「人の育った環境が看病の仕方でわかる」という体験談が話題「これは良し悪しの話ではありません」

その人の育った環境が看病の仕方でわかるという体験談がSNS上で大きな注目を集めている。
【写真】話題になった投稿がこちら件の体験談を投稿したのはてゆんたさん(@teyunta1123)。「そういや学生寮のときに痛感してんけど、しろうとの看病ってたまーにすごく残酷で。特に“看病する側”が【これまでの人生でどれだけ大事にされてきたか】がモロにでるんよな。ためらいなくうどん作りはじめられる子、ポカリと桃缶買いにいく子、枕元に500円玉おく子。なんにも、思い浮かばない子。」

たしかに多くの場合、人は自分がしてもらった事しか行動の引き出しが持てないもの。てゆんたさんの投稿に対し、SNSユーザー達からは「元夫、私が熱出したらコンビニのとんかつ弁当を買ってくるような人でしたが、もしかしたらこういう背景があるのかもしれないですね。。(最初は自分のぶんだけ弁当買ってきてたのを、なんで私のぶんはないの?って泣いて訴えたらとんかつ弁当とかカレー弁当とか。ゼリーとかおかゆとかさ。。泣」「病気になったら怒られて育てられた子だったので『しんどい』と言える人を不思議な目で見てたかも。え…?そんなこと言っちゃう?なんで風邪なんかひくんだって責められるよ?隠さなきゃダメじゃないって。ほんと歪んでたわ。」「看病に限らず、甘え方とか、怒り方とか、どうやればいいのか分かんないまま、「引き出しを作りなよ!」って回りから圧をかけられたりするんですよね。『どういう時に何をしたらいいか』は誰かが教えてくれないとずっと分かんないままですよね。」など数々の共感、同意のコメントが寄せられている。てゆんたさんにお話を聞いた。看病に関して友人たちが多種多様なアイデアをもってることにとても驚いた--それまでてゆんたさんの中で常識だった看病とはどの程度のものでしょうか?てゆんた:せいぜい水分を準備する、といった程度のものです。看病に関して友人たちが多種多様なアイデアをもってることにとても驚き、同時にまわりが当然のように持ち合わせている経験や常識を、自分が持ち合わせていないなと気がついた時、これは少し残酷なことかもしれないと感じました。--学生寮で見聞きされた看病のスタイルで、特に印象的だったものは?てゆんた:病気をした際、枕元に500円を置かれていた友人です。私と同様友人達のアイデアに目を丸くしていたのですが「自分も病気になった時なにしていいかわからないな。親がお金くれるだけだったから」と話していました。当人曰く小学校の頃からそのようなケアだったとのことですが、500円の意図などについては本人も不明瞭で「なにか買えってことだったんだろうけど、子供にはわからんよね」と話していました。--学生寮で得た看病の知識で、今も役立っていると思うことはありますか?てゆんた:看病は前提として“病状による”ということは勿論ですが、相手のバックボーンによって求めるものが大きく異なります。投稿への反応にも「どうして欲しいか相手に聞けばいい」との声がありました。これは模範回答のひとつかと思います。しかし相手自身も正解を持ち合わせていない、このケースにおいてはどう看病されたいかがわからないことも決して少なくないのでは?というような発想は他人と関わる上で役立っていると思います。--SNSで大きな反響がありました。てゆんた:看病に関しては様々なアイデア、自身の経験が集まり、興味深く拝見しました。また投稿に一部異をとなえる形で「自分がされたことを人にできないケースもある」(ex.夫、元夫、父親に関するエピソード)との声も多く頂戴しました。これは本人の特性のほか「看病などのケアは女性がするものである」という性別役割分担の意識に起因するものも多いかと思いますので、ある種の社会問題として理解しています。親から与えられなかった経験も友人から得ることができる他にも私同様、親から与えられるべき経験を与えられなかったという悲しみの声も多く頂戴し、強く共感するとともに胸が痛みました。私自身としては、看病の話題を通じて「親から与えられなかった経験も友人等から得ることができるし、引き出しは増やしていくことができる」「それを子供へ渡すこともできるのでは」という発想から投稿したため「これは希望がある話だ」、「子供や生徒などに引き出しを持たせてあげたい」との前向きなお声をいただくことができたのは何よりも嬉しいことでした。◇ ◇「これは良し悪しの話ではなくて誰の責任でもない」とてゆんたさん。このように育った環境がさまざまな行動や表現に反映されうると知ることは、他者を理解し、また自己を見つめる上で大きな助けになると思う。(まいどなニュース特約・中将 タカノリ)
件の体験談を投稿したのはてゆんたさん(@teyunta1123)。
「そういや学生寮のときに痛感してんけど、しろうとの看病ってたまーにすごく残酷で。特に“看病する側”が【これまでの人生でどれだけ大事にされてきたか】がモロにでるんよな。ためらいなくうどん作りはじめられる子、ポカリと桃缶買いにいく子、枕元に500円玉おく子。なんにも、思い浮かばない子。」
たしかに多くの場合、人は自分がしてもらった事しか行動の引き出しが持てないもの。てゆんたさんの投稿に対し、SNSユーザー達からは
「元夫、私が熱出したらコンビニのとんかつ弁当を買ってくるような人でしたが、もしかしたらこういう背景があるのかもしれないですね。。(最初は自分のぶんだけ弁当買ってきてたのを、なんで私のぶんはないの?って泣いて訴えたらとんかつ弁当とかカレー弁当とか。ゼリーとかおかゆとかさ。。泣」
「病気になったら怒られて育てられた子だったので『しんどい』と言える人を不思議な目で見てたかも。え…?そんなこと言っちゃう?なんで風邪なんかひくんだって責められるよ?隠さなきゃダメじゃないって。ほんと歪んでたわ。」
「看病に限らず、甘え方とか、怒り方とか、どうやればいいのか分かんないまま、「引き出しを作りなよ!」って回りから圧をかけられたりするんですよね。『どういう時に何をしたらいいか』は誰かが教えてくれないとずっと分かんないままですよね。」
など数々の共感、同意のコメントが寄せられている。
てゆんたさんにお話を聞いた。
--それまでてゆんたさんの中で常識だった看病とはどの程度のものでしょうか?
てゆんた:せいぜい水分を準備する、といった程度のものです。看病に関して友人たちが多種多様なアイデアをもってることにとても驚き、同時にまわりが当然のように持ち合わせている経験や常識を、自分が持ち合わせていないなと気がついた時、これは少し残酷なことかもしれないと感じました。
--学生寮で見聞きされた看病のスタイルで、特に印象的だったものは?
てゆんた:病気をした際、枕元に500円を置かれていた友人です。私と同様友人達のアイデアに目を丸くしていたのですが「自分も病気になった時なにしていいかわからないな。親がお金くれるだけだったから」と話していました。当人曰く小学校の頃からそのようなケアだったとのことですが、500円の意図などについては本人も不明瞭で「なにか買えってことだったんだろうけど、子供にはわからんよね」と話していました。
--学生寮で得た看病の知識で、今も役立っていると思うことはありますか?
てゆんた:看病は前提として“病状による”ということは勿論ですが、相手のバックボーンによって求めるものが大きく異なります。投稿への反応にも「どうして欲しいか相手に聞けばいい」との声がありました。これは模範回答のひとつかと思います。しかし相手自身も正解を持ち合わせていない、このケースにおいてはどう看病されたいかがわからないことも決して少なくないのでは?というような発想は他人と関わる上で役立っていると思います。
--SNSで大きな反響がありました。
てゆんた:看病に関しては様々なアイデア、自身の経験が集まり、興味深く拝見しました。また投稿に一部異をとなえる形で「自分がされたことを人にできないケースもある」(ex.夫、元夫、父親に関するエピソード)との声も多く頂戴しました。これは本人の特性のほか「看病などのケアは女性がするものである」という性別役割分担の意識に起因するものも多いかと思いますので、ある種の社会問題として理解しています。
他にも私同様、親から与えられるべき経験を与えられなかったという悲しみの声も多く頂戴し、強く共感するとともに胸が痛みました。私自身としては、看病の話題を通じて「親から与えられなかった経験も友人等から得ることができるし、引き出しは増やしていくことができる」「それを子供へ渡すこともできるのでは」という発想から投稿したため「これは希望がある話だ」、「子供や生徒などに引き出しを持たせてあげたい」との前向きなお声をいただくことができたのは何よりも嬉しいことでした。
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「これは良し悪しの話ではなくて誰の責任でもない」とてゆんたさん。このように育った環境がさまざまな行動や表現に反映されうると知ることは、他者を理解し、また自己を見つめる上で大きな助けになると思う。
(まいどなニュース特約・中将 タカノリ)