「今死ぬと困るんです」「人工呼吸器でもなんでもつけてください」父親の延命に固執した、ある家族の切実な理由

「その……父が今、死んでしまうと困るのです。マンションが建つまでは生きていてもらわないと」
【漫画】延命治療のリスクについてお話しましたが…全編を読む医師と看護師の私は、家族の返事にびっくりして顔を見合わせました。救急車で運ばれた高齢の患者、Mさんは意識がなく、いつ呼吸が止まったり、心臓が止まってしまうかわからない状態でした。今より状態が悪くなる場合、どこまで治療を行うかを家族で決めてほしいとお願いし、その答えだったのです。

   ◇   ◇Mさんは82歳の男性で、高血圧症で通院されていました。年齢の割に元気な印象で、肥満ぎみですが、介助の必要なく自立して生活を送られていました。家族の方が家を訪ねると、うつ伏せに倒れているところを発見され、救急車で運び込まれたのです。検査の結果、脳梗塞であるとわかりました。入院し治療を開始しましたが、高齢であり、発症してすぐであることから、呼吸や心臓が止まる可能性もある状態です。状態が悪くなった場合に、どこまで治療をするのかを家族に説明し、希望を聞きます。現時点ではMさんの意識はなく、点滴と酸素の治療を開始していました。医師よりMさんの家族である、息子さんと娘さんへ説明がありました。人工呼吸器の装着や心臓マッサージをすれば延命の可能性もあります。しかし高齢であるため、延命治療の効果が得られるかは不透明です。人工呼吸器が外せる状態まで回復できなかったり、心臓マッサージの影響で肋骨が折れてしまうというリスクもあります、などと効果とリスクについて説明されました。私の経験上、このような説明を受けた家族のほとんどの方は延命治療を希望されない方が多い印象です。しかし、予想は裏切られました。「必要があれば人工呼吸器でもなんでもつけてください。できる治療があるならしてほしいです。父が死ぬと困るんです」息子さんはまっすぐに医師を見て答えました。医師も私も、その答えにびっくりしました。説明が足りなかったのかと、医師はさらに詳しく補足しましたが、娘さんからも同じ答えが返ってきました。「今、お父さんが亡くなったら、私たち家族が困るんです。……あともう少しでマンションが建つんです。完成するまでは生きていてもらわないと」娘さんも、戸惑いつつもはっきりと伝えられました。どうやら、Mさんは地主で、家族で不動産業を営んでいるようです。さらに現在、マンションを建設しており、今亡くなると引き継ぎや相続などとてもややこしくて、家族が大変になってしまう、Mさんは家族が困ることは望んでいない人だ、と一気に娘さんが話しました。家族の意思がかたいことを医師も私も確認し、いざというときはできる限りのことを行う方針になりました。その後、夜中に状態は悪化し、酸素を送るだけでは呼吸を維持できない状態で、口から挿管チューブを挿入し、人工呼吸器を装着したと翌日の勤務時に申し送りを受けます。(82歳でどこまで回復できるのだろうか。まだ意識も戻っていないのに)この治療が本当にMさんのためなのかがわからず、モヤモヤを抱きながら日々の看護にあたりました。   ◇    ◇しかし、Mさんの生命力の方がすごかったのです。数日後には目が開き、声をかけると目が合います。徐々に自分自身で呼吸ができるようになり、人工呼吸器を外すことができました。状態が安定し、リハビリも始まります。ここまでの回復は奇跡のようにも感じましたが、脳梗塞の後遺症としてMさんには右片麻痺と失語症が残りました。右半身が思うように動かすことができません。失語症とは言葉をうまく使えない状態のことです。具体的には、言葉が浮かばない、言葉が理解できない、文字の理解も書くこともできなくなってしまったのです。右片麻痺があるため、体をうまく支えられず傾いてしまったり、左腕も筋力が低下してしまい自分でご飯を食べることもできません。日常生活を送るためには誰かの手伝いが必要な状態になってしまいました。リハビリを行いますが、回復するにはかなりの時間がかかるし、麻痺とは付き合っていくしかありません。私の勤める病院は急性期の病院であったため、状態が落ち着くと退院を考えなければいけませんでした。Mさんの場合は、リハビリテーションに特化した病院に転院するか、在宅で訪問看護を利用するか、介護施設に入所するかを家族に選択してもらいます。家族は介護施設に入所することを希望され、Mさんは退院されました。入院された状況から考えると、状態が落ち着いて退院できたことは素晴らしいことだと思います。あのとき、人工呼吸器を装着する選択をしたことは良かったのかもしれません。しかし、自分の思うことを伝えられず、体も不自由な状態で生きていくことはMさんにとってはどうなんだろう、とモヤモヤは残りました。Mさんは何も話すことなく退院してしまいました。看護師として働いていると、わりきれないことや正解がわからないことに直面します。わからなくても進まないといけない、答えを決めるのは患者さんや家族なのだからと言い聞かせています。(看護師ライター・松井 英子)
医師と看護師の私は、家族の返事にびっくりして顔を見合わせました。
救急車で運ばれた高齢の患者、Mさんは意識がなく、いつ呼吸が止まったり、心臓が止まってしまうかわからない状態でした。今より状態が悪くなる場合、どこまで治療を行うかを家族で決めてほしいとお願いし、その答えだったのです。
◇   ◇
Mさんは82歳の男性で、高血圧症で通院されていました。年齢の割に元気な印象で、肥満ぎみですが、介助の必要なく自立して生活を送られていました。家族の方が家を訪ねると、うつ伏せに倒れているところを発見され、救急車で運び込まれたのです。
検査の結果、脳梗塞であるとわかりました。
入院し治療を開始しましたが、高齢であり、発症してすぐであることから、呼吸や心臓が止まる可能性もある状態です。状態が悪くなった場合に、どこまで治療をするのかを家族に説明し、希望を聞きます。現時点ではMさんの意識はなく、点滴と酸素の治療を開始していました。
医師よりMさんの家族である、息子さんと娘さんへ説明がありました。
人工呼吸器の装着や心臓マッサージをすれば延命の可能性もあります。しかし高齢であるため、延命治療の効果が得られるかは不透明です。人工呼吸器が外せる状態まで回復できなかったり、心臓マッサージの影響で肋骨が折れてしまうというリスクもあります、などと効果とリスクについて説明されました。
私の経験上、このような説明を受けた家族のほとんどの方は延命治療を希望されない方が多い印象です。
しかし、予想は裏切られました。
「必要があれば人工呼吸器でもなんでもつけてください。できる治療があるならしてほしいです。父が死ぬと困るんです」
息子さんはまっすぐに医師を見て答えました。医師も私も、その答えにびっくりしました。
説明が足りなかったのかと、医師はさらに詳しく補足しましたが、娘さんからも同じ答えが返ってきました。
「今、お父さんが亡くなったら、私たち家族が困るんです。……あともう少しでマンションが建つんです。完成するまでは生きていてもらわないと」
娘さんも、戸惑いつつもはっきりと伝えられました。
どうやら、Mさんは地主で、家族で不動産業を営んでいるようです。さらに現在、マンションを建設しており、今亡くなると引き継ぎや相続などとてもややこしくて、家族が大変になってしまう、Mさんは家族が困ることは望んでいない人だ、と一気に娘さんが話しました。
家族の意思がかたいことを医師も私も確認し、いざというときはできる限りのことを行う方針になりました。
その後、夜中に状態は悪化し、酸素を送るだけでは呼吸を維持できない状態で、口から挿管チューブを挿入し、人工呼吸器を装着したと翌日の勤務時に申し送りを受けます。
(82歳でどこまで回復できるのだろうか。まだ意識も戻っていないのに)
この治療が本当にMさんのためなのかがわからず、モヤモヤを抱きながら日々の看護にあたりました。
◇    ◇
しかし、Mさんの生命力の方がすごかったのです。数日後には目が開き、声をかけると目が合います。徐々に自分自身で呼吸ができるようになり、人工呼吸器を外すことができました。
状態が安定し、リハビリも始まります。ここまでの回復は奇跡のようにも感じましたが、脳梗塞の後遺症としてMさんには右片麻痺と失語症が残りました。右半身が思うように動かすことができません。失語症とは言葉をうまく使えない状態のことです。具体的には、言葉が浮かばない、言葉が理解できない、文字の理解も書くこともできなくなってしまったのです。
右片麻痺があるため、体をうまく支えられず傾いてしまったり、左腕も筋力が低下してしまい自分でご飯を食べることもできません。日常生活を送るためには誰かの手伝いが必要な状態になってしまいました。リハビリを行いますが、回復するにはかなりの時間がかかるし、麻痺とは付き合っていくしかありません。
私の勤める病院は急性期の病院であったため、状態が落ち着くと退院を考えなければいけませんでした。Mさんの場合は、リハビリテーションに特化した病院に転院するか、在宅で訪問看護を利用するか、介護施設に入所するかを家族に選択してもらいます。
家族は介護施設に入所することを希望され、Mさんは退院されました。
入院された状況から考えると、状態が落ち着いて退院できたことは素晴らしいことだと思います。あのとき、人工呼吸器を装着する選択をしたことは良かったのかもしれません。しかし、自分の思うことを伝えられず、体も不自由な状態で生きていくことはMさんにとってはどうなんだろう、とモヤモヤは残りました。Mさんは何も話すことなく退院してしまいました。
看護師として働いていると、わりきれないことや正解がわからないことに直面します。わからなくても進まないといけない、答えを決めるのは患者さんや家族なのだからと言い聞かせています。
(看護師ライター・松井 英子)