ピンチ乗り越え27年半 函館の大衆食堂、無休1万日達成

北海道函館市の食堂「たつみ」が今月、約27年半かけて「無休営業連続1万日」を達成した。店主の山田征勝さん(80)は、地震によるブラックアウト(全域停電)、新型コロナウイルス禍、長年の重労働によるけがなどを、従業員や家族と一緒に乗り越えてきた。次の目標は、2年後の「創業50年」だ。【真貝恒平】
佳子さま27歳に 眞子さん結婚で公務引き継ぎ 函館山のふもと「西部地区」の住宅街の一角に、その店はある。今は店前にある「おめでとう」と大書された派手な看板が目を引くが、のれんをくぐると、中は昭和の大衆食堂そのものだ。小上がりとカウンターが計20席。テレビと漫画本の棚と、油の匂い……。奥の部屋から「おーい、こっちこっち」と、山田さんの声が響いた。

 実は今秋、疲労骨折で3週間ほど入院していたという。「体が言うことをきかなくて……」と顔をしかめるが、声は張りがある。山田さんが不在の間、店を支えてくれていたのが、近所に住む従業員の水嶋妙子さん(65)。20年以上、2人で店を切り盛りしている。互いに冗談を飛ばし合うのが、いつもの光景だ。 たつみ食堂は、札幌で冬季五輪が開かれた翌年の1973年7月に開業した。20年たった93年、山田さんは腰痛を患い、半年ほど休業を余儀なくされた。「食堂は来てくれる人がいる限り、休んじゃいけない」。そう決意し、94年7月27日から無休営業を始めた。 盆や正月も関係なし。息子や娘の結婚式の日も、昼間に通常営業した後、式場に駆け付けた。看板メニューでボリューム満点の「ジャンボとり」や唐揚げ定食は「安くて、おいしい」と評判を呼び、市民や観光客のほか、テレビ番組の収録で志村けんさんら著名人も訪れた。 だが、ここ10年ほどはピンチが続いた。2011年の東日本大震災では物流が滞り、食材が尽きる寸前に。18年の胆振東部地震で起きた北海道全域のブラックアウトでは、ろうそくをともしながら営業した。修学旅行の小学生が市内のホテルに宿泊中で、教員に頼まれてご飯と焼きサケを提供したという。 「今までで一番苦しかった」と振り返るのが、もうすぐ丸2年になるコロナ禍だ。万全の感染対策をしたものの、一人でも感染者が出れば営業できなくなる。「神経が擦り減る毎日だった」。客足は減ったが、それでも来てくれる常連客の喜ぶ顔に励まされた。「休まない店にしてよかった」と改めて実感したという。 緊急事態宣言が解除された今年10月、ついに体が悲鳴を上げた。背骨の疲労骨折。入院、そして退院後の療養中にバトンをつないでくれたのは、水嶋さんと、既に結婚して家を出ている娘たちだった。今月12日に無事1万日を迎え、山田さんは「感謝しているよ」と照れ笑いを浮かべる。 店内に、快挙の達成をお祝いする色紙が飾られていた。約20年前に観光で訪れて店のファンになり、交流を続けている大阪府在住の女性4人組からのプレゼントだという。寄せ書きには「まだまだつづくよこれからも」とある。 今後は通院なども考慮して毎週水曜を定休日にする予定だが、色紙を眺めながら山田さんは力を込める。「2年後の開業50年を目指し頑張りたい」。市民に愛され続ける名物食堂は健在だ。
函館山のふもと「西部地区」の住宅街の一角に、その店はある。今は店前にある「おめでとう」と大書された派手な看板が目を引くが、のれんをくぐると、中は昭和の大衆食堂そのものだ。小上がりとカウンターが計20席。テレビと漫画本の棚と、油の匂い……。奥の部屋から「おーい、こっちこっち」と、山田さんの声が響いた。
実は今秋、疲労骨折で3週間ほど入院していたという。「体が言うことをきかなくて……」と顔をしかめるが、声は張りがある。山田さんが不在の間、店を支えてくれていたのが、近所に住む従業員の水嶋妙子さん(65)。20年以上、2人で店を切り盛りしている。互いに冗談を飛ばし合うのが、いつもの光景だ。
たつみ食堂は、札幌で冬季五輪が開かれた翌年の1973年7月に開業した。20年たった93年、山田さんは腰痛を患い、半年ほど休業を余儀なくされた。「食堂は来てくれる人がいる限り、休んじゃいけない」。そう決意し、94年7月27日から無休営業を始めた。
盆や正月も関係なし。息子や娘の結婚式の日も、昼間に通常営業した後、式場に駆け付けた。看板メニューでボリューム満点の「ジャンボとり」や唐揚げ定食は「安くて、おいしい」と評判を呼び、市民や観光客のほか、テレビ番組の収録で志村けんさんら著名人も訪れた。
だが、ここ10年ほどはピンチが続いた。2011年の東日本大震災では物流が滞り、食材が尽きる寸前に。18年の胆振東部地震で起きた北海道全域のブラックアウトでは、ろうそくをともしながら営業した。修学旅行の小学生が市内のホテルに宿泊中で、教員に頼まれてご飯と焼きサケを提供したという。
「今までで一番苦しかった」と振り返るのが、もうすぐ丸2年になるコロナ禍だ。万全の感染対策をしたものの、一人でも感染者が出れば営業できなくなる。「神経が擦り減る毎日だった」。客足は減ったが、それでも来てくれる常連客の喜ぶ顔に励まされた。「休まない店にしてよかった」と改めて実感したという。
緊急事態宣言が解除された今年10月、ついに体が悲鳴を上げた。背骨の疲労骨折。入院、そして退院後の療養中にバトンをつないでくれたのは、水嶋さんと、既に結婚して家を出ている娘たちだった。今月12日に無事1万日を迎え、山田さんは「感謝しているよ」と照れ笑いを浮かべる。
店内に、快挙の達成をお祝いする色紙が飾られていた。約20年前に観光で訪れて店のファンになり、交流を続けている大阪府在住の女性4人組からのプレゼントだという。寄せ書きには「まだまだつづくよこれからも」とある。
今後は通院なども考慮して毎週水曜を定休日にする予定だが、色紙を眺めながら山田さんは力を込める。「2年後の開業50年を目指し頑張りたい」。市民に愛され続ける名物食堂は健在だ。