店社員、不動産会社社長、半グレ、詐欺師、そして芸能人やスポーツ選手である。 冒頭の野球選手Aが闇スロ店に足しげく通っていたのは2015年ごろ。漆原氏が当時、都内で経営していた店にも彼は姿を見せていた。Aを連れてきたのは元チームメイトのBだった。Bは、当時は引退していたものの一軍でバリバリ活躍していた元有名選手である。 Bは漆原氏に「Aは横浜の闇カジノに出入りしているギャンブル狂いです。どうせAは負けるんだから漆原さんの店で回収しましょう」と持ち掛けてきたという。 友人のように振舞っている客でも、一枚皮をめくれば“騙し騙され”の関係にあるというのが、闇カジノ界の業の深さだといえよう。「彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ…」「Bは小金を稼ごうとする利に聡いタイプでしたね。Aはうちの店でもドハマりして週5回は来ていました。“沖スロ”と呼ばれる沖縄のハイビスカスとかがモチーフとなっている台を好んでいましたね。1日に40万~50万円負けていきながら、たまに30万円くらい勝って戻してというペースで遊んでいた。多い時には200万円近くも負けて慌ててBにお金を借りたりしていたこともありました。チャラになりそうなところでも引かず、また50万負けるというように、もはや“負けるために遊んでいるのか”という雰囲気でした。『オカマを掘られる』、というのですが、自分が台を離れたあとに誰かそこに座って勝つのを見たくないという心理が働いていたようです。 でも、私もスロット好きだったので、彼が毎日来るうちにいろいろ話すようになって、気も合いかなり仲良くなりました。彼が事業を始めるということで、開設資金200万円を貸したこともあります。でも、それもAはギャンブルで溶かしてしまったそうです。他のカジノで相当やられていたようです。 でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
「06年に闇スロ店をオープンした時に、他の闇スロ店が摘発されたみたいな話をよく聞いたんですね。金主であるパチンコ店オーナーに聞くと『商売敵になるのでパチンコ店が警察に圧力をかけて摘発させている』というのです。 それでパチンコ店の営業の邪魔にならないよう、闇スロ店は21時~翌朝10時を営業時間とするようになった。パチンコ店は東京では10時~23時まで営業していますが最終の客が入るのが21時くらい。だから闇スロが21時オープンでも許容してもらえるのです。客を取り合わないように、徐々に持ちつ持たれつの関係になって行ったのです。 パチスロも闇スロもギャンブルの仕組みは同じ。レートが違うだけで、表と裏で共存していく形なんですね。お客さんもパチンコ店から闇スロに流れてくる人も多いし、逆に闇スロで朝まで遊んでその後にパチンコ店に行くという人もいる」すべての客が1日に投入する金額は… パチスロのメダルは1枚20円が相場。06年に漆原氏が始めた闇スロ店はメダルは倍の40円に設定されていた。現在の闇スロでは25円、40円、100円、500円と台によって様々なレートが設定されているという。漆原氏の店では、全客が一日に闇スロに投入する金額の総計は650万~800万ほどで、うち店の売上が10~15%(約65万~120万円)だった。これは後述するイカサマがない場合の売上である。 闇スロ店の客は前述したように様々な人種がいる。サラリーマン、大手広告代理店社員、不動産会社社長、半グレ、詐欺師、そして芸能人やスポーツ選手である。 冒頭の野球選手Aが闇スロ店に足しげく通っていたのは2015年ごろ。漆原氏が当時、都内で経営していた店にも彼は姿を見せていた。Aを連れてきたのは元チームメイトのBだった。Bは、当時は引退していたものの一軍でバリバリ活躍していた元有名選手である。 Bは漆原氏に「Aは横浜の闇カジノに出入りしているギャンブル狂いです。どうせAは負けるんだから漆原さんの店で回収しましょう」と持ち掛けてきたという。 友人のように振舞っている客でも、一枚皮をめくれば“騙し騙され”の関係にあるというのが、闇カジノ界の業の深さだといえよう。「彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ…」「Bは小金を稼ごうとする利に聡いタイプでしたね。Aはうちの店でもドハマりして週5回は来ていました。“沖スロ”と呼ばれる沖縄のハイビスカスとかがモチーフとなっている台を好んでいましたね。1日に40万~50万円負けていきながら、たまに30万円くらい勝って戻してというペースで遊んでいた。多い時には200万円近くも負けて慌ててBにお金を借りたりしていたこともありました。チャラになりそうなところでも引かず、また50万負けるというように、もはや“負けるために遊んでいるのか”という雰囲気でした。『オカマを掘られる』、というのですが、自分が台を離れたあとに誰かそこに座って勝つのを見たくないという心理が働いていたようです。 でも、私もスロット好きだったので、彼が毎日来るうちにいろいろ話すようになって、気も合いかなり仲良くなりました。彼が事業を始めるということで、開設資金200万円を貸したこともあります。でも、それもAはギャンブルで溶かしてしまったそうです。他のカジノで相当やられていたようです。 でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
それでパチンコ店の営業の邪魔にならないよう、闇スロ店は21時~翌朝10時を営業時間とするようになった。パチンコ店は東京では10時~23時まで営業していますが最終の客が入るのが21時くらい。だから闇スロが21時オープンでも許容してもらえるのです。客を取り合わないように、徐々に持ちつ持たれつの関係になって行ったのです。 パチスロも闇スロもギャンブルの仕組みは同じ。レートが違うだけで、表と裏で共存していく形なんですね。お客さんもパチンコ店から闇スロに流れてくる人も多いし、逆に闇スロで朝まで遊んでその後にパチンコ店に行くという人もいる」すべての客が1日に投入する金額は… パチスロのメダルは1枚20円が相場。06年に漆原氏が始めた闇スロ店はメダルは倍の40円に設定されていた。現在の闇スロでは25円、40円、100円、500円と台によって様々なレートが設定されているという。漆原氏の店では、全客が一日に闇スロに投入する金額の総計は650万~800万ほどで、うち店の売上が10~15%(約65万~120万円)だった。これは後述するイカサマがない場合の売上である。 闇スロ店の客は前述したように様々な人種がいる。サラリーマン、大手広告代理店社員、不動産会社社長、半グレ、詐欺師、そして芸能人やスポーツ選手である。 冒頭の野球選手Aが闇スロ店に足しげく通っていたのは2015年ごろ。漆原氏が当時、都内で経営していた店にも彼は姿を見せていた。Aを連れてきたのは元チームメイトのBだった。Bは、当時は引退していたものの一軍でバリバリ活躍していた元有名選手である。 Bは漆原氏に「Aは横浜の闇カジノに出入りしているギャンブル狂いです。どうせAは負けるんだから漆原さんの店で回収しましょう」と持ち掛けてきたという。 友人のように振舞っている客でも、一枚皮をめくれば“騙し騙され”の関係にあるというのが、闇カジノ界の業の深さだといえよう。「彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ…」「Bは小金を稼ごうとする利に聡いタイプでしたね。Aはうちの店でもドハマりして週5回は来ていました。“沖スロ”と呼ばれる沖縄のハイビスカスとかがモチーフとなっている台を好んでいましたね。1日に40万~50万円負けていきながら、たまに30万円くらい勝って戻してというペースで遊んでいた。多い時には200万円近くも負けて慌ててBにお金を借りたりしていたこともありました。チャラになりそうなところでも引かず、また50万負けるというように、もはや“負けるために遊んでいるのか”という雰囲気でした。『オカマを掘られる』、というのですが、自分が台を離れたあとに誰かそこに座って勝つのを見たくないという心理が働いていたようです。 でも、私もスロット好きだったので、彼が毎日来るうちにいろいろ話すようになって、気も合いかなり仲良くなりました。彼が事業を始めるということで、開設資金200万円を貸したこともあります。でも、それもAはギャンブルで溶かしてしまったそうです。他のカジノで相当やられていたようです。 でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
パチスロも闇スロもギャンブルの仕組みは同じ。レートが違うだけで、表と裏で共存していく形なんですね。お客さんもパチンコ店から闇スロに流れてくる人も多いし、逆に闇スロで朝まで遊んでその後にパチンコ店に行くという人もいる」すべての客が1日に投入する金額は… パチスロのメダルは1枚20円が相場。06年に漆原氏が始めた闇スロ店はメダルは倍の40円に設定されていた。現在の闇スロでは25円、40円、100円、500円と台によって様々なレートが設定されているという。漆原氏の店では、全客が一日に闇スロに投入する金額の総計は650万~800万ほどで、うち店の売上が10~15%(約65万~120万円)だった。これは後述するイカサマがない場合の売上である。 闇スロ店の客は前述したように様々な人種がいる。サラリーマン、大手広告代理店社員、不動産会社社長、半グレ、詐欺師、そして芸能人やスポーツ選手である。 冒頭の野球選手Aが闇スロ店に足しげく通っていたのは2015年ごろ。漆原氏が当時、都内で経営していた店にも彼は姿を見せていた。Aを連れてきたのは元チームメイトのBだった。Bは、当時は引退していたものの一軍でバリバリ活躍していた元有名選手である。 Bは漆原氏に「Aは横浜の闇カジノに出入りしているギャンブル狂いです。どうせAは負けるんだから漆原さんの店で回収しましょう」と持ち掛けてきたという。 友人のように振舞っている客でも、一枚皮をめくれば“騙し騙され”の関係にあるというのが、闇カジノ界の業の深さだといえよう。「彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ…」「Bは小金を稼ごうとする利に聡いタイプでしたね。Aはうちの店でもドハマりして週5回は来ていました。“沖スロ”と呼ばれる沖縄のハイビスカスとかがモチーフとなっている台を好んでいましたね。1日に40万~50万円負けていきながら、たまに30万円くらい勝って戻してというペースで遊んでいた。多い時には200万円近くも負けて慌ててBにお金を借りたりしていたこともありました。チャラになりそうなところでも引かず、また50万負けるというように、もはや“負けるために遊んでいるのか”という雰囲気でした。『オカマを掘られる』、というのですが、自分が台を離れたあとに誰かそこに座って勝つのを見たくないという心理が働いていたようです。 でも、私もスロット好きだったので、彼が毎日来るうちにいろいろ話すようになって、気も合いかなり仲良くなりました。彼が事業を始めるということで、開設資金200万円を貸したこともあります。でも、それもAはギャンブルで溶かしてしまったそうです。他のカジノで相当やられていたようです。 でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
パチスロのメダルは1枚20円が相場。06年に漆原氏が始めた闇スロ店はメダルは倍の40円に設定されていた。現在の闇スロでは25円、40円、100円、500円と台によって様々なレートが設定されているという。漆原氏の店では、全客が一日に闇スロに投入する金額の総計は650万~800万ほどで、うち店の売上が10~15%(約65万~120万円)だった。これは後述するイカサマがない場合の売上である。 闇スロ店の客は前述したように様々な人種がいる。サラリーマン、大手広告代理店社員、不動産会社社長、半グレ、詐欺師、そして芸能人やスポーツ選手である。 冒頭の野球選手Aが闇スロ店に足しげく通っていたのは2015年ごろ。漆原氏が当時、都内で経営していた店にも彼は姿を見せていた。Aを連れてきたのは元チームメイトのBだった。Bは、当時は引退していたものの一軍でバリバリ活躍していた元有名選手である。 Bは漆原氏に「Aは横浜の闇カジノに出入りしているギャンブル狂いです。どうせAは負けるんだから漆原さんの店で回収しましょう」と持ち掛けてきたという。 友人のように振舞っている客でも、一枚皮をめくれば“騙し騙され”の関係にあるというのが、闇カジノ界の業の深さだといえよう。「彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ…」「Bは小金を稼ごうとする利に聡いタイプでしたね。Aはうちの店でもドハマりして週5回は来ていました。“沖スロ”と呼ばれる沖縄のハイビスカスとかがモチーフとなっている台を好んでいましたね。1日に40万~50万円負けていきながら、たまに30万円くらい勝って戻してというペースで遊んでいた。多い時には200万円近くも負けて慌ててBにお金を借りたりしていたこともありました。チャラになりそうなところでも引かず、また50万負けるというように、もはや“負けるために遊んでいるのか”という雰囲気でした。『オカマを掘られる』、というのですが、自分が台を離れたあとに誰かそこに座って勝つのを見たくないという心理が働いていたようです。 でも、私もスロット好きだったので、彼が毎日来るうちにいろいろ話すようになって、気も合いかなり仲良くなりました。彼が事業を始めるということで、開設資金200万円を貸したこともあります。でも、それもAはギャンブルで溶かしてしまったそうです。他のカジノで相当やられていたようです。 でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
闇スロ店の客は前述したように様々な人種がいる。サラリーマン、大手広告代理店社員、不動産会社社長、半グレ、詐欺師、そして芸能人やスポーツ選手である。 冒頭の野球選手Aが闇スロ店に足しげく通っていたのは2015年ごろ。漆原氏が当時、都内で経営していた店にも彼は姿を見せていた。Aを連れてきたのは元チームメイトのBだった。Bは、当時は引退していたものの一軍でバリバリ活躍していた元有名選手である。 Bは漆原氏に「Aは横浜の闇カジノに出入りしているギャンブル狂いです。どうせAは負けるんだから漆原さんの店で回収しましょう」と持ち掛けてきたという。 友人のように振舞っている客でも、一枚皮をめくれば“騙し騙され”の関係にあるというのが、闇カジノ界の業の深さだといえよう。「彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ…」「Bは小金を稼ごうとする利に聡いタイプでしたね。Aはうちの店でもドハマりして週5回は来ていました。“沖スロ”と呼ばれる沖縄のハイビスカスとかがモチーフとなっている台を好んでいましたね。1日に40万~50万円負けていきながら、たまに30万円くらい勝って戻してというペースで遊んでいた。多い時には200万円近くも負けて慌ててBにお金を借りたりしていたこともありました。チャラになりそうなところでも引かず、また50万負けるというように、もはや“負けるために遊んでいるのか”という雰囲気でした。『オカマを掘られる』、というのですが、自分が台を離れたあとに誰かそこに座って勝つのを見たくないという心理が働いていたようです。 でも、私もスロット好きだったので、彼が毎日来るうちにいろいろ話すようになって、気も合いかなり仲良くなりました。彼が事業を始めるということで、開設資金200万円を貸したこともあります。でも、それもAはギャンブルで溶かしてしまったそうです。他のカジノで相当やられていたようです。 でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
闇スロ店の客は前述したように様々な人種がいる。サラリーマン、大手広告代理店社員、不動産会社社長、半グレ、詐欺師、そして芸能人やスポーツ選手である。 冒頭の野球選手Aが闇スロ店に足しげく通っていたのは2015年ごろ。漆原氏が当時、都内で経営していた店にも彼は姿を見せていた。Aを連れてきたのは元チームメイトのBだった。Bは、当時は引退していたものの一軍でバリバリ活躍していた元有名選手である。 Bは漆原氏に「Aは横浜の闇カジノに出入りしているギャンブル狂いです。どうせAは負けるんだから漆原さんの店で回収しましょう」と持ち掛けてきたという。 友人のように振舞っている客でも、一枚皮をめくれば“騙し騙され”の関係にあるというのが、闇カジノ界の業の深さだといえよう。「彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ…」「Bは小金を稼ごうとする利に聡いタイプでしたね。Aはうちの店でもドハマりして週5回は来ていました。“沖スロ”と呼ばれる沖縄のハイビスカスとかがモチーフとなっている台を好んでいましたね。1日に40万~50万円負けていきながら、たまに30万円くらい勝って戻してというペースで遊んでいた。多い時には200万円近くも負けて慌ててBにお金を借りたりしていたこともありました。チャラになりそうなところでも引かず、また50万負けるというように、もはや“負けるために遊んでいるのか”という雰囲気でした。『オカマを掘られる』、というのですが、自分が台を離れたあとに誰かそこに座って勝つのを見たくないという心理が働いていたようです。 でも、私もスロット好きだったので、彼が毎日来るうちにいろいろ話すようになって、気も合いかなり仲良くなりました。彼が事業を始めるということで、開設資金200万円を貸したこともあります。でも、それもAはギャンブルで溶かしてしまったそうです。他のカジノで相当やられていたようです。 でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
冒頭の野球選手Aが闇スロ店に足しげく通っていたのは2015年ごろ。漆原氏が当時、都内で経営していた店にも彼は姿を見せていた。Aを連れてきたのは元チームメイトのBだった。Bは、当時は引退していたものの一軍でバリバリ活躍していた元有名選手である。 Bは漆原氏に「Aは横浜の闇カジノに出入りしているギャンブル狂いです。どうせAは負けるんだから漆原さんの店で回収しましょう」と持ち掛けてきたという。 友人のように振舞っている客でも、一枚皮をめくれば“騙し騙され”の関係にあるというのが、闇カジノ界の業の深さだといえよう。「彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ…」「Bは小金を稼ごうとする利に聡いタイプでしたね。Aはうちの店でもドハマりして週5回は来ていました。“沖スロ”と呼ばれる沖縄のハイビスカスとかがモチーフとなっている台を好んでいましたね。1日に40万~50万円負けていきながら、たまに30万円くらい勝って戻してというペースで遊んでいた。多い時には200万円近くも負けて慌ててBにお金を借りたりしていたこともありました。チャラになりそうなところでも引かず、また50万負けるというように、もはや“負けるために遊んでいるのか”という雰囲気でした。『オカマを掘られる』、というのですが、自分が台を離れたあとに誰かそこに座って勝つのを見たくないという心理が働いていたようです。 でも、私もスロット好きだったので、彼が毎日来るうちにいろいろ話すようになって、気も合いかなり仲良くなりました。彼が事業を始めるということで、開設資金200万円を貸したこともあります。でも、それもAはギャンブルで溶かしてしまったそうです。他のカジノで相当やられていたようです。 でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
Bは漆原氏に「Aは横浜の闇カジノに出入りしているギャンブル狂いです。どうせAは負けるんだから漆原さんの店で回収しましょう」と持ち掛けてきたという。 友人のように振舞っている客でも、一枚皮をめくれば“騙し騙され”の関係にあるというのが、闇カジノ界の業の深さだといえよう。「彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ…」「Bは小金を稼ごうとする利に聡いタイプでしたね。Aはうちの店でもドハマりして週5回は来ていました。“沖スロ”と呼ばれる沖縄のハイビスカスとかがモチーフとなっている台を好んでいましたね。1日に40万~50万円負けていきながら、たまに30万円くらい勝って戻してというペースで遊んでいた。多い時には200万円近くも負けて慌ててBにお金を借りたりしていたこともありました。チャラになりそうなところでも引かず、また50万負けるというように、もはや“負けるために遊んでいるのか”という雰囲気でした。『オカマを掘られる』、というのですが、自分が台を離れたあとに誰かそこに座って勝つのを見たくないという心理が働いていたようです。 でも、私もスロット好きだったので、彼が毎日来るうちにいろいろ話すようになって、気も合いかなり仲良くなりました。彼が事業を始めるということで、開設資金200万円を貸したこともあります。でも、それもAはギャンブルで溶かしてしまったそうです。他のカジノで相当やられていたようです。 でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
友人のように振舞っている客でも、一枚皮をめくれば“騙し騙され”の関係にあるというのが、闇カジノ界の業の深さだといえよう。「彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ…」「Bは小金を稼ごうとする利に聡いタイプでしたね。Aはうちの店でもドハマりして週5回は来ていました。“沖スロ”と呼ばれる沖縄のハイビスカスとかがモチーフとなっている台を好んでいましたね。1日に40万~50万円負けていきながら、たまに30万円くらい勝って戻してというペースで遊んでいた。多い時には200万円近くも負けて慌ててBにお金を借りたりしていたこともありました。チャラになりそうなところでも引かず、また50万負けるというように、もはや“負けるために遊んでいるのか”という雰囲気でした。『オカマを掘られる』、というのですが、自分が台を離れたあとに誰かそこに座って勝つのを見たくないという心理が働いていたようです。 でも、私もスロット好きだったので、彼が毎日来るうちにいろいろ話すようになって、気も合いかなり仲良くなりました。彼が事業を始めるということで、開設資金200万円を貸したこともあります。でも、それもAはギャンブルで溶かしてしまったそうです。他のカジノで相当やられていたようです。 でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
「Bは小金を稼ごうとする利に聡いタイプでしたね。Aはうちの店でもドハマりして週5回は来ていました。“沖スロ”と呼ばれる沖縄のハイビスカスとかがモチーフとなっている台を好んでいましたね。1日に40万~50万円負けていきながら、たまに30万円くらい勝って戻してというペースで遊んでいた。多い時には200万円近くも負けて慌ててBにお金を借りたりしていたこともありました。チャラになりそうなところでも引かず、また50万負けるというように、もはや“負けるために遊んでいるのか”という雰囲気でした。『オカマを掘られる』、というのですが、自分が台を離れたあとに誰かそこに座って勝つのを見たくないという心理が働いていたようです。 でも、私もスロット好きだったので、彼が毎日来るうちにいろいろ話すようになって、気も合いかなり仲良くなりました。彼が事業を始めるということで、開設資金200万円を貸したこともあります。でも、それもAはギャンブルで溶かしてしまったそうです。他のカジノで相当やられていたようです。 でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
でも、私もスロット好きだったので、彼が毎日来るうちにいろいろ話すようになって、気も合いかなり仲良くなりました。彼が事業を始めるということで、開設資金200万円を貸したこともあります。でも、それもAはギャンブルで溶かしてしまったそうです。他のカジノで相当やられていたようです。 でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
でも、彼は毎月5万円ずつ返済をしてきて、キッチリ完済した律儀な男でもありました。彼の人生を考えると“ギャンブル狂い”さえなければ、と思わされましたね」 まさにアングラギャンブルに手を染めたことが身を滅ぼす結果となってしまったのだ――。いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
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いじられる確率、遠隔コントロールされるスロット台…元闇カジノ店のオーナーが語る闇スロット店の“秘密” へ続く(赤石 晋一郎)
(赤石 晋一郎)