「前兆がない」脳卒中を経験した64歳の男性が語る「死より過酷」なリアル体験

国内では100万人以上の患者が存在し「国民病」とも呼ばれる脳卒中。だが、脳卒中に罹患した人は死亡したり重篤化したりするケースが多いのか、経験者の体験談を耳にする機会が想像以上に少ない。今回、脳卒中のひとつである小脳出血で手術、入院を経験した男性が入院中や退院後に、その身に起こったすべてを包み隠さず話してくれた。症状に仕事、そしてお金……。脳卒中になると一体どうなってしまうのか。
【写真】家の中で歩行器を使って移動する岡崎さん突然襲いくる脳卒中という病「健康診断や人間ドックでおかしな数値が出ることもなく、体調が優れないということもなかったので、まさか自分が脳卒中、それも小脳出血になるとは思ってもみませんでした」 ゆっくりとそう話すのは、東京都内在住の弁理士、岡崎信太郎さん(64歳)。うまく話せないのは小脳出血の後遺症の影響だという。「50代で仕事も順調。これまで以上に顧客を増やしていこうと思っていた矢先のことでした」 岡崎さんは早稲田大学教育学部を卒業後、製薬会社に就職した。しかし職場にうまくなじめず退職。その後、たまたま特許事務所に勤めることになったのだが、「発明」を扱う業務に興味を持つ。「特許や商標の手続きを行うには弁理士の資格が必要です。勉強するのは嫌いだったのですが、どうしても特許の仕事がしたいと思い、猛勉強して弁理士の試験に合格しました。30歳になるころのことでした」 弁理士になった岡崎さんはしばらくして独立、自分の特許事務所を開設した。その後、特許の出願だけではなく万が一訴訟になったときもワンストップサービスで対応できる事務所を目指し、ほかの弁理士や弁護士たちの事務所とも合併。誰もがその社名を知るような企業を顧客に持つなど、仕事は順調そのものだった。 これまで以上に顧客を増やしていきたい。さらに仕事の規模を拡大しようと意欲に燃えていた岡崎さんを脳卒中が襲う。正月休みが明けたばかりの2016年1月5日、58歳のときだった。「仕事を終えて家に帰り、入浴中のことでした。突然景色が横に流れていき、動けなくなったのです。浴室にしゃがみ込んでしまって、右側にはタオルなどがかかっていて左側には浴槽があるはずなのですが、景色が流れてうまく確認できませんでした」 あとでわかったことだが、右小脳の血管が破れて「小脳出血」を発症していた。「浴室のドアを開けて座っていると、異変に気づいた妻が来て『救急車を呼ぼうか?』と尋ねてきました。断ったのですが、その後気持ちが悪くなって洗面器の中に嘔吐しているうちに、気が遠くなってきました。結局、妻が救急車を呼んでいたみたいで、遠くで息子の話す声や、救急隊員の声が聞こえてきたのを覚えています」 その後、救急車で搬送されたが、途中で岡崎さんは意識を失う。次に目が覚めたのは病院のベッドの上だった。「最初は自分がどこにいるのかわかりませんでした。意識を失っている間に開頭手術を受けたのですが、それもあとで医師から聞きました」退院後も残る脳卒中の後遺症 岡崎さんは救急車内で意識を失ったあと、病院に運び込まれる。血圧が200以上もあり、小脳の血管が破れて流れ出た血の一部が脳幹にまで達していた。岡崎さんの妻の話によると、大きないびきもかいていた。一刻の猶予もない状態だった。岡崎さんは集中治療室に運び込まれ、8時間かけて小脳の出血部を取り除く手術を受ける。 かなり危険な状態ではあったが、岡崎さんは幸運にも一命を取り留めた。「目覚めたのは倒れた翌日だったと思います。ただ、身体がまったく動かない。自分に何が起きているのかわからず医師に聞いたんですが、そのときは『うーん、筋肉がないんじゃない?』と言われただけだったように思います。自分が小脳出血を患ったときちんと理解できたのは、しばらくたってからでした」 倒れて手術を行ってから1か月たっても、身体は動かない。そのころ、岡崎さんはリハビリを行うためにリハビリテーション病院に転院した。「あとで聞いて知ったのですが、小脳には力の入れ具合やバランスなどを計算して運動を調節する機能があるそうです。だから小脳の一部を取り除けば、これまで意識せずに当たり前のように行ってきた動作ができなくなるんです」 歩く、自転車に乗る、食事時に箸を使って食べ物をつまむ。そういう当たり前のように思える行動が、岡崎さんは一切できなくなった。「硬直している筋肉を動かすリハビリと違い、動かし方がわからなくなってしまっていたので、本当につらかったです。当初はなぜ自分が歩けないのか理解できずに悩んでいたんですが、小脳の役割を知ってからは納得しました。歩く練習をさせられるんですが、これがキツい。右足を前に出して、その次は左足を前に出して、時折前方を確認して、といちいち考えながらでないと歩けないんです。そんなばかなことありますか?」 岡崎さんは、こう嘆く。倒れてから5年余りたった今でも、岡崎さんは歩行器なしでは歩けない。当然車の運転もできないので、自ずと外出はできなくなる。そんな状態でも、諦めずにリハビリを続けている。今でも週に2度、1度は介護士に自宅まで来てもらって、もう1度は自宅の前まで車で迎えに来てもらい、リハビリ施設まで通っているという。「退院したばかりのころは、今の倍はリハビリに通っていました。これでも少なくなったほうです」 岡崎さんが根気強くリハビリを続けるのには理由がある。「運動しておかないと寝たきりになってしまうという思いはありますが、それだけではありません。脳は一度失うと再生しません。つまり私の小脳はもう二度と再生することはないのですが、脳出血などで失われた脳の機能を、脳の別の部位が肩代わりしてくれることがあると聞きます。もしかしたら、失った小脳の代わりに運動を調節する機能を私の脳のどこかが引き受けてくれるかもしれない。それに期待して、リハビリを続けているのです」 小脳出血の後遺症は、今もなお岡崎さんを苦しめている。利き手だった右手は、思うように動かないままだ。普段は意図したのと近い動きができる身体の左半分を主に使い、生活を送っている。パソコンのキーボードは左手だけで操作し、食事の際も左手でフォークを持つ。「左手で箸を使う練習をすればいいと言われることもあるんですが、左手で箸を持とうとすると震えてどうしてもうまく使えないんです」 運動の調節ができなくなっているのは、手足など身体の見えている部分だけではない。「舌の筋肉もうまく調節して動かすことができなくて、こんな話し方になってしまうんです」 文字にするとわかりにくいが冒頭でも述べたように、岡崎さんの話し方はたどたどしく、かなりゆっくりだ。酩酊している人の話し方に似ていると言えば、イメージしやすいかもしれない。これも小脳出血の後遺症だという。さらに、岡崎さんは続ける。「舌の筋肉の動きが悪くなったように、飲み込む力も弱くなるんです。退院したばかりのころは、食べ物を飲み込むということが本当に大変で、ほとんどできませんでした。ほかには、呼吸のことも知ってもらいたいですね。呼吸するときは、横隔膜が肺を動かしているのですが、この横隔膜も筋肉なんです。だから倒れて間もないころは横隔膜の動きも悪くて、呼吸するのがしんどかったですね」 飲み込む力や横隔膜の動きは今では改善されているそうだが、小脳出血の後遺症は思いもよらないところにまで及ぶということがわかる。仕事を続けられず収入がゼロに…… 岡崎さんは倒れて入院してから約半年後に退院した。退院して最初に気になったのは、仕事のことだった。当然特許事務所に復帰して働くつもりだったが、そうはならなかった。「入院中は今よりもっとうまく話せなかったので、当時事務所を共同経営している弁理士や弁護士とは、妻にやりとりしてもらっていました。私が話すと大変なので。それで退院後、事務所に復帰しようと思って妻に『いつから事務所に行けばいいですか?』と聞きに行ってもらったんですが、その返事が『もう来ないでほしい』でした」 弁理士の仕事は多岐にわたり、特許出願時には発明した人と対面で綿密な打ち合わせが必要になるのだそう。歩行器を使わないと歩けなくなった岡崎さんでは、倒れる前のように業務をこなしていくのは難しいと判断したのかもしれない。「結局その申し出をのんで、辞めざるをえませんでした」 その後、自宅を自身の特許事務所として登録したが、不自由な身体では新たな顧客を見つけてくるのも難しい状況だった。「うまくしゃべれない、歩けないじゃ、『こいつに仕事頼んで大丈夫か?』と思われてしまいます。たとえ頭の中がはっきりしていても、です」 せっかく無事退院できたのに、次の問題が襲いかかってきた。仕事がない、つまり収入がないことである。「倒れて入院したときから収入がなくなりました」 入院費用は個室に入っていた最初の2か月間は月に約60万円、その後、大部屋に移ってからの4か月間は、月に約30万がかかった。入院していた半年間で、合計約240万円かかったことになる。相当な金額だ。「でも、入院費用は健康保険を使えばあとである程度戻ってくるので、そこまで負担ではありませんでした。想定外でつらかったのは、退院後に特許事務所を辞めることになり、収入が途絶えたことです。自宅マンションのローンもまだ残っていたのに……。正直、頭を抱えました」 生きている限り生活費はかかる。妻も息子もいる。住宅ローンに加えて3人分の生活費もかかる状況の中、収入ゼロでどうやって乗り切れたのだろうか。「幸運なことにそれまでの蓄えがあったのと、医療保険に加入していたのでその保険金で、何とか親子3人で生活していくことができました」左手だけで始めた新たな挑戦 今年5月には知人が所長を務める「ウィルフォート国際特許事務所」に再就職でき、一定の収入も確保できたという。今は自宅からリモートワークで若手の弁理士たちにアドバイスを送る日々を送っている。そんな岡崎さんは、脳卒中になるかもしれないと思っている人々に、アドバイスを送る。「脳卒中になると、とにかくお金がかかります。私のように、仕事を失うかもしれない。無事に退院できても、再就職にも困るかもしれない。そう考えると、もし自分が脳卒中になるかもと心配な方は、私の経験から言っても、医療保険には加入しておいたほうがよいと思います」 岡崎さんは若いころから医療保険に加入していたという。「最初のころは月に1万円程度の掛け金でした。脳卒中になったころは、月3万円くらいかな。でも入っていて、本当によかった。もし加入していなかったら、相当まずいことになっていたと思います」 さらに続ける。「脳卒中を発症すれば働けなくなる場合があるので、備えておくしかないと思います。日本では平均寿命が延びていて、脳卒中患者の多くは高齢。ですので、この先も脳卒中になる人が激減するとは考えにくい。自分がいつか脳卒中になるかも、と考えておくことが大事です」 岡崎さんは、再就職して定期的な収入も生まれた。お金のことで悩むことも少なくなったのではないだろうか。「そんなことはありません。今の特許事務所で働けているのは、たまたま所長が古い知り合いで、彼の厚意によるものです。ずっとこのまま甘え続けるわけにはいきません」 そんな岡崎さんが考えたのは、弁理士としての経験や知見を書き残すことだった。「左手でしかキーボードを打てませんが、文章を入力するのは何とかなります。実は再就職する前から執筆活動を始めていました」 岡崎さんが書きためていた原稿は昨夏、『特許を巡る企業戦争最前線』(海鳴社)という書籍になり、発売された。弁理士仲間の間でも評判になり、手ごたえを感じた。「今は脳卒中の闘病記を書き始めています。この活動が何とかモノになればいいですね」 脳卒中から生還しても、人生は続く。後遺症がある中、どう働いて収入を得ていくのか。岡崎さんの経験は、その重要さも教えてくれる。脳卒中は一体どんな病気なのか? 元気で何の前兆もないのに、突如として発症するのが脳卒中の怖いところ。でも脳卒中という言葉はよく聞くが、詳しい症状や治療法などについてはご存じだろうか? 脳卒中の専門医に詳しく聞いた。 岡崎さんが話すように、脳卒中の実態はよく知られているとはいえない。そこで、はしぐち脳神経クリニック(福岡県福岡市)院長の橋口公章先生に詳しく聞いた。「脳卒中は、脳の血管に異常が起こる病気の総称として使われています。脳の血管の異常は大きく分けて3つ。脳の血管が詰まるのが『脳梗塞』で、脳の血管が破れるのが『脳出血』。そして脳表面の膜と脳の間にある血管が破れる『くも膜下出血』という症状があります」 岡崎さんは脳出血だった。「脳出血にも出血する部位によって症状が変わります。大脳だけでも被殻出血、視床出血、皮質下出血があり、加えて脳幹出血、そして小脳出血があります。出血した部位によって症状も変わります」 脳卒中の症状はひと言では言い表せないようだ。では岡崎さんが患った小脳出血とは、どのようなものなのか。あまり体験談を聞かない病気だが、珍しい病気なのだろうか。「脳出血になるのは、脳卒中の中の2割程度です。そして小脳出血は脳出血の中の約1割。多くはないですが、珍しいというほどではありません。患者はほとんど50~60代以上ですね。小脳は運動のサポートをする器官。なので、小脳出血が起こると、酔っぱらったような歩き方になったり、舌をうまく動かせず呂律が回らない話し方になったりします。ほかの脳出血と異なるのは動くけどバランスが取れない状態なので、麻痺とは違います」 動かせるようにするにはリハビリが必要だというが、脳の出血部位によってリハビリの内容も変わるのだろうか。「何ができないかによってどのようなリハビリをするかが決まるので、個人差が大きいです。ただ、後遺症によっては、出血部位にかかわらずリハビリの内容は似たものになることがあります。特に歩けない場合には歩くためのリハビリは必須。これは大脳出血でも小脳出血でも同じです。そしてどの症状でも、できないことをできるようにするわけですので、リハビリはつらいものになります」 脳卒中になる前に、何か前兆はあるのだろうか。「脳卒中は、ある日突然起こる病気です。脳梗塞やくも膜下出血の場合は運動障害やめまいなどの前兆が出ることもありますが、脳出血の場合は前兆なく発症することがほとんど。脳の血管が傷んで破れるまで気づかないのです」 岡崎さんも、ある日突然めまいがして動けなくなった。「小脳出血では、後頭部の痛みやめまい、吐き気といった初期症状が出ることがあります。初期症状が出た場合は、すぐに病院に行かなければ手遅れになる可能性があります。その状態が数時間続けば意識を失い、最悪死に至るケースもあるのです」 予防できるのだろうか。「前兆はなくても、実は予防することは可能です。脳出血を罹患する人の多くは、高血圧なのです。つまり、日常の高血圧を放置しておかないことが脳出血の予防になります」 突然、脳卒中で倒れたりしないように、高血圧には注意しておきたい。<取材・文/仁井慎治(エイトワークス)協力/企画のたまご屋さん>
「健康診断や人間ドックでおかしな数値が出ることもなく、体調が優れないということもなかったので、まさか自分が脳卒中、それも小脳出血になるとは思ってもみませんでした」
ゆっくりとそう話すのは、東京都内在住の弁理士、岡崎信太郎さん(64歳)。うまく話せないのは小脳出血の後遺症の影響だという。
「50代で仕事も順調。これまで以上に顧客を増やしていこうと思っていた矢先のことでした」
岡崎さんは早稲田大学教育学部を卒業後、製薬会社に就職した。しかし職場にうまくなじめず退職。その後、たまたま特許事務所に勤めることになったのだが、「発明」を扱う業務に興味を持つ。
「特許や商標の手続きを行うには弁理士の資格が必要です。勉強するのは嫌いだったのですが、どうしても特許の仕事がしたいと思い、猛勉強して弁理士の試験に合格しました。30歳になるころのことでした」
弁理士になった岡崎さんはしばらくして独立、自分の特許事務所を開設した。その後、特許の出願だけではなく万が一訴訟になったときもワンストップサービスで対応できる事務所を目指し、ほかの弁理士や弁護士たちの事務所とも合併。誰もがその社名を知るような企業を顧客に持つなど、仕事は順調そのものだった。
これまで以上に顧客を増やしていきたい。さらに仕事の規模を拡大しようと意欲に燃えていた岡崎さんを脳卒中が襲う。正月休みが明けたばかりの2016年1月5日、58歳のときだった。
「仕事を終えて家に帰り、入浴中のことでした。突然景色が横に流れていき、動けなくなったのです。浴室にしゃがみ込んでしまって、右側にはタオルなどがかかっていて左側には浴槽があるはずなのですが、景色が流れてうまく確認できませんでした」
あとでわかったことだが、右小脳の血管が破れて「小脳出血」を発症していた。
「浴室のドアを開けて座っていると、異変に気づいた妻が来て『救急車を呼ぼうか?』と尋ねてきました。断ったのですが、その後気持ちが悪くなって洗面器の中に嘔吐しているうちに、気が遠くなってきました。結局、妻が救急車を呼んでいたみたいで、遠くで息子の話す声や、救急隊員の声が聞こえてきたのを覚えています」
その後、救急車で搬送されたが、途中で岡崎さんは意識を失う。次に目が覚めたのは病院のベッドの上だった。
「最初は自分がどこにいるのかわかりませんでした。意識を失っている間に開頭手術を受けたのですが、それもあとで医師から聞きました」
岡崎さんは救急車内で意識を失ったあと、病院に運び込まれる。血圧が200以上もあり、小脳の血管が破れて流れ出た血の一部が脳幹にまで達していた。岡崎さんの妻の話によると、大きないびきもかいていた。一刻の猶予もない状態だった。岡崎さんは集中治療室に運び込まれ、8時間かけて小脳の出血部を取り除く手術を受ける。
かなり危険な状態ではあったが、岡崎さんは幸運にも一命を取り留めた。
「目覚めたのは倒れた翌日だったと思います。ただ、身体がまったく動かない。自分に何が起きているのかわからず医師に聞いたんですが、そのときは『うーん、筋肉がないんじゃない?』と言われただけだったように思います。自分が小脳出血を患ったときちんと理解できたのは、しばらくたってからでした」
倒れて手術を行ってから1か月たっても、身体は動かない。そのころ、岡崎さんはリハビリを行うためにリハビリテーション病院に転院した。
「あとで聞いて知ったのですが、小脳には力の入れ具合やバランスなどを計算して運動を調節する機能があるそうです。だから小脳の一部を取り除けば、これまで意識せずに当たり前のように行ってきた動作ができなくなるんです」
歩く、自転車に乗る、食事時に箸を使って食べ物をつまむ。そういう当たり前のように思える行動が、岡崎さんは一切できなくなった。
「硬直している筋肉を動かすリハビリと違い、動かし方がわからなくなってしまっていたので、本当につらかったです。当初はなぜ自分が歩けないのか理解できずに悩んでいたんですが、小脳の役割を知ってからは納得しました。歩く練習をさせられるんですが、これがキツい。右足を前に出して、その次は左足を前に出して、時折前方を確認して、といちいち考えながらでないと歩けないんです。そんなばかなことありますか?」
岡崎さんは、こう嘆く。倒れてから5年余りたった今でも、岡崎さんは歩行器なしでは歩けない。当然車の運転もできないので、自ずと外出はできなくなる。そんな状態でも、諦めずにリハビリを続けている。今でも週に2度、1度は介護士に自宅まで来てもらって、もう1度は自宅の前まで車で迎えに来てもらい、リハビリ施設まで通っているという。
「退院したばかりのころは、今の倍はリハビリに通っていました。これでも少なくなったほうです」
岡崎さんが根気強くリハビリを続けるのには理由がある。
「運動しておかないと寝たきりになってしまうという思いはありますが、それだけではありません。脳は一度失うと再生しません。つまり私の小脳はもう二度と再生することはないのですが、脳出血などで失われた脳の機能を、脳の別の部位が肩代わりしてくれることがあると聞きます。もしかしたら、失った小脳の代わりに運動を調節する機能を私の脳のどこかが引き受けてくれるかもしれない。それに期待して、リハビリを続けているのです」
小脳出血の後遺症は、今もなお岡崎さんを苦しめている。利き手だった右手は、思うように動かないままだ。普段は意図したのと近い動きができる身体の左半分を主に使い、生活を送っている。パソコンのキーボードは左手だけで操作し、食事の際も左手でフォークを持つ。
「左手で箸を使う練習をすればいいと言われることもあるんですが、左手で箸を持とうとすると震えてどうしてもうまく使えないんです」
運動の調節ができなくなっているのは、手足など身体の見えている部分だけではない。
「舌の筋肉もうまく調節して動かすことができなくて、こんな話し方になってしまうんです」
文字にするとわかりにくいが冒頭でも述べたように、岡崎さんの話し方はたどたどしく、かなりゆっくりだ。酩酊している人の話し方に似ていると言えば、イメージしやすいかもしれない。これも小脳出血の後遺症だという。さらに、岡崎さんは続ける。
「舌の筋肉の動きが悪くなったように、飲み込む力も弱くなるんです。退院したばかりのころは、食べ物を飲み込むということが本当に大変で、ほとんどできませんでした。ほかには、呼吸のことも知ってもらいたいですね。呼吸するときは、横隔膜が肺を動かしているのですが、この横隔膜も筋肉なんです。だから倒れて間もないころは横隔膜の動きも悪くて、呼吸するのがしんどかったですね」
飲み込む力や横隔膜の動きは今では改善されているそうだが、小脳出血の後遺症は思いもよらないところにまで及ぶということがわかる。
岡崎さんは倒れて入院してから約半年後に退院した。退院して最初に気になったのは、仕事のことだった。当然特許事務所に復帰して働くつもりだったが、そうはならなかった。
「入院中は今よりもっとうまく話せなかったので、当時事務所を共同経営している弁理士や弁護士とは、妻にやりとりしてもらっていました。私が話すと大変なので。それで退院後、事務所に復帰しようと思って妻に『いつから事務所に行けばいいですか?』と聞きに行ってもらったんですが、その返事が『もう来ないでほしい』でした」
弁理士の仕事は多岐にわたり、特許出願時には発明した人と対面で綿密な打ち合わせが必要になるのだそう。歩行器を使わないと歩けなくなった岡崎さんでは、倒れる前のように業務をこなしていくのは難しいと判断したのかもしれない。
「結局その申し出をのんで、辞めざるをえませんでした」
その後、自宅を自身の特許事務所として登録したが、不自由な身体では新たな顧客を見つけてくるのも難しい状況だった。
「うまくしゃべれない、歩けないじゃ、『こいつに仕事頼んで大丈夫か?』と思われてしまいます。たとえ頭の中がはっきりしていても、です」
せっかく無事退院できたのに、次の問題が襲いかかってきた。仕事がない、つまり収入がないことである。
「倒れて入院したときから収入がなくなりました」
入院費用は個室に入っていた最初の2か月間は月に約60万円、その後、大部屋に移ってからの4か月間は、月に約30万がかかった。入院していた半年間で、合計約240万円かかったことになる。相当な金額だ。
「でも、入院費用は健康保険を使えばあとである程度戻ってくるので、そこまで負担ではありませんでした。想定外でつらかったのは、退院後に特許事務所を辞めることになり、収入が途絶えたことです。自宅マンションのローンもまだ残っていたのに……。正直、頭を抱えました」
生きている限り生活費はかかる。妻も息子もいる。住宅ローンに加えて3人分の生活費もかかる状況の中、収入ゼロでどうやって乗り切れたのだろうか。
「幸運なことにそれまでの蓄えがあったのと、医療保険に加入していたのでその保険金で、何とか親子3人で生活していくことができました」
今年5月には知人が所長を務める「ウィルフォート国際特許事務所」に再就職でき、一定の収入も確保できたという。今は自宅からリモートワークで若手の弁理士たちにアドバイスを送る日々を送っている。そんな岡崎さんは、脳卒中になるかもしれないと思っている人々に、アドバイスを送る。
「脳卒中になると、とにかくお金がかかります。私のように、仕事を失うかもしれない。無事に退院できても、再就職にも困るかもしれない。そう考えると、もし自分が脳卒中になるかもと心配な方は、私の経験から言っても、医療保険には加入しておいたほうがよいと思います」
岡崎さんは若いころから医療保険に加入していたという。
「最初のころは月に1万円程度の掛け金でした。脳卒中になったころは、月3万円くらいかな。でも入っていて、本当によかった。もし加入していなかったら、相当まずいことになっていたと思います」
さらに続ける。
「脳卒中を発症すれば働けなくなる場合があるので、備えておくしかないと思います。日本では平均寿命が延びていて、脳卒中患者の多くは高齢。ですので、この先も脳卒中になる人が激減するとは考えにくい。自分がいつか脳卒中になるかも、と考えておくことが大事です」
岡崎さんは、再就職して定期的な収入も生まれた。お金のことで悩むことも少なくなったのではないだろうか。
「そんなことはありません。今の特許事務所で働けているのは、たまたま所長が古い知り合いで、彼の厚意によるものです。ずっとこのまま甘え続けるわけにはいきません」
そんな岡崎さんが考えたのは、弁理士としての経験や知見を書き残すことだった。
「左手でしかキーボードを打てませんが、文章を入力するのは何とかなります。実は再就職する前から執筆活動を始めていました」
岡崎さんが書きためていた原稿は昨夏、『特許を巡る企業戦争最前線』(海鳴社)という書籍になり、発売された。弁理士仲間の間でも評判になり、手ごたえを感じた。
「今は脳卒中の闘病記を書き始めています。この活動が何とかモノになればいいですね」
脳卒中から生還しても、人生は続く。後遺症がある中、どう働いて収入を得ていくのか。岡崎さんの経験は、その重要さも教えてくれる。
元気で何の前兆もないのに、突如として発症するのが脳卒中の怖いところ。でも脳卒中という言葉はよく聞くが、詳しい症状や治療法などについてはご存じだろうか? 脳卒中の専門医に詳しく聞いた。
岡崎さんが話すように、脳卒中の実態はよく知られているとはいえない。そこで、はしぐち脳神経クリニック(福岡県福岡市)院長の橋口公章先生に詳しく聞いた。
「脳卒中は、脳の血管に異常が起こる病気の総称として使われています。脳の血管の異常は大きく分けて3つ。脳の血管が詰まるのが『脳梗塞』で、脳の血管が破れるのが『脳出血』。そして脳表面の膜と脳の間にある血管が破れる『くも膜下出血』という症状があります」
岡崎さんは脳出血だった。
「脳出血にも出血する部位によって症状が変わります。大脳だけでも被殻出血、視床出血、皮質下出血があり、加えて脳幹出血、そして小脳出血があります。出血した部位によって症状も変わります」
脳卒中の症状はひと言では言い表せないようだ。では岡崎さんが患った小脳出血とは、どのようなものなのか。あまり体験談を聞かない病気だが、珍しい病気なのだろうか。
「脳出血になるのは、脳卒中の中の2割程度です。そして小脳出血は脳出血の中の約1割。多くはないですが、珍しいというほどではありません。患者はほとんど50~60代以上ですね。小脳は運動のサポートをする器官。なので、小脳出血が起こると、酔っぱらったような歩き方になったり、舌をうまく動かせず呂律が回らない話し方になったりします。ほかの脳出血と異なるのは動くけどバランスが取れない状態なので、麻痺とは違います」
動かせるようにするにはリハビリが必要だというが、脳の出血部位によってリハビリの内容も変わるのだろうか。
「何ができないかによってどのようなリハビリをするかが決まるので、個人差が大きいです。ただ、後遺症によっては、出血部位にかかわらずリハビリの内容は似たものになることがあります。特に歩けない場合には歩くためのリハビリは必須。これは大脳出血でも小脳出血でも同じです。そしてどの症状でも、できないことをできるようにするわけですので、リハビリはつらいものになります」
脳卒中になる前に、何か前兆はあるのだろうか。
「脳卒中は、ある日突然起こる病気です。脳梗塞やくも膜下出血の場合は運動障害やめまいなどの前兆が出ることもありますが、脳出血の場合は前兆なく発症することがほとんど。脳の血管が傷んで破れるまで気づかないのです」
岡崎さんも、ある日突然めまいがして動けなくなった。
「小脳出血では、後頭部の痛みやめまい、吐き気といった初期症状が出ることがあります。初期症状が出た場合は、すぐに病院に行かなければ手遅れになる可能性があります。その状態が数時間続けば意識を失い、最悪死に至るケースもあるのです」
予防できるのだろうか。
「前兆はなくても、実は予防することは可能です。脳出血を罹患する人の多くは、高血圧なのです。つまり、日常の高血圧を放置しておかないことが脳出血の予防になります」
突然、脳卒中で倒れたりしないように、高血圧には注意しておきたい。
<取材・文/仁井慎治(エイトワークス)協力/企画のたまご屋さん>