忘年会帰りに消えた息子、失踪50年 母は最後まで転居を拒んだ

解決の糸口がつかめない北朝鮮による日本人拉致問題。
群馬県前橋市出身の井上克美(かつよし)さん(71)は、1971年の暮れに埼玉県川口市で行方を断った。警察庁が拉致の可能性を排除できないとした特定失踪者の一人だ。前橋市に住む兄の一男さん(74)は「とにかく政府は行動を起こして欲しい」と訴える。克美さんが姿を消してから間もなく、半世紀が経とうとしている。
2002年10月15日、東京・羽田空港。北朝鮮に拉致された5人が帰国してタラップを降りる。テレビには、拉致被害者帰国に尽力した当時の官房副長官・安倍晋三氏の姿もあった。一男さんは、その光景を覚えている。安倍氏は06~07年と、12~20年に政権を担った。「この人なら、解決してくれる」と思った。
だが、期待が大きかっただけに、失望だけでなく怒りも大きくなった。「外国にお任せで結局、何も進展しなかった。克美も私たちも、このまま消えていくのを待つだけなのか」
克美さんは、3人兄弟の次男。中学卒業後、職業訓練校を経て電気工事会社に勤務して川口市で暮らしていた。1971年12月29日。会社の忘年会を終え、すし店で友人と飲んだ後、帰宅途中に行方がわからなくなった。当時21歳で、仕事は順調。結婚したばかりで、もうすぐ子どもが生まれる幸せな時だった。
身重の妻から同31日、克美さんの実家に電話があった。「克美さんは行っていますか」。正月に前橋に帰る予定だったからだ。父と母は翌日に川口市に向かった。だが、元日の街で捜す手立てはなかった。
しばらくして、一男さんと母イトノさんは前橋市内で拉致被害者・横田めぐみさんの両親の講演を聴いた。「克美と同じだ」。2人は特定失踪者問題調査会と連絡をとった。その後は川口市に通い、解決を求める集会や署名運動に参加した。一男さんは、克美さんの妻と長男を前橋へ呼び寄せた。
昨年8月6日、「もう一度会いたい」と願い続けたイトノさんは息を引き取った。96歳だった。一男さんは「母は『克美が帰ってきてもわかるように』と転居を拒み、築70年の家に住み続けて待っていた」と無念そうに話した。
その2カ月後の昨年10月、一男さんは東京都千代田区の国会議員会館前に立った。他の拉致被害者の家族らと降りしきる雨の中、マイクを持ち安倍政権を引き継いだ菅政権、国会議員に「問題解決に立ち上がって欲しい」と声をあげた。
現在の岸田政権も、拉致問題を最重要課題に掲げる。「拉致じゃなくても、拉致されたが北朝鮮で幸せに暮らしていて帰ってこなくてもいい。ただ、消息が知りたいんです」と一男さんは声を絞り出した。(堤恭太)

〈特定失踪者〉 全国で約900人いるとされる。目撃証言などから拉致の可能性が高い人もいる一方、拉致とは関係なく消息がわかることもある。政府認定の拉致被害者は拉致の証拠が残されていた人で、無ければ特定失踪者と扱われる。2002年に北朝鮮から帰国した曽我ひとみさんは日本政府の拉致被害者リストにはなく、北朝鮮の「告白」で初めて判明した。